8

 命の危機、これで何度目でしょうか?

 そろそろ命の危機、だとか人生初体験、とかの数を数えるのが辛くなってきました。でも、この時はまだ良かったんです。希望が潰えてはいませんでしたから。

 どうしてかって? それは、これから先を見て貰えれば分かると思います。


                 ◆


「ちょっとアンタ何し――」

「道を本来の役目で使うだけだ! 何の後ろ指を指されるこたぁねぇ筈だッ!」

「ボブルスの変異個体が出現するから駄目です! 何処かの誰かが馬鹿みたいな魔力をばら撒いたせいで、ちょっと質の高い魔力が漏れただけで――」

「俺が法律だ!!」

 不遜が服を着た言葉を残して入口の封鎖を強行突破し、二人の乗ったヘルメロイはハイウェイに進入を果たす。

 相手の出方をユカリが伺うと、こちらに追随してハイウェイに突入する流線形の発動車が目に映る。

「四天王って一応税金で生きている人ですよね!?」

「上級国民サマが法律なんざ守る訳ないだろうが! 寝言は寝て――」

「前見て下さい前!」

「前……げぇッ!」

 路面に走る巨大な亀裂を目の当たりにし、イザイアは慌ててステアリングを切る。タイヤに悲鳴を上げさせながらも、発動車は強引に走行軌道を変化させどうにか亀裂を躱す。

 無駄な動作で、また二台の間隔が縮まる。

 周囲を見回すと、ハイウェイの路面には大小問わず、損傷が看過出来ない程に存在している。

 国にとって重要な設備なのだから、整備に力を入れている筈だが、未だにこれだけの損傷が残っている。つまり特異個体のボブルスとやらは、余程強力な存在なのかとユカリが考えていると、視界の隅で追跡者が妙な動きをしている事に気付く。

 慌てて背後を振り返る。すると、ユアンが何やら物騒な物体を取り出す様が目に飛び込んでくる。最早銃より大砲と形容すべき巨大な砲口に、禍々しい光が充填されていく光景を前に、ユカリは反射的に叫ぶ。

「何か来ますよ!」

 反応してミラーで後方を伺い、物体の危険性を感じ取ったイザイアはもう一度ステアリングを切る。

 また距離が縮まるが、一瞬の閃光の後に、先刻までのヘルメロイの進路に出来上がった大穴を見てしまえば、進路変更は正解だったと言えるだろう。

「あの野郎、バルバロンまで使って来やがった!」

「何ですかそれ!?」

「最近アークスが新造した魔導銃だ! 大気中の素粒を変換して弾丸に……ッ!」

 二人の乗る発動車の横を、再び閃光が駆け抜けた。説明が途中で切れたが、大気中の魔力を弾丸に変えて撃ち出せるのならば、相手は弾切れをせず攻撃を仕掛けられる、ということだろうか。

 推測が本当であるなら、二人にとって絶望的に不味い。  

 先ほど抱いた追跡者への疑問を解消するには、ひとまずこの状況を突破しなければならないが、ユカリには打てる手がない。都合の悪い事に、それは運転席に乗る密輸人も同じのようだ。

「あの銃に何か弱点とかないんですか!?」

「こんなバカスカ撃ってると、間違いなくどっかがオーバーヒートする筈だ! すぐに収まるが、その隙を衝いて仕掛けりゃどうにかなる!」

「隙を衝くってどうやって……」

「そりゃ飛び移って……無理か」

 結局、二人だけでは手詰まりの悲しい結論が出てしまう。

 髭面の男と華奢な少女。誘拐の単語が目撃者の頭に踊る絵面だが、両者の暗澹とした表情を見れば、寄り合い自殺と形容した方が良いのかもしれない。

 恐怖と焦りと苛立ちが許容範囲を超え、ユカリは思わず叫んでしまう。

「四天王に追われるって、本当になんなんですかっ!?」

「俺のファンは世界中にいる! 一人だけなら少ない方だ!」

 この絶体絶命の状況でスター気取りとはどう言うつもりだ。

 酷過ぎるジョークを受けて、目の端に涙が滲んだユカリだったが、眼前に蒼の光点の存在を目撃。

「前に誰かいますよ」

「何だってんだこんな時に。……あ?」

 近付いて行くにつれて光点が人であり、且つユカリの見知った人物であると認識させられる。

 黒衣に身を包み、左眼の光と同色の異形の剣を構え、肩で息をしながら実にタイミング良く現われる少年など一人しかいない。

 修羅と化した少年は腰を落とし、抜刀姿勢に移行。眼が輝いているという事は、有識者曰く四天王に匹敵する力が発揮されるという事。危険な物を感じたユカリは、反射的に制止を叫ぶ。

「落ち着いてヒビキ君!」

「死にたく無けりゃどいてろクソガキ!」

 同時に放たれた二者の声の内、後者が不味かったか。少年、いやヒビキの動きは止まらない。腰を落として抜刀姿勢に移行し、ヒビキは咆哮と共に動いた。

「『鮫牙断海斬カルスデン・スクァルクート』ッ!」

 金属が激しく擦れる音が、一瞬耳に届いたと二人が認識した時。刀身から烈風と水の大瀑布が発生して飢えた鮫を形成し、無機物であるにも拘わらず、殺意を爛々と輝かせてこちらに襲い掛かる。

 二週間前、カラムロックスの影に対して放った抜刀斬撃と同質の物だったが、クレイの手解きを受けて完成した今回の一撃は、以前の物とは比較にならぬ完成度を誇っていた。

 金属、いやエトランゼの肉体をも容易に切断してみせた水の奔流によって、着弾した箇所は捕食されたかのように消失し、一本の直線を描き出していく。

 無名の存在が叩き付けた出鱈目な威力の斬撃を免れるべく、逃走者と追跡者の双方が減速・回避を強いられる。


 ハイウェイに消えない傷を刻んで、ヒビキは勢いを緩めず跳躍。


 落下速度や、発動車の速度全てを計算した上での行動は、狙い通りの場所、つまりイザイアの眼前への着地を実現した。

「大人しく死ねこの×××××野郎ッ!」

「うぉわッ!?」

 怒りのせいで一切の躊躇や逡巡、力加減の無い斬撃は狙い通りイザイアの頭部へスピカの刀身を導く。

 すぐ横で起きる惨劇から、反射で目を逸らしたユカリだが、不思議な事に思い浮かべた血霧は飛んでこない。

 混乱しながら視線を戻すと、非現実的な光景が目に飛び込んできた。

「うごごごご……」

 こちらの世界に来て何度目かも分からない、空想世界の事象が起きていた。頭頂部へと振り下ろされたスピカを、イザイアは両の手で挟んで受けている。

 元の世界で言う、白刃取りの状態だ。

 腕力そのものは、体格から考えればイザイアの方が上回るだろうが、座っている状態で『魔血人形』の力を解放しているヒビキの斬撃を受ける事は、腕力だけでは説明出来ない。

 驚嘆すると共にまた一つ疑問が、そして、ヒビキの登場によってある策が浮かび上がり、ユカリは思わず叫んでいた。

「ヒビキ君、あの――」

「コイツを斬ってから話を……」

 ユカリの目に籠められた強い意思を感じ取り、狂ったようにヒートアップしていたヒビキが黙り込む。

 一応話が出来る状況になった事を確認してから、ゆっくりと言葉を紡ぎ始める。

「話はあの追手をどうにかしてからにしよう。方法は一つだけあるから」

「分かった、それを教えてくれ」

 ユカリから耳打ちを受けたヒビキは、明らかに腹の底に何か抱えた笑みを浮かべ、再び跳躍して荷台に回る。スピカを構え直したところで、追跡者に向かって叫ぶ。


「幾らでも撃って来やがれ、×××××野郎!」


 腐りかけの野菜並みに安い挑発。しかし、既に何度も辛酸を舐めさせられている追跡者に対しては、これだけで十分に効いた。

「リクエスト通り、消し炭にしてやるよクソガキ!」

 自ら死刑台に登壇した愚者を嗤い、ユアンは引き金を引いて、ヒビキが目を見開く。極彩色の弾丸が、少年を飲み込まんと風を裂いて直進する。

 炸裂音とは別種の硬質の音が空に轟き、ユアンは、そしてイザイアも驚愕する。

「……この至近距離で魔術を使わずに弾丸を斬るって一体どういう事なんだ。そこまで高性能な作りなのか?」

「ヒビキ君ですから、このくらいは出来ますよ!」

「あんまりハードルを上げないでくれ。……さてと」


 過剰に上げられそうになったハードルを修正してから向き直り、スピカを道化のバトンのように一度回してから、ヒビキは再びユアンを煽る。

「さっさと次を撃って来い! ……一度コケただけでビビったか腰抜け!」

 失敗した現実に直面したからこそ、焦りは生まれる。

 焦るからこそ、思考が感情に支配される。この場合だと、ただひたすらにヒビキを狙い撃つ事に、相手は囚われてしまった。

 撃ち出された魔力の弾丸を、ヒビキがスピカで両断して消滅させる。

 この流れが延々と続いたまま、二台の発動車はハイウェイを征く。このままの膠着状態を続けたまま、ハレイドに入るのは不味いと理解はしているイザイアが、問い掛けの視線を向けて来た為、ユカリはヒビキの方へと指示を飛ばす。

「ヒビキ君、そこから飛んで相手のボンネットに!」

「移った先はどうすんだ!?」

「倒さなくて良い! 視界を塞いでくれたら!」

 首肯を返したヒビキはすぐさま飛び移るべく跳躍を開始。自分に向かって撃ち出される弾丸を踏み台として利用して接近。

 ガノガノムからけたたましい警告音が発せられ、弾丸の射出が止まる。イザイアが言っていた隙がやってきたのだろう。

「しまッ――!」

 別の手段を採ろうとしたユアンだったが、焦りからか動きが乱れた。隙を見せていた間に、跳躍していたヒビキは仕掛ける体勢に移っていた。

 血晶石と数十の金属で構成された、ヒトから何十歩も離れた所に存在する右腕を振りかぶり、フロントガラスへと撃発させる。

「ハァッ!?」

 驚愕の叫びを発しながらも、こちらも図抜けた反応で交差状態にした右腕で、荒れ狂う右腕を受けとめる。

 両手が塞がった瞬間に襲来したスピカも首を傾けてどうにか躱す。

 蒼の刀身は運転席に深々と突き刺さり、追跡者に汗を噴き出させる。

 微塵に砕けたフロントガラスと眼前の少年を交互に見比べ、呆れと驚愕の混ざった声が、無意識の内にユアンの口から漏れる。

「お前一体何モンだ!?」

「出来損ないのお人形だよッ!」

 ヒビキとしては嘘偽りの無い言葉を吐いたつもりだったが、ユアンには別の解釈を為されたようで、右腕を押し返そうとする力が強くなる。

「人形なら人形らしく、大人しく固まってろ!」

「固まってて欲しけりゃ家の修理代を持ってこい。そんで死ね!」

「テメェのリフォーム事情なんざ知るかぁッ!」

 音声を消して映像だけを切り取れば、どこぞの青春映画ばりに己の信ずる何かをぶつけ合う熱い光景に見えないこともない。

 最も、しょうも無さ過ぎる声で全部台無しなのだが。

 絵面からは想像出来ない罵倒合戦を繰り広げる二人は、どちらも相手の隙を見つけて殺害してやろうと、力による押し合いをしながらも互いを必死で観察する。

 僅かな時間の内に、両者共に仕掛けられる相手の隙を見つけ出す事が出来た。


 だが、お互いに決定打は放てない。


 これだけ至近距離でどちらかが相手を殺害可能な攻撃を放てば、放った方も巻き添えになるのは自明。

 結果として、二人は互いに無為な腕力比べを継続する他なかった。

「いい加減さっさと離れろ×××××!」

「テメェが手を放してナイフで首切りゃ良いだろ×××××!」

「俺に死ねってのかこの×××××!」

「ああそうだよこのドブネズミ!」

「誰がドブネズミだこの塵喰い!」

「職業に貴賤無しって言うだろボケ!」

「顔が下賤だ!」

「はあああああああああッ!?」

 真っ当な人間ならば間違いなく耳を塞ぐ、薄汚い罵倒合戦を聞きながら、ユカリは眼前を睨む。

 ハレイドは目前と示す立派な物と、彼女が出現を望む化け物への注意を喚起する急造の物、二種の看板が出現する。

 後は、既に待機姿勢になっているイザイアとヒビキに指示を出すだけ、なのだが。

「おいどうした? もうやれるぞ」

 単純な指示を出すだけで、全てが終わる。推測が噛み合っていれば、自分達は生きていられる。だが、その指示を簡単には出せなかった。

 ――これから私がやる事は、他人の命を踏み躙る事だ。

 頭の中から、自らの行動を端的に表現した言葉がこびり付いて離れない。

 事が済めば、皆は取り繕う言葉をかけてくれるだろう。更に言えば、自分が元いた世界に比べて、一人一人の命の値段が絶望的に安い世界であると思い知らされてもいる。だが、それが何だと言うのだ。

 自分という人間は、善悪の判断を下せる程に上等な人間では無い。強引に判断をごり押しして白を黒に変える力の有無についても同じである。

 理解すればするほど、躊躇いが膨れ上がり、喉元で言葉を止めさせる。


 日和った、自己正当化をしたいが為の見苦しい言い訳、甘ったれ。


 リアリストからは多種多様な誹りを受けるだろうが、ごくごく平凡に、かつ真っ当に生きてきた人間として、彼女のそれは当然の反応でもあった。

 時間が無為に過ぎ、隣席から発せられている筈の怒鳴り声さえも耳が捉えられなくなった頃。逃げ場を探して視線を上に向けたユカリの目に、ハレイドまでの距離を示す看板が飛び込み、止まりかけていた彼女の思考を再加速させる。

 このままハレイドに辿り着けば、ハッピーエンドが待っているのか? 否、四天王に楯突く行動を執った三人が仲良く首を飛ばされて終わりだ。

 ユカリ自身が練り上げた推測を主張した所で、人間の判断基準の大半を占める容貌によって、気狂いの妄想として切り捨てられる。

 斬首を望んでいるのかと問われれば、ユカリは否と声高に叫ぶだろう。

 ならば、何が最善であるのか? その答えは出ている筈だ。

 逃避や妥協の先に未来などない。自ら選択し、得られる美しい結果も、美しい物の影に張り付く痛みや危険、全てを自らの血肉に変えて前に進め。

 二週間前、自らを人形と称する少年がそうしてみせたように、だ。

 生きる為の選択として、ユカリは静かに口を開く。

「イザイアさん、魔術を使ってください。種類は問いません」

「俺は模範的ロザリス人だぞ。魔術は使えない」

「貴方が貴方であるならば、使えないなんて事はない筈です」

 沈黙を保ったまま、イザイアは髭面を歪めて笑い、左腕を空高く掲げる。

 淡い緑色に発光した左腕に、同色の小さな炎が発生し、瞬く間に発動車のトレッドを超える大きさに膨れ上がる。

 炎の肥大化と同時に大地が少しずつ揺れ始め、自らの博打染みた思考の補強をしてくれる。

「地獄の置き土産、とでもしとくか!」

 軽い調子で、しかし圧倒的な身体能力を以て、イザイアは炎を遥か前方へと放り、一気にブレーキを踏み込んでツインボウを減速へと転じさせる。

 着弾した炎はハイウェイを完全に塞ぐ形で炎上し、陽炎を生じさせながら視界を浸食する。

 減速Gで身体をシートに叩き付けられる痛みを感じながら、ユカリはヒビキに向けて叫ぶ。

「ヒビキ君、飛んで逃げてッ!」

 突如展開された炎を目にし、面食らった様子を見せていたヒビキは、ユカリの言葉と眼前に広がる光景、炎の先に見えた影を擦り合わせて『器ノ再転化マキーナ・リボルネイション』を行う。

 一瞬の瞬きの後、スピカは巨大な砲台へと転じさせ、一撃をぶっ放す体勢を整える。自分に向けて撃って来ると想定して身構えてユアンを無視し、ユカリとイザイアが乗ったツインボウが四輪をロックさせながら後方に流れて行く様を視認。

「あぁっ?」

 眼前の少年との力比べを継続しながらユアンは眉を顰める。炎程度、強行突破を試みる事は両者共に可能だ。

 熱や空気の揺らぎを考えると無傷では済まないだろうが、不可能ではない。では何故減速しているのだ? そして、何故目の前の少年は撃って来ない?

 溶岩の蠢きに近しい耳障りな音が轟く。

 ここは通行止めのハイウェイだ。整備の人間や役人を除いては絶対に立ち入る事は出来ない。時たま訪れる命知らず共も、今は絶対に侵入しない。

 故に、逃走者、追跡者双方がステージとして選択したのだ。

 そして、この道はハレイドに繋がる道であり、時間経過と共に天秤は一方に傾く。


 即ち、追跡者からすれば絶好の処刑場であった。


 場の選択自体に過ちなどない。強いて挙げるとするならば、追い込まれた人間が極限の他力本願の博打を張るのを想定出来なかった事、そして目の前の人形に対して固執した事だろうか。

 一撃を放つには過剰な程に、スピカに魔力が充填される。炎との距離、そして蠢く化け物との距離は加速度的に縮まる中、ヒビキは砲台を後ろに向けた。

「じゃあな、××××××野郎!」

 捨て台詞と共に、引き金を引く。発動車の進行方向へと魔力の塊は飛翔し、反動でヒビキの身体は後方に吹っ飛ぶ。

 ユアンは混乱しつつ、視線を一度後方に向けた後、前方へと戻す。

 執行の剣が首に届いた状況であるからこそ、追走者の思考はクリアになる。

 もう少し早く気付けていれば。せめて逃走者達と同じタイミングで減速を図っていれば、結末は変わっていただろう。しかし、もう何もかもが遅すぎた。

 大口を開きながら巨大な腕を形作って、通常の個体を遥かに凌駕する二十メクトル近いボブルスが、ユアンを待ち受けていた。

「畜生がぁぁ―――」

 断末魔の叫びも途中で打ち切られ、粘性の生物の無慈悲な一撃が炸裂。

 上流の人間だけが持てる高価な発動車が、ヒルベリアの人間が地べたを這いずり回って掻き集める鉄屑に転生を遂げていく。

 この世から去った追跡者の撒き散らした魔力が、エンジンから吐き出される火炎の勢力を煽ってボブルスの絶好の餌となり、残る三名から注意を逸らす。 

「やったなぁ、オイ!」

 叫びつつ、イザイアは無茶な操作が祟って自壊寸前のヘルメロイをスピンターン。乱暴にアクセルを踏み込んで、ボブルスの捕食を免れてこちらに迫る炎から必死で逃げる。

 対するユカリの方は、無言のまま後方を見つめ続ける。


 自らの果たした決断の結果を、全身に刻み込むかのように。 


 捕食行為を終えたボブルスは、一度巨大な鳴き声をあげた後、身体を震わせながら地面の中への潜行を開始する。こちらに対しての興味を失った事を確認してから、イザイアはツインボウを停止させ、同時にヒビキもその隣へ降り立つ。

「ご苦労だったなクソガキ。悪くない働きだったぜ」

「人ん家壊しといて大した言い草だよ」

 言葉を切って、ゆっくりと降車してくるユカリに視線を向け、狂乱の中で彼女が言った、種明かしを求める。

 ヒビキの視線に首肯で応え、黒髪の少女は髭面の男を見据え、ゆっくりと口を開いた。

「貴方は。イザイア・ヴァンスライクではありませんね?」

 ヒビキが首を傾げ、自らの視点では別の存在である男が肩を竦めるのを見て、ユカリは言葉を続ける。

「最初に疑問を抱いたのは、貴方がライラちゃんの家を抜ける時、この車を発進させる時でした。経験豊富と言われ、知名度も高い貴方が、自分の持ち物で発進に手間取るなんてよく考えればおかしいでしょう?」

「覚醒直後の意識高揚で、動作にミスが出た、とも考えられるんじゃないか?」

 予測していた反応に苦笑しながら、ユカリは思考を整える。

 その間にヒビキがスピカを抜き、いつでも男に対して仕掛けられる姿勢を執る。

 敵意を隠さない姿を見ても、肩を竦める以外の反応をとらない男を見ながら、更に続ける。


「他にも色々有りますが、何より不味いのが追跡者です。彼は四天王の一翼、ユアン・シェーファーと名乗りました。彼の肩書き倒れが過ぎるのが問題なんです」

「ほぅ?」

「民間人の家が。貴方がそこから始めた時の表情から、その件について知らないと推測は出来ますが、この点を問題ないとしてみます。ですが、その後、ヒビキ君に対しての反応や、こちらへの攻撃を見れば、ボロだらけです」

 思い当たる節があったのか、ヒビキが首を捻る。

「ヒビキ君が『魔血人形』であると、同じ四天王であるパスカ・バックホルツ氏とデイジー・グレインキ―は目にしていました。仮に貴方が国外にいようと、王国で一つだけの存在について知らない筈がありません。加えて言うなら、力の上昇が有っても、ヒビキ君が互角以上に戦える程に四天王は弱くなかった筈ですよ」


 弱い、と言われた事にヒビキが肩を落とす。そういう意味で言った訳ではない、とフォローを入れるべきだが、今は答え合わせを行う方が先だ。

「四天王が顔を明かして戦う時は、専用の武器を用いる慣習があるにも関わらず、追跡者が使ってきたのは強力ではあるけれど銃だけ。碌な魔術も使って来ませんでした。……自意識過剰ですが最後に一つ、異なる世界からの来訪者である私を見て目立った反応や警戒を行わない人間が、私を知っている国の要人である訳が無いでしょう?」

「お前の主張はよく分かった。で、結局お前は俺を誰だと言いたいんだ?」


 ここまで言えば、こちらの答えは分かっているだろう。にも関わらず問うてくる男の姿勢に白々しさを感じながらも、ユカリは答えを投げた。

「偽物を可能な限り制御下に置きたいなら、自分もその近くにいれば良い話です。そうですよね、ユアン・シェーファーさん?」

 ついさっき死んだばかりの男の名を呼ばれた、髭面の男は一瞬の沈黙の後、背を折り腹を抱え、高らかに笑う。

 彼の顔が歪み、髭や皺と言った物が崩壊して液体となり、地面にぼたぼたと落ちる。身長がほんの僅かに縮み、衣服も光に覆われて視認出来ない。先日のカラムロックスの影の登場の際と同様、光が消滅した頃に、全貌が顕わとなった。


 ヒビキが改めて臨戦態勢に入り、ユカリを庇う形で前に出る。


 それほどまでに眼前の男の変化は分かり易く、かつ二人に危機感を齎した。

 顔そのものは追跡していた者と大差は無い。差異として挙げられるのは右目の周囲に刻まれた刺青が、より精緻な模様である事ぐらいだろうか。

 服装も顔と同様に偽物と変わらず、差異は背部と腰に装備している四天王の象徴たる武器の有無程度。これだけなら、追跡者に模造品を持たせておけば、単純な外観は誤魔化せるだろう。

 しかし、纏っている物が全く違う。

 追跡者には微塵も感じられなかった、自らの力に対する信頼や、それによって立脚された余裕。

 既に対面した二人の四天王も持ち合わせていたこれらの感情を、相手は隠しているつもりなのだろうが、二人には痛いほど伝わって来る。

 偽りの無い、本物のユアン・シェーファーは、笑いながら手を叩く。

「いや参った! お前思ったより優秀だな! まさか遊びが途中で終わるなんて……」

「遊びだって……?」


 不快感を覚えたヒビキがスピカを振り上げる。だが、蒼の刃が降ろされることはなかった。


「止めとけ。力の解放が無い状態で俺に挑んでも、お前に勝ち目は一切ないぞ。お前と違って、俺は天才だからな」


 どれほどの力を放出しているのか、スピカはユアンの右腕一本で完全に抑え込まれている。左腕に既に魔術を発動する構えが出来ている事を認識し、巻き返す手段が無いと悟り、ヒビキはスピカを引いた。

「遊びと言いましたが、それは私かヒビキ君を観察する事ですよね? ……何処までやるつもりだったんですか?」

「ハレイドの直前までが区切りだな。そこまで来て、お前らが何も出来なかったなら、意識を飛ばしてヒルベリアに送り返す。あの犯罪者は仕事をやり遂げたとして、新たな人生をゲットしてたって訳だ」

「犯罪者って、貴方の顔を纏って追いかけてきた人ですか?」

 ユカリは、ユアンの背でのんびりと立ち上る煙を見ながら問うた。

「そいつだ」

 振り向きもせず即答した四天王に、ヒビキは不気味な何かを感じて身を震わせる。

「ボロだらけで大した事ないと思うかもしれないが、結構手間かけてたんだぜ。再現の為に、俺の魔力を分け与えてるし、パスカさんの『万変粧フィクス』で顔も変えた。遊びにしちゃ色々やり過ぎたもするが、終わった事だ。帰るか、ヒルベリアまで送ってくぞ」


 言いたい事をさっさと言い、背を向けて歩き出したユアンに続いたユカリを追って歩き出そうとしたヒビキ。彼の足が、数歩進んだだけで止まった。


「どうしたの?」

「なぁユアン・シェーファーさんよ。ボブルスは確か魔力を食って生き、成長している生物だよな。で、質の良い物を食えば食うほど強くなる、と」

「そうだな」

「パスカさんやアンタの魔力は、アークスの中でも質の良い物なんだよな?」

「……げ」

 ヒビキの問いの意味を理解したユアンが表情を引き攣らせると同時、地面の亀裂から、三人の救世主となったボブルスが飛び出してきた。

 先程までと比べて、何倍も身体を肥大化させて。

「ゴボゴボボッ!」

 聞く者に不快感を呼び起こす、くぐもった咆哮を響かせながら、四天王二名の魔力を食らったボブルスは、こちらに向けて敵意を剥き出しにして、身体を激しく震わせる。


「――ァッ!」


 先手必勝と言わんばかりに跳躍したヒビキが、スピカを振り抜く。

 濡れた音と共に蒼の異刃はボブルスの身体を引き裂きにかかるが、全身を形成している粘液に阻まれ、平常時の斬撃力を発揮出来ずに、自身の身体を粘液で汚しただけに終わる。

「ぐぁぁぁッ!」

 舌打ちをしようとした次の瞬間、粘液を被ったヒビキの左頬の、脇腹の、右の腿の肉が弾け飛び、火達磨と化して地面に叩き付けられる。

「ヒビキ君!」

「何やってるこの馬鹿!」

 顔面を抑えて転がるヒビキに駆け寄るユカリだったが、彼女が何らかのアクションを起こす前にユアンが『癒光ルーティオ』を発動。出血が停止し、吹き飛んだ皮膚と肉が再生。ヒビキの肉体が戦える状態への回復を果たす。

「粘液を纏う相手に剣で挑む奴が何処にいる!? それに、無暗に傷を与えるな! 敵の数が増えるだろ!」

 ユアンの怒鳴り声で視線を動かした二人は、斬撃によって撒き散らされた粘液が独りでに蠢き、小さなボブルスへ転生してこちらへと敵意を向ける様を目撃して凍り付く。

 動けない二人に、一斉に攻撃を仕掛けるボブルスだったが、その生命活動は身体の中心部に突き刺さった一条の矢によって停止させられ、身体は霧散して消える。

「心臓に該当する部位だけを攻めろ。そうしないと一生終わらねぇぞ」

 下手人は、『竜翼孔ドリュース』を発動させて宙に浮いたユアンだった。右手に持つ巨大な弓には、既に次の矢がセットされており、再び左手で弦を引き、矢を放つ。

 十頭以上のボブルスがこの世から退場。だが、これでようやく振り出しといった風情。本体は無傷のままであり、加えてユアンに反応したのか、自発的に小さな個体を産み出しにかかっている。

 舌を打ったユアンが高度を上げ、その姿が加速度的に小さくなっていく。巨大ボブルスを狩る事に集中すべきとの判断だろうが、置いて行かれた方は堪った物ではない。

「ヒビキ君、私達も追いかけよう!」

 返事をしないまま、ヒビキは近寄って来た個体を両断し、『器ノ再転化』を行って大砲と化したスピカを構える。そこでようやく、気まずそうに口を開く。


「……ないんだ」

「……え?」

「俺、『竜翼孔』が使えないんだ。いや、下位互換の『翅孔イントゥス』も使えない。……というか、肉体を変質させる魔術全般が出来なくなってる。カラムロックスと戦う前までは、微妙にだけど使えてたんだけどな」

「……えぇ」

「クレイさんから指導を受けて、さっきの抜刀術技とかそういうのは使えるようになったんだけどさ、『癒光』とかそういう類の物が全く使えないんだ。フリーダとかは使えんのにな……」

 様々な感情が入り交じった結果、引き攣った顔で笑いながらヒビキは変形させたスピカと共にボブルスの群れへ突撃する。


                 ◆


 時間は少し前に戻り、デイジーがフラガ通りで暴虐を繰り広げている頃、同じくハレイドの一角にある雑居ビルの一室で、一人の男が目を覚ます。

 男の視界が、陰惨とした雰囲気を纏う室内を捉えた。

 壁紙や床が元の色を失う程度に赤黒く変色し、狭いスペースを死体が更に圧迫している部屋の中心に設けられた寝台の上で、長身の男は身体を起こす。

「起きたのか。なかなか運が良い」

「アンタが失敗するとは思えないがな」

「七十を越えているからな、何らかの失策の可能性はあるかもしれないだろう?」

 笑いながらこちらに歩いてくる、十代前半にしか見えない女に対して、男、いやクレイトン・ヒンチクリフは苦笑を返す。

 しばしの間、腕や胸の辺りをぺたぺたと触診し、女は深々と頷いた。


「……異常は無し、だな。『蜻雷球リンダール』を撃ってみろ」


 返事よりも速く、クレイは右腕を振り上げて該当する魔術を発動。光球は、減魔力壁を深く抉り取り消滅した。壁に遺された古い痕跡とたった今刻まれた物を見比べ、手で触れた後、女は口笛を吹く。


「速度は衰えているが、威力は変わらない水準まで持ってこれるようになったか。流石は元四天王、才能に愛されているな」

「アンタの腕のお陰だよ。一部の種族や、極めた人間以外は視認出来ない魔力回路の手術を、こうも上手くやれる奴なんて居ないからな。これで……」


 先は音にせず、クレイは服を着る。名声を欲しいままにする事も可能な筈の目の前の女が、薄汚いこの場所の住人に甘んじているのは、他ならぬ彼女の性分にある。


「なんだ? 死亡時に支払う予定の顔を先にくれるのか?」

「やるか阿呆、今顔をやったら生活が出来なくなる」

「それなら、私がこのベルティレックスの頭を……」


 もう一発『蜻雷球』を放って黙らせて、溜息を吐く。

 虚無主義者の天才にして、怠惰な生活破綻者。おまけに暇潰しの方向が著しく歪んでいる。

 勃たない男に馬の性器だの、腕を失った軍人にバスカラートの前足だのと、つまらないと判じた仕事に於いて意味不明な移植手術を行う事に傾倒し、アークスの医師免許を剥奪された逸話を持つファビア・ロバンベラはけらけらと笑いながら、包みにくるまれた長物を投げてくる。


「元からそうだが、堕ちてから益々私に対して無礼になったな。伝手を頼って希望通りに仕上げたぞ。……しかし、キャップスが始末される対象になるとはな。お前の指示通り、奴の工房から先代四天王の資料を拝借し、私の知り合いに流しておいて正解だったな」

「アンタも気を付けた方が良いんじゃないのか?」


 返礼として密造品の煙草を投げ返しながら、皮肉抜きに気遣うクレイを、しかしファビアは鼻で笑う。


「基本的に兵器を作るしか能の無いアイツと、この私を同列に扱うな。私を始末すればこの国の軍事費の増大は免れなくなる」

 己の実力を過大評価した戯言などではなく、切り上げれば百に届く年月を生きた女の経験と手腕は代え難い物であるのは、医師免許を剥奪された今でもサイモンやアリアの王族連中との繋がりを有している事実だけで、誰もが理解出来る。

 先日、エトランゼとの戦いで負傷したヒビキの肉体の修復を行ったのも、このファビアである。「どっち付かずは不幸の元だ」と言いながら、勝手に回路の組み換えを行った事は、未だに本人には告げていない。

 たった今、ヒビキがそれによって絶望に叩き落されているとは、無論二人とも知らない。

 ともかく、肉体の改造とオー・ルージュの受け取りと言う目的は達せられた。愛槍を背負い、クレイは出口へと歩を進める。


「なあクレイ。お前はあの男を殺した輩を見つける為に、態々肉体と武器の改造をしたんだろう?」


 ファビアの声で足が止まる。見事なまでの大正解だ。


「……ああそうだ。今更遅いし、まるでヒロイックな要素はないがな」

「オズワルドの右眼……『万変乃魔眼ドゥームゲイズ』は奴自身の手で潰されていた。奴程の人間が自らの最大の武器を手離すとは考え難い。相手は只の通り魔と当時報じられ、碌な調査もされぬままに適当な薬中が逮捕されたが、奴が凡百の者に不覚を取るなど有り得ん。お前が今からでも追いたがるのは、理解は出来……」

「んなこた分かってるよ。……隊長と約束したからな」

「真実を探し、触れる事は幸せな終わりに結びつくとは限らない。寧ろ泥濘に呑まれて倒れる事に繋がるとしても、か?」

 沈黙を保ったままクレイは歩き出し、診療所を出る。陰惨とした空間から、陽光の満ちた場所へ出た事で思わず目を眇める。

 闇医者の言葉はよく理解出来る。だが、そんな理性的な思考に、落魄れた今も従う必要は無いだろう。

 内心で呟きながら飯でも食おうと、適当な飲食店へ向かおうとするクレイの歩みは、すぐに止まった。

 緊張と闘争心を高め、いつでもオー・ルージュを振るえる様に身構える。

 視線の先には、一人の女性が歩いてくる姿があった。

 年齢はクレイと同じだけ重ねているが、彼と同様に非常に若々しく見え、腰まで届く長い藍色の髪を揺らしながら歩く女性は、クレイの姿を認めると足を止めた。

「よおルチア、久しいな」

 代を跨いだ数少ない四天王、ルチア・バウティスタは一瞬だけその紫色の目に驚嘆の色を映したが、何も言わずに再び歩を進める。見ると、彼女の右腕に当たる部位は風にそよいで揺れ、紅い液体が地面に点々と落ちている。

 大方、現在の他国との最前線であるバトレノスに一人で駆り出され負傷し、ファビアからの治療を受けに来たのだろう。 

「本当に久しいな。ルカちゃんが産まれた時に一度会った――」

 ルチアの左腕が振るわれ、飛び退ってそれを躱すが、ほんの少しだけ金髪が宙を舞った。

 いつの間にやら、彼女の左手には一本の長剣が握られていた。首を取るつもりで放った一撃を躱された事に、ルチアは顔を少し歪ませて、口が開かれる。

「今更首都に何の用?」

「さあ何の用だろうな?」

「貴方の出る幕など、全ての事象に於いて無いわ」

 短いながらも、聞く者の心を痛めつける冷え切った言葉が放たれる。

 年月を重ね、多少思想が変わったとしても、十年以上の付き合いがある二人の間では、小細工の類は一切無意味。自分がここに来た理由も、本当は既に気付いているだろう。

 ならば、こちらはそれに乗るだけの話だ。

「出る幕が無くとも、やるべき事は有るんだよ。俺がいなくなった後でも、何も変わらずに適当に握り潰した連中が止めようと無駄だ」

「本当に、組織という物を理解していない点は変わらないわね」

「組織なんてモンに忠義を感じた事は一切無いんでな。強いてそういう物を感じた例を挙げるならば、四人でいたあの集まりと、先代四天王に対してだけだ」

 過去に拘泥する惨めな同僚に、嫌悪や呆れの感情を抱いたのか。ルチアは会話を打ち切ってクレイの横を通り過ぎ、診療所に入っていく。

 ファビアが始末されない理由を測らずも目撃したが、今はどうでも良い。懐から古びた地図を取り出し、そこに記された場所を見て、思わず顔を歪める。

 『転瞬位トラノペイン』を用いても、麓までしか行けないような険しい場所だ。ここからすぐに行って帰る、楽なオチは無さそうだ。


「世の中そう甘くないな。準備をしにヒルベリアへ戻るか。万が一の時の為に、ヒビキも連れて行った方が良いだろうしな」


 言葉を吐き出しながら、長身の金髪男は街の中心部へ向かった。

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