乱入劇:はた迷惑な襲撃者


「くぁ……って!」

「はしたない。どこであろうと国を背負っている自覚を持ちなさい」

「いやー別にそんなの気にしなくて良いんじゃないか」

「こないだもご主人、クレイ君と買い食いしてましたもんね。訓練を切り上げて」

「おい馬鹿それは……ゴッふゥ!」

 無慈悲な肘を浴び、悶絶しながら崩れ落ちるハルク・ファルケリアと、彼に氷点下の眼差しを向けるレヴァンダ・グレリオン。その様を間近で見て眠気が吹き飛んだ少年、クレイトン・ヒンチクリフ。

 一応アークス王国の重鎮とその見習いである彼らは、しかしその事実を表出させずに港町を歩んでいた。


 惑星の大半を占める大公海に面したノーティカ首都、リ・ヴェイエス。


 首脳会談に赴いた国王の護衛として降り立った四人と、オマケのクレイだったが、全員を会談の場に立つ事はノーティカ側に拒まれた。

 盾を主要武器とする故、敵意をそれほど感じさせないステファン・バニャイア。

 同様の理由に加え多数の属性を高次元で操り、どんな相手にも安定した戦いが可能なジャック・エイントリー・ラッセル。

 妥当な選定理由で国王の護衛が二人に任され、事実上の休暇を命じられた二人とクレイは、ここ数日リ・ヴェイエスを練り歩いていた。

 既に何度も見ているが、アークスでは決して拝めない光景を前にしたクレイは、ここ数日と全く同じように目を眇めて周囲を見渡す。

 陽光を反射して星屑のように輝く水面を無数の船が滑り、時折吹き込む潮風が人々の持つ活気を都市全体へと運ぶ。立ち並ぶ建物は、全て一点の汚れもない白。

 上から見た時、この町は白と蒼のみで構成されている筈だ。

「ノーティカの建造物の外壁は、殆どが海底に生息する化け珊瑚『コーリッド』が使われてる。生命活動を終えると白化して、そのまま放置すると数百年は残る」

「それなら、とっくに海が埋め尽くされてるだろ。……えぇと、そうだ調停の役割を果たす存在が自然界にはいるって前言ってたよな?」

「覚えていましたか。確かに、珊瑚や巨大な貝を主食とする鮫や海獣類は生息していました。ですが、彼等は動きが鈍く外見もなかなか恐ろしかった為、人類の手で絶滅の憂き目に遭いました」

「その状態で放置しちゃうと、マジで船が身動き出来なくなるんで、腕利きの戦士を引っ張り出して削り取り、外壁に使ってるんです。人類のエゴと知恵って奴ですね!」

「この惑星で頻発している現象と言ってしまえば、そこまでです。しかし、貴方がこのまま先に進むなら、戦闘以外にも目を向けるようになさい」

「分かってるよ。俺だってもう三年アンタ達に教わってるんだぜ」

「そうか、もう三年経ったのか!」

 理不尽極まる動きで跳ね起きたハルクが、クレイの頭を何度か叩く。その身に有する灰の目と思考を回していた風情の四天王は、後ろ歩きを行いながら笑う。

「アークスに戻ったらパーティーでもやるか。クレイ、お前何食べたい?」

「そりゃもうこの年頃なんだから、甘い物でしょ!」

「ケーキとかか? だったら俺が……」

「ハルクもルーゲルダも、自分達が食べたいだけでしょう。クレイの意思を尊重しないと。……それに、呑気な会話をしている状況では無くなりました」

 清き水に色水を垂らすように、緊張に塗り潰されていくレヴァンダの声を受け、残る三人も彼女の視線に追従する。


 最初、クレイの目には鉄柱が屹立しているように見えた。


 頂点で蒼が揺れ、一本の柱がいきなり横方向に伸びた事を受け、ようやくそれがヒトであると彼が認識した時、鉄柱から声が飛ぶ。

「アンタ方がアークス王国四天王の一部と寄生虫一匹だな。ノーティカへようこそ」


 投げられた声は、相手が纏う威圧感と比するとあまりに若く、そして軽い。


 数歩進んだ所で停止したヒトは、ノーティカの正規軍が纏うそれとは異なる戦闘服を崩して纏い、両端に禍々しい刃を持つ長杖を背負う。揺れる蒼の下に在る顔には、抑えきれない闘争心と、形容し難い何か。

 ――コイツは……間違いなくヤバい奴だ。

 身を震わせたクレイを庇うように進み出たハルクが、紳士の作法で一礼した後、剣に回帰したルーゲルダを鞘に納めながら問うた。

「知っているなら話が早いが、君は誰だ。そして、何故俺達の前に現れた?」

「俺ん名はカルス・セラリフ。理由は分かんだろ」

 不気味な笑みを浮かべたカルスの姿が、一行の前から消失。

「御立派な肩書持ちのテメエ等をぶっ殺すと、楽しいだろ?」


 転瞬、けたたましい音が生まれた。


「ハルク!」

「おぉっと、よそ見している場合かぁッ!?」

 カルスの一撃で吹き飛ばされ、ルーゲルダ共々海に落ちたハルクに視線が逸れたレヴァンダは、相手の叫びに即応して背のジレオーネを抜き放つ。

 舗装路を粉砕する踏み込みで放たれた斬撃を、片側の刃で受けたカルスの足。それが幽かに後退――した瞬間、長杖が旋り大戦斧を弾き返す。

 浮き上がった斧に身を任せ、後退しながらレヴァンダが空中で旋回。撲殺を狙った奇手を躱したカルスの突きが、四天王のドレスを一部斬り裂き、太腿から赤が散る。

「逃げなさい、クレイ!」

擬竜殻ミルドゥラコ』と『怪鬼乃鎧オルガイル』を同時発動し、肉体の限界を一気に引き上げながらの叫びは、踏み込んできたカルスが放つ追撃で掻き消される。

 玩具同然に振り回される長杖は、両端の蒼刃が凶暴性を高め、刀剣のそれと全く異なる不規則な軌道で斬撃を連ねる事を可能にしている。

 四天王レヴァンダでも、少年と青年の狭間に立つ敵の攻撃は未知の代物だが、戦場を越えてきた実績は飾りではない。 

「るゥああああああッ!」

 風切り音を引き連れて飛来した刃を受け、純粋な膂力だけで押し返す。先刻の再現とばかりに旋って背後を取ったカルスが刃を放ち、出鱈目な挙動でジレオーネを移動させ、一瞥すらせぬまま受け止める。

「何故我々を狙うのですか? アークスに致命傷を負わせるなら、陛下の首を狙う事が正道の筈!」

「権力持ってるだけの老いぼれを殺したって、なーんも面白かねぇだろ。噂に名高い四天王サマ全員とやり合う方が、俺は満たされる。残りはテメエ含めて三人だ!」

「戯言を……!」

「――っとぉッ!」

 何処か楽しそうな声と同時、旋回をそのまま活用したジレオーネが地面に落ち、埋設されていた水道管と思しき物体まで破壊して、街路に水しぶきが飛散する。

「上ががら空きだぜ、お姫様よぉッ!」

「!」

 舞い上がった飛沫の先、酷薄な笑みを浮かべるカルスの周囲に、無数の水球が踊る。彼が指を鳴らすと球は無数の点に変わり、やがて鋭い穂先を持つ槍へと転じる。

「『大鯨恐槍雨ヴァレル・ストラフォーリエ』でも食らってなッ!」

 無数の槍が、レヴァンダに降り注ぐ。

 軌道は全て直線的。だが、数が多過ぎる上に、既にカルスが畳みかける為に落下を開始している。

 どう足掻いても負傷が確定し、最低限の損害に抑える方向に切り替えたレヴァンダ。彼女の持つ翠が蒼へ変わる。


 そして、次の瞬間紅へ転じた。


「……!」

 意識の外に在った者、即ちクレイによる突撃はカルスとて想定外だったのか、対処する構えすら執らせぬまま紅雷が突進。乾いた音を響かせる。

 カルス・セラリフの特異な戦闘術の根源となる、長杖が二つに分かたれ、紅雷からヒトに回帰したクレイ共々、病葉同然に落ちていく。

「××××××!」

「冷静さを欠きましたね。それが貴方の敗因です」

 罵声と共に乱射される『奔流槍クルーピア』を撃墜しながら、レヴァンダは自らの足元に展開した『剛鉄盾メルード』を次々に飛び移り距離を詰めていく。

 水飛沫を散らしながら着水したクレイが見上げた時、蒼空を背景に大斧を振り被ったレヴァンダと、遠距離魔術を全て破られ進退窮まったカルスの姿が瞳に映る。『転瞬位トラノペイン』を始めとした転移魔術の選択肢も一応存在しているが、それらを構築している気配はない。

 どう足掻いても、四天王の大戦斧が怪物を両断する未来は変わらないと、クレイは確信を抱く。

「勝者気取りはな、俺を挽肉に変えてからにしとけ」 


 幼き候補生の、そして『崩塞姫』の予測と、今そこに迫っていた現実。


 二つを纏めて嘲笑するようにカルス・セラリフの両腕が前進。

 鈍い音を立てて、獅子が駆け巡る斧が空中で停止。

 分厚い刃を両手で挟み込んで強引に止めたカルスは、顔色を変えたレヴァンダをゆっくりと持ち上げ、二つに割られた長杖の片方を引き寄せると同時に彼女を放り捨てた。

「『鮫牙穿溝撃カルスデン・モノエルダ』ッ!」

 膨大な魔力を引き連れ、数倍に肥大化して大槍に転じた蒼刃がレヴァンダの脇腹を正確に捉えた。

 板金鎧を凌ぐ強度まで引き上げられた彼女の表皮と、その下に存在する肉が穿たれ、無数の紅葉が蒼と白の世界に彩を加える。

 激痛を湛えながらも、無人の船に甲板を踏み砕いて着地したレヴァンダへ、追従して落ちてきたカルスが剣を打ち下ろす。

 火花と両者から漏出した極彩色の光が港を蹂躙する中、徐々にレヴァンダの身体が、ジレオーネが沈んでいく。咄嗟に『擬竜殻』を再発動して肉体の強化を図るが、状況の打開には届かない。

「があああああああッ!」

 只の腕力で僅かな隙を作って後退し、立て直しを狙ったレヴァンダをカルスが追い、凡人の理解を置き去りにして両者の得物が幾度も交錯。

 音も光も演者の動きも、全てが一塊となって世界を攪拌する、獅子と鮫の異次元の乱舞は一見互角に映る。しかし、割り込めはしないが状況を見るだけの目を持っていたクレイは、前者が極めて不利になっていると理解に至ってしまう。

 単純な馬力なら互角。

 魔術に対する理解はレヴァンダが有利。

 だが、戦闘のペースを握っているのはカルスであり、既に彼は四天王の脇腹にダメージを与え、完調状態から引き摺り降ろしている。また、戦場の下に広がる海も戦闘に大きな影響を与えていた。

 水中では魔術の展開速度が地上の五分の一まで低下する。地上の組み立ては使い物にならなくなり、そもそも水中で地上と同様の動きは出来ない。

 必然的にレヴァンダの足場は激減するが、相対するカルスはノーティカ人だけあって水中戦の経験値は非常に高い筈だ。


 この瞬間に持っている手札に大きな差があれば、普段持っている優位性など存在しないも同然なのだ。


 重傷を負ったレヴァンダは短期決戦に賭けるしかないが、カルスの魔術を交えた攻めを前に踏み込めず、挙動が徐々に乱れていく。

「……!」

 ジレオーネが蛇の如く跳ね、半円を描き落ちてきた剣と激突し、持ち主の狙いと逸れた空気を引き裂いた。

 見開かれた翠眼の前で、巨体が旋転。刃が四天王の左肩を裂く。血の尾を曳いて駆け抜けた刃に追従して、白と赤が落ちていく。追撃を右手一本で振り上げたジレオーネで受けにかかるも、何の役にも立たず持ち主諸共海に落ちる。

「ビビる所はあったが、結果がこれならそういうこった。そんじゃ、死ね。あーそこのクソガキは動くな、動いた瞬間に挽肉になれるぜ」

 驚愕に値する速度で手近な船へ上がり、しかし血を吐き膝を折るレヴァンダと、首の周囲に展開されていた水の刃を前に動けないクレイを他所に、カルスの全身を蒼光が包む。


 傲然と立つ男の背後から、巨大な蒼が聳え立っていた。


 重低音を響かせて迫る蒼の正体が海水だと、即座に二人は気付く。このままでは、確実に二人は津波に呑まれて死に至る。

「貴方も国を守る戦士の筈。国民の命を無意味に散らせる選択など……」

「守ってやってんだから、多少死ぬのは受容すべきだろうが」

「実に勝手な、実に低俗な理由だな。だから、君は敗北するんだけどな」

 処刑宣告を上書きするように届いた声に、一同の動きが一斉に停止。

 最初に気付きに至り、その人物の姿を視認したクレイの目が真円を描く。

 黄金の板に乗ったハルク・ファルケリアが、迫る大波を断ち割って突進していた。荒れ狂う波を乗りこなし、飛燕の速力で間合いを詰めていく。

「テメエ、生きてたのか!?」

「魔力が無いから認識出来なかったし、それ以上の確認を怠っていた訳か。なるほど、負ける理由がもう一つ増えたな」

 展開しようとしていた魔術を中断し、『牽水球ウォルレット』で撃墜にかかるが、一度生まれた海の変化は簡単に止まらない。荒れ続ける波の動きを完璧に掴んだハルクは、狂える鮫の抵抗を悠然と躱して前進。

 両者を遮る物はすぐに失われる。接近を許さず叩き潰すことが叶わなくなったカルスは、蒼眼に瞋恚の炎を灯して跳ねた。

「小細工しようが、所詮テメエは雑魚! 直接ブッた斬って……」

「誰がご主人一人って言いましたか?」

 吼え、構えたカルスの胸部で、黄金が弾けた。

 波を裂き疾走する板の役割を果たしていたルーゲルダが、ヒトの形態に変化を果たしていた。天翔ける鷹が踊る右腕を引き絞る。

「オイタは……ここまでですッ!」

 ルーゲルダによる渾身の拳打が、男の胸部に着弾。鳴ってはならない音を盛大に響かせ、硬質な破片と水飛沫を盛大に散らしたカルスは岸壁にめり込んで動かなくなった。

「っし、終わり。怪我はないか、クレイ?」

「……ごめん」

「レヴァンダの事は気にすんな。あの程度ならすぐに治る。守れなかった云々は、お前が考えることじゃない。……よく頑張った」

 普段善行を成した時と同じように、ハルクの右手がクレイの頭に降り金髪を撫でる。ほんの少しだけ平静を取り戻したクレイは、手の持ち主の方へ視線を遣り――

 男に宿っていた、昏い感情を読み取って心胆が凍り付く。

 そこに在る物が劣等感だと、すぐに理解したクレイだったが、しかし今それを抱く理由が何処にも無い道理を前に混乱する。

 一体何が。そう問おうとした時、敵意に満ちた声が飛ぶ。

「……待ちやがれ! まだ終わっちゃいねぇぞ!」

 叫んだ青年、カルス・セラリフは鼻や口から紅い糸を垂れ流し、拳を受けた胸部から出鱈目に骨を飛び出させているものの、確かな闘争心を抱えて立っていた。

 血走った双眸に宿る感情を完璧には読み取れないが、友好的な物でないのは確かだ。

「もう終わりだ。ここまでは血の気の多い若者が野試合を吹っ掛けた、で俺達も引ける。今までもそうしてきた事は何度かあったしな。けれど、これ以上やるなら残りの二人も呼ぶし、レヴァンダも本気を出す。そうなれば、君は絶対に死ぬ」

「舐めた口を……」

 どす黒い感情を吐き出さんとしていたカルスの口が、強制的に閉ざされる。

 乱戦で生まれた波の余波すら沈黙する気配を、ハルク・ファルケリアが発していたのだ。

「確かにお前は強い。本当の強さとかを俺が論じる必要が無いほどに。けどな、何かを求める訳でも、守る為にでも、極める為でもない、単なる暇つぶしの為だけの術技は××××××以下の代物なんだよ」

「……」

「言いたかないが、俺達とお前は立っている場所が違う。急襲を仕掛けて、最初は手加減をしてくれていた事にも気付かず酔っていたお前は、戦士でも何でもない単なるクズだ」

 カルス・セラリフの瞳から、炎が消えた。

 次いで蒼眼に宿ったのは、切実な問いだった。

 何度か口を開閉し、空気だけが漏出する時間が虚しく響く。

 青年のその様を見ていたハルクは、やがて興味を失くしたように背を向け、クレイの手を取って歩き出す。

「迷えたのならいずれ分かるさ。クレイ、お前も迷う事はあると思う。けどな、絶対に道を踏み外すなよ」

 疲労の滲ませたハルクの言葉。

 意味を咀嚼、嚥下するよりも速く二人はレヴァンダと彼女の手当てを行っていたルーゲルダの元に辿り着き、宿泊場所へと進路を執る。

 決して振り返らず、惨劇の舞台となった港と、そこで立ち尽くす青年を視界に入れることは、二度となかった。


                  ◆


 ……侵入したらダサ過ぎる所をお前に見られる羽目になったなぁ。

 過去は変えられないっつっても、これは見られたくなかったな。

 でもまぁ、昔の俺はこういうクソ野郎だったんだよ。お前には隠してたんだけどさ。そういう意味では、生き方の指導が出来なかったのは道理っちゃ道理……我ながら情けねぇや。

 さて、お前はここから本格的にクレイトン・ヒンチクリフの青い春を見る訳だ。俺なんかよりよっぽど波乱万丈で、心が乱される物に満ちているとは思う。

 けれど、何らかのヒントは得られるはずだ。見逃すなよ?

 ……最後まで見届けても分からなかったら? それはその時に考えよう。今は、一人の男の半生にだけ集中するんだ。

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