9:闇を鼓動に変えし者

「私の首で良いのなら、幾らでも捧げましょう。……ですがこの子は」

「この村正と、アークス四天王『無限刀舞』スズハ・カザギリの名の下に誓おう。その子の命は絶対に保証する」

 とある穴だらけのテントの中に、自分は立っている。前は母の背中しか見えないが、周囲の様子を伺う事は出来た。


 生まれてずっと住んでいた村が完全な地獄へ転じた光景を。


 断末魔の叫びと、今まさに命の火が尽きようとしている者の苦鳴。そして、見慣れた建物の全てが完膚無きまでに破壊された景色。

 自分の知っている世界の何もかもが、知らない、そして最悪の形に転じている光景を、地獄と呼ばなければ何と呼ぶのか。

 答えてくれる者のいない問いと、不現状を打破する方法を不可能と理解しながらも必死で模索していると、不意に母が自分の方へ身体ごと向き直った。

 集落の中で唯一耳の尖っていない、だがそれを負い目とせずにいつでも明るく振る舞い、この瞬間も笑顔を浮かべている母は、自分に対してゆっくりと口を開いた。

「……よく聞きなさい。お父さんは、もう亡くなりました。お母さんもすぐにお父さんの所に行かないといけません」

 言っている意味が分からない。父の許に行くのなら、自分も連れて行け。

 恐らくはそんな事を言ったのだろう。それを受けて、母は少しだけ悲しそうな顔をした。


「あなたは連れていけない。あなたは何もしていないのだから。大人が勝手に始めて、そして終わりを迎えようとしている事に、巻き込む訳にはいかない」


 言葉を切って、母は一瞬だけ天を仰いだ。


「今から起きる事は辛い事。でも、この人達を恨んではいけません。この人達が、この戦いをやりたくてやった訳じゃない。お父さん達が決めた事は、全員が賛成していなかったのと同じ事。でも、一度始まってしまった事は、誰かが責任を取らないといけない。お母さんが今からする事は、そういうものなの」

 なら、父の血を直接引いている自分の方が、責任を取る役割には適している筈だ。

 幼く足りない頭でそのような言葉をぶつけると、母は泣きそうな顔に一瞬転じたが、すぐにまたいつも通りの笑みを浮かべた。

「大人のやった事は大人が責任を取らなければいけない。それに貴方には未来がある。……強く生きなさい」


 暫しの間、強く自分を抱きしめた後、再び母は女に向き直る。


「では、どうぞ。……終わらせてください」

「……すまない」

「謝らないで。私達が勝っていれば、貴女達に同じ事をしていたでしょう。それに貴女も国の駒であり、結末へ至る道を変えられる力は無いと理解しています」

 暫し、二者の間に重い沈黙が流れる。

 割って入りたいが、沈黙の中でも放たれ続けている、二人の感情の奔流に気圧されて、自分も、そして戦慣れしている筈の他の兵士も動けない。

「首を国で晒す真似もしない、絶対にだ」


 女が鞘から異刃を引き抜き、ゆっくりと構えて行く。

 配慮のつもりか、周囲にいた男達が目と耳を塞いでくる。

 運命が変わらないのならば、最後まで見届けさせろ。

 そんな感情に基づいて、邪魔な手を払うべく足掻くが、才覚などとは無関係に聳え立つ、大人と子供の差によって、自由の身になる事は叶わない。

 感覚の多くが制限される状況でも、全てを斬り裂く存在の疾駆と、何か重い物体が地面に落ちる鈍い音はハッキリと感じる事が出来た。

 火事場の何とやらか、それとも男達が何らかの理由で力を緩めたのか。拘束を抜け出して、眼前にあるそれを――


                  ◆


 物体が物体にぶつかる音、そして片方が砕けて崩落する音が、無駄に青く晴れ渡った空に響き、近くにいた鳥や獣達が泡を食った風情で逃げ出していく。

 音の発信源たる青い作業着を纏った若い男は、近くにあった自らの胴回りほどの大木に叩き付けた右手を、ゆっくりと引いた。

 どちらかと言えば細身の部類に入る彼の体格で判断すると、このような芸当は不可能に等しいが、彼が何者であるか知っていれば驚きは消える。

 暗灰色の髪に、鈍く光る飴色の瞳。男女問わず、すれ違った者は振り返るであろう整った顔の右目周辺に刻まれた、今ではその意味も刻む方法も彼しか知らぬ刺青。

 そして、片方の耳だけが『シルギ人』の特徴である尖り耳の形状。

 アークス王国四天王『無戦完勝ノーゲーム』ユアン・シェーファーは、不快感を顕わにした表情で周囲を見渡し、そして更に顔を歪める。

 現在彼がいるのは、どう考えてもアークス王国、いやインファリス大陸からも離れた場所だと推測出来てしまう。

 肌に感じる気温や湿度、目に映る極彩色の鳥や、馬鹿げた大きさに成長している昆虫、そして鼻を刺激する潮の香り等の要素からすれば、熱帯に位置する何処かの小島だろうと結論付け、首を振る。

「今日に限って、職務放棄をしていない筈なんだがな」

 ユアンは意識を失うまで、先日遊びに巻き込んだ飲食店の、補修作業を行っていた。それは彼が今、機能性のみを考慮して造られた青いツナギを身に纏っている理由でもある。

 他者による何らかの仕掛けで移動したのなら、どれだけ愚鈍であったとしても気付く筈だが、現実は異なっている事は、何か突発的な現象に巻き込まれたのか。

 疑問を浮かべようと思えば、幾らでも可能となる。

 ――ま、考えるのはここを脱出してからでも遅くないか。

 そう考えながら一歩踏み出した時、耳障りな吠え声と金属音、そして草木が折れる音が届き、発信源が自身を取り囲んでいる事に気付く。

 無言のままで、ユアンの左腕が振られる。

 ただそれだけの動作で、豪風が放たれる。

 周囲の木々が刈り取られ、肉が弾け飛んで地面に落ちる音が響く。突然の闖入者が危険な存在であると認知したのか、先刻の音では臆しなかった豪胆な鳥達も、騒々しい羽音を上げて逃げて行く。

「所詮は雑魚か。くだらねぇな」

 無感動な言葉を吐くユアンの視線の先、へし折られた木々の周囲に、上半身と下半身を両断された獣人が大量に転がされていた。

 他の動物の皮革を繋ぎ合わせた鎧を纏い、骨を削り出して武器とする程に高い知能を持った存在でも、四天王の前には只の的になる冷酷な現実の証明者となった彼らは、すぐに食肉虫に群がられ形を崩していく。

 自然の営みを冷めた目で一瞥し、歩みを再開するユアンだったが、五歩も進まない内に、またしても足を停止させられる。

 再びの、否、獣人如きとは桁違いの気配と圧力を感じ、『魔蝕弓ましょくきゅうケリュートン』を展開。周囲への警戒を最大まで引き上げる。

 空気の動きでアタリを付けたか、ユアンは誰もいない空間へケリュートンを構え、いつの間にか番えていた矢を躊躇なく放つ。

 一切過たず、狙った場所へと突進する矢は、しかし不可視の壁に阻まれて消失。

 気配の大きさから考えれば、この程度は想定内。

 油断なく次の手を練っていくユアンだが、周囲の急激な変化を目の当りにして、その手を止めた。

「おいおい、コイツは何の冗談だ……?」

 塔と形容して良い大きさを持った黒い石版が、空から無数に降り注ぎ、島を覆っていく。これだけでもお伽噺の世界の事象だが、状況の変化は更に続いていく。

 落下が終わるのと同時に、石版から紫電が放たれて光の壁を形成。空が視界から消える。更に紫電は地面にも奔り回り、ユアンの周囲にいた生物を無慈悲に焼き尽くしていく。

 狂騒に対しても心を乱さず、ケリュートンを構え直していたユアンだったが、やがて動作を中断し、虚空に向かって呼びかける。

「『黒曜大天蓋モノピュルゴス』なんぞ使える輩はそうはいない。勿体付けてないで、さっさと出てこい」

「そう? なら、ご要望に応じて颯爽登場と行かせて貰うよ」

 若者の声か老人の声か、そして雌雄どちらなのか。判別が極めて困難な声と共に大地がひび割れ、巨大な生物が姿を表す。

 『竜翼孔ドリュース』を発動して天蓋に当たらない高度へ逃げ、発信源の正体を視認した彼の表情からふざけた物が消え、全身から汗がどっと噴き出す。


 二十五メクトルを超える巨体は、二足歩行型の地竜に酷似している。


 だが、全身を本能的な恐怖を呼び起す程に黒い石柱が彩り、背部の装甲には、ヒトの手で生み出された武具が大量に聳え立っている点で、通常種では、との希望的観測は粉砕される。

 トドメとして、胸部に刻まれた『五柱図録』の一部分を見てしまえば、最早馬鹿でも眼前の存在が何者であるかは分かる。

「『黒甲竜』ギガノテュラス、か」

「ご名答。まあボク様の呼んだ存在だから、ここまで見て気付けない程に愚鈍な訳は無いだろうけどさ。それでも嬉しいね、名を呼ばれるのは」

 嘗て世界を混沌に陥れた『エトランゼ』の一頭が、自らの眼前にいる現実に対して、ユアンは軽い眩暈と疑問を覚える。

「呼んだってなぁ、一体どういう事だ? そして、何故俺を呼んだ?」

「単純なことだよ。ボク様達が目覚めなきゃいけない状況になりつつある。で、軽く身体を動かしておきたいんだけど、そこらの雑兵じゃ只のイジメだからね」

「ヒト一人に負けた奴が随分と偉そうな口叩くんだなぁ」

 嘲弄が含まれた言葉を残して、ユアンの姿が空間から掻き消える。

 『幻光像イラル』を自らの身体に纏って身体を背景に溶け込ませ、熱帯特有の大木を間断なく飛び移りながら、ユアンは相手の巨体を優れた視力を活かして観察し、ある結論を下す。

 ――俺の筋力じゃ、強化していても歴史の再現は不可能。誘われてるんだろうが、やるなら胸部か。

 『竜翼孔ドリュース』で形成された翼を羽ばたかせ、更に『嵐刃ストゥルス』による空気の弾丸を翼から乱発し、発射の反動で一気に加速していく。

 悠然と構えたまま、動く気配を見せない黒甲竜に対し、周辺の木々を切り裂きつつユアンが接近。

 

 胸部に辿り着き、躊躇を見せずに左腕を振り下ろした。

 

 先刻の獣人を輪切りにした『不視凶刃スティージュ』は、ヒトの眼には捉えられない光の刃を放ち、対象をいて融解させる。

 極端に攻撃範囲を絞れば、数百メクトル先まで届く射程と、そこらの鎧なら無意味な存在と変じさせるだけの威力を持っている為、普段はパスカ達に使用を禁じられているが、今この瞬間は例外だと判断を下す。

 独自の矢を魔力で生成し、傷口の類から下手人を特定させない技術と同様、ユアンの得意とする攻撃は――

「すごいすごい。いきなり装甲を削られるとは思わなかったよ」

「……!」

 胸部の皮膚を、ほんの数ミリ削っただけで強制的に停止させられる。


 ユアンは舌打ちをしながら、緩慢な動きで、しかし豪風を纏って振られる黒甲竜の前肢を躱す勢いを利用して後退。

 大木が粉々に粉砕される一撃の、空気の擦過だけで額に傷を作ったユアンが睨む中、黒甲竜は言葉を並べ始める。

「君達ヒト族は、ボク様がハンス・ベルリネッタに負けたという事実だけを捉えて、ボク様がエトランゼ最弱であり、一人で狩れる程度の存在だと認識している。これをどう思っているか、君には分かるかい?」

 更なる圧力が肌を叩くのを感じているユアンには、返答を行う余裕がない。

 しかし、相手の実力を現在進行形で体験しているが故に、ギガノテュラスの主張は理解出来た。

 ドラケルン大勇者たるハンス・ベルリネッタは、ヒト属の域を遥かに超えた化け物であると伝承が残されている。規格外の存在と己を同一に捉えた、力の無い者達が賢し気に語る言葉など、眼前の存在からすれば不愉快でしかない筈だ。


「その身に知るが良い、ボク様の力を!」


 咆哮と共に厖大な魔力が放射。ユアンは為す術もなく吹き飛ばされ、森を突き抜け海上まで転がされる。

 背後で形成され、不気味な唸り声を上げる紫電の壁には接触せず済み、一瞬安堵の溜め息を漏らしたユアンだったが、突如として彼の顔色が蒼白な物に染まり背中の『竜翼孔』が消失。重力に捕捉されて海に墜ちる。

 落ちた場所が浅瀬だった事も幸いし、どうにか立ち上がる。だが、突如として身体が硬直して身動きがとれなくなる。

 何が起こったかについて疑問を抱いたのは一瞬、すぐに仕掛けに気づき、敵が用いた魔術の恐ろしさに戦慄する。


 ――コイツは、まさか!


 ユアンの耳には、大量の絶望、怨嗟、怒り、悲しみ。ありとあらゆる負の感情が混ざった呻き声が、彼の精神を破壊しようと大音量で鳴り響いている。

 更に、腕や足に大量の食人生物が絡み付いて、己の肉を引き千切っている光景と、それに伴う痛みが感覚を搔き乱す。

 どうにか耳を両手で塞いだが、音は鳴り止まず、ユアンが膝を折る。背中の装甲を屹立させ、そこから相手の精神を蝕む魔術を発動しながら、接近してくる黒甲竜の姿が彼の目に映る。

「おぉ、流石は四天王だね。『壊心虚景祭ツェアヘルヴィタ』を受けたら、大抵はすぐに発狂して死んじゃうんだけどなー」

「仮にも軍人だ。精神を攻撃する魔術に対して、訓練と対策はしてんだよ」

「その台詞を吐く奴は沢山いるけど、実践出来る奴は極々少数なんだよね。ま、君も堪えているだけで動けそうもないから、もうお終いかな」

 仕留める為、黒甲竜が魔術を発動すべく口を開き、そこに紫色の光を充填させていく光景を見て、四天王の身体は恐怖で震えだす。

 生命の再生と並んで、エトランゼ共の特権とされる魔術『断罪乃剣アポカリュート』が放たれようとしている。

 地図を書き換えた、等の逸話から考えれ発動後に力尽くで状況を変えられる可能性は皆無。掠っただけでも即死するだろう。

 現在提示されている物と別の道を歩きたいのなら、未だ彼の身体を縛めている『壊心虚景祭』を振り払う必要がある。

 年上の同僚ならば、魔術を使っての対処が可能なのかもしれないが、その選択が不可能であるユアンが採った選択は実に単純、そして暴力的な物だった。

「こんなところで、死ねるかぁッ!」

「なぁっ⁉」

 ギガノテュラスが驚愕の声をあげて、『断罪乃剣アポカリュート』の発動を停止。背中から大量の『鉄射槍ピアース』を放つが、高速で飛翔を開始したユアンは凡てを回避し、ケリュートンの一撃によって消滅させる。


「なぁるほど、一番シンプルな方法で脱出したのか。君、馬鹿そうだけど、頭悪くはないね」

「後付けの感情なんざ、魂に刻まれた物で上書きすれば簡単に消せる。気付くのが遅かったくらいだ」

「その感情が憎しみってのは、少し悲しくなるね……っと!」 

 巨体に似合わぬ超回避でギガノテュラスが後退。

 寸刻後、無数の矢がその場所に雪崩れ込み、島の地面を大きく抉り取る。

 それだけでは終わらせず、両の腕全体に『不視凶刃』を纏い、超低空飛行で突撃を仕掛けるユアンに対し、黒甲竜も同様の仕掛けを行って迎え撃つ。

 長閑な空間を、完膚無きまでに破壊する轟音と共に地面が波打ち、鳥や獣達は逃げ出し、木々が跡形もなく消散していく。

 地力と体勢ではこちらが不利。重々理解している四天王は空いた左手で大地に『奇炎顎インメトン』を撃ち込み、発動によって生まれる反動で一度間隔を開く。


「逃げることを許可した覚えはないよ!」


 『黒曜大天蓋モノピュルゴス』によって顕現した、黒の石版がギガノテュラスの意を汲み、獲物を追って予想外の飛翔。

 不用意に接近してくる石版を『不視凶刃』で斬り捨てながら飛び回るが、やはり紫電によって動ける範囲が制限されているせいで、石版からの攻撃を少しずつではあるが浴び、ユアンの身体に傷が増えて行く。

 飛べるようになったと言えども、行動範囲を縛る紫電による壁は健在である以上、最終的には袋叩きにされるのが必定と、常識の尺度からすれば判断出来る現状。

 にも関わらず、空を舞うユアンは嗤い、彼の右目の周辺に刻まれた刺青も、感情に呼応するように輝き始めていた。

 『鉄射槍』を再び放つ構えを、ギガノテュラスは解く。相手が何らかの大技を仕掛ける事を、元来有する魔力感知器官によって、知ってしまった為だ。

 同時に、派手な破砕音を上げながら石版が小さな黒い破片と化して落ちてくる。


「悪いが、お前と遊んでる暇は無い。終わりにしようぜッ!」


 昂った感情を、無理に抑え込んだ言葉が放たれると同時に、ケリュートンに一本の魔矢が番えられ射出。

 放たれた矢は形を変化させ、激しく瞬きながら巨大な翼を形成。

 矢じりの部位は生物と見紛う、生々しい動きと共に、高らかに咆哮をあげる鷲の頭部へと転生。

 そして竜の物に似た四肢が光の中から伸びあがり、矢の転生は完了する。

 世界でユアンだけが使用可能な魔術『鷲頭竜顕翔破グリューオ・ギウズ』が齎す魔力によって、島の周辺の海が不自然に泡立ち、空が黄金に塗り替えられていく。

 ユアンの手が下ろされ、光の鷲頭竜は唸りを上げながら黒甲竜へ突撃を開始する。

「こりゃぁ少し不味いね!」

 緊張感がまるで欠落した声と共に、ギガノテュラスは迎撃にかかるが、音さえも置き去りにする存在を撃墜出来、かつ即座に発動可能な魔術はなく、相手の間合いへの侵入を許してしまう。

「――――キイイイイイイッ!」

 頭部の生物と同質の甲高い咆哮と共に、周辺の物体を焼き尽くしながら、光の竜がギガノテュラスに喰らい付く。どのような魔術を以てしても傷一つ付けられなかった伝承が残る、黒甲竜の甲殻が白煙を噴き上げき斬られていく。

 対するギガノテュラスも全身に『不落塞光壁フォートバティルス』による防壁を纏い、光の竜を消滅させんと押し返しにかかる。

 黄金と紫、二色の光が周囲の色を蹂躙する。

 弾き合い、明後日の方向へ飛んだ光の欠片だけで、地面が融解して蒸発、大地の構造が書き換えられる。

 島を彩っていた全てを消滅させながら、二色の光は絡み合ったまま、世界を塗り潰さんばかりに膨れ上がっていく。

 次第にギガノテュラスを覆う壁が膨らみ始め、光の竜は徐々に後退を始める。元々の力の差を考えれば当然の状況だと、端からユアンも理解している。

 だが、事実を理解するのと受け入れる事は別の話。

 現在進行形で脳や神経を焼かれていく激痛に、整った顔を歪めながらも己を叱咤し、ユアンはもう一度矢を放つ。

 現在顕現している物と比べると、遥かに不格好で小さなそれは、顕現した瞬間から力を失いながらも黒甲竜の元へと届き、『不落塞光壁』に風穴を開けた。


「あはは、これってボク様ピンチな奴かな!?」


 ふざけきった言葉がユアンの耳に届くより速く、光の竜が風穴へと入り込み、ギガノテュラスの元へと届いた。

 ユアンの感覚を塗り潰す力の奔流による光の柱が雲を穿ち、そして消えていく。


 やがて視界が晴れ、何もないだだっ広い平地に見事な転生を果たした島の上には、ギガノテュラスが悠然と立っていた。

 そしてユアンの方も、口や耳から血を流し、両腕を殆ど消し炭と変えている有様ではあるものの、どうにか立っている。

「いやぁ、やるねぇ君! ここまで追い込まれるとは思わなかったよ!」

「そいつは光栄だ」

「どうする? まだやるかい?」

 無言のまま、残された魔力で消失した両腕を再生し、ユアンはケリュートンをもう一度掲げ―― 


「およっ?」


 背中に背負い直し、ギガノテュラスに背を向けた。


「お前はまだ、力の底を見せちゃいない。そんな奴にギリギリの所まで追い込まれている俺に勝ち目はない。肩慣らしになったと思うんなら、元の場所に帰せ。仕事も残ってるんでな」


 ユアンの意を汲み、ギガノテュラスが巨大な尾を一振りすると、彼の眼前で空間が裂け、「あの×××××野郎何処に行きやがった!」などと物騒な怒号が聞こえてくる、ダート・メアの風景がそこに現れる。

「空間を繋げるのなんざ楽勝ってか、怖いな。エトランゼは」

「世界を跨ぐ事は出来ないけどねー」

 実に流行を抑えた台詞を吐くエトランゼに苦笑しつつ、元の場所へと戻るべく一歩踏み出したユアンに声が飛ぶ。

「君はなかなかに悪くない才覚の持ち主だ。だからこそ言おう、君はその願いを忘れた方が良い。……真実を知る事は出来ても、叶えるところには至らずに死ぬよ」

 第三者がいれば、言葉の意味に首を捻るだろうが、ユアンには全て理解出来た。

 故に彼は表情を歪め、無言でケリュートンを構え、流れるような動作で矢を放つ。

 放たれた矢は強靭な甲殻の前に阻まれ、地面に落ちるが、黒甲竜を黙らせる効果はあった。切り取られた空間へと歩きながら、隠しきれない深い怒りを伴った、ユアンの声が紡がれる。


「十六年前のあの日以来、俺は只、何の意味も無いあの戦いに判を押した奴を殺す為だけに、生きてきた。四天王として選ばれる為に、アークスに入ったのも内部で情報を得る為だ。全てを復讐の為に生きてきた俺が、それを叶えるまで至らずに死ぬ? そんなクソみたいな話はな、お前等エトランゼ共が肯定しようと、俺が否定してやるッ!」


 純粋な怒りと憎しみで満たされた言葉を残して、元いた場所に帰っていったユアンを、ギガノテュラスは見送り嘆息する。

 ――シルギ人の中の少数民族『グナイ族』。……十六年前のアークス王国との戦いにおいて、彼一人を残して絶滅。この戦いが始まった原因は、今もなお不明、だったかな。

 他のエトランゼとの共有記憶領域の中にある知識を掘り出し、覚醒したばかりの黒甲竜は、妙に人間染みた大きな溜め息を吐く。

 ――復讐なんて、何の意味も無いのになぁ。ヒトは無駄に愛やら何やらを語るのに、どうして列に並びたがるんだろうね。

 答えてくれるヒト族がいない問いを宙に投げ、ギガノテュラスは全身の装甲を発光させ、散々破壊した島の修復を始める。

 覚醒した要因である、世界の不穏な動きが大きくならない事を願いながら。



 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る