9

 荒野を烈風が搔き乱す。

 四天王ユアン・シェーファーの挙動を、観劇者が仮にいたならこう評するだろう。

 『竜翼孔ドリュース』で背に生成した翼で宙を自由に舞い、攻撃の届かない高度からケリュートンによる狙撃を行い、着実にボブルスを潰す。

 単純、かつ芸の無い動きとも言えるが、本体を狩る前に必要なステップを確実に遂行していく彼の動きは、四天王に相応しいもの。

 だが、ユアンの表情は現状の厳しさを克明に伝えていた


 射撃を中断して空中で静止し、地上の光景を眺めて思考を回す。

 首を取るべき巨大ボブルスは未だ健在。小型個体の生産も、一向に止む気配が無い。

 周りの雑魚をどれだけ狩ろうと、大元を叩かずに事態の終息が無いのは最初から分かっている。一気に片を付けたいとの感情は抱いているし、それを可能とする術も、彼は当然ながら有している。

「さて、と。ここからどうする」

 マトモな攻撃を一度も受けていないにも関わらず、ユアンの額に少量の汗が滲む。

 汗と、一気に片付ける動きが出来ない原因は、残る二人にあった。

 遊びと言っても、民間人を戦闘に巻き込んだ挙句死亡させては首が物理的に飛ぶ。故にある程度フォローをしているが、負担が想定以上に大きい。

 片方は魔術を全く使えず、もう片方は手札の偏りが酷く、自らの負傷の処置に使える魔術はからっきし。

 結果として、治療の類はユアンが全て引き受ける事となる。戦いの素人故に彼等はやたらと負傷する為、彼の負担が増大するのは必然と言えた。

 『擬竜殻ミルドゥラコ』を始めとした、致命傷を作らない為、二人に対して魔術を四つ程展開している現状では、幾ら四天王と言えども派手に攻撃に転じる事ができない。

 魔術の同時発動が過ぎると、使用者の脳や神経系に致命的な損傷を及ぼすリスクがある。非常に優れた魔術師のパスカ・バックホルツすら、実戦に於いて障害を及ぼさない同時発動は現時点で七か八程度だろう。

 同僚と比較した時、単純な身体能力と魔力量で上回っていても、魔術の使い方でユアンは劣る。五つの同時発動、更に二人が致命傷を負わないようにする為に、それら全ての全力発動はかなり堪えている。

 地上で異刃を振るう少年が、何か人知を超えた究極の力にでも発動して、敵を完膚無きまでに抹殺すれば話は早い。

 早いのだが、現実はどこまでも都合の悪い展開を用意する物なのだろう。そんな事態が展開する気配はまるでない。

 少年は自らの持つ引き出しから、使えそうな物を全て引っ張り出して食い下がってはいるものの、相性面で圧倒的に不利な相手を押し切れるまではいかず、ジリ貧の様相を呈し始めている。

 終幕を傍観する趣味を、彼は持ち合わせていない。

 向かって来た小型のボブルスを撃ち抜いて絶命させ、ユアンは更に降下していく。

 もう一つの鬼札の覚醒に、四天王は賭けたのだ。

「よう異世界女、ご機嫌いかが?」

「……良いと思いますか?」

 実に真っ当な反応を返して来た異世界女、いやユカリも既に満身創痍の態だ。

 偽物が遺した短剣を気丈に振るい、何頭かのボブルスを仕留めていたが、彼女の行動が戦局に及ぼせるのは、洪水の只中に投げ込まれた小さな石ころ程度。

 ユアンの発動している魔術によって外傷こそ無い状態だが、呼吸は荒い。

 終わりのない拷問に晒されているのと同義の現状では、肉体はすぐに回復しても精神が削られる。彼女が疲労しているのは道理と一人で納得しながら、ユアンは言葉を繋ぐ。

「お前、本当に魔術を使えないのか?」

「……使えません」

 当然の回答が返って来る。少しずつ近づいてくるボブルスに対し、『輝光壁リグルド』を張り直して弾き返し、彼らに観劇者の役割を押し付けてユアンは続ける。

「エトランゼの影と対峙した時は、使えたんじゃなかったのか?」

「あれは……」

 ユカリが言葉に詰まる。次に発せられる言葉の予想はついたので、ユアンはそれに先んじる。

「アレは偶然だった、今のやり方が分からない、次に言うのはこの辺りか。けど、それは本当か? このままだとヒビキが死ぬぞ」

「――っ!」

 目を見開き、恐ろしい形相でこちらを見てくる少女とは対称的に、長身の四天王は、たった今発した言葉の重みなど感じていないかのように、軽薄な表情で肩を竦める。

「睨まれても困る。こっちはやるべき事やってんだ。アイツの体質まで考慮してどうこうする義務は無いし、このまま死んでも責任は問われない。お前はそれで――」

「……わけ、良い訳ないでしょう!」

 感情の奔流が噴き上がり、ユカリは涙を流しながら激昂する。何かを果たすべき状況であり、それが叶わない現状を一番歯痒く感じるのは当然彼女だ。

 慰めの言葉をかけて、優しく、しかし適当にあしらうのも一手。しかし、それでは何の変化も齎せない。当然ながら少年の運命は変わらない。何よりも、ユアン自身が納得しない。

「なら考えろ。偶然なんてモンは存在しない。前に使えたのは只の必然だ。悲劇に酔わずに、何が何でも奇跡って名の現実を引き寄せろ。出来ないなら、お前等纏めてここで死ね」

 言いたい事だけ言って『輝光壁』を解除し、ユアンは再び飛翔して矢の雨を降らせていく。仲間を傷付けられた事で、周囲のボブルスは注意を上空へ向けて、ユカリへのそれは少し減じる。


 残されたユカリは、必死で思考を回すが、どれだけ考えても正解に辿り着ける気配は見えてこない。

 そもそも、異邦人たる自分には、魔術の使用法など全く分からない。

 何処まで行っても、自分は足を引くのか。このまま悲劇のヒロインを気取って隅で大人しくしていれば、傷を受ける量よりもユアンの魔術による回復が上回る自分は、生き延びる事が出来るだろう。帰る為の手段についての検討も、再開出来るに違いない。

 だが、今まで散々自分の代わりに戦っていた少年を、見捨てられるのか? 抱いた疑問を、彼のいない状況で解き明かす事態を受け入れられるのか?

 否、そんな状況を受け入れられる訳が無い。

 受け入れられないのならば、やるべき事は一つだ。ユアンが言った通り、自分で奇跡とやらを連れてくるのだ。

 カラムロックスの影と対峙した恐ろしい記憶の映像を、脳裏で再生する。何故自分は、あの時使えたのか? 彼に力を与える事が出来たのか? 

 時間にすれば五分にも満たない、しかし彼女にとっては永遠にも等しい思考の時間を経て、ある可能性に行き着く。

 失敗すれば、次は無い。

 成功の可能性は極めて低い。可能性がただの妄想でしかない事は重々承知。

 だが、失敗を恐れて安全な方向に逃げていてはいつまで経っても、それこそヒビキが死んだ後でも状況の打開は叶わない。

 ボブルスの大群から目を背け、ユカリは目的の場所へと、今必要な自分の姿を描きながら走る。頭の中で明確なイメージが組みあがった時、丁度辿り着き、上空のユアンに怒鳴る。

「私にかけている、全ての魔術を解いて下さい。成功した時だけ、もう一度お願いします!」

 自分の視力では高空にいるユアンの表情など捉えられる筈も無いが、嫌味な顔をした四天王は笑っているように、ユカリの目には映った。

 魔術の効果はすぐに消失し、自分の身体に何の補助もなくなった事を確認。

 やろうとしている事の無謀さを改めて描き、汗がどっと吹き出し、足が竦む。生へのしがみつきとは、人にとっては切り離せない物のようである。


 ――迷ってる暇なんてない。やるんだ! 


 形容し難い奇声を上げながら、ユカリはハイウェイから飛び降りる。

 重力によって、身体は加速しながら落ちて行く。

 ハイウェイから地面までは、どれだけ低く見積もっても八メクトル超の距離がある。尚且つ、下に広がっている大地は、構成している物の殆どが砂と岩だ。

 一切の防具を身に纏っていない脆弱な人間が落ちた場合の、結論は一つだ。 

 恐怖で遠退きつつある意識を、どうにかして覚醒状態に留め、ユカリはホルスターから銃を抜き、自らの胸に押し当て、引き金を引いた。

 ――奇跡でも何でも良い、お願い!

 願うユカリの首のネックレスが輝き、発生した光の中へと彼女の全身が飲み込まれていった。


                ◆


「――シャアァッ!」

 咆哮と共に、ヒビキは激しく回転しながら跳躍し、スピカを抜刀する。

 抜刀の際に生じた金属音が世界に溶けるよりも速く、彼の周囲を包囲していたボブルスが無惨に両断される。

 スピカの射程に入っていた大地にも亀裂が生まれ、新たな川が誕生。軌道に入っていた小物どもが、濁流に押し流されて死んでいく。

 殺戮の舞いを演じても、力が未開放の状態では首を取らねばならない標的には傷一つ無い。それどころか、スピカが掠めた部位から漏れ出た体液で、新たに敵が増えている有様だ。

「――強いッ!」

 四天王の魔力を食ったボブルスは、通常個体を遥かに凌駕する強さを誇っていた。

 小細工を用いず、圧倒的な力で捻じ伏せにかかって来たカラムロックスとは違い、この相手の持つ力や緩慢な動きには、絶望をまるで感じない。


 ただ、ゆっくりと真綿で首を絞められていく恐怖があるだけだ。


 今はまだ損傷した身体からまた新たな個体を生み出し、ヒビキの体力を削り取る事に徹している為、能動的な攻撃はそれほど激しくないが、相手の思考が丸見えで、かつその策を破壊する手立てが無いせいで、嫌な汗が止まらない。

 恐怖を振り払うように、吐き出される酸や炎の弾丸を躱しながら疾走し、本元に対して真正面からの攻撃を選択。

 スピードだけはこちらの方が明確に勝っている要素。仕掛けるなら、こうするしかない。

 一瞬だけ力を開放して左腕の速力を引き上げた後、スピカを槍のように放つ。不可視の速度で放たれた突きが、ボブルスを捉える、だけでは終わらない。

「『器ノ再転化マキーナ・リボルネイション』! ……内側からぶっ壊れろ!」

 切先が内部に侵入した瞬間、スピカが姿を変え、敵の体内で弾丸を撃発。魔力同士の激突により、爆風と白煙が立ち込める。川となった水が、跳ね上げられた土砂を飲んで瞬時に濁る。

 一度距離を取ろうとしたヒビキの腹に鈍い衝撃。涎と血を吐きながら地面へ転がされる。

 失敗を悟ると同時、身体に被った体液が爆発し、左腕が吹き飛ぶ。重力に抗う手段を喪失したスピカが、軽い音と共に地面に落ちた。

「……クソ」

 血と脂汗を流しながらも、どうにか視線を上げたヒビキの前には、相も変わらず大小のボブルスが無数に蠢く。

 推測の域を出ないが、射出された弾丸で壊れた部位を即座に小型のボブルスに変えてダメージを殺し、自分はその間に再生。

 撒き散らした体液は爆発させる形で有効活用した、という訳か。

 自分の身体よりよく出来ているゾンビ野郎だ。強引に左腕を再生させ、ヒビキは泣き喚きそうになるのを堪えて笑う。

 勝ち筋は実に単純だ。粘液の壁越しからも見えている、肥大化した血晶石を破壊すればそれで良い。


 実行可能な力が、自身に残されていない事が問題なのだが。


 吐き出した小型のボブルスが、一撃与えれば沈む程に脆弱なのは事実。だが無数に出現し、都度対処の必要に駆られれば、力の消耗は発生する。数の多さはそのまま戦いに於いて優位に立てる要素だ。

 纏わりつくボブルスを斬り捨てながら思考していたヒビキは、突如として攻撃行動を止めてその場にへたり込んだ。

 身体はまだ動く。力の解放もまだ続く筈だ。だが、動く事は無駄にしかならないと、ヒビキは判断を下す。

 ――癪な話だが、俺が死んであのムカつく四天王の負担が減れば、コイツ等を一瞬で抹殺出来るだけの仕掛けを行える筈だ。……俺に手が無い今、これが一番合理的な選択だ。

 動きを止めたヒビキを、当然ボブルスは最初の獲物と定めた。身体を震わせて巨大な槌状の腕を形成し、ゆっくりと振り上げて行く。

 粘液で出来ていると言っても、これだけ巨大であれば重量もヒトを圧潰させるには十分であるし、万が一死を免れたとしても、粘液に包まれ続ければ呼吸困難に陥って死ぬ。 

 隙が無くかつ残酷な二段構えに、ヒビキは少しだけ笑みを浮かべる。まさか影ではあるがエトランゼに勝利を収めたのに、こんな所で死ぬとは、全くの予想外でしかなかった。

 目を閉じたヒビキに、巨大な両腕が迫る。


 予想していた衝撃では無く、浮遊感を感じ、違和感を覚えて目を開く。


 先程まで正対していたボブルスの頭頂部や大地が目に飛び込んでくる。どうやら自分は空中にいるようだ。だが、ヒビキはその手の魔術は一切使えない。

 何故こうなっているのか。当然抱いた疑問を解消すべく首を後ろへと回す。


「助けに来たよ、ヒビキ君!」

「な、ユカリ、お前、どうやって!?」


 紅い異形の翼を背から産み出し、滑空しながら自らを抱えているのは、魔術を碌に使えない筈の異世界の少女だった。混乱から、ヒビキの言葉もおかしな物になる。

「よく分からないけど、自分に向かって銃を撃ったら石が光ってこうなったの。……でも、長くは持たない」

 二人は知る由も無いが、この光景を目にしていたユアンは、有り得ない状況に二人以上に驚愕していた。

 『竜翼孔』を遥かに超越した飛行を可能とする、グロテスクな異形の翼を生み出す『渇欲ノ翼エピテナイア』は、魔力の消費や肉体への負担も非常に大きい。

 特殊な眼を持っていた先代四天王、オズワルド・ルメイユ程度しか使いこなせず、エトランゼ同様にお伽噺の住人になりつつあった魔術を、何故魔力を持たない筈の少女が使えるのか。

 眼前の敵よりそちらに興味が移りつつある四天王を他所に、宙を舞う二人は巨大ボブルスへの接近を試みる。

「無理なら止めろ、それか俺を捨てろ!」

「……痛いけど、まだ大丈夫だよ」

 小型のボブルスが吐き出した粘液が翼を掠めただけでも、ユカリは表情を歪め、高度は下がっていく。迫りくる攻撃を強引な方向転換で躱す度に、翼や背中から血が流れ、赤黒い尾を曳く。

 ユアンによる回復以上に、『渇欲ノ翼エピテナイア』によるダメージが大きい。骨が砕ける音と共にユカリが咳き込み、ヒビキの頭に生温かい液体が降りかかる。悠長な空の旅を繰り広げている時間は無い。

 一気に接近し、一撃で決める。これしかないだろう。

「ユカリ、上昇だ!」

「……でも」

「良いから早く! それと顔だけ良い四天王!」

 驚愕から立ち直って空を舞うユアンに、ヒビキは指示を飛ばす。


「ボブルス達の動きを止めろ! トドメを刺しに行く!」

「……お前等にかけている魔術を一度全て止める事になる。……その間に致命傷を受けてもフォローは出来ないぞ?」

「このままチンタラやってても、アンタはともかく俺達は死ぬだけだろ!」

「良いねぇ。そういう覚悟は、嫌いじゃないぜ!」

 身体に痛みと疲労が、一気に圧し掛かる。ユアンのフォローが想像以上だったと感じながら、ヒビキは更なる上昇をユカリに促す。

「露払い役は好きじゃないんだが、詫びとして引き受けてやる」


 ヒビキ達が視界から消え、場にいる全てのボブルスの注意を集める事になったユアンは、目にした者の心臓が止まりかねない笑みを浮かべながら、腰に差した突剣をケリュートンに番え、撃ち出す体勢へと移行する。

 右目周辺に刻まれた、鷲頭竜を模した刺青が黄金色に輝き、光は彼の武器へと走っていく。

 弦を引き絞り、怪鳥の翼を模した弓が咆哮と共に完全に開かれた時、ユアンは突剣を射出する。

 狙い違わず、小型のボブルスの身体を容易に貫いて絶命させ、群れの中を通り抜けた突剣は、急激に切先の方向を変え、三本の矢へと姿を変えた。

 ボブルスにとって、地獄の蓋が開いた瞬間であった。

 どれだけ逃げても、三本の矢が追い縋り、心臓部を貫いていく。身体を硬質させる、小規模な『輝光壁』を張るなど、最大限の抵抗は何の変化も齎さず、瞬く間に命を食われていく。

「逃がすかッ!」

 更に矢を放ち、混乱に陥ったボブルスは次々に消し飛んでいく。先刻までの均衡が嘘のように、状況は一方的な物へと転じていた。

 彼らが絶対に避けるべきだったのは、最初の一撃であったのだが、それを認識していたのは、仕掛けたユアンだけである。

 何らかの形で敵の魔力さえ読み取ってしまえば、一度狙った相手には死ぬまで攻撃が続く。完全な力の解放を果たしたケリュートンから放たれた物体は、全てそのような効果が期待出来る。

 そして、ユアンの卓越した射撃術によって攻撃は必中となり、相手の死は必定の物となる。

 『無戦完勝の射手ノーゲーム』の異名の片鱗を、観劇者のいない空間で存分に発揮しながら、ユアンは上空に向けて怒鳴る。

「雑魚は片付けた。このまま親玉をぶっ殺しても良いが、お前等に譲ってやる!」

 声に呼応して、ユカリは降下姿勢に転じた。

 抱えられた状態のヒビキは、身体に残る痛みに顔を歪めながらスピカを構え、一撃を放つ姿勢を執った。

 空間を踊り続ける大量の矢と、駄目押しと言わんばかりにユアンが発動させた『嵐刃ストルゥス』の風の刃によって、回避行動を全て封じられたボブルスは狂ったように粘液を上空に向けて吐き続ける。

 回避行動を取ってはいるが、数が多過ぎるせいか、幾つかがヒビキの身体やユカリの翼に直撃し、二人の身体には大量の火傷や穴が出来上がる。

 ユカリは翼を広げるのではなく、空気抵抗を削る形へと変質させる。当然の結果として加速力は増大し、制御困難に陥る紙一重の状態にまでなるが、不思議と恐れはない。

 狂気の世界へ足を踏み入れた為か、死への恐怖が振り切れて感覚が壊れたか、理屈を付けようと思えば、適当な物が幾つか浮かぶ。

 だが、どれも正鵠を射ているとは言い難い。


 ――私は、今の甘んじて受け入れている客人の立場を続けたくはない。元の世界に帰るまでは、私も舞台に上がるんだ!


 声なき決意を代弁するかのように、背に生えた異形の翼は、流れて行く血さえも彼女から放出される光として煌めく。

 巨大なボブルスの頭部が一気に近づく。不鮮明だが、心臓の役割を果たしている血晶石の塊もハッキリと見える。

「ヒビキ君、終わらせて!」

 完全に力を解放した、ヒビキの世界は一気に遅くなる。既にボロボロになっている身体が、延々と悲鳴を上げ続ける。

 それら全てを無視して、守る物が無くなったボブルスの表皮に、ヒビキは全ての力を振り絞って、スピカの刃をブチ込む。

 先刻まではここで止められて、反撃を許していた。だが今は違う。

 あらゆる抵抗を無視して、蒼の異刃は巨体の内部へと侵入し、その肉を喰らっていく。

 悶えながら相手が選択した、再生よりも速く肉体を破壊し、真っ直ぐに中心部へと侵攻する。

 硬質な感覚を、身体が捉える。火花を撒き散らしながら、コアを斬り砕く。凄まじい反動と抵抗が全身にかかるが、二人は愚直な前進を止めない。

 

 やがて、永遠に続くかと思われた音が止み、右目だけになったヒビキの視界が、ねばついた不良の物から、自然な物へと転じる。どうやら、ボブルスの体内を抜けたようだ。


 何時の間にか片方の翼が砕けていたユカリが、ゆっくりと身体を反転させる。

 心臓を破壊されたボブルスの身体が、溶解されていく。抵抗するように何度も身を捩らせるが、みるみる内に巨体は縮み、通常の個体の大きさへ、いやそれさえも通り過ぎて、極彩色の小さな水溜まりへと変化する。

 最後に断末魔であろう苦鳴を残し、近頃ハイウェイの通行を妨げていた、ボブルス特異個体は消滅した。

 背の方向から、小さく息を吐く音が聞こえ、ヒビキは壊れた左腕を無理矢理動かして、スピカを鞘へと戻した。

 今回もまた、ユカリに助けられた。結果として良い形で終われたし、彼女が自分で状況を動かす事が出来るようになるのは、喜ぶべきだろう。

 それでも、ヒビキの内心には少し暗い物が湧き上がっていた。

 ――まだ足りないか。もっと、強くならなきゃな……。

 ボブルスを相手に、死に近い所まで追い込まれ、結局はユカリという鬼札がいなければ終わっていた。少しは強くなったという自信を粉砕され、足を掬われかねない焦りをヒビキは抱く。

 無言のままのヒビキを怪訝に思ったユカリは、何らかの言葉をかけようとしたが、それよりも先にまた別の人物が現れ、彼女の意識は強制的にそちらへ向けられる。

「すまない。遅れ――」

「遅いッスよパスカさん。もう終わり……ゴふぅッ!」


 先に地上に降り立っていたユアンを、新たにこの場に現われた男性が殴り飛ばした。予想外の光景を目にし、二人は会話を交わす間もなく慌てて地上に向かった。

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