17

 黄金の矢が断続的にコラトルの大地に突き刺さる。

 雷属性の魔術が飛び交っていると、常人なら判断する光の雨はその実『不視凶刃』の乱射に依る物で、発動者は特段の策を持たずに放ち続けている状況。

 使い手がユアン・シェーファーである一点が、受け手側のヒビキに極大の恐怖と焦りを引き起こしているのだが。

「次は心臓に当てるぞ~」

 疲労を隠す為か異様に軽い声を受け、ヒビキは顔を引き攣らせ性急な動きで反転。靴底が土を噛む感触が届くより速く襲来した矢を、スピカを薙いで凌ぐ。

 甲高い金属音に耳を犯されながら、飛来が止まった瞬間再度走り出す。

 ヴェネーノ戦で光の世界に到達したが、現状そこに常時留まる事は叶わない。今はヒビキより『不死凶刃スティージュ』の方が速い。こうして踏み留まっていられるのは、彼が先手を打ち続けて相手に生じる一拍の遅れがあるからだ。

 ユアンの異名は『無戦完勝ノーゲーム

 優れた感覚器官と業物ケリュートンを組み合わせて、超遠距離から一方的に相手を打倒する。交戦状態に移らせぬまま勝利する事から来ていると、攻撃を受け続けたヒビキは本能で理解した。


 卑怯だ。


 罵りたい所だが、自身が敵に接近してスピカを振るって戦うように、秀でた側面を伏せて戦う輩は存在しない。そして罵っても何も状況は好転しない故、黙したままヒビキは打開策を探す。

 急停止と同時に土を蹴って跳躍。眼下の大地を光の矢が灼く光景を見ながら空中で旋回。殺到する矢を弾き落としていくが、凌ぎきれなかった一本が右太腿に刺さる。

「……ぐッ!」

 短い苦鳴を上げ、削がれた肉と共に落ちたヒビキは、着地と同時に蒼刃を翻す。右から左に流れる刀身に、無数の矢が激突し火花が眼前で弾ける様を受け、額に汗が伝う。

 大技を打たずに『不死凶刃スティージュ』のみで攻めてくる点から、ハンナとの戦闘でユアンは消耗しているのは確か。接近戦に持ち込めば勝ち目は見えなくもない。あくまで可能性の話であって、現実はまた別の話なのだが。

「相手がんなヘマをする訳もない、か!」

 唐突に膝を折り、地面を這いつくばって前進。無様に叫びながらも、ヒビキは死にい物狂いで最善手を探す。

 新月の今日、そして街灯の類が存在しないこの場所で、未だユアンの姿を捉えられていない。『魔血人形』の力を使えば、恐らく左目で捕捉出来るが、その前に相手からの攻撃が更に激化すると先刻身を以て経験した。

 対するユアンは、ヒビキの位置を正確に掴んだ射撃を行い、スピカを用いて弾いた瞬間、一気に放つ量を増大させている。一度なら偶然だが、流れが続けば結論は簡単に出せる。

 ――これだけ微細な変化も見逃さない器に、技術と魔力があれば、俺を狙い撃つなんて簡単に出来る。……最悪の相手だ。

 仕掛けの完全な理解と同時に、殺意の襲来を察して蛙に酷似した動作で跳ねる。そのまま転がって周囲を見渡し、そこである物を視認する。

 ――開けた場所じゃじり貧だ。……賭けるしか、ない!

 立ち上がり、早鐘のように鳴る心音を聞きながら走るヒビキの目に『マハマハン』の看板が掲げられた、店舗兼住居と思しき建造物が映る。

 扉を蹴り破り屋内に飛び込む。追撃で壁に掛けられた調理器具の類が爆散する音を背で聞きながら一息に階段を駆け上がり、引き攣った蒼白な面持ちの家主と対面を果たす。

「お、お前――」

「死にたくなけりゃさっさと出て行け!」

 手前勝手な暴論で抗議に応える間にも、ユアンの攻撃が突き刺さって建物全体が震動。寝間着姿の家主は転がるように逃げていく。

 見送ったヒビキは、寝室の壁に凭れかかって長い息を吐き、一点に目を向けて顔を歪める。

 飛び込む時に掠めた『不死凶刃』で腹部の肉が抉られ、床を赤く汚していた。戦っている時は脳内物質の過剰分泌で感じなかったが、激しい動きが中断されて現実を俯瞰するなり痛みが襲い、先とは趣の違う汗が滲む。

 落ちてくる一枚の紙を反射で掴み、中身が己の手配書と解し苦笑が浮かぶ。

「俺、こんなに男前じゃねぇよ」

 馬鹿な台詞を吐きながらも、痛みに侵される思考で勝ち筋を模索する。

 奏でられる激突音によって、建物は断続的に震動しているが、外壁諸共撃ち抜くには至らない。四天王にしては弱い威力から、相手が消耗しているとの確信を更に強めたが、それだけでは足りないのは当然承知。

 一撃では不可能でも、一般的な建造物ならば、攻撃を受け続けるといずれ崩壊する。回復が中途半端な今、下敷きになれば当然死ぬ。しかし、飛び出せば一呼吸で蜂の巣にされる。


 あの男を人質にしておけば。

 

 立て籠もりも、死神の刃を数ミリ遠ざけるだけに留まった焦りから、脳裏を掠めた卑劣な後悔を、首を振って即座に掻き消す。

 ユカリや自分を見たい。

 それだけで手の込んだ悪ふざけを展開した男に、常識の尺度を用いるのは極めて悪手。加えて、敵意なき民間人を人質に取ってしまえば、そこで自分は異邦人と再会する資格を喪うと本能的に理解していたのだ。

 ユアンも属する『シルギ人』は、森林を主たる居住地とする為か、感覚器官と身体能力が最多種ヒュマより高い。そこに、態々アークスが絶滅させにかかった事実を組み合わせると、学術的知識が殆どないヒビキでも『グナイ族』とやらの能力は突出していると分かるし、ここまでで散々体感した。

 手で傷口を抑え、ヌルリとした感触に顔を歪めながら、沈黙した空間で不変の事実を反復すると共に打開策を探す。策とも言えない稚拙な思い付きが、脳内で生まれては消えていく。

 ――ここで止まるな! 止まる事は緩慢な自殺だ、ヒビキ・セラリフ!

 暗転しかけた思考と視界を、首を振って再起動させ立ち上がる。意味を持ちそうな思い付きを実行すべくヒビキが動き、そして乾いた音が彼の耳に届く。

 この瞬間、彼は大きな見落としをしていた。

 音が止まったとは即ち、敵が『不視凶刃』の発動を停止したという事。しかし、彼我の余力差から望む方向に転じたとは考え難く、敵が翻意した可能性もまた然り。

 正解はたった一つ。ユアンはヒビキが停滞している間に決断を下していたのだ。


 音に釣られて動いた目に映るは、表面に奇妙な凹凸が目立つ球体。


 ――手榴弾か! 

 留め金は既に抜かれている。屋外へ蹴り飛ばす策は使えない。

 意味不明な獣声を発しながら、半狂乱で後ろに跳び、距離を取って伏せようとした刹那。視界が臙脂色に、聴覚が爆音で染まる。

 ブチ撒けられた爆風と炎が全身を襲う。「ゴボッ」と醜い叫びと共に吐き出されたどす黒い汚液で胸部を汚しながら、ヒビキは天井や床に、縦横無尽に叩きつけられて全身を出鱈目に揺さぶられる。

 室内を出鱈目に破壊したエネルギーが終息した頃、床に転がるヒビキの視界に影が差す。

「よく頑張ったと俺個人は思う。けどま、相手が悪かったな」

 追撃者、ユアン・シェーファーの表情には、日頃の彼を知る者なら仰天するであろう、相手に対する掛け値なしの敬意があった。

「幸運はあれど、知らない土地に放り出されながらもインファリス大陸に戻り、『生ける戦争』を打倒した。間違いなくお前の精神は俺より強い」

 ユアンの声を、爆炎で全身を焼き焦がされた上、そこに一般的な剣と同じ大きさの破片を幾本も受けたヒビキは、喘ぎを漏らしながら聞いていた。

 頼みのスピカは手の届かない天井に刺さり、超高速移動を行う体力は残されておらず、武器は予備のナイフ一本。これ一つで四天王に挑むのは只の自殺だ。

 状況を理解した為か、目を閉じて黙りこくるヒビキを他所に、ユアンは腰から刀身が異様に湾曲した剣を抜き、相手の心臓にその切っ先を向ける。

「お前に対する感情だけで考えるなら、殺したくはない。だが、俺にもやるべきことがあってな。悪いが死んでくれ」

 ギラつく刃を、ユアンは迷いなく振り下ろす。

 正確無比な動作で下ろされた右手は、狙いを一切過たず人形の少年に刃を届かせんと迫る。


 ――そして、蒼の光が炸裂した。


「がああああああああああああああああああああああッ!」


 先刻までの余裕が皆目消え去った咆哮と共に、ユアンが右手から剣を取り落とし、己の顔に手を当てる。飴色の瞳を白く濁らせた彼は、先刻まで達成に手をかけていた目的を忘れたように立ち往生する。

「ヒビキ、テメエ何処でそんな絡め手を……!」

「……ハンナからだよ」

 喚くユアンを他所に、死に極限まで近づいたヒビキが遅々とした動きで立ち上がりながら回答を返す。『血晶石』等で構成された彼の右腕には、閃光の名残のような瞬きがあった。

 インファリスへの道中ハンナから教えられた技には、ヴェネーノに放った外道の拳打の他にも、超初歩的な物と彼女が指摘する低位の魔術もあった。

 『梟眼イブーゲン』や『猟狼覚オドプス』を始めとした、感覚器官の強化の他に、『月燈火』なる物もあった。

 敵の視覚を潰す事を目的とした『壊照光ルメーシュ』を習得出来なかった彼は、下位互換に該当し、暗所の灯りに一般人も用いる『月燈火ルティーナ』を一応扱えるようになった。

 『魔血人形』の力で増幅しても所詮低位魔術。『壊照光』には及ばず、通常のヒト相手ならすぐに視力を取り戻す。だがヒビキの今の相手は、超強力な感覚器官を持つユアンだ。

 暗所に住まう生物と同じ機能を持つのならば、幽かな光を増幅させ捉える機能も持っている筈。しかも、これまでの動きから判断すれば機能は恐ろしく高い。となると、ヒビキの右目が眩む程度の光量であっても、暫し完全に視界を奪い取るに足りるのだ。

 スピカを取りに行く隙も無かったが故に、低位魔術で打ち出した賭けは当たった。だが、まだ決着ではない。

 ここで放置して逃げれば追ってくる。残存する体力では追撃を受けた時に凌ぎ切れるかの問いは思考の余地なく否。

「終わりにしようぜ、ユアン・シェーファー!」

 血溜まりを蹴り、獅子吼を上げて距離を詰めたヒビキは、動く事で更に深く開いていく身体の傷を無視して右腕を引き絞り、撃発。

 肩口の接合部が軋みを上げる直拳は、巻き起こす風で周囲の破片を吹き飛ばし一直線にユアンへ向かい――

「なっ!?」

 そして、視力を一時喪失しているとは思えぬ機敏な動きで回避される。

 空振りに伴う隙を衝き、回避時の旋回を転用した回し蹴りが迫る。咄嗟に右腕で受け、接触点から轟音と火花が散り、両者は単純な力による押し合いへ移行。

 膠着を嫌って更に踏み込もうとした刹那、後退するユアンから出鱈目に放たれた『嵐刃』を浴び、傷口から肉が舞い踊る。

 たたらを踏み仕切り直しを強いられたヒビキは、四天王が何故視力を喪失しながらも攻撃に対応可能なのかをすぐ理解し、背部に冷水を流し込まれた錯覚を覚える。

 目を潰されたユアンにも鼻の機能は残っている。部屋中に散乱した血の匂いを記憶し、発信源を捉えて動いている。

 理屈は分かるが、ヒビキの動きも粗削りな上に、疲弊が明白ながらもそこらの戦士を一蹴可能な物。匂いのみで捕捉して対応するユアンが、異常に過ぎるのだ。

 相手が視界を取り戻すのは近い。そうなれば勝ち目は完全に潰える。スピカも飛び道具も無い。あるのはナイフ一本。

 ――なら、打てる手はこれだ!

 決断と蛮行は同時に為された。


 右手に握ったナイフで、ヒビキは己の左腕を斬り落とす。


 敵から受ける攻撃とはまた別種の激痛が、彼の全身を駆け巡る。

 平時であれば、否、この瞬間でも敗退行為としか映らない。蛮行を選択したヒビキは、重力の定めに従い落ち行く左腕をユアンの顔面に向けて蹴り飛ばす。

 この程度の飛び道具は、四天王にかかれば一瞬で撃ち落とされる。しかし、撃墜の為に動いた事で生じる、一瞬の隙を衝き、ヒビキは懐に潜り込んでいた。

 左腕を解体した際に、そして切断面から盛大に噴き出る血が、ユアンの身を汚す。狙いに気付き美貌が歪むが、対処するには何もかもが遅すぎた。

「俺は、お前を殺して先に行かなきゃならねぇんだよ! 大人しく殺されろ!」

「先に行きたいのは俺も同じだ!」

「お前と俺の決意の価値は違う、お前なんぞに俺が負ける筈がねぇんだよッ!」

「価値と結果は一致しない。四天王として、無数の敗者を見てきたアンタなら、それは分かってる筈だッ!」

「賢しげに俺を語るなぁッ!」

 死体同然の者と目と鼻を潰された者に作り出されていると、到底思えぬ舞踊にも似た格闘戦が、廃屋同然と化した住居で繰り広げられる。

 飛んでくる膝を躱し、跳ね上がったヒビキの掌底が美丈夫の顎を強かに捉え、長身が揺らぐ。ダメージを受けながらも攻めを崩さない四天王が、振り子運動の要領で落とす、握り固められた両手の接近に、反射的に横に転がって逃げる。

 床に修復不可能な傷を刻み、建物全てを激震させる一撃への驚愕と、被弾は落命に直結する事実への恐れは確かに在る。詳細を知らないが、動きと纏う物でユアンの抱える物が自分より遥かに大きいと伝わってくる。


 だが、この瞬間重要なのは客観的な基準ではない。


 ――誰かの値付けした「価値」で決めるな。この瞬間、俺の「感情」が勝ちたいと思うなら、それを叶える事が俺の「正しさ」だ!

 着弾からそのまま振り回された、低位置の拳打を上に跳ね回避。縦回転から繋ぐ踵落としは、交差した腕で防がれるが、即断でナイフを投擲。回避を選んだユアンとの距離を、降り立ったヒビキは一気に詰める。

「ッけえええええええ!」

 よたつく身体を叱咤しながら放つ、渾身の体当たり。

 技巧も何もない、ある意味この場に最も相応しい攻撃を腹部に受け、呼吸の漏出で生じる音を溢し、易々と後方に吹き飛んだ四天王が壁に激突。

 石造りの壁を深く陥没させる一撃を受けて動きが止まる相手に向け、右腕を引き絞りながら走るヒビキに映るのは、発条の如く性急な動きで、自身と全く同じ選択を下した四天王の姿。 

 散々目撃した彼我の実力差から視る予測は敗北を示す。

 当たり前の事実から繋がる未来の幻視への恐れはある。

 それでも、ヒビキの動きは乱れない。


 相手が拳を放ったと認識した刹那、蒼く輝く拳を放つ。


 互いが互いを刈り取る為に放った一撃。疲弊はあれど、残存体力等を勘案すれば四天王が絶対に勝つ局面。

 しかし、人形の少年が駆動させる右腕は人工物。魔力さえ尽きなければ、使い手の疲弊を無視した速力で動いてくれる。故に、この局面ではヒビキの方が絶対に速い。

 この事実によって決定付けられた敗北を受け、目を見開いたユアンの顔面に、蒼の拳が吸い込まれた。


                     ◆


 制御機構が破壊されたように視界はブレ、頭は鈍痛を訴え、人工物と生体部分の接合部からは物悲しい鳴き声が漏れ、口から血と黒い汚液が延々と零れ落ちる。

 酸鼻極まるグロテスクな姿で立つヒビキは、外界と繋がった壁の前で転がるユアンに向け、一歩踏み出す。

「……俺の負けだ。さっさと殺せや」 

 鼻を始めとして、顔面の骨が幾本も砕けた為か、激しく歪んだ顔面で笑うユアンに対し、衝撃で落ちてきたスピカを握ったヒビキは右腕を掲げ――


 そして、彼は蒼の異刃を鞘に納めた。


「アンタに三つ借りがある。一度目はボブルスの、二度目は『正義の味方』の騒動、三つ目は今回の一連の流れだ。今の戦いで返せた借りは一つ。……俺が今アンタを殺す資格はねぇよ」

「前二つはともかく、三つ目はおかしい。お前をアトラルカに放り込んだのは俺が原因だし、それだってお前を殺す為に――」

「けれど、ユカリを殺そうとしなかった。そうすれば、俺の心は簡単に折れたのにも関わらず、な」

 それが一番大きいよと小さく笑うヒビキを、ユアンは呆気に取られたように暫し見つめていたが、やがて場違いな大音声で笑う。

「そりゃそうだろ、異世界女は今回対象外だ。任務や俺個人の目的どちらに於いてもな。どんなゴミ屑にも流儀ってモンはあるんだよ」

「アンタの抱えている物は、俺なんかより遥かにデカい。捨ててもおかしくなかった流儀を守ってくれただけで十分だ」

 揺らぐヒビキの視界に、ユアンが煩げに手を払う仕草が映る。

「甘っちょろい話はもう沢山だ……行けよ。異世界女も足掻いているだろうが、幸せな終幕はお前が戻らねぇと出来ねぇだろうよ」

「……完調な時、もう一度やろうぜ」

 返答を待たずにヒビキは穴から飛び降り、そして派手に着地失敗した後、ヒルベリアの方角へ去っていく。

 独り残された敗北者、即ちユアンは反動を付けて立ち上がり、ようやく取り戻し始めた視覚で人形の少年が消えた方角を見つめ、そして邪念の消えた笑みを浮かべる。

「青き年頃の恋は病熱って言うが、あぁもド直球だと見守りたくなるな。まぁ精々頑張って異世界女にキチンと伝えな。俺みたくなる前に、な」

 敗北を喫した為に、手に入れたかった物は彼の手から擦り抜けた。失敗者には死、とまではいかずとも何らかの罰は受けるだろう。それは覚悟している。

 ただ、最底辺に堕とされて尚、進み続けた愚直な少年の姿を見て、只罰を受けるのもおかしな話だと思い直したユアンは草原に背を向け、一歩踏み出す。


 刹那、突如後退した彼の眼前で半壊状態の寝台が突如爆発した。


「……!」

「残念だけれど、君が描いた行動を承服は出来ないわ」

 廃屋と化した住居の中。

 暗闇を割って現れたのは、戦士とは到底思えぬ長い紫髪を持つ同僚ルチア・バウティスタと、七色に変色する瞳以外全て白で構成された少女。

 同僚が何故ここに現われたのか。当然浮かぶ疑問よりも先に、彼女の隣に立つ少女が纏う非現実的な何かに背を押され、ユアンは重傷の身体を叱咤して臨戦態勢に移行する。 

 少女は非生物であり、ザルバドでハルク・ファルケリアを撃破し、つい先日空中でクレイトン・ヒンチクリフと対峙した物と同質の存在だが、当然知る由もないユアンに対し、ルチアの冷たい声が飛ぶ。

「あなたは失敗した。故に処分される」

「その論ならアンタが先に処分されていないとおかしいだろうが」

「申し訳ない。これは私の意思だ」

 小さな少女の閉ざされた口から、雇用主の老年男性の声が発せられる。性質の悪い冗句そのものを前に硬直するユアンに、サイモン・アークスの言葉が淡々と放られていく。

「君は本当によくやってくれた。私の流す情報に従い、過去を知る者を消してくれたんだからね。本件に失敗しても、君のこれまでの仕事に対して給与以上の返礼を出そう」

 継いで発せられた言葉の意味の理解を、ユアンの脳は一瞬拒否してしまった。


「君の種族の絶滅計画、アレは私が提案したんだ」


 四天王として与えられた権限や、非合法的な手段まで駆使し、仇を探し続けていた彼の記憶の中にサイモン・アークスは登場していなかった。

 十六年前の時点で、相手は既に今の地位にあったが、軍事作戦に於ける王とは流れ作業的に判を押すだけの存在で、拒否したとしても議会の側で強引に事態は進む。

 故に対象から無意識に除外し、名乗りの意味が理解出来ず硬直する部下を他所に、アークス国王の声が人形の口から淀みなく流れる。

「なかなか面倒だったよ。替え玉に必要な期間中ずっと座って貰い、才能が無いのに必死で覚えた魔術で単なる一文官になって提案を出すのは。功を欲した上官達が、形になった所で持って行ったお陰で、君の網に引っかからなかったのは良しとすべきかな?」

「決めた張本人なら聞いてやる。何故父さんを、母さんを、皆を殺した!? 俺達の部族は、アークスに対して歯向かう意思なんか無かった! テメエは何の為に――」

「世界平和だ。これ以上でも、これ以下でも、そして私の行動全てはこの為だ」

 実に美しく、そしてお題目に掲げると空虚な代物と化す言葉が放られ時間が止まったのは一瞬。 


 黄金の光が、屋根をぶち破って夜空へ伸びる。


 『ディアブロ』や人形の少年と繰り広げた激戦で刻まれた傷が瞬時に塞がり、光と同色に染まったユアンの背から、ヒトが魔術で生み出せる領域を遥かに超えた巨大な翼が生まれる。

「世界平和? なら皆は『必要な犠牲』だったとでもホザくつもりか? ……そんな理屈を、認めてたまるかよッ!」

 絶叫するユアンの顔が歪み、ヒトの側面を捨て去って鷲のそれに似た物に変わる。衣服が吹き飛んで露わとなった素肌にはさざ波のように竜鱗が広がり、直立歩行から四足歩行のそれへと姿勢が変じていく。

「『鷲頭竜グリューオン』……!」

 『グナイ族』の信仰対象にして、ヒトが姿を拝む事は著しく困難な存在に転じた同僚に、ルチアの瞳を驚愕が掠めるが、人形の感情は平板なままだった。

 黄金の竜は、ここから離れつつあるヒビキや、ヒルベリアの住民を含む、広範囲のヒトの心胆を揺さぶる咆哮を響かせ突進を開始。

「テメエらはここで死ね!」

「『欠落ノ風刃インパーフェクション』」


 断頭刃の爪が並ぶ前肢が、振り上げられたまま停止。


 転生者の感情をそのまま表出させた、憤怒を形作ったままの鷲頭竜の頭部は空中にあった。

 操縦者を失った身体は、黄金の粒子を撒き散らしながら膝を折り、荒れ果てた大地にヒトの裸体が倒れる。

 足元に転がり落ちた同僚の頭部を、ルチアは色の失せた目で見つめ、次いでユアンを瞬殺した人形に目を向ける。

 ハルク・ファルケリアを破った個体が吸収した剣技『欠落ノ風刃』は、あくまで魔力を持たぬ者の中で秀でた物でしかなく、技単体で比較すると勝ち目はない。


 しかし、現実は完調時でも発動させられなかった超技を用いたユアンの一撃退場。


 恐るべき力を持ち、開発者たるサイモン曰く現状では未完成。完全な物になった時、何処まで行き着くのか。

 誰もが抱く疑問への答えを出せないルチアは立ち尽くしていたが、彼女の瞳からはすぐに未来への恐れが消え、今ここで展開されている光景に対する嫌悪が強くなっていた。

「本当に頭を食べるんですね」

「脳があるからね。ルチア君もいずれ慣れるさ」

「……あの人形はどうしますか?」

「勝者には報酬を、だ。未来が決まっていても、二人でいる状況は両者にとって、そして私の計画にも良い効果を齎す。ヴェネーノの情報を得られなかった事を埋める為にも、先に彼ら以外から食べさせて行こう」

「了解しました」

 二人の会話に一切意識を向けず、ユアンの頭部を無表情で咀嚼して嚥下する少女というおぞましい構図は、対象が全て少女の腹の中へ収まるまで延々と続いた。


 

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