3.クレイジー・クライマー
序
「話はそれで終わりか?」
首都ハレイドに隣接する都市、アガンス。
ハレイド同様に、高層ビルの立ち並ぶ街の一角で、二人の男が衆目を集めていた。
地面にへたり込んでいる者に対し、もう片方が得物を突きつけている構図など、発展した場所ではなかなかお目にかかれない為か、騒動の見物客は一向に減ろうとはしない。
へたり込んでいる方、アークス国軍の軍服を崩して着ている男は、脂汗をダラダラと流しながら頷く。
「この期に及んで嘘なんかつかないって! その物騒な――」
舗装が砕ける音が響き、男の言葉が止まり観衆はどよめく。
「返事は一言で済ませろ。軍属ならその程度はこなしてくれ。それに下らない魔力封弾の横流しは止めろ。社会にとって害悪でしかない」
『
額に巻かれた、生物の皮革を繋ぎ合わせた帯が目を引く男の手には、刀身が緩やかに湾曲した乳白色の剣が握られていた。
特異な形状と色を持つそれは、男の知識の中で何処の軍の装備にも存在していないが為に、追い込まれた彼に疑問と恐怖を刻んでいた。
「お、俺一人を捉えた所で、計画は成功させられる。なんたって――」
「俺には仲間がいるんだ、か? それは犯罪者が吐く物ではないな。お前の仲間はとっくに私達が捕え、物品も抑えている。お前のここ数日の行動を、私達が把握していなかったとでも?」
自信に満ちた口上を遮られた挙句、計画の崩壊を告げられた男の表情が歪み、絶望と憤怒に染まる。
せめて、このいけ好かない面をした男だけでもどうにかしてやろう。その衝動に背中を押され、男は短剣を引き抜いて、魔術の発動体勢に移る。
「死に――」
「動けばお前が死ぬぞ。止めはしないが」
突きつけられていた剣の刀身が、何股にも枝分かれして自分を包囲し、更に『
理解の範疇を超えた現象に硬直した隙を衝かれて、短剣を叩き落とされて丸腰になり、対抗する手段を失った男は呻きに近い問いを発する。
「お、お前、その剣は一体……」
「『
淡々とした調子で吐き捨て、スーツの男は踵を返して歩き出す。同時に、呼ばれてやって来た武装警察隊が項垂れた男を取り押さえ、護送車に引き摺っていく。
「お疲れさん、報酬はいつもの所で大丈夫か?」
「問題ない。次はもう少し別の仕事を持ってきてくれ。コソ泥如きで引っ張り出されるのは不愉快だ」
「迷子探しだのは二十四時間引き受けているのに?」
「それは貴方達がやらない仕事だからだ。失礼する」
去って行く男の背中を見ていた中年の警官に、後輩と思しき若い男が声を憤慨した面持ちでかける。
「先輩、なんなんですかあの変な男?」
「本人に聞かれたら殺されるぞ。『ベイリス特殊事務所』ってあるだろ? あれの所長が、あの男マルク・ペレルヴォ・ベイリスだ。ヒルベリアで『
「ま、マジっすか!? そんな奴が何でヒルベリアなんかに……」
「アイツが産まれた頃は、フィニマ系も差別対象だった頃の名残があったからな。流れに流れて、ヒルベリアで育ったんだろうよ」
◆
足早に現場から去ったベイリスは路地裏に入り、ひたすらに歩く。事務所に寄る事を考えながらも、もう他の所員が皆帰路に就いているあろうと考えて、少しばかし寄り道をすることに決めた。
途中様々な、食品の移動販売から娼婦まで幅広く声をかけられたが、全てに愛想を含んだあしらいで返し、とある雑居ビルの非常階段を登って、屋上へと辿り着いた。
所員のクレームで、吸う頻度がすっかり下がった煙草を取り出し火を灯す。
肺を汚す紫煙が尽きるまで、眼下に広がる清潔で平和な、しかし別の意味で何もない光景を見つめ、うっすらと笑みを零す。
今日という日も特段の波乱なく終わる。そのような凡庸な、しかし貴重な事象を噛みしめて家に戻ろうとした時、不穏な気配を察してベイリスは身構える。
空が紅蓮色に塗り替えられていた。
空の変色は不吉な出来事の兆しであると、亡き両親から言い聞かされていた為、『
先手必勝とばかりに『
次の手を打つ前に人影の全貌が見えた事で、ベイリスは魔術の発動を止め、ナヴァーチを下ろした。
「あら、もうおしまいにするの?」
「貴女に喧嘩を売る程、私は愚かではない」
呼吸の度に変色する眼を宿し、水晶を想起させる艶やかな髪に漆黒のフレアワンピースを身に纏った、美しい女性がベイリスの眼前に降り立つ。登場の仕方からも判断可能だが、彼女は無力で無害な存在ではない。
彼女の持つ、身の丈を遥かに超える透明な刃を持った巨大な鎌『刈命者オルボロス』や、身体の至る所を彩っている水晶と化した頭蓋骨を見れば、その名を呼ぶ事が出来る。
「『
『エトランゼ』と変わらぬ程に長く生き、歴史上の重要な場面で、幾度も介入を行ってきたと噂される存在は、その威厳をまるで感じさせない、外見そのままの柔らかな笑みを浮かべる。
「忠告をしにきてあげたの。あなたは選ばれし者ではないとね」
「貴女に言われずとも、私はそこまで自分を高く買ってはいない――」
「あなたにとって旧知の存在が、運命に選ばれた。その存在はあなたを好いてはいないけれど、危機に立たされれば、あなたは手を伸ばすでしょう。でも、その行動はあ破滅への片道切符となる。傍観しなさい、マルク・ペレルヴォ・ベイリス」
徹頭徹尾、自分の知っている事は相手も理解出来ている、といった態で話してくるカロンに対し、意味が理解出来ないベイリスは首を捻る。
だが、力や知恵のある者は無い者を想定した視点が欠落している事は知っている、敢えて単刀直入な問いを一つだけぶつけようと、ベイリスは判断を下した。
「貴女が私のような特異性をそれほど持たない、掃いて捨てられる程度存在している男に態々忠告する事態とは、一体何だ?」
「世界の大変動よ」
非常に短い言葉が、色素の薄い眼を見開かせる。
「指し手が誰であるのかは分からない。でも、確かにそのような動きがある。私は対応策として、異なる世界の者を呼んだ。……邪魔が入って失敗したけれど」
「ヒルベリアに現れた少女のことか?」
無言のまま首肯が返され、ベイリスは小さく唸る。
カロンほどの存在が恐れ、策を打ち、そしてそれが失敗する。想像がまったく出来ない話だ。異なる世界の者、世界の大変動などと言う単語も、ベイリスには理解が出来ない。
「……私は何をすれば良い?」
「あなたと選ばれた存在は、そう遠くない内に接触を果たす。その時、関わってはならない。それだけで良い」
「保留とさせて頂く。最後に一つ、聞かせて貰いたい。何故私に忠告を?」
「この世界で私が選んだ、対抗策が近々この街に訪れる。一番首を突っ込んできそうで、ある程度の所までは付いて行けてしまうあなたには、先に釘を刺しておこうと思っただけよ」
最初から最後まで、他人に理解させるつもりのない言葉を吐いて、カロンの姿が揺らめき始め、再び空が紅蓮に染まる。
――なるほど、空の変色は、カロンが力を行使する時に起こるのか。
幼き頃からの言い伝えの答えを知って、場違いに感心するベイリスを放ってカロンは姿を消し、空の色は元に戻る。
一瞬前までのやり取りは夢だったのか。一瞬そう思ったが、『泡砲水鋸』の水が屋上に染みを作っている事に気づき、現実だったのだと思い直す。彼女の言葉の意味は理解出来ないが。
「貴女は私が選ばれていないと言うが、態々伝えられては、舞台に引き摺り上げられているようにしか思えないな。……書類も大方片付いている。追加の仕事もない。帰って、冷凍しておいた海獣の肉でも食べるか」
敢えて日常を喚起させる呟きを放って、ベイリスは歩き出す。階段を降りて行く彼の背後に、一枚の広告が宙を舞い、やがて屋上に落ちた。
彼が目にすることは無かったその広告の内容は、大陸で近年頭角を現し始めた歌姫、アイリス・シルベストロがアガンスで一か月後に公演を行う、との旨を記した物だった。
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