14:打ち上げ燃え逝くは

 スズハ・カザギリを含む人々の救出と、ブレア・アスタウト拘束は二人の四天王の機転によって完遂された。前者はそれの成功による名誉と対価を。そして後者は査問会への招待状を手に入れた。

 あくまで「誤射」と抗弁したが、多数の証言から指揮官を攻撃した行動は故意と判定され、そこから先は税金泥棒と日頃国民から非難を浴びる連中の行動とは思えぬ迅速な物だった。

 除隊と四天王の資格剥奪。そして、ハレイドからの追放。

 軍部とサイモン・アークスが議論の末に導き出し、クレイトン・ヒンチクリフに告げられた結論はこのような物だった。


「君を手放す事は惜しい。しかし、甘い処罰は揺らぎを齎す。……残念だ」


 サイモン・アークスの言葉は、相も変わらず真偽が読めなかったが、ともかくクレイはそれを受け入れ、粛々と去る準備に移行した。

「と、まぁこんな感じですね。ご迷惑をお掛けしました」

 追放の当日。スズハ・カザギリの病室でクレイは頭を下げていた。

 寝台に横たわり、上半身だけを起こしている彼女に目立つ外傷こそないが、全身から放たれていた物が失われていると気付く。

 嫌な推測が露骨に出ていたのか、スズハは力のない微笑を浮かべながら古傷の残る右腕を震えながら掲げる。

「外傷は無かったけれど、救出時に魔力を使い過ぎた上、煙を大量に吸引してしまって神経が壊れた。私はもう魔術は使えない。……刀も、振るえない」

「……それ、他の奴には言ったのか」

「ルチアには伝えた。治療記録は陛下も目を通される、何れは皆に露見することだ」

 カタナが振るえなくなる。

 即ち、スズハ・カザギリは四天王たる理由を喪失したに等しい。戦傷である以上、面子が保たれる地位は用意されるだろうが、それを当人が望むかはまた別の話。

 長いのか短いのか、個々人で捉え方の異なる十三年の四天王生活で、彼女がどのような道を選ぶのか、既に元・四天王となった男は理解に至っていた。

「そんな寂しい顔をするな。良い顔が台無しだ」

「……笑っていられるアンタの方がおかしい」

「そうかな? 誰かを救う事が最後の仕事。結果論だけど最高の終わり方じゃないか。それより、君はこれからどうする?」


 何も決めていない故、一番痛い点を問われて口ごもる。


 暴力で糊口を凌ぐ仕事は数多にあれど、大半は駒として扱われる事が基本となる。四天王まで登り詰めた存在を飼い慣らそうと試みる者は少数であり、クレイ自身スズハ以外の下に今更就くつもりは毛頭ない。

 金次第で宿主を変えて行く根無し草となるほどに、闘争を愛してもいないが、それ以外に秀でた能力は無い。

 場を気まずい沈黙が支配しかけた時、それを打ち破ったのはスズハの傍らに立て掛けられていた妖刀だった。

「決まってねぇなら丁度良い。俺がスズの希望を言ってやる。クレイトン、おめーヒルベリアに身を隠せ」

「……は?」

 ゴミの最終処分場の町は、長々語る必要などない最底辺。身を隠すには最適だろうが、長くいればいるだけ心身が錆びつくだけの場所だ。スズハが態々指定する意味は解せない。

 誰もが抱く疑問を正確に読み取ったのか、暴かれた以上隠す必要もないと判じたのか。寝台に横たわる上司は薄く笑う。

「カルス・セラリフとコンタクトが取れた。オズの残した資料を、偶然マウンテンで拾ったそうだ」

「……!」

「オズの遺志を結実させる欠片を、彼は得ている。完成するまで、それを見守って欲しいと」

「気が長い話だな。俺やアンタが戦う方が……」

「確かに安定しているだろうね。けれど私に戦う力はなく、気付いた時にはオズも君も失っていた。……もう、遅すぎたんだ」


 四人揃って、辛うじて挑むことが出来る。


 オズワルドが踏み込んだ領域は、スズハにそう言わしめる底知れぬ物。

 尻尾の端すら想像が困難な領域を視た同僚への敬意と、彼の挑戦に気付けなかった自分への嫌悪。二つが内側で混ざり合い、言語化し難い感情が形成されていく。

 完成しても不可視の事態に挑む事が叶うのか。ヒルベリアという最悪の場所で完成に漕ぎ着けられるのか。そもそも、欠片とやらがオズワルドやスズハが望んだ道を歩んでくれるのか。

 疑問や不安が胸中で無数に浮かんでは消える。不確定が過ぎる頼みなど受けられないと蹴る道も、一応選べる。

 けれども、すぐ先の未来で終わりを迎える師と、そして先に逝った友人が向かおうとしていた道を進む。自分に可能な、最後の共同作業だと理解したクレイは、躊躇しながらも頷いた。

「……アンタからの最後の指令、確かに受け取った」

「辛くなったら逃げても構わない。今まで尽くしてくれたんだ、自由な道を行っても咎めるつもりはない」

「最後の最後に背いちゃ台無しだ。どんな物が待っていたとしても、終わりまで見届けるさ」

「ありがとう。……クレイ、これを」

 微笑んだスズハの手から、クレイの手へ。

 淡い赤の紙で整えられた、小さな紙細工が手渡される。極東ではツルを模した細工だと以前耳にした事があり、恐らくスズハが折ったのであろうそれは見事な出来だ。

「時が来たと君が判断したら解体してくれ。眠った欠片は、そうする事で再び目覚める」


 何故こんなものを。


 問いに先んじて放たれた言葉はやはり抽象的だが、問いを重ねるつもりはクレイに無かった。既に動き出している今、必要なのは理解ではなく研鑽だ。

 来たるべき時に向け、全てを研がねばならない。

 決意を刻んだ時、面会終了を告げる声が届く。

 四天王と追放者なる身分差が齎す断絶以前に、スズハが選んだ道によって、この瞬間が最後になると、クレイはよく分かっていた。

 拾われた頃も含めると、二十年以上に及ぶ時間を共にした存在との別離が、一方的な形で

 あって良い筈がない。けれども、世界と彼女は選んでしまった。ならば、せめて笑顔で別れを告げるべきだ。

「……アンタと共に過ごせて、戦う事が出来て幸せだった。ありがとうな」

「私もそうだ。……君達全員を、私はずっと愛している。クレイ、良き旅を」

 最後のやり取りを終え、病室を辞する。

 クレイの気配が完全に失せるまで、スズハはいつまでも手を振り続けていた。


                  ◆


 迷いと名残を振り切るように、態と大股で歩を進め、クレイは荷物置き場へ向かう。

 スズハの強い要望で時間が確保されたが、追放される身分の彼は、彼女が作ってくれた時間が終わればハレイドに留まる正当性は失われる。

 先日の阿呆同様、路地裏上がりを理由に絡んでくる輩を黙らせていたのは、実力や実績以上に肩書の効力が大きい。長々留まって揉め事が起これば、それこそスズハに申し開きが立たない。

 幸い、荷は旅行鞄三つ分。オー・ルージュが場所を取るが十分担いで行ける量だ。ヒルベリアまでの発動車の旅を楽しむのに、邪魔にはならないだろう。

 ――まっ、ハイウェイを走るから景色の変化とか全然無いだろうけどな。

「待って!」

 一人笑ったクレイに、呼びかける声。振り返ると、たった一人現状維持を勝ち取った同僚、ルチア・クルーバーが肩を激しく上下させながら立っていた。

「近々結婚する奴が、敗北者の見送りになんか来んな。ダンナが泣くぞ」

「あなただけが処分されるなんておかしいでしょう!? 私も提案に乗った、だから……」

「実行したのは俺だ。お前が責を問われる方が余程不自然な話だ。お上の判断は何らおかしかねぇだろ」

「そんな正論で、納得できると思っているの?」

「するしかない。オズもスズさんも居なくなって、解体される場所に留まる理由は無い。元々、国に対する忠誠でここにいた訳じゃないからな」

 時折口に出していた理屈を受けても尚、紫髪の元同僚は「納得できない」と無言で訴える。

 その様に、自分の抱いた懸念は外れていたと安堵しながらクレイは左手を振る。

「……これは?」

「ホーネットの鍵。まだまだ元気だけど、ヒルベリアじゃ使えないからな。売るなり乗り回すなり、好きにしてくれや」

 家は迷いなく売り飛ばせたが、数少ない休暇時、同僚を乗せてロクでもない事をしでかした思い出が残る発動車は、易々と決断が出来なかった。

 丸投げに等しい行為に、しかしルチアは黙したまま掌中の鍵を見つめる。

 仲間が二人居なくなっても、彼女が残っている以上ハレイドを捨てて行くのは、信義に悖る振る舞いと分かっている。悲痛な表情を見ているだけで、固まった筈の決意が揺らぐ。

 追放されても尚這い上がり、再び道を重ねる。ルチアが自分に求めているのはこのような未来図であり、それが全て丸く収まる理想的な図だ。

 理想図に自分を重ね合わせる事が出来ない以上、彼女の望みを蹴るしかない。そのような虚しい現実に行き当たり、甘美な道は吹き払われるのだが。

 寂寥感を振り払い、踵を返して再び歩き出す。

「生きてりゃ必ず会える。次はきっと、お互い胸を張ってツラ突き合わせられるさ」

 ルチアが伸ばした手は、クレイに届くことなく空を切る。

 後ろで何が起こっているのか。正解に等しい予想を抱きながらもクレイは足を止めずに去っていく。


 この瞬間、当代四天王は完全に崩壊した。

 

 力なく床に崩れ落ちたルチアが職員に担がれながら施設を辞し、そこから更に数時間が経過した夜。

 既にクレイトン・ヒンチクリフはハレイドを去り、ルチア・クルーバーも傷を抱えたまま日常への回帰に動いていた頃。


 星や月を飲み込む光海を窓越しに眺めながら、風切鈴葉は寝台の上に座していた。


 戦闘服を纏った彼女の瞳に宿るは、確かな決意と微量の恐怖。

「四つの刀は、全て帰るべき場所に辿り着いたようだな」

「後は俺だけだ。仕事を果たしたら、すぐにご指定の場所に向かうさ。つーか良かったのか、教えんのがアイツだけで。昔触らせたけど、俺どころか刀自体の適性ゼロだったぞ」

「再び盤面に登る時の相棒は、彼ではない。新たな主の覚醒まで、暫く待っていろ」

「そうかい。じゃ、準備は良いな?」

 短い首肯と同時、灯りの落ちた病室に白銀が奔った。

 室内を煌々と照らす、緩やかに湾曲した七百八十ミリメクトルの刀身を持つ業物、呪われし刀工『村正』が鍛え上げた最強にして最悪の一振り『神堕』の切っ先は、鈴葉の胸部に向けられていた。

 無機物たる刀が自律的に動いている事への驚愕は無く、鈴葉は切っ先を茫と見つめて動かない。


 力を失い、敵の傀儡になる危機が迫った時は自分を殺害しろ。


 手にした時に交わした契約の、最終地点を目前にした女傑は一瞬だけ右手を繰り、そして膝の上に落とした。

「一つだけ、教えてくれないか?」

「ん?」

「お前と共に、私は理想の体現を目指して戦い続けた。そして、得られた全てを例外なく失った。私は、間違っていたのだろうか?」

「別に間違っちゃいねぇよ。俺は楽しかったし、お前も理想までもう少しの所まで行った。

 クソみたいな理屈捏ね回して、自分をぶっ殺す事を成長っつー言葉で飾るボンクラが我が物顔してる世界で、お前は量産品にならず歩いた。お前の言うまだ見ぬ光達とやらへは、良い指針になったんじゃねぇか」

「……ありがとう。そして、頼む」


 血飛沫が、病室に散った。


 滞空していた『神堕』は狙いを一切過たず鈴葉の胸部を貫通。

 心臓を完膚無きまでに破壊し、赤が病室を盛大に彩る。口元に赤の筋を描いた鈴葉は、根幹の破壊に伴って苦痛すら感じる暇もなく生を喪失し、己の血に身を投げ出した。

 途切れ途切れの濁った呼吸も急速に弱まり、体の上下動も失せる。

「……これが、正解なんだ。けれども、何も果たせずに逝くのは」

 その言葉を最後に、鈴葉の全身から二十一グラムが脱落。

 生きる事を止めた持ち主の姿を暫し見届け、妖刀もその姿を消した。

「さよなら、アイラヴユーってか。もう少し、共に在れても良かったんだけどな」

 そんな言葉を残して。


                    ◆


 長い長い息を吐き、元四天王二人は『回喪乃銀幕ワンマンシアター』の展開を終えた。幻想的な光が失せ、薄暗い空間に回帰した小さな家で、クレイは腰元に括り付けていたカタナに白い眼を向ける。

「……お前がやった事を、俺は許さないからな」

「お好きにどうぞ、だ。俺は一応持ち主に従ったまで、おめーに何言われようが痛くもねぇさ」

 反駁を試みたクレイだったが、今論争をしている暇は無いと冷静さを取り戻し、眠るヒビキに目を遣った。

 自身とオズワルド、そしてムラマサの一部を借りて過去を見せた。それを受けて何を選ぶのかはヒビキ次第だ。

 ともあれ、後は彼が目覚めてからの話。覚醒後の為に準備を整え、そして待ったクレイだったが、魔術の展開が終了して十数分が経過してもヒビキが覚醒しない現実に、表情を引き攣らせた。

 振り返ると、オズワルドも似たような状態で両手に魔術展開の準備を行っている。つまり、これはイレギュラーな事態だという事だ。

「どういう事だ?」

「目覚めるか否か、それは当人次第だ。……この場合、ヒビキ・セラリフが過去を見て立ち向かうか否かの決断で決まる。つまり……」

「決断は否、それか決断の放棄か! チクショウ、今ここで死なせるか!」

 最低の死を回避すべく、元四天王二人はありとあらゆる手段で覚醒を試みる。


 彼等の試みが全て無駄に終わる中で、実際の所ヒビキの意識は覚醒していた。

 肉体がそこに至らない理由は、彼が踏み切れずにいる一点にあった。


 何も見えない暗所で立ち尽くすヒビキは、ここまで流し込まれた記録で、先代四天王や世界に何が起こっているのか。対峙する為に何が必要なのか。そして自分に何が求められているのか、全て理解に至っていた。

 ――無茶を言わないでくれ、俺なんか遥かに及ばない化け物達が負けた戦いに、どうやって介入すれば良い。……俺には、出来ない。

 強い否定の意思が、彼を包む黒を一層強める。だが、戦いへの恐怖はあくまで半分。

 

 災厄を撒き散らした末に、惨めに死ぬだけの除外された存在。


 エトランゼが断じた存在の意味と、免れる事が叶わない定め。

 記録を追体験するだけでは到底拭えない。それどころか、自身以上に価値を持った存在が道半ばで死んでいった事実が、彼の足を強く縫い止めていた。

 どれだけ進んでも、押し付けられた烙印は付き纏う。ならば、前に進む必要などない。世界の何処かにいる『選ばれし者』が役割を担って、自分は片隅で只死を待てば良いのではないか。

 何処までも暗い感情が内側を巡り続けるヒビキの体が、不意に差し込んだ蒼光に呑み込まれた。

「なん」

 強い力に引かれ、ヒビキは何処までも落ちて行く。迎えが来たのかと一瞬疑問を抱くが、蒼光の持つ力は負の世界から程遠く、どこか懐かしさを感じさせながら彼を導く。

 何処までも続く落下の終わりを本能で察する中、ヒビキの目は不意に影を捉える。小さかったそれは消え失せることなく、徐々に鮮明さを増していく。ヒトなのだと理解に至った刹那、硬直していた輪郭が回転し、左手と思しき部位が掲げられる。

「おうヒビキ。久しぶりだな」


 懐かしい声が、そこに待っていた。

 

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