3:最低価格の地獄送り

 他人と関わるという、ごく普通の生活を送るのに必要な行為がジェンジ・エスパロガロは苦手だった。

 異性同性云々の問題ではなく、ただ他人と関わりを持ち続ける事が、何故か幼い頃から好きにも得意にもなれず、二十七を迎えた今でも改善されていない。

「こんにちは。映像、出来てますか?」

 機材に支配されベッドの置くスペースも失せた、狭いアパートのドアが開かれる。

 無精髭を撫でつつ億劫げに振り返ると、彼がやり取りを交わす数少ない人物が立っていた。

「出来てるよ。さっさと持って帰ってくれ。というか、記録媒体なら郵送で送れるから、君も来なくて良いよ」

「生存確認の側面もあるんですよ。ジェンジさんが死んでたりしたら、色々大変ですからね。これ食べます?」

「食べる」


 映像の編集が彼の生業だった。

 

 誰かが撮影した全てが放送されるのが、報道の本来あるべき姿だろうが、生憎真実とやらの需要は低い。

 望むシーン以外を拒む視聴者に広告主、そして国。彼らに不都合な物を全て消し去った、「適切」で違和感のない映像の製作に、彼の仕事は不可欠となっていた。

 持ってきたパスタを肉又フォークに絡め、口に放り込んでいく、短髪にいかにも会社員と主張するスーツ姿の女性、ネリア・デルクールは忙しなく手と目を動かし、合間に言葉を発する。

「端の端でも折角マッセンネに住んでいるのに、こんな狭っ苦しい家に住まなくても良いんじゃないですか?」

「ここなら、君を含めた関係者とのやり取り以外で、会話しなくて済むだろ。後増やした機材は仕事用じゃない。というか、何で差し入れを君が先に食べて……」

「え? じゃあこれ趣味の為なんですか? めっずらしいですね!」

「僕の事を馬鹿にしてない? これはオルーク社の試作品だ。一定以上の魔力に反応して自動で焦点を合わせ、録画が出来るんだ。犯罪にしか使われないから、商品化はされないだろうけど」

「なら無駄なんじゃ……」

「機能を差っ引いても、録画出来る映像のクオリティは高いから、試作したのは無駄ではないと思うよ」


 舌が回り始めた時、録画された映像の存在を示す警笛音が鳴り響いた。ジェンジは鼻歌混じりに記録媒体を取り出して、テレビに差し込んで電源を入れる。


「録画があったのか。時間を無駄にしたけどまぁ良い。一時間前に撮影された映像が丁度ある。折角だ、性能を確認する為に君も見ていくと良い」

「趣味の話なら途端にいきいき……!」

 映像に目を向けたネリアの目が、驚愕で塗り潰された事を訝しむジェンジだったが、彼もまた映像を目にして同じ状態に陥る。

 この場所と同区画に存在する豪邸で、一人の少年が初老の男性を蒼光を放つ武器で何度も身体を斬り穿つ、即ち殺害しようとしている映像が画面上で展開されていた。

 少年は男性が倒れ伏し、命の灯が消えた事を確認して、武器を刺したまま家を出ていった。

 時間軸的に映像は過去であり、加害者が自分たちに気付く筈はないと理解しているが、不吉な物を感じたジェンジがテレビを切り、二人と室内に重い沈黙。

 夢だと思いたいが、持ち主がたった今録画に気付いた映像に、手を加える者などいないと、機材の持ち主たる彼が一番よく分かっている。

「ど、どどどどうするべきだと思う?」

「警察に垂れ込む……のは駄目でしょうね。あの服は軍の上級士官の物ですから、多分握り潰されます。騙し討ちの形で、大々的に発表すれば……」

「じゃ、じゃあ君の所で放送してくれよ!」

「無理ですよ! 上級士官の犯罪なんて、流した瞬間ウチの会社が潰されます!」

 擦り付け合いが一段落し、二人は荒い息を吐きながら互いに見つめ合う。自分達の生命や生活を考えれば破棄が最良の選択だが、良心は止めろと声高に叫ぶ。だがそれらを賭してまで、正義を貫ける度胸は二人には無かった。

 無意味な時間が暫し流れた後、ジェンジは椅子ごと無為に回転し、眉間に指を押し当てながら声を絞り出した。

「もう帰っていいよ。これ、依頼されてたヤツね」

「は?」

「適当に処理しとくから、君はもう忘れると良い。実際、こんなのどうしようもないしね」

「でも……」

「良いから」

 不満と疑問がありありと浮かぶネリアを追い出し、再び椅子に座したジェンジは、もう一度映像を眺め、自分が現実を見ていると再認識して唸る。


 匿名で流すのは無意味。


 かと言って、秀でた容姿も能力も無いジェンジが自爆的公開をしても、秀でた面が皆無の容姿等を『普通の人々』が嘲笑して消費する間に上は逃げ切る。この点は彼も重々理解していた。

 ――血縁も友人もいない僕が、何処に住んで何の仕事をしているかなんて、知っている人は取引先以外いない。でも、白昼堂々殺人が行えるコネと力があるなら、下手をせずとも辿り着く。さて、どうしようか。

 獣声にも似た唸り声を上げ、無力な男は最良の一手を探し続ける。


                   ◆


「オオミネと同じ世界の者が妙な力と権力を獲得し、そいつにオオミネの前で徹底的に痛めつけられた。足りない自分は必要ない存在ではと考えて、仕事を名目に逃げてきたと。阿呆か貴様」

「阿呆で悪いかこの野郎……」

「悪い」

 情けない抗議はにべにもなく切り捨てられ、思わず顔を上げたヒビキの視線の先には、冷めきった調子で書類整理に戻るファビアと、別件でここに来ていたフリーダの苦笑があった。

 暗澹たる精神状態でここを訪れ、尚且つスピカが無い事を問うてきたフリーダに答える形で、つい先ほど起きた事を話していた。

 覚悟はしていたが、やはり人生の先達たるファビアは甘くなかった。

「男と女に内面的な優劣はない。どちらも等しく愚かだ。かと言って、オオミネは単純な暴力の強弱で優劣を測る愚者ではないだろうが」

「そうそう。イサカワって奴が元の世界で顔見知りで、軍から特権を与えられていても、ユカリちゃんは要素で靡くような軽い性格じゃないさ」

 真っ当な取り成しに明快な反応を返さず、冴えない表情で首を捻るばかりのヒビキの様子を見て、彼の友人と年齢不詳の医師は顔を見合わせる。

 もう少し、心の立て直しが成されると踏んでみたが、存外効き目がない

「ここまで湿り気のある男だったか?」

「多分、ユカリちゃんが絡んでるせいかと。ほら、好きな人の前では良いカッコしたくなるって奴です。僕にもそのはありますが、ヒビキの場合それが顕著なんでしょうね」

「なるほど」

 フリーダの指摘に得心が行ったように、ファビアが再び項垂れるヒビキを見つめる。彼女の専門はあくまで外科的処置による身体機能の修復で、精神のケアは性格も絡んで特に不得手としている。

 心療内科が専門の知人に丸投げする選択も浮上したが、異邦人に関する情報の無意味な拡散に繋がると却下し、自力で何とかするべきと思い直す。

 日頃と同じシンプルな選択をしても良いが、現状の相手には効き目があるか微妙な為、ファビアはヒビキの前に腰を下ろして語り掛ける。

「異邦人の気持ちが理解出来ず怖いのは分かる。元の世界で多くの時間を共有していた相手が現れ、そちらに靡くのではと不安になる事もだ。だが、お前は奴と積み上げた日々を、何故安く見る?」

「……はぁ?」

「どれだけ元の世界で繋がりがあろうとも、この世界での信頼はまた別だ。今まで積み重ねた日々は、ただ空間と時間を共有しただけの男との日々より劣ると考えているのか? そうだとすれば、貴様はとっとと腹を斬れ」

 女医の手から解放され、何度か深い呼吸を行ったヒビキは、今一つ言葉の理解が出来ずにフリーダに視線を向ける。

「ユカリちゃんはイサカワって奴と時間や空間を共有していた、そこがヒビキの懸念する点だろ? でも、共有って意味ではヒビキも負けないぐらい濃い時間を過ごしている。だから、ヒビキとそいつで致命的な優劣が付いていると思えない。後は中身だけど、君の話に誇張が入っていなければ、君の方が僕は好きになれるよ」

「奴の内心など誰も分からんが、そこまで軽んじていないだろう。寧ろ、胸を張らず逃げた貴様の情けなさに私は落胆している。普通に振る舞えば、それなりの評価を得られてもおかしくないんだ、貴様はもっと胸を張れ。どうしても懸念が晴れないのなら、自分の口で奴に問え」

 シンプル極まりない解決策と、人によってはそうは受け取らないであろう叱咤を受けたヒビキは、軽く首肯を返して遅々たる動きながらも立ち上がり、二人に背を向けながら右手を掲げて部屋を退出。

 気怠そうに煙草に火を灯し、独特の甘い香りを伴った紫煙を吐き出すファビアに対し、フリーダが笑う。

「随分優しくなりましたね」

「年寄りの仕事は餓鬼の尻を蹴る事だ。策が見えている事象に対し、勝手に袋小路に陥る事程の無駄は無い。丁度、以前の貴様とマルクの関係の様に、な。どうだ、アイツとは上手くいっているのか?」

 ここに来た本来の目的となる、多数の薬品が入れられた包みを受け取ったフリーダは、主題の転換に面食らう。


 が、すぐに微笑を浮かべてファビアの言葉を受け止める。


「悪くないですね。所員の実力は高くて付いていくのがやっとですが、環境的にはありがたい。ベイリスとは……接する機会は少ないですが、それなりに。あちらから切り出されたと言っても雇われている身ですから、現状に特に反発はありませんよ」

「言えるだけ成長している。お前と奴の関係は歌姫騒動の少し前に知ったが、そう思えない状態が継続する事もあり得たからな」

「負の感情は残っていますけれど、拘泥していても前には進めない。……彼の町を守る意思は本物ですから、そこに対する敬意で相殺します」

 多少の強がりが内包された言葉に、ファビアは純粋な感嘆の表情を描き、すぐに引き戻して壁に掛けられた時計を指差す。

「長居し過ぎましたね。ではまた」

「お前もヒビキも、私と再会しないようにしてくれ。毎度毎度重症を負うから疲れる」

 もう一人の来客も追い返し、一人に戻ったファビアは煙草の火を消して、仕事の準備を始める。

 ――ああして成長出来るのは、若い者の特権だな。年を食うと、凝り固まって……。

 老いを自分で肯定してどうすると、童女にしか見えない医師は首を軽く振る。

 動きに呼応するように、部屋の一角に積み上げられていた書類の束が崩壊し、その中の一枚が彼女の手に収まった。

「スズの治療記録か。……もう十六年前か」

 落ちてきた一枚、『無限刀舞センノヤイバ』スズハ・カザギリが『ムラマサ』を解放した戦いを終えた際の診療記録を、闇医者は多少の懐古の情と共に眺める。

 だが、文面を追っていくとそんな物は消え去り、強靭な精神力を有していた四天王が最低の仕事と吐き捨てた、一方的な虐殺が浮かび顔を顰める。

 十六年前、即ち王歴六八八年五の月十日。アムネリス森林地帯で行われた『グナイ族討伐作戦』。

 大義名分を掲げはしたものの、中身があまりにも不味かった為か、学校教科書からは完全に抹殺され、歴史研究も圧力をかけて禁忌としている。

 無論、この作戦に投入されたスズハの記録が、今手に収まったのは単なる偶然に決まっている。

 しかし、現四天王にたった一人の生き残りがいる事実と、近頃の異常事態の頻発が、ファビアに奇妙な予感を抱かせた。


                  ◆


 激励の言葉を彼なりに咀嚼し、帰ってからユカリにどう問うべきか悩みながら、ヒビキはつい先日も訪問したバルトリオ・クェンティンを訪ねるべく、高級住宅街のマッセンネに入っていた。

 靴底から伝わる質の良い煉瓦の感触や、清潔なハレイドの中でもその度合いが群を抜き、塵一つ落ちていない街並みに、初めて足を踏み入れた時は驚嘆の声が漏れたが、二度目となれば慣れ、必然的に意識はファビア達のアドバイスの咀嚼に割くことになる。

 ――直接聞けば良い、か。言われてみればその通りだけど、どう聞けば良いんだろな。ユカリはどう聞いてもちゃんと返してくれそうだけど、あんまり直截なのは不味い。でも俺の頭だと、カッコいい言い回しなんて出来ないしなぁ……。

 思考を整理しようと、無意識の内に左手が右腰に伸びて空を切り、現実を再認識させられたヒビキの表情が沈む。


 二度目の接触でもスピカを取り戻す事は叶わず、今も彼は丸腰のままだった。


 客観的に見て、ユカリの制止が無ければ、彼はヴェネーノ戦同様に殺害されていた可能性が高かった。

 こうして生きている事を喜ぶべきだろうが、長い付き合いの武器を奪われ、すぐ近くにあったのに取り逃した事実は、胸にくる物がある。

 あるのだが、取り戻す手段と権力を持たない現状を打開するのが最優先で、それはなかなか骨の折れる道程だろう。

 ――この仕事をちゃんとやり切って、首都の連中に繋がる可能性を広げないとな。

 何はともあれ、動かねば先はない。悩みながらもヒビキは依頼人の家に辿り着く。

「どーも、ヒビキ・セラリフです。入っていいか?」

 マッセンネに住む者なら、気質的に青筋を立てるであろう、無礼なノックと呼びかけを行い相手からの返答を待つが、数分経っても返事は静寂のみ。

 再訪の時間や日は明示しなかったが「今はあまり外に出ない」の言葉と、以前尋ねた時と同じ時間に訪ねた結果の空振りに、少し怪訝な物を感じる。

 だが、こういう時もあるとすぐに思い直して背を向け――

 慣れ親しんだ力の欠片を感じ取り、ヒビキは足を止めた。


 ――なんで、ここで感じる?


 右腰の鞘は空のままで、イサカワの気配は皆無。

 この二つの事実から、感じる理由が無い筈のそれを感じたヒビキは、ドアノブに手をかけ、そして開錠されている事に嫌な予感を抱きながら邸宅に進入。

 マウンテンでの採集、狩猟時以上の警戒を行わず、以前会話を行った応接間に繋がる扉に手をかけた時、日常から逸脱した血臭を捉え脳内で警鐘が鳴り響く。

 家の周囲に敵意は無い。

 只それだけを拠り所に扉を開き、応接間に踏み込んだヒビキは、双眸が捉えた景色の意味を処理出来ず思考が止まる。

 元高額所得者と説明されても肯定し辛い、質素な家具が配された応接間は、子供の玩具箱のように出鱈目に荒らされ、最早現状回復が不可能と断じられる程に破壊し尽くされていた。

 そして荒れ果てた部屋の中心。夥しい量の血を彩として、初老の男性が倒れ伏していた。

「お、おい、アンタ――」

 言語機能が破壊されたように不自由な言葉を吐きながら、依頼人バルトリオ・クェンティンに駆け寄るヒビキは、傷の検分を終え絶望的な気分に叩き込まれる。

 依頼人の身体には無数の傷が刻まれているが、特に刃物で貫かれた胸部の傷が致命傷となり、とうに落命していた。

 近頃報道機関を賑わせる事件を警戒して、依頼者は声をかけてきた事情から、こうなるリスクは想定していたが、いくら何でも早過ぎやしないか。現実逃避に近い思考を回すヒビキだったが、依頼者の胸部を貫く刃物の全体像を改めて目視し、彼の心胆に雷撃が奔る。

 インファリス大陸では少ない形状の、緩やかに湾曲し、流星の尾に似た刀紋が刻まれた蒼の刀身。自身の握りのクセに適合するように、柄の部分に乱雑に巻き付けられた包帯。

 

 奪われた筈の『蒼異刃スピカ』がここにあり、依頼人の心臓を貫いていた。

 

「なん、でだよ。どうして、お前がここにあって、おっさんを殺してんだよッ!?」

 依頼人の血で刀身が汚れ切ったスピカを、彼自身も汚れる事を厭わずに身体から引き抜き、物から言葉は返ってこないと知りながらも叫ぶ。

 奪われた自分の武器がここにあり、被害者の体を傷付けて死に至らしめた。更に言えばスピカを引き抜く際に、彼の身体も血に濡れ、それを固く握り締めている。

 

 これらの記号が意味する現実を、次の瞬間ヒビキは思い知る事になる。


 物が落ちる音が応接間の入口から生まれて振り返る。

 視線の先に依頼人の親族と思しき中年女性が、蒼白な顔をして立ち、震えながらも腕を掲げ、ヒビキを指さす。彼を見る女性の目には恐怖と侮蔑。

「違う、俺は――」

「人殺し!」

 ヒビキの弁解に先んじて放たれた、状況からすれば当然の叫びは、隣家の者達をこの場に引き寄せるには十分な物だった。

 ――人殺し? 誰が? ……まさか、俺のことか!?

 今まで受けてきた、多種多様な罵倒文句の中にも存在していなかった衝撃的な一言を受け、ヒビキの動きが停止する。

 現実逃避の時間は思いの外長かったようで、意識が現実に向き直った時には、既に近隣住民と思しき男達が、正義感に基づいて彼を捕縛しようと迫っていた。

 ――ここで捕まったら……

 今まで得た情報の断片を繋ぎ合わせ、予測の結果が弾き出される。


「俺から、離れろォおおおおおおおッ!!」


 結果を咀嚼するなり、ヒビキは獣の咆哮を轟かせて男達を弾き飛ばし、クェンティン邸をまろび出る。

 閉所を脱すれば活路が生まれる可能性に縋った行動だったが、世間一般の者がその姿を見て、どう思うかの結果を改めて思い知らされるばかり。

 しかも、血に汚れた姿を多くの者に見せびらかす事になった為に、彼の首を余計に絞める事となった。

 来る筈もない助けを求めて周囲を見渡すと、あくまで善意に基づいて、警察を呼ぶ目的で通信機器を用いる人々の姿が目に飛び込む。

 完全に詰みの状況に追い込まれた事を認識し、ヒビキの意識は途切れた。

「――先生ッ! 助けてくれッ!」

「なっ!? お前一体何をした!?」

 意識が繋がった時、彼はファビアの診療所に転がり込んでいた。

 血塗れのヒトが転がり込む光景を目にしても、平時の調子をすぐに取り戻したファビアは、完全にパニック状態に陥ったヒビキから状況を引き出し、彼の置かれた状況をすぐに理解して天を仰ぐ。

「一応聞く。何故逃げた?」

「俺の出身が何処か知ってんだろッ!? マトモな取り調べなんか行われる訳が無い! それにイサカワの野郎は、最初からずっと手袋越しにスピカに触れていた! こいつを俺以外が持っていたと証明出来ない!」

 『転生器ダスト・マキーナ』は同じ個体が絶対に生まれない。

 更に、所有者の魔力を流し込む事でのみ全ての力が引き出される。他人が振るって極めて旨味が薄い代物なのだ。

 奪い取った側の者が、人前でスピカを振るっていたと証明出来なければ、使用していたのはヒビキと断じられ、癖の問題もあって柄には彼の指紋が大量に付着している。

 傷の形状に合致する凶器と、そこに刻まれた指紋。分かりやすい証拠がこれだけ揃っていれば、警察は当然彼を引っ張っていく。

 生活様式の問題で税金の滞納傾向が強いヒルベリアの者を、無罪にする為に骨を折る者は希少であり、完璧な物的証拠でその希少な者からの援護も潰える。

 拘束、実刑への轍が完成されている最悪の状況。しかも、ハレイドの町を白昼堂々と物騒な姿で駆けた為に、この場所が捕捉されるのは秒読み状態。

 暴れる少年を抑えながら最善手を模索したファビアは、彼に対して背嚢を放り投げて口を開く。

「知人の弁護士を付けてやる。だから貴様はまずヒルベリアに帰って頭を冷やせ」

「弁護士って……」

「物証を抑えられた以上、拘束は避けられん。その先の段階で無罪を証明するしか手がない。嘘や墓穴を掘るような真似をせずに済み、弁護士に客観的な事実だけを話せるよう整理しておけ。証拠探しは私も伝手を頼って可能な限り行う」

 そこまで言ったところで第三者の気配。即ち追跡者達と思しき気配を感じ取り、ヒビキの返事を聞く前に、ファビアはコートの胸ポケットに突っ込まれていた『転瞬位』を発動させる道具を起動させた。

 ヒビキの姿が掻き消え、一人に戻ったファビアは大きく嘆息して白衣を直す。

 ――妙に手際が良い。異邦人が実行犯と仮定しても、ここまで整った流れで小僧を陥れる真似が出来るのか? 誰かの入れ知恵でもなければ……。

 このままハレイドに留まっていては準備が完了する前に終わる。それを防ぐ為に一度ヒビキを、情報伝達が遅いヒルベリアに戻して時間を稼ぐ。

 最善ではないが、最悪の状況を回避出来る手を打った筈だが、妙な胸騒ぎは続く。彼女がその理由を解する時間を待たず、追跡者の気配が更に増した。

 ――今はこちらが先か。……何処まで粘れるかで奴の命運が決まる。ならば気を引き締めていけ。

 部屋に設置された様々な機器を起動させ、博徒の表情を貼り付けたファビアはドアを開く。


                 ◆


 結果的に言えば二人とも見通しが甘かった。ヒルベリアに戻ってきたヒビキはそう痛感する事になる。

 戻された場所は彼の家に非常に近く、ものの五分も走れば辿り着けた。しかし、彼の道を塞ぐ形で、この町の詰所に勤務する者達が武器を掲げて待っていた。

 投降を促すイアンゴ達に対して、ヒビキの答えはスピカの抜刀。

 飲食店で相席し、下らない冗談を飛ばし合う関係だった者達と、絶望的な泥仕合が開始された。

「武器を捨てろ! 今ならまだ間に合う!」

 殺傷ではなく鎮圧を目的として、イアンゴ達が振り下ろしてくる盾を受け止め、一気にまわって弾き返しながらヒビキは怒鳴る。

「冗談じゃねぇッ! 投降なんざ、この状況で出来る筈が無いだろがッ!」

 日頃の指令の殆どが、やろうと思えば可能な即時伝達が為されていない左遷組の彼らに対し、捕縛指令が既に出ている事実で、自身が最悪の状況に置かれているとヒビキは理解する。

 ――おっさんの殺害だけじゃない。最近の元軍人の殺人を全部、俺に被せるつもりか!

 殺人を犯して流れてきた者もヒルベリアに存在し、彼らについて、中央は基本的に放置のスタンスを通してきていた。

 一度この町に転げ落ちた者が、再起など出来る筈もないと常識的な判断に加え、町の秩序を壊す形で暴れようものなら、税金を使うことなく住民の手で始末される。

 無数に存在する前例と迅速な対応が成された現状のズレを、納得行く形で理解するには、自身が合計十七人の元軍人を短期間で殺害した大罪人扱いされていると結論付けるしか、ヒビキには出来なかった。

「――ッ!」

 不規則なリズムで放たれる、暴徒鎮圧用の槍で放たれる四連突きを身体の捻りで躱し、バランスを崩した所を叩くつもりだったのであろう、盾の打撃を血に塗れたスピカで受け流して上に飛ぶ。

 すかさず飛んできた『牽火球』を斬り捨てたヒビキは、良心を端に追いやって一度スピカを納刀し『器ノ再転化マキーナ・リボルネイション』を発動。

 そこから繋がる物が何なのかを知る者が、仲間に退避を促すが遅い。

 捕縛にかかっていた兵達の中心に、無数の水弾が着弾。圧倒的な質量の水によって、ヒルベリアの舗装されていない道は瞬く間に泥濘へ姿を変える。だがこれだけでは、相手には何の効果も及ぼさない。

 ヒビキの手は、この次にあった。

「死にたくなけりゃ、どきやがれええええええええッ!」

 『血晶石』で構成された右腕にありったけの魔力を搔き集め、落下したヒビキは泥濘の地面を全力で打ち鳴らした。


 生まれるのは、超局地的な地震と地面の陥没。


 踏ん張りが効かなくなった地面への対処に気を取られていた兵士達は、泥水を撥ね飛ばしながら陥没の底に引き摺り込まれていく。

「よしっ!」

 ただ一人、自由に動ける存在となったヒビキは、これ以上の戦闘続行は無意味と結論付け、兵士達に背を向けて走り出し――

「な、に……?」

 そして、胸部に破滅的な衝撃を受け身体を折る。

 ファビアから借りた道具が盾になり、体内には進入していないものの、強烈な打撃で胸部の骨を砕く矢の一撃で、明滅するヒビキの視界に亀裂が奔る。

 道具が破壊された事で『転瞬位トラノペイン』の暴発が起きていると気付いた頃には、無駄に美しい燐光が亀裂から漏れ出し、彼の肉体は指先から順に小さな粒子と化して引き摺り込まれていく。

 魔術の失敗・暴発がどんな結果を提示してきたか、書物の類でしか知らなかった最悪の体験の当事者に、ヒビキはなろうとしていた。

 ――こんなところで死ねるか! まだ、俺は……

 思考が維持出来たのはそこまでで、重力に引かれて落ちていく物体のように、一層輝きを強めた燐光の中にヒビキは吸い込まれる。

 光が集束した頃、彼の姿はヒルベリアから消え失せていた。

 一連の流れに、陥没から這い出した兵士達も驚愕するが、その度合いが最も大きかった者が、高度三千メクトル地点のヒルベリア上空に存在していた。

「……外した? いや、確かに当てた筈だ」

 『グナイ族』特有の圧倒的な視力を『鷲眼ペラギゲン』で更に引き上げ、三千メクトル地点から地上の動き回るヒトの心臓部に矢を着弾させる、巧緻極まる芸当を実現したユアン・シェーファーは、複雑な装飾が刻まれた黄金の弓『魔蝕弓ケリュートン』を下ろす。

 彼の美貌には、言葉と同じ疑問が表出していた。

 同時に体内通信の合図が響き、煩わし気に応答。すると、自身の雇用主の声が耳に届く。

「上手くいったかな?」

「恐らく失敗だ。魔力の反応が妙な形で消えた。……恐らく手持ちの道具が暴走したか何かで、アイツは何処かに飛ばされた」

「一度接した相手だから、手加減したのかな?」

「たかが一度の交流で、アンタの命令を拒否するわきゃねぇだろ」

 軽く返しながらも、ユアンは反射的に周囲を見渡し、会話相手の姿を探す。

 雇用主の洞察は半分当たっていた。

 彼の技量なら、ヒビキ・セラリフの全身に矢を撃ち込み、原型を留めぬ肉塊に転生させる事も可能だった。にも拘わらす胸部、即ち心臓だけを狙ったのは、死体を残すことで彼の友人や異邦人に、ヒビキが死んだと正しく認識させ、中途半端な希望を絶つ狙いがあった。

 得られる結果は同じでも、「手加減した」と指摘されても仕方ないと思いながら、ユアンは思考と話の方向を切り替える。

「矢がアイツの肉体に接触していない以上、魔力を辿る形の追跡は無理だ。自力でも追うが、任務を継続させたいなら情報を持ってこい。億が一アイツが他国や別大陸の連中を味方に付ければ、話がややこしくなる」

「了解した」

 通信が切られると同時に、ユアンは瞑目。

 そして、何処かに向けて背の黄金の翼を翻して去った。

「悪いが、俺も一応目的があって動いているんでな。お前が生きているのなら、必ず殺しに行く。……だから、大人しく死んでいてくれるとありがたい」

 ここではない何処かに消えた、少年に宛てた言葉を残して。


                 ◆


 燐光が収まると同時に、重力の戒めを感じてヒビキは地面に転がり、そして未知の感触と、暴力的な熱を受けて跳ね起きた。

「……ぐ、がッ、がは!」

 麻痺しかけた声帯から奇怪な呻き声を絞り出し、立ち上がって周囲を見渡したヒビキの呼吸が、僅かな時間だが途絶する。

 太陽光線が無遠慮に照射され、それを余すことなく吸収する砂の大地。陽炎で揺らめく遠景も同じく砂で形成され、緑の彩は影も形もない。

 海溝に放り込まれて圧死、石の中に転移して生きたまま石化する等の転移事例よりは、一応マシな結果が出た。

 だが、砂漠は知識の中にある範疇でも、アークスやヒルベリアからは遠く離れた場所に位置しており、地図や踏破する為のマトモな装備が無い状況で脱出は不可能。

 無意識の内に身体が震え始めたヒビキの背に、複数の獣声が届く。

 振り返ると、横一直線に伸びた耳が目を引く全長一・五メクトル程の狐の群れの視線が、ヒビキに固定されていた。

 砂漠での生活に適合した彼らは、タンパク質の臨時収入を逃すつもりは一切無い風情で、頭目と思しき個体の唸り声を引き金にヒビキに迫る。

 全滅させなければ、この先も群れは追撃してくる。しかし、ここが何処か分からず食料や水の確保もままならない状況で、全力を出す事は出来ない。

 そして地の利は敵にあり、ヒビキは彼らの手札も地理的特性も知らない。

 負ける為の札だけが完璧に揃っているが、この瞬間の死を回避する為、絶対に勝たねばならない。

 たとえ、勝利の先に希望が無くとも。

「そうかよ。これが俺の運命かよ。―――――ッ!」

 疾走する狐達に対し、ヒビキは壊れた叫びを上げながら、血に塗れたスピカを掲げて迎撃姿勢を執る。

 一握の希望さえも手から離れた彼の顔は、泣きながら笑う異様な物だった。

 

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