序:盤面に登りし者

 インファリス大陸北東部に位置するペスカロル。

 一見すると他の区域と大きな違いを見出せない、凡庸な湿地帯でしかない。

 伝説の舞台となった禁足地『デウ・デナ・アソストル』と同様に、ごく限られた者以外の立ち入り禁止措置が為されている理由を見出す事に苦しむ場所だ。

 しかし、情報を与えられた者はこの場所を恐れ、各人の与えられた任期も異常に短いが、それでも職務放棄を試みる者もいる。

 爆発を自衛手段とする生物を改良し、一撃が軍用爆弾級の威力を持つ生ける地雷が地中に間断なく埋設し、空は凡人が御せる上限である中型飛竜が目を光らせる。過剰極まる警備は、とある湖に向けられていた。

 裸眼では一センチメクトル先も見通せない、異様に黒い水面から数百メクトル潜った所に、鎖で雁字搦めにされた球体が一つ。

 球体を包囲する形で、水中には攻城兵器である巨大槍が指令を待つように鎮座し、上方には石柱が括りつけられている。

 鎖と球体には、歴史を漁る者以外解読不可能な文字が刻まれた呪符が、鎖の銀を完全に隠していた。

 球体を注意深く観察すると上下と左右の長さが釣り合っていないが、その理由は単純な物である。この球体の中身はヒトを押し込んだ棺で、一目では中身を看破出来ぬ程に呪符が貼られているのだ。

 数枚で『名有りエネミー』と称される竜の動きさえ封じる呪符の使用量が、そのまま内部に押し込められている存在への恐怖を、どんな演説よりも明快に表現していた。

 ごく一部の民族を除き、水中はヒトの魔術発動速度が陸上の五分の一まで低下する。棺に放り込まれた罪人は例外に該当しない。不穏な動きをすれば、魔術の発動よりも先に槍が球体を穿ち、落下する石柱に破壊されながら湖底に沈む。

 死に至らしめる仕掛けが張り巡らされた場所へ、不意に湖面から一輪の花がゆっくりと落ちてくる。何の変哲もない、この地域なら何処でも見られる赤い花は、湖をただ落ちていき棺の前を通過し――

「……あ? マジで? ヴェネーノが死んだっ!?」


 若い女の球体が棺の内側から響き、音の揺れは水と鎖を幽かに揺らす。


 状況の変化を脱獄の準備と判断したか、巨槍と石柱が軋みを上げるが、声の止まる気配はないどころか、加速度的に大きくなっていく。

「あのクソが死んだって事は、だ! このアタシもついに自由になれる! ……あたしが果たすべき事を果たせるんだ!」

 他者からの理解を拒む、声の主の内側で完結した台詞を吐き、棺から光が漏出し、それは湖水を本来の色へと回帰させていく。

 そして、放たれた処刑用兵器が棺に襲来し、破砕音を響かせて水中の秩序を搔き乱した。

 本来あってはならない騒乱が消えた頃、鎖の先にあった棺は跡形もなく砕け散り、揺り落ちていく花びらだけがそこに残された。


                     ◆ 


 同じ頃、大公海を越えた先にあるアメイアント大陸インディアグス。

 機械を肉体に取り込んだ生物が跋扈し、都市部以外ではヒトと激戦を繰り広げるこの大陸の中で、この町は図抜けた激戦区となっている。

 発動車を繰って猛獣から逃げる行為を、ヒト対ヒトの競争に置き換えた興行を最大の収益とし、競争路の守護に多額の金を突っ込む町の一角で、一頭の地竜が物悲しい鳴き声を上げて膝を折り――

「煩せぇな。敗者ならともかく、死ぬ奴は潔く死んでいけ」

 軽い声と共に振るわれた東方の異刃に喉を裂かれて声が途絶。代わりに血を噴き出して倒れ伏し、亡骸を踵が高く膝まで覆うブーツが踏み付けた。

 地竜にトドメを刺した男、山が高く鍔の広い帽子を被り、この土地では一般的な装いだが、各所に東方の意匠が入り混じった服を纏う男が得物を鞘に納めるなり、彼の周囲を囲んでいた者達が歓声を上げる。

 道化師の如き姿勢で歓声を受ける東方系の男、水無月みなづき蓮華れんげは、歓声の中で一人沈黙していた、目を隠す程に長い髪を持つ黒髪と、肌の露出が皆無の濃紺装束を纏う少女に声をかける。

「どうだ千歳、相手さんの気配はあるか?」

「は、はい。近づいてはいるようです。ですが……」

 どの方角から接近しているのか分からない。そう告げた少女の髪をぐしゃぐしゃと撫でた蓮華は、彼女の言葉を受け、首を傾げる周囲の者達に呼びかける。

「千歳が感知している以上、奴さんは必ず来る。機嫌を損ねりゃ戦争だ。俺以外、口を開く――」

「私を呼んだのは貴方達だな?」

 鉄の硬質さを有する声と、等間隔の地面の震動が、集団に届く。

 各自が得物を構える中、発せられた方角を薄ら笑いで、無手のまま前方を見つめる蓮華の目に、大きさを増していく影。


 この大陸に生息するごく普通の生物、馬だった。だが、首から上が存在していなかった。


 切断面からは、得体の知れない黒霧が濛々と立ち込め、接近していくにつれ視認出来るようになった、全身を彩る禍々しい装飾が見る者に怖気を抱かせているが、跨っている者もまた奇妙極まりなかった。

 首無し馬を繰る者が纏うのは、黄金と黒で構成された甲冑。装甲の表面には天翔ける鷹が踊り、腰には「一騎当千」と刻まれた旗。

 ヒノモトの武将の姿を持つ者が、蓮華の前で首無し馬から飛び降り、乾いた土の地面に一切の変化を引き起こさず着地。降り立った者は、放っていた威圧感からの推測とはかけ離れた矮躯を持っていた。

 仲間が固唾を飲んで見守る中、対峙した二人は黙したまま見つめ合い、やがて蓮華が先に相好を崩した。

「お久しぶりでしょうかね。逢祢さん」

「そうなるかしら。大きくなったわね、蓮華ちゃん」

 親愛の情が籠った言葉を発しながら、装甲と同様の意匠が刻まれた兜を脱いだ所にあったのは、蓮華や彼の仲間にも複数存在する、黒髪と黄色とも形容される肌を持った女性の顔があった。

 三十代半ばと推測可能な女性の顔を見て、彼女と同じ外見的要素を持つ年配の者は一様に驚愕の表情を浮かべた。

 黄泉討よみうち逢祢あいね、現在ではアイネ・ファルケリアの名で通りが良くなった女性は、蓮華を含めた人種が住まう島国ヒノモトに於ける、最強の侍を代々生んできた通称御三家の一角だった。

 よそ者でありながらアークス王国四天王に登り詰め、世界最強議論に顔を出す風斬鈴刃。蓮華の父にして、このアメイアント大陸の争乱で勝ち残り、経済界に影響を及ぼすまでに至った水無月珪孔けいく

 そして、約一・五メクトルの矮躯に匹敵する大刀を繰って、数々の戦場を挽肉の海に変えた女傑が、闘気の漏出を停止した今、凡俗にしか見えなくなった黄泉討逢祢。

 この三名は皆、生きていれば揃って六十を超えているが、内在する厖大な魔力によって老いが殆ど見られない逢祢に、蓮華は軽い調子で対峙する。

「態々お呼びしたのは他でもない。俺達とインファリスへ向かって頂きたい」

「インファリスに?」

 夫が住んでいる大陸に戻る事自体はやぶさかではないが、何故目の前の男がそんな案を出してくるのか。

 歴戦の戦士との経歴を疑いたくなる、直截な感情の表出に苦笑した蓮華は、仲間から喝采を浴びた時と同じ、両の手を広げた姿勢で朗々と語り始める。

「親父も、そして俺も探し続けていた飛行島が、インファリス上空にいると聞いた。無論、今からだと追いつけない可能性はあるが、ここまで明確に場所が出るのは初めてだ。向かう価値はある筈だ」

「飛行島に眠るとされる宝物、あの場所で散った戦士の遺産を手にしても、祖国の体制は私達が介入出来ない。蓮華ちゃんはあの国を知らないのに、何故危険を冒してまで体制を変えようとするの?」

「多大な貢献をしてきたにも関わらず、外圧に押されただけで捨てられ、望まぬ人生の再構築を強いられた親父やお袋の顔を、俺は忘れない。あの国を、ヒノモト人の国に戻す為に、俺達はいる」

「強い意思を持つことは素晴らしい。けれども、方向を誤った意思は不幸を招く。珪孔も翡翠さんも、蓮華ちゃんがそうなる事は望んでいない筈」

「逢祢さんの意思は分かったし、尊いと思うよ」

「理解してくれたなら嬉しいわ」

 両者は柔和な笑みを交わす。

 だが、仮初めの融和的姿勢を打ち消すように、相手が先手を打ってきた場合に備えて充満する殺気に、蓮華の仲間や逢祢が騎乗していた首無し馬が身体を震わせる。

 戦闘様式や年齢は大きく異なれど、総合的な強さでは両者は互角。戦いを開始すれば、結末は勝者無き最悪の形になると、場の全員が理解していた。

 行き過ぎた「気」のやり取りは、両者が全く同時にそれを霧散させた事で終わりを告げた。左腕を軽く回しながら、蓮華は先刻よりは真っ当な笑顔を作って口を開く。

「まぁ、人の行く道は他人が決めるモンでもないっすね。余計な話をしました。……対価は団員への教導と、食料分の金で結構です。出発は二日後ですから、お急ぎを」

 脈絡のない蓮華の言葉に、彼の仲間は怪訝な表情を浮かべるが、当の本人は一切調子を変えることなく、言葉を継いでいく。

「ハルク・ファルケリアが殺されたと風の噂で聞いた。逢祢さんが、端から乗るつもりのない俺の話を聞きに来たのは、インファリスへ戻る手段を得る為だ。対価をくれるなら乗船依頼は蹴りません」

「ありがとう、すぐに準備をして戻ってきます……」

「何か?」

 首無し馬に跨り、出立するだけの状態になった逢祢が自身に向けてくる視線に対し、蓮華は相手と同色の目に怪訝な物を宿す。

「蓮華ちゃんが、珪孔の遺志を継ぎたい事も、そのために適切な努力をしてきた事も理解した上で言います。あなたが本当に叶えたい物が何なのか、一度よく考えなさい。そうしなければ大事な物を失います」

「肝に銘じますよ」

 肩を竦めた蓮華を見つめたまま、逢祢の姿が遠ざかり、そして荒野で揺らめく陽炎の中に消える。気配が完全に消えた時、近寄ってきた完全武装の老人と濃紺装束の少女に、蓮華は微笑を返す。

「道理はあちらさんにある。それに、戦って強引に御せる相手でもない。技術を盗める機会を手にしただけで上出来だ」

「……では、計画は不変のままか?」

「勿論だ。祖国に帰る為、俺達は飛行島に辿り着き、シグナの遺産を手にする。異存はねぇよな、皆!」

 叫びに呼応して、それを肯定する数十の声がインディアグスに盛大に響き渡る。

 仲間の声を浴びながら、蓮華は決意を宿して己の得物を空に掲げた。

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