1:分かたれし者達

「そうか。やっぱり駄目か」

 無言のまま、大嶺ゆかりの首が縦に振られる。

 似たルーツを感じさせる顔を持つ水無月蓮華は、彼女の重い表情を受けて繋ぎの言葉を喪失し、ヒルベリアの荒い地面を軽く蹴った。


 『飛行島』探索から、既に二週間と少しが経過していた。


 怪物との苦闘を辛くも乗り越え、元・四天王曰く『船頭』の介入で一行はヒルベリアへの帰還を果たした。

 母親の目撃情報を得て、不本意ながらもザルバドに向かったティナ達と対照的に、蓮華率いる『水無月怪戦団』は消耗を理由の一つとして暫しヒルベリアに滞在する事を選んだ。

 もう一つの理由に、蓮華は関係した者に対して報酬を直接手渡す事を上げており、これは大よそ完了している。


 たった一人、ヒビキ・セラリフを除いて。


 ゆかりが意識を取り戻した時、彼は自室に閉じこもって他者との接触を拒んでいた。

 彼を除いて唯一全てを見届けた、クレイトン・ヒンチクリフも説明を拒んだ何かが原因のようだが、彼をそこまで追い込む物が皆目思いつかない。

 全員の傷が癒えたが、多くの損害を被ったことで拠点への一時帰還を決めた蓮華は、出立を今日と定め、自分達を救ったヒビキへの報酬を渡す事と、会話の機会を得ようと試みていた。

 悉く失敗して、今日に至ったのだが。

「悪いが、これヒビキに渡してくれないか? 『一緒に挑んでくれてありがとう』と『無茶振りばっかして悪かった』と伝えといてくれ」

「……行かれるんですね」

 それなり以上の金と、使いどころが分からない金属塊を受け取りながら、ゆかりが投げた問いに、鎧の殆どを失った『サムライ』は肩を竦める。

「やらなきゃいけない事が増えたからな。ニースにプライオル、ノボリの供養もそうだし、これから先どうするかも考えなきゃ不味い。……少なくとも、今までと違う道を行かなきゃならんのは確かだ」

 渇望していたシグナの遺産は行方知れずで、彼の悲願への道筋が大幅に軌道修正される事は必須。おまけに戦力の低下も生じている。

 まさしく踏んだり蹴ったりの状況ながら、蓮華の纏う物は暗くない。

「犠牲を出しても尚、目的を達成出来なかったから、俺が描いていた道は間違ってたんだろうな。だからま、一度皆と話し合うさ。上や下だけじゃなく、横にも道がある筈だしな」

 恐らく、彼の部下はこれからも蓮華と共に歩むだろう。

 部外者かつ、僅かな時間の共有に留まったゆかりの思考はそのような着地に至り、問いを重ねることなく首肯を返す。

「アメイアントに来るなら歓迎するし、総力を挙げてサポートする。ヒビキにもそう伝えてくれ。だから生き残れよ、友人殿」

 いつの間にか友人と扱われていた事実に、少しばかりムズ痒い物を感じるゆかりに蓮華の手が伸ばされ、彼女もそれに応じる。

 短い握手を終え、踵を返して遠ざかっていく蓮華の背が視界から消えた頃、残されたゆかりは薄曇りの空に少しだけ目を向ける。

 定めていた道を否定された男は、こうして別の道を描くべく去った。自分も停滞の沼に嵌っている余裕などない。事態の前進を成さなければならないのだ。

「……よし」

 決意と共に、ゆかりはヒビキの家に向かう。

 それが、彼女にとって最悪の事態を引き起こすと知らぬまま。


                  ◆


 鍵が開けっ放しの玄関を抜け、ヒビキの部屋の前にゆかりとライラが立っていた。

 地上に戻った直後は治療で担ぎ込まれ、一週間未満という誰もが驚愕する速さで肉体の修復が完了して以降、ゆかりは何度かこの家を訪ねているが、半開きの玄関扉も施錠された部屋の扉も変化がない。

 つまり、ヒビキは戻って以降一切部屋から動いていないという事になる。

 時折、ゆかりを含めた三人が食事を持って行ったりはしているが、それに触れた気配もない。

「『魔血人形アンリミテッド・ドール』の力があるから、派手に動かなきゃ飲まず食わずでも暫くは保つ」とはライラの弁だが、それが最良である筈も無い。

 小さく深呼吸して、ゆかりが扉をノックする。

「……ヒビキ君、いるなら返事して欲しいな」

「いー加減食べないと、ホントに倒れるよ! ほら、さっさと出てくる!」

「ちょ、ライラちゃん!?」

「ユカリちゃんは優し過ぎるよ! 時にはこうしてガツンと!」

 かなり乱暴なノックを始めたライラを制止にかかるが、あっさり切り捨てられる。友人の理屈もよく分かるが、無理強いは必ずしも事態の改善に繋がる訳ではない。

「私達の目的は引き摺り出す事じゃないよ。話を聞く事だから、あんまり乱暴にするのは……」

 開錠音と、人が現れる気配を受け、ライラへの言葉を打ち切ったゆかりの顔が跳ね上がり、すぐに彼女の表情は凍り付く。


 目の前に立つのは、確かにヒビキ・セラリフだ。


 だが、元々やや悪かった顔色は死体同然に白く染まり、目から光が完全に失せ、今にも消えてしまいそうな錯覚を抱くまで輪郭も朧気に見える。 

 そして何より、ゆかりが出会ってから飛行島最上層で意識を手放す直前まで、彼の中に確かに在った物が拭い取られていた。


 ヒビキであってヒビキではない。


 常識的に考えればあり得ない結論に着地し、得体の知れない息苦しさに包まれながらも、ゆかりは一切動かないヒビキに向き直る。

「……蓮華さん達が出発するって。これ、報酬らしいよ。ヒビキ君なら、使い方が分かるって言ってた」

 様子見の言葉に、ヒビキは微動だにしない。

 幽かに聞こえる呼吸音が無ければ、本当に人形になってしまったと思いかねない様を受け、小手先では駄目だと察したゆかりはやけに乾く喉を唾の飲み込みで誤魔化し、言葉を紡ぐ。

「……あの後、何があったのか、私に教えて?」

 ほんの少し、ほんの数ミリ目が動いたヒビキを見て、ほ活路を垣間見た錯覚を抱いたゆかりは、必死で思考と口を駆動させる。

「私には想像も付かない事があったのは、ヒビキ君を見てると分かるよ。でも、話せば少し楽になるかもしれないし、解決の糸口が――」

「見つかるかもしれないってか? ……そりゃお前ならそうかもしれねぇよな」

 割り込む形で叩きつけられた声は、ゆかりが未だ嘗て耳にした事がない冷え切った物だった。


 硬直した空間に、ヒビキの笑声が投げられる。


 ゆかりやライラを嘲笑したり、敵意がない事は確かだ。だが、そうであった方が遥かにマシだった。

 世界の全てに対する興味を喪失した、絶望すら通り越した無味乾燥な笑声は暫し続いたが、唐突に停止して二人の両肩が跳ねる。


 そして悪夢が始まった。


「『選ばれて』道もあって、先も見えているお前ならそう言うだろうな。間違っちゃいねぇよ。けどな、俺にはそんな物は無いんだ。誰かを殺して、蹂躙して開いた道の先にはなーんもない。『害虫』みたく惨めに死ぬのが運命らしい。いや、本当に笑えるよな――」

 感情の振れを押し込めて機械的な処理を行ったとしても、ゆかりには、そして隣で硬直するライラにもヒビキの発する音が理解出来ない。

 分からなくても、目の前に映る姿はヒビキの在るべき姿ではない。そうに決まっている。

「ヒビキく――」

「黙れ!」

 縋るようなゆかりの言葉は、ヒビキの叫びで掻き消される。


「先があるお前の慰めなんて、高みから見下ろしているお前の言葉なんて、聞きたくも無い! 一人で片を付けて、消えちまえ!」


 叩きつけられた言葉は、あまりに残酷だった。


 気が付くと、へたり込んでいた。

 気が付くと、口から嗚咽が漏れていた。

 気が付くと、視界がぼやけていた。


 言語の形を成していない幼子同然に、ゆかりは泣きじゃくる。

 彼女のその様を見て、我に返ったように感情の揺らぎを見せたヒビキの顔が、鈍い音を引き連れて強制的に横を向いた。飛び跳ねたライラが、彼の頬を強かに打ったのだ。

「何があったか説明もしないで、ユカリちゃんに八つ当たり!? 自分がどんだけ最低な事してるか分かってるの!?」

「……知った風な口を、利いてんじゃねぇ!」

 襟首を掴んでいたライラの手をヒビキが乱雑に振り払う。『魔血人形』の力を解放していなくても、彼の力なら一般人など簡単に吹き飛ぶ。

 道理に従い壁に叩きつけられ奇声を零したライラだったが、日頃の彼女からは想像も出来ぬ機敏さで再度ヒビキに組み付き、両者は縺れ合って転倒。


 そこから先は、泥沼の一言った。


「一緒に生活して、一緒に苦しい事も乗り越えてきた人に、勝手すぎるでしょ! せめて説明しなさいよ!」

「説明? んな事して何か変わるのかよッ!?」

「今までは変わったでしょ!」

「今までの低次元な話ならそうだろうな。けど『選ばれし者』とそうでない奴の話なんざ、したって無駄だ!」

「わけわかんないこと言って逃げるなこの××××××!」

「ここでお前が分かんねぇ事実が、話しても無駄だと証明してんだよッ!」

 元の世界でも、この世界でも、なかなか似た関係を目にしなかった二人が、怒りに任せて罵声を浴びせ合う。それも、原因が自分にある。

「……もう、止めて」

 涙塗れの声はまるで届かず、二人の縺れ合いは加速する一方。

 そして、ライラが腰に吊るしたハンマーを抜き、彼女の動きを認識したヒビキも腰を落とし構える。

「あったま来た! 一回頭を冷やしてやる!」

「……やれるモンなら、やってみろよッ!」

 武器を持たずとも、死線を潜り抜けてきたヒビキなら、ライラをどこからどうやっても殺害可能。


 結末は、誰も望んだ物ではない。


「やめてええええええええ!」

 暴力の行使に動いた二人のちょうど真ん中に、ゆかりは滑り込む。お互いの攻撃は、狙い過たずゆかりに届く軌道を描く。当たり前の結末として、彼女の未来は確定した。

 暴発してしまった二人は、夢から醒めたように軌道修正を図るが遅い。この場の誰もが予測していなかった着地点へ走る現実に、ゆかりは硬く目を閉じる。


 転瞬、室内に何かが砕ける音が響いた。


 最初、何も感じない為に自分が死んだとゆかりは判断した。

 しかし、硬い物体が鼻に当たる感触と、手に乗ったそれが土塊だと認識した時、生きていると確信した彼女は顔を上げ、そこに広がる光景に瞠目する。

「……近況報告に来たらこのザマは酷いね。身内同士で殺し合うのは止めようよ」

「フリーダ、君……!?」

 疾風の如く両者の間に滑り込んだフリーダが『融跳土ホッパリス』による土の盾を掲げて、両者の攻撃を受け止めていた。

 ヒビキの拳を受ける右の盾は半分以上砕け、室内に土塊を盛大にばら撒いたが、両者の勢いを完全に殺してゆかりを救ったフリーダは、大きな溜息を吐く。

「どんなお題目を掲げても、ハンマーを抜いた時点で殺されても文句は言えないよライラ。……素人相手に暴力を振るうのも、正当防衛の領域を超えている。ヒビキ、君はそこまで馬鹿じゃない筈だ」

 不承不承ハンマーを引いたライラと、自分がやろうとした事に激しく動揺し、脱力するヒビキ。

 両者が攻撃体勢を解除した事を十全に確認したフリーダは、ゆかりとライラに向けて深く頭を下げる。各々別の意味で硬直した二人に、少年の声が淡々と響く。

「ヒビキがゆかりちゃんに何を言ったか、大体聞こえていた。……許されるないのは分かっている。でも、今は結論を下さず退いてくれないかな」

「そんな甘い事を……」

「言いたいことは分かる。けれど、今だけは矛を収めてくれ。……ヒビキに必要なのは、時間なんだ」

 痛切な声を受けたライラの抗議が途切れ、ヒビキも動かない。

 その中で、ゆかりはぐちゃぐちゃになった感情に呑まれながらも、フリーダの意図を理解して立ち上がる。

「……ごめんね」

「ユカリちゃんが謝ることじゃないよ。……酷いことを言ったのは間違いなくヒビキが悪い。でも、誰も悪くないんだ」

「フリーダは知ってるの」

「クレイさんから聴いた」

「……なにさ、皆仲間外れにして」 

 謝罪と問い。どちらにも誠実に答えたフリーダに毒気を抜かれたが、納得はしていないライラは捨て台詞と共にヒビキの家から退出。覚束ない足取りで続いたゆかりの背に声。

「後で僕の家に来て欲しい。……話せることは話す」

 小さく頷いて、ゆかりは歩き出す。

 ヒビキの叫びも、彼が掴んでしまった何かも、ゆかりには分からない。

 それでも一つだけ、分かることがある。


 今までの何処か平和な空気や、気軽なやり取りが許容される世界は、木端微塵に砕け散ったのだと。

                  ◆


 少女の気配が完全に消えた頃、長い溜息を吐いたフリーダは立ち尽くしたまま固まったヒビキに目を向ける。

「……聞いたのか」

「まぁ、ね」

 

 ――お前とヒビキの関係と、あいつとゆかり君の関係は近い。……だから理解してやれる筈だ。


 このように切り出されたクレイの語りは、二人に存在する絶対に覆せない隔たりと、確かに遠からずといった物だった。


 だが、届かない物の差が大き過ぎる。


 フリーダ自身、己の耳とクレイの正気を疑った。『船頭』と『エトランゼ』から示された物でなければ、真実だろうと笑い飛ばせた筈だし、ヒビキもそうだった筈だ。

 ――仮定に意味はないか。

「ユカリちゃんへの暴言が本心からじゃないのは分かる。だったら、早く謝った方が良い。こういうのは、長引くほど状況が悪くなる」

「道が無いままでか?」

 正論だが、あくまで一般論の領域に留まる説得は、ヒビキの掠れた声で無意味な言葉遊びに帰した。

 『選ばれた』らしい上に、連続する苦難を乗り越えた先に光が差す可能性もある彼女を前にして、何もない彼の感情が整理される筈も無い。その状態で紡ぐ謝罪は空虚極まる物になるだろう。

 元々ユカリにヒビキが抱いていた感情を考慮すれば、早急な解決が必要だが、それにはヒビキ自身に選択と決断が求められる。

 道筋は何処までも部外者であり、クレイ越しに聞いた『エトランゼ』の言葉を借りると「盤面に立っていない」フリーダには提示のしようが無い。

「時間は有限だ。けれども、無理やり出した結論は余計に事態を悪化させる。……また来るよ」

「……すまん」

「謝る相手は僕じゃないだろ? でも、マトモな思考が残っていて安心したよ」

 安心した、という単語が持つ意味と、フリーダの表情は大きくかけ離れている。

 ヒビキが現実の直視を放棄するところまで堕ちていたなら、殴り飛ばすなり罵声を飛ばすなりと、荒療治から始めて行けば良かった。

 マトモな思考が残っているからこそ、示された現実を嫌でも認識した後、それを免れる為に模索し、エトランゼから提示された物を覆す術がヒト属にない、残酷な着地点に降り立って精神が砕かれる。

 四肢を縛られた上に重りを括り付けられた状態で水中から脱出するような、奇術にも等しい何かが、ヒビキには必要なのだ。

 何処までも重い空気が満ちる空間で、フリーダは大きく溜息を吐いた。


                 ◆


 荒れた場所から離れて、冷静さを取り戻す。

 フリーダがヒビキからゆかり達を引き離した理由を、そう捉えたゆかりとライラはレフラクタ特技工房に辿り着き、そしてフリーダの配慮を無に帰す存在と対峙する。

 宙を遊ぶ青い髪に、不規則に色を変える瞳。そして髑髏の装飾が為された鎧を纏う少女、即ちカロン・ベルセプトが、工房内の調和を破壊して立っていた。

 このタイミングで出てくるとは即ち、ヒビキに提示された何かにも確実に関わっている。いやそもそも、船頭はゆかりを「連れてきた」と語っていた。

 一つの事実と一つの可能性を掛け合わせた結果生まれた、喚き、暴れたくなる衝動を、砕けんばかりに歯を噛み締めて捻じ伏せ、ゆかりは船頭に対峙する。

「現れたのは、何か意味があるからですよね。カロンさん?」

「貴女一人でも道を開く方法を届けに来た。意味としては十分でしょう」


 ヒトの形をしているが、学術的にはボブルスに近い。


 クレイから聞かされた事実と、暴れる感情、そしてカロン無機質な目の乗算で八つ当たりの虚しさを覚え、口を閉ざしたゆかりに船頭が告げる。

「貴女が救済者となるか、単に帰還するか。道は二つあるけれども、最初の手は一つしかない」

「私が、あなたに従う道理があると思っているんですか?」

「無理強いはしないけれど、貴女の世界とこの世界を繋ぐ門が、乱用の結果崩壊寸前に陥っている現状では、帰還すら叶わないわ」

 異なる世界を繋ぎ、物体を行き来させる行為が困難なのは妥当だろうが、ここまで負の方向の話ばかり飛び込むのは、決して信心が深くないゆかりにもご都合主義を感じさせた。

「門が崩壊すればどうなりますか?」

「タガが外れて際限なく貴女の世界とのやり取りが展開されるか、暫くは完全に道筋が絶える。道はこの二つ。自然発生でも、同じ繋がりが生じるのは数十年の間隔が必要。作為の果てに崩壊すれば、再発生するかそもそも危うい」


 予測の数段上を行く回答に、ゆかりの呼吸が数秒停止。


 どちらの可能性が具現化しても、最悪を幾重にも重ねた事態が展開される。

 帰還不可能と化すのは論外。もう片方の、行き来が際限なく繰り広げられる状態も、両方の住民の屍が積み上げられる光景が生まれる筈。異なる世界に放り込まれても生き延びられるのは、幸運に恵まれる事が最初の条件となる。


 まさしく、ヒビキに見つけて貰えた自分のように。


 先刻の咆哮が蘇り、また少し滲んだ涙を拭うゆかりを慮ったのか、ライラが彼女に代わって問いを投げる。

「で、門を保つ為に、船頭サマはユカリちゃんに何させたいんですか? 『エトランゼ』討伐とかならあーた自身がやりゃ良いでしょ」

「門の保持には、対応する世界の存在が必要だから私単体では無理。それに『エトランゼ』との激突も不要。単に貴女が戻る為の行動に、あちらも介入しない」

「そんじゃ、どこで何をすればいーんですか!?」

「世界に点在する力の集束地の内、用いられた間隔が開いている場所。グァネシア群島の一つ、ファナント島の遺跡に向かいなさい」

 捲し立てていたライラが、雷撃に撃たれたように跳ね口を半開きにして硬直。両方共地図で存在を知っている、程度のゆかりには、ライラの反応が解せない。

「……そんなに危険な場所なの?」

「群島全体が民主主義に則って自殺未遂をやらかした『バディエイグ』って国の領地なんだ。四年ぐらい前に軍がクーデターを起こしてぐちゃぐちゃになったんだよ」

「取り繕う為に最低限の治安は確保されているから、熱帯特有の疾病と虫の対策をすれば、市街地を歩くだけなら問題ないわ。無論、ファナント島へ行くには命を賭けて貰う事になるけど」

「ファナント島も、二千年前の大戦で決戦場になった場所。……危険だよ勿論」

 混乱状態が続く国家の領地を抜け、曰くつきの島へ上陸。島内の遺跡に潜入し、カロンが語る「力」とやらを入手する。

 エルーテ・ピルス登頂の時とは、また別の方向で危険な道だ。しかもあの時と異なり、己の魂に火が灯っていないと強い自覚がある。


 一人で片を付けて、さっさと消えちまえッ!


 叩き付けられた叫びはゆかりの内側で反響し、彼女の足を停滞へ括りつける。

 憎悪や悪意のない、純粋な拒絶を浴びるのは未経験。しかもヒビキから受けるなど一片たりとも想像していなかった。

 刻まれた溝を放置して進むのは、仮に事態の飛躍的な進展が待っていたとしても、許容出来る物ではない。只の友人の枠に押し込むのは不可能な領域に、ゆかりにとってヒビキは至っていた。

 砕かれた彼を救える何かを、今の彼女は持たない。動いてみたところで先刻と同じか、更に酷い光景を突きつけられて終わりだろう。

 ここまで動きを見せなかった事実を鑑みて、最大限割引いても世界を繋ぐ力を持つカロンの提案を軽視は出来ない。

 世界の繋がりが失われれば、出発点から今に至るまでの全てが崩壊する。それはゆかりだけではなく、彼女の事情を知る者全てにとって悪夢になる。

 望みが何一つ叶わず、押し付けられた事象に対峙することを強いられ続けていると自覚はある。だが、道は前にしかないのだ。


 長い沈黙の末、ゆかりは首肯。


「その話、僕も乗らせて貰うよ」

 同時に届いた声に振り返る。当然の話だが、声の主フリーダが立っていた。

「……私は」

「一人じゃ出来ない事もある。頭と体を使う奴は多い方が良い。異存はないでしょう、船頭さん?」

 努めて平静を保とうとして、失敗寸前の様子を晒しているフリーダに向かう、カロンの変化を続ける瞳には懸念。

 ゆかりより多少マシと言っても、盤面とやらに登る実力は彼に無い。無意味な死人を作る趣味はない故に、カロンはそのような反応を見せたのだろうが、戦闘力が皆無のライラまで一歩踏み出した事で、若干諦観混じりに首を振る。

「挑むのは三人。一度乗れば達するか死ぬまで降りられない、覚悟は良いかしら?」

「やらないよりマシでしょ? ユカリちゃんとフリーダが行くなら、私も行く!」

「ちょ、ちょっと待って! 二人共、本当にそれで良いの!?」

 焦りを見せたのは、寧ろゆかりの方だった。

 賭けねばならないゆかりと違い、二人は賭ける必要性が一片たりともない。

 当たり前の理屈に基づき、寧ろ乗る事で危険に直面して欲しくないと告げた彼女に、二人が見せた反応は態度こそ異なれど同じ芯を持っていた。

「一人で行くのはそれこそ危険だよ。君に死んで欲しくないのは僕もライラも……ヒビキも一緒だ。友人を見捨てて平和な暮らし、なんて物は受け入れたくないね」

「一人だと絶対無理するでしょ? だから私も行く! 皆で行って、皆で戻る。そしたらあの馬鹿も目を覚ます筈だよ!」

 返ってきた言葉に胸が熱くなり、ゆかりは僅かな間だが言葉を失う。

「良い友人に恵まれたようね」

 カロンの言葉に我に返り、小さく首肯。

 三人で挑んで、目的地に辿り着けるのか。

 目的地に辿り着いて、求める物を得られるのか。

 そもそも、生きて帰ることが叶うのか。

 

 そして、ヒビキ・セラリフは再起出来るのか。


 懸念は山積みで、一掃する魔法はない。全ての懸念が解消されても、事態の好転があるのかも分からない。

 それでも、今は前に進むしかないのだ。

 拳をぶつけ合い、三人はカロンに向き直る。

 刃越しに世界を映し出す透き通った刃を持つ大鎌と、同様の素材だと推測可能な髑髏を何処からか引き出したカロンは、自身に七色の光を纏いながら告げる。

「やるべきことがあるならば、早急に動く。準備が出来次第戻ってきなさい。……状況にも左右されるけれど、一泊二日なんて甘いことは有り得ないから」

「それはそうだけどさ、あーたが一緒に来てくれれば万事解決じゃないですか? 『エトランゼ』と戦って引き分けられる人が味方なら、ぐっと難易度が下がると思うんだけど」 

 この状況に於いて、至極道理な問いをライラが投げる。

 返答は、力なく首が横に振られる物だった。

 それ以上、即ち言葉で説明がされる事は無かったが、ゆかりには彼女が首を振った理由が朧気ながら見えていた。

 積極的に介入し、時にヒト属へ戦争を仕掛ける事も辞さなかった『エトランゼ』と『船頭』では立ち位置が大きく異なる。

『船頭』は世界の均衡が著しく崩れる。例としてヒト属や生物の異常な減少が生じた時に、それを食い止める役割を担い、また役割に殉じる事を求められた時にのみ現れると、歴史書に記されていた。

 ペリダスや、望む望まないを問わず対立し、道を分かった同級生砂川のような、異なる世界の存在が引き摺り込まれる事態が頻発し、彼らの一部は死に至っている。

 明らかに異常な事態を打開すべく、第三者曰く「選ばれた」らしいゆかりの前に現れ道を示した。

 これ以上を行えば、この世界で定められた規範に抵触し、新たな戦いの火種を呼ぶ可能性が生まれてしまう。故に、カロンは三人と共にファナント島を目指せない。

 異常事態ならば、少々の逸脱は許されるのではないか。

 あくまで挑む側のゆかりはそのような疑問が浮かぶが、彼女自身それをすぐに打ち消す。

 ――少々、も積み重なれば大きな違反に変わる。そこに目を付けられて『エトランゼ』が介入してしまうと、多分私が今立っている場所も変わる。だから、カロンさんは動けない。

 そもそも、五里霧中の状態から先を示して貰えただけでも僥倖に過ぎる。

 示されたのならば、その好機を最大限に生かす事はこちらの仕事だ。

「……最後に一つ、良いかしら?」

 結論付け、準備を行うべく既に部屋から出て行った二人の後を追おうとしたユカリを、カロンはそのような言葉で呼び止める。

 足を止め振り返ると、不意に強い力で引き寄せられる。装備や力に注意が向いていた為に意識していなかったが、作り物染みた美貌の接近で、状況とは無関係に心臓が跳ねたゆかりに、カロンは囁く。

 声を受け、異邦人の表情は硬く引き締まった。


                     ◆


「力の循環周期と現地の状況を照合すると、最長滞在期間は一か月半。けれども、その半分で片付けるつもりで準備なさい」

『船頭』の言葉に従い、始まった旅支度を終えた時には、既に日が完全に没していた。

 新月に加え、街灯も殆ど壊れて放置されている為に真っ暗な道を、ゆかりは慣れた足取りで歩む。この道は、この世界に来てから数えきれない程に歩いていた。

 今日が最後かもしれないと思うと、彼女の胸に刺すような痛みが走る。

 やがて、ゆかりはヒビキの家に辿り着く。

 昼間叩き付けられた叫びが齎す、恐れや躊躇は抜けていない。

 しかし、それを理由にして何も言わずに旅立てる程、ヒビキに対して抱く感情は軽くない。

 先日の騒動で捻じ曲がったままのドアノブを難儀して回し、外と互角の暗い家に入ったゆかりは、迷いなく昼間と同じ部屋へ向かう。

 やはり閉ざされた扉の向こう側、今にも消え失せそうな危うさだが、ヒビキはそこにいる。

 扉を開けようと動いた手は、すぐに降ろされる。


 対面してしまえば、間違いなく決意がブレる。


 口惜しいが、扉越しに告げるとゆかりは決めた。

「……フリーダ君、それにライラちゃんとファナント島へ向かう。……どうなるか分からないから、出発前にヒビキ君には伝えておこうと思って」

 反応はない。昼間目の当たりにしたヒビキの様子を鑑みれば当たり前の話だが、伝える事を否定された訳ではないと強引に奮い立たせ、ゆかりは言葉を紡ぐ。

「何かを得られるかも分からないし、生きて帰って来られるかも分からない。でも、何かが見つかって、その間にヒビキ君が抱えている物に何かしらの答えを出せるかもしれない。……私は、昼間のあんなやり取りが最後だなんて、思いたくない」

 一瞬だけ、扉の向こうの気配が強張ったような錯覚を抱きながら、ゆかりは着地点に歩んでいく。

「私にとって、ヒビキ君は大切な人。それはどうなっても変わらない。また会えた時になんて言おうか、ずっと考えると思う。だからさよならは言わない、でも……」

 視界が滲み出した。

 これ以上は言語の態を成さなくなると、ゆかりは自覚する。

 決めていた着地点には、どう足掻いても辿り着けない。最後の言葉を、強引に絞り出す。

「元の世界に戻る、以外の形で私が消えても、ヒビキ君は幸せになって……ね」

 目の端を拭い、踵を返したゆかりは前だけを見て歩き出す。

 背後から伝わってくる気配は激しく揺らいでいた。


 だが、それ以上何かが起きることはなく、両者は黒に呑まれて消えた。


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