13
頂上と思しき、強い風が吹き込む空間に踏み込むと足場が無かった。
隊列中団のユカリにはそう映り、彼女に近い位置の者も同様に捉えた様子で足運びが鈍るが、先頭の蓮華は平然と足場なき空間へ進む。
見事に雲海へ真っ逆さま……とはならず、似非侍は軽やかな動きで前進。彼の足下から発せられる音は、楽器から奏でられるような澄んだ物だった。
「ガラスでしょうかね?」
「光の屈折度合いを見るに、硝子ではない。……自然構成された物でもないな」
「ルーゲルダさん、頼三、議論は後だ。とっととシグナの遺産を見つけるぞ!」
蓮華の声は道中よりも二、三段階張りを増していて、誠実さを有する『架空の』政治家が行う演説のような代物になっていると、ユカリは内心で感じていた。
ただ、この瞬間は彼の声が持つ力も、ある理由によって大きく減じられている。
「探すと言っても、どこをどう探せば良いんだろう?」
「あーユカリちゃん? それ言っちゃ駄目だよ。多分レンゲさん落ち込むから」
ここまで抜けてきた階層と一転し、朽ちた人工物を筆頭とした彩はここに無く、動植物の類はどうかと見ても、上から伸びる光をそのまま下へ送る透明な床は、それらが生まれる許可を与えていない。
目に映るのは蒼空ばかりと、美しいが無に満たされた広場では、目的の物はここに無いとする方が合理的だ。
冷静に事実を組み合わせると、空振りだと着地する状況でも、蓮華は落胆した様子もなく笑う。
『
「決戦場に成り得る広さがあるのはもうここぐらいだ。何、皆で探せば……」
「その必要はないんじゃないっすかねー団長さーん」
舞台歌手のような澄んだ、しかし内包されている物は清冽とはかけ離れた声が響き、声の方向に全員の目が集中。
蒼の光景を汚す無粋な新緑の紋様が浮かび、中心部に奔った亀裂を拡張するように、白い手が伸びる。
枯れ葉を握り潰すそれと酷似した、乾いた音と連動するように手の開閉が繰り返され、掌のみから手首まで。手首から肘まで。肘から肩までと一同が視認出来る範囲が広がっていく。
そして、全貌が露わになったソイツは、道化の仕草で嗤う。
「ハァイ愚物共。随分と遅かったじゃないの」
「お前の為に動いている訳じゃないからな。何の用だ?」
『水彩』へ伸ばされた左手を小刻みに揺らしながら、笑顔の仮面を貼り付けた蓮華が、現れたラフェイアへ一歩前進。
決闘者と趣が異なる、感情を出鱈目にかき混ぜて煮詰めた暗い空気と、それを陽性の物に強引に書き換える厖大な魔力の放射で、ユカリの背を悪寒が貫く。
他の者も歯を食い縛る、出血するほど手を強く握り締める等の行為でどうにか耐えている有り様。
『
「で、特大クソ変質者のラフェイアちゃんが何の用だ? 生憎、お前の居場所はここに無い。飴でもやるから帰れ」
「居場所なんてなー必要ないね。そもそも、お前らみたいなのとつるみたかねーわ」
わざとらしい溜息を吐き、軽侮の眼差しを返すラフェイア。何処までも理解が叶わぬ次元に立つ遠い存在と再認識させる振る舞い。
ただ、ほんの一瞬。時間に直せば一秒未満だが、彼女の表情が強張った。
「そうやって殊更主張するのは、手に入れたくて、でも叶わなかったからですか?」
「あ?」
疑いようもなく最弱のユカリが強者のやり取りに割って入った事実に、彼女の周囲に居た者の顔が引き攣り、ラフェイアの眉がまたしても微量に動く。
敵意に満ちた目を向けられるだけ生じる、心の大きな乱れと逃げ出したくなる恐怖。心臓は痛みを覚える速度で鼓動を刻む。
これら全てを押し込めて、ユカリの唇が言葉を紡ぐ。
「私が弱いと言われ、あなたのような存在に馬鹿にされるのは、事実に基づいています。こんな事を言われて良い気分な訳が無いですけど、覆す要素も無い。だから、行き場のない感情は苛立ちを呼び起こす。居場所なんていらないと殊更に……」
皆まで言えず、ユカリの身体に鈍い衝撃。次いで浮遊感が彼女を襲う。
死を自覚するより速く、背部に再び衝撃が走り、激しく咳き込みながら尻から落ちたユカリの耳に淡々とした声。
「リクエスト通り幾らでも言ってやる。お前みたいな、男に××××××を吐いて股開くしか価値のない清純派気取りの淫売が、アタシを暴こうってのは未来永劫に許されはしねぇよ!」
「見下してる奴に図星衝かれて、隙を晒す羽目になった気分はどうだ?」
感情のまま、蔦の一撃で吹き飛ばしたユカリの首に手を掛けたラフェイアが不自然に停止。訝る怪物の目に、負の感情が掠める。
無音で飛来した細い糸がラフェイアに複雑に絡み付き、動きを強引に止めていた。糸と糸の間に位置する肉が奇妙に膨れる程、締め付けられたラフェイアが身を捩るも、縛めが緩む気配はない。
ようやく痛みが許容範囲まで引いたユカリが顔を挙げると、蓮華と彼に操糸術を教えた少女、加藤千歳の二人が、十指から糸を伸ばす様が映る。
天井が見えない以上、手加減の選択肢を端から捨てた二人が、完璧な同期で腕を引くと、怪物の全身から緑色の飛沫が生じた。
「頭二人でこの程度? いやーしょぼいね、ショボ過ぎる!」
「糸を離せッ!」
切迫した叫びを上書きするように、二人の身体が浮き上がる。
辛くも蓮華は脱するが、腕力で劣る千歳は血霧を撒き散らしながら宙を舞い、ラフェイアの眼前に引き込まれた。
「ゴミはゴミ箱に、っと」
小柄な少女の腹部に、枯れ木の束が撃ち込まれる。
洗練無き得物の一撃を受け、穴の隙間から肉と臓器だった汚物が下品な音を立ててひり出す千歳の全身が小刻みに震え、やがて止まった。
「……!」
「あははははは、怒った? ねぇ怒った? でも諦めてよ、こんな雑魚を大事に囲ってるお前が悪いんだからさぁ!」
液体金属を纏った蓮華の突きは跳躍で躱し、『
「××××××!」
罵声を投げ、斬撃を止める。蓮華に出来たのはここまでで、飛んできたフリーダを胸で受け止めながら透明な地面に塊となって墜ちる。
「すみま……」
「どけッ!」
謝罪を押しのけ、躊躇なく引き金を引いた。
火薬の臭気と轟音を引き連れ吐き出された弾丸は、めくら撃ちながら正確な照準で、音の速さで眉間を狙うが、ラフェイアの魔術展開はその先を行った。
虚空から引き出された樹木が彼女の全身を覆って弾丸を無効化。数秒で零から幾百の年月を経た大樹並みに育ったそれの内部から嘲笑が届く。
「はいもう一丁~」
「全員『
一喝で出現した数十の淡い光球に、大樹の蠢きに連動して放たれた枝が刺さり亀裂が奔る。銃弾に匹敵する速度で届く、大身槍並みの枝が直撃すれば現世との別れに直結し、守勢へ強制転換させられた者達に、再度攻勢への移行を許さない。
大層な名前を冠しているが、大気中の素粒を糧に木を生み出す効果しかない『
「ほらほらどうした、アタシを倒すんじゃなかったのかぁ」
「えぇそうです。でないと、目的は達せられませんから」
圧倒的有利に立ったが故に放たれた嘲りに答えたのは、死体だった。
似たような奇術を可能とするが、自分が目にするのは慣れていないのか、疑問を灯した翠の眼が動く。
加藤千歳の死体が転がっていた場所に『ハズレを引いた気分は如何ですか?』と書かれた一枚の紙。愉快な速度で朱に染まった怪物の顔に、円形の刃が突き立つ。
丸めた紙屑と同然に顔を歪めたラフェイアが回避不可能となる位置まで、両手を血で汚した千歳と『
「手裏剣を狙ってください。発案者だから決めてくださいね!?」
「分かってる!」
連携と形容するにはややぎこちないが、短くやり取りを交わした二人が、各々の攻撃体勢に移行。
ユカリの放った刺突は、狙い通り手裏剣を強かに殴りつけ、ラフェイアの内部に侵入。手応えを感じながら、ユカリはルーゲルダを突き刺したまま後退。入れ替わるように前進した千歳が、身体を捻りつつ跳躍。
小柄な少女の爪先が、剣の柄を強かに蹴り飛ばした。
乱暴な推進力を得た剣は、眼球を押し出して骨を砕き、肉を攪拌して到底相応しくない形に頭を変形させる。
通過しきると同時にルーゲルダが発光。ヒトに転じた剣は、倒れ往くラフェイアに煌々と燃える拳を叩き込む。
振り抜かれた拳が敵の胴部を駆け抜け、緑の飛沫で顔を汚したルーゲルダが拳を捻りながら引き抜くなり、ラフェイアの全身が発火。山火事で生じる物と同種の臭気が風に流れて拡散する。
「決まりましたね。……流石にちょっと怖かったですが」
「……ごめんね」
荒い息を吐きながら、再び剣に戻ったルーゲルダを杖替わりに立つユカリは、似たような状態の千歳に引き攣った表情で応じ、眼前で燃え続ける敵に目を向ける。
心臓か頭部、又は両方の破壊。
魔力形成生物なら、核となる物質の破壊か体内からの強制排出。
この世界に於ける戦いの勝利条件は基本的にこの二つだが、『揺らぎ蝶』で刃を交えた時、二つを満たしてもラフェイアは復活を果たした。
傲慢さを裏打ちする実力と、模倣不可能な持久力を有する敵を破るには、思いつく方法を乱射して当たりを探すしかない。
『
抱いている危惧は皆同じで、炎の遮幕が破られた事で危惧は現実に変わる。
「やー思ってたより遊んでくれるね。やるじゃん」
蛇の微笑を湛えたラフェイアが、無気力な拍手を連れ着衣含め無傷で出現。上がりかけた意気が沈んでいく様を睥睨しながら、怪物はユカリを指差す。
「無能の割によく組み立てた。でもさ、傀儡を使って隙を衝くやり口をアタシが体験してないと思った? あぁ毒ガスも止めとけ、無駄だから」
舌打ちして蓮華が右手を振り、部下の魔術展開を強制停止。振り出しに戻った一行を、ラフェイアは嗤い続けていたが不意にそれを止める。表情をめまぐるしく変えながら、登場した時と同様に、何もない空間に蔦を伸ばして亀裂を入れる。
「攻撃はしないから安心しろよ。面白い物を見せてからだ。……ここに何も無い事に疑問はなかったか? あっても現実から逃げてたのか?」
肌が粟立つ感触に苛まれながら、ユカリは何もない大地とラフェイアを組み合わせて思考していく。
浮上した中で最悪の一つに至った時、暴風が吹き抜け風圧で髪や裾が盛大に乱れる。暴風の正体は、蓮華だった。
憤怒と恐怖を等分に表出させ、ヒトの限界を叩く速力で疾走するサムライに、ラフェイアは対応する素振りを見せぬまま悠然と立つ。
在りもしない希望に縋る奴隷と、その飼い主と形容されそうな状況を覆すべく、水彩に手をかけた蓮華の姿が消失。次に現われた時、ラフェイアの目と鼻の先にまで迫っていた。
金属の靴が透明な大地に亀裂を刻み、魔力の集中で左腕が膨張。この場にいない者と趣は違えど、超高速の抜刀斬撃を放とうとする彼の前で、ラフェイアが伸ばしていた蔦が引き出され、その先に括りつけられた物体が手に収められた。
「今キミと迎えるシンギュラリティ、ってね!」
転瞬、蒼空が白光に呑まれた。
◆
「……っ」
実時間に直すと、十五秒間意識を手放していたユカリが、立ち上がろうと地面に手を触れると、先刻と異なる柔らかい感触が掌に伝わる。機能を取り戻した、閃光に灼かれた目が最初に捉えたのは何処までも広がる緑。
間違いであって欲しい。
縋るような思いで周囲を見渡すユカリから、急速に色が失せる。
硬質な地面は今や無数の花が咲き誇り、平面だった場所に樹木や蔦、そして苔生した岩が乱立し起伏が生まれている。煩わしさを感じさせる程に主張していた空の蒼は、緑の遮幕の隙間から辛うじて視認出来る状態となっていた。
即ち、『飛行島』の最上部は書き換えられた。
「アハハハハハ! こりゃマジですっげぇわ! お前が求めてたのもよく分かったよ。でも残念だったね、もうコイツはアタシの物だからさ!」
最悪の現実を肯定する、笑声の発信源に目を向ける。
まず見えたのは、光を特等席で浴びた蓮華の悲惨な姿だった。纏っていた装甲がほぼ溶け落ち、腹に二つの穴が開き先刻の千歳同様、出てはいけない物体が毀れていた。右腕も肩口から消え、顔の半分が炭化して鼻が失せた事で平坦になっていた。
生きている事が奇跡に等しい状態で転がる彼の腹を、ラフェイアが踏み付ける。この場で唯一無傷の彼女も、姿を大きく変えていた。
腰まであった翠の髪は肩口まで後退し、同色の瞳は蜂蜜色に変化。大きく露出していた両腕には、意味を解せない紋様が刻まれ、蔦で構成された防具が関節を覆う。
そして右手に片刃の剣、左手に禍々しい両刃剣が握られている。
幻想で見た人物と一致する姿となったラフェイアを見て、地に伏している誰かが零した呻きを捉え、怪物は笑みを更に深くする。
「大・正・解! お前らがちんたらやってる内に、アタシは『輝界刃セイリルス』と『餓竜剣エルナト』、つまりシグナ・シンギュラリティの遺産を手に入れたって訳だ!」
「そ、そんな馬鹿な……」
「あらよっと」
逃避の思考が働いた団員へ『餓竜剣エルナト』と呼ばれた、竜の口腔部を模した両刃剣が振られる。
切っ先から放射された白光が、美しい花も無骨な地面も等しく蹂躙して駆け抜け、たった今展開された緑の壁を貫通して場から退場。残ったのは、濛々と立ち込める煙臭気に、竜の爪に蹂躙されたような深く長い大地の亀裂。
本当の地面はこんなに深くなかっただろうと、内心で突っ込んでみるが何の助けにもならない。硬直するユカリ達を置き去りにして、圧倒的な力を披露したラフェイアは、見せつけるように鈍重な動きで二刃を構える。
狙いは当然蓮華。だが、動けば理不尽な力に蹂躙され死ぬ。
団長の為に動こうとする意志を、尻尾すら掴めず終わる、即ち無意味な死だけが待つ現実が相殺し皆の動きを止める。
ヒトとして当然の感情で固まった一行の反応を他所に、殺意で目を煌かせるラフェイアは、交差する形で構えた二刃を振りぬかんと動く。
「やめてええええええ!」
覚醒した千歳が半狂乱で疾走し、叫びで縛めを解かれたのか魔術が一斉に放たれるが、既に時間を浪費し過ぎた彼らの抵抗は、怪物に届きそうにない。
反抗の意思に身体が付いて行かず、痙攣を繰り返すに留まる蓮華と、剣の距離が詰まる。勝利を確信したように、ラフェイアの笑みは深まっていく。
「どれだけやっても、これが現実! お前らの役割は只死ぬだけなんだよ」
「そりゃテメエの役割だ。顔洗って鏡見ろよ」
喜悦の声に、ここで聞こえる筈の無かった声が滑り込み、同時に金属同士が激突する音が響き渡る。
激突で跳ね上がった二つの剣とラフェイアの眼前に、回る蒼の異刃。
重力に従う異刃に吸い寄せられるように同色の光が集束し、ヒトを形作る。
ユカリの目に歓喜が、ラフェイアの目に嚇怒が宿る様を認識しながら、現れた存在は異刃をしかと掴む。
「『
大上段から打ち下ろされた斬撃が、ラフェイアを捉えた。
蒼光を残して異刃が顔面から股間を奔り抜け、軌跡を追走するように生まれた白が瞬く間に怪物を覆う。
「このブリキ細工――」
「『
罵倒を掻き消す凜とした声と、ここに居る筈がない、獣の咆哮が最上層全体を震わせる。
聴衆の耳を容赦なく痛めつける音が餓狼の如くラフェイアに喰いつき、遥か後方の壁へと追放。
「時間は稼ぐ。……急げ!」
外套の裾を翻し、乱入者の片割れはラフェイアを追撃すべく地を蹴る。
指示に従う形で、転がった蓮華に一行が駆け寄り、先んじて『癒光』を発動したもう一人の姿をユカリは視認する。
「ティナ!」
「……お久しぶりです。そして、申し訳ありませんでした」
バツが悪そうな顔で、ティナ・ファルケリアはユカリ達に頭を下げる。追撃に動いた存在とここに来た事実から、二人に何らかの形で和解が生じたと見るべきだろう。
「そぉい!」
更に言葉を継ごうとしたティナの頭から、間抜けな音が響く。蒼眼に涙を溜めた、ルーゲルダの拳だ。
「どれだけ心配したと思ってるんですか!? 私を捨ててくのは構いません。でも、こんな危険な真似をして一人で死んだら、ハルクさんやアイネさんがどれだけ悲しむか……」
嗚咽で乱れ放題の言葉を吐きながら、胸や肩を叩くルーゲルダにティナはされるがままとなる。
「私は――」
目まぐるしく色を変えながらも、やがて意を決したようにティナが口を開く。そして一行の頭上も開かれ、ユカリの頭部に鈍い衝撃が走り、眼前に星が飛ぶ。
「いっ――」
地面に向きかけた所を強引に戻された明滅する視界に、彼女と同様に頭を押さえる乱入者が立つ。声から見当はついていたが、姿を見て確かめられるのは、心に齎す物が圧倒的に違う。
「ヒビキ君!」
「悪い、遅れた。……それと、説明は後だ!」
掲げたスピカが『
「まだやれるよな?」
「目の前に求めた物があるのに、寝てられるタマじゃないよ俺は」
軽く応じた蓮華の身体は一応五体満足と言えるまで回復し、顔や首筋に火傷が残るも、身体同様再生した装甲に隠され、一見すれば負傷の事実すら消えたように映り、本人は闘争心で満ちている。
問題は、彼ほどの実力者を無惨に叩き潰す、謎の魔術とそれを放つラフェイアを特等席で見た彼以外の団員だ。
「フリーダ、なんか煽ってくれ。俺が乗るから」
「ラフェイアがいる状態で、即興の文句は無理だよ」
「二人に煽って貰う必要は無いさ。……そら、来るぞ!」
「辞世の句はもう詠めた? 優しいアタシも待ちくたびれちまったぜェ!」
嘲りよりも、殺意と魔力の膨張よりも速く、本能が全員の身体を蹴り飛ばした。
植物を強引に引き千切る音と、金属の摩擦を強引に混ぜた、ある意味唯一無二の音を引き連れ、翡翠の車輪が地面の緑を掘削して迫る。ご丁寧に人数分の数が来ているのは、ラフェイアの平等主義の体現か。
非常識が過ぎる光景を前に、下らない思考が掠めたユカリもまた、車輪との対峙を強いられる。
――確証は無いけど……やるしかない!
ワードナを押し当て、引き金を引く。ユカリの太腿や脹脛を飛び出した光の束が蜘蛛の脚と化して地面に食い込み、左手の先に生まれた紅光が亀甲模様の光球を展開し彼女を包む。
汎用的な魔術では最上位と称される『
衝撃で盾はすぐさま亀裂に塗れ、八足は半数があらぬ方向に曲がって体勢が崩れていく。ユカリの全身から汗がどっと噴き出し、左手が炙られたような熱と痛みを感知し顔が歪む。
突破を許せば即死。だが、狙った魔術を発動する銃弾は有限で、今はまだ戦いの幕は開いてすらいない。
手札が乏しいユカリが選んだのは、ネックレスの投擲という物だった。
転瞬、敵の光輪が彼女の視界から消えた。
「……え?」
「はぁッ!?」
遠方から、怪物の叫びと激しい金属音。喧しく瞬いていた翡翠の光が一斉に消失。翡翠色の粒子が煌く視界で、賭けには勝てたと認識するなりユカリの膝が折れ、草花との距離が急速に縮まる。
汗塗れの手が引かれ、顔面からの着地を免れたユカリの耳にヒビキの声。
「理屈は分からないけど、一応ラフェイアは……」
「いやいやいや、止まると思ったか? そこの淫売もぶっ殺す相手には加わったけどさぁ」
「この場のノリと空気なら、死ぬのはお前だろ?」
「さぁどうだろうなぁ」
立ち昇る粉塵が、主役を迎える舞台装置のように割れ、特異な姿勢で二つの剣を構えたラフェイアが出現。刃の仄かな輝きは、弾き返した光輪を切って捨てた証か。
過剰に多かった露出部に緑を這わせ、異形の翼を広げた敵に傷一つ無く戦意も十分。書き換えられた空間に退路は失せている。
遊ばれていると分かっていても、セマルヴェルグ戦では意識が飛びそうな恐怖に苛まれ続けた。あの時と違い、眼前の相手は殺意が満ち足りている。
今すぐ逃げろと身体は訴えているだが、それを殺してユカリは構える。
「良いのか? ……ラフェイアが相手だと、俺はお前を守り切る事は出来ない。下手をしなくても死ぬぞ」
「ヒビキ、それは野暮だよ。ユカリちゃんはもう腹を括っている、だよね?」
彼女同様に構えた少年二人の反応は対称的な物で、ユカリは後者を肯定する。
「舞台に上がり続ける事が資格なら、私も戦う。……たとえ、この行動に意味なんて何もないとしても!」
第三者的な立ち位置から判断すれば、単なる自殺志願者の叫びは、同様の形で血路を開いてきたヒビキの鼓膜を、そして心胆を震わせる。
握ったスピカと、肩で息をするユカリを何度か見た後、人形の少年は瞳に決意を宿して前方に向き直る。
「なら、もう御託はナシだ。……勝とうぜ」
「うん!」
「そんじゃ俺達もやるぞ。謎救世主もノッてくれるか?」
「ここまで来て降りるでは、両親にもユカリさん達にも申し開きが立ちません。水無月さん、行きましょう」
「その呼ばれ方は痒いなぁ、っと」
乾いた銃声が。開戦の合図となる。
横一列で疾走を開始したヒビキ達を真っ向から迎え撃つ形で、『
「常識と道徳と圧倒的正義ってヤツにしょーじきに従って、お前ら全員餌にしてやるよッ!」
悪辣極まる叫びを、台風の如く吹き荒れる魔力が掻き消した。
◆
頂上で激突した面々よりも多くの不運に見舞われ、遅れを取っているクレイにも、開戦の合図は届いていた。
魔力流の激変と爆轟に怯んだ、眼前の竜とヒトと深海魚を混ぜ合わせた生物を壁に投げ飛ばし『
「……間に合わなかったか」
「追いついて目的達成出来りゃ帳消しだ。ってか、おめー本当にアレを言うのか?」
妖刀の疑問を受け、動きかけていた足が止まる。
『船頭』から聞いた「事実」は、頂上で戦いに臨む少年にとって最低極まる物であり、聞いて希望が生まれましたとなる可能性は皆無に等しい。
「絶望の最果ては希望の底に繋がってる。まぁつまり、奴は詰んでるってこった」
軽い口調で放たれる事実に、クレイは唇を噛む。他人の未来を変える、しかもそれがヒトを超越した存在が見通した物なら、ヒトの括りに入る自分が出来る事はなく、伝えるのは一人で抱え込み続ける痛みから逃げたいだけ、の誹りも免れない。
妖刀の指摘も、現実も分かっている。分かった上で振り切るだけの力量が無いのもまた然り。
「……けど、一本道の途中に自由が見つかる事もある。伏せていても何も変わらないなら、現実を受け止めた後に再起する可能性に俺は賭けたい」
「希望論が過ぎるな」
「分かってるよ。でも、只のゴミ漁りが四天王になった例もあるんだ」
「あーなるほど。おめーならそういう発想もあんのな」
得心が言ったような声を発する『ムラマサ』を軽く撫で、炭化した死体を蹴ってクレイは走り出す。
――救いの有無は世界が決めるんじゃない、自分で決める物だ。……生き延びてくれよ、皆。
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