15:世界ヲ掴ミシ禍ツ唄

 轟音が鳴り響く度、町の構造物が崩壊して宙を舞い極彩色の光が散る。それなりの体裁を守っていたフィニティスの町は、数分で本物の廃墟に変わろうとしていた。 

「どうした!? 貴様の力は……そんなモノかッ!?」

「ガタガタうっせぇよ!」

 破壊者同士が放つ、二条の斬撃が凡俗の理解を拒む速度で炸裂。会話を乱雑に掻き消す金属音と火花が散り、街路に黒い影が墜ちる。堕とされた方、即ちヒビキは汚水が満ちた噴水に頭から激突。

 割れた後頭部の生温さと痛みを無視して、スピカの砲撃で逃げを打った刹那。無粋な波紋で揺れた水が瞬時に蒸発。紅き流星の襲来で、構造物も水と同じ末路を辿る。

 液状化した舗装の更に下層を踏み砕き、足裏に感触が伝わるより速くヴェネーノが跳ぶ。弾丸の速力で迫る狂戦士にヒビキも即応。蒼光瞬く斬撃で立ち並ぶ朽ちた街灯を斬り刻む。しかし、肝心の敵に首を振って躱される。

 斬撃の雨の隙間から、敵の瞳に刃が宿る様をヒビキは目撃。スピカを盾代わりに受けるが、魔剣と『生ける戦争』の組み合わせは「ヒトの限界を超えている」筈の反応速度を上回っていた。

 落下する鉄柱を剣風で微塵に砕く、音速の突きがスピカを掻い潜りヒビキに炸裂。限界を逸脱した回避で心臓の破壊は免れたが、フランベルジュは内臓や骨を破壊して彼の身体を貫通。

「げッ!」

 潰れた蛙の悲鳴を発しながら、闘争本能と死の恐怖に弾かれたヒビキの左腕が動き、狂戦士の首に異刃を放つ。

 彼我の距離や速力から、現状継続が紙一重の博打になると判じたか。ヴェネーノは手首を返し、傷口を捩じり広げながらフランベルジュを跳ね上げる。

 強引な方向転換が為された魔剣は、ヒビキの左上腕の中途半端な箇所を駆け抜け、スピカと持ち主を引き剥がすに留まらず、持ち主が狙った地点を目指す。


 紅の暴風が、町を包囲する火勢を更に強める。しかし、魔剣が駆け抜けた世界に少年はいない。


 仕留め損ねたと即座に理解したヴェネーノは、竜に伍する異常な目で魔力流を捉え、敵の闘争心が未だ健在と察して笑う。

「そうでなければつまらない。まだ始まったばかりだ、貴様に眠る全てを、俺に見せてみろ」

 背部から伸びる炎の翼を翻し、ヴェネーノが追撃に動いた頃。左半身の大半を斬られたヒビキはとある集合住宅の一室で、血反吐混じりの咳を発しながら立ち上がる。

 足元に広がる血溜まりと強引に塞がれていく左半身から、強引に目を逸らして。

 ――あの動きは一体なんだ!? 先手を取った筈なのに、こっちが遅れを……

 殺意の波濤の接近で思考を止め、再生が成った左手の動きを確認。窓硝子が砕ける音を聞きながらスピカを空中で掴み、振り返ったヒビキの目が驚愕で開かれる。


 巨大な火竜の腕が一秒前まで彼がいた建造物を掴み、融解させていた。

 

 暴力的な熱で周囲の建造物が勝手に発火を始める悪夢の中で、視界に映ったビルの角が幽かに揺れ、破片が道路に落ちる。小さな鼓動は瞬く間にビル全体に亀裂を広め、内部で息づく巨大な力に耐えかねたか、連鎖的に崩落が始まる。

 無機物が放つ悲痛な叫びに耳を塞ぐヒビキだったが、次の瞬間、全貌が暴かれたモノを目撃して息を飲む。

 長大な身体から噴き出す熱で、フィニティスの気温が馬鹿げた領域に達し滝のような汗が噴出する。何処までも紅く、凶暴な力を放つ両刃剣の歯列から滴る雫で路面が炎上。短剣が生え揃う腕がコンクリを握り締め、飴細工同然に容易く引き千切った。


 世界に顕現した火竜は、造物主と同一の感情を滾らせ號と吼えた。


「我が秘剣『煉華竜吼翔炎プルガ・インフェヌス』を受けるが良いッ!」

「剣じゃねぇだろそれッ!」

 実に真っ当な、しかし状況を鑑みれば呑気に過ぎる抗議を遮り、魔剣から生まれた火竜が大きく息を吸い込み、吐いた。

 

 竜の口で破裂した炎が、常識を超えた速度で突進。


 道路に着弾した業火は一直線に道路を奔り、周囲の建造物を溶解。打ち捨てられた発動車を爆発炎上させ、生じた熱を取り込んで勢力を強め標的に接近。

 咄嗟に砲撃を放ち、反動で火竜の昇天の直撃を逃れるが、暴熱風に晒されたコートと髪が炎上。臭気に顔を顰めながらも、着地と同時にスピカを抜き放つ。

 何処かに着弾した炎が天を駆け、世界の色が単一に染まる最中、紅を纏ったヴェネーノが放つ斬撃を蒼の異刃で受ける。両者の衝撃に耐えかねたのか、路面の亀裂は更に拡大して危険な領域に達するが、そんな物は意識の外だ。

 全身を軋ませ応戦するヒビキの瞳に、狂戦士の血走った微笑。反射で競り合いを放棄して身体を丸め後退。彼の眼前を炎の濁流が通過。赤よりも尚紅い紅、即ちフランベルジュの切っ先が竜の咆哮と共に煌き、追従して竜が舞い戻る。

 ハンナ曰く、ヴェネーノは魔術を扱う才が欠落していたが為に劣等の烙印を押され、魔剣を手にする者となった時に議論が生じた。にも関わらず、こうして災害に等しい攻撃を行えるのは何故か。

 当然の疑問に対して、火竜の攻撃を躱し、ヴェネーノの連撃を凌ぐ過程でヒビキは朧気ながら回答に至っていた。

 彼の攻撃は、いずれも火竜と括られる『名有り』が主に使用する物か、それをイメ―ジした物に絞られ、それは妥協や諦観の類ではない意思に基づいた選択。


 己が選べる手札を極限まで磨き上げる。


 言葉にすればそれだけだが、実現させられる者は世界でも一握りだろう。

 想像を絶する修練と戦いを経て体得した剣技と、内在する厖大な魔力と身体能力を噛み合わせ、手札を限界まで削り純度を向上させた。

 その結果が、竜に比肩する圧倒的強度の肉体が放つ、鉄筋のビルを易々と破壊する重く速い斬撃と、膨大な魔力と技巧が織り成す一撃が災害並みの技。

 魔術を無効化する咆哮と、鍛え抜かれた肉体の組み合わせで防御にも隙がない。

 単純かつ愚かな選択の果てに得た力は規格外。そこに至るまでの道中で、適切な使い方を知っている。ヴェネーノが強い事は、この惑星に重力が存在する事に等しい話だろう。


 重い現実に歯噛みするヒビキの手から、不意に重さと熱が引いていく。

 

 身体を捻り上げた狂戦士が持つ魔剣に、火竜が絡みつく光景が目に飛び込む。警戒信号が盛大に鳴る中、ヒビキは混乱しながらも撤退ではなく、敵と同じ決断を下す。

「それでこそ、だ!」

「シイイイイイイィッ!」


 紅と蒼、暴炎と激流が真正面から激突する。


 とぐろを巻いた火炎と百近い斬撃は、敵を殺害すべく互いに食らい合って消えていく。僅かな生き残りが発動者の意思を汲んで荒れ狂う中、ヒビキは体勢を宙で整える。負傷は酷いが、まだ動け――

「ぐぁあああああああッ!」

 回転の余韻を断ち切る形で挿し込まれた、ヴェネーノの斬撃が炸裂。顔から足まで出鱈目な間隔で描かれた斬線から血と爆炎が噴出し、悲鳴を連れて落ち行くヒビキの身体に火傷が刻まれる。

 咄嗟に力の解放度合いを引き上げると、心音の速度が急上昇。脳や接合部が自殺を積極奨励する高熱を発して肉体を焼き、異音と共に全身から黒煙と蒼光が漏れ出す。

 強引に塞いだ傷口に思いを馳せることなく、舞い踊る破片を砕く咆哮を連れ、突進するヴェネーノと一瞬刃を絡ませる。

 力負けしたヒビキは、空中で目を付けた歩道と車道を分かつ金属柵に降り立ち、金属同士の擦過音を受けながら不安定な足場を疾走。


 ――このままじゃ負ける。けど、俺に何の手がある!?


 腕力も魔力も技巧も、世界最強と呼ばれる男に届かない。

 辛うじて速力は同等の為、絶望的な劣勢ながらここまで戦いを許されていた。だが、望む物は現状から遥かに遠い。


「あの男に勝とうと思うな。生き延びる事だけ考ろ」


 ハンナの言葉は、臆病風に吹かれた訳でも何でもない。事実に基づいた忠告だったと、ヴェネーノと相対した今、骨の髄まで理解する。

 遥かな高みに立つ男にどうやって辿り着くか。

 背から迫る舞踊の如く優美且つ凶悪な連続斬撃を捌き、撃ち漏らした攻撃で傷を作りながらも、ヒビキは喫緊の最重要課題に、彼なりの答えに至っていた。

 ――見えないなら見ろ。聞こえないなら聞きに行け。……今まで通り、攻めて守って逃げながら考えるしかない。

 ここまで血路を開いてきたやり方を今変えて、小手先の策を弄しても待つのは敗北のみ。愚直に刃を重ねて突破口を開く他に、道などないのだ。


 決意と共に足を止め、急速反転から繋いでスピカを投擲。


 防護柵とコンクリ舗装のあるべき姿を破壊し続けるヴェネーノの前に、蒼刃と持ち主が出現。常人なら揺らぐ奇策を前に、狂戦士は一切の揺らぎを見せずに突進。

 互いの首を狙う斬撃で飛散した火花を裂く、双方の二手目の斬撃で、路面の亀裂が更に拡大。町に決定的な破壊を齎す三手目を打つ直前、ヒビキが回転。追撃に跳ねたフランベルジュが急激に離れ呼吸が詰まる。


「――――はッ! げほッ、げェッ……」


 喧しい破砕音と痛みを感じながら、ヒビキは固い地面に背や腹を打ち付けながら床を滑る。開いたまま放置された窓の直前で止まり、辛うじて落下死を免れる。

 賭けに勝ちヴェネーノと間合いを取れた安堵からか、不快な酸味が口内に広がり、逆流した胃の内容物が視界を汚す。耳では古鐘が鳴り、視界は出鱈目に揺れる。

 剣戟の最中、目に付いた遠方のビルにスピカを投げ、不意を衝いて距離を取る。乱暴極まる策は、故意に刃を引いた段階と、引きが始まる瞬間を斬られる危険を越えてどうにか成功。

 余韻に浸る前に感じた殺意の波濤を受け、乱雑に口元を拭ったヒビキは窓から飛び降り、彼の姿は落下途中で掻き消える。

 闘争心で燃え盛る竜が、酸素吸入の為に開いていた口を閉じ、落ち行くヒビキに向け開く。

 必殺の炎が放たれようとした刹那、急激に膨れ上がった火竜の内部から『恐鯨大槍雨』の蒼槍が散る。火達磨になりながら火竜を仕留めたヒビキは、迫りくるヴェネーノに回帰したスピカを向ける。

「貴様も俺と同じ世界に来たようだな」

「るせぇッ!」

 大上段の斬撃は噴炎による方向転換で躱され、振り切ったと認識した刹那ヴェネーノが前進。頭部を消し飛ばす意図を読んだヒビキの右腕が動き、魔剣と激突。 

 金属片を散らし、持ち主の意図と少しズレた位置を駆ける魔剣を横目に捉えながら、スピカを突き込む。斥力を貫通した切っ先は、狂戦士の右腕を確かに捉え、ここでようやく彼の血肉が世界に舞う。


 好機と見たヒビキは体勢を整え――急速後退。


 狂戦士の口腔から吐き出された炎の遮幕が、一秒前に彼がいた場所を赤く染めていた。常人ならば敵の死と勝利への確信を抱かせる光景を前に、ヴェネーノは一切の気を緩めず遮幕の先に舵を切る。

 防御すら攻撃に変える危険極まりない戦闘様式は、既に相手に割れている。ならば相手が次に打つ一手は攻撃に決まっている。

 燃えるフランベルジュの刃に炎と異なる赤が灯り、剣技を放つ準備を整えたヴェネーノの鋼の瞳に気付き。生物離れした速度で防御の姿勢を執る。

「一発目だッ!『鮫牙閃舞カルスデン・ブレスタ』ッ!」

 遮幕を突き破って現れた、炎上するヒビキの剣技が、城壁の如く聳え立つフランベルジュに激突。

 上下左右、縦横無尽、ヒトの知覚領域外からも襲来する蒼の斬撃を、同色の火花を浴びながら最小限の動きで防ぐヴェネーノ。彼は、攻撃を受けながらも反撃の準備を整えていた。

 空気を断つ音が止んだ瞬間、好機を逃さず踏み込んだヴェネーノの目に、異刃が高々と放り投げられる光景が映る。

 意味を知るが故に狂戦士の眼が僅かに動き、刃が揺らぐ。一滴の疑問と迷いは、獲物の動きで振り切られるも、最初から腹を括っていた同等速度の相手では遅れは致命傷となる。

 使用者の肉体も悲鳴を上げる速力で放たれた『血晶石』の右手が、ヴェネーノが咄嗟に交差させた両腕を強かに殴りつけた。

 拳を受けた狂戦士の靴底が路面との摩擦で発火。遥か後方に押し込まれた結果、魔剣共々ビル群に激突。落ち行く瓦礫に呑まれる。

 スピカを握り直し、喘鳴を零しながらそれを見つめるヒビキの右手に鈍い痺れ。彼が放ったのは、微細な震動を発する拳で敵を殴打し、対象の内部破壊を狙った外道の技だ。

 渋るハンナから強引に教わった対ヴェネーノ専用の技は、全身の火傷と引き換えに技の停止と相手のダウンを奪った。手応えも確かな物だった。

 それでも不安を拭えないヒビキの目に、次の瞬間信じ難い現象が飛び込む。

 ヴェネーノが没した一角、鉄筋コンクリートの無機質な森に七色の光が立ち昇り、厚い雲へ吸い込まれていく。

 光に釣られ無音上昇するコンクリ片と共に、浮上するヴェネーノの姿を強化された視力で目撃したヒビキの顔から色が消えた。

 薔薇、雪の結晶、蛇竜、翼放する鷲に飛竜と、一切の規則性なく上半身に刻まれた刺青から光を発する狂戦士の口元に血の糸。顔には満面の笑み。鋼の瞳に、滾る闘争心を現すように活火山の赤が轟々と燃える。

「剣技と己の身体を囮に、内蔵破壊を最初から狙っていたのか。……楽しいなぁ、 本当に楽しい。本気を出せるのはいつ振りだろうなァッ!!!」


 フランベルジュが瞬く。


 認識した瞬間、攻撃態勢を整えた狂戦士がヒビキの眼前に立っていた。

 接近の過程をまったく視認出来なかった事実で、恐慌状態に陥りながらスピカを突き出すも何の意味もなく、ヒビキの左腕と左耳をフランベルジュが突き破る。

 壊れた左腕を放棄し、大きく跳躍して距離を開けるも重量バランスの狂いで着地が乱れる。剣と一体化したヴェネーノが、炎を背部から噴出し畳みかけるように突進。

 紙一重で回避するヒビキの背後で、フランベルジュの切っ先がビルに刺さり、火薬を用いたかのように爆散。衝撃的な絵面を背景にヴェネーノが空中で旋り、呼応した足が小さなコンクリ片を捉える。

 弾丸の速力に達し炎を纏う物体なら、小石サイズで十分に死ねると理解したが故に、精緻極まる捌きで飛来する欠片を撃墜し荒い息を吐く彼の首筋に、空気を裂きながら紅が閃く。

 咄嗟に横に逃げて回避。側方で破滅を奏でた魔剣が旋回し再度首に迫る。最善手を打って後退するヒビキの、再生したばかりの肩口を魔剣が捉える。

 骨を砕き斬る重く残酷な音が町に投げられ、ヒビキは目元から涙を、口から涎を吐き散らしながらも、再生途中の手首を強引に返して刺突を放つ。

 小虫を払う軽さで流される事は織り込み済。明後日の方向に流れるスピカを軸に回転し、彼にとって最良の姿勢で大上段から斬り込む。

「破ハッ!」

 ヴェネーノの噛み合わされた歯から漏れる、竜に酷似した笑声を爆轟が掻き消し、紅と蒼が真正面から激突。

 不規則な輝きを放つ狂戦士の上半身をスピカから零れた魔力が裂いて血の雫が落ち、足元で黒の擦過痕が煙を産む。

 状況を理解したヴェネーノが獅子吼を上げ押し返しにかかるが、対するヒビキもまた強引な接近を選択。

 刃同士が擦れる音が途切れたと世界が認識した瞬間、甲高い音が誕生を果たす。

 一度分かたれた刃は瞬時に再会を果たし、一秒以下の間隔で何度も離別と再接触を繰り返す。

 超高速の剣舞に音すら置き去りにされ、一塊の咆哮のように長い金属音が、異次元の殺劇の観劇者として二人を包む。

 極彩色の花が咲いて消える、狂的な闘争心と確かな力量から成る激突とて、二人には踏み台でしかない。両者は人智を超えた速度の思考は「次」を模索する。

 半径二十メクトル程を廃墟に変えた頃、先に動いたのはヴェネーノ。

「――ッ!」

 強靭な足で大地を踏み抜き、同時に口から火球を連発。

 意図を解し前進を選ぶも、己の肘を的確に狙う刺突に対し、ヒビキは身体を僅かに捻って回避に移行した結果、ヴェネーノの後退を許す。


「受けるがいいッ! 『覇炎煌竜剣レプシエン・ドラグスパーダ』ッ!」

「受けるかよッ! 『鮫牙断海斬カルスデン・スクァルクート』ッ!」


 遠雷の如く重い声に即応して抜き放たれた蒼刃から、主の感情に呼応して荒れ狂う鮫が生まれ突進を開始した刹那、ヒビキの視界が紅に染まる。


 転瞬、周囲の世界が描き替えられた。


 立ち並ぶビルの上半分が高熱で溶解し、空虚な断面がポッカリと口を開ける。余波に巻き込まれた地上も地下通路が露出する領域まで削られ、至る所で炎が立ち昇る。

 地下で戦っているハンナへの想いが過るも、放たれた超剣技に対する驚愕と打開策の模索に、すぐにヒビキの脳は埋め尽くされる。

 炎の形で放出している熱を急速充填。膨大な魔力で強引に光刃に変形させ、一定段階まで刀身に貯め込み放出。

 理屈は単純、のご高説はあらゆる事象に当て嵌まる上、ヒビキも『鮫牙断海斬』で似た技を実現している。故に、範囲と威力に天地の差が存在する現実が重い。

 

 ――けど、今はビビってる場合じゃない!


 迷いと恐怖を振り切りヒビキが跳躍。スピカを変形し、駆け巡る失敗の可能性を振り切って引き金を引いた。 

「リュぅおおおおおおおおおおおおおおッ!」

「……!」

 雨雲を引き裂き舞い降りた潜水鯨が、頭頂部から噴き出す鋭利な潮水が、放置された発動車や標識を穿ち、水塊は狂戦士へ突進。

 周囲に立ち並ぶ物体が、次々に噛み砕かれ圧壊する光景が展開されても、ヴェネーノは目を閉じ不動を保つ。


 何か反則級の一手を打ってくるのでは。


 不安を抱きながら疾走して間合いを詰めるヒビキ。彼の目は、徐々に大きくなるヴェネーノが選んだ手を正確に捉え、そして驚愕する。

「甘いぞヒビキ! 常識に囚われていては、俺には勝てんッ!」

「……なぁッ!?」

 飛来したフランベルジュを回避すべく、手近なビルの壁に飛び移り、狂戦士の側に視線を戻すと、ビルが宙に浮かんでいた。

 否、自力でビルが浮いているのではない。


 百メクトルに達する巨塊を、ヴェネーノが持ち上げているのだ。


 ヒトの枠にいる限り、到底実現不可能な曲芸を前に、発動者同様に怯えながらも目的を果たすべく進む魔力塊を、狂戦士はしかと見据えて笑いながら始動。


 縦横どちらも巨大に過ぎ、最早回避不可能。


 影が落ち行く中、表情から色が消えていくヒビキに数百トンの超質量が炸裂し、物質を破壊しかねない爆音と即席の地震がフィニティス全体を殴打した。

 濛々と舞い上がった煙が晴れた頃、ビルに右足を踏み潰されたヒビキの姿が露わになる。

 弾き返された魔力塊の直撃で刻まれた、裂傷の痛みは再生と圧潰を繰り返す右足のお陰で感じない。もっとも、正気を壊しにかかる激痛が身体を巡る事実は確かに存在するのだが。

 牛の歩みよりも遅く、自由な左腕を繰ってスピカを引き寄せるが、接近する紅蓮の狂竜から逃れる余裕は既に失われている。

「こ、んなところで……俺は、死ねるかよ」

「内在する感情を灯とし、格段に進化した貴様の力は見事だ。だがここで」

 ヒビキの首を断つべく掲げられたフランベルジュが、雷光の速度で左に振られ、同時に発砲音が町に響く。

 土煙の中から現れたのは、少なく見積もっても三桁に乗る数のアークス軍人達。

 ラッバームに食われた者と異なり、明確にここにいる二人を潰す為の装備を整えている集団一人が、拡声器を掲げ声を張り上げる。

「ヴェネーノ・ディッセリオン・テナリルス! お前の悪行は数えきれない。だが、そこに転がっている連続殺人犯の身柄を引き渡せば、この場に限り見逃そうではないか!」

「小娘から聞いていたが、貴様も俺と同じ立場か。祝ってやろう」

「そりゃ濡れ衣だ……ッ!」

 抗議を溢したヒビキの右肩に、無数の銃弾が突き刺さる。痛覚は切っているが不快感と、自分を狙う敵が増えた現実に押し黙る人形を他所に、ヴェネーノは自身が打撃武器に用いた建造物に座して瞑目する。

 無数の熟練兵と公式発表上で最新鋭の兵器を揃えても、世界最強に手をかけた男の殺害が叶うと考えていないのか、兵士の表情は一様に固い。

 指揮系統やアークス上層部の方針など知る由もないが、本来の任務はヴェネーノ殺害の筈。

 勝利を収めても人員の殆どが死ぬと、ハナから分かりきった任務には、命令による死を義務付けられた軍人でも臆し、ヒビキは捕らえたがヴェネーノに逃げられたとする次善の結果を求めたといった所だろう。


「あまり引き延ばそうと思うな。我々は――」

「俺の回答は最初から決まっている」


 町を包囲する炎の揺らぐ音だけの状態に耐えきれなくなったのか、催促を始めた拡声器の男の頭部に、紅の刃が突き刺さっていた。

 倒れ行く男の身体を踏み砕いてフランベルジュを引き抜いたヴェネーノは、ブチ撒けられる脳漿と血霧の中で旋回。

 僅かに揺れた軍人達は、断末魔を上げる権利すら与えられず、己の首から噴出する血海へと没する。死に最も近い職業とされる軍人の統率は、これで完全に決壊した。

「闘争の完遂。俺の選択はこれに尽きる。命ぜられねば動けぬ、貴様達が提示する選択など考慮の価値もない。俺の闘争を邪魔する資格も、有る筈が無いだろうッ!」

 

 投げる、掴む、殴る、蹴る。

 

 剣技を一切用いず、ヴェネーノは粗暴な拳打のみで瞬く間に軍人共を解体していく。が、魔剣を使用した場合と比すれば殲滅速度は格段に遅い。余計な時間は、ヒビキにビルから這い出し、潰れた足を再生させて立ち上がるだけの猶予を与えていた。

 敵を全滅させ、先刻より面積が拡大した血海に立ちながら、ゆっくりと振り返ったヴェネーノに、震える声で問いを投げる。

「……なんで、俺を助けた?」

「言葉の通りだ。この場で俺と対峙した時、貴様には逃げの選択があった。にも関わらず闘争を選択した貴様は、打倒する価値を持ち、愚物共に渡す訳にはいかぬ者となった。では俺からも問いを一つ、貴様は何故戦う?」

「はぁ?」

「率直に言おう。貴様を技量や腕力で測るとハンナ以下、即ち俺が即座に打倒出来る相手だ。にも関わらず、ここまで粘ってみせた。俺の指標からすると貴様の才覚は及第程度、鍛錬は圧倒的に不足している。ならば残る一つに何かあると考えるのが妥当だ。それを俺は知りたい」

 四方八方から炎の揺らぐ音が聞こえる状況下で、ヴェネーノの問いはヒビキの耳にやけに鮮明に届く。眼前の狂戦士は魔剣を降ろし、返答を待つ体勢に移行。

 明確な隙を晒している内に逃走。これが本来正解なのかもしれないが、今しがた己を救った男へ礼節を欠く事を嫌ったのか、ヒビキもスピカを納める。


「アンタは強過ぎるし、もう迷いなんかない。だから俺の戯言なんざ理解出来ないかもしれない。何かを掲げる事が生きている証明になるなら、俺は今まで死んでいたんだろうな」


 瞑目するヴェネーノは肯定と否定、どちらの姿勢を執らず、ただ声に耳を傾ける。相手の姿勢に微量の謝意を抱きつつ、ヒビキは言葉を継いでいく。


「何れ別れて、記憶から消える存在だと思うし、それが正しい。出会う筈の無かった奴等の邂逅が齎すのは悲劇ってのは、使い古された話だ。……けど、俺は別れる瞬間まで同じ物を見たい。同じ気持ちじゃなくても、な。

だから俺はまだ死にたくないし、ここにいる意味もない。そして、目的以外の事象でアイツを危険に晒す存在は絶対に打倒しなきゃいけない。俺の理由はこれだけだ」

 ヴェネーノが殺害した英雄達は、何れも崇高な目的と確かな実力を有していた。

 比較してしまうと掲げた物がどれだけ卑小なのか、ヒビキは問われずとも分かっている。

 だが、卑小な物を軸にここまで来たのは確かだ。

 フランベルジュを再び戦闘位置に構えたヴェネーノを見て、ヒビキもスピカに手をかけ、頬から熱に晒された事による物と異なる汗を一筋溢し、相手の声を待つ。

「何処で生まれて誰から学ぶかは強者と凡俗を分けはしない。そこで生まれた理想や感情と正面から向き合い、手に入れる為に足掻いたかで分たれる。

貴様は前者への道を歩んだ。認めよう、貴様は素晴らしい好敵手だ。身長と体重と筋力が致命的に足りない点が気にかかるが、な」

「最後のは余計だ」

 互いに苦笑を投げ合った後、ヴェネーノが膝を付き、フランベルジュを捧げるような形でヒビキに向ける。そして、魔剣を正眼に構え直し再び闘争心を全身から放出させた。

「謝罪し、再び名乗ろう。このヴェネーノ・ディッセリオン・テナリルス、我が剣で貴様を打倒し、世界最強への更なる糧としようッ!」

「俺はヒビキ・セラリフ。アンタの望みは……俺が砕くッ!」

 猛り狂う咆哮を引き連れ、異次元の闘争が再開された。


                ◆


 フィニティス地下、アークス王国保有の研究所にて。

 黄金と白銀の闘争が、地上のそれと大差ない苛烈さで延々と続いていた。

 『無戦完勝』ユアン・シェーファーと『ディアブロ』ハンナ・アヴェンタドールの実力は互角。故に、当初抱いていた「人道的配慮」は両者の頭から消し飛んでいた。


 ――離れられると感覚器官の差で負ける。だが接近しても……。

 ――魔剣継承者に接近戦は「殺してください」と同じ。離れても決定打がないのが大問題なんだがな。


 並走しながら必殺級の攻撃を打ち続ける二人の闘争で、電灯は破砕され、床には爆撃痕と見紛う巨大な穴が開き、筒状の物体が貫かれ毒々しい飛沫が踊る。

 数十分踊り続けても尚続く、膠着状態に危機感を抱くのもまた同じ。

 膠着を先に崩しにかかったのは、ユアンだった。穴が開いた天井から覗く配管に掴まり、突き込まれたフラスニールに飛び乗る。

 曲芸染みた動きに反応し魔剣を振ったハンナの背後に、揺らめく黄金の殺意。

 夜の狩人に匹敵する速度で、絶対有利の立ち位置を得たユアンは、相手の首をへし折るべく蹴りを放ち、誰もが耳を塞ぐ澱んだ音が所内に響く。

 首を狙ったユアンの右足は、ハンナの歯で受け止められていた。失策に顔を歪める四天王の身体が、悲鳴を上げる足を起点に振り回される。

 『嵐刃』を傷口から放つ暴挙で辛くも逃れるが、頬に出来た大穴を無視して襲来する突きの雨を幾つかマトモに浴びる。

 流れを手にしたハンナは、連撃から繋いで中段から斬撃を仕掛け、回避に動いた敵に渾身の突きを捩じ込む。

 一切の回避動作を放棄したユアンの右胸に、フラスニールの美しくも凶悪な刀身が炸裂。即死は免れたが、致命傷に成り得る一撃を浴びた四天王は無様な痙攣と共に喀血。

「……なッ⁉︎」

「死ねや」

 己が吐き散らした赤で身を汚しながらも尚、微笑を浮かべたユアンが前進。

 傷の拡大を厭わず動く彼の右手に、煌々と輝く黄金の杭。


 そして、それはハンナの右目に食らいつく。


「ぐあああ!」

 右目からドロリとした液体を垂らしながら、ハンナはユアンの顔面を殴打してフラスニールから強引に引き剥がす。

 鉄拳を真っ向から受けたユアンは、美しい顔を醜く歪め、涎と血を噴き上げながら吹き飛ぶ。円筒に背を強打して床を転がる。

 喘鳴を溢しながら、辛うじて死を免れたハンナは右目を抑え、痛みに犯されながらも一連の流れを思考する。

 爆発音から推察するに、頭部の内部破壊を狙っていた事は疑いようがない。足を止めて魔剣を胸に受けた事も、最短距離を手にする為と思えば納得は出来る。

 加えて、ユアンは剣を胸に受けてから右腕のケリュートンを変形させ、仕掛けに気付かせなかった。

 気付かぬまま、ハンナは動きが止まったユアンの心臓を狙った。だが現実は心臓とズレた位置に魔剣は届き、反撃の隙を与えてしまった。

 治療の隙を叩かれる事を警戒し、この戦いは左目のみで行くと決めた彼女の前方、同じ決断を下したユアンが、右胸から血や肉を垂れ流しながら立ち上がる。

「じろじろ見んな。俺に惚れたか?」

「……貴方は、最初からこの手を戦術に組み込んでいたのか?」

「だったらどうする?」

 最短距離を得られると言っても、ほんの僅かなズレで死に至る行為は、博打で行える易い物ではない。

 紙一重を読む為過酷な鍛錬と、痛みに耐えるだけの精神力。手段に採択するだけの苛烈な目的が必要で、手にした所で使い時が見当たらない。

  

 ――いや、彼ならひとつだけ使い所はあるのか!


 円を描く形で隙を伺うユアンを警戒しつつ、内心で結論に至り、相手の卓越した才覚とあまりにも歪んだ活用方法、そこに至るまでの覚悟に、愕然とした思いに突き動かされ口が動く。

「……貴方は」

「ん?」

「貴方の過去は知っている。だが、私のような者でも道はあった。才に溢れた貴方なら、過去を捨てて前に進めた……復讐になど、身を堕とす必要はなかった筈だ!」

「お前の主張は正しいし、俺が大間違いのカス野郎ってのは分かってる。けど当時の、いや今の俺も、選ぶべき道を見つけられずにここまで来た。それだけの話だし、一山いくらの男に同情すんな。詐欺に引っかかるぜ」

 緊張感を意図的に削いだ、軽薄な笑みを浮かべた相手の背後に映る物の異様さに、ハンナは瞠目する。

 目前に立つ男の姿が失せ、代わりに映るのは地面に蹲って絶叫を上げ続ける少年と、彼を喰らおうと憎悪を剥き出しに群がる、少年と同一の身体的特徴を有する無数の人々だった。

 幻影の声を、本来ヒトの耳は捉えられない。にも関わらず、ハンナは声という服を纏った毒を感じ、全てを理解してしまった。

 失っても、手を差し伸べる者がいたお陰で未来を繋いだ自分と、特異性故に誰の助力も受けられず、手が届く先にあったのが憎悪しかなかったユアンでは、歩めた道がまるで違う。

 人形の少年以上に許された道は限られ、最後まで走り切らねば彼は恐らく己の内に抱えた物に殺される。

「まぁなんだ。お前もヒビキもそうだが、選ばれちまった奴ってのはつれぇよなぁ。何処にも、誰とも行けねぇんだから」

 泣きながら笑う、奇怪な表情と化したユアンがケリュートンを一対の剣に変化させ、姿勢を低く執る。


 あるべき選択肢は一つ、敵の撃破のみ。


 四天王の悲壮な主張に、闘争の場に全く相応しくない表情に変わった白銀の竜騎士もフラスニールを構えて答え、全身から魔力と闘争心を放出させる。

 実力は互角。かつ、両者の余力も同程度。

 故に、次に放つ一手でこの決着する。

「『鷲頭竜顕翔破グリューオ・ギウズ絢爛光舞グリンティルファ』」

 美丈夫の顔面に描かれた刺青が黄金の輝きを放ち、腕を伝い両の手に握られた剣を染め上げていく。

 剣全体を駆け巡った光は無数の鷲頭竜を形成し、甲高い咆哮がハンナを襲う。

 一人を蹂躙するには過大な量の敵を前に、竜騎士は全身の筋肉を膨張させ、フラスニールを大上段に掲げる。

 掲げられた魔剣の刀身が割れ、竜の牙の如き新たな刀身が禍々しい光を放ち顕現。


「『幻崩覚竜剣バルストロ・ドラグセイバー』ッ!」


 分離した刀身の根元から切っ先まで『破幻詠エクスプロ―ディア』の燐光を灯した魔剣が、腕の振りだけで周囲の物体に亀裂を刻む剛力を以て振り抜かれる。

 ハンナが展開した剣技は魔術を打ち消す作用を剣全体に付与する事によって、敵の仕掛けを無効化し、己の力を余さず叩き込むという物だ。

 単純明快だが使い手も『破幻詠』の高度な制御を求められ、斬撃自体に魔術の恩恵が受けられない為、破壊力は使用者本人の純粋な力量が左右する。

 同族のヴェネーノに劣りはするが、超強力の括りに入る膂力と、精緻な技巧を持つ故に選択したハンナが、真っ向から鷲頭竜の群れを迎撃する。

 剣風で数頭が霧散し、振り下ろされる過程で更に数頭、黄金の双剣を伸ばしたユアンと視線を絡めた瞬間、残るは彼の両腕に宿る二頭のみ。

 似た過去を持ち、異なる選択を下し、そしてまた似た立ち位置となった二人。

 獅子吼を引き連れ放たれた両者の得物が絡み合う。


 金と銀。


 二色の魔力流が一箇所に集束して弾け飛び、二人の姿を覆い隠した。

 

                  ◆


 目まぐるしく攻守を入れ替えて続く地上の攻防は、決闘者の動きに呼応して破壊を引き連れて続いていた。

 少なく見積もって、町の四割が既に破壊されているが、二人にとってそれは考慮に値しない。

「――シャァァァッ!」

「轟ぅあああああああッ!」

 ヒビキが瀑布の如き連続斬撃を繰り出し、とある工場内の配管を衝撃波で紙屑同然に斬り刻む。

 ヴェネーノはそれを回避し、威容とはかけ離れた華麗かつ素早い足取りで距離を縮め、一気にフランベルジュを振り抜く。かのように見えた。

「ちょっ!?」

 斬撃の最中、フランベルジュが急失速。

 一定以上の練度に達した戦士は、生じた事象だけでなく、予測の世界にいる相手を元に、攻守の最善手を探す。

 この戦いに於いて、彼もそのような領域に至っていた。

 ヴェネーノの挙動は、そんなヒビキが立てていた予測と体勢を崩した。予測していた時機と速度で攻撃がやって来ず、身体が僅かに泳いだ人形に、異次元の膂力で再加速した魔剣が軌道を変えて迫る。

 理性の介入がない咄嗟の判断で受けるが、反応の遅れで体勢が甘い。結果、引き戻された斬撃ががら空きの胴に届く。

 胸部から赤の花を咲かせながら、身体を振り強引に後退。痛みで顔を歪めたヒビキだったが、離れた筈の魔剣が背後から再襲来する様に目を剥く。

 咄嗟に両足を曲げ頭頂部の髪を斬られる程度で済んだ、と判断した一瞬の隙を衝かれ、彼の鼻面に蹴りが叩き込まれる。

 工場を追放されたヒビキは、顔面が砕ける音を聞く貴重な体験と共に宙を舞う。重力の縛に従い落ち行く中で、ヴェネーノの接近を察し咄嗟にスピカを下方に投擲。着地するなり目元を雑に拭う。怯えを振り切って視線を上げると、空を翔る狂竜が一直線に倉庫と思しき建造物に突き刺さる姿が映る。

 

 次の瞬間、爆裂地獄がフィニティスの町に誕生を果たす。

 

 廃墟で感じると想定していなかった、揮発油が燃える臭いと、濛々と立ち昇る黒煙と火柱に顔を歪めながらも、ヒビキは次の一手を模索する。

 恐らくここで活動する者達の為の、燃料貯蔵庫に狂戦士は突っ込んだのだろう。

 彼自身が炎を纏っており、その状態で飛び込めば揮発油は当然引火し、ヒト族ならば死に至るだろう。


 そして、対峙するヴェネーノは常識を遥かに飛び越えた存在なのだ。


「まだだ、まだ終わらん! 勝つのは俺だッ!」

 全身の各所に炎を纏い、御伽噺の戦士と化したヴェネーノが臙脂色の炎海から飛び出し、周囲に炎を撒き散らしながら接近。

 持ち主も背部から炎を噴出し、愚直に接近するフランベルジュは、正確に心臓を狙う。激突寸前にヒビキは二歩後退し、全力の斬撃を叩き込む。

 地面にめり込もうとする魔剣の横っ腹に、蒼の異刃が交錯。

 擦過音より速くフランベルジュが薙がれ、大地が炎上するも、肉を断つ感触はない。

「――――なるほど、そう来るかッ!」

 気付き、満面の笑みを浮かべたヴェネーノが旋回。死角から急襲するスピカを弾くも、ヒビキはまた蒼の残像と化して消える。

 地上の狂竜の死角に、人形の少年が延々と空中から迫り、それを受ける事で、紅と蒼の花が咲き誇る。

 交わる度に町が破壊される点を無視すれば、一幅の芸術のような光景が暫し展開される中で気付きに至ったヴェネーノは、離れ行くヒビキと異なる方向に刃を向ける。

「足場諸共崩すまで! 『嵐竜旋撃・裂空式ドラグヴォーゼ・テナトルム』ッ!」

「足場なんざ幾らでもあんだよッ!」


 咆哮が短く交錯。


 円を描く形で振るわれたフランベルジュは、暴風を生み出して周囲の建造物を微塵に砕き、相手の曲芸を潰しにかかる。

 足場を潰されたヒビキは、しかし動揺を見せず落ち行く破片を巧みに飛び移る過程で納刀。右腕が脱力した状態で竜巻と化すヴェネーノに接近。

 どれだけ強大な竜巻を産もうとも、疑似的な物である以上発信源の立つ場所は安全地帯だ。

 相手の真上に居た運もあり、急速に距離を詰め行くヒビキだったが、回転の余波に囚われている筈のヴェネーノが、既に攻撃体勢を整えて眼前に現れた様に驚愕する。

 ――――そして、それはすぐに勝利を確信した笑みに切り替わる。

 フランベルジュが首に届く直前、まさしく間一髪の差で抜かれた、先刻よりも強い輝きを灯したスピカが、ヴェネーノの胴体に届いた。

 蒼光が鋼の身体を貫き、胴部を斬線が抉り取り、血肉をばら撒き喀血しながら狂戦士は空へと追放される。 

 地上に落ちたヒビキは荒い息を吐き、激痛に苛まれながらも、会心の一撃が決まった現実を噛み締める。位置取りが都合が良かった為に実行した一手だったが、リスクはあまりにも大きかった。

 排炎器官を活用した火炎放射を選択された場合、一撃に賭けて力の解放を故意に緩めたヒビキには回避手段が無かった。

 幸運の助力を借りはしたが、遂に掴んだ勝利。

 破壊し尽くされ、痛い程の沈黙が降りたフィニティスを眺めるヒビキの胸中に、それを噛み締める余韻はなく、不穏な何かが宿っていた。

 現段階で使える最強の技『鮫牙断海斬・執行乃型カルスデン・スクァルクート・エクスブレイズ』を、至近距離から確かに胸部へ命中させた。

 あれだけの短距離で命中すれば、その場で解体されたも同然の状態になっていてもおかしくなく、間違いなくヒト型生物の心臓は壊せる。

 確かに勝利した筈。では、この胸騒ぎは一体何なのか。

 ――ヴェネーノの異名に『国喰らいの竜』や『終焉を齎す者』とかもあった。なら……まだ何かが―――

「ハハハハハハハハッ!!」

 実に楽しげな、ダメージはなかったと朗々と主張するような、活力に溢れた声を受け、弾かれたように上を向いたヒビキの呼吸が、寸刻途絶する。

 雨は気付けば止んでいた。

 否、空中に滞空する男に雨雲が取り込まれているのだ。

 太陽を背にしてフランベルジュを構える様は、美しさと慈悲深さを纏うが、それを作り出す根源の感情を知るヒビキには、恐ろしさしか抱けない。

 絵画のような光景を作り出した、世界で最も残酷な男はヒビキを真っ向から見据えて吼える。

「素晴らしいな。『全力を出せない』身体状況を最良の攻撃に結び付けてくるのは、読めなかった。いや、俺相手なら誰もが全力で来ると考えていた。これが俺の驕りだったのかも知れぬな」

 独白するヴェネーノの胴部には傷が刻まれ、赤い血が垂れているが、問題は別の所にあり、男の異様さにヒビキの全身が総毛立つ。

 刻まれた無数の刺青の全てが、何らかの統率に従って紅の光を放ち、ヴェネーノをフランベルジュと同色に染める。

 第二の太陽と化した狂戦士の周辺に、二十本の巨大な武器が彼の肉体を食い破るように顕現。明確な殺意を煌かせヒビキに切っ先を向ける。


 ――『救済者グレイシア』、『砕き屋グランダル』……。これ全部、ヴェネーノが倒した連中の武器か!


 五メクトル以上に巨大化し、名を知らぬ物も幾つかあったが、知る物から判断するに全てが保有によって世界の均衡を大きく崩す超業物。

 凡人には一つ扱う事さえも難しいそれが、一人の男の意思を酌んで自分に殺意を向けている。

 意識を喪失しなかっただけ上等と言えるが、状況の好転には何も繋がらない。

 ――逃げろ、逃げるんだ。……ここにいたら、絶対に不味い。

 恐怖に突き動かされた心が叫ぶが、身体は全く動こうとしない。

 空が無駄に晴れて行く現象に呼応し、掲げられたフランベルジュが狂暴な輝きを強めていく。

 硬直するヒビキに対してヴェネーノは吼える。

「貴様に敬意を払い、この俺の最終奥義を送ろう。一個人相手に使う事は初めてだ、誇りに思え」

「……う、うあああああああっ!!」

 殺意に塗れた空間で死刑宣告を受け、遂に精神の均衡が壊れたヒビキが、ヴェネーノに背を向けて逃走を開始する。

 複数の業物を力を増幅させ自由に繰り、自然現象さえ操る相手は、もはや勝ち負けを論じる次元にいない。ヒトが及ぶ領域ではなかったのだ。

 彼の背後で、ヴェネーノの咆哮が轟く。

「全てを灰燼に帰した先に、敗北も、恐怖も、憎悪も……愛すらも捧げた先に生まれる物がある。絶対の勝利と最強の称号は、その先にのみ存在する。掌中に収めるのは、俺の他にいない!」

 声が一度区切られる。

「終わりにしよう……『世界ヲ掴ミシ禍ツ唄ワールドイズマイン』ッ!」


 災厄の幕が、ここに開かれた。


 狂戦士の声に従い、空中で展開されていた武器が一斉にヒビキに降り注ぐ。

 死への恐怖で消耗を無視した機敏な動きで直撃は免れるも、着弾した武器の爆発で彼の身体がフィニティスの町と連れ添うように削り取られていく。

「消えろ、消えてくれッ!」

 崩壊する町を駆け抜けながら半狂乱でスピカを振り回し、ヒビキは何度も何度も襲い来る武器を押し返しにかかる。

 だが、何故ヴェネーノが隙だらけのこの瞬間に攻めて来ないのか。そして、武器が着弾した大地が、活力を失った色へと転じていくのか。

 明確な異常事態を斟酌する余裕も無く、死に物狂いで武器を撃ち落とし、成功の三倍以上の撃墜失敗でボロボロになった頃、不意に武器が引き戻されていく。


 好機と見たヒビキは全力疾走を再開。


 転び、瓦礫に身体をぶつけ、爆発で身体をぶん殴られ満身創痍になりながらも走り続ける彼の目に、やがて町とそうでない箇所の境界線を示す詰所が映る。

 これで地獄から抜けられる。

 本人も知覚なきまま、ヒビキの表情が安堵で緩む。しかし、視界の先に立つ現実を前にすぐに凍り付いた。

 詰所の上空、ヴェネーノが全身を紅で染め、数倍に巨大化したフランベルジュを構えて、斬撃を放つ体勢に移行していた。

「は――」

「さらばだ」


 奔る紅光が、ヒビキの視界を埋め尽くした。


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