幕間 敗者と勝者の選択
ヒビキがユアンとの戦闘を開始した頃、荒野に転生したフィニティスの中で、血溜まりの上で倒れ伏していたヴェネーノの目が遅々たる動きで開かれる。
人形の少年が放った理論を超越した斬撃で心臓を破壊されては、世界最強と言えど死を待つ以外に何も出来ない。寧ろ、ここまで呼吸が続いている事が奇跡の領域で、それも弱まる一方。
死が必定と化したヴェネーノの目が開かれた理由は、彼の視線の先に在った。
「フランベルジュか。……終わらせるつもりなら速くしろ」
「察しが早いのは昔からだな」
「つい先日、他人に説明をしたからな。貴様も聞いていた筈だ」
使い手の髪と相似の焔色、そして白銀と黒の刃、黄金の柄。
これらが奇跡的に組み合わされ、猛る竜の力強さと活力、そして芸術品の美しさを兼ね備えた全長約一・六メクトルの両手剣『独竜剣フランベルジュ』が、闇夜の中で確かな活力を以て浮遊していた。
持ち主の魔力に引き寄せられて移動、そして『忘想剣ルーゲルダ』のように先天的に人格を持つ武器が自我を持ち言葉を交わすケースは、一定数先例がある。
だが後天的に、魔力を取り込み続けた結果自我を持つなど、歴史を遡っても皆無に等しく、生みの親がヴェネーノの言葉を否定した根拠もここにある。
歴史に残る事象、しかし彼自身もまたそのような文脈にいる為か、もしくは肉体の損傷で昂らせる物が残されていない為か。いずれにせよ、特段の変化を見せずに言葉を継いでいく。
「相手が特異点であったとしても、それを見抜けず、また力を引き出す前に倒せなかった時点で、俺は掲げた物を成せる器ではなかった。そして、俺は多くの屍の上に立っている。今更死を恐れはしない」
「これまで積み上げた勝利も、その精神故にだ。お前に使われて誇りに、こうして別れを告げることも寂寥を覚える。だが、これも定めだ」
「冥土の土産に一つ答え合わせをさせろ。貴様も判定程度は出来る筈だ。あの男、ヒビキ・セラリフは逃れられぬ死の鎖に囚われている。……どうだ?」
沈黙が暫し流れた後、魔剣が一度だけ瞬く。
「……お前の見立ては正しい」
本人がいれば、確実に精神が恐慌に陥っていたであろう、衝撃的な言葉が告げられる。当人でないヴェネーノですら、苦痛以外の感情で顔を歪めた言葉は、魔剣によって補足が為されていく。
「あの少年の魔力の流れは何処までも歪だ。後天的に与えられたカルス・セラリフの物以外に、この世界に生きる者全てが持つ魔力に関する回路が存在しない。……簡潔に言えば、肉体の構造はあの少女のそれと全く同じだった」
「となると――」
「邪魔をさせて貰うわ」
荒れ切った大地に転がる死体同然の男と剣、という役者で構成された世界にまるで相応しくない、可憐な少女の声が不意に差し込まれる。声に反応し動いた狂戦士の目が、乱入者「達」の姿を捉えて見開かれる。
神々しい光を放つ白燐で覆われた巨体は三十メクトルを超え、翼が幽かに揺れる、また吐息が漏れるだけで空気中の魔力を搔き乱す程に強い魔力を発するそれは、まさしく伝説上の存在たる『白銀龍』アルベティート。
龍の背後に残る伝説上の生物も並び、『エトランゼ』の五頭が揃い踏みする、精神の弱い者ならそれだけで死に至る光景を見て、ヴェネーノも僅かに硬直。その間に、伝説の生物から意外な提案が放たれた。
「貴方の死は最早確定している。けれども、これほどの力を持つ者がこんな所で死ぬのは惜しい。カラムロックスからの誘いは蹴ったようだけれど、今はどうかしら?」
「恥ずかしい話をすんなら、オレ達もアルベティートとセマルヴェルグ以外はヒト族の姿を取れなくてな。世界平和を保つ為の札として、お前が欲しいんだわ」
客観的な実力差と、彼我の現状を受ければ当然の、しかし強者故の傲慢さを内包したアルベティートとメガセラウスの言葉に、開かれた狂戦士の目に宿る光の趣が変わり、閉じた口内で歯が噛み締められる。
相手の変化に気付き、仲間を制止しようとしたセマルヴェルグの声よりも速く、ギガノテュラスが真剣味を著しく欠いた声を投げる。
「まーアレだね。ボク様達もあんまり気が長くないから、ちゃちゃっと決め……っつぅ!」
呑気な声を、大気を裂く紅の暴風が遮った。
空を駆け抜けた風の実態は炎であり、竜やドラケルン人が吐くそれと同一の物だが、威力が桁違いだった。紅の雫が着地すると同時に、大地に炎が踊り狂う。超高熱によって生じた陽炎で揺れる『エトランゼ』の視線の先で、仕掛けた男が立ち上がりつつあった。
「おいおいおい、冗談だろ?」
魚類故、浮遊する巨大な泡に包まれる形で存在するメガセラウスの呟きが、他の四頭の感情を代弁していた。
ヒビキ・セラリフが放った斬撃で、ヴェネーノは右腕を神経から骨に至るまで完全に破壊された。異刃で裂かれた心臓もまた同じで、尚且つ本人が指摘していた通り、これまで吸収してきた強者共の魔力が、無慈悲に全身を解体しつつあった。
まだ生命が続いている事が怪奇現象であり、攻撃を、しかも『エトランゼ』に向けて放つなど、奇跡やら無謀やらを通り越した形容不可能な暴挙だ。
「フランベルジュよ、力を貸せ」
「ああ構わん。『エトランゼ』と戦えるなど素晴らしい。勝てば、お前は名実共に世界最強となり、命を繋ぐことも出来よう!」
消失した右腕を炎で強引に形成し、その中に魔剣を収めたヴェネーノが、『エトランゼ』達をしかと見据える。
「死を恐れた俺が、提案を呑むと思ったか? 下らんッ!」
「しかし、其方の命が尽きる事は必定と化している。合理的とは……」
「合理的思考とやらがお笑いだと言っている。勝算が低ければ逃げ、従い、そして安全が担保された中で賢者を気取る。これこそ愚者の振る舞いだ。不利だろうと、勝ち目が一切無かろうと戦い、そして勝利する。これこそがヴェネーノ・ディッセリオン・テナリルスの選択だッ!」
五頭の中で最もヒト族の思考を理解するカラムロックスの説得を遮り、狂戦士が暴論を世界に向けて放り投げた。
賢しげに物事を語る者は、一撃を放った先がないヴェネーノの振る舞いを嘲笑するだろう。
そうでない、いわゆる真っ当な常識を持つ者も、肉体を激しく損傷し、自身の中でも勝利の目は万に一つも無いと弾き出した上での選択には、理解を示せない筈だ。
何処まで行っても敗北が確定した中で、一歩踏み出したヴェネーノ。絶望以外存在し得ない状況下で、狂戦士の横顔には、神々しい程の剛毅さと美しさが宿り、迷いなど一片たりとも無かった。
打算を捨て去り、選んだ道を死の間際でも歩む。
道を歩む者ならば誰もが理想に掲げ、されど実現する事は著しく困難な、ヒトとして究極の領域に辿り着いた男は、全身から膨大な活力を放出し距離を詰めていく。
彼が彼であり続け、ヒト族最強の領域に立った理由を目撃した『エトランゼ』達から、戸惑いや迷いの色が消え失せ、闘争の構えを執る。
世界の敵を嘗て担った者達の魔力放射で、大地の炎が急速に失せ、現代の世界の敵たるヴェネーノが吐血し、右腕の構成が乱れる。膝の痙攣を、口内を噛み切って打ち消しながら狂戦士は笑う。
「やはりエトランゼは格が違う。……だが、これこそが俺の求めていた物ッ!」
絶望的状況を心底楽しんでいる様子で、ヴェネーノは流星と化して突進。
第一の標的は白銀龍アルベティート。
他の四頭の攻撃を、死の淵に立つ現実を忘れさせる圧倒的速力で振り切り、仲間からの声を無視して停止する白銀龍を射程に捉えた狂戦士が、己の全てを乗せた斬撃を放つ。
白銀龍が動いたのは、その時だった。
閉じられていた口蓋が開かれ、充填されていた白光が解き放たれる。瞬時に塗り潰されていきながらも、ヴェネーノの動きは止まらない。
「その身に知りなさい」
「知るのは貴様達だッ!」
理解をどこまでも拒む強大な力の激突に、世界から音が消えた。
徹底的な破壊が為されたばかりのフィニティス跡地で、聴き手の存在しない御伽噺が幕を開ける。
◆
あまりにも情けない思いが、少年の内部を埋め尽くしていた。
華美な軍服を砂泥で汚し、顔に細かな傷を作ったイタル・イサカワは、迷い子の如き覚束ない足取りで、ヒルベリア近辺を歩む。
ヴェネーノが生み出した暴風を受け、フィニティスを追放された彼は、只漫然と足を動かしているだけの状態に成り果てていた。
不意に足が脱力し、冗談のように平穏な面持ちの草原にへたり込む。鼻腔に流れ込む草の臭いが、やけに不快感を引き出してくる。
「……クソッ!」
地面を殴りつけても、痛みも手応えもない虚無が返ってくるばかり。
彼が、無論しでかした事を取り返すにはまるで足りはしないが、一定の罪滅ぼしをする機会は狂戦士の横槍で消えた。
しかし、問題はそこではない。仮にヴェネーノがあの場に現れなかったとしても、成す事は不可能だったと、他の誰よりイタル自身が理解していた。
――順序が逆だが、出向いてくれたなら幸いだ。今ここでテメェも倒す!
奸計に嵌り社会的立ち位置を徹底的に汚損された少年、ヒビキ・セラリフの目には、瞬きの間に殺害される光景をイタルが幻視する程の、一切の遠慮会釈なき怒りが満ちていた。
与えられた力を考えれば、敗北などあり得ない筈なのに、そんな幻視をしたとは即ち、とっくに心は折れている証明だろう。
暗所で揺れる草に視線を落とし、溜息が零れる。
「なんで俺、楽な方に行ったのかなぁ」
この世界に降り立った際の初動は、今考えると過ち以外の何物でもなかった。
借り物の力に溺れ、暴虐を振るう選択は何処にも正当性を見出だせず、ましてや相手の武器を奪い取って罪を被せるなど最低の悪手だ。その後の行動については、最早検討の余地が存在しない。
元の世界の、しかも極めて近い所にいた存在との絶対の断絶は、帰還を果たせても埋まるかどうかは極めて怪しい。
元の世界では年齢故に制限が多く、まるで生け簀のような環境だったものの、それなりの立ち位置を確保し、誰からもそれなりの評価を得ていた。しかし、あくまでそれなりであって幾らでも上がいた。
年相応の小さな欲は、実現させる力と徹底的に称賛される環境が揃って瞬く間に悪性の肥大化を始め、取返しのつかない所まで彼を踏み込ませた。
作りの良い軍服に皺が刻まれるまで、イタルは自身の上腕部を強く握りしめる。自業自得と言い切ることも全く以て正しい、しかし凡人が同状況に浸かれば、の問いに明快な回答を出せる者はどれだけいるだろうか。
後悔と『ああしておけば』の回想が、彼の頭を巡り、今更どうするんだという現実の打撃による消滅が、何度も繰り返される。
称賛による慰めをくれる者は、都市部に戻れば一山幾らでいる。だが彼女たちはそれ以上踏み込んではくれないし、イタルも望まなかった。
力だけに引き寄せられてきた存在に、自身の持つ悩みを赤裸々に打ち明ける意味はないと、弛緩しきった精神でも理解出来てしまっていた為だ。
生温い風が草原を何度も吹き抜ける。
孤独に時間の浪費を続けたイタルは、やがてゆらりと立ち上がる。彼の目には、正気を失した事が明白なギラついた光が宿っていた。
「……そうだよな。俺はもう只の人殺しの屑だ。元の世界に帰る資格は、もうないんだよな」
熱に浮かされた呟きと共に、異邦人の少年は再び歩む。
彼の選択を知る者は、冷酷なまでに表情を変えない、夜の黒だけだった。
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