3

 アークス王国首都ハレイド。

 時刻は午前六時。社会が本格的に覚醒を始める時間の舗装路で、少々近所迷惑な排気音エキゾーストノートが響いていた。

 ノーズを筆頭に全体が低く流線形に抑えられ、飛行機械の翼を引っ繰り返したような翼を含め、各部に改造が施された明るい黄色の発動車が、法定速度のほぼ上限を叩きながら駆ける。

 現在の乗用発動車に於いては、殆ど淘汰された頭上弁式OHV発動機エンジン特有の太い低音を奏でるそれは、一般道に入り一気に減速。都市特有の細い道を操縦者の技量で縫うように進み、やがてギアポリス城の地下に滑り込む。

 駐車場への入口に詰めていた、完全武装の兵士が歩み寄り発動車の窓が開く。

「おはようございます」

「おはようございます!」

「いつもご苦労様です。変わった事は無かった?」

「いえ、何もありません!」

 姿勢を正した兵士による敬礼と同時、閉ざされていた扉がゆっくりと開いていく。

 門が開ききると同時に再始動して、内側へ滑り込んで消えていく発動車を見送る兵士の肩を、もう一人の兵士が叩く。

「今のって、アメイアント大陸のメーカーが出してた車ですよね。しかも十五年ぐらい前の型。マニアックな人もいるんすねぇ」

「分かるお前もマニアックだな。今日が勤務開始日のお前は知らないだろうから言っておく。彼女が四天王ルチア・K・バウティスタさんだ。くれぐれも失礼の無いように」

「……あんなド派手な車を乗り回すタイプだったんですねぇ。人は見かけによらないや」

「元々本人の所有物じゃないらしいけどな。……確か」

「どしたんすか口ごもって?」

「いや、ここから先は禁則事項だった。忘れろ」

「たかが車の持ち主で、なんなんすか……」

 話題の俎上に上がっているとは知る由もなく、所定の駐車場所に滑り込んだ発動車『ホーネット』を停止させ、静寂に包まれた車内で遮光眼鏡を取り払う。

 数多の修羅場を越えてきた者だけが獲得出来る光を灯す、鋭い紫の眼を露わにした『証明者』ルチア・K・バウティスタは助手席の鞄を掴んで降車。

 夫を筆頭に、様々な者が不便だと苦言を呈する低位置からの降車を、機能的とは言えない執務用の服で難なくこなし、勤務地へ入城を果たす。

 古くから、それこそアークス王国が成立した頃から存在する城を無理矢理改築していった結果、初めて来た者の九割九分が迷子に陥る空間を、ルチアは一切の迷いなく歩む。

 すれ違う者からの挨拶にも丁寧に応じ、しかし減速はせず目的の部屋に辿り着くと、既に室内には彼女の同僚が待機していた。

「……おはようございます」

 パスカ・バックホルツは辛うじて言葉を発するも、彼の隣に立つデイジー・グレインキーは顔を上げもしない。ここ数か月ずっと変わらない光景を受け、ルチアもまた変わらずに振る舞う。

 一週間ぶりの四天王集合で、伝達事項を手早くやり取りして解散を告げ、今日が週に一度の検査日に該当するデイジーが、最初に部屋を出て行く。

「ルチアさん。少しよろしいでしょうか?」

 動く死体『骸人マリオス』同然の足取りで去ったデイジーの後を、行き場所こそ違えど追う形で退出しようとしていたルチアの背に声。当たり前だが、声の主はパスカだ。

 整っているが苦労の蓄積が見て取れる、齢二十九とは思えぬ表情の同僚は、銀の瞳に暫し迷いを表出させた後、ルチアを見据えて口を開く。

「……ユアンの行方は、まだ掴めませんか?」

「専門の部隊が捜索に当たっているけれど、何も上がってきていないわ」

「そう、ですか」

 呼称通り、四天王とは四人で構成されるものだ。


 そして当代四天王を構成する一人にして、この場にいない青年ユアン・シェーファーの行方は、四ヶ月前から未だ不明のままだ。


 生まれも育ちもアークス国外故、忠誠心の類は壊滅的に薄いが、同僚の二人に対しては心を開き、馬鹿な振る舞いを時折しでかしながらも共に死線を越えてきた。同僚以前に友人のような立ち位置になった者がいきなり消えれば、不安に思うのは当たり前の話だ。

 精神的な側面を横に置いても、図抜けた戦闘力を持つ彼が不在なのは痛手であり、弊害は僅かだが既に出始めている。

「……デイジーの検査結果は悪化し続けている。このままでは臨界点を超えます」

「望ましい事態ではないわね。対策と捜索の人員増加を陛下にも進言します。だから、あなたは日々の仕事をこなしなさい」

「ですが……」

「私達は一個人である前に、陛下と国民の下にいる存在よ。気持ちは重々分かるけれど、与えられた役割を放棄する事は許されません」

「了解しました」

 敬礼を残し、パスカもデイジーが退出した扉から部屋を辞する。

 一人残されたルチアは、人生の先達として振る舞う仮面を放り捨て、平時の緊張感を身に纏う。

 精緻な細工が施された天井の、更にその先へ視線を彷徨わせた後、持ち場へ向かうべく踏み出した彼女の手に、鞄から一枚の古びた写真が滑り込む。

 都合、引っ張り出した古い書類に挟まっていたのだろうと、特段の意図なく摘まみ上げたそれに写し出された存在を認識して、幽かに彼女の目が細くなる。

 退色を始めていた写真の中では、実に嫌そうな顔をした金髪の少年と、眼帯の少年を強引に引き寄せる黒髪の女性。そして、少しだけ硬い笑みでそれを見守る紫髪の少女。即ち若かりし頃のルチア自身が収まっていた。

「……」

 誰もが抱え、そして絶対に連れ去られてしまう青い春を回想させる写真を、暫し見つめていた四天王は一度瞑目。

 懐古の情が発露した行動。それだけで片付けるには長く重い時間が経過し、やがて目が開かれる。

 代を跨いだ稀有な四天王『証明者セルティファー』ルチア・K・バウティスタは迷いなくそれを握り潰した。


                   ◆


「今日はここまで。再来週の試験範囲にもなるから、しっかり復習しておけよ」

 講義の終了を示す鐘が鳴って教官が退出するなり、溜め込まれていたエネルギーが爆発するかのように喧噪が生まれる。

 活力が有り余る子供達が押し込まれた場所で生じる現象は、王国内でも有数の素質や家柄を持つ者だけが存在を許される場所でもそう変わりない。

 教員が宣告した試験をどう乗り切るかといった模範的な物から、夕方に何処へ行こうかという物まで、広範なやり取りが飛び交う空間で、一人の少年が喧噪を嫌うように教室の扉に手をかける。

「あ、おい……」「どうせ何にも話してくれないよ」「お高く留まってる奴なんて無視で良い」「それよりさ……」

 背後から届く全てを無視して、作り物染みた金髪を後ろで束ねた少年、クレイトン・ヒンチクリフは教室を出る。すれ違う者から向けられる様々な感情を受け流し、迷いなく歩むクレイだったが、不意に肩を叩かれて嫌そうに向き直り――

「夜ぶりですね、ジャックさん」

 複数の植物の意匠が刻まれた仮面を身に纏った男が相手と認識し、姿勢を正す。

 彼の言葉を受け鷹揚に頷いた仮面男、即ち当代四天王『札術士スイッチャー』ジャック・エイントリー・ラッセルは、当たり前の話だが学生ではない。

「ま、アークスの明日を担う諸君への教育プログラムを持ってきたって訳よ」

 沈黙したまま肩を竦めた仮面男に代わる形で、縦横無尽に傷が奔り回る頭部に眼帯と、凶悪犯と見紛う容貌の男、ステファン・バニャイアが教員室から姿を現してクレイの疑問に答えた。

「そういう事もするんすね」

「暴力振るってばっかじゃ体裁悪いしな。それにノウハウを隠しっぱってのは……いやその前にクレイ、お前休憩時間にこんなとこ居て良いのか?」

「構いませんよ。別に話す相手もいませんし」

 クレイにとって、単なる事実の提示でしか持たない返しを受け、四天王二人は顔を見合わせた。

「……陛下がお前を学校に行かせた意味を理解してるか?」

「集団生活を問題なくこなせるようになる訓練の為でしょう。理解していますよ」

「いや、そこじゃなくてだな……。あっおい、まだ話の途中だぞ!」

「今日の訓練の時に聞きます!」

 話が長くなりそうだと察したクレイは、強引に会話を打ち切って駆けていった。彼の様子を見て、二人の四天王は揃って溜め息を吐く。

 当然、学校に通えと国王が命じた理由は別にある。聡明なクレイもその点は理解している筈だが、実行するつもりがないのだろう。

「俺達や内部の連中とだけつるんでたら、確実に歪むし、人間としての幅が狭くなる。だから友人を作るべきなんだが……」

『子供も立派な社会生物だ。あれだけの才を持つクレイを同等の存在とは思わず遠ざけ、クレイもまたそれを察して離れようとする。悪循環だな』と、脳内に流れ込んできたジャックの思考に、ステファンが首肯を返す。

 どうにかしなければいけないのだろうが、こればかりは単なる戦闘技術や勉学と違い、他人がお膳立てして向上させる事は難しい。

 結局、二人は教員室から現れた別の教員に、異様な容貌によって悲鳴を上げられるまで力なく立ち尽くしていた。

 一方のクレイは、軽い足取りで階段を登って気に入っている場所へ向かっていた。

 目指すはこの建物で唯一施錠と進入が禁止されていない屋上。

 中心から少し外れているとは言え、都市部に存在している以上、安い歌謡曲の歌詞リリックで『人間味を失った冷たい町』とでも形容されそうな、近代的な建造物の海しか見る事が出来ない。

 決して何かを掻き立てられるような風景しかなく、おまけに校則で禁止されていないとあれば、貴重な休憩時間の一部を削って訪問する者は相当な物好きに限定される。

 事実、入学してから昨日まで、一度たりともクレイは屋上で他人と出くわした事が無い。

 鼻歌混じりで扉を開き、いつも通りの平和な休憩時間を謳歌しようとしていたクレイの目が、人影を捉える。

「お前、誰?」

「一応同級生よ、有名人さん」

 突き放したような文字列とは裏腹に、声自体に拒絶はない。寧ろ、戸惑いの側面が強かった。

 まず腰まで伸びる紫髪が目に入り、指定の制服と併せて相手が同じ学年の女子生徒だと認識する。同色の目はやや釣り気味で、猛禽のような鋭さを有しているが、表情自体は少女然としている。

 手に握っているのは教科書。床に置いているのはノート。つまり、少女が行っているのは――

「自習?」

「そうだけど……って近い!」

 無遠慮に距離を詰め、クレイはノートを覗き込む。神経質な性分だろうと推測させる筆致で記された文字は、それが先刻の講義題材だった魔術構築論だと示していた。

 もっとも、魔術は実践第一という信念を持つ者達に仕込まれたクレイには退屈な代物。

 講義の殆どをロクに聞いておらず、ノートにびっしりと刻まれた文字列を見て、講師はこれだけのことを話していたのかという驚きと、もう一つ別の感情を等分に抱いた。

「板書も全部写してんのか。効率悪くね」

「あなたみたいな人じゃないから。ちゃんとやらないと覚えられないの」

「……お前と俺は初対面の筈だ。そんなに強く当たられる道理は無いと思うんだが」

 クレイの中では冷静な指摘のつもりで放った言葉に、少女の目が真円を描き、やがて大きなため息と共に顔が下を向いた。

「あなたと私、同じクラスだけど」

「あっれそうだったか? 悪い悪い。話戻すけど、自習なら教室でやれよ。ここ俺の場所だし」

 これもまた特段の悪意なく放った言葉のつもりだった。

 故に、少女の纏う空気が氷点下まで落ちていく様に動揺し、何かしくじったのかと思考を回すが思い至らない。

 間抜けな硬直を晒すクレイを真っすぐ見据え、半目になった少女が呟く。

「そんなのだから、いっつも一人なのね」

「は?」

 脈絡のない指摘に、間抜け面を晒すばかりの相手に苛立ちを覚えたのか、少女は速射砲の如き速度で言葉を紡いでいく。

「俺は出来る奴だから、低レベルなお前等とは付き合いたくありません、って考えでしょ? で、それがスマートでカッコいいと思ってる」

「い、いやんなことは……」

「思ってないならもっと真っ当な振る舞いが出来る筈でしょ? 別にあなたが努力をしていないなんて言うつもりは無いけれど、端から見ていると完全に只の嫌な奴よ」

 見ないふりをしていたが、薄っすらと自覚しており、しかし変えられずにいた致命的な欠点。

 先程会った四天王二人も懸念していた点を、同い年の人間から無慈悲にぶつけられ、他者の苛立ちを煽っていた日頃の受け流しの術すら忘れて、クレイは少女の言葉に打ちのめされる。

「……だったら、お前もこんな所じゃなくて友達とやれば良いじゃねぇか」


 悪意の類がない、ある意味子供らしい苦し紛れの反論。


 百人にぶつけると百人に鼻で笑われる、稚拙な言葉は、しかし少女の口撃を途絶させ、彼女を項垂れさせる効果を齎した。

「あなたみたいに、本当に才能があるのならそうしていた。……そうじゃないもの」

「……思い出した。入学式の後の検査で、とんでもない成績を出したのがいたって聞いた。お前がルチア・クルーバーなのか」

 少女、いやルチアから力のない首肯が返ってくる。

 やらっれぱなしの状況下でも、訓練で刻み込まれた習性で観察を行っていたクレイは、彼女の有する魔力量や体内に走る魔力回路の精度は、凡人より少しマシな程度と見抜いていた。

 同年代の者より多少良い結果を出せるだろうが、試験官二人を纏めて叩きのめしたという『逸話』を実現させるには足りない。

 ルチアの現実がそうであっても、彼女が残してしまった『事実』は周囲の者の記憶と記録に刻まれて消えることはない。周囲が抱いた感情は、彼女をこのような行動に駆り立てている理由へ自然に繋がる。

 抱いていた疑念と、反抗心が消え失せたクレイの表情が、不意に緩む。

「つまりは、だ。お前と俺は両方が与え合う関係になれるってこったな」

「……え?」

「周りの評価に合うところまで、お前の戦闘能力を俺が引き上げる。で、お前は俺を人として引き上げる。これで対等だ。煽ったんだから、出来るだろ?」

 静寂と風が二人の間を駆け抜け、床に広がったノートのページが移動する、掠れた音が生まれる。

 言った本人は大真面目なのだが、冷静に検分するとなかなか突飛な申し出であり、呆気に取られていたルチアは、やがてそれを理解して盛大に噴き出した。

「……なんか変なこと言ったか?」

「言ってる、凄く言ってる。人としての振る舞い方を教えてくれなんて人、なかなかいないわよ」

「だから友達いないんだろ、って理屈に着地するから良いじゃねぇか」

「面白い人ね。でも、頼まれたのならちゃんと務めさせて頂きます。私はルチア・クルーバー。あなたの名前は知ってるけれど、あなたの口から教えてくれる?」

「クレイトン・ヒンチクリフ。ハルクさんとかはクレイって呼んでる」

「そう。ならよろしくね、クレイ」

「……おう」

 邪気の無い笑顔を見せたルチアに、クレイは苦笑を返す。

 関係の始まりとしては、奇妙な点しかない形だ。

 けれども、後々まで続く繋がりは、嘘偽りなくこうして始まった。



 

 

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