10
走る走る、鞭打たれる競争馬の如く。
元の世界でどこかの誰かが歌い上げた歌詞に、まさしく合致する形でユカリは只走り続けていた。
「はっ、は、はぁ……」
十数分に及ぶ断続的な全力疾走で身体が白旗を掲げた所でようやく足を止め、荒い息と汗を飛ばしながら振り返る。
どれだけ走ったのか、何故自分は今こんな真似をしているのか。ここに思考が行き着いた末、その結論に頭を抱える。
蓮華の指摘はユカリが少なからず抱える劣等感や、覆しようのない現実を、痛烈に叩いていた。
日常に組み込まれた友人達からの稽古、思わぬ形で実現したヴェネーノからの指導。これらを受けてマシにはなったが、望みを独力で成す為に必要な域には到底届いていない。
単身で強者と対峙すれば、一分以下で死体に転生する。それが大嶺ゆかりの現状だ。ここに立っていられるのも、友人達の支えがあってこそで、その状況で生殺与奪を握る船を持つ蓮華といざこざを起こすなど、あってはならなかった。
にも関わらず、怒りに駆られて内在する正論で殴り掛かった結果、相手に同じ武器で殴り返されて逃げ出す。この上なく無様で浅慮な自分への嫌悪感は、間欠泉の如く噴き出して止まる気配がない。
活力が失せかけた動きで、近くにあった手頃な石に腰掛け、くすんだ灰色で構成された薄暗い通路をユカリは茫と見つめる。
最善の行動は分かっている。今すぐ戻って、蓮華に謝罪すれば良い。許されるかどうかの問題は別にして、そうする事が正しい形だ。
――けれど、納得出来ない事を抱えたままの謝罪は……。
何故シグナの遺物に拘泥するのか。そうまでして力を得る事が、団員にとって必要なのか。これらを解消していない状態での謝罪など空虚で、相手の心に届く訳もない。そもそも、そのように振る舞えるなら、先程のような行動をしていない。
「……でも、戻らないと」
状況が悪化の一途を辿っているのは分かっている。良き友人達は、少なく見積もっても五割の確率で自分を探しに向かう。
人員が減り、ラフェイアが明確に殺意を表明した今、この島の探索以外に労力を割り振るのは危険を増大させる以外の効果を齎さない。
納得いかない点はあれど、蓮華や彼の仲間に死ねと言えるような嫌悪は抱いた事は無く、それはこれからも同じだろう。
「……あ、あのぅ」
「へ?」
意を決して立ち上がった時、上から声が届く。
間抜けな動きで見上げたユカリの目に、濃紺の装束に身を包んだ黒髪の少女、加藤千歳が灰色の天井に貼りつく光景が映る。
この世界でも、勢力を著しく減退させた『忍者』の血族らしい姿を見せている少女は、ユカリが気付くなり両手を天井から離し、彼女の眼前に無音の着地を果たす。
頭を少し振って傘のように広がった髪を整え、目隠れの少女がユカリの前に立つ。
気配を完全に消せる力量がある以上、まさかここから首を取られる流れには繋がらないだろうが、彼女もまた蓮華側の人間だ。
無意味と知りつつも警戒するユカリに、分かりづらくはあるが確かに視線を固定した千歳は、驚きの行動に出た。
「……団長の、蓮華さんの無礼な発言をお許しください」
黒髪の少女は、ユカリに対して深々と頭を下げた。
想定の外に在り、しかも道理のない行動を道理のない相手から受けた事に硬直したユカリの反応を、納得が行っていないからと結論付けたのか、千歳は膝を折り――
「ま、待って! 千歳が謝る必要ないよね!?」
金縛りから解かれ、千歳の動きを止めて立たせたユカリは、彼女を先程の岩に座らせ、自身も隣に座す。
「どうやってここが分かったの?」
「わ、私は『忍者』ですから。ユカリさんの気配を拾って追う事が出来たんです」
少しだけ誇らしげに、鼻と目を指し示す。声に微量な震えが混ざっているのは変わらないが、意思疎通は可能だ。
ならば、これは問うておくべきだろう。
「少しだけ聞いて良いかな? ……どうして、皆は蓮華さんの無謀な賭けに乗ったの? 団員の方が殺されても、全然動揺してなかったし、そもそも……」
「他の方、の考えは分かりません。ですが、私の考えなら言えます。……私は蓮華さんに買われた身です」
前髪を徐にたくし上げ、ずっと隠されていた頭部の上半分が露わになる。
年齢以上に幼い空気を発する黒の双眼と、額に刻まれた、二種類の文字列を刻んだ焼き印がユカリの目に映る。
日ノ本の言語は、文化同様に元の世界の日本に近い。崩されて書かれるとインファリス大陸の言語解読が難しいユカリも、蓮華達の書く文章はすぐさま読み取れた。
だからこそ、千歳に刻まれた焼き印の意味を即座に理解し、刻んだ者への嫌悪感が膨らんでいく。
「私の生家は、日ノ本の夜を嘗て支配した『加藤』です。忍者は時の権力者に雇われ、日の当たらない仕事で影の名声を得てきました」
「でも、忍者は侍の台頭で消えたって頼三さんが言ってたよ?」
「公には。ですが、協力関係にあった家から仕事を得て、私達は技術を彼らに伝えました。……蓮華さんの使う『操糸術』は、私も手解きしましたけど、お父様が別の忍者から教わった物を受け継いだ物です」
「なら、千歳の家は維新が起きても、国を追放されるなんて事は……」
「私は分家でしたから。……本家を超える力や技術を持つ八雲様もいたそうですが、そのような人物は稀です。侍の御三家すら居場所を失う状況で、忍びの、しかも分家が留まれる道理は何処にも無かったそうです」
当たり前だが、維新の頃に千歳は生まれていない。蓮華達と同じように、先祖が流浪の末辿り着いたのがアメイアント大陸と考えるのが妥当だろう。
そして、千歳の先祖が辿った道も、大よそ想像がついてしまった。
ユカリの動きで察したのか、前髪を降ろした千歳は虚しい笑声を零す。
「生活苦でお父さんは私を売りました。土地に於いて少数の人種は、玩具として高く売れるので生き延びるには最善の答えでしょうし、立場が逆だったら私もそうしていたかもしれません」
単に捨てられるより惨い仕打ちを、他人に語れるようになるまでにどれだけの葛藤や苦難があったのか。想像しか出来ないユカリは、痛みの共有など出来ずに、千歳の次の言葉を待った。
「でも、その当時アメイアント大陸は不況で、私はなかなか売れなかったんです。売れなきゃ儲けになりませんから、発動車に放り込まれて色々な所に行きましたよ。十年前に蓮華さんと出会ったのもその道中でした」
「……買われたの?」
「一応は。……商人さんの発動車が襲撃を受けたんです。荷台の中で「次はこの人達に連れていかれるのか」って考えていたら、襲撃者とはまた別の気配が来て、一気にその場を鎮めました」
「それが、蓮華さんだった」
首肯した、千歳の頬が少しだけ緩む。
「静かになったなと思ったら、荷台が蹴り開けられて、全身血塗れの蓮華さんが現れました。私を見るなり「東方人か。なら、俺達と一緒に来ないか」って。お金を払わないと出られないと私が言ったら、死体から抜いた銅貨を投げて「これで良い」と」
決めた事を必ず実現させる。そんな気概に満ちた蓮華らしい動きとユカリも感じるが、初対面ではさぞかし面食らっただろうと、無意識の内に苦笑を浮かべ、千歳もそれに追随して笑う。
「あの人は変ですよ。私を特別扱いせず、一人の団員として扱い、良い事も悪い事も等分に経験させてくれています。自分自身が先陣を切って、身を削っても目標に向かう姿勢を見ているから蓮華さんの下にいる。……少なくとも、私についてはご理解いただけましたか?」
「……とても、よく分かった。話してくれてありがとう」
重い過去を持つ少女の声には、不純な感情なき敬愛の情が籠められており、彼女に対する蓮華の振る舞いが良き物だったと、想像を容易にさせていた。
初対面の、得体の知れない少女を同胞の事実一点で救い出し、共に生活を送る中で彼女の才覚を磨き上げた。
ケチを付けようとすればするほど、ソイツの卑小さを浮き彫りにしそうな蓮華の素性は、方向性は異なるがマルク・ペレルヴォ・ベイリスのそれに近い。
ここに来た理由が伊達や酔狂ではなく、全員を最良の形で祖国に帰還させる為という一点にあり、団員も過去の振る舞いから意思が本物と分かっているからこそ、死を承知の上で付いてきている。
何もかも分かった。それでも残っている物を拭い去る方法は、一つしかない。
「……戻って蓮華さんと話すよ。私の中で色々考えるよりも、良い落としどころが見つかる気がするから」
「はい!」
顔を綻ばせた、ように見える千歳と並ぶ形でユカリは来た方向へと歩き出す。
出鱈目に走り続けていたので、道順を把握していなかったものの、無意識の内に落としていたアクトゥヌスの甲殻と千歳の先導で、思いのほか順調に通った道を遡上する。
「これならすぐに戻れますよ」
「話す内容の整理が追い付かないくらい、早く戻れちゃいそうだね」
「大丈夫です、団長は話せばわかる……」
「ユカリ!」
突如届いた、乱れた声の発信源に目を向ける。すると、そこにはヒビキ・セラリフが肩で息をしながら立っていた。
「ハズレを引きすぎて遅くなった。……ごめんな」
「私こそ、勝手な行動をしちゃってごめんね」
「納得行かない事に反発する事を勝手なんて言わねぇよ。背中を預けて戦ってるんだ、俺達の関係は対等なんだから、分からない事が」
「ヒビキさんも来たなら、急ぎましょうか……?」
ヒビキが現れるなり後方に跳ねて距離を取った千歳が、先程と打って変わった蚊の鳴くような声量で投げた問いに、二人は揃って首肯する。
計量化出来ない、何らかの相性の問題なのか、ヒビキに対し千歳は怯えに似た感情を抱き続けている。探索を終えた後に理由を解き明かすのも悪くない話だ。
「ありがとうな、ユカリを見つけてくれて」
「ゆ、友人を助ける事を感謝される謂れはないです」
「そりゃそうだけどさ」
詰まりながら返された正論にヒビキは笑い、二人の少し先を行く形で歩き出す。
「アンタの尾行術とか、体捌きとかさ、これが終わったら出来る範囲で良いから教えてくれよ」
「それは私も教えて欲しいな。……刀の使い方も、千歳のはヒビキ君や蓮華さんとは違う格好良さがあるから、そっちも少し知りたい」
「た、高いですよ?」
「お金取るんだね……」
「技術を安売りするなと、団長や頼三さんから教わったので……」
名前の出された人物が言う構図が鮮明に想像されたのか、ヒビキとユカリは顔を見合わせて笑い――
そして、最悪の光景を目撃した後者の表情が凍り付く。
眼前のヒビキが立つ場所は、天井がなく上層部と繋がる空洞となり、空間の貴重な採光源となっている。
二人の少し先を行って柔らかい光の柱にヒビキが立つ。彼の絶対の死角となる角度を保って、一人のヒトが落ちてくる。
最初、別人と認識していた。
人物が纏う物が強烈な憎悪と敵意で、嘗てエルーテ・ピルスを共に歩んだ時とは全く異なっていたからだ。
彼女の人間性は、あくまでも正面切っての戦いを是とし、初対面の相手に不意打ちを仕掛けるなど、想像も出来なかったからだ。
だが、両の手に握られた剣と異刃、東西を上手く織り交ぜた装い。流れるような動きは、ユカリの現実逃避を微塵に砕いた。
「止めて、ティナ!」
「――ッ!」
「『
ユカリの制止は、二人の咆哮で虚しく掻き消された。
隠しきれなかった殺気に反転したヒビキが咄嗟にデネブを掲げ、交差する形で放たれた二種の刃を一点で受け止め、刃に乗った魔力が弾け飛び、爆風が通路内に吹き荒れる。
準備を整えて仕掛けた少女、否、ティナ・ファルケリアの攻撃に、ヒビキの両足が僅かに退がる。形勢不利と、反応だけ切り出せば誰もが感じる動き。
しかしヒビキに乱れはなく、後退と同時に撓められた両脚が一気に伸びる。斬撃を目的としない動きは狙い通り二刃を押し返し、空中のティナの体勢を崩す。
「くっ!」
「遅ぇよ!」
すぐさま立て直しにかかるも、ほんの僅かな隙を晒したティナに、ヒビキは一切の容赦を見せずにデネブを投擲。
仕掛けを詰め込んだ結果、スピカの四倍近い重量を持つデネブは、斬る以外の仕事も十全に果たす。危険を察したか、ティナは迫りくるデネブを右手に握る剣で撃墜するが、振り切った事で防御が甘くなった。
「そこだッ!」
空いた胴を的確に狙い、ヒビキはスピカを抜き放つ。凡俗にこの流れに対応する術は何もないが、ティナ・ファルケリアは四天王と日ノ本御三家の才能を継ぎ、それに溺れず修練を積んできた存在だ。
この場でユカリのみ正確に知る事実は、彼女に不安を喚起し、そういう物に限って世界は現実に顕現させる。
明後日に流れていた剣の切っ先から『
絶妙な仕掛けを打たれたヒビキは舌打ちしながら空中で旋回。金属同士が擦れる悲鳴が、空洞を伝って空の彼方まで抜ける。
力の解放無しで、最初期の解放時と同等の速力で旋り、スピカは千を超える針を全て無力化。
ひとまず難を逃れるも描いていた構図は崩され、ティナが体勢を立て直す、ヒビキにとって手痛い対価が場に残る。
「何者だッ!」
「お前が父を殺した人形だと知っている。……この場で殺させろッ!」
剣戟を縫って響く叫びは傍観者共の耳にも確かに届き、それはユカリの心胆を撃ち抜いた。
ハルク・ファルケリアが殺害されていた。
ザルバドの家が焼失していたのも、この事実があれば納得の行く方向に導けるが、ティナが根本的に破綻した理屈を振りかざしている点もまた、ユカリに衝撃を与えていた。
そもそも彼女と出会ったのは、ハンナ・アヴェンタドールによって瀕死状態に追い込まれたヒビキを救う手段を求めて動いたからだ。
ライラの工房で眠り続けていたヒビキは、『大怪鳥』の羽を用いた処置が行われるまで、全く目を覚まさなかったとクレイやファビアが証言している。つまり、ハルクの殺害など絶対に不可能。
「止め――」
「駄目です! 飛び込んだらゆかりさんも斬られますよ!」
「でもこんな戦いは……」
二人を止めようと動いたユカリを、剣戟の凄まじさと危険性を正確に認識した千歳が、腰にしがみついて必死で食い止める。相反する動きで揉み合う二人だったが、事態は更に動いていく。
不意に、視界が揺れた。
変化に気付き、ヒビキがユカリ達に視線を飛ばす。黒の双眼は「逃げろ」と二人に訴えていた。
戦闘を展開する二人の足元が、一瞬だけ椀状の曲線を描く。
そして、地面が消えた。
論理や思考を放り捨てたユカリが駆け、重力の縛に囚われて落ち行く二人に追従する形で穴に飛び込む。
「ヒビキ君、掴まって!」
「そこだッ!」
強引に引き戻された『緋譚剣コーデリア』の柄が隙を晒したヒビキを捉え、彼の額に赤い花が咲く。
これだけでヒビキは死なない。故にティナは更なる攻撃を叩き込むべく動く。しかし、崩落する岩石の一つが彼女の後頭部を強かに殴りつけた。
小さな呻きの後、意識を手放したティナが病葉同然に落ちていく。このままでは、彼女は崩落する破片を浴びて死ぬ。確定した未来にどのような感情を抱いたのか、ヒビキは左手を伸ばしたまま、咄嗟にティナの腰を右腕で抱える。
伸ばした手と、伸ばされた手の指先が掠める。が、それ以上の奇跡は生じない。
千歳が放った糸がユカリの腰に絡み付いて彼女を引き上げ、落ち行くヒビキとの距離が加速度的に広がっていく。
「俺なんか捨ててけ! ラフェイアより速く――」
そこから先は、破砕音で掻き消された。
岩石と轟音の雨が止んだ時、ユカリの眼前に在ったのは底の見えない大穴。無論、ヒビキやティナは気配の一端すら失せていた。
「……う、そでしょう?」
無意味な感情の暴発が無為な戦いを招き、二人を生死不明の状況に陥らせた。
最悪の底の底を打った現状、どう動けば良いのか。ヒビキは見捨てて昔話の決着を付けろと言い残したが、それを即断出来る強靭な精神が彼女にはない。
だが、御伽噺の遺物をラフェイアが手にした末、全滅へ至る道の許容も彼女には出来ない。
思考停止に陥り動けなくなったユカリと、津波の如き猛烈な状況変化を前に立ち尽くすばかりの千歳。二人を音や魔力流を辿った蓮華達が発見するのは、もう少し後になる。
◆
殺意を抱いて降り注ぐ物体を、抱えたティナをかばいながら弾き飛ばし、そして落ち続けた結果、ヒビキは未踏破領域と思しき階層に容赦なく叩き落とされた。
「……ってぇな、チクショウッ!」
この階層の地面は土のようだが、速度が乗った状態で落ちれば感じる痛みの差は少ない。苛立ち混じりに手近な土塊を殴りつけるなり、鈍痛が彼を襲う。
脇腹に刺さっていた金属片を一思いに引き抜く。栓を抜かれた瓶飲料のように噴き出した血と、抜く前と趣の違う痛みに呻きながら、腰嚢に詰めていた応急処置用の細胞活性湿布を貼り付ける。
『
――このくらいなら治るまでも戦える、か。問題は……。
「……ぅ」
苦鳴を漏らしながら立ち上がるティナ・ファルケリアに、ヒビキはらしからぬ険しい目線を向ける。
完全覚醒を果たすなり、距離を取って腰に伸ばした少女の手は、虚しく空を掴む。動揺を露わに目を泳がせた末、得物がヒビキの傍らに転がされている様に、ティナは憎悪も露わに歯噛みする。
「卑劣漢がッ!」
「殺しに来た奴に武器を持たせとく馬鹿が何処にいんだよ。言っとくが、テメエを見捨てて俺だけ逃げても良かったんだぞ」
「貴様ぁ……!」
砕け散るのではと、見る者が余計な心配をしてしまう程キツく歯を噛み締め、灰の目を吊り上げてティナはこちらを睨みつける。
急襲時の流れるような動きに、咄嗟の行動で最善を取れる判断力。そして放った魔術の格。
年齢不相応の高い実力を持っているが言動は直情的。完全な死角を取っていながら対応出来た事から考えるに、恐らく殺気を消す事が不得手なのだろう。
才覚に溢れ、それを幼少期から発揮していた人物にありがちな、超・直情径行型と、ヒビキはこれまでの戦いの教訓から、ティナを無意識に分析する。
――まぁ、俺は殆ど負けと悪戦だからそうなってないだけで、大抵の奴はこうなるんだろなぁ。
「何がおかしい!」
沈黙をどう捉えたのか、ティナは今にも食らいつかんとばかりに敵意を放出し、足は好機を伺っているのか小刻みに動く。
ただ、負傷はあれど五体満足で武器も十全のヒビキに、丸腰では勝算が低いと戦士の思考回路が際どい所で働いているのか、実行には移さない。
「何で俺を殺しにかかった? 態々こんなクソ面倒な場所まで追いかけてなんて、よっぽどの事がないと……」
「貴様が父を殺した! 仇を取る為に、私はここに来た!」
「俺はお前をユカリの話でしか知らないし、アイツとお前が一緒にいた時はヒルベリアで死んでたけど?」
「アークス国内で人形と称される機構を持つのは貴様だけだろう!」
「……それ知ってんのか」
襲撃理由を補強してしまう情報を、相手が知っていた現実に、ヒビキは思わず天を仰ぐ。
指摘通り『魔血人形』の機能を保有しているのは彼だけで、以降に計画された強化兵士の計画はおよそ人形とかけ離れた代物、とは元四天王の弁だ。
ハルク・ファルケリアが今わの際に残した言葉は、恐らく「人形にやられた」の類。単語と、彼を殺害出来る力量を持った物体を紐づけて思考すれば、『魔血人形』とその完成体ヒビキ・セラリフに辿り着くことは、熱意と根気次第で可能だろう。
この場でどれだけ言葉を重ねても、互いの主張は変わらず、望む結論に繋がらない苛立ちは暴力のやり取りへ捻じ曲がる危険を秘めている。
「どこに行くつもりだ!? 話はまだ終わっていないぞ」
喧しい叫びを無視して、ヒビキは転がしていたティナの武器を左腰に捻じ込み、彼女に背を向けて歩き出す。
――一応言ったけど、ユカリなら探しに来ちまいそうだしな。……急がねぇと。
二度の戦闘で、ラフェイアは全力を出していない。
嘗ての敗北から、本気を出すのはあくまでシグナ・シンギュラリティの遺物を手にして絶対に勝てる状況になってからと、ルールを定めているのだろう。
真髄を見ていない状態では、何もラフェイアの対策が取れない。その状況でシグナの遺物で強化されてしまえば、勝敗の天秤は極めて分かりやすい傾きを示す。
先を越されるなどあってはならず、回避には早期の再合流が必須となる。
――落ちてきたんだから……上に行けば何とかなる、か?
「待て! 話はまだ終わっていない!」
「話してる暇がない。……まあ、どうしてもってなら付いてきても構わねぇぞ? 道中で話をしてやるよ」
切れ長の瞳が憤怒の光を灯し、ティナの感情が大爆発寸前まで振り切れるが、無論これはヒビキも予想していた。
負傷に加え、道理な話で探索環境は悪化している。それなり以上の実力を持つティナが同行者となれば、一人で進むより格段に危険や到達までの時間が減じる。
リスク以上にリターンが大きい提案だが、当然ティナにとっては承服出来る代物ではない。それもヒビキは織り込み済みだ。
「誰が貴様なんかと……」
「そうか、そりゃ残念だ。じゃ、これ貰ってくわ。後この荷物もな」
「なぁ!?」
当然の反応を見せるティナに、ヒビキは努めて小悪党の風情を漂わせながら彼女との距離を離していく。
「どれだけ実力があろうと、丸腰で補給もないんじゃ、脱出なんざ出来やしないだろ。ティナ・ファルケリアは、この飛行島で誰にも看取られず死んでいく。あぁなんという事でしょうってオチだな。ま、望むなら止めねぇけど」
「……待て!」
柄にもない小物染みた大笑を響かせ、軽い足取りで往くヒビキの背にティナの叫びが届く。
整った顔を屈辱で赤く染め、視線を努めて逸らしながら、何度も深く呼吸をする彼女の様に、ヒビキは内心で快哉を上げる。
目的を果たした上で死ぬ事に対して、ティナがあまり恐れていない事はここまで来た事実で察せられる。
何の意味もない死に対して、人並みの忌避を彼女が抱いている可能性に賭けた仕掛けは、見事に嵌ったようだ。喜びを抑え込みながら、絞り出される言葉にヒビキは耳を傾ける。
「……途中まで、途中までだからな!」
「分かってるよそんなこた。ともかく、一緒に行くなら武器は返す」
本来の形式とはかけ離れてはいるが、一応承諾の意思を示したティナが、憤然とした様で接近してくる。
約束を履行すべくヒビキはティナの武器を掲げて向き直り、彼女の手がそれに届きそうになった時、何の予備動作もなく飛び、爆裂の中から正確にティナの右腕を踏み付けた。
苦悶の表情を浮かべる少女の腕を掴み、一気に地面に組み伏せる。
「予想してないと思ったか?」
「……私の負けだ」
白旗を掲げる言葉を、鼻で笑って返す。
「欠片も思ってねぇだろ、それ。ま、俺を殺したいならそれは構わねぇよ。次は抜くかもしれないけどさ」
闘争心の発露を微塵も感じさせない声が、警告に真実味を持たせ、ティナの瞳に波紋が広がる。至近距離で展開される感情の揺らぎに意識を一切向けず、ヒビキは彼女を解放して武器を置き、向かうべき場所に向け歩き出す。。
背後からの奇襲という危険は、相手の誤解が残る限り存在している。ただ、今は時間が惜しい。
彼が止まろうと事態は、ラフェイアの動きは止まらない。不安を完璧に拭えるのを待つのでは遅すぎる。
――後はくじ引きだ。何処まで俺が運を引けるか、それだけだ。
探索で最も大切な要素を何度も復唱しながら、敵意満載の少女を同行者にヒビキは上層を目指す。
この島に眠るシグナの遺産を抑える為、それを成してようやく見える、帰還した後を得る為に。
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