9

 イルディナ郊外に位置するロディントン。

 嘗て閑静な農村地帯だった当地は、技術革新に伴う農地の再編によって姿を変えた。

 食料品から家電製品まで、幅広い品を取り扱う大型商業施設には、老若男女問わず人々が訪れ、深夜まで絶えることはない。

『日の沈まない国』と形容された、古き時代のイルナクス連合王国の面影を感じさせる、賑やかな町の片隅。

 ジャック・エイントリー・ラッセルは大衆料理店で杯を傾けていた。

 仮面を外した老爺の視線の先には、堆く積まれた料理用の皿。国民的料理のフィッシュ・アンド・チップスが盛られた物と引き換えに白の山が退場した事で、捕食者の姿がようやく露わになる。

 勤勉さを示すような黒の背広に無理やり押し込んだ、分厚い胴部。ネクタイを拘束具に錯覚させる太い首。整った眉の下に鋭い鳶色の目。通った鼻筋に理想的な角度で引かれた唇。

 美丈夫の形容が相応しい男は目を輝かせ、ナイフとフォークを丁寧な所作で振るいつつも、瞬く間に皿から料理を消し去る。

 これで三十四皿目。他の客への供給という職業意識に基づいて、店員が抗議に来そうなものだが、その兆しは見えない。

「相変わらずよく食べるな。何度も聞くが、騎士団の食事はそれほど貧しいのか?」

「何度もお答えしますが、前衛職は皆このぐらいです。それと、食事は満ち足りていますよ、味気は無いですがね」

「栄養構成は完璧だからな。しかし、それを考案したのは君だろう。『赤竜王』殿」

「先生がそう呼ぶのは勘弁して欲しいですね。ハーヴィスで良いですよ」

 伝説の血統を受け継ぐ『白光の騎士』は象徴の役割を担い、単独行動を主とする。

 対して、敵性生物の討伐に加え銃火器主体の軍事作戦への編入も可能な、陸軍主体で編成された戦闘集団を、嘗て連合王国を襲撃した怪物に準えて『赤竜騎士団』と呼ぶ。

 陸戦から飛竜を用いた空戦まで。幅広い戦場に赴き、数多の武功を積み上げた精鋭集団の長。

『赤竜王』と形容される騎士が、ジャックの前で大衆料理を食らう男、ハーヴィス・クロムウェルだった。

 製鉄所勤務の両親から生まれた、四十一歳の彼に『白光の騎士』が持つ由緒正しき血統は皆無。

 幼年学校で非常勤講師を務めていたジャックが、類まれな身体能力を見出していなければ、血統や家柄を非常に重視するイルナクスでは埋没し、両親と同じ道を歩んでいただろう。

 士官学校に入学して、優秀な成績を収めても状況は大きく変わらず、時折指導を行っていたレヴァンダの下に就く為にグレリオンへの旅立ちが決まっていた程だ。

 彼が二十の時分に、イルナクスを襲撃した飛竜『ア・ズィーホ』を単独で討伐した事で、全ては変わった。功績を手土産に創設されたばかりの『赤竜騎士団』に入隊し、そこからの栄光は最早誰もが知っている。

 労働者階級から成り上がった美しい物語と、栄光を鼻に掛ける事なく公僕として在り続ける人間性。これらの要素によって国民から『女王国の愛すべき息子』と称される男は、帰還する度にジャックの元を訪れ、好物の大衆料理を盛大に食する。

 幼い頃から変わらない嗜好に目を細めるジャックだが、今日に限っては微量の緊張を纏っていた。ハーヴィスがもう二皿とサンドイッチを平らげ、素性に気付いた子供との写真撮影を終えた頃、杯を降ろして居住まいを正す。

「男同士で真剣な顔をしても仕方ないでしょう。ご用件は?」

「君に助力を願いたい」


 弛緩していた頬を引き締め、卓を滑るように渡された書類に目を走らせる。


 赤竜王の回答は、想定よりも早い三分の思索で為された。

「心情お察しいたします。ですが、先生の信念を継承する者として、この依頼は受けられません」

「予想はしていたが、承知した。検討感謝するよ」

 エデスタ・ヘリコロクスが引き起こした『エルフィスの書』を巡る騒乱から、既に四日が経過した。

 標的とされた少年少女は奮闘しているが、欲望が人々を愚者に変えるのは周知の事実であり、どれだけ倒せばエデスタ当人に集中出来るのか。兆しすら見えていないのが実情だ。

 肉体強化魔術を掛けて長大な剣『回帰者ガラハッド』と共に突撃する、レヴァンダから忠実に受け継いだ戦闘術を持つハーヴィスが加われば、その先にいるエデスタまで一気に到達出来るだろう。

 少年達は望まずとも、安全を鑑みれば最善手と言えたが答えは否。ジャックとて、元より断られる事が前提の賭けだった。

「リーバ大虐殺を始め、無数の残虐行為の実績を持つエデスタは確かに脅威だ。我が国に牙を剥いたなら、俺達は全力で叩き潰してみせましょう」

「現状の標的は、ヒビキ君とユカリ君の二人。しかも、犯罪者の地下情報網に依る発信故、奴の動きは公的に認識されていない」

「その状況で俺が動けば、逆に国は乱れます。……先生にだけお見せしますが、こういう火種も生まれましたしね」

 不慣れな『幻光像イラル』を展開し、周囲との接続を遮断したハーヴィスが掌中の装置を展開。最大級の警戒を以てジャックは待った。


 そこに映し出された光景は、見渡す限りの白だった。


 白で埋め尽くされた空間に、巨大なオブジェクトが一つ聳え立っている、常に活動を続け、イルナクスの栄光を支えた利器たる船舶が白に包まれ、時間から切り離された光景はある種の幻想的な美を有している。

 背景の空が快晴。かつ、封じ込められた船がイルナクス連合王国所有の現役輸送艦『マイルストーン』である事実に気付かなければ、の話だが。

「何が……起きている?」

「先月のことです。アトラルカのタサブ港を出発したマイルストーンの通信が途絶えて、俺は現地に向かった。そしたら、見事に氷漬けにされてたって訳です。どうにか曳航して連れて帰る事は出来ましたが、未だに凍ったままなので、恐らく乗組員は全滅でしょう」

 海棲生物や飛竜。果ては海賊と、海にも敵対者は多数存在する。彼等に対抗すべく、一定程度の装備と戦闘員は乗り込んでいるが、船を丸ごと氷漬けにする仕掛けへの対抗策など有る筈もない。

 今に至るまで、市井の人々に情報が降りてきていない事が奇跡にも思える、奇々怪々な事象だが、被害を直接被った側としては、悠長な形容をしている余裕はない。

 数百人の命が瞬時に失われる事態は沽券に関わる上、看過出来ない甚大な損害。出自故に政治力は弱くとも、それなりの立場を持つハーヴィスがこちらを警戒するのは必然と言えるだろう。

「落としどころはありそうか?」

「調査隊を出すみたいですが、多分に何も出てこないでしょう。マイルストーンを見せりゃ、馬鹿共も黙りますでしょうよ。問題はもう一つある訳でして、こっちのが俺的には怖い」

 返す刀で投げつけられた文書には、妙に機械的な筆致で一文。


『大敵への挑戦』


 意味不明な文言だが、差出人の名を見ると明確な意図を持っている事は理解出来る。ただ、これだけでは何も見えないと目頭を揉んだジャックに、助け舟を出す形でハーヴィスの声が届く。

「ツテを辿りましたが、結構な数が撒かれたみたいですね。ウチと並ぶ国の軍隊には、大体届いたようでして。偉いさん達は何も信じちゃいませんし、仮に本当だった場合は騎士様を出すらしいですよ」

「『白光の騎士』か。妥当と言えばそうだが、陛下も相変わらずお人が悪い」

 真偽はともかく、他の先進国もこれでは正規軍を出さない。召集に応じるのは、在野の戦士だけだろう。名の知れた強者で、このような事態に参戦しそうな者は何人か浮かぶが、彼等だけでは手紙の主が望む結果は難しい。

 個人として国内最強戦力かつ、政府との繋がりも深い『白光の騎士』を出せば、万が一の時にイニシアチブを得られる。単独行動が大半の性質上、仮に彼が死んでもイルナクス国軍の傷は浅く済む。

 信仰対象すら駒と見るのは公平性の顕れか、それとも冷酷さに依るものか。

 一般的な反応に大きな差はあるものの、両者の本質は近い所にあるのだろう。

 自身の雇い主については、そこで思考を止めたジャックは、差出人の意図とその者が想定する事態に思考を巡らせる。大小の紛争は記録が追い付かない程に発生しているが、ヒト同士の世界大戦に至る火種は現時点では見えない。

 となると、新種の敵性生物の出現か天変地異になるが、そこまで手を伸ばすと材料が著しく不足している。

「君は出ないのか?」

「俺は出られませんね。マイルストーンの件もありますし、その先の遠征も決まっている。……腹立たしくはありますが、ね」

 何気ない問いにハーヴィスは笑顔で応じるが、掌中の杯が亀裂に満ちる。

 イルナクスの伝説に準えた『赤竜王』の異名を持つが、戦士達が『紅き竜』の言葉で想起する存在は、ヴェネーノ・ディッセリオン・テナリルスであり、彼は遠く離れた二番手に過ぎない。

 組織だった行動を主とする結果、単独での逸話は実力に反して少ない。

 無礼な者から『白光の騎士』の下位互換とまで揶揄され、『二番を掛け合わせて四番目の男ですよ』と自虐する状況は、誇り高き男とて快く思う筈もないだろう。

「軽挙は起こすなよ」

 己の浅慮を悔やんだジャックによる、暴発を防ぐ空虚だが切実な言葉に、騎士は剛毅な笑みで応え、己の分厚い胸板を拳で叩く。

「先生の仰っていた通り、家族が出来てから阿呆な英雄願望は無くなりました。それに、単独の強さを追い求めるのは空しいですし、敵を増やすだけです。ご心配には及びませんよ」

 よく訓練された答えと共に『幻光像』を解除。周囲の喧騒との再接続が為される中、ハーヴィスは立ち上がる。

「次もまた、ここで会おう」

「勿論。女王陛下の、そして国民の剣は折れません。必ずやまたお会いしましょう」

 会い、そして別れる度に行う握手を今日も交わす。

 栄光と恨みを手にしている者同士、次の保証は何処にもない。互いに惜しみ、しかし後ろ髪を引かれることなく歩むべき道へ戻っていくのもまた、変わらぬことだった。

「忘れるところだった。陛下から言伝です。『好きに暴れる事も、我が国の札を彷徨者に与える事も許す』だそうで。久方ぶりの大舞台、楽しんでください」

 その中で挿し込まれた、非日常そのものであるロクでもない言葉を残し、小山のような男は去っていく。残されたジャックは、椅子に身を深く預けて一度大きく息を吐いた。

「すまない、もう一杯頂けるだろうか」

 通りがかった給仕に声を掛け、嘗ての四天王は瞼を閉ざす。

 増援が来ない事は最初から分かっていた。しかし、積極的な参戦の許可が下りる事は想定外。

 ベアトリスの『過去の清算』が、かなり踏み込んだ領域を指していた事に、今更ながら気付いたジャックは己の浅慮に苦笑する。

 ――アークス関連の事象には実力行使を許可する、か。引退した年寄りに無茶を言う。だが、やる意味はありそうか。

 静かな炎を内に灯し、嘗ての四天王は己の持つ材料を検分する。

 誰も指摘する者はいなかったが、久方ぶりの闘争に備える彼の姿は、新たな娯楽を与えられた若者のように活気に満ちていた。


                   ◆


「ああああああああああああああああああ!」

 同じ頃、アークス王国首都ハレイド。

 高貴な者が住まうギアポリス城の一室で、デイジー・グレインキーの咆哮と何かが砕け散る音が響いた。

 アクロカノス討伐任務から帰還したが、人々が喝采を浴びせたのは当然ながらアルティだった。

 ヒトの戦術を一定程度解し、敵性生物専門の部隊すら退けた怪物を一撃で仕留めたとなれば、その反応は必然と言える。加えて、アルティは国王の肝入りと言えど特別な出自や肩書を持たない。

 人々が殊更に賞賛するのは必然。そして、肩書を持ちながら役に立たなかったデイジーに対して必要以上の非難と嘲笑が届くのも、また必然と言えた。

 逃げるように報告を済ませて自室に逃げ込んだデイジーは、何が駄目だったのか。どうすればあの結果を変えられたのかを模索する。

 その結果、何も見つけられずに爆発に至ったのだが。

「魔術組成も、アイツが動き出す瞬間も! なんにも見えなかった! あんなの絶対おかしい! 勝てるわけ、ないじゃない!」

 手当たり次第に調度品を破壊し、生まれてくる騒音に劣らない大音声で喚く。近くを通りがかった従者が慌てて逃げる程の狂乱を繰り広げても、デイジーの心にれは訪れない。

 どれだけ魔術を極めていようが、組成と発動に伴う大気や発動者の肉体に生じる、微細な変化を完全に消し去る事は不可能。大型地竜の首を一撃で吹き飛ばす大規模魔術となれば、軽減さえも困難な筈。

 自身は不得手でも、強力な魔術を使いこなすパスカやユアン、ここまで対峙してきた敵を見ていればその程度は理解出来る。では、何故アルティはその規則から外れているのか。

 当然の疑問に対する、無数の推論。広がる思考の波が一点に収束した時、デイジーの口から喘鳴が漏れる。滑稽な音を奏でる彼女は痙攣を始め、眼球も忙しなくあちこちを彷徨う。

 耐えきれずに体を壁に預ける。ズルズルとへたり込んだ彼女は、震える手で懐から黒の小箱を取り出す。乱雑に蓋を開け、薄桃色の錠剤を十錠ほど引き摺り出す。貪るように口へ放り込み、噛み砕いて嚥下する。

 闇医者によって配合された抗不安剤は、通常の医療機関で処方される物を遥かに上回る効果と即効性を持ち、辛うじて糸からの脱落を免れたデイジーだが、薬物が本来持つ効果には到底届かない。

 行き過ぎた医薬品は、違法薬物との差異が不明瞭になる。

 誰かの言を証明するように、依存と効果の低下を実感するデイジーは、それでも冷静な思考を取り戻して立ち上がる。

「おわったことは、しょうがないもん。つぎまた頑張らなきゃ……そうだ、王様に報告してないや」

 実務的な意味は無いものの、自身を見出したサイモン・アークスへ任務の報告を行うことは習慣となっていた。年齢等の要素から、話し相手の少ない彼女にとって、国王はそれなりに信頼出来る存在で、同僚と話す機会が減じた今は重要度が更に高くなっていた。

 最低限身なりを整えたデイジーは部屋を出て、いつも通りの軽い歩法を意識して城内を歩む。

 髪の毛は乱れ放題。半端に防具を外したせいで調和が崩れた装い。目は血走って足取りも不安定と、行き交う人々が目を背ける惨状だが、それに気づかないデイジーはやがて王の間に至る扉へ辿り着く。

 何度か深い呼吸を繰り返し、重い扉に手を掛けた時。

「四天王について、結論は出たよ。これ以上の空白は不味い。ユアン君の席に、アルティ君を置く」


 四天王の座に就いてから三年。初めて会話を交わしてから五年が経った今、聞き違える筈も無い声が届き、デイジーの時間が止まる。


 問い質すべく、乗り込もうと意思は叫ぶも体がそれを拒む。扉の前で無様に震える他ないデイジーの耳に、残酷な声が重ねられていく。

「今回の件で、分からず屋達も彼女の強さを知った筈だ。デイジー君すら上回る速度と、パスカ君に匹敵する破壊力を持つ彼女なら、ユアン君の穴は埋められる」

 夢だと思い込もうにも、今ここで自身が呼吸を重ね、声が届く事実が現実と証明している。視界が歪み始めた彼女は、現実逃避に身を委ねる事を試みるが、延々と続く声がそれを許さない。

「無論、あれだけの人材を捨てるのは私にも惜しい。しかし、空白と停滞は何れ露見する。雲霞に等しい希望に縋り続けた果て、最悪の事態を招いた事象は枚挙に暇がない。私は紛れもなくお飾りだが、故に崩壊の起点となってはならないのだよ」

 彼女が聞いていられたのは、そこまでだった。

 粗雑な挙動で床を蹴り、来た道を逆走。疾走の最中に懐から通信機を取り出して耳に押し当てるが、待ち人から応答はない。

「……なにしてるのよ、あの××××××!」

 喚くと同時に通信機を床に放り捨てる。破砕音を後方へ押し流すデイジーは、血走った眼で世界を睨む。

 予想外の方向から届いた裏切りと、喪失への恐怖。

 汚泥同然の感情に突き動かされ、彼女は駆ける。

 行先は、既に決まっていた。

「××××××がやくたたずなら、わたしがやる! それで、わたしと、わたしの居場所は、わたしが証明してやるッ!」

 道を暗示するように、悲壮な決意を宿した咆哮は盛大に響く。


 彼女が求めた形でそれを受け止める者は、一人もいなかった。

 

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