2
ヒルベリア、『レフラクタ特技工房』の一室。
身体のサイズにまるで適合していない長椅子をゆらゆらと揺らし、ライラック・レフラクタ、通称ライラは目の前で項垂れるヒビキに対し、粘り強くコミュニケーションを試みていた。
彼から受け取りを拒否されたチョコレートを齧り、口内に広がる心地よい甘さで、内心の苦味を相殺しながら問うていく。
「纏めると、
死相すら伺えるヒビキの、頭部の僅かな揺れを肯定と判断し、思わず溜息が漏れる。
借金返済の為、ファビアからハレイドとの移動にだけ使える『
が、スピカを奪われる事は予測の外にあり、驚愕するしかなかった。
――最近戦った相手がおかしいだけで、ヒビキちゃんがそこらのトーシロに負ける筈がない。相当な手練れってことになるけど……。
絞り出された証言をかき集めると、乱入してきた少年はユカリと似た外見的特徴、即ち東方系の姿をしていたらしい。
ユカリを東方人と適当にでっち上げて、信じられる程度に存在が認知されているが、アークスで該当の人種は少数。
贔屓目を差し引いても、強さの指標で中堅にいるヒビキを撃破する実力者かつ、少数人種の者なら知れ渡っていて然るべきだが、話に出てきた掏りの反応から、知名度はそれほどないと考えられる。
――世界は広いったって、完全に無名なんてあり得ない。でも、それっぽい情報は全然無いし……。
「強者を倒す」目的でヒビキ目当てに襲来したヴェネーノも、その少年に触れる様子は無かった。
よって、相手の正体特定は現状不可能と結論付け、ライラはもう一つの、そして最大の問題と向き合って苦い顔になる。
奪われた『蒼異刃スピカ』は彼女がこれまで製造、整備に関わった『
他の『転生器』で代用しようにも、匹敵する性能を出せる物が生まれる確率は恐ろしく低い。仮に誕生したとしても、スピカを振るう時と変わらぬ動きを実現させるには、かなりの時間がかかる。
一握りの天才を除いて、代替品の存在しない個性的な武器を持つ者は、それ一つしか握らない理由が、まさしくそこにある。
歌姫騒動の直前から、少しずつ動かしていた世界を跨ぐ方法の調査についても、有力な情報を拾えばヒビキ自身が出向いて調査する予定だったのだろうが、丸腰ではそれも難しくなる。
――私もカタナを作るノウハウがないからなぁ。とりあえず『転生器』の製造ペースを上げてみて……
対応策を模索していると、ヒビキの視線が室内に設置されたモニターに釘付けになっている様にライラは気付き、彼の興味と疑問を満たすべく口を開く。
「それ、町の詰所に繋がってるんだよ。『ディアブロ』が来たりしたから、監視をもっとしっかりやりたいって首都から要望が出て、んで私の家が委託を受けて試作品を作ったんだ。……ヒビキちゃん?」
ライラを一切無視してモニターを睨み、表情が険悪な物に変化していく友人を見て、彼女も彼と同じ物に目を向ける。
部品に廃材をかなり使用しているせいか不鮮明な映像には、詰所を悠然と通り抜ける、不相応に豪奢な服を着た一人の少年が映る。どうにか確認出来る要素の中でも、黒髪程度しか特徴のない凡庸な少年だ。
ヒビキの表情を見るに、これが彼からスピカを奪った者なのだろう。
――でも、本当に何でこんな奴にヒビキちゃんが負けたの?
詰所を抜けていく僅かな時間の観察でも、少年の動きは一般人と大差がないと、同じ立ち位置のライラは即座に理解する。
仮に恐ろしい魔術を習得していたとしても、画面上の動きでは発動させる前にヒビキに倒される。
話と現実の乖離に悩むライラを他所に、ヒビキが無言のまま立ち上がる。
彼の瞳に宿った、激しい怒りで煮凝った光を受けて硬直したライラは、去って行った彼の姿が完全に消えた頃になってようやく、転がるように走り出した。
◆
同時刻、最近建て直されたばかりのヒビキの自宅。
ヒビキが治療の為にファビアの元に向かってから後の事態を、何も知らないユカリ・オオミネは、カラ元気混じりの鼻歌を歌いながら調理場で料理に励んでいた。
と言っても、今日の食事については昨日の残りに少し付け足しをすれば良く、それはもう済んでいる。
彼女が今作っている物は、間食用の保存が利く種のケーキだった。
ヒビキが不在中の買い物で果物類を入手出来なかったので、混ぜる物は人参や胡桃といった物だが、以前作った時のヒビキの反応がとても良かったので、彼が帰ってきた時の為に調理を行っていた。
ロクでもない事象で中断を挟みながらも、家族以外で寝食を共にする時間がもっとも長い存在となったヒビキの家事技能は、時間を費やす余裕が無かった為か低い。
「ヒトが食べられない物を作るのがライラで、ヒトが食べられるけど絶賛する技量じゃないのがヒビキだ」とは、大陸北部に向かったらしい元・四天王の言だ。
だからこそ、人並み程度のユカリの料理で喜んでくれるのだろうが、家事だけをこなす現状に甘える訳にもいかず、調理がひと段落したユカリはアガンスで交流したルーチェ・イャンノーネとストルニー・バスタルドに組まれた、鍛錬メニューが記された紙を取り出す。
見ているだけで、筋肉痛が再びぶり返して、思わずユカリは顔を顰める。
プロ中のプロたる二人が作ってくれた物は、今のユカリの身体を限界まで追い込め、そして戦いに必要な要素が詰め込まれており、これを継続すれば間違いなく一定の所まで行けると確信を抱かせた。
もっとも、これを続けた所でヒビキ達が繰り広げる異次元の戦いに於いて、強力な第三者として盤面に登れる、これまでの経験を覆して敵を打倒出来るなどの傲慢な考えは、ユカリも思ってはいない。
――せめて、足を引っ張らない程度、自分の身は自分で守れるようになれたらなぁ。
小さいながら切実な願いと共に、鍛錬をこなすべく立ち上がったユカリは、外から複数の女性の声が聞こえ、そしてそれ等が接近してきている事実に身を固くする。
人が多数住まう場所から大きく外れ、かつ交友関係が狭いヒビキの家に、これほどまでに多くの女性が来る事は考えにくい。「汚い」「臭い」と扱き下ろすような言葉が混ざっていれば猶更だ。
未だ返却が叶わない『颶風剣ウラグブリッツ』を構えつつ、素人丸出しの戦闘歩法で扉に接近していくが、律儀にドアノックが為された事によって動きが止まる。
怪訝な表情をしながらもドアを開き、そして立っていた人物の姿を認識してユカリの目は真円を描く。
「久しぶりだな。大嶺」
「砂川くん!?」
そこに立っていたのは、身長一・七メートル程の少し痩せ気味の黒髪の少年だった。整っている部類に入る顔に、奇妙なまでの自信が刻まれ、系統としては四天王デイジーのそれに近い華美な衣装には違和感を覚えるが、ユカリはその少年を知っていた。
砂川至は、大嶺ゆかりと同じ高校、同じクラスの生徒であり、彼女と同じくこの世界の存在ではない。
「砂川くん、どうしてここに……?」
「元の世界の基準で言うなら、二週間ぐらい前にいきなりこの世界に引き摺り込まれた。この国の軍に保護されて、今は国の仕事で食っている状態だ」
「へえ、この子がイタル様と同じ世界の……なーんかパッとしませんね」
「なっ……」
進み出てきた、耳の尖った緑髪の少女が放った第一声に絶句していると、周囲の少女達もそれに追従するような声を上げ、何処か薄気味悪い感覚に囚われる。
別段親交の深い間柄ではなかったが、女性を侍らせるような悪趣味な性格だった記憶はない。むしろ目立たないが真っ当な感性を持ち、どのような性格の者ともそれなり以上の付き合いが出来る者、との印象を抱いていた。
記憶と今展開されている現実に困惑するユカリを他所に、誘蛾灯に集う蛾の様に、寄って集る少女達を軽く抑えたイタルが、彼女に向けて進み出る。
「今の俺には大抵の相手に勝てる力と、国内を自由に動き回る事の出来る権限がある。大嶺、俺と一緒に来いよ。元の世界に戻る為の方法を、一緒に探そう」
過剰な自信を内包して放たれた誘いに、ユカリは反応しない。いや出来なかった。
彼女の視線は、同級生の左腰に乱雑に巻き付けられた、蒼の異刃に向けられていた。誰かの血で汚れているが、この世界で生活を共にする者の武器を見間違える筈も無く、イタルがそれを持っている理由が理解出来ずに、恐れで一歩後退する。
「どうした?」
「砂川君、それ……」
「……見つけたッ!」
二者の会話に割り込んできた、抑えきれない昏い怒りが内包された声に、場にいる者全員が振り返る。
視線の先にはユカリの同居人にして、イタルが何故か腰に差しているスピカの本来の持ち主、ヒビキ・セラリフが左眼に蒼光を宿して立っていた。
ユカリが今まで見たことのない、明確な敵意と殺意を眼に湛えたヒビキは、『
瞬く間にイタルとの距離を詰め、右の拳を振り上げた。
「やれやれ。あれだけ制裁を加えたのに、まだ分からないのか。……この服を見ろ」
「……!」
「薄汚いお前でもこれは分かるのか。なら、話は早い!」
「ガッ!」
欠伸混じりに、イタルが自身の衣服を誇示するように動き、服の意味を認識したのか、ヒビキの拳が停止し、逆にイタルからの拳を顔面に受けて地面に崩れ落ちた。
「雑っ魚」「しょうがないよ、イタル様が強すぎるだけだから」「あんな間抜けにはなりたくないわね~」等々、周囲の少女達の侮蔑の言葉を背景音楽にして、ヒビキは一方的に打ちのめされる。
一撃、左肘が粉砕されて上腕と前腕が分離。
一撃、上腕部を起点としてバウンドし、浮き上がった額に固い靴底が刺さり、盛大に血が噴き出す。
一撃、病葉同然に転がり土塗れとなったヒビキの腹部に蹴りが入る。
そのまま踏みつけに移行し、ヒビキは内臓損傷に起因すると思しき喀血で盛大に地面を汚す。
「身の程知らずはこうなる。ハレイドで俺はお前にそう教えた筈だったが――」
踏みつけたままの状態で勝利宣言を行うイタルに、六発の銃弾が殺到。
ヒビキを救えるのなら相手の生死は不問とばかりに、ユカリが放った銃弾はイタルの頭部に向けて飛び、そして不可視の障壁に弾かれて明後日の方向に消える。
見知った者が、全く正当性の無い暴力を淡々と振るう悪夢を前にして、停止していたユカリが執った行動は、一先ず二人を引き離す事には成功した。
肉体的なダメージは皆無だが、僅かな動揺で動きを止めた相手を他所に再装填したユカリは、銃口をイタルに向けた状態で吼える。
「もう帰って! どんな地位を持っていても、私の大事な人に暴力を振るうような人になったのなら、私は砂川君と一緒にいたくない! ……帰ってくれないのなら、砂川君か、周りにいる女の子を撃つ」
理屈は不明にせよ、ヒビキが一方的にやられた相手と激突すれば、万に一つ勝ち目はない。
対象を周囲の女の子にまで拡大させる、ある種卑劣な方法を用いて撤退を促させるユカリの選択は、結果としてイタルが背を向けた事で、辛うじて正解となった。
「こんな奴に固執するお前の考えが理解出来ない。……後悔するなよ」
「後悔なんてしないよ」
冷たい軽侮と、怒りの言葉が交錯したのは一瞬。
同じ世界、しかも同じ学校の同じクラスに所属していた者であれば、本来なら有り得た協力して元の世界に帰還する為の活路を探す道は、この瞬間絶たれた。
去り行くイタルに目もくれず、ユカリは倒れ伏したヒビキを助け起こす。傷はかなり深いが、すぐに再生が始まった為に問題はない筈。
「……ヒビキ、君?」
ない筈なのだが、ヒビキは両肩を上下させて乱れた息を吐き出し、黒の双眸は下に向けられたままユカリを見ようとしない。
「……なのか?」
「え?」
軋り音が生まれるまでに、噛み締められた歯の隙間から吐き出された、蚊の鳴くようなヒビキの声をユカリは拾えず、間抜けな表情と問いを晒すばかり。
遅々とした挙動で立ち上がったヒビキは、口の端から流れる血を乱雑に拭い、ユカリの横を通り抜けて家に入って行く。
「悪い。仕事の話をしに、もう一度ハレイドに向かうわ」
事実なのだろうが、それ以外の成分が多分に籠められた声を絞り出した彼の背中からは、ユカリからの追及を拒む意思が表出していた。
◆
ユカリに拒まれたイタルは、侍っている少女達を一足先にハレイドへ送り返し、ひとりヒルベリアの薄汚れた町を歩む。
彼が身に纏う衣服、アークス国軍の士官以上の者が着用を許される軍服の意味を理解しているのか、住民たちも彼に寄り付こうとはしない。
彼がこれを着られる理由は、ユカリに語った内容で全てだった。この世界に引っ張り込まれ、最初に出会った男に力を貰い受け、彼が残した指針通りに力を振るって瞬く間に軍に取り立てられた。
元の世界では到底得られない富と権力と名声。
これに酔いしれていたイタルが、同じクラスに所属する大嶺ゆかりがこの世界にいると知ったのは、腰に差した刀状の武器をヒビキとかいう少年から奪う直前の事。
内に眠っていた郷愁と好意に押されて会いに行ったが、結果は先の通り。
客観的に考えれば、相手と親しい人間に対して暴力を伴う傲慢な振る舞いを行えば、相手の感情は拒絶に振れる。
元の世界で彼が備えていた理性と常識があれば、当然思い至る真っ当な事実も、圧倒的な力があればどのような振る舞いも肯定されるぬるま湯の環境で、感性が磨滅した今の彼には浮かばない。
代わりに浮上するのはどす黒い感情。
腰に差した異刃を暫し見つめ、己の権限と近頃アークス国内を巡る不穏な噂。
これらを組み合わせ、ある一点に辿り着いたイサカワの顔には笑み。
「これであの男は終わるな。……実に楽しみだ!」
数週間前まで単なる一般人でしかなかった者とは思えぬ、残酷な色を宿した声を空に放って、イタルはヒルベリアから姿を消した。
◆
ギアポリス城地下訓練施設。
本日の使用予約をしていたのはたった一人。丸一日をその一人が借り切っているが、白い床が目を引く空間内にあるのは、宙に浮いた
不意に、宙に浮いた雑誌が小刻みに震動を始める。見る者がいれば怪奇現象と断じるであろう光景は、雑誌が真っ二つに引き裂かれ、そして壁に叩き付けられて終わりを告げる。
「死ぁあねぇええええええッ!」
殺意に満ちた少女の咆哮。硬質な物体が破砕される音。
壁に叩き付けられた雑誌が、二つ纏めて巨大な両手剣に貫かれていた
分厚い刀身の剣を突き立てられては、雑誌としての本懐を果たすのは最早不可能だが、声の主はまだ鬱憤が晴れないのか、桃色の髪が水平状態になる速度で疾走。
射程に入った段階で、両の手に握った曲剣を一振るい。
たった一振りで十を超える斬線を刻まれた雑誌は、紙切れと化して鍛錬場に舞う。
「あぁんの女ッ! 次は、次は、次はぁッ!」
半狂乱の声を撒き散らし、アークス王国四天王『
鍛錬場の床一面が裁断された三文情報誌で埋め尽くされ、デイジーが踊る度に紙切れが舞って疑似的な雪景色を演出していた。
頭の螺子が飛んでいると形容され、負の感情起伏を人前で出さない彼女が、ここまで荒れる理由は、四つの出来事が絡んでいる。
一つ。先日ここに現れた『船頭』カロン・ベルセプトに、同僚のパスカ・バックホルツと共に挑み惨敗を喫した。オマケに、カロンは自分達を「足りない」と評し、乱入してきたユアンを「足りる」とした。
「強い」ことを存在意義とする彼女にとって、その判定はこの上ない屈辱だった。
二つ。その一件がどこから漏れたのか、三文情報誌に抜かれて滑稽な記事を書かれた。敗北は受け入れなければならないと、心の何処かにあった冷静な判断はあっさり砕かれ、見つける度に雑誌を購入し、こうして裁断を行い憂さ晴らしをしている。
三つ。近頃現れたイサカワなる異邦人が軍上層部にいたく気に入られ、通常ならデイジー達に回る仕事を殆ど持っていかれて、戦う機会が著しく減少してしまった。
インファリス大陸に姿を現したヴェネーノの探索と討伐からも、四天王全員が外される事態を予想していた者は、恐らく誰もいないだろう。
彼女達の雇用主である国王は「私の特権は、直接政治に参加せずとも食べていける事、そして君達を選び雇う事だけだよ」と正論を掲げて事態の是正を行うことを拒否した。
そして四つ目は――
「!」
精神の昂ぶりで鋭敏になっている感覚の内、聴覚が上方で展開される見知った者同士の会話を捉え、デイジーは武器や紙片の山を放って、城の地上部に向かう。
道中、錠剤を山のように口に放り込んで噛み砕き、無意味な興奮を排して冷静な思考を行う準備を行っていると、会話が徐々に鮮明な物になっていく。
「アイツを殺す理由が無いだろうが。幾ら雇われている身分とは言え、現状、その仕事は受けられねぇよ」
「何度でも言うけれど、近々理由は出来る。……これは国家にとって必要なことだから、是非君にやって貰いたい」
「なら、まずパスカさんにでもそれを振って、判断して貰ってからにしろ」
会話の内容から判断するに、何やら仕事を受ける受けないの問答をしているようだが、ここまで直截に「殺す」という単語が出たことに対し、歩むデイジーの身体が、冷水を浴びせられたように震える。
「理由ならもうすぐ生まれる。だから問題はない」
「アンタが作るってか? 悪いが――」
「報酬は真実。これでどうだろう」
片方の声が途絶し、その者の内側で何かが変化したと察したデイジーは、会話を行っていると思しき部屋の隣室に転がり込んで息を殺して様子を伺う。
「俺の望む物を、アンタが持っているとでも言うのか?」
「勿論。常識的に考えて、持ち合わせていないのなら交渉の材料にはしない。交渉相手が君達「四天王」であれば尚更、ね。……返事は行動で判断させてもらうよ」
会話はそこで終了した風情で、扉が開く音と共に、片方の気配がデイジーのいる部屋を通り過ぎて、やがて上階へと足音は遠ざかる。
退出した側の気配が完全に消えた頃、デイジーは転がるように廊下に出る。すると、声と会話の内容で予想していた通りの人物も、廊下に出て何処かへ向かおうとしていた。
「デイジーか。診察はもう終わったのか?」
暗灰色の髪を逆立て、猛禽の鋭さを持つ飴色の瞳と誰もが振り返る精悍な美貌を持つ同僚、ユアン・シェーファーと見事に鉢合わせし、デイジーは一瞬硬直。
歴戦の戦士としての冷静さをすぐに取り戻して、同僚を観察すると、日頃着用している軍服ではなく、記録の世界にしまい込まれた暗殺者を想起させる衣服を身に纏っていることに気付く。
「用があんならさっさと言え。どうにも暇じゃなくなったんでな」
「……お仕事、受けるのぉ?」
デイジーが辛うじて絞り出した問いを受け、ユアンの目が大きく見開かれ、逃げ道を探すように一瞬彼の視線が泳ぐ。
同僚の目の動きで、彼の腹が決まっていると悟ったデイジーは、近郊に現れた敵性生物討伐でハレイドを離れているパスカから、ユアンに出会えたら伝えるようにと言われていた事案を投げる。
「あのね、パスカが帰ったらお話をしましょって言ってた」
「そうか」
言葉を受け、ユアンの表情が何処か達観したような物に変わる。
恐らく、パスカの提示した「話」の中身を、彼は理解しているのだろう。
――近頃の退役軍人の殺害。あれは全て、ユアンの手によるものだ。
ハレイドを離れる直前、パスカの家に食事の無心に行った時、彼は呻くようにそう漏らした。
デイジー自身もかなり殺人を犯しているが、一応大義名分を掲げて誤魔化しを成立させていたし、攻撃を仕掛けて来ない限り、一般人に手をかけることは無い。
だがパスカの話が本当なら、眼前の同僚が行ったのは、無力で罪を犯していない国民の殺害。四天王と言えども法律に引っかからない筈もなく、殺した人数で判断すれば、死刑さえも射程に入る。どう足掻いても、四人の関係は崩壊する。
「仕事が終わったら、パスカさんの所に向かうわ。そんじゃ……」
「待って!」
踵を返したユアンの服の裾を、デイジーは無意識の内に掴んでいた。
怪訝そうに振り返ったユアンに対し、何か上手い言葉を発しようと思考を回すが、頭が良くないと腹の底ではきちんと理解している彼女の口からは、間抜けな呼吸音が漏れるばかり。
現体制の四天王が正式に発足したのは、たったの四年前。
最も長い付き合いのパスカでも、五年前、デイジーを救出する為にグレインキーの屋敷に踏み込んできた時からで、絆がどうだと語るには短すぎると指摘を受けるかもしれない。
しかし、デイジーにとってユアンは似た者同士という観点で、彼女からの勝手なものではあるが妙な親近感を抱き、それを周囲が汲み取ってくれたのか、分割しての仕事ではユアンとバディを組む事が多かった。
ユアンがどのような感情を抱き、どんな望みを抱いて生きているのか、デイジーには朧げにしか分からない。仕事の仲間に過剰な情を抱くのはご法度と、初期に受けた訓練でも忠告はされている。
それでも、この言葉を口にしない訳にはいかなかった。
「必ず、必ず帰ってきてねぇ」
「俺はお前とは違って天才だからな。心配しなくても、必ず戻って来るさ」
懇願に対して、いつも通りの軽口と皮肉な笑みで返したユアンは、今度こそ止まることなく歩み、デイジーから離れていく。
遠ざかっていく、引き締まった背中を見る四天王の少女の胸中には、嫌な、そして妙に現実味のある予感が去来する。
ユアン・シェーファーと会話するのはこれが最後ではないだろうか、と。
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