12

「ルチア! オズ! ……おい寝てる場合か!」

 バザーディ大陸グラグス火山の火口付近。

 美貌を熱傷と刀傷で汚した『紅雷狼ローネルフェン』クレイトン・ヒンチクリフは、眼前の存在を警戒しながら、灼熱の大地に倒れ伏した同僚達に必死で呼びかける。

 竜の活動で火山が乱立したバザーディ大陸には、夢と欲に溢れた開拓者も寄り付かず、住民と他大陸の交流も少ない。

 そんな場所に四天王が駆り出されたのは、物好きなアークスの商人から「強大な生物が暴れている」と救援要請を受けた為だった。

 だが、彼らが降り立った時には強大な生物の姿は無く、代わりに火山活動の異常な活発化を彼らは目撃した。

 現地人との交渉を行う隊長を残し、途中狂暴化した生物達の襲撃を掻い潜り、三人はグラグス火山の火口部に辿り着いた。

 そこで目にしたのは、徹底的に解体された生物達の亡骸の山と、赤熱した鉄の髪を持つ、ドラケルン人の少年だった。 

「……あなたがこれをやったの?」

「そうだ、俺は世界最強となる者。お前達も、俺に倒されるが良い!」

 ルチア・クルーバーの問いに凶暴な答を返し、斬りかかってきたドラケルン人の少年との闘いはそうして始まった。

 道中の戦闘で激しく消耗していた三人は大苦戦を強いられたものの、どうにか彼を溶岩に沈める事に成功した。

 

 だが、現状の苦境はここから始まった。

 

 骨も残らず溶けた筈の少年が火口から這い出し、沈む前よりも攻撃の烈しさが増すなど、誰も想定していなかった。

 元々持久力に不安のあるオズワルド・ルメイユが最初に倒れ、ルチアが続いて今に至る。

 両腕を斬り落としても尚、口に巨大な剣を咥えて立つ眼前の少年を、クレイは油断なく観察する。

 元々彼らが想定していた敵、三頭犬ケルベロスを始めとした強力な生物は、道中一体も見つからず、襲撃を仕掛けて来た生物達は彼らの下に位置する物ばかり。

 しかし、彼も上の階層が消えれば頂点を獲るべく同族間で闘争を繰り広げる事が常道。にも関わらず、一心不乱に三人へ攻撃を仕掛けてきた。

 異なる生物が標的を完全に一致させる事は、自然現象としてはかなり稀だ。一番現実的で過去に経験している、しかしこの大陸に住まう生物の強さから考えると、あり得ない筈の予測が浮かび、クレイの背を悪寒が貫通する。


 ――まさか、ケルベロス共はコイツ一人に殺られたのか!?


「何故俺が溶岩に没しても生存していたか、知りたいか」

「そりゃ知りたいに決まってる」 

 一番知りたい物ではないが、やはり気がかりな点が相手から先に提示され、中身は悪魔の少年の問いに、クレイは辛うじて首肯を返す。

 それに応じるように、少年が長外套を脱ぎ捨てる。彼の皮膚はまさに竜そのもので、揺らめく炎鱗の形状には、四天王にも見覚えがあった。

「『火岳竜』ルーカルヴァの鱗! 目撃情報が絶えていたが、まさかお前が……」

「その通り。俺が『独竜剣フランベルジュ』と共に奴を打倒し、そして喰らった!」


 独竜剣と竜を喰う。


 眼前の少年が、近頃賞金首として名が広まっている、ヴェネーノ・ディッセリオン・テナリルスと認識したクレイは、身体が無意識の内に震えている事に気付く。

 名前が売れている存在なら、対象がどのような状況でも構わず戦闘を仕掛ける超危険人物が、十九歳の自分よりも若い少年だったとは。

 全く有り難くない新発見に顔を歪めるクレイを他所に、ヴェネーノは右腕のみ再生させ、フランベルジュと呼んだ美しくも禍々しい剣を構える。

 溶岩の赤と異なる、竜の眼が放つ光に酷似した光に、生命の終焉を幻視したクレイは、身体の震えを抑えつつ『紅流槍オー・ルージュ』を構える。

 残された体力だけを見ると、クレイに分がある。だが、当事者以外も巻き込む事を辞さないヴェネーノを、倒れた仲間や麓の住民を守りながら倒す余力は彼にない。

 

 只、大人しく殺される事は流儀に反する。

 

 金髪碧眼の四天王の全身から、異名通りの紅雷が漏出し、至る所に流れ出していた溶岩が、潮が退くように後退していく。対するヴェネーノも、裸の上半身に赤を灯してフランベルジュを掲げ、頭と身体を低くする。

「勝負は一度限りだ」

「無論だ。四天王はこの場で俺が倒す!」

「そこまでだ」

 凜とした声が、二人の濃縮された狂暴な意思を吹き払う。

 動きを止め、発信源に視線を向けた二人が目にしたのは、一人の女性だった。

「隊長!」

「遅れてすまない。よく頑張ったぞ、クレイ」

 クレイの呼びかけに微笑を返した、蒼の地に、雲の意匠が刻まれた東方の衣服を纏い、六本の湾曲した異刃を持つ黒髪黒眼の女性。

 彼女こそが当代四天王最強、そして、学者から労働者に至るまで、話の種となる世界最強議論で必ず名が挙がる者。

 『無限刀舞センノヤイバ』スズハ・カザギリは、クレイに微笑を返した後、喜色満面の表情を浮かべるヴェネーノに険しい表情を向ける。

「カザギリか! 丁度良い、お前も俺の糧となれ!」

「君には無理だ。いや、君の心構えで最強など、なれる筈もない」

 意気揚々と声を発したドラケルンの少年の表情が急速に冷え、そして次の瞬間、まさしく火山の如く暴力的な熱が彼を覆う。

「御託は不要。剣で証明するッ!」

 消耗を感じさせない、流れるような動作で体勢を整え、赤熱した大地を蹴ってヴェネーノが突進。

 全身から噴き出す熱気を推進力とした突撃は、空気を切り裂き、地面が波打つ程の衝撃を齎してスズハに迫る。

「隊長!」

「問題ない。良い筋だが、彼は私に勝てない」

 同じ四天王が危険と断じる程、強力な力の接近に対し、穏やかな表情を崩さないスズハは一本の武器に手をかける。  

「舐め――」

「舐めてはいない。単なる事実だ」

 凜とした声、そして風の舞う音。

 一閃によって、ヴェネーノが纏っていた物全てが喪失し、地面に倒れ伏す。

 持ち主と分かたれたフランベルジュが、回転しながら落下し、自身のすぐ隣に突き刺さった事実を、クレイは暫し気付けなかった。

 ドラケルン人の少年の背後にあった火口の内部。

 そこに一本の斬線が深々と描かれ、溶岩が轟々と流れ落ちる滝が内部に形成されていた。

 のみならず、火口近辺の地面を豪快に削り取った力は、空を覆う竜の魔力で満たされた禍々しい赤雲を断ち割り、グラグス火山周辺では何年も見える事のなかった青空を映し出していた。

 火山の支配者共が抗議に来て然るべき蛮行だが、舞台に立つ者の数は据え置かれたまま。圧倒的な力を前に、誰も彼女と対峙する意思を喪失したのだ。 

「よし終わり。クレイはルチアを支えてくれ。私は……」

「待て!」

 刀を納め、緊張を解いたスズハの言葉を遮る形で、ヴェネーノの叫びが響く。

 上半身に巨大な傷を刻み、再生させた右腕が機能不全に陥り、全身から血を流しても尚、ドラケルンの少年は立ち上がっていた。

 絶句するクレイを他所に、身構えるヴェネーノの瞳には、未だ闘争の炎が烈しく燃えていた。

「俺は負けていない。いや、勝つまで戦う!」

「何度でも言おう。今の君では私には絶対に勝てない」

「言葉を重ねようと、俺は」

 向き直ったスズハの眼光を受け、狂熱に満ちていたヴェネーノの言葉が途絶する。

 あからさまな怒りはなく、スズハの黒の瞳に宿る感情は穏やかな物。だが、確かに存在する強い意思に、向けられていないクレイもヴェネーノと近い感情を抱く。

「最強を目指すのは良い。どれだけ傷付いても立つ精神は素晴らしい。ただ、君には大きな間違いがある」

「……何だと!?」

「君は火岳竜やケルベロスを倒した。そこまでは良い。問題は、戦いで作った傷の修復が三人と対峙するまでに完了しないと悟ると、恐怖に駆られた生物を使い彼らの体力を削る手を打った事だ。小細工無しでは勝てないと、認識していたんだろう?」

「……」

「手口自体を非難している訳ではない。戦士たる者、どのような手を使っても勝つ事が大切だ。だが、君が最強を求めるのなら話は違う! 敵が完調でも、相手がどれだけ多数でも、真っ向から打ち破る。いや寧ろ、相手が完調である時、自分が不利な状況にこそ戦いを挑み、勝利しろッ!」

 苛烈な論理に、場にいる者全てが雷撃を受けたように硬直する。

 その中で、言い放った当人は語りの中で満ちていた気迫を霧散させ、同僚に「先に行ってくれ」と指示を飛ばす。

 呻き声を漏らす紫髪の同僚を背負い、歩みだしたクレイ。しかし、彼はすぐにスズハとヴェネーノの立つ場所に目を遣り、ドラケルンの少年の瞳に、先刻とは異なる色が宿っている事に気付く。

「……俺の負けだ。だがスズハ・カザギリ。俺は貴女の理屈に則って力を高め、必ず貴女を打倒するッ!」

「私はもう降りた身だ。君が強くなる頃には、おそらく木偶の棒になっているよ」

「ならば、貴女が貴女である間に強くなってみせる。……逃げる事は許さない、絶対にだ!」

「君が辿り着く時を、楽しみに待っている」

 クレイにせよ、他の者にせよ、戦う強さは余計な戦いを回避し、生き残る為に必要な物と認識している。それ以上を求める事は、破滅に向かうとも。

 しかし、眼前の二人は強くなる事を第一義とし、闘争も決して回避すべき物ではないと捉えているように、クレイの目に映る。

 同じヒト族で、これだけ近い距離にいながら、やりとりを交わす二人と自分との間には途轍もない距離がある。

 決して乗り越えられない断絶に打ちのめされながら、クレイは下山の一歩を踏み出した。


                 ◆


「俺とヴェネーノの接点はこれだけだ。満足したか?」

「ええとても」

 雲を眼下に拝む高空。

 ごく一部の竜のみ存在を許される世界を、銀色の翼を広げた巨鳥が駆け抜け、その背にクレイトン・ヒンチクリフが座していた。

 四天王時代に友情を育んだ巨鳥、いやカルメルの力で、呼吸や気圧の課題は克服しているが、クレイの顔色はあまり良くない。

 この領域で死ねば、骨も残らず死体は解体される。主役になる権利を無くしたと言えど、誰からも認識されない死を望むほど、今の彼は真っ当な感覚を捨てていなかった。

「話を聞いていると、そこで殺しておいた方が良かったですね。目標としていたスズハさんが亡くなられた今、奴は死ぬまで戦い続けますよ。カロンやエトランゼの連中にも、喧嘩を売るんじゃないですか?」

「隊長も、常識人の皮を被った同類だった訳だ。まあ、皮に呑まれて最期はああだった訳だが」

 肉食獣の尻尾のように、直線に伸びて揺れる髪を抑え込み、クレイは瞑目する。

 ――正々堂々挑むようになった結果が、『生ける戦争』か。

 この二十年でヴェネーノが残した足跡は、一人のヒトと思えぬおぞましい物だった。武名を轟かせる者を撃破するに飽き足らず、国を地図から消滅させる領域まで至っていた。

 最早衰え切ったクレイなど、時間稼ぎになるかも怪しく、当代の四天王が四人がかりで挑んでも、贔屓目無しに計算すると勝率は五分あるかどうか。

 ――あいつ等が巻き込まれていないと良いんだが、先に同族で同じ魔剣継承者の方に狙いを定めるだろう。とすると、まだ暫くは大丈夫な筈だ。

 実に道理な、しかし地上の実情から大きく外れた予測を浮かべたクレイは、下方からの声にそれを打ち切って応じる。

「なかなか見つかりませんね、飛行島」

「インファリス上空って言ってたんだがな。……俺を畏れて逃げたのかもな」

「それはない!」

「冗談なんだから笑え」

 カルメルの背を軽く小突いて苦笑し、クレイは目的地に思いを馳せる。

 死せる同僚の愛刀『ムラマサ』に告げられた飛行島とは、名前の通り自律飛行を行い、一箇所に留まらない島を指す。

 様々な風説が飛び交い、提示する者によって「現代では再現不可能な機械で構成された島」や「御伽噺の生物が跋扈する魔境」、「金銀財宝の海」と表現が変化する。

 つまり、誰も正確な情報を有していない。

 只、知性を有する飛行生物すら詳細を知らないその場所は、お誂え向きの密会場所となりうる。エトランゼが集う場所という一つの噂には、微量ながら信頼性が生まれる。

 ヒトの理解が及ばない領域の事態が進行しているなら、ヒトならざる者に聞く。そして、舞台に上がった者達に伝える。ここまでならそこに登れない自分にも出来ると考え、クレイは妄言に近しい『ムラマサ』の提示に乗ったのだ。

 ――とは言え、まだ暫くはかかりそうだな。

 補給地点の選定を始め、下らないよもやま話でもしようかと考えた時、クレイは未知の力を感じて表情を引き締め立ち上がる。

 竜の可能性が一番高く、次点で特殊な異邦人、次いで新種の生物とした二者の予測は、生憎全てハズレとなった。

「……ヒト、か?」

「十中八九そうでしょ。声かけてみます?」

「そうするか」

 全身を橙色に染め宙に浮かぶ奇怪な少女に、接近の選択を下した両者は、各々の警戒度合いを最大まで引き上げて、かつそれを悟られぬように動く。

 抜こうと思えば相手より速く抜ける。

 だが、素人からそのようには映らない位置にオー・ルージュを構え、距離を詰めたクレイは、努めて親し気に声をかける。

「やあお嬢さん。名前は? それと、何処の国のヒトかな?」

「クレイさんにしては真っ当な切り込みだ!」

「黙ってろ、話がややこしくなる」

 鳥とヒトの滑稽なやり取りに、少女はカラクリ人形のような、ぎこちない動きで反応して向き直る。

 舐めるように両者を見つめた少女は、やがて何かを理解したように首肯を繰り返し、両の手を緩やかに掲げる。

「……識……する」

「あ?」

「認識完了。排除する」

 意味不明な言葉を捉える事と、それに対する元・四天王の反応は全く同時だった。

「いったあああああああぃ!」

 甲高い悲鳴を上げた鳥の身体が大きく傾ぎ、それに引き摺られる形で宙づり状態に陥ったクレイの掌に、無残な火傷が生じていた。

 条件反射で行った流しパリィが失敗していれば、相棒の心臓が撃ち抜かれ纏めて落下死していた。

 初手で理解した、相手の凶悪な魔力と精神性に、クレイは火傷の痛みも忘れて歯噛みする。

 出自も何も理解に至らないが、自分達を殺害する意思が満ち溢れている事は、痛いほどに理解出来た。

 ――このままハイサヨナラの目は消えた訳だ。やるしかない、か。

 再来する光弾をオー・ルージュで打ち消し、痛みに悶える巨鳥に目配せを飛ばす。

 返事は、闘争心に満ちた鳥類本来の鳴き声だった。

 対『ディアブロ』以来の魔力全開放を行い、目まぐるしく上下左右が入れ替わる視界の中で、謎の少女に対して一撃くれてやる準備を整える。

「一発勝負だ、合わせろよ!」

「言われ、なくとも!」

 両の手に体色と同じ光球を携え、突撃する少女に対し、巨鳥共々紅雷を纏ったクレイは、咆哮を上げて少女を真っ向から迎え撃つ。

 ヒトならざる領域まで加速する世界の中、紅き狼の優れた視力が、敵の身体に刻み込まれたある物を捉える。

 ――アークス王国……いや、アレは国王だけしか――

 意味を理解する暇を与えぬまま、激突は訪れる。

 一瞬の静寂、そして大爆発。

 下方に広がる雲を引き千切り、観劇者のいない空の世界を二色の光が塗り潰した。





 

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