4

「学校の後、私の元に来なくて結構です」

 起き抜けに放たれたレヴァンダの一撃は、十六の少年に食事を中断させるに足る、強烈な代物だった。

 椅子から転げ落ちたクレイは、平然と食事を続けるレヴァンダに、出来の悪い人形の挙動で歩み寄る。

「俺、なんかしでかしたか!?」

 座学も実技も最上位を保ち、近頃は交友の輪も多少広くなった。

 レヴァンダを含めた四天王相手の実戦訓練では、彼等を時折破る程度の実力を見せている。つまり、与えられた以上の成果は上げている筈。

 となると、致命的な失態を犯した可能性があるが、そのような記憶は無い。

 訳も分からず、泡を食って掴みかかるクレイを他所に、レヴァンダはナイフとフォークを置いて彼に向き直る。

「落ち着きなさい。仮にそうならば、ジャックやハルクが伝えている筈でしょう。講義が終わり次第、陛下の間に向かいなさい。私からはそれだけです」

「陛下が……?」

 当代アークス国王ライデア・アークスは、近年病魔に侵され実務は次期国王サイモンが代理でこなしているのが実情。

 そもそもヒトではない上、病原菌の類を無意識に身体から弾くルーゲルダ以外、四天王すら謁見が叶わなくなった男が見習いに何の用があるのか。

 狙いを当ててやろうと、思考を回しかけたクレイだったが、すぐに打ちきった。

「すぐ分かることをグダクダ悩んでも仕方ない。そんな余裕があるなら、目の前にある課題を潰せ。だったな?」

「覚えていて何より。今日は戦闘術の試験でしたね、そちらで求められている物を掴んできなさい。……はしたない」

 笑って退出するまでは良かったが、クレイの手にはこの場で食べ損ねたパンが握られていた。

 構図を目撃し、歩きながら食べる以外の未来が見えなかったレヴァンダが、横を抜けようとしていた教え子の手を捻り上げた。

「痛い! いやマジで痛いですレヴァンダさん!」

「百歩譲って戦場なら許します。ですがこの場所は栄えあるアークス王国の……」

「分かりました、以後気を付けますって!」

「……はぁ」

 おざなりに会話を打ち切って食堂を辞し、遠ざかっていくクレイの姿を見て、レヴァンダは少しだけ微笑む。

 素質は超一流と、初めて見た時に全員感じ取っていた。だが素材など簡単に腐り落ち、本来辿り着けた場所から遠ざかる。

 レヴァンダも自身を上回る才能の持ち主と多数対面しているが、結局彼女より高みに立ったのは確信を抱いた者の十分の一以下だった。

 腐るか伸びるかの分岐に大きな影響を及ぼす時期を、最低辺で過ごしたクレイがここまで伸びると信じていたのはハルクだけで、残る三人は懐疑的な見方を持っていた。


 十年を費やしてようやく出た答えは、夕刻の彼に与えられる立場だ。


 年長者が優れた若人に第一線の立場を譲る。

 どのような組織でも起こり得る事象。そもそも、レヴァンダはいずれ祖国へ戻る定め。終わりが来ることは初めから受け入れていた。

 しかし、その受容は終わり方があまりに唐突かつ予想外でなければ。なる注釈が付いていたようだ。

「誘った貴方が最初に言い出すなんて、ね。結婚するのはともかく、こんな物に手を出して失敗したからとは、なかなか堪えます。……相談しようがなかったのでしょうけれど」

 懐に収めていた文書を弄びながら、レヴァンダは寂寥感に満ちた言葉を投げる。

 表題には『魔血人形アンリミテッド・ドール被験者一覧』という、無味乾燥な文字が刻まれていた。


                  ◆        


 殆ど上の空状態で一日を乗り切ったクレイは、講義が終わるなり教室を飛び出し駐輪場へ向かう。

 単独任務の報酬を全て注ぎ込み購入した二輪車の発動機に火を入れ、いざ出発と意気込んだところで、背後から足音と気配を感じ振り返る。

 足音のリズムと肌が捉えた魔力の流れによる推測通り、ルチア・クルーバーが駆け寄り、荒い息を吐きながらクレイの肩を掴む。

 出会って以降ずっと同じクラスで、その日から始めたやり取りを今日に至るまでほぼ毎日続けていた級友は、今ではクレイに次ぐ実力者として学内で一目置かれるようになっていた。

 もっとも、中身はその実あまり変わっていない。

「……クレイは、確か城の近くに住んでたよね?」

「そうだけど、どうかしたか?」

 本人も気にしている釣り気味の目を泳がせ、ルチアは何度か無意味に口を開閉させながら深呼吸を繰り返す。

 ――メチャクチャ動揺してるな。……デカい事件でもあったか?


 真っ当な推測は、次の瞬間見事に当たる。

「『札術士スイッチャー』様から今朝手紙が来たの。講義が終わったら、ギアポリス城に来るようにって」

 予想を上回る『デカい』事件が告げられ、思わず二輪車共々クレイは転倒しかけた。

 ジャック・エイントリー・ラッセルとルチア・クルーバーに繋がりはない。戦闘術の講義で対面はあるだろうが、彼女に対して特別な何かをしていた覚えはない。

 レヴァンダから指示を受けた自分と同様、眼前のルチアは四天王のジャックから指示を受けた。となると、二人に投げられた指示は同じ物。

「乗れよ。俺も行先は同じだ」

「ありがとう! ……でもヘルメットが無いわ。ちょっと取って――」

「『剛鉄盾』でも発動して被れ。飛ばすぞ、しっかり掴まれ」

「はい? え? ちょ、クレイ……」

 返事も待たず、一から百まで持ち主の趣味で構成された、黄色の地に無数の前衛的模様が描かれた二輪車は乾いた咆哮を立てて走り出す。

 慌ててしがみついたルチアの柔らかい感触に、普段なら精神を乱されていただろうが、今のクレイにそこへ気を回す余裕はない。

 ――四天王からの召集。最近ハルクさんとスティフさんが不在気味。となると、俺達に言い渡されるのは……。

 あり得ない想像が脳内で形作られ、無意識にクレイの右手に力が籠る。

 乗り手の動きをしかと拾い上げた二輪車は、法定速度を全力で無視した速度でハレイドの町を駆け抜けた。


                   ◆


 本来の半分以下の時間で二輪車はギアポリス城に滑り込み、危険な同乗体験で目を回したルチアを難儀しながらも覚醒させ、二人で入城を果たす。

「別に罰を受けに来た訳じゃないんだ。堂々としてりゃいい」

「そう、そうなんだけど……」

 仮面を被っているも同然の硬直した表情で、ルチアは覚束ない足取りで歩む。途中、何もない平坦な場所で何度か転倒しそうになったものの、クレイのフォローで事なきを得ていた。


 ――無理もない、か。


 数代前の国王が失政続きで多くの領土を失った結果、アークス国王の持つ権限は大きく削減され議会制に移行した。

『失地王』の次代が移行を受け入れ、積極的な協力を行った事実と、大きく数を減らしたと言えど多数存在する、建国者の血筋を重要視する者達を抑える為の象徴として存続を許された。

 口の悪い輩がお飾りに堕したと形容する道を選んだ結果『四天王』制度や、このギアポリス城は国王の手に残ったが、後者も重要度は大きく低下した。

 現在のギアポリス城は、手続きさえすれば下層部に限り誰でも入城が可能な上、内部は大幅な改修を受け歴史的な価値も大きく低下している。

 事実、一定以上の年齢に達した学生なら講義の一環で必ず三度は訪問する。入城自体に緊張する要素はないのだが、やはり四天王からの召集は重く、ルチアのみならずクレイも微かに緊張で身を硬くしていた。

 改修の結果、非常に複雑な構造と化した関係者のみ立ち入り可能な区域を、勝手知ったる金髪少年が迷わず進み、紫髪の少女は混乱を極めながらもそれに追従する。

「……まだかかる?」

「もう着いた。……失礼します」

「こ、心の準備が……」

 やがて眼前に現れた重厚な扉が押し開かれ、典雅な装飾と調度品で彩られた空間と、そこに立つ大小二つの人影が目に飛び込んでくる。

 慌てたルチアと、彼女に釣られたクレイが最上位の敬礼を行おうとした時、陽光が顔を遮っていた影から声が飛ぶ。

「私は陛下ではない。だから敬礼は不要だ」

 聞き覚えのある凛とした声に、クレイの顔が跳ねる。

 極東の島国の装いと、王国指定戦闘服を調和させた独特の衣装を纏う黒髪の女性が、視線の先に立っていた。

 一見すると争いを好まぬ深窓の令嬢を思わせる顔に、強い意思を宿した瞳が輝く。腰には五つの『カタナ』と呼ばれる武器が並ぶ。

 これらの条件を満たす存在は、世界広しと言えどたった一人だ。

「スズさん!」

「久しぶりだね。活躍は聞いているよ。友達も出来たようで何よりだ」

「……ガキの使いしかしてねーよ」

「最初は皆そうだ。卑下する必要は無い」

 反抗期の子供を諭すように、スズハ・カザギリは微笑む。

 誰が相手で、相手がどんな態度を取ろうと変わらぬ穏やかな言動と、どんな些細な事にも真摯に耳を傾ける精神性は、宗教世界の聖母を想起させるが、彼女を形容する表現にそれは生温い。

 出会った時は四天王候補生。現在は要請に応じて大陸各地の化け物共に少数で挑む『特定危険生物対策部』に所属し、数々の戦績を積み上げている。

 今や全世界に彼女を叩き潰したいと願う輩がいるヒノモト人が、首都ハレイドに留まっているのは極めて異例。

 想像以上に重い何かが待ち受けていると察したクレイが問おうとした時、スズハの隣に音もなく立っていた少年が口を開く。

 限りなく黒に近い濃緑色の髪はあちらこちらが跳ね、体格はクレイやルチアよりも明らかに小さい。ここに立っている理由は、物騒な眼帯で覆われた右目にあるのだろう。

 そこまで推測をさせた少年の、予想通りの幼い声にスズハは首肯。

 心胆を射貫く力を宿した目で二人を見て、ゆっくりと口を開く。

「では、単刀直入に行こう。クレイトン・ヒンチクリフ、そしてルチア・クルーバー。アークス国王、ライデア・アークスの名の下に命ずる。君達を新たな四天王に任命する」


 澄んだ声が広間に響き渡り何度も反響した後、空気に溶けて消える。

 

 一連の流れが全て把握出来たとは即ち、受け手側は何も言えなかったという事だ。

 隣に立つ少女の、現実を咀嚼しきれず乱れ始めた呼吸音で我に返ったクレイは、微笑を称えるスズハに問う。

「再編成と、俺達を選んだ理由はなんだ?」

「ハルクさんがご結婚される。守るべき存在が出来た以上、これまで通り戦える確信が無い故引退すると仰った。彼抜きでの継続を全員が拒み、規定に従い四天王再編に至った。決定や私の選択は陛下が行ったが、残る人員の選択は私に一任され、そして君達を選んだ。おかしな点は無いはずだ」

 縁が無いと勝手に思い込んでいた故、試験で答えられる程度の理解に留まるが、法的に問題は無い。

 また、相手はこんな事で嘘を吐く性分でないと重々承知。故に、スズハの語りが全て真実とクレイは理解に至る。彼女が本心から二人を四天王に欲している事もまた然り。

 ただ、四天王の肩書きが持つ重みは傍観者の立ち位置からだが知っている。望まれて二つ返事で承けられる物ではない。

 そして、もう一つの疑問がクレイにはあった。

「スズさんが頭で、俺とルチアで三人。となるとあと一人はそこの奴になるが……お前いくつだ? 俺達より年下ってのは分かるんだが」

 齢二十八のスズハはともかく、クレイとルチアは十六歳。これでもかなり若い部類に入るが、無言のまま立っていた暗緑色の髪に無骨な眼帯が目を引く中性的な少年は、確実に二人より若い。 

 スズハの人物を見る目は信頼しているが、ここまで若く、噂にすら浮上していなかった存在がここに居る光景に疑問はある。

 固い面持ちで遠慮会釈が皆無の眼差しを向けてくるクレイに気付いたのか、少年の目が動いて彼を捉え、年齢不相応極まるシニカルな笑みを浮かべる。

「スズハさんが推挙する存在だから期待していたが、意外とつまらない考え方の持ち主だな」


 放たれた声は、やはり幼い。


 だが、そこに籠められた物の鋭さに受け手たるクレイの思考が一瞬止まる。

 咀嚼した瞬間、彼の身体を回る熱が急上昇。一気に距離を詰め、少年の襟元を掴んで捩じ上げていた。

「クレイ!」

「初対面でご挨拶だな。もう一回言ってみろよ」

「あまりに凡庸な思考でつまらない、スズハさんが選んだとは思えない程に。そう言ったんだ」

「デカい口叩いてくれるじゃねぇか。……けどな、口だけなら人間何でも言えんだよ」

「……なら、試してみるか?」

 冷たい笑みを浮かべたまま、更に重ねられる少年の挑発。

 普段なら確実に流していたのだろうが、生憎今の彼にその余裕は無い。少年を乱暴に放り捨て、クレイは吼える。

「叩き潰して、認識を改めさせてやる……!」

「出来るものならな」

「ここでは不味い。やるなら地下に行こう」

 戦いで話の決着を付ける。

 物騒だが戦士としてはマトモな方向に二人が着地するのを見計らっていたかのように、スズハが提案を滑り込ませ、それを承服した二人は彼女の背に続く。

「えっ、ちょっ、本当に戦うの!?」

 完全に状況から取り残されたルチアは、三人の姿が消えた後ようやく金縛りから解かれて彼らの後を追った。


                    ◆


 ギアポリス城地下に存在する鍛錬場。

 一切の装飾が排された無機質な空間でクレイと少年が対峙し、戦場となる場所から少し離れたところで、スズハが淡々と言葉を紡ぐ。

「勝敗の判断は私が下す。最悪の状況に陥りそうな時は止めるので遠慮は不要。全力でぶつかり合ってくれ」

「あり得ない話だが、コイツが勝ったら俺は何をすりゃ良い?」

「四天王への加入を認めてくれ。君の力を、私や陛下が望んでいる」

「アンタに従うのは端から文句ねぇよ。コイツが気に食わないだけだ」

「それはボクの台詞だ」

「どう、だろうなぁッ!」


 言い切ると同時、クレイの姿が消失。


 再度姿を現した彼の両手に『導雷球ボルデルト』の光球。激しく瞬いたそれは、少年の全ての行動に先んじる形で彼の身体を焼く。

 狙い通り敵の動きを止めたクレイは、背負っていた長槍『紅槍ラディオン』を抜き放ち、少年の胴部へ突き込む。『輝光壁リグルド』と思しき防御魔術の複数展開で致命傷を免れるが、衝撃を流しきれず上体を仰け反らせ後退。

「甘いんだよッ!」

「――ッ!」

 生まれた隙は絶対に逃さない。

 まさしく猟犬の挙動で敵の懐に滑り込み、クレイは突きの雨を放つ。 反応の遅れと体勢の崩れ方を鑑みれば驚異的な速度で少年は回避を選択。一部が掠めて赤を散らすも、軽傷に留めた少年が『鉄射槍ピアース』の牽制で進撃を防ぎ、両者の距離が一旦開く。

「デカい口叩く割に大したことねぇな。……その剣はなんだ、おちょくってんのか?」

 クレイの疑問は、観劇者のルチアも抱いたものだった。

 相対する少年が着地するなり抜いた剣には刀身が無く、複雑な装飾が施された柄だけが第三者の目に映る。

 異国の武器に不可視の剣も存在するらしいが、アークス国民の少年がそんな物を持っているとは考え難い。ただ、相手が軽侮の感情で武器を選択した訳でもないとクレイは理解している。

 そこまで物事を舐め切った輩を、スズハ・カザギリが同僚に選ぶはずがない。

「遊びたいなら遊んでやる。けど、死んでもしらねぇぞ!」

 旧知の存在の人間性を知る故、軽口とは裏腹に全力疾走。

 『擬竜膂活法ヴィドラティ』の肉体強化を得たクレイの高速接近を目の当たりにしながら、少年は逃げない。

 変わらぬ無表情で、刃無き剣を掲げる。


 両者が交錯。聞こえる筈の無い激突音。


 軌道を逸らされたクレイは、何が起こったのか理解出来ず動揺しつつも反転。持ち主の動きに続いたラディオンが旋回し、少年の首を狙うが槍はまたしても途中で止まる。

 そこで、クレイは予想外に過ぎる光景を目の当たりにする。

 伸び上がったラディオンの切っ先が、七色に瞬く刃に受け止められていた。


 咄嗟に顔を横へ向ける。


 戦闘時に於ける最悪の一手を取って、クレイが目を遣ったルチアは、彼の問いを理解したのか疑問で埋め尽くされた顔で首を振る。隣で腕組みをするスズハが纏う空気から、これは奇跡でも何でもない只の現実である事だけは理解に至る。

 ――なら、話は単純だ!

 迷いと共にラディオンを振り払い、不可視の刃を押し退ける。回避ではなく体勢の立て直しを選んだ少年の目が、クレイの行動と飛んできた物によって開かれ、すぐに隠れる。

 転瞬、少年の顔面にクレイの靴が突き刺さった。


 射程が短い剣と長い槍が交わり、前者を用いた防御が崩れた。繋いでいく最適解はそのまま突きを重ねる事であり、少年も対応すべく構えた。

 しかし、クレイの選択は床に突き刺したラディオンを支点に、回し蹴りを放つというもの。攻撃のタイミングが一拍遅れ、確実に隙が生まれる行為など、真っ当な戦士は絶対に選ばない故、少年も対処出来なかった。

 痛打で動きが鈍った少年の姿を、好機と見て踏み込んだクレイは、武器と魔術を併用し一気に攻め込む。

「彼の強みはああいった所だろうね」

「……え?」

「彼の出自は知っているだろう。君や一般的な戦士と違い、彼の戦闘術は『勝つこと』が第一に来ている。おまけに師の一人が似た傾向を持つハルクさんだ。普通なら、純粋培養に近いオズは勝てない」

「その程度なら、あの少年を貴女が選ぶとは思えません。……何か鬼札を持っているのですか?」

「見ていれば分かるさ」

 会話を置き去りに、演舞は続く。

 一見すればクレイが押している。いや、最初は確かにそうだった。曲芸を用いずに攻め続ける事を選んだのは、肉体強度や格闘術の優劣を踏まえて最善としたからだ。

 ――こいつ、徐々に俺の動きを学習……いや、真似てやがる。この短時間で、んな真似が出来んのかッ!?

 こちらの手札を相手は知っていると考えた時、長く仕掛けるのは悪手。そんなクレイの判断を嘲笑うように、少年は彼の動きと全く同じ物を再現し、膂力で勝る相手に対し膠着状態に持ち込んでいた。


 狙いを外された事実は焦りを生み、焦りは挙動の乱れを、乱れは隙を生み出す。


 大振りの拳打を掻い潜り、少年の放った横薙ぎの斬撃がクレイの胸を捉えた。

「遅い!」

 衣服の切れ端と血の花と、その持ち主を刻むべく少年は更に前進。一転して防に回ったクレイは動揺を抱えながらも攻撃を流しにかかる。

 二人が展開する攻防で奏でられる、流水同然に連なった音が、挿入された無粋な音で途絶。

 攻勢に転じるべく、クレイが蹴り上げた破片が少年の眼帯に直撃。衝撃で緩んだ眼帯が落ち、事実を知らなかった二人が息を呑む。


 少年の右目は、虚無を想起させる漆黒の左と全く異なっていた。


 彼が呼吸をする度、新緑から蒼、蒼から橙と、目まぐるしく色を変え、虹彩全体に幾何学的な模様が宿る。火を灯した街灯に酷似した光を放っているが、本来あるべき生物らしさは何処にもない。

 人工的な産物と断じたくなる右目への、疑問と怯えが背中を撫で、クレイは硬直。ただ、相手が意に介さず攻め込んできた様を認識するなり、振るわれた剣を蹴り付け後退。ラディオンを投げ捨て、両腕を胸部の前で交差させ構えた。

「何の真似だ」

「片を付ける真似だ。眼に秘密があるんだろ? けど、これ以上大道芸に付き合うつもりはない」

 クレイの周囲が弾けた。

 少年の全身から噴出した魔力は光の華を散らし、鍛錬場の空気を歪める。紅光は踊り狂いながら上昇し、魔術の類を封じる素材で構成された天井を蝕んでいく。

「ここまで完成度を上げていたのか。素晴らしいな」

 近しい者の異様な仕掛けに絶句するルチアは、スズハの呟きの意味を徹頭徹尾理解出来ず、状況は彼女を置き去りにして進む。

「どんな大道芸を使おうが、そもそも見切れないんなら意味ねぇだろ。……終わりだ『紅雷崩撃・第一階位ミストラル』ッ!」


 咆哮と同時、クレイの立つ場所に落雷が発生。


 観劇者の耳を聾する轟音の津波が消えた時、鍛錬場は膨大な塵芥が舞い白に染まっていた。据付の換気装置が起動し、白を強引に追放し終えた時、そこに広がる惨状にルチアが息を呑む。

 クレイが引き起こした紅の落雷は、一直線の深い亀裂を刻み壁に大穴を開けていた。亀裂の深さは十メクトルを優に超え、穴に至っては四つ隣の第五鍛錬場が視認出来る距離まで伸びていた。

 亀裂の軌道上に存在していた計器や練習用の武器類が根こそぎ消失し、直撃していない筈の天井にも衝撃による爪痕が刻まれる。

 倒れ伏した少年は、直撃を受けたせいか動けない。一方、仕掛けた側のクレイは肩で呼吸をしているがまだ立っている。一般論で言えば勝利の状況に、スズハ・カザギリは動かない。

 彼女の反応に不審感を抱きつつも、クレイはラディオンを拾い少年へ歩を進める。硬い足音は、少年から約三メクトルの所で、不意に止まる。

「なるほど、疑似的に自分を雷に置き換え突進するのか。……凄まじい威力だな」

「……あ?」

 伏したままの少年の声にあるのは感嘆。疲労も驚愕も恐怖も無い。

 当て所を抑えれば竜をも殺害する切り札を受け、このような反応をする者は今までいなかった。再度構えたクレイへと、声は続く。

「けれども、所詮は魔術だ。ボクにとって、食らうべき物でしかない」

「何を……」

「返礼と行こう。『紅雷崩撃・第一階位』」


 先刻同様の落雷と轟音が、再び鍛錬場を襲う。


 終息した時に描かれていたのは、雷の直撃を受け動けなくなったクレイの首に、少年が剣を向けている光景だった。

「い、今のは一体……」

「そこまでだ。決着は付いた」

 クレイの技と全く同一の物を、少年が放った。

 文字にすればたったこれだけの、しかし本来起こる筈の無い事象によってクレイが敗北した事実に、目を白黒させるしかないルチアの横から、凜とした声。

 進み出たスズハは少年を退かせ、倒れ伏したクレイに『癒光ルーティオ』を発動。辛うじて自立歩行が出来る状態まで回復した少年の蒼眼には、動揺と驚愕が踊る。

「……どういう、ことだ?」

「オズの右目は、目視した術技をほぼ全て完璧にコピーする事が出来る。世界で唯一無二の魔眼だ。少し非力だが、それはここから鍛えて行けばいい。そしてクレイ」

 一度言葉を切り、己のアイデンティティを完膚無きまでに破壊された項垂れるクレイに目を合わせ、スズハは微笑む。

「ここまで成長しているとは思わなかった。私は嬉しく思うよ」

「結局ボクの特性を見抜けなかった程度。過大評価じゃありませんか?」

「『魔眼など使わずとも勝てる』私との話で君自身が打ち上げた宣言を、守れなかった。君とクレイの間に大きな差は無いよ。……さて、と」

 幼子にするようにクレイの手を取って立たせ、駆け寄ってきたルチアにも交互に視線を遣りながら、スズハは宣言する。

「ともあれ、オズが勝ったこともまた事実。クレイも、ルチア君も四天王となって貰う。大丈夫、君達の才は様々なデータから掴んでいる。共に、アークスを支えて行こうじゃないか!」

「は、はい!」


 スズハの宣言に、この場で本来求められる返答をしたのは、ルチアだけだった。


「足を引っ張るなよ『捨て子ストリート』」

「黙ってろクソガキ」

 少年二人は実に子供染みた煽り合いを始め、その姿から団結の文字を見つけ出すことは、どれだけ視力や想像力に秀でた者であろうと不可能と言えるだろう。

 こうして、新たな四天王は本来求められる物がポッカリと抜け落ちた状態で、結成が成された。

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