11

 アムネリス大森林の一角に立ち並ぶグナイ族の集落。慎ましい木組みの建物の中で一番大きい、村で唯一の集会所に、四十人弱の男達が座していた。 

 普段は作物の取れ高や、アークスに納める税に関したやり取りが行われているが、さほど熱を持ったものにはならない。

 だがこの日の集いは、異常な緊張に起因する熱を帯びていた。

「――先日の一件で、アークス王国が宣戦布告を告げてきた。どのように対応すべきか、皆の意見を聞きたい」

 族長、シャイラス・シェーファーが提示した会議の題目がこれでは、当然の反応と言えるが。

 選択肢は降伏か、徹底抗戦の二つ。

 「降伏など出来るか!」「あれはどう考えても自作自演よ、従う必要なんてない」「今も大量の食料と貴金属を納めているのに、奴等は森を破壊しようとしている。話し合いは無意味で、和解は不可能だ」

 やり取りはすぐに抗戦の方向で統一され、議題はどのように戦うか、に移行する。

 性急過ぎると真っ当な者の目には移る筈。だが、グナイ族とアークスの間に生じた軋轢の歴史を見ると、彼らの考えを軽率に切る事は難しい。

 生活範囲の過激な拡大を行わず、また外部から血の取り込みを強く望まない特性上、グナイ族の生活は森林内でほぼ完結する。

 加えて、彼らはシルギ人の中でも高い戦闘力を誇り、地の利を活用し周辺からの攻撃を打ち破ってきた。

 故に周辺国の興亡から切り離され、平穏を保っていたが、この数十年で趨勢は大きく変化した。

 アークスによる非暴力の侵略で森を少しずつ奪われ、交渉で定めた合意は無視され、非合理的な課税制度の設定。挙句に今回の税務官殺害からの宣戦布告。

 戦う理由は十全にある故に過熱する会議の中、発言権を有する参加者の中で、議題の提示以外で沈黙を守っていたシャイラスが、不意に口を開く。

「相手の差し向ける戦力は一人。『無限刀舞センノヤイバ』スズハ・カザギリだけだ。……皆に提案がある」

 当代最強の四天王を差し向けるが、戦力はその一人だけ。アークス側の意図と、族長の提案を読めずに息を飲んだ参加者達に、シャイラスは視線を一巡させる。

「四天王が出てくるのなら、勝敗に関わらず同胞が死ぬ。戦闘は私一人で行う」

 集会所が爆発的な狂騒に包まれる。

 圧倒的な戦闘能力を誇る四天王に、たった一人で対峙する。

 自殺と判断されても不思議ではない、無謀極まる提案を受けて詰め寄ってくる者を押し留めながら、グナイ族族長は自身の隣に座る息子、ユアン・シェーファーを見据えつつ口を開く。

「この戦いで私が目指すものは、アークスの打倒ではない。我らの平穏を維持する為だ。カザギリがどれだけ強いかも知っている。だが戦いに人員を使い過ぎれば、平穏の維持は叶わなくなる上に、将来的な滅亡に繋がる恐れもある。……ユアンがいる以上、私が死んでも問題はない」

 自身の耳を疑うように、驚愕の表情で父を見つめるユアンや、詰め寄る参加者の指摘や疑問に真摯に答え、合意を取り付けた族長は、「私が倒された時の選択は各自に委ねるが、生き延びる為の準備は絶対に欠かすな」と告げて解散させる。

 静寂が降りた集会所で、腕を軽く回す父にユアンが食ってかかった。

 年齢の問題で、会議の中で発言権を与えられていない分、彼はこの好機を逃さぬように、父に食ってかかる。

「父さん、どうして一人で戦うなんて言ったの? 皆が幸せでも、父さんに何かあったら、僕と母さんは幸せじゃないよ」

「ユアンの言うことは正しい。私も自分が死んでも良いと思っていない。母さんやユアンを置いて死ぬなど、どんな卑劣な行為より恥ずべき過ちだ」

「だったら……」

「しかしグナイ族を統べる者として、皆が死ぬ事も肯定出来ない。……負けない為に戦うが、万が一の時はお前が次の族長だ」

「でも僕、父さんみたいに強くないよ」

「一人で全てを背負う必要はない。この一件が特殊なだけで、私は皆と協力して困難乗り越えてきた。支えて貰いながら、お前の理想に向かって進めば良い」

 六歳の幼い思考で咀嚼しようと唸るユアンに、シャイラスは微笑み、手を軽く振って虚空から黄金の棒と、小さな小箱を引き出し息子に手渡す。

 目を丸くするユアンに向け父は再度手を振り、今度は彼自身の手に黄金の剣を引き出した。

 翼を広げた「鷲頭竜」の意匠が刻まれた典雅な柄から、極限まで薄く作られた黄金の刀身は、年季を感じさせながらも、まるで芸術品のように灯りを反射して美しく輝いていた。

「『覇翔剣ケリュートン』だ。族長となる者は、鷲頭竜様の加護を得たこの延べ棒を変化させて、自分に最も適した武器を手にする。もっと先の事と考えていたんだが、状況が状況な上に、明日がお前の誕生日だ。……明日の戦いが片付けば、またしっかり祝おう。その為にも私は必ず勝つ」

 普段と変わらぬ力強い宣言と共にシャイラスは微笑む。

 どんな困難があろうと打開して来た実績に裏打ちされた、父の言葉は信頼出来る物であり、ユアンが彼に対してこれまで抱いた不安も、全て行動を以て解消していた。

 しかし、この瞬間に限っては、どうしても払拭する事が出来なかった。

 日が昇った頃、集落の入口から少し離れた広場で緊張した面持ちで立つ、シャイラスの目前に停車した装甲発動車から、一人の女性が降り立つ姿を物陰からユアンは視認する。

 身長一・八八メクトルのシャイラスとの比較で、一・六メクトル少々の小柄な身体。彼の知識に存在しない、紅の地に白の花が踊る服を纏い、腰に五本の緩やかに湾曲した棒を提げている。

 あれが武器なのだろうが、どんな仕掛けを持つのか皆目見当が付かない。

 部外者のユアンが混乱する中、当事者二人はやり取りを開始していた。

「アークス王国四天王、スズハ・カザギリだ。一つ問う、降伏の意思は無いだろうか? 決して悪いようにはしない」

「シャイラス・シェーファーだ。それは貴女の考えであり、国の考えではない筈。かつてアークスに住んでいた事があってね。私は四天王の権限の範囲は知っている。話し合いの余地はない」

「承知した。では始めよう」

 スズハは手持ちの一本に左手を掛けて腰を落とし、シャイラスはケリュートンを構えて停止。

 絵画のように静止した空間で、風船のように膨れ上がっていく圧力。臆したユアンが無意識に体を撫でた時――

「なっ──!」

 鈍い音を発して、中途半端な所で切断されたケリュートンの刀身が宙を舞う。

 大半を破壊された得物を掲げ突進するシャイラスだったが、スズハがもう一度腕を振るうなり、彼の進路上が爆炎に包まれて後退を余儀なくされる。

「東方の「カタナ」か」

「一の秘刀『砕星』だ」

 焔を纏う、緩やかに湾曲した刃の中に不可思議な波紋が刻まれた片刃の剣。

 陽光を拒んで妖しい輝きを自律的に放ち、周囲の生命を全て喰らわんとする意思を表出させるそれは、ユアンは愚か世界にすら確かな恐怖を撒き散らしていた。

 得物を失いながら再始動したシャイラスは、しかし敵の攻撃が放たれる寸前で跳躍し、木々の中に飛び込む。

 外れた斬撃が大地を抉り、射程の先にあった木々が炎上する中、ユアンは慣れ親しんだ魔力の集束を肌で感じ取る。 

「『鷲頭竜顕翔破グリューオ・ギウズ』ッ!」

 絶叫を掻き消すように、鳥類のそれに酷似した甲高い咆哮が放たれ、無数の鷲頭竜が木々をなぎ倒し、大地を泥濘に転生させながらスズハに迫る。

 白刃を華麗に翻し、次々と迫る黄金の魔力塊を斬り捨てる四天王だが、数の暴力を前に天秤は傾きつつあるとユアンは感じ、内心で拳を握る。

「おいスズ、遊んでねぇでさっさと俺を抜け! 『人道的配慮』をして勝てる程、お前の身体はもう綺麗じゃねぇよ!」

 聖歌隊の声質で発せられた罵声に、スズハの動きが停止。当然鷲頭竜の攻撃を受け、落雷を浴びた時に類似した傷と衣服の汚れを刻まれながらも、葛藤と共に閉じられていた黒曜石の瞳が、やがて開かれる。

 放出していた苦悩を霧散させ、スズハが『砕星』を納刀。 

 左腰に提げられた別の柄に手をかける。

「……『村正』解放」


 呟きが世界に溶けるよりも速く、異刃から発せられた膨大な力で鷲頭竜の群れが全て消滅。

 

 決着を付ける為、両の手に短剣を握り、仕掛けたシャイラスの驚愕の表情が、ユアンが最後に見た父の姿だった。

 肉親の消滅に反応する暇も与えられず、彼の視界は黒一色に塗り潰された。


                  ◆


「機器も家具も全て破壊されている。なかなかの指し手だ」

 非情なまでに冷静な、狂戦士の声で我に返り周囲を見渡すと、指摘通りジェンジ・エスパロガロの部屋の機材は破壊の限りを尽くされ、原状回復は不可能な状態となっていた。

 電子機器のサルベージも、記録媒体の入手も絶望的になった。状況を変える手札が消えた現実を受け、足から力が抜けてへたり込み、思考が停滞したユカリの耳に第三の声。

「嗅ぎつけられたか」

 ユカリの身体が、不意にヴェネーノに抱え上げられる。フランベルジュの切っ先をドアの前に立つ者に向け、魔力を充填させながら狂戦士は吼える。

「俺の名を知る者なら退け。知らぬ者、知って尚迫る者は、このフランベルジュの糧に変えよう!」

 喧しく喚いていた声が途絶し、動きが止まった隙を衝く形で狂戦士は『暴颶縮撃プロケイア』で屋根を突き破って飛翔しマッセンネから離脱。適当なビルの屋上に降り立ってユカリを転がす。

 茫然自失のユカリの心の内は「私のせいだ」で満たされ、それが延々と循環する最悪の状況に陥っていた。

 致命的な失策で最大の可能性は潰えた。のみならず、無関係な人物を死に至らしめた悔恨と絶望は、常人に耐えられる物ではない。

 沈黙したまま、かなりの時間が浪費されても尚、ただ顔を下に向け、何処にも視線を合わせぬままへたり込むユカリの耳に、甲高い金属音が届く。

「実に下らん。実に無駄な時間だ」

 周囲の防護フェンスを微塵に切り裂き、フランベルジュを地面に突き刺したヴェネーノの重い声に、ユカリは顔を上げる。

 彫像のようなヴェネーノの顔には、彼女が初めて目撃する怒りの色が在った。

「貴様の目的は一体なんだ。ここで悲劇の主人公を気取る事か。もはや確定した男の死に酔う事か。答えろ、ユカリ・オオミネ」

 重い問いに、微かに止まった思考が動き始めるが、やはりユカリは無言。

 彼女の様子に怒りを強めたヴェネーノは、暫し瞑目。

「時間の無駄か」

 時、の部分がユカリの耳に届いた瞬間、狂戦士の二本の指が異邦人の腹部を捉え、ユカリは胃の内容物を吐き出しながら吹き飛ぶ。


「目的を忘れた愚図は、大人しく舞台から消えろ」


 冷徹な声が加速度的に遠ざかる。フェンスが消えたお陰で、ユカリの身体はすぐにビルの合間の空間に放り出され、重力の縛めに従い落ちていく。

 ハレイドの道路は元の世界と外見・性質が同じで、落下すれば当然死ぬ。『渇欲乃翼』を発動させれば良い話だが、ヴェネーノから受けたダメージがそれを妨げる。

 ──こんな、何も出来ずに死ぬなんて。


 後悔は遅すぎた。


 身体は躊躇なく加速し、刻一刻と死が接近する中で、不意に紅い光がユカリの全身を覆い、視界まで塗り潰される。

 眼球や脳を、内部から搔き乱す激痛に叫び声を上げてもがくユカリだったが、不意に痛みは消失し、視界が晴れる。

 彼女の瞳が捉えた物は先刻とまるで異なり、耳も聞き慣れた、しかし今このタイミングで聞こえる筈が無い声を捉えた。

「何でユカリを助けたかって? それお前二回目だぞ」

「そろそろ結論が出たんじゃないか、って思ってね。『ディアブロ』と戦うなんて事があったんだし、暫く平和だと思うから、今の内に聞いておきたいな」

「一週間ちょいでスパッと結論が出せる程、俺が優秀だと思ってんのか?」


 場所はヒルベリアだろうか。


 体中に包帯を巻きつけたヒビキとフリーダが、川面に釣り糸を垂らし並んで座っている。格好とやり取りから察するに、これは過去の映像なのだろう。

 ──ネックレスに籠められた、カロンさんの力が作用したのかな?

 過去の映像なので当然の話だが、干渉を許されず観劇者に徹する他ないユカリを他所に、問われた側のヒビキは釣竿を引き上げる。

 綺麗なままの針に顔を顰め、川に再び仕掛けを投入し、躊躇いがちに口を開く。

「まあ大元を遡ると、あん時に言った「良い人に見られたかった」より更に情けない所から始まるんだが……。俺、家族いないだろ? おやっさんもいなくなったし、そもそも産みの親が誰か知らないし」

「まぁ、それは知っているよ」

 カラムロックスの影と戦った日から暫く経過した頃、そしてこの光景から多少前後する時の二度、ユカリはヒビキから告げられていた。

 ──俺には家族も親戚もいない。いざって時の後ろ盾は一切ない。離れたくなったらいつでも、断りなしに離れていいからな。

「お前やライラがいるから、おやっさんがいなくなっても寂しくはなかった。ライラの親父さんとは関係が変わったけどな。……でもさ、やっぱり家に帰って誰もいないってのは結構キツかったし、お前らと何かした後に家に帰るのは嫌だった」

 竿を持って耳を傾けるフリーダと、当然手出しが出来ないユカリを他所に、ヒビキは軽く竿を揺らしながら言葉を継いでいく。

「で、アイツが来てから俺はすげぇ久しぶりに、そういう事が出来た。中身はお前らとやってる時と同じ、くっだらねぇ物だけどな。でも家に帰って、ほぼ毎日出来るってのは本当におやっさんがいた頃以来の事だった。たまーに本気で怒られるけどな」

「ユカリちゃん、怒るんだ……」

「結構怖いぞ。あいつが来る前と同じように食材を駄目にした時、「それは一番しちゃいけないことだ」って、家の掃除と食料の置き場作りを二人でやることになった」

「あぁ、それでいきなり家の中が綺麗になったのか」

 肩を竦めてはいるものの、ヒビキの声や表情は年齢相応な、日頃の緊張や無意識下に張っている警戒が失せた穏やかな物で、フリーダも釣られて表情を緩めて次を促す。

「勿論、ユカリがここの生活が嫌になった時、俺にあいつを引き止める権利はない。元の世界に戻る手を打てる奴がいるなら、そいつの所に行く事を俺は笑って送り出さなきゃいけない。……仮にそれが『ディアブロ』だろうと、ソイツがヒトじゃない生物だろうと、だ。今は留まるって言ってくれてるけれど、この先考えが変わるかもしれないし、目的を考えれば変わらない方がおかしい」

 ヒビキの手に握られた竿が軋みを上げる。

「けど、本人がどう思っていても、この場所にいることが消去法だとしても、俺はユカリに恩を感じてる。それになんだ……少なくとも、ヒトとして好きだ。だから俺はユカリを守りたいと考えているし、もっと強くなりたいと思っている。情けないけど、今の俺の全てはこれだ」

 当事者がいない故に吐き出された、ヒビキの言葉を受け、フリーダも暫し言葉を失う。そして、ユカリの目からは涙が零れ落ちていた。

 ヒビキがそのような感情を寄せていたなど、そこまで大きな存在に自分がなっていたなど、気付きもしなかった。

 彼に対する感情は、彼女自身様々な物が絡み合った物を有しており、一口で説明など出来ない。

 ただ一点、これだけははっきりと断じられる。

「……違うよ。私は、消去法でヒビキ君の所にいるんじゃない!」

 当然届く筈の無い叫びを他所に、感情の奔流を隠すように川面に視線を固定するヒビキの肩を、フリーダが軽く小突いた。

「良い理由だ。良い奴に見られたいっていう、前の主張より遥かにヒビキらしい」

「俺らしさの定義を色々聞きたい」

「ライラに聞けば……ヒビキ!」

「ん? おぉ引いてる! これで三日ぶりに大手を振って飯が食えるぞ!」

「その割には元気だけど、どうやって食事を摂っていたんだい?」

「ツケだッ!」

「……はぁ」

 呆れたように溜息を吐きながらも、フリーダはかかった魚を引き上げにかかるヒビキの求めに応じて、彼の竿を握って共に引く。

 牧歌的な光景を前に、涙を溢し続けるユカリの身体が再び落下を始め、現実への回帰を突きつけられる。

 背後に映るは無機質な地面、再び死への一本道を自分が走り出している。そう認識すると同時に、狂戦士が作った傷の痛みも置き去りにしてユカリは叫ぶ。

「私はここで死ぬつもりなんてない! 必ず生き残って、ヒビキ君達と一緒に帰る為の方法を探す!」

 咆哮に呼応するように、ネックレスがこれまでとは異なり、発砲を行っていないにも関わらず輝きを放つ。

 視界が再度歪み始めた彼女の身体は、紅光に頭部から指先まで染まり、そして球体の形状に変化して、収縮、拡張を繰り返し、やがて空間から消えた。


 死に極限まで近づけば余計な物が消え、最善の思考が可能となる。


 最後の情けで動いたヴェネーノは、何の反応も無い事に失望し背を向ける。一歩踏み出した時、危機感を喚起する力の奔流を感じ、フランベルジュを構えて急速反転。

 視線が正面からやや上方に向けられ、そこに映る者を認識して狂戦士は口の端を吊り上げる。

 何の変化もなく戻ってきた場合、問答無用で斬り捨てるつもりだったが、眼前の少女は全身に纏う物が先刻と大きく変わっていた。

「思い出したようだな」

「……はい」

 ヒビキ・セラリフの潔白を証明する。世界最強に手をかける狂戦士と組んだ起点の理由に加えて、彼の気持ちに対して改めて答えを示す。

 ──私が今、一番叶えたい事はこれだ。……止まっていられる訳もない。

 悲嘆に暮れてここで話を終えてしまえば、ジェンジの死が完全に無意味となる。それこそ、死者に対する冒涜だろう。

 今は只、突破口を開くことだけ考えるべきだ。

 推測になるが、恐らくたった今映像を見せてくれたネックレスを軽く撫でる。

 すると『渇欲乃翼エピテナイア』の効果が切れ、床に落ちたユカリに対しヴェネーノは鋼の視線を向ける。

「カロンの力を引き出したようだが、それは何処で手に入れた?」

「この世界に来た時から持っていたので、どのタイミングで手に入れたのかは……。ヴェネーノさんは、カロンさんを知っていますか?」

 狂戦士の首が重々しく縦に振られる。

「力を貸せとの命令を断り、奴とは闘争を展開した。逃げられたが、あれは恐らく引き分けだ。……しかし、貴様に力を渡すとはな」

 『エトランゼ』より多少劣ると、人々の扱いから判断可能だが、それでも強大な力を持つカロンに喧嘩を売る無謀さと、引き分けまで持ち込む力量に、ユカリは唖然とする他ない。

 しかし、今この話は重要でないとすぐに思考を切り替え、未だ何か思うところがある様子のヴェネーノに問いかける。

「今私がすべきことは、ジェンジさんの亡骸を見つけることです」

 銀の瞳を眇めながら、ヴェネーノはユカリと正対する形に体勢を変え、思案の色を表出させながら口を開く。

「理由を聞こう」

「放送網を確保する所まで、最初は私が全てやるつもりでした。相手の力を過小評価していた、途轍もない失策ですが」

「続けろ」

「他力本願極まりますが、放送手段の確保はベイリスさん達にお願いします。あれだけ室内を破壊していたのは、記録媒体を彼も探していた可能性が高い。既に壊されている可能性もありますが、彼の亡骸に本物があるかもしれません」

「現実味が少々欠けるが、体内に仕込んだ可能性も無くはない。では、何処を叩く? 俺の姿を見られた以上、この国の連中も軍を出す。貴様一人では軍や警察を打倒出来ん上に、ユアン・シェーファーを除く四天王もハレイドに留まっている。一度空振ればそれで終わるぞ」

「……ユアンさんがいないと、どうして分かるんですか?」

「アトラルカの方角に飛翔する魔力を感知した。『グナイ族』は奴しかいない以上、判別は容易だ」

 四天王を筆頭とする包囲体制の充実と、ヴェネーノの性分から判断するに、二度目はどれだけの奇跡が介在しても絶対にない。

 確実に死体がある場所を抑える場所は何処か。元の世界での知識や、この世界のルールを記憶から引っ張り出して、ユカリはヴェネーノが見守る中検討を続け、やがてある発想に辿り着く。

「この世界で、異常死の可能性が高い死体はどのように処理をしていますか?」

「アークスなら司法解剖だ。一旦はマッセンネに存在する警察署に遺体が保存されるだろうが、あの傷では夜が明ける前に検案に回る。そして、ハレイドには公営の解剖施設が幾つかある」

「……つまり、運搬車を叩けば亡骸を抑えられますね」

 亡骸を切り刻む、ヒトの尊厳を徹底的に貶める最低の方法以外に、選択の余地がない自分の無力さ、ユカリは嫌悪感を覚える。

 されど、立ち塞がる現実を打開する手段はこれのみ。一番上に置かれた目的を達する為に、どんな汚名を被る事になろうと、達せられない事に比べれば痛みはない。

 背嚢からメモを取り出し、ベイリスに手渡す文書の製作に入ったユカリに対し、ヴェネーノの声が飛ぶ。

「貴様はあの男と決着を付けるつもりだろう。奴を異物と扱わず、一人のヒトとして対峙しろ。奴と貴様に、いや、全世界のヒトに大差はない。奴と貴様の立ち位置が入れ替わっていたとしても、決しておかしな話ではないのだからな」

 狂戦士の重い言葉の意味を理解することに、若干の時間と、躊躇いを振り切る為の整理が必要になったものの、やがてユカリは首肯を返して立ち上がる。

 制限時間が限られた中、異邦人の最後の足掻きが始まろうとしていた。

  

                  ◆


 斬り落とされて転がった母の頭部を目にし、ユアンの口から絶叫が吐き出される。

 その様を見ていたスズハは、雪のように白い、即ち病人と誤認させる程生気が欠落した顔を歪め、彼を自身が乗ってきた発動車に乗せるよう、付き添いの男達に指示を飛ばす。

 男達の答えは、ユアンへの発砲だった。

「何のつもりだッ!」

「我々の目的は最初からこれでしたからね」

 神速の反応で銃弾を斬り捨てたスズハに、妖しく輝く切っ先を向けられるも、男達は表情を変えずに淡々と告げる。

「戦力を削り尽くせば良いと貴女が勘違いしていただけで、我々の方針は元より蛮族共の抹殺でしたよ」

「そのような説明、私は聞いた覚えも受領した覚えも無いッ!」

「でしょうね。そもそも、指示系統が違う貴女に、こちらが説明する義務はありませんでしたが」

 平然と宣う男が、懐からこれ見よがしに奇怪な物体を取り出し、起動させる。

 すると、武器庫等がスズハの一撃で破壊され、継戦能力を喪失した集落に無数の戦士が現れ、戦闘能力を有しない者が集う避難場所に向かっていく。

「では、まずはこの餓鬼から――」

「させるか!」

 皆まで言わせず、ムラマサと呼ぶ異刃が銀の閃光を迸らせる。

 身長が半分になった男達は、断面から血を間欠泉のように噴き上げ、邪教の儀式にも似た足運びで暫し踊った後、床に崩れ落ちた。

 ひとまず、これで危機は去った。

 だが、眼前の相手の発言は、既に一度裏切られた。

 スズハが人格者であり、たった今自分を救ってくれた事実があっても、家族を殺害されたユアンにとって、既に彼女は信頼に値しない存在となっていた。

「うあああああああああっ!」

「待つ……」

 背を向けて逃走するユアンに向けて伸ばしたスズハの手が止まり、口からどす黒い血が吐き出され、彼女は身体を折る。

「あーあーあー、一番逃げられちゃいけない奴に逃げられたよ。……でもま、他の三人を置いてお前だけ来たのは大正解だったな。カスみたいなオチじゃねぇか」

「言っている、場合か! 早くあの子を……ゲッ!」

「今回は三度で限界か。この一年で本当に保たなくなったオメー」

 背後のやり取りの意味を斟酌する精神的余裕は皆無。

虐殺の宴が開催された集落の中を、ユアンは無我夢中で走る。知人や一緒に遊んだ友達の助けを求める声と、続く断末魔の叫びから耳を塞ぎ、身体に鉛玉を贈られても尚走り続けた彼は、やがて森の未開拓領域に辿り着き地面にへたり込む。

 冷たい土の温度を感じながら、何度も何度も首を振り、己の頭部を殴打し続けるが、父親が光の奔流に呑み込まれて消失し、母親の首を落とされた光景と、アークス軍人の冷徹な視線は消えない。

 揉め事の仲裁を行った後、母は決まって「諍いの真実は、お互いの主張の真ん中にある」と言っていた。だが、相手が生み出したあの光景は何だったのか。

 ──皆殺しの必要はあったのか? 何処に、僕たちを蛮族と呼んで抹殺する必要があった!?

 何処にも正当性を見出せない先刻の悪夢を幻視し、ユアンの身体を流れる魔力が無意識の内に増幅され、黄金の光が彼を包む。

 漏出した魔力が雷光のように世界を踊り、周囲の木々を焼き払いながら、彼の顔面へ接近していく。

 グナイ族が信じていた『鷲頭竜』は、虐殺から皆を救わなかった。最低限の約束さえも、アークスの者は守ろうとしなかった。そして、ただぼんやりとした将来は全て粉砕された。

 顔の右半分を黄金の魔力が焼き始め、神経に直接作用する痛みと暴力的な熱、そして肉が焦げる最低の音と臭いを浴びながら、ユアンは左手を急激に暗くなる空に掲げて吼える。

「僕はアークス王国を破壊するッ! どんな手を使っても、あの国を焼き、壊し、全員の身体に二度と消えない穴を開ける。……それが、僕の全てだッ!」

 あまりに悲しい決意の咆哮は、彼に向けて一直線に落ちてきた雷鳴に掻き消されて、誰も認識する事なく消えた。


                 ◆


 薄暗い室内で、ユアンの飴色の瞳が光を反射して輝く。 

 不可思議な色の液体が充填された、大小様々な円筒が一定間隔で立ち並ぶ無人の空間を、四天王は歩んでいた。

 空調の音もなく、塵一つない空間を汚す四天王は、やたら反響する足音に奇妙な愉しみを覚えながら呟く。


「大した施設だ。こんなモン作る金があるなら、地上の町も十分再整備出来るだろ。まぁ、今フィニティスに住みたがる奴はいないか」

 

 彼の現在地は、アトラルカ大陸との間に横たわる海峡に面する街フィニティスに存在する、「王立技術研究所:特殊開発部」と名付けられた施設の地下だった。

 嘗て繰り広げられた、他国との戦闘で荒れ果てた地上の町は、様々な事情で再整備が為されず放置されている。

 魔力形成生物を始めとした生態系図から離れた生物を駆逐し、ヒトの生活様式を完全に変える。

 惑星や生物を生み出した存在が聞けば、激怒確実のお題目を掲げるこの施設の地下はしかし、地上階層で研究を行う者でも存在を知る者はおらず、知っている者も開発内容の他言を禁じられている。

 ここまでは同僚から聞いていたが、所員を全員ハレイドに送り返し、一人好き勝手に所内をうろつくユアンは施設内に存在する、知識の外にあった奇怪な物体に驚嘆の声を漏らす。

「こりゃ人員は陛下殿直々に選んだ奴しか使わねぇし、あいつもこの場所を目指すに違いねぇわ。他の施設とは全く違う」

 この光景を記録し、他国に流せば人道的見地に基づいた話によって、己の手を汚さずともアークスを崩壊させられるのではないか。

 甘い考えを抱いた事を見透かすのように、ユアンの脳は最悪の記憶を彼に幻視させ、決意の遂行を求めた。

 円筒の一つに凭れかかり、ユアンは小さく笑う。


 ──分かってるよ、十六年前の俺。出会いで弱くなっちまったけど、最後の一線はキチンと守る。対価の不足分は、俺の命って事で良いだろ?


 大きく伸びをして、顔面に刻まれた鷲頭竜の刺青をそっと撫でる。

 覚悟は出来ている。後もう少しで、求めるパズルのピースは全て手に入る。最後の詰めは、ここに訪れる少年の殺害。

 決して油断は出来ないが、難易度は低い部類に入る。にも関わらず、胸の奥がざわめくのは何故だろうか。 

 解答を求めたユアンは目を閉じる。その状態で歩き始めた彼の、自分がこの場所にいる唯一の生体との認識は、大きな誤りだった。

 極彩色の液体で満たされた円筒に詰め込まれているのは、多種多様な特徴を有する生物。

 この世界に住まうヒトを始めとして、先日アガンスに現われた物や、数十年前に現れた物など『正義の味方』として括られる存在、ヒト型でない奇怪な生物が、一律にユアンに視線を向けていた。

 計算された養分の供給で状態は良好だが、眼球一つに至るまで自律的な行動を剥奪され、自死さえ選べない生き地獄に陥っている彼らは、正気を失った声を紡ぐが、泡と溶けて外部には届かない。


 救いを求める意思と、身体の自由が利く者を目にして生まれる憎悪が、深く深く縒り合された視線を一身に受けている事に気付かぬまま、ユアンは何処かへ消える。

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