13

 紅蓮の炎に包まれながらヒビキは病葉同然に転がり、これまでの戦闘で刻まれた地面の隆起した箇所にぶち当たる。

 力の解放で塞がった筈の傷が盛大に開き、植物の種子の如き勢いで地面に赤い点をばら撒きながら、顔から墜ちた。

 どうにか顔を空に向けるまで容赦のない打撃と刺突、そして炎を存分に貰い、骨が砕ける音や、肉が焦げて行く感触をたっぷりと堪能する羽目になった。

 片肺状態であるのも手伝い、満足に呼吸も出来ず右目だけの視界の乱れが激しくなってくる。大量の失血と重度の熱傷で、現在進行形で燃え盛る炎に包まれているのに、悪寒から来る身体の震えが止まらない。

 唯一自由の効く左腕でスピカを地面に突き立て、立ち上がろうと試みるが脚が言う事を全く聞かず、またすぐに崩れ落ちる。

「……畜生」

 この結果に陥ったのは断じて不運に依る物ではない。完全な必然だ。

 自分という存在に圧し掛かる現実から逃げず、しっかりとした修練をこれまでの人生で積んでいれば、切り抜けられていた筈だ。

 自分だけが死ぬならば、まだ良い。だが、ユカリを犬死に付き合わせる訳には行かない。

 ――だが、どうやって現状を打破する?

 脳内で繰り返されるこの問いの前に、ヒビキは何も返せない。何かしたくとも、身体が付いてこないし、既に可能な仕掛けは全て試みた。

 

 それらが通用しないならば、最早どうしようもない。

 

 現実はその通りなのだが、そんな事を言っていても事態は変えられないと、湧き上がる諦観を強引に締め出して、再び思考を回し始める。

 ――今は、リアリストを気取んなって話だ、考えろ!

 己を叱咤しながら、答えの無い泥沼から這い出る策を探すヒビキに、無慈悲な拳がもう一度振り下ろされる。

 一切の慈悲もなく放たれたそれは、ヒビキの腹に吸い込まれ、内臓と骨を砕く。

 ヒトの物とは思えぬ苦鳴と、血反吐を撒き散らしながら地面を転げまわる。

 血晶石で置き換えられた部位以外を、ほぼ破壊されても尚立ち上がろうとするヒビキの腕が、不意に引かれた。誰なのかは思考せずとも分かる。

「もういい、さっきとは状況が違う。だから早く――」

「言ったよね? 一人なんて望まないって。それに、みんな私の事をイレギュラーだって思ってる。なら、この場でだってイレギュラーな事が出来るかもしれないでしょう?」

「何を馬鹿な――」

 ユカリの、涙を流しながら無理矢理笑顔を作る様を見て、それ以上言葉を発せなくなる。

 自分は、彼女にこんな表情をして欲しかったのか? 答えは否、望んでなどいない。彼女と最初に言葉を交わした時、現実を突き付けられた時、何を望んだ? 

 思い出して、心に火が入る。しかし、現実は何処まで行っても彼を嘲笑う。

 滾る心と微動だにしない肉体の乖離に歯噛みしていると、ユカリの身体がカタカタと震えだす。彼女の視線の先には、カラムロックスがいる筈だ。

 噛み付いてくる身の程知らずが沈黙した事で、ケリを付けに来たのだろう。

 結界の内部が紅い球体で埋め尽くされ、それぞれが狂ったような輝きを放つ。ヒビキの生身の肉体も、今までとは桁の違う熱量を感じ始めた。

 かつて多くの国を焦土に変えた、地獄を呼ぶ一撃の名前が、ヒビキの脳内に呼び起される。

 ――『終焉ノ炎弩カタスフレア・エミッション』か。エラく豪勢な仕掛けをしてくるモンだな。

 目の動きだけで、奇跡的に助かる可能性に縋って退避するように、との意思をユカリに伝えたが、ユカリは決然と首を振る。一切の退避のつもりは無いようで、この様子だと、恐らくヒビキがどのような策を弄しても意思を翻すことは出来ないと悟る。

 咆哮と共にカラムロックスの翼と空中の球体から業火が放たれ、爆轟の波涛と共に大地を焼きながら二人の元へと向かう。

 上下左右全ての方向から放たれた一撃を、避ける術が有るかについては思考の必要はないだろう。ユカリの手に力が込められたのを感じて、ヒビキは固く目を閉じた。

 到達時間の大まかな予測から大きく外れることなく、炎の流星は二人の元に接近。だが、二人が感じたのは終幕への炎による、死の直前に一瞬感じる熱ではなく、轟音と震動だった。


 「……え?」


 ユカリが驚きと疑問の混じった声を漏らす。彼女と同様の感情を抱いたヒビキが顔を上げると、二人を取り囲むように半球状のベールが形成されていた。

 伝承に違わぬ炎の力に、衝撃で地面は捲れ上がり液体に変化していくが、ベールは二人を守り続け、攻撃をカラムロックスの方向へと弾き返した。

 必殺の魔術を弾き返されるとは夢にも思わなかったのだろう。回避の暇も与えられずに全てが直撃し、巨大な魔人は遥か彼方へと吹き飛んでいく。


「なぁユカリ。……それは一体何なんだ?」

「いきなり光りだしたから、何がなんだか私にも……」


 ユカリの胸元のネックレスに設えられた小さな石が、眩いばかりに輝いていた。ヒビキ達が正体を掴めず、クレイさえも判別が出来なかったそれが、どうしてこのような状況を生み出しているのか。

 だが疑問よりも先に、ユカリの心に希望が浮かび上がる。


「……こんな事が出来るなら。もしかしたら!」


 ユカリはネックレスを外し、ヒビキの手に輝くそれを握らせた。力の片鱗を見た事による単なる思い付きでしかなかったが、結果として彼の肉体に激烈な変化を齎した。

 消失していた部位の感覚が僅かながらも復活を果たし、途切れていた魔力の供給が再開する。スピカの方も反応してくれたのか、平常時と変わらぬ輝きを放ってくれている。

 理屈が分からない物に対しての恐怖は無く、今はただ一度消え失せた可能性が産まれた事による希望で、ヒビキの中は満たされていた。

 カラムロックスの方も、全身に重度の火傷を負って翼を焼失させながらも、こちらへの突撃体勢を作っている。回復したとは言っても、霞がかった右目の視界から察するに、この一撃を外せば全てが終わる。

 砲台の形態に姿を変えたスピカをもう一度構え直し、カラムロックスへと向ける。だが、焦りと死への恐怖からか、腕が震えて上手く狙いが定まらない。

 一撃を外してしまえば終幕、との重圧は想像を遥かに超えて重いものであり、自分が耐えきれるような代物では無いと、改めて突きつけられたせいか、どれだけ抑えようにも震えは収まってくれはしない。

 所詮自分は人形であって、育ての親のように真の意味で強い者では無いようだ、などと自嘲している間にも、巨人は猛然と迫ってくる。


「大丈夫だよ。私もいるから」


 声がかけられる。ふと目をやると、スピカの砲身にユカリの手が添えられていた。何の意味もない行為だと、普段の彼なら、いや誰もが切り捨てる行為である事は間違いない。

 しかし、今のヒビキにはどのような物より強力な援護射撃の様に思えた。不思議と身体の震えは緩和され、照準が安定し始める。一撃を放つ程度なら、どうにかなりそうだ。

 そう思いながら、ユカリの方に視線をやると、彼女は背中を押すように微笑んだ。


「……終わらせよう、ヒビキ君!」

「……だな」


 負傷をまるで感じさせない速度で迫るカラムロックスを、二人は力の籠った目で睨みつける。今までにない輝きを放つ相方に感謝の念を抱きながら、ヒビキは引き金を引いた。

 

 そして、世界は激変する。

 

 スピカから放たれた蒼白い光は、二人とカラムロックスだけには留まらず世界をも呑みこむ。カラムロックスも死力を以て疾走し、この奔流から逃れようとしている筈だろう。

 だが、スピカが作りだした光の中では、伝説の存在でさえも只の的にしかなり得なかった。

 蒼白色の光の槍が、寸分の狂いもなくカラムロックスの心臓に命中する。着弾点から盛大に噴き上がった血液を取り込み、槍は更に巨大になっていく。

 魔獣は苦悶の雄叫びをあげながら、自らに突き刺さった物体を対処しようともがくが、最早何も出来ずに、五臓六腑をぶち撒けながら衝撃で破壊された大地と共に空へと舞い上がる。

 視認する事さえも困難な程の高空へと昇って行った後、槍は姿を変えて、巻き上げた物全てを呑みこんでいく。

 カラムロックスが一際大きな叫びを上げて、完全にその姿が見えなくなった時、蒼白い光は爆散した。

 大陸全土で観測が出来たと、後に伝えられる巨大な光の柱が立ち昇り、その光に視界を埋め尽くされながら、衝撃波で二人は何度も地面を転がった。

 限界を超えていたヒビキの意識は、自分たちが為した結果を確かめる前に、黒く塗り潰された。


                 ◆


「おーおー、派手に終わらせたなアイツ。一件落着、と言っちゃって良いやつか?」

「でしょうね、敵さんと思しき魔力の反応は完全消滅した事を、論拠としても良いと思いますよ」


 恐らく、自らの友人が引き起こした物と思しき震動で、生じた埃やら何やらを被りながら、ライラは安堵の息を漏らした。

 眼前にあった筈の第三マウンテンが、今では遠く離れて見える。パスカとクレイが防御の為の魔術を放っていても尚、かなりの距離を吹き飛ばされている事に、驚愕を隠せない。

 だが、今は友人達の安否を確認すべきだろう。恐らくは勝利したのだろうが、完全無欠のハッピーエンドに持ち込めた訳でもない事は明らかだ。

「おうパスカ、もうマウンテンに向かうのか?」

「……はい。それが俺の仕事ですから。果たすべき事は果たさねばなりません」

 喜びと、友人の治療の手順を脳内で膨らませるライラに、冷水を浴びせるようなパスカの言葉に、彼女は四天王を睨みつけ、抗議の言葉をぶつけようとするが、クレイに遮られる。


「あんた何――」

「落ち着け。確かに俺達の視点から見りゃパスカの行動は間違っている。だがな、『正しい行動』をしているのはパスカの方だ。多数から正しさがある、と判断された行動を止められる権利は無い」

「でも!」

「それに、だ」


 ライラに対して優しい目を向け、パスカの方に向き直り口を開く。


「コイツは依怙贔屓だなんだと言ったコスい真似は絶対にしない。俺が保証してやる。必ず公平な判断基準を持って、この件だって対処してくれるさ」


 穏やかな、しかし確信に満ちた声で語るクレイに対し、ライラは何も言えなくなって沈黙する。

 実年齢が見た目では分からない金髪の中年男は、その間にパスカに対して視線でここから行くように促した。


「……ありがとうございます、先生」

「先生呼びはもうよせやい、お前はもうとっくに俺を上回っているんだから、遠慮なくタメで話せよ」

「それだけは貴方からの命令であっても聞けません」

「固いねぇ。……行けよ、これだけ見得切ったんだし、公平な裁きを頼むぜ。それと、今度メシでも行こうや。積もる話もあるだろうしな」

「ありがとうございます。……後者の方は、検討させて貰います」


 頭を下げた姿勢のまま、パスカ・バックホルツは光に包まれて消えて行った。

 空間を転移する魔術『転瞬位トラノペイン』を使用したのだろうが、発動には移動先の精緻なイメージを脳内に叩きこみ、描くのに数時間を要する陣を描く必要がある。

 失敗して石の中に転移し、奇妙な石版画と化した者は、今この時代においても毎年数百名は出ていると聞く。

 その内の片方、いやは両方を平然とすっ飛ばしてみせた男の力量に対しての、正しい反応が思い浮かばず、呆けた様な顔で立ち尽くしていたライラだったが、やがて我に返り、クレイに問い掛けた。


「クレイさん、質問良いですか? 嫌と言っても答えて貰いますけど。……貴方とバックホルツ氏の関係って、一体どういう物なんですか?」

「え? 師匠と弟子の関係だぞ。俺が四天王だった頃に学校に視察に行ったんだ。その時に『強くなりたいから弟子にしてくれ』って頼まれてな。懐かしい話だ。当時アイツは座学は良いけど実技がさっぱりで……」


 思っていたよりあっさりと語られた答えに、日常会話と変わらぬ調子で頷いたライラだったが、彼の語った中身のある一点に違和感を感じて叫ぶ。


「……いやちょっと待って下さい! アンタ四天王だったんですか!?」

「あれ、言ってなかったか? 先代四天王の一翼『紅雷狼ローネルフェン』とは俺のことだ。ハレイドの図書館書庫に行けば資料が残ってるぞ。ま、離脱の仕方がアレだったから、今やただのチンピラだけどな」

「……人に歴史ありって奴ですね」

「また今度幾らでも話してやるよ。今は、三人が帰って来た時の為の準備をしようや。三人中二人が重症負ってるんだ、なかなかに骨が折れるぞ」


 実に真っ当な言葉を受け、ライラは工房へと走り出すのだった。


                ◆


 最初に感知したのは泣き声だった。次に、自らの肉体が揺さぶられる感触。

 意識がゆっくりと戻り始め、光を捉えられる右目の焦点が定かになると、涙だらけでくしゃくしゃになったユカリの顔が見えた。

 涙が断続的に顔に落ち、それが流れていって口の中に入り込むものだからやけに塩っ辛い。だがそれが、生きている証明なのだと今は思える。

 信じられない程に明るかった周囲は、日常の範囲内の輝度を取り戻したようである。そして二人は生きている。これらが意味する事は一つしかないだろう。


「なぁユカリ、俺達は、勝ったんだよな……?」


 よりにもよって第一声がそれだったせいか、ユカリの表情が妙な物になる。

 笑顔と怒った顔と泣き顔を足して三で割らない表情をしながら、何か言おうと口を開閉するが、結局何も言わずに、ヒビキの身体に抱きついた。

 ズタボロになっている身体からバキバキと音がして、目の前に星が飛び、ヒビキの右目からも少し涙が溢れる。


「痛い、痛いからやめて! 俺の身体もうガタガタだから! 今のでまた――」


 泣き続けるユカリの頭を撫でつつ、ぐるりと周囲を見渡して、その変化に驚愕した。

 彼が引き金を引いたであろう箇所を中心として、大地が深々と抉りられて、まるで隕石の落下痕のような状況になっている。本当にこれは自分が、いや二人がやったのだろうか。

 到底信じられる事では無いが、カラムロックスの姿が見えない事、左手にあった筈のスピカが剣の形態へと回帰し、柄の部分を残して砕け散っている事が証明なのだろう。

 ヒビキが呆然としていると、ユカリに肩を貸されてゆっくりと立たされる。


「街に帰ろう。フリーダ君達と……」

「ざ~んねんながらぁ、それは出来ないわねぇ」


 聞き覚えのある、やたらと間延びした甘ったるい声が耳に突き刺さり、ヒビキは歯噛みする。デイジー・グレインキーが、目の前に立っていた。

 デイジーはユカリを突き飛ばして、ヒビキの身体を掴みとる。尚も食い下がろうとしたユカリだったが、湾曲した長剣を首筋に突きつけられ、強引に引かせられてしまう。


「あなた、何をするつもりなの……?」

「ん~? 事情聴取の為に連行ってやつかしらねぇ。ここまでやっちゃったならぁ、引っ張る理由は十分あるからねぇ。あ、逆らった場合ぃ、デイジーちゃんがこの場で首を落としちゃいまぁす!」

「……!」


 デイジーにとっては、それが脅しでも何でもない、単なる事実の宣告であり、彼女の腕を以てすれば、自分達など赤子の手を捻るより楽に始末出来るのは間違いないだろう。


「……さっさと連れていけ。ユカリには手を出すなよ」

「ヒルベリアのゴミ拾いの割にぃ、ずいぶん物分かりが良いのねぇ~。どうしてなのぉ~?」

「……勝ち目があるなら足掻くさ。だが今は、一片たりとも勝ち目も正義もないからな」


 だから、ヒビキは事態の早期収拾を選んだ。事情聴取、とやらがどのような意味を持っているのか、知らない訳ではないが、今はそれほど恐怖を感じてはいない。

 最良の物には遥かに及ばないが、最低限の結果を手繰り寄せられた為だろうか。

 そんな事を考えながら、涙を流すユカリに対して、ヒビキは努めて明るい声で呼びかける。

「……また会えた時はよろしく頼むぜ。ここまでのツキを持ってこれたんだ。この事情聴取とやらでも、引き寄せてやんよ」

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