1 邂逅は労働の中で

「――待ちやがれぇぇぇッ!」

 

 アークス王国首都ハレイドに程近い街、アガンスの裏通り。

 お世辞にも綺麗と言えない路上で、硝煙の臭いと怒号、そして金属同士の激突音が絡み合い、独特の空気を形成していた。

 煉瓦造りの路面を靴底で激しく殴りつけて疾走するは、至る所に継ぎ目が目立つ白のシャツと、黒のカーゴパンツを身に纏った黒髪黒眼の少年。

 少年、いやヒビキ・セラリフは、苛立ちの混じった咆哮と共に対峙する黒尽くめの男達に突進。

「テメぇな――」

「懺悔の言葉だけ聞いてやんよッ!」

 恐らく「何者だ」と問おうとしていた、破落戸ゴロツキの右肩に『蒼異刃そういじんスピカ』の蒼い刀身が閃く。男の血で赤く染まった得物と腕が、肉体から分かたれて地面に落ちる。

 耳障りな悲鳴を上げる男の頭頂部を踏み台に跳躍し、ヒビキはビルの壁に着地。曲芸にも似た行動に、他の敵から驚愕の声が漏れる。

 一気に壁を駆けたい所だったが、身体が重力に従って落下する感覚から、その選択は不可能と判断。

 複数の建物の壁を蹴り不規則に跳ね回って相手を惑わせた後、高位置からの奇襲を仕掛け、二人目の男を長剣諸共斬り捨て、ヒビキは集団の中に飛び込む。

 着地すると同時に、黒服共から一斉に放たれた『鋼縛糸カリューシ』と『牽火球フィレット』を旋回斬撃で破壊し、相手がたじろいだ瞬間を見計らって口を開く。


「あー何だっけ? そうだ、お前等には逮捕状が出てるらしい。大人しく投降しやがれば、ブタ箱行き程度で済む……」

「俺たち『ワルクロ団』を――」


 口上に割り込まれた事への苛立ちも顕わに、ヒビキは懐に突っ込んでいた右腕を一閃。 

 風切り音の後、肉が爆ぜる生々しい音が路地に響く。

 音が消えた時、包囲していた黒服共は出来の悪いからくり人形の風情で、言葉を発しかけていた男の方を向き、彼の口蓋にナイフが突き刺さっている様を目撃する。

 口から血の糸を垂らして男が崩れ落ち、残りの者が凍り付いたのを見計らって、ヒビキは苛立ちが多分に込められた言葉を紡ぐ。


「人の話を聞きやがれ、次は首を斬るぞ。俺は別にアンタらの相手をしたくてヒルベリアからここに来たんじゃない、仕事で来てんだ。てかワルクロって何だよ? ……黒社会なんて因果な商売はやめとけよ。そんなんしてるからこうなった時、大人しく投降が出来なくなるんだ」


 言葉通り、彼の拠点はアークス王国のゴミ捨て場とされているヒルベリアで、ここアガンスまで向かうには、普通の手段を使えばそれなりの時間と金を要する。

 利益と交通費、そして遠方から首を突っ込んで黒社会の連中に睨まれるリスクを天秤にかけると、こんな所まで足を運んでの捕縛など、彼の判断基準なら蹴っている仕事だ。

 では何故ここにいるのか? 答えは実に単純、これは彼の債権者からの依頼なのだ。

 『エトランゼ』の力の残滓、そしてロザリス最強の二人組『ディアブロ』。この三者との死闘を切り抜けはしたが、専門的な医療処置無しでは死に至るところまで追い込まれた。

 医療的処置を施してくれたのが、今回の依頼主にして、色々とややこしい肩書きを持つファビア・ロバンペラであり、彼女の依頼を受けるのにもそこに理由がある。


「利息は付けんし、これからも治療はしてやる。だが払う物は払え。そして働け」

 

 これまでの治療費全額請求という、資本主義社会の中では当然の、ゴミ捨て場に張り付いて小銭稼ぎ程度しか出来ないヒビキには、鬼畜の主張を元に彼女はこまめに仕事を寄越してくる。

 彼女が指定する仕事の場所とヒルベリアの行き来と限定されているが、『転瞬位トラノペイン』を使えるようになる水晶玉を手渡された事で、交通費と時間の言い訳を潰され、他に碌な仕事も無い為に受けているが、正直な所、物騒な仕事ばかりなのであまり受けたくはない。

 そんなことを考えながら、もう一度投降を促す旨の言葉を発しようと息を吸い込んだヒビキだったが、男達の仲間内での会話を耳に捉える。


「おい、コイツもしかして……最近噂のディアブロを倒したって奴じゃないか?」

「あ?」

 

 一人の男が発した言葉で包囲する者達の顔に動揺の色が浮かび、間抜け面を浮かべたヒビキを放ったらかしにして、何やら小声でやり取りを始める。


「マジかよ、あのディアブロをやったのか?」「なら勝ち目ないから逃げよう」「逃げるつっても何処にだよ、そんな奴なら逃げられねぇだろ!」「ってかホントにあんなのがやったのか?」「……」等々、眼前にヒビキがいる事をすっかり忘れたように、ワルクロ団なる組織の者達は話を続け、最終的には


「こんな不景気そうなツラしてて、全然大したこと無さそうなヒョロガリが、そんな大それた事出来る筈がねぇ。皆でやっちまおうぜ!」

 

 との結論に至る。

 一気に威勢を取り戻して武器を向けてくる男達に対し、好き放題に言われて苛立ちが頂点に達したヒビキは、表情を憤怒の色に染めて一度地面を右足の踵で打ち鳴らし、スピカを構える。


「舐めやがってこの×××××! 出来るだけ無傷で引き渡すつもりだったが予定変更だ! お前等全員、手足のどれか一本は覚悟しやがれッ!」


 小物臭さが全開の咆哮と共に、眼前にいた男へと大上段からの斬撃を執行。

 自らの右腕が分裂を果たし、悲鳴を上げる男の顔面を蹴りつけて昏倒させ、その勢いに身を任せて発砲してくる男に向かって突進。全体重をかけた刺突を腹にお見舞いして体勢を崩し、手刀を打ち込んで銃を地面へ叩き落とす。

 

「まだ囲んでるんだッ! 一斉に撃てば殺れるぞ!」


 冷静な誰かさんの言葉に即応して、放たれた『牽火球フィレット』の群れがヒビキを圧殺にかかる。スピカで叩き落とすのもアリだろうが、回転を終えた後の隙を衝かれる可能性が少なからず存在している。

 決を下したヒビキは地面に貼り付いて火球を躱し、低い位置からナイフを三本纏めて投げ放つ。

 狙い通り、彼の視点で正面に立っている三人に突き刺さり、包囲が崩れた事を確かめるよりも速く、ヒビキは跳ね起きて右腕を前方へ翳し、最近習得したばかりの『零下水縛アリーニス』を放つ。

 低位置から放たれた水の糸が男達の足に絡み付いた後、それらが一瞬にして凍結して地面に貼り付く。

 ほぼ全員が煉瓦造りの地面に固定される結果となったが、習得したての上に、実戦初投入であるせいか、完全成功とは行かなかった。

 ある一人に対して放った水の糸が凍結してくれず、逃走を許してしまったのだ。

 

「逃がすかよッ!」

「うおわ!?」


 一人でも逃せば報酬が減る、との危機感によって疾走速度が増幅されたヒビキは、瞬く間に男へと追い付いてスピカを叩きこむ。対する男も、慌てながらではあるが長剣を抜き、弾きにかかる。

 捕縛を免れただけあって、男の動きはかなりの練度を持つ者のそれであり、この瞬間の動きも非常に良い。だが、ディアブロをも打倒したヒビキに効果は――

 

「――ッつ!」

「はぁッ!?」

 

 効果はあった。


 金属同士の激突する音が響いた後、あっさりと力負けしたヒビキは無様に押し返されて、道路へ頭から落ちる。 


 ガツン、と痛々しい音が路地に鳴り響く。


 からくり人形の如き勢いでヒビキは跳ね起き、自らの身体について確認。

 感覚から推測するに、骨に異常は無さそうだが、視界が上から落ちてくる紅い物で覆われつつある。

 加えて、致命傷でなかろうと痛い物は痛いので、身体が痛みに対する恐怖によって勝手に竦みあがる。

 眩む視界、流れ出る出血、それらによって発生する身体からの当然の主張を黙殺して、ヒビキは遠ざかっていく男の背中を睨む。

 ――『魔血人形アンリミテッド・ドール』としての力を使えば……。いや、それじゃ鍛錬にならないんだったな。

 遠ざかっていく相手を速攻で叩き潰す為、楽をする思考が僅かにヒビキの頭の中をよぎるが、同時に彼の教師役となっている元・四天王、クレイトン・ヒンチクリフの「普段の仕事では出来るだけ力を解放するな」との言葉を思い出す。

 力の解放なしの状態で強くなれば、解放時の力の上限も引き上げられる。

 そんな理由から来るクレイの指示を近頃は実行しているが、やはり戦闘が絡む仕事では非力さ故に、苦戦を余儀なくされている。

 だが黒社会に生きる者とはいえ、あの程度の相手に力を使っているようでは、先日対峙したハンナ・アヴェンタドールを始めとする、異次元の存在に追い付くことは一生叶わない。

 彼女に散々見せつけられた、あの規格外の強さを手にできなければ、これから先に対峙するであろう連中相手に立ち回れず、本懐の達成も遠のく事は絶対に揺るがぬ真理なのだ。

 

「片付けてやるよ、解放無しでなッ!」


 甘えに溺れかけた己の思考に喝を入れ、ヒビキはアガンスの街を再び駆ける。


                 ◆


「……っと、この辺りかな?」


 少し時間が後に流れた頃、同じアガンスの一角。

 背中に大きく「国営水道局」と印字されている暗い水色の上着と、ベージュの作業ズボンを身に纏い、上着と同色の帽子を被った黒髪の少女が、手に持ったメモと眼前に広がる景色を見比べながら歩いていた。

 少女の名前はユカリ・オオミネといい、近頃一部の者の間で話題の、異なる世界からの来訪者である。

 異なる世界から来た為、当然彼女にこの世界の戸籍は無い。付け加えると、よりにもよってヒルベリアに辿り着いた彼女が、真っ当な手段でこのような「固い」職に就ける筈もない。

 この二点からの当然の帰結として、彼女の服装はただの変装なのだが、何故にそんな恰好をしているのかについては、ちゃんとした理由がある。


「戦闘に慣れる為の訓練、だっけ。でも、ファビアさんは何で水道局の制服を持ってるんだろう?」

 

 彼女が居候している家の主は、たった今、この街で殺し合いを繰り広げているであろう、ヒビキ・セラリフである。

 彼の背負った莫大な借金の原因の一部が、自分にもあると判断したこと。

 そしてこれから先、元の世界では想像上の住人だった者達と、命のやり取りを行うのがほぼ決定づけられた運命であると考え、少しでも戦いに慣れようとして彼に同行したのだが――


「今の貴様がヒビキと共に前線に出て役に立つ筈がないだろう。……どうしてもと言うのなら、これを着て二人で考えて連携しろ」


 前線への同行は却下され、「ワルクロ団」なる、ユカリの感性からすると色々と壊滅的な名前の組織に対する、様々な公共料金の請求書を手渡される。

 酷い滞納っぷりを露呈している請求書をたたき台にして、ヒビキと喧々諤々の議論を重ねた結果


「とりあえず俺が陽動を仕掛けて実働隊を引き離すから、ユカリは事務所の方を叩いてくれ。いくらイキがってる組織でも、役人が直接請求してきたら、今後の事を考えて扉を開ける筈だからさ」


 との結論に至った。

 アガンスの住民から哀れみと同情の目を向けられながらも、記載されている住所までの経路を聞き出し、明らかに治安のよろしくなさそうな裏通りに、そして組織の事務所と思しき雑居ビルへと辿り着いた。

 手抜きか経費削減の為かビルに自動昇降機エレベーターはなく、奇妙な汚れの目立つ内階段を用いて四階に到達。


「……よし」


 部屋の中には聞こえない程度の声で自分を鼓舞した後、本当の名より遙かにマシだとユカリは感じる、仮の組織名が刻まれたドアをノックする。


「水道局です。クインタナ総合事務所さん、ここ三か月分の水道料金が滞ってますが……」

「げぇッ!」


 短い悲鳴、そして沈黙の後に始まった、ドア越しからでもハッキリと聞こえる喧々諤々の議論を聞きながら、ユカリは腰のホルスターから銃を引き抜き、安全装置を外して身構える。

 やがて「止められるよりはここで払ってしまった方が良い」との結論が出たのか、ドアへと気配が近づいてくるのを感じ、小さく深呼吸して緊張の糸を張る。


「どーも、態々すみませんね。で、いくら――」

「ごめんなさいッ!」


 先手必勝。

 そう言わんばかりの勢いで、ユカリはドアが開かれるのと同時に引き金を引く。

 薬莢が弾け飛び、腕が跳ね上がる。

 銃弾から放たれし魔力によって生まれた『操蔦腕リエナス』の緑の縄が、応対した男の身体に殺到する。


「な!? おい! みんな――」

「――ッ!」


 軽量な体から放たれる体当たりであっても、不意を衝かれればバランスを崩せる。

 

 『操蔦腕』による行動の制限もあるのだろうが、戦闘術の指南をしてくれているヒルベリアの人達の言葉通り、応対した男はあっさりと床に倒れ込む。

 倒れた男に内心で詫びつつ、ユカリは部屋の中へと突入。

 頭の中に叩きこんでいた部屋の間取りと、先程聞こえてきた声の数と方向から考えるに抑えるべきポイントは一つ。

 ――居間、だね。

 事務所と名乗るにはあまりにも殺風景な居間に走り、相手が武器を構えるよりも速く、ユカリは引き金を引いていく。

 黒社会の者と言っても所詮は只の破落戸ゴロツキだからか、魔術の力があまりにも強いのか、はたまた両方が原因か。

 部屋の中にいた六人の男達は、何も出来ずに緑の縄に絡め取られて蔦人形と化し、打ちっぱなしの混凝土床に倒れ伏す。

 狂乱によってブチ撒けられた、書類が宙を舞うのを見つめながら、ユカリは息を吐く。首や鼻の穴など、生命維持に関わる場所には蔦が伸びていない為、このまま放置しておいても大丈夫だろう。


「あー終わってたか。悪い、遅くなって」

「ううん、だい――」


 聞き慣れた声に反応して、振り返ったユカリの口から悲鳴が吐き出され、腰の抜けた彼女はそのまま床にへたり込む。

 相手は彼女が見知った少年、ヒビキ・セラリフだったが、彼の姿が問題だった。

 頭部や左腕から幾本も赤い筋が通り、右足も変な方向を向いており、あちらこちらが破れた白のシャツの大半が赤く染まっている。おまけに頭頂部に剣の切っ先と思しき物体が刺さっている者の姿を見せられては、悲鳴を上げるのは無理もない。


「……致命傷は負ってないからすぐに治る。クレイさんに言われた通り、常識の範疇にいる奴らが相手だから、『魔血人形アンリミテッド・ドール』の力を使わずに戦ったんだけど、増援を呼ばれてさ。それに『零下水縛アリーニス』が途中で溶けて捕まえた筈の連中が逃げ出して……」

「そ、そう……」


 説明自体は理解しても、物騒な絵面は易々と飲み込める物では無い。早鐘のように鳴る胸を抑えつつ、血染めのシャツを脱ぎ捨てて、趣味の悪い模様が刻まれたTシャツ姿になったヒビキに問いかける。


「こ、これからどうするの……?」

「取り敢えずあのおば……先生には連絡した。報酬は後で渡すから、ヒルベリアに帰っとけ、だそうだ。こんな所に長居してても良い事なんか……!」


 不意に、ヒビキが振り返って右腰のスピカに手をかける。

 ユカリもそれに追従するが、彼とは異なり何も気配は感じない。

 ……一体何が? 

 ユカリがそう問う前にヒビキは黙したまま歩き始め、このフロアの中で一つだけ存在する小部屋の扉を開く。


「……」

「……」


 部屋に踏み込んだヒビキが、そしてその後を付いてきたユカリまでも沈黙する。

 ロクに掃除をしていないせいか、異様に埃っぽい部屋の片隅に、麻袋が一つ転がっていた。

 袋の大きさや膨らみ具合から察するに、かなり大きな物が入っている事は間違いないだろうが、麻袋が時折蠢いている点が、中身に対する嫌な予感を掻き立てる。

 ユカリの短いながらも圧倒的に濃いこの世界での経験が、眼前の袋を開けてはならないと警鐘を鳴らしている。

 鳴らしているのだが、中身に関しての予想が当たっていた場合、人道というものに大きく背く結末を呼び寄せかねない。

 ヒビキの表情も、明らかに「これ見なかった事にしてぇなぁ」との意思がありありと伝わってくる物になっている。

 暫しヒビキは瞑目し、ユカリも袋をじっと見つめたまま硬直。その間にも、袋は何やら妙な動きを繰り広げる。

 

「見つけちまったものは仕方がない。……開けるぞ」

「……うん」


 彼が下した結論は、結果としてユカリの抱いた物と同一だったようである。

 観念したように黒髪を軽く掻き、苦渋の表情を浮かべたヒビキは渋々と袋に近づき、左腕を右腰のスピカに伸ばして、蒼の刀身を抜き放つ。


 小さな風切り音がユカリの耳に届く。


 僅かな風の余韻が消えるよりも速く、乱暴な締め方が為された袋の口は小汚い床に落ちた。以前と比べると、眼前の少年の動きは無駄がなくなり、キレが増している。

 表情には出さずに驚いているユカリを他所に、ヒビキが袋の中を覗き込もうとした時、白い手が袋の口からニュッと伸びあがり、彼の頬に触れた。


「……!」

「痛ぇよッ!」


 最初は撫でるだけだったのが、段々「つまむ」動作に移行し、やがて「抓る」動作に移行したところで、ヒビキの硬直が解かれ、袋を強引に引き千切った。

 それによって腕の形状からすればある意味では予想通りの、しかし絶対に当たって欲しくなかった存在の全貌が顕わとなった。


「……おぉ、救世主さまなのですね。……まさか生きている内に見られるとは、人生何があるのか分からないものです」

 

 自分の世界で完結している呑気な言葉を発している少女は、こちらを見て何度も頷いているが、ユカリの側からすれば何がどういう事なのか、さっぱり理解が出来ずにヒビキ共々仲良く硬直する。

 寝ぼけ眼となっているが、強い活力を感じさせる蒼の瞳に、僅かにウェーブのかかった栗色の髪。あちらこちらに汚れと損傷が目立つものの、細部の装飾などから一目見て高級品と分かる、均整のとれた身体を覆うドレス。

 容貌だけでなく、彼女が発している形容し難い、陳腐に表現すると「気」だの「オーラ」だのと言った物は、明らかに凡人のそれとはかけ離れており、ユカリは無意識の内に一歩後退していた。


「……いや、待て。そんな筈はない。……ある筈がない。そうじゃねぇよなぁ!?」


 誰であるのかが掴めていないユカリの目から見ても、只者ではないと理解出来るが、彼女が誰なのか気付いたのであろうヒビキは、身体の硬直を強引に解き、全身を震わせながら少女を指差す。

 固まった一人と、阿呆の如き勢いで喚く一人を交互に見渡して、緊張感をドブに捨ててきたかのような、呑気な笑みを浮かべた少女は、頭を下げて名乗る。


「はじめましてですねぇ。私、アイリス・シルベストロと申します~」


 間延びした名乗りを聞いて、元々良くないヒビキの顔色が更に酷い物と化し、顔を下に落として頭を抱える。そして暫しの沈黙の後に何かが切れたのか、全身を震わせて叫ぶ。


「いやふざけんな! お前なんかと絡んだら、また面倒事に巻き込まれるだろうが! ……こんな現実、あってたまるかぁぁぁぁぁッ!」

「おお、良い声出すんですねぇ」

 

 ピントのズレた声と共に少女、いやアイリスが軽く両の手を打ち鳴らす音と、ヒビキの心の底から発せられる叫びを聞きながら、ユカリは少女の名と、彼女が持つ肩書きを記憶の中から引っ張り出す。

 ――確か……そうだ、大陸で国の中で有名な歌手だったかな。ライラちゃんが好きだってよく言ってたね。……って、歌手が何でこんなところに!?

 何故、そのような人物がこの裏通りに転がされていたのか。

 何故、自分達と邂逅を果たしたのか。

 特異な存在との出会いが、楽しくない結果を提供して来たこれまでを振り返ると、ヒビキだけでなくユカリの方も、これからしばらく、何か碌でもない事象に巻き込まれるのではないかと、不安に駆られずにはいられなかった。 


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