14 キリングダンスと赤い花:下


 創造主の意思に従い生物の如き変動を繰り返す緑の海。降り立った者を絡め取り挽肉に変えんと蠢く枝を、加藤千歳は森に潜む獣の俊敏さで飛び移る。

 異邦人の奇策で組まれた七対一の構図は数分で崩され、体格が劣る彼女は最も離れた所まで弾き飛ばされた。

 ――まだ続いている。……団長と、頼三さんもそこにいる!

 左手の無骨な手甲から蒸気と共に鋼糸が射出。とある木の幹に突き立った、先端の鉤へ千歳の身体は引き寄せられる。

 着地に反応して枝が曲がり始める前に飛び移った千歳は、緑の隙間から戦闘が展開されている様子を視認。彼女の推測通り、ラフェイアの周囲に現在立っているのは二人。

 別の気配も接近しつつあるが、彼等が合流すれば自分の役割は消える。自身の体格や膂力から重々承知しながらも、殺意に基づき迫る樹木を躱しながら隙を伺う。視線の先で怪物が相手取る二人の武器を抑えた瞬間、小さく頷いた彼女の姿が消える。

「ほーそう来たか、っと!」

 鬼ヶ島と水彩を踏み付け、異常成長した木で敵の足を穿って動きを止め、仕上げに入っていたラフェイアの、やけに赤い舌が唇を這う。

 蓮華と頼三が刃を交える、不自然に開けた空間を覆う全ての樹木に千歳が立つ。両手両足が既に塞がっているラフェイアは、腹部に生やした無数のディオプラヌを一斉に放つ。

 枝を蹴り、ラフェイアへ突進する無数の千歳がディオプラヌに食い散らかされ、血肉と粉砕された骨の混合物に転生して地面を汚す。だが、ラフェイアに迫る彼女の総数に変動はない。

 引っかけに用いた『殻操舞シェルド』は、あくまで変わり身を行う程度。千歳が紡いだ『無限踊影シアターワンズ』は、発動時に記憶させた行動を執らせる事が可能。且つ、発動者の魔力の枯渇や気絶等の例外を除けば、分身の補充が自動的に為される。

『シノビ』だけが使用可能な超技で生まれた千歳は、ラフェイアの迎撃を掻い潜り一斉に左手を伸ばす。

 左手から射出された銀は光の虚像ではなく、彼女がここまで幾度も用いてきた鋼糸。刃同然に研ぎ澄まされたそれは、熟練者が用いれば虐殺劇を易々と開催可能な代物。

 百以上の鋼糸が織りなす斬撃の雨をマトモに受ければ、再生能力が高くても動きは止まり、不覚を取る可能性が生まれる。敗北の萌芽を放置する程に怪物は愚かではない。

 嗜虐的な笑みを浮かべた顔の上。即ち翠の髪が逆立って激流と化し、一本一本が業物の鋭利さを持った槍を形成して銀を迎え撃つ。

 銀の牙が一切の規則性なく敵に食らいつかんと吼え、真っ向から挑みかかった翠と絡み合い、空気を断ち割る音を盛大に響かせながら空中に前衛的な線画を描く。

 鋼糸の乱舞はラフェイアと言えど、感覚器官で全てを捕捉出来ない。踏み付けている二人や、この場に戻ってこようとしている連中も、勝利への一手を練っている筈。

 曲芸を続ける意思は怪物に無く、千歳もそれは同じ。

「『火疫俣蛇群散咬サイカオロチ』ッ!」


 全ての千歳の手に赤が灯る。


 手から生まれた赤は指を伝って鋼糸に移り、形容し難い音を発して疾走を開始。

 十の赤は千歳との距離が開くにつれ分離して数を増やし、瞬く間に算ずる事が困難な量に到達。翠の槍を炭化させながらラフェイアとの距離を詰める。

「チビのやりたい事は分かった。けど……!」

 楽しげな声が鈍い打撃音で途絶。声を紡いでいたラフェイアの顔が、あり得ない方向を向き、右腕を喪失した彼女は宙を舞う。

 これだけでは間違いなく再生するが、再起動より速く赤が怪物を捉え全身を覆う。

 死へのカウントダウンが始まった怪物に、腹部装甲から展開した『神宴槌』で首をへし折った蓮華と、右腕を斬り落とした頼三。そして千歳が決着を付けるべく得物を構え、動いた。

 

 数倍に巨大化した重斧が上半身と下半身を分かつ。

 黒の閃光を纏う忍刀が全身に無数の穴を穿つ。

 そして、激流を纏った異刃が塵芥同然に刻む。

 

 三人が放った攻撃はラフェイアを完膚無きまでに解体し、場には物言わぬ燃えカスが残る。頭部装甲を解除して放熱を行いながら、蓮華は荒い息を吐く部下二人に目を向ける。

「これで……終わりましたかね?」

「普通なら、な」

 普通なら。

 老戦士の言葉は、散々な現実が提示され続けているこの場では途轍もなく重い。

 呼吸が不可能な状態に追い込み、各々の全力を叩き込んで解体する組み立ては『水無月怪戦団』で多々採用されていた物で、これまで対峙した全ての敵を打倒した実績もある。

 植物も酸素の補給が出来ない状況に陥れば、死ぬ事実は曲げられない。

 ただ、ラフェイアにはペスカロルの水中監獄に放り込まれていながら、十年以上生を繋いでいたもう一つの事実がある。何も供給源が無い状態で生を繋げる存在に、常識は当て嵌まるのか。

 こびり付いた不安を拭おうと蓮華は口を開き、音が生まれる前に別の声が届く。

「今のはちょいと焦った。けど悪いね、似た小細工はとっくに経験済みなんだわ」

 三人は常人離れした反応を見せ声に得物を向けるが、何処からか復活したラフェイアはその先を行き、頼三の左膝を強かに蹴り付けた。半月板まで砕かれ、傾いだ老戦士の巨体を翠が絡め獲り、蓮華に放り投げられる。

 味方を斬り捨てるなど出来る筈も無く、蓮華は受け止めにかかるが如何せん体格差が有り過ぎた。激突した二人は、縺れ合って後方に押し流される。

「あーごめん、お前一人に負ける要素は無いんだわ。戦いは馬力じゃねぇって泣き言を最大限酌んでも非力に過ぎる」

 残された千歳が放つ暗器の連打を、虫を払う気楽さで無効化して距離を詰めたラフェイアは、あっさりと少女の首を掴んで持ち上げる。

「……ッ!」

「無理だって」

 魔術を紡ごうとした千歳が絶叫。爪の隙間や関節から伸びる茨が、彼女の感覚を激痛で埋め尽くし、魔術構築に必要な集中を奪い取っていた。

 喚く少女を嘲笑いながら、ラフェイアは右手のセイリルスを掲げ首に切っ先を向ける。後方から地響きが聞こえてくるが、どう足掻いても凶刃が千歳の首を刎ねる方が速い。

「撃墜数一追加ってところか。手応えはあんまねぇけどさ」

 躊躇も慈悲も無く右腕が振られ、無数の土塊が空間に舞った。

 

 そう、血肉ではなく熱の無い土塊が。


「は?」

 手応えと、飛来する物体が予想とかけ離れた物だった事実に、若干の戸惑いを見せたラフェイア。

 彼女の目に映るは、粉砕されて原型を失っていく岩石の盾と、赤熱した右拳を引き絞る少年の姿。


「『鋼人破塞撃クローム・フェスティバンカー』ッ!」


 銃弾に匹敵する速度の直拳が、狙い過たずラフェイアの顔面に命中。圧縮された顔が何度も爆発しながら転がる怪物は、処刑を食い止めるべく動いていた二人の猛攻に晒される。

 爆轟が奏でられる空間で、窮地を救った少年フリーダ・ライツレは、遅々とした動きで千歳に向き直り、そして出来損ないの笑みを浮かべた。

「間に合って良かった」

「あ、ありがとうございます……っ!」

 膝を折り倒れ行くフリーダを咄嗟に千歳が受け止め、再生が追い付かずに残る彼の傷を目撃して彼女は息を飲んだ。

 性質を変えた『堅岩天潰落』の盾を掲げていた左腕は脱力して垂れ下がり、両足は一部が耕されて破断寸前の重傷。口の周囲には拭いきれなかった喀血の痕跡が残り、辛うじてマトモに見える右腕も、ラフェイアによる寄生の名残が在った。

 分断以降のヒルベリア組が何をしていたのか。戦闘以外に気を配る余裕の無かった千歳は当然知らないが、少なくとも自分達に負けず劣らずの苦闘を強いられていたのは間違いない。

 同時に複数の戦いを優位に展開する、常識を超えた強さを千歳が再認識して身を震わせる中、フリーダが血の言葉を絞り出す。

「分断された後、僕たちはラフェイアが召喚した傀儡と戦っていた。数は……多分百以上。消耗するだけで埒が明かないし、魔力の流れがおかしくなっている事に気付いたからこちら側に来た」

「ヒビキさん達は……?」

「追いつく、とは言っていたよ。……その言葉を信じるしか、今は無さそうだ」

 己の言葉の白々しさから目を背けるように、上を向いたフリーダの目がその先に映る物を見て揺れる。彼の変化に追従した千歳もまた、それを目撃して首を傾げる。


 嫌味な程に変化の無い蒼空を、黒が汚していた。


 すぐに吹き抜ける風に押し流されていくが、その度に新たな黒が地上から打ち上がる光景が数度繰り返れた後、二人の見る空は蒼に回帰した。

「信号弾、ですか」

「そうだね。けれどあの色は……」

 懸念の声を断ち切る、怪物の厖大な魔力が肌を叩いて視線を戻す。予想通りと言うべきなのか、五体満足で立つラフェイアの姿。蓮華と頼三は隙を探るように停止しているが、指し手が無いのが現実だろうか。

 傲然と伸びた細い指が、フリーダを指し示す。

「死にに来るのは良い心がけだ。特別おんもしろいやり方で仕留めてやるよ」

 根拠のない只の強がりだろうと、ここは何か返しておく場面。だが、彼我に横たわる埋めがたい差は、虚勢を張る余裕すら奪い去っていた。

 戦闘態勢を執る事が精一杯。そんなフリーダを鼻で笑ったラフェイアが、業物を交差させて全身に光を灯す。

「と、してやりたい所だが、すぐ死ぬ相手に贅沢させてやる必要も無かったわ。充電も完了したし、とりあえずお前らはここで終いだ」

「全員防御を!」

「その忠告はちぃと遅かったなぁ」

 鈍色の波濤を展開しながら放たれた、蓮華の叫びを切り捨て、ラフェイアの全身に光が灯る。

 それを視認したフリーダ達の感覚が、全て光に呑み込まれた。


                     ◆


 異常な力の接近を感じたヒビキは、ユカリに覆い被さって固く目を閉じ、ティナも彼の動きに倣う。

 極彩色の光に一瞬世界が塗り潰され、それが去った時、彼らを包囲していた無数の緑は消滅し、場が一気に殺風景な物に変わる。

 湧き続けていた傀儡が消え、再生の気配はない。敵の仕掛けと確信したヒビキはユカリを引き上げて立たせ、スピカを構え直す。

「今の光、ユカリは分かるか」

「……多分、あの剣の力だよ。ヒビキ君達が来る前に、同じ光を見た」

「魔術にはどのような効果が?」

「至近距離で、光を浴びた蓮華さんは大火傷を負った」

 ユカリの平坦な声に、ヒビキとティナは顔を見合わせる。互いに色が失せている様を確認するだけに終わり、名案がひねり出されるといった事はない。

 再発動の間隔がかなり開いた事実から推測するに、光の放射は一度行うと数十分は再発動が出来ない。つまり、この瞬間もう一度撃たれて即死の線は一先ずない。

 ただ、ラフェイアの打倒が未だに叶っていない上に、盾となる傀儡を喪失した状況で『次』が来れば、疑いようも無く終わる。それ以前に、確実に生じている体力の消耗を鑑みればその前に押し切られる可能性も高い。

 

 どれだけ殺しても再生する存在を、どうすれば倒せるのか。

 

 絶対に答えが必要な問いに、策を打ち出せたのはユカリのみで、それは三人の間で共有済み。危険度が大きく異なるが、似たような選択をした時と同じ信号弾を放った事で、恐らくフリーダも理解している。


 後は実行に移すだけ。なのだが、ヒビキには躊躇の色が強く出ていた。


「……本当にやるのか。例え正解でも、ユカリの身体が持たない。下手しなくても死ぬぞ」

「でも、このままなら私達が生き残る可能性はない。何もしないで死ぬのは、許されないよ」

 自分の命を賭け金にするのはもう慣れた。だが、眼前の少女にさせる訳にはいかないという理性と、手札をほぼ全て使い切っている現実。相反する二つが、ヒビキに迷いを齎していた。

「勝つ為に自殺を試みた人に、説得するなんて無駄ですよ」

 横から届いた冷たい声に、ヒビキはティナを見る。傀儡との戦闘に於いても高い実力を示した少女は、出来損ないの笑みを浮かべて二刃を回す。

「気持ちは分かりますが、議論に意味はありません。それに、ユカリさんに禁じ手を使って欲しくないのなら、私達が勝てば良い話です」

 身も蓋もない言葉に、ヒビキの身体が雷に撃たれたように跳ね、同時に背後で鈍い音が連続して響く。

 向き直った三人の目に映るのは、微動だにしなくなった四人。上下動が幽かに伺える点からまだ生きているが、目的達成の為に動けるかは思考するまでもない。

 絶句する三人を他所に、彼らが落ちてきた黄金の光輪から、無傷のラフェイアが歩み出る。先程よりも装甲の強固さと派手さを増した怪物は、友人に挨拶を投げる気楽さで片手を挙げる。

「現実は厳しいってこったな。お前ら三人を殺せば、後は有象無象のゴミしかいねぇから勝ち確だ」

「それは、足を掬われて負ける噛ませ犬の台詞ですよ」

 ユカリの呟きを、ラフェイアは鼻で笑う。

「人格と強さに何の関係がある? 歴史上の英雄が名を残すのは、すんばらしい人格だったからか? 馬鹿を言うなよ、勝利したからだ。お前らがアタシにどんだけイチャモン付けようが、負け犬の遠吠えだろうが」

「かもしれないが、ごたごた喋るな」

 短い台詞と共に、ラフェイアの胸部装甲が爆散。後方跳躍で回避する怪物に、伸長したと錯覚させる速度で動いた蒼の異刃が届く。

「ヒロイズムか? 下らねぇ!」

「テメエにとっちゃそうだろうな!」

 動揺から即座に立ち直り、ラフェイアの左腕が振られる。象られた生物の咆哮を響かせながら迫る刃を、ヒビキは義腕で受けた。

 擦過音と蒼の破片を散らしながら距離を詰め、怪物が反応して全身から茨を放射。亀裂を刻む勢いで地面を踏み付け跳躍。回避以外の意図を以て動いたヒビキは、空中で準備を終えていた。


「『鮫牙颶閃連刃カルスデン・ウラヴィエルグ』ッ!」


 音速の殺人歯車が張り巡らされた茨を刻むが、続いて届くは無数の火花と澄んだ音。超人的な反応を見せたラフェイアは、二刃を巧みに繰って攻撃を流しながら、攻撃の隙間からヒビキの首を狙う。

 一塊に圧縮された轟音響く剣舞は、瞬く間に膠着状態へ陥る。こうなれば持久力の差でラフェイアが圧倒的に有利。

 その事実は、剣舞の当事者以外も理解している。だからこそ、ユカリもティナも既に動いていた。

 少女の右手に握られた、無骨な異刃が名前通りの紫電を纏い、一直線に放たれる。

 一切の狙い過たず、ラフェイアの死角を的確に狙った突きは豪風を引き連れ、ヒビキの腹へ向かう。空間の切断と再結合が為されたと気付きに至った時、既に同士討ちは不可避の状況。にも関わらず、焦りの色がない二人に銃弾が命中。

 そして、空中へ移動していたラフェイアに各々の得物が突き刺さった。

「ちぃ!」

「まだだ! 『天上下双十字モノクロノ・ツインフォール』ッ!」

 三つの刃を浴び、右手を喪失して後退するラフェイアを、ティナが放った十字の閃光が襲う。咄嗟に呼び出された無数の植物人形と引き換えに攻撃を無力化し、反撃と言わんばかりに肩口からディオプラヌを放つ。

 迫る翠の蛇を前に、ティナが後退。入れ替わる形で紅の刃を掲げたヒビキが飛び出し、正面の群れを纏めて半分に分かつ。左をスピカの砲撃で粉砕し、右をデネブから紡いだ『焦延留炎バルドラム』で焼却。黒煙とナパーム特有の異臭を散らしながら、ヒビキは下方からの気配を受けスピカを投擲。空いた左手で翠を握り潰す。

 翠に塗れた少年は追撃を目論むが、ラフェイアの動きを読んで右腕を伸ばす。先んじて離れたスピカに引かれて距離を取ったヒビキを横目に見ながら、ティナが再度前進。 

 白磁の輝きを放つ剣が、極光を体現する剣と真っ向から激突。左腕のエルナトが『壊界劇』を紡いでいる関係上、片手でティナを相手取るラフェイアだが、『怪鬼乃鎧オルガイル』の肉体強化で、同様の強化を行っている少女の二刃と互角以上の鍔迫り合いを展開。


「――っ!」


 セイリルスに極彩色の光が灯る様を目撃したティナが、全身の筋肉を怒張させて己の顔面に向けられた剣を逸らす。

 予想通り切っ先から生まれた『光条灼滅濤砲』の熱線はティナの頬を掠め、透明の地面を焼き焦がしながら後方へ抜ける。炸裂音と何らかの生命が消し飛んだ感覚に肝を冷やしながら、ティナは身を翻す。

「『欠落ノ』――」

「遅ぇよ愚図!」

「愚図はお前だ」

 空中で『欠落ノ光刃インパーフェクション』の構えに移行したティナより速く、攻撃に動いたラフェイアの身体が傾ぐ。攻撃を受けた事実と、仕掛けた相手が誰なのか。この二点で表情が歪んだ彼女の目は、半壊した鎧を纏う蓮華を捉える。

 体当たりで怪物の体勢を崩し、巨大化した左膝を跳ね上げ顎を痛打。鈍い音を立ててたたらを踏み、ガラ空きになった胸部に蓮華が狙いを定める。

 残存する鎧と彼の身体を軋ませ、地面を泥濘に変える衝撃波と、多気筒発動機の嘶きを引き連れた斬撃は、ラフェイアの胸に狙い過たず突き刺さり、彼女の身体を赤い花弁に変える。

「『喰命昇転舞花』に、まだネタがあったのか!」

「だな。けど、こっちにも手がある!」

 仕留め損ねたと即座に理解した蓮華の上方から声。跳ね上げた視線の先に、異邦人に抱えられながら、煌々と輝くデネブを構えるヒビキの姿。

「その技を使えば剣が保たない、無茶だ!」

「無茶でも何でも、勝たなきゃ意味ねぇだろ……『覇炎煌竜剣レプシエン・ドラグスパーダ』ッ!」

 名を知る者から色が失せ、知らぬ者は疑問を浮かべる。そんな彼らは等しく蓮華の『希灰超壁ウォルファルド』に包まれ姿を隠した。

 

 転瞬、世界は紅に書き換えられた。

 

 デネブを木端微塵に破壊して放たれた紅が空間を染め上げ、暴力的な熱によって『昏界森繁永録ユーグ・ラース』で生まれた樹海を灼き、溶かし、ねじ斬り、全てを無に回帰させていく。

 回避を試みても、この場にいる限り紅竜の進撃からは絶対に逃れられない。花弁の姿で森に溶け込んでいたラフェイアの、混じり気無しの苦痛と絶望と憤怒の咆哮が響き渡るが、それもやがて消える。

 紅の大津波が世界から退場し、時間が逆回しされたかのように蒼と白で構成された最上層に、翼を消失させたユカリと左腕が炭化したヒビキが降り立ち、原型を失った左手から、デネブの残滓が風に流される。

「ヴェネーノの技を使ったのか……!」

 時間以外に特効薬が無い深手を負ったと判じたのか、治癒に動こうとした蓮華を右手で制したヒビキは、蒼白な顔で首肯を返す。

 世界最強を望んだ男の剣技『覇炎煌竜剣』は、現代技術の粋を尽くして精製されるドラグフェルム合金すら液体に変え、炎に強い耐性を持つ『名有り』の竜を炎上させる超高熱を、斬撃の性質を持たせて放つ。

 国をも蹂躙する決闘者の剣技を模倣するなど、只の自殺行為に等しい。ヴェネーノの戦闘を傍観する幸運に恵まれた者が試み、そして屍に姿を変えた事例は数知れず。

 左腕が暫し使用不能となり、武器も消滅する対価を払ったが、成功させた事実に蓮華は、辛うじて立てるところまで回復した仲間達は、ヒビキに慄きの混じった視線を向ける。

 それに気付き、引き攣った笑いを浮かべたヒビキは――腹部を穿たれながら翠の波濤に押し流されていく。

「ヒ――」

 駆け出そうとしたフリーダやティナも、ヒビキとは全く別方向へと同じ道を辿り、怪物の仕掛けと気付いた蓮華達もまた然り。

 残されたユカリは反撃に動くが、引き金を引く前に飛来した樹木に右腕を穿たれる。両脚の切断とはまた趣の異なる激痛で身体を折った彼女の目に、虚しく地面を滑っていくワードナを蹴り飛ばす爛れた足が映る。


 湧き上がる絶望を辛うじて抑え、顔を上げる。


 予定調和を一切裏切らず、立っているラフェイアを見て、ユカリの喉から勝手に叫びが噴き出した。

「普通、ここまでやったら、倒れてくれるものでしょう!?」

 回復対象を蓮華に絞り、ヒビキとティナにユカリが『怪鬼乃鎧』をぶつけて肉体を強化。乱戦の中で蓮華に突撃させて集中を逸らし、相手の尋常ではない耐久力を踏んでヒビキは放つ前に自爆、又は戦闘不能のリスクを背負って『覇炎煌竜剣』を使用。

 可能な限りの手を見つけ、皆は全力で答えた。結果は『昏界森繁永録』の大森林を破壊しラフェイアの再生能力を奪い取る、まで。

 

 惜しいも何もあったものではない。これでは足りないのだ。


 愕然とするユカリの首が掴まれ、いつかの再現の如く地面に叩きつけられた後、空中に吊られた彼女はラフェイアと対面。顔も負傷している怪物の目に乱れはない、最悪の状況。

 後方からライラが放つ榴弾を片手で弾きながら、彼女が始めて聴く静かな声が、淡々と響く。

「うん、アタシが馬鹿だった。お前を最初に殺しとくべきだったよ」

「……頭が悪いんですね。……だから、封印される羽目になったんでしょうか」 

 程度の低い煽りに反応を見せず、怪物は静かに分析を続ける。

「ヒビキがヴェネーノに勝利した理由も分かったし、ああやって立ち続ける馬鹿がいれば、集団の闘争心は消えない。勝利以外見えなくなった馬鹿は、どんな阿呆な手も選択し、そして決める。……あの馬鹿を殺すには、お前を殺す事が唯一の手だったって訳だ」

 樹木に縛められた者達は未だ脱出が叶わず、ユカリを救助する事は不可能。彼女自身も、援護射撃や飛行で魔術を用いた反動で動けず、ネックレスも沈黙。

 詰んだ状況下でラフェイアの右手が蠢き、無骨な剣を形成。怪物の手から逃れる手段も、次に放たれる首を狙った一撃を躱す術も、彼女に無い。

「割とマジで覚えといてやるよ。だから死ね」

「死ぬのはあなたですよ。……何があろうと、ね」

 苦し紛れの言葉を無視して、ラフェイアが右腕を振るう。

 消耗からか先刻より格段に遅い斬撃だが、これでも無力なユカリの首を刎ねるには十分。確定した未来をどう受け止めているのか、ユカリは決して目を逸らさずラフェイアを睨む。

 肉を穿たれる激痛と、鈍い感触。同時に敵の動きも止まる。

「……は?」

 手を止め、怪物の目が己の腹部に向かう。ユカリも遅々とした動きでそれに倣い、赤い世界に蒼刃が輝く様に薄く笑う。

 ユカリとラフェイア、両者の身体を貫いている蒼異刃スピカは、四つの目が見つめる中で瞬いて姿を変えていく。

 内部から身体が破壊され、ユカリの口から赤が毀れ、傷口から挽肉が落ちる。か細い生命の灯火が更に薄らぐ中、異邦人の少女は気付きに至った怪物に語り掛ける。

「確かに私は雑魚でしょうね。ですが、こういうやり口を思いついて、実行出来るぐらいの意思もあります。だから――」

 持ち主がスピカを掴み、そして今から始まる光景に怯えを抱いていると、更なる痛みを呼び起こす震動で感じ取る。彼の感情は痛いほど分かるし、だからこそ彼なのだと場違いな感情も湧き上がる。

 彼の躊躇と、勝ち筋がこれしかないと理解しているユカリは大きく息を吸い込み、最後の引き金を引く。


「だから、これでも食らって、し――――」


 皆まで言えずユカリの理性が崩壊。彼女の腹が、胸が、手足が、首が、顔が、至近距離からの魔力の波濤で沸騰。極限の苦痛で人が最低限持っている何かが崩壊。白濁していく目から涙を流し、脱力したように舌を垂らすユカリの口からおぞましい哄笑が放たれる。

 そして、それは彼女同様スピカに穿たれていたラフェイアも同じ。否、ヒビキが放った『祓魔双彩刃砲リヴァイクト・バルディロイツ』で、その上を行く地獄に放り込まれていた。

 全身が炭化するまで炙られた次の瞬間、絶対零度に晒され凍結。完全に凍結する也、再度灼熱の奔流に押し流される。再生を試みようにも、何の前兆もなく入れ替わる二つの苦痛に身体が付いて行けず、ラフェイアは獣声を上げるばかりで、それも徐々に小さくなっていく。

 双極に立つ攻撃が交互に襲う『祓魔双彩刃砲』の牙は、発動者の魔力が尽きぬ限り獲物を砕く凶悪さを持ち、当然制御も困難。習得したてで乱戦の最中に放てる代物ではない。

 異常な再生能力を持つラフェイアに対し、安易に放っても無意味であり、そもそも命中させられるかも運に左右される。

 ここまで踊り続けたのも、ヒビキが一度見ただけのヴェネーノの剣技を使用したのも、全ては最悪の状況まで追い込まれた時、この切り札を切る為の準備でもあった。

「……!」

 続く殺戮の奔流の内側から声。この状況で声を発せられるのはたった一人、ラフェイアしかいない。


「コンナトコロデ、アタシはシネナイ。……ショクブツニオカサレテウマレタカラステタクソモ、コウテイシナカッタセカイモ、ナニモカモユルサナイ、ゼンブゼンブ、ブッツブシテヤル!」


 崩壊寸前の状況から絞り出される、聞く者の心胆に突き刺さる痛切な叫びと共に、最上層に再び緑の彩が加わる。気付きに至った蓮華が、最後の力を振り絞り『煌光裂涛放』で焼却を試みてくれるが、完全に消滅させるまで至らない。

 再生を許せば、今度こそ勝ちの目が失せるが、対処する術も無い。

 希望が潰えようとする中でも止まれず、歯噛みするヒビキ。不意に、彼の身体を知己の気配が撫でる。

 発信源に目が動こうとした刹那、紅の雷撃が周囲の緑を焼き尽くす。

 驚愕するヒビキの視界の端、黄金が揺れる。そこから辿っていくと、少し削れたように見えるが、相も変わらず年齢が読めない美貌と、数多の修羅場を越えてきたと一目で理解させる鋭い蒼眼。

 両の手に握るは、儀礼用と錯覚させる精緻な装飾が施された美しい長槍『紅流槍オー・ルージュ』。

 ここまで見れば、乱入者が誰なのか自明。だが久方ぶりに、しかも自分達の窮地を救う形で現れた男を前に、ヒビキは感情の昂ぶりを抑えられず叫ぶ。

「クレイさん、アンタなんでここに!?」

「悪い、遅くなったな。一応助けに来たんだが、必要無かったっぽいな。……そこのラフェイア、お前にちょっと良い事を教えてやる」

「アア?」

 『雷獄針ラ・ソース』の紅雷で間断なく階層を焼いて再生を阻止しながら、元四天王は口の端を釣り上げる。確かな悪意に基づいた顔だが、一抹の同情も宿っているようにも、疲労で霞むヒビキの眼には映った。

「食人植物とヒトの間で生まれた奇跡。だが、特異に過ぎる力のせいで誰にも受け入れられず、殺人でしか己を証明出来なかった。まあ、ここまではよくある話で、別に俺がどうこう言える話でもない。問題はここから先だ」

 炸裂音が延々響く中で、不思議とよく通る声は、本人以外に着地点が見出せぬまま淡々と続く。

「お前は殺戮に価値を見出し、数多の国や個人の命を奪った。ヴェネーノですら殺せないんだから、ある意味じゃお前が最強かもしれない。……牢獄に放り込まれるまでは、な」

「……」

「今ここに立っているように、その気になればすぐにでも牢獄から出られた。けど、お前が実際に動いたのはヴェネーノが死んだと認識してからだ。ここから分かる事は一つ、お前はあの野郎に勝てない、怖いって認識してしまったんだな」

「チガウ!」

「違わねぇよ阿呆。勝てない相手が消えるまで牢獄に引き篭もり、勝ち目のありそうな奴に便乗してシグナの遺物を奪い、勝者を気取ろうとした。似たような事をやらかしている俺が言うのも何なんだが……」

「ヤメロ! ソノサキヲ、イウナァ!」

「ヴェネーノや、俺以外のこの場の皆が持っている物がお前にはない。そんなお前はユカリ君達の踏み台になるしかない、只の負け犬だ」

 冷徹な指摘にラフェイアの声が途絶し、展開された緑が消失。

 波濤に埋没していた輪郭が急速に綻び、崩壊を開始。先刻までと異なり抵抗の様子は伺えず、只々ラフェイアは小さくなっていく。

 不意にヒビキの魔力が枯渇して、二つの極限を行き来する波濤は生温い風を残して消失。亀裂に塗れて逆にこれが正常と錯覚させるまでに破壊された最上層に、シグナ・シンギュラリティの遺物が乾いた音を立てる。

 眼前に広がる無から、圧倒的な再生能力と悪辣で立ちはだかったラフェイアは、存在の断片すら残さず、世界から退場したとヒビキは気付きに至る。

「しっかりしろ、ユカリ……!」

 砲台形態を保持出来なくなり、異刃へ回帰したスピカを鞘に納め、半ば身体が千切れかかっている、顔以外が崩壊寸前のユカリを、満身創痍のヒビキが辛くも受け止める。心音は聞こえてくるが、いつ終わりが来ても不思議ではない。

 すぐに処置をしなければならない状況の少女の身体に、光が灯される。クレイトン・ヒンチクリフが『慈母活光マーレイル』を発動したのだ。

「クレイさん、ユカリは……」

「かなりヤバいがまだ大丈夫だ。……ユカリ君の身体も、勝手に再生を始めているから何となる筈だ」

「?」

 ラフェイアや『魔血人形』の力を持つ自分ならともかく、魔術を使えないユカリの身体が、勝手に再生を始めるなどあり得る訳がない。

 この状況でも冗談を言うとは、ある意味流石だと思いながら顔を上げる。緊張を保ったままのクレイの表情が映り、彼が本気でそう言っていると理解したヒビキは、説明を求めるべく口を開いた瞬間だった。


「島が崩れるぞ!」


 千歳と頼三を強引に抱える、左腕以外の鎧を失った蓮華の叫びに反応したかのように、島が激震を開始。地面に這い蹲る他無くなった一行の目の前で、透明な地面が砕け、その下に在った階層も空の塵へ消えていく。

 脱出は絶対条件だが、負傷した彼らが最下層の船まで辿り着けるかは極めて怪しく、それをすることは雑な挙動に耐えられないユカリを捨てていく事に直結する。

「船とやらがある座標を寄越せ!」

 蓮華に怒鳴り、そして言葉通りの物を得たクレイが『転瞬位トラノペイン』の構築を開始。元四天王と言えど、崩壊を始めた未知の場所へ三十人以上を纏めて移動させる事は難易度が高く、発動は時間との綱引きになる。

 傍観する他ない歯痒い、そして恐怖がせり上がる時間。その中で、不意に七色の光をヒビキは目撃する。

 光は蓮華やフリーダの背後に生まれて、ラフェイアが用いていた技のように穴を作り出し、彼らを引き摺り込んでいく。

「お、おいこれ……」

「安心なさい。地上に降ろすだけよ」

 いつの間にか崩壊が止んだ最上層に澄んだ声が場に響き渡り、ヒビキとユカリ、そしてクレイ以外の姿が加速度的に失せていく。

「ちゃんと報酬は渡しに行くからな! 確か、そう、ヒルべ――」

 喧しく叫んでいた蓮華の声も、穴が閉ざされた事で途切れる。

 急激な状況変化で沈黙が齎された、崩壊途中で停止した空間に人影が二つ、忽然と現れた。

 片方は長外套を纏う痩躯の少年。

 もう片方は、水晶の髑髏で各所に装飾が為された装甲を纏う、目まぐるしく色の変わる目と薄い青の髪を持つ、少女と形容可能な、しかし膨大な魔力を漏出させている存在だった。

 一行を救った存在は、緊張を隠せない面持ちのまま、淑女の作法で名乗る。

「初めましてヒビキ・セラリフ。私は『船頭』カロン・ベルセプト」

「……はぁ?」

 神話の住人ですと名乗られた時の、ごくごく真っ当な反応を見せたヒビキだったが、今は彼女が誰なのかは重要ではないと思考を切り替えて問うた。

「とりあえず助けてくれてありがとうよ。で、アンタは俺やユカリを残して何がしたいんだ」

「その説明をする為に来ました。……ヒビキ・セラリフ、あなたは――」

「余計な手心が介入する語りに、何か意味があるのか?」


 遠雷の声と共に、蒼空に亀裂が奔る。


 最上層を包囲する形で亀裂が刻まれ、そこから映る夜よりも深い黒から、厖大な魔力が噴出。ヒビキとクレイ、場のヒト属二人は、声も出せず、只片膝を付いてここから現れる更なる乱入者を待つ他ない。

「やはり来たか」

「無論だ。過ちを正す必要があるのでな」

 カロンの声に応じる形で、亀裂から不浄を払う白だけで構成された爪が、足が、片翼が顕現。更に量を増した魔力に、意識を手放す寸前まで追い込まれたヒビキは、白の全貌を前に言葉を失う。

 王冠を戴くように複雑な角が彩る頭部は、確かに竜の特徴を揃え、片翼だけとなっているが翼はこの階層の三分の一程を覆う。四肢に並ぶ爪はその一つ一つが『独竜剣フランベルジュ』の数倍を誇り、永久凍土を装甲とする尾は、それだけで国を破壊可能とする禍々しさを持っていた。

 最早喘ぐしかない凡庸なヒト属に、巨大な龍は高らかに名乗る。

「我が名は『白銀龍』アルベティート」

「『戒戦鬼』カラムロックス」

「……『大怪鳥』セマルヴェルグ」

「『黒甲竜』ギガノテュラス」

「で、オレが『覇海鮫』メガセラウスな。やっぱ海でやろうぜ。泡の中じゃ苦しい」

「却下だ」

「ああそうで」

 最後に入った余計なやり取りに、気を緩める余裕などない。


 二千年前ヒト属に牙を剥き、世界崩壊寸前まで追い込んだ怪物『エトランゼ』が自分の前に居る。この事実の重みを軽減する策は何処にもなく、結果として相手の次を待つ事となる。

 身体の何処か一箇所に、同一の武器による物と思しき傷が刻まれた『エトランゼ』達は、悠然と宙を泳いで散開。暫し回り続けた後『五柱図録』と同じ構図になる位置で停止する。

 硬直したままのヒビキに、動きを止めた怪物達の視線が集中。カロンと、その付き人と思しき少年からも視線を向けられている事実から、これから伝えられる何かは、嘘偽りの存在しない真実だと本能で感じ取った。

「時間は有限だ。真実の提示を始めよう」


 白銀龍の重い口が厳かに開かれ、蒼空すら停止して見守る劇が幕を開ける。


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