9

 キャメロニスに跨りタドハクス砂漠を北上する二人組、ヒビキ・セラリフとハンナ・アヴェンタドール。旅を開始して二週間が経過したが、今日の二人にはいつもと違う空気が漂っていた。

「なぁハンナさんよ。いい加減機嫌を直してくれるとすげぇありがたいんだが」

「私は全然全くこれっぽっちも機嫌が悪くなんかない」

 頬を膨らませ、目の端に少し涙を溜めた状態では説得力が皆無だ。そのような指摘を行う事を堪え、ヒビキは大きな溜息を吐く。


 切欠は昨日の夕食だった。


 食事についても、ハンナが調理まで引き受けてくれていたのだが、彼女の味付けに違和感を覚えたヒビキは、朝食の調理を行うと申し出た。

 彼も料理下手の部類に入るが、供した朝食を口に運ぶなりハンナの顔色が変わり、ある問いを投げられた。

「……君は、料理が出来ることを私に隠していたのか?」

「え? いやこれくらい出来る範疇に入らねぇぞ。俺なんか下手くそだ」

 食事に意識を割く最中、何気なく返した答えへの反応の無さに不安を抱き、顔を上げたヒビキの眼に、妙に無表情なハンナの顔が映った。

「これで下手……フフ、フフフフフフフ……」

「お、おい? いきなりどうした?」

「何でもない。何でもないぞ……」

 遠回しに「お前の料理の腕は終わっている」と言われたと感じている様子の、ハンナの不気味な笑声は、食事後も続き今に至る。

 急所を知らなかった点を考慮してくれと口に出せず、ヒビキが頭を掻いていると、竜騎士が不意に真面目な顔で向き直る。

「君と私の価値観の差異について、またの機会に議論するとしてだ」

「勘弁してくれ……」

「君はフィニティスに存在する、アークス王国保有の研究所に何があると考える?」

「何があるってなぁ」

 死した依頼人バルトリオ・クェンティンからは、正式受諾前だったことも手伝い、得られた情報はペリダスの種の亡骸や「それ以外の世界に関連する物がある」の二つ。

 現状のように孤立無援、かつユカリがいなければ態々探索に赴くことは無かった曖昧な物だ。

「豊かな生活を維持している元軍人なら、民間の強力な護衛を雇える。闇医者の仲介とは言え、異なる世界の情報を欲する者を指名したなら、何かがある筈だ」

 ハンナから指摘を受け、ヒビキは熱の暴力を振るう太陽光に目を眇めつつ、まだ見ぬフィニティスに思いを馳せる。

 異なる世界の存在とされる者は、先日のペリダスを含む『正義の味方』と括られる攻撃的な存在の自称。または生物学的な分類が不可能だったり、既存の魔力形成生物には無い特徴を持つ個体を強引に括った物までと、多様に存在する。

 

 だが、奇妙な生物を全てそう括っていては、学問の信頼が揺らぐ。

 

 研究者の不断の努力で、異なる世界の存在とされていた種が、既存の生物が特異な進化を果たした種と判明した事例は、以前対峙したボブルスを始め多数存在する。

 そのような事例に近い物と考えるのが常識的な判断だが、そうするとあそこまで勿体ぶる必要性が薄い。恐らく、死骸の他にもペリダスの様な存在のデータが集積されているのだろう。

 ただ、どのような情報があろうとも、ヒビキには多少の諦観が存在している。その旨を告げるなり、ハンナが怪訝な顔を浮かべる。

「俺の居場所はアークスの連中も掴んでる筈だ。クソ野郎はともかく、アイツの飼い主はおっさんの経歴を当然知ってる。二つを結びつけると、俺がすぐヒルベリアに戻らず、研究所に向かうってのは簡単に導き出せる」

「となると……」

 ハンナは言葉を切るが、ヒビキは首肯を返す。

 使えそうな材料があっても、辿り着く前に破棄、または研究所自体が破壊済みの可能性は極めて高い。御大層な工作部隊を動員せずとも、四天王をひと暴れさせれば完璧な隠滅を実現させられるだろう。

「空振りだった場合、君はどうするつもりだ?」

「一応何かあるってのは信じてるけどさ、無かった時は正面突破だ」

「正面突破、か……」

「話し合いの余地は無いからな。前は完璧に負けたし、次やって勝てる保証もないけどこれしかない。アンタに訓練してもらって、多少マシになった自覚はあるしな」

 ここ数日、朝夕の食事後にヒビキはハンナから戦闘の稽古を付けて貰っていた。

 数日で劇的な変化が生まれる訳もなく、目くらましに用いる『壊照光』等の、基礎的な魔術も未習得だったことを始め、ハンナに呆れられる事が多かった。

 ただ、ヴェネーノと同じ魔剣継承者の教えは非常に理に適う物で、何度も砂に伏したが、技の練度上昇に加えて何かを掴みかけていた。

 過去の対峙では異邦人相手に何も出来なかった上、未だ相手の力のタネを看破出来ていないが、次は多少マシな戦いが出来る筈だ。


 ――最悪、ユカリが無事ならそれでいい。刺し違えてでも……。


「君の意思と違える引き分けを戦略に組み込むのなら、再戦しない方が良い」

 内心を見透かすような指摘に、ヒビキの身体が跳ねる。その様を見ながら、ハンナは淡々と言葉を継いでいく。

「私に語った「どんな手を使っても勝つ」考えは、私達が打たれた手を含め理解出来る。君が生き延びて、彼女の横に立つことを最大の目的としていたからだ。引き分けは根本的に軸がブレている。付け焼刃相手に、君が負けると私は思わない。やるなら勝つつもりで挑むんだ」

「俺の力も借り物だ、あの野郎とそんなに差は無い」

「自覚して改善を試みている時点で決定的に違う。私は異邦人を見ていないが、彼に好感は持てなくても君には持てる。もっと胸を張るんだ、君は強いのだから」

「そりゃどーも」

 真っ向から肯定的な感情をぶつけられる事が苦手な為、ヒビキは首を捻りつつ継ぐべき言葉を探すが、なかなか上手く纏まらない。

 どうにか絞り出そうとした時、突如彼はキャメロニスから飛び降り、『器ノ再転化』を行ったスピカから『牽水弾ウォルレット』を放った。

「出てこい!」

 ヒビキが虚空に向けて怒鳴ると、砂丘の陰から野戦服を纏った男達が複数、静かに姿を現した。

 階級章の類が一切排されているが、彼らの持つスクライル製最新魔導剣『交渉者ベルネング』は、現状アークス国軍にのみ供給されており、そこから相手の所属と目的は大よそ理解出来る。

 銃口と刀身が一体化した奇妙な武器の切っ先を、歯噛みするヒビキに向けつつ、彼らは冷酷な言葉を告げた。

「武器を捨てて両手を上げろ。拒否すれば、この場で殺害する」

「貴様等――」

 抗議に進み出ようとしたハンナを、ヒビキは右手で押し留め、彼の意図を理解した竜騎士は口惜し気に後退する。

 心意気は嬉しいが、彼女がここで戦えば国同士の戦争に発展する危険がある。このやり取りに参加させる訳にはいかない。

ヒビキはスピカを降ろして両手を掲げた姿勢で追跡者に向けて歩む。

 

 無論、ここで諦める選択を彼はしていない。

 

 ハンナと戦えたのはあくまで一対一の形式で、大人数のプロを相手取った乱戦は非常に分が悪い。

 彼らが自分を捕縛すべく接近した時、一瞬の隙を衝いて最大火力の一撃を叩き込んで混乱を引き起こしこの場から離脱する。

 生存可能性が一番高い行動案をヒビキは練り上げ、ハンナに手信号で意思表示を行うと、白銀の竜騎士は渋々ながら逃走の体勢をさりげなく執った。

 六人組の男が包囲を完了し、拘束具を取り出すべく意識が逸れた一瞬、ヒビキはスピカの柄に手をかけ――

「離れろッ!」

 ハンナに襟首を掴まれ急速に後退させられる。

 疑問を零すより速く始まった世界の揺れと、沸騰しているかのように泡立つ砂の大地に、ヒビキは瞠目する。

「どいつもこいつもよぉ、俺の庭でギャーギャーうっせぇんだわ」

 襟首を掴まれた状態のまま、ハンナが発動した『竜翼孔』で浮上したヒビキは視線を下に向け、地面が瞬時に陥没してアリジゴクの巣を形成し、屈強な戦士を呑み込む様を目撃する。

 抵抗する暇も与えられず、底まで落ちた軍人達の姿が割れた砂の中に消え、ここまで付き合ってくれたキャメロニス達が逃走した結果、場に残ったのが二人だけになった頃、砂の泡立ちが更に激しくなる。


 そして、砂の海から一つの巨影が飛び出した。


 蛇に酷似した三角形の頭部には黄金の眼光が閃き、急所を覆うようにわき腹から腹部にかけて並ぶ、硬質化した鱗は砂を掻き分けられる形状に変質している。たった今は塞がれているが、鱗の隙間に何らかの意図を持つ孔が映る。

 骨が特異な発達をしたと思しき、亀の甲羅に酷似した背部は、城塞と同様の威圧感を見る者に与えていた。

 砂漠地帯に生息するトカゲとは何もかもが異なる、二十五メクトル程の体躯を誇る生物に目を奪われるヒビキの耳に、ハンナの声が届く。

「『砂王竜』ラッバーム……!」

「俺が分かるとは、お前出来損ないの遠縁か」

 地響きに等しい声は、低俗な嘲りを啓示に錯覚させる圧を発する。巨竜が放出する魔力の圧で、無意識にヒビキの足が後退を始める。

それを叱咤して必死に抑えるヒビキを他所に、ハンナは気丈に問いを続ける。

「八百年を超える長き時を過ごし、偉大な竜の称号を得ている貴方が、何故近年になって殺戮を開始した!?」

「血に免じて答えてやる。『エトランゼ』が復活を果たし、再集結すると竜の情報網で伝わってきた。武功を建てりゃ、何れ奴らの元に招かれる。そん時ギガノテュラス辺りをぶっ殺し、俺が『エトランゼ』の席に座る!」

 高らかな宣言に呼応して、開かれた孔から噴き出す砂で砂嵐が引き起こされる中、ヒト族二人は竜の身勝手な理由に絶句し、そして視線を交わす。

 常識的な思考の道筋を辿れば着地する筈の、撤退という選択肢は二人の瞳には無かった。寧ろ、常軌を逸した相手の思考に毒されたかのように凶暴な光がそこに宿る。

「俺達もぶっ殺す対象だな。……どうする?」

「奴の野望を聴いただろう。ロザリスに被害を及ぼしかねない者は排除する!」

「なら俺も付き合う。コイツなら、教えを実践する良い練習台に出来そうだッ!」

 決意を掲げて白銀の魔剣と蒼の異刃を抜いた二人は、ラッバームに向かって疾走。

「出来損ないの存在価値は、頂点の糧になることだ。それを、死を以て教えてやるッ!」

 後肢のみで立ち上がった砂王竜は、前肢の足裏にも備えられた孔から暴風を噴き出し、開戦の合図のように砂の柱を盛大に屹立させた。


                  ◆


 アークス王国首都ハレイドが遠方に映る平原。

 人里に近いこの場所も普段は生物の営みが伺えるが、今日に限ってまるで死の世界に変貌したかのように絶えていた。

 重苦しい沈黙の中に、自然界に発生しない音と紅の閃光。

 閃光に照らされて輝くは、無数の刺青が彩る鋼の上半身。焔の雨のように揺れる髪。宝石の妖艶さを発する銀の瞳。飛竜の翼の如き威容を持ち、無機物である事を忘れさせる生命力を放つ魔剣『独竜剣フランベルジュ』。

 『生ける戦争』ヴェネーノ・ディッセリオン・テナリルスの額には汗が滲み、双肩からは湯気。地と足が接する部分は、巨大生物の爪で掘削されたように抉り取られていた。

 瞑目状態で大上段に魔剣を掲げ、迷いなく振り下ろす。夜の闇を裂く紅の閃光は、すぐさま空に向かって伸び、半円を描いて流星の突きに移行。

 空気を貫き、余波で地面を削り喰らう一撃を放った後、全身を回転させて攻防一体状態で後退。着地と同時にフランベルジュの凶悪な切っ先を地面に突き刺し、停止した狂戦士は長い息を吐く。 

「子守りだけでは鈍るが、良き相手など易く出会える筈もない。退屈だ」

 型稽古を終え、火照る身体と精神を冷ます為か、意図的に無機質な言葉を紡いだ狂戦士は星空を眺める。そして優れた視力が異変を認識し、緩みかけていた緊張の糸が限界まで張り詰めた。

 夜空に浮かぶ星の一つが不可解な速度で肥大化し、地上との距離を縮めていく。

 本来いるべき高空から離脱した、光点と形容すべき巨大な星は、ヴェネーノの視点と合致する箇所で停止し変化が始まる。

 光点から、鉄骨の頑健さを有する足、業物の切れ味を有するであろう鋭い爪が並ぶ凶悪な腕。飛行以外の用途もある思しき翼膜に描かれるは複雑怪奇な『五柱図録』。牛とトカゲが混じり合った、忌避と恐怖を掻き立てる頭部。

「『戒戦鬼』カラムロックス。ヒルベリアで観測された偽物ではない、本物か」

「然り。某は『エトランゼ』一柱カラムロックス也」

 十メクトル超の巨体を持つ、ヒト型の怪物に対し、ヴェネーノは膝を地面に付きフランベルジュを旋回させて捧げるように掲げる。ドラケルン流の目上への挨拶を行った後、魔剣を背負い直して問う。

「何の用だ」

「ヴェネーノ・ディッセリオン・テナリルスよ。いつまで力を不毛な目的に振るうつもりだ?」

「簡潔に言え。無意味な問答は好かん」

 神に等しい存在を相手に、一歩も臆さずに己の意思を主張する。

 常人の領域をとうに逸脱したと、世界の凡庸な存在に対する狂戦士の明快な表明と共に、両者のやり取りが継がれる。

「強き力は無意味な闘争で悲しみを齎す為の物ではない。偉大なる勇士、ハンス・ベルリネッタのように救いの為に振るわれるべき物だ。某と共に来い。未熟な力を更に引き上げて高みに登り、正しく力を振るおうぞ」

 『エトランゼ』が嘗て敵対したヒト族を勧誘する。

 現実の光景なのかと、仮に観劇者がいたとすれば疑問を抱くだろう。そして、大抵の者であれば誘いを受け入れる。

 が、ヴェネーノは半歩前進して己の意思を提示した。

「下らん。力とは己の修練と闘争で磨き上げる物だ。誰かに飼われていては、俺が求める領域に到達出来ん。加えて、貴様達の様な世界の意思に囚われている存在の下では、退屈しかないだろう。俺は俺の道を往く、これが答えだ」

「其方の意思は理解した。では、こうするしかあるまい」

 右手に虚空から現れた一本の長槍が握り、カラムロックスは空中で突撃体勢に移行。対するヴェネーノもフランベルジュを中段に構え、可能な限り先手を打てるように、闘争心を剥き出しに低く唸る。彼の顔には喜悦と畏怖が浮かんでいる。

 可能性の世界に広がる選択肢の海は、実際に動いた瞬間に著しく狭まり、選択が誤っていた場合、問答無用で死の片道列車に放り込まれる。

 初手が勝敗を大きく左右する状況で、狂戦士の内部で攻撃の幻影が次々に浮かんでは霧散する。

 風が不自然に途絶し、植物すら呼吸を止めた極限の緊張状態に陥った世界の中で、戒戦鬼の動きを漏らすまいとするヴェネーノの目が、力の流れの変化を捉えて僅かに揺らぐ。

 狂戦士は何の迷いもなく己の得物を後方に投げる、即ち戦いに於いて致命傷となる、初手が絶対に遅れる状況を、自身の手で生み出した。

 合理性が皆無の行動を受けた、カラムロックスの集中の揺らぎを衝くように、ヴェネーノは淡々と言葉を紡ぐ。

「貴様は力の解放で生じる、周辺への被害を恐れて迷いが生まれている。『エトランゼ』と言えど、力を温存してかかる舐め腐った精神の相手ならば、例え初手を譲っても俺は勝てる」

 ヴェネーノ・ディッセリオン・テナリルスは、己の力量に自信を有するが過信はしていない。彼の中で弾き出された勝率は、最大限都合の良い状況の展開をした場合で見積もっても三割一分。

 常識的に思考すれば二割に乗るかどうか。いずれにしても勝算は低い。


 自殺行為としか映らぬ光景に籠められた精神を、『エトランゼ』一柱も理解し、身に宿していた闘争心を霧散させる。


 ヴェネーノにフランベルジュを拾うよう促し、翼を一度打ち鳴らして高度を一段と高めたカラムロックスが、もう一度口を開く。

「其方と次に出会った時、全力で相手をしよう。だが忘れるな、他のエトランゼは某のように愚かではない」

「正々堂々など愚者の戯言。五頭の中でそう捉える者もいるのだろうな。手間賃として一つ問おう。つい先日、俺は『船頭』から誘いを受けた。ある存在が齎そうとする世界の変化を止めるべく力を貸せと。

 貴様の真意も奴と同じ所にあるのだろうが、世界の意思から生まれ落ちた『エトランゼ』と、強大だが魔力の集合体に過ぎん『船頭』が歩みを揃えた事は一度も無い筈だ。両者が同じ危惧を抱く、水面下で進行する危機とは一体何だ?」

 問いに沈黙で返したカラムロックスは、顕現時と同じ球体に包まれて浮上し、やがて夜空の星々に紛れて姿を消した。

「理解しているのならば、既に手を下している。読めないからこそ俺如きにも声をかける、か。我ながら愚かな問いをした」

 地面からフランベルジュを引き抜いて泥を払い、一応契約関係にある少女を拾うべく動いたヴェネーノの身体が、不意に上方に跳ねる。

 先刻まで立っていた場所に『嵐刃』が降り注ぎ、植物が根こそぎ刈り取られて宙に舞う様を空中で目撃したヴェネーノは、魔剣を一回転させて降り立ち、気配に向け疾走。

 宵闇を裂いて飛び出した四人の剣士を、一度の刺突で纏めて貫いて絶命させ、視線の先にいる集団に向けて呼びかける。

「名乗れ」

「会いたかったぜぇ、ヴェネーノォォォォッ!」

 憎悪で煮え滾った咆哮は若い。

 集団の先頭、やや背が低く、まだ少年の括りにいる褐色の肌を持つ完全武装の男が、血走った目で狂戦士を指差す。

「六年前、お前に兄さんと姉さんは殺された! それから俺は、お前をブッ殺す為だけに生きてきた! お前に憎しみを抱いている奴をかき集め、俺自身も鍛え上げた。覚悟しろ!」

「六年前に兄と姉、そして貴様の繰る言語。「ダターニドの双角」か。通り名と実績の割に大した事は無かった。連携戦術に多少見る物があったが、それだけだ」

 昨日読んだ小説は外れだった。その程度の調子で、殺害した相手を改めて切り捨てた狂戦士に対し、怒りを更に増大させる少年の背後から声が飛ぶ。

「ケニス、頭がおかしい奴の言葉に耳を傾けるな!」

「このクソ野郎をぶっ殺す為にお前の元に集まった、俺達を信じろ!」

「言葉は美しいな。全て無意味だが」

 ケニスに呼びかけた二人の男の背後。音もなく移動したヴェネーノは、相手が何らかの反応を起こす前に頭を掴み、彼の有する剛力で両者を打ち合わせた。

 硬質の物質が弾ける鈍い音と、肉が爆ぜる湿った音が夜空に響き、集団の動きが止まる。

「より信じられるようになったな。私見では、こうまでして他人を信頼したいとは思わんが」

 強引に圧潰され顔の部分が平坦になった二つの頭部が、零れ落ちる脳漿や血が混ざり合って癒着し、一つの頭部で二人分の身体を有する奇妙なオブジェが狂戦士の手中に誕生していた。

 ヒト型生物でありながら腕力で実行した事、そして生み出された物のあまりの醜悪さと顔色一つ変えないヴェネーノの恐ろしさに、武装している男達の表情が瞬く間に青ざめる。

 蹲って嘔吐する者も現れ、致命的な隙を晒した彼らは一刀の元に斬り捨てられる。

 骨肉が絡み合う液体を彩とした夜の平原で、ケニスを筆頭として、斬撃を免れた者達が包囲の形を執る中、ヴェネーノはフランベルジュを中段に構えた状態で相手の数と布陣を目視で検分し鋼の瞳に炎を灯す。

 人数は三十人程度。しかし怒りによる力の増幅が明確に伺え、警戒時の体勢も熟練者の物。腕が立つ、の領域に留まっている者なら問答無用で袋叩きに出来る力量の相手にも、狂戦士は一切臆しない。

「俺の首を欲するならくれてやろう。俺を殺せたなら、の話だがな」

「皆行くぞッ! あの×××××野郎の首を、墓に捧げるんだ!」

 己を包囲する形で並んだ者達が、魔術の発動を選択したと認識した瞬間、ヴェネーノは疾走を停止。『サムライ』の抜刀術発動時に酷似した姿勢を執り、発動と同時に旋回まわる。

 『牽雷球』から追跡能力と威力を向上させた『雷導珠ボルデルト』を始めとした、無数の魔術がフランベルジュの刀身と接触。魔術としての形状が崩壊し、小さな光の粒子に転じて宵闇に散った

 旋回で搔き乱された空気が烈風と化し、幾人かの戦士の元に殺到。マトモに受けた者は、対応策を見つける暇も与えられずに吹き飛び、包囲が瞬時に崩れ去る。


 疾走の最中、フランベルジュを身体の前で一閃。


 狂戦士の突進を受け止めるべく距離を詰めていた、筋骨隆々の盾使い五名の肉体に、盾を貫通して直線が刻まれる。


「子供騙しだ」


 当初の計画に沿う形で動いていたのであろう、『怪鬼乃鎧オルガイル』で肉体強化を施して迫る者達を、強引に引き戻したフランベルジュの切り上げで再び空に追放すると同時に、ヴェネーノは身体をほんの僅かだが後方に逸らす。

 顔が戻されると同時に、開かれた口の奥から紅光が放たれる。

 これが、空中の者が最後に目にした光景だった。

 放たれた紅蓮の業火は、戦士達の纏う耐熱装備を紙屑同然に貶め、持ち主を骨も残さず喰らい尽くして大地に降り立ち、放火と土地の死滅を同時に齎す這竜と化して平原を通り抜け、集団から冷静さを奪う。

 狂騒の中、一人戦闘開始時の調子を保つ戦士は視線を前方に戻し、先刻両断されて生気を失いつつある頭部が載る上半身を、左手の殴打で吹き飛ばし敵の視界を奪う。

 視界と精神の均衡が崩れた剣士の頭部を斬り飛ばし、低位置からの斬り上げで斧使いの両足を斜めに斬り落とした勢いを活用して跳躍。伸ばした腕で手近な所にあった一人の頭部を握り潰す。

 残った首を掴んで振り回して包囲を更に崩し、ヴェネーノが集団に突進。

 魔剣の美しい刀身が、紅の閃光を伴侶に引き連れ踊る。

 新たな線が一本生まれるごとに、戦士達の生命が破壊される。

 まさしく、神話の暴竜のようにヴェネーノは死体を積み上げていく。  

「怯むな、撃て!」

 死体はもう仲間ではない。

 噎せ返る臭いを生む血の噴水を浴びながら、勝つ為に非情の決断を下したケニスの号令を受け、『剛砕疾槍リシュク・ペーゼ』で形成された疑似生物の口から、成人男性の胴回りと同じ太さの金属錐が放たれる。

 『剛錬鍛弾ティー・ツァエル』同様、本来は竜を始めとする強大な生物を打倒する為に生み出された『剛砕疾槍』を、ヒトに向けて使用すれば受け手は痕跡も残さず世界から退場させられる。

 人道的な観点から、余程差し迫った状況を除き軍隊同士でもヒトに向けられない代物が音の速さで空気を裂き、死体諸共土を深々と抉り取る光景を、ヴェネーノは空中で見物していた。

「なっ……」

「何もかも甘い」

 『剛砕疾槍』の発動には、相応の時間と注意力を要求される。

 ヴェネーノに対する憎悪を共有していても、有象無象の集団が行う小さな的への斉射は、熟練者が行う同様の行為よりも負担が大きい。それでも、発動時の攻撃範囲の広さから決死の覚悟でケニス達が紡いだ策。

 彼らの策を最悪の形で砕いたヴェネーノは、刀身を紅光で輝かせるフランベルジュを自身の身体に引き寄せ、瞳に竜の眼光を宿らせる。

「三割の力だが、最低限の敬意は払おう。『覇炎煌竜剣レプシエン・ドラグスパーダ』」

 咆哮を引き連れた魔剣が世界を疾駆して生まれた紅の閃光が、ケニス達も含め平原の物質全てを飲み込んだ。


 残光を置いてそれが天に消え去った時、地上では地獄が展開されていた。


 半径五百メクトル前後の空間から動植物の類は完全に消滅し、幾ばくか残る武器と思しき燃えカスと、至る所に散らばっている赤の斑点、多様な物質が纏めて燃えた事で生じる、吐き気を催す悪臭が生命の痕跡として残った大地をヴェネーノは睥睨し、ある音を拾って発信源に足を向ける。 

「……ち、くしょう……が」

 発信源は奇跡的に即死と消滅を免れた少年、ケニスだった。

 彼の身体からは下肢が焼失し、腹部に大穴が開いて臓腑が零れ、目は紅光に蹂躙されて二度と光を掴む事は叶わなくなっていた。

 死を待つだけの状態で、且つ視力を失いながらも、少年の顔と目には憎悪が満ち、接近するヴェネーノを睨みつけていた。

 対する狂戦士の身体には一切の傷が見受けられず、先刻までの戦闘に対して何の感情も抱いていない様子を察してかケニスの顔が歪む。

「……お前、兄さんと姉さんを殺した時には身体を光らせていたよな? なんで、今は使わなかった?」

「貴様の兄姉に対しては、当時六割の力を使った。貴様は三割で勝てる相手だった。それが答えだ。今の俺と『ダターニトの双角』が戦えば、同じく三割の力で勝てる。貴様が貴様である限り、俺との間に存在する強さの断絶は絶対に埋まることは無い」 

 残酷な答えを受け、少年の表情が絶望に染まる。

「どうしてだ!? どうしてお前みたいな、無意味な振る舞いを繰り返す糞野郎が勝って、兄さんや姉さんが、俺が負けるんだよ! こんな、こんな世界間違ってる!」

 悲痛な叫びを血泡と共に吐き出す、ケニスの顔から股間をフランベルジュが通過し、傷口から焔が噴出。

 灰に転じ行く少年を無機質な目で暫し見つめた後、ヴェネーノは背を向けて歩き出す。彼の顔には喜びも怒りも悲しみも無く、ただかつえだけが在った。

「貴様の言う通り世界は正しくない。しかし、闘争の勝敗だけは己の才覚と腕を上げる為に積み上げた鍛錬、闘争に掛ける情熱、そして何かに向ける愛。これらの総量で必ず分かたれる。貴様は足りなかった、ただそれだけだ」

 手向けに似た言葉を置いて飛翔したヴェネーノは、当初の予定通りハレイドに進路を執る。


「人も世界も俺の振る舞いを無意味とするのは結構。だが、賢し気な言葉遊びで止められると思うな。朽ち果てるまで、俺の道は俺が決める」


 身体を叩く空気の感触を受けながら前進する中で、色彩が褪せつつある複数の人影が浮かんだ狂戦士の歯が、砕けんばかりに強く噛み締められた。


 

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