16:約束された終わりへ
静寂と共に残された二人は肩を竦めて笑い合ったが、すぐに表情を引き締める。
「絶望の最果てに叩き落とされて、希望の底に辿り着いたって訳だ。ここまでなら素晴らしい話なんだけどな」
「問題はこの先だ。彼が歩むのは修羅の道。……どうあっても、安易で美しい道など無い」
覚醒に至った、ヒビキが体験した事象を当然二人は知る由も無いが、少年の意思はもう揺らがないと確信している。
ただ、成長してしまった大人特有の心理か、ヒビキに待ち受ける物の根本的な解決が為されていない事実には懸念が残る。
少しでも彼を取り巻く状況を改善すべく、最善の一手を模索する。そんな彼らの耳にノックの音が届くと同時、矮躯の少女が室内に転がり込んできた。
「ヒビキは何処に行った?」
「一歩遅かったな。グァネシア群島に向かったよ」
「そうか……見ろ」
矮躯の少女、ではなく顔馴染みの無免許医ファビア・ロバンペラが突き出した紙束が、ヒビキ・セラリフの身体データを記した物と、元四天王二人は理解に至り、彼等よりも速く内容を把握した妖刀は、口笛に似た音を漏らした。
無機質な文字で記されたデータは、皆例外なくヒビキが常人のような年数を生きられない現実を示していた。方向性こそ違えど、肉体の崩壊は嘗て彼等を率いた女傑の末期と同等の悲惨な代物は、発言に先んじてファビアの主張を叫んでいた。
覚悟していたとは言え、想像以上に凄惨な数値を突きつけられて沈黙するクレイに、無免許医の淡々とした声が飛ぶ。
「ギガノテュラスは五年と言ったそうだが、あの子の身体は確実に三年保たない。この数字も、あくまで『
このまま戦い続ければ、死は更に接近する。
二年か一年か、はたまた明日か。正確な時期は誰にも分からないが、彼の死が場にいる生者よりも近い場所にあるのは確かなのだ。
「出来るなら今すぐ呼び戻せ。最悪の場合、異邦人の前で死ぬぞ」
ファビアの言葉は至極真っ当であり、常人ならば一も二も無く応じていただろう。
だが、グァネシア群島に移動する術を持つ二人の回答は拒否だった。目を剥くファビアに、紅の雷狼は平時の調子を取り戻したような、どこか戯けた身振りで応じる。
「どんな道であろうと、アイツは選んだ。客観的な『正しさ』があっても、俺達に止める権利はねぇよ」
「かと言って、ボク達も指を咥えて見ているつもりはない。先生、これを見ろ」
先刻と立場を入れ替えるように、オズワルドが差し出した手紙を受け取る。手触りで差出人の特定に至り、ファビアの表情が歪むが変化はそこで終わらなかった。
「デウ・デナ・アソストルで待つ」
簡素極まる文面が示す意味と、神経質な性分がよく出ている文字で刻まれた文章の意味を解し、数多の修羅場を越えてきた筈の無免許医の身体が跳ねる。
彼女が、そしてクレイ達も望まない嘗ての友人達による殺人演舞の幕が開こうとしている。大抵の者が正気を手放したくなる、残酷な未来予想図を手にした元・四天王二人は不敵に笑う。
「ヒビキやユカリ君が危ないって話なら、解決策もシンプルだ」
「ボク達が先んじて黒幕を叩き潰せば良い。それで全てが終わる」
「嘗ての友を斬れるのか……!?」
「只の敗北者と船頭の奴隷。ボク達を形容する物はこの二つ。今更躊躇する必要は無い」
「戦わない奴に未来は無い。取りこぼしてきたから、今の最低な状況がある。……今度は、終わらせる」
調子こそ軽いが、悲壮感すら感じさせる声で断言したクレイは、不意に視線を窓の外に向ける。目に映る光景は当然ヒルベリアの町並み。
だが、獰猛な光を宿した蒼眼はその先にある悪夢の予兆を確かに捉えていた。
「……未来の為に、俺達で終わらせる。例え誰が立ち塞がろうと、な」
◆
インファリス大陸の丁度中央に、禁足地『デウ・デナ・アソストル』は存在する。
二千年前の大戦でシグナ・シンギュラリティを破った『白銀龍』とヒト族は、当地で最後の激突を果たした。
両者共に甚大な損害を被った末、前者は種の数を大幅に減らし、後者も肉体の各所に重傷を負って休眠を余儀なくされる。いわば痛み分けの形で大戦は終結した。
失われた意味を有していた当地は、技術の限界を追求した兵器群と自然の頂点に立つ白銀龍の『
繰り返し生じる発火や凍結、吹き荒れる瘴気の嵐が新たな芽吹きを阻害し、二千年もの長きに渡って死の静寂が続く。空は出鱈目な変色を絶え間なく繰り返し、太陽や月の存在を覆い隠していた。
種族問わず、足を踏み入れた者は生死すら辿れなくなる現象が頻発した結果、当地に生物の痕跡すら生まれぬ状況と化した。
元々有していた意味は拭い去られ『定められし終焉の地』なる意味を与えられたこの地は、今日もまた止まった時間を送る。筈だった。
腐敗した土が敷き詰められた大地に、白光を放つ球体が忽然と現れた。
瘴気が避けて通る、この場に於いて異物でしかない清浄さの結晶と形容可能な球体は、何かを確認するように死の大地を飛び回った末、何の予備動作も無く停止。
そして、広大な大地を単一の色で埋め尽くす光が生まれた。
時間が意味を為さなくなって久しい世界に、それを再び与えた光が失せた時、一人のヒトが立っていた。
デウ・テナ・アソストルを覆った光の色、即ち純白の衣を纏い、腰まで届く長い髪や少女然とした細い肢体も、衣に劣らぬ穢れなき白。呼吸と思しき動作を行う度に色を変える瞳は、別世界に繋がっていると馬鹿げた想像を大真面目に抱かせる力を有している。
非現実的な姿だけを見れば、純白の少女は荒廃した当地の救済に赴いた聖女と形容可能。
ザルバドでハルク・ファルケリアを。コラトルでユアン・シェーファーを殺害し、インファリス大陸上空でクレイトン・ヒンチクリフと激突。
三つの惨事を引き起こした存在である事実を知ってしまえば、甘い認識は消え失せるだろうが。
注意深く観察すると、少女の衣は度々不自然にはためき、その度に赤が滲み言語化し難い泣き声が生まれ落ちていた。
平時の狂乱が止まったデウ・デナ・アソストルの大地を、一切の感情が排された目で少女が睥睨する。聖女か殺戮者か。どちらの鋳型にも当て嵌められそうな姿で立ち続けた果てに、細腕が悠然と掲げられる。
何かに挑むように、何かを嗤うように、そして慈しむように、無機質な口から澄んだ音が響く。
「並立するが故に、世界は混乱する。混乱故に、悲しみが生まれる。ならば私が天に立とう。私が箱舟の針路を描き、救済の道を開こう」
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