9 分断

 ユカリが属する集団の探索は剣と魔術が飛び交う頻度は、二人の側と比して圧倒的に少なく、それなりの平穏を保って行軍は進行していた。

 あくまでそれなりで、この瞬間展開されているような乱戦も起こりうるのだが。


「……!」


 巨体を更に膨張させた賀上頼三が、彼が『鬼ヶ島』と呼ぶ巨斧を振るう。平均的な成人男性四人分の重量を持つ斧は、空気を裂いて半円を描き獲物に命中。地上では絶滅した草食地竜『パノドニア』が持つ鉄で構成された背部装甲を砕き割って地面に刺さる。

 細切れ肉と鉄屑を巻き添えに突き刺さった巨斧の先端に影。黒に限りなく近い濃紺を纏う少女、加藤千歳が黒髪と顎巻を揺らしながら跳躍。

「仲間に当てるな」

「言われなくとも!」

 空中で器用に体勢を変え、両の手に持つ彼女の頭部程もある『シノビ・ソース』。祖国で『手裏剣』と称される多刃投擲具を解放。

 飛行式回転鋸と化した手裏剣は、パノドニアの強みを踏み躙りながら階層を駆け抜け、地竜の肉を耕して命を次々と刈り取っていく。

「後は……」

「残り一頭が問題だ」

 着地した千歳に被せる形で老戦士の短い声が飛び、巨斧が紡ぎ出した『鉄射槍ピアース』、後方から『放仙火バルサスト』の小さな火球が別の気配に殺到する。

 『牽火球フィレット』より威力を抑えた代わりに、一度に放つ量を増加させて敵を封殺する魔術でも、二十人以上が同時に放てば生物の殺害に足る威力を持つ。

 極めて合理的な組み立ては、しかし敵の敏速な動きの前に回避され、くすんだ茶の塊は無粋な攻撃を放った者達へ猛然と突進。

「……アイブルガか」

 老戦士が零した名前に応じるように塊が脚を止め、獅子と狼の放つ物をかき混ぜた咆哮を響かせる。

 極端に頭部が低く異様に肥大化した後肢部分が高い、横から見ると二等辺三角形の姿勢をした身体に生え揃う体毛は、『鉄射槍ピアース』が掠めても傷一つない硬度を持ち、尻尾は安定性確保の為か一直線に鋭く伸びている。

 鳴き声から伺える生物の影がちらつく頭部は口腔に並ぶ、生物を害する事に特化し摂食効率を捨てた牙の存在で、それらと全く別種の生物であると誇示していた。

 敏捷な動きと攻撃的な気性、回避不可能な魔術を持つ御伽噺の住民、『鋼峰獣』ゲイボルグと分類上同種であるアイブルガの対処法を、現代の人類は持ち合わせていない。

 不用意にしなければ、まず攻撃を仕掛けてこない草食地竜すら集団で突撃してきた要因の獣は、熟練者揃いの一行をも翻弄していた。

「厳しい、ですね」

「お前の手裏剣で捕捉不可能な以上、蓮華を欠いた我らが危険を犯さず攻撃を当てる術は絞られる」

 鬼ヶ島を盾に、四肢と牙による曲芸染みた猛攻を捌きながらの、頼三の分析は当たっている。この瞬間にも、団員が仕掛ける射撃や魔術の類を、アイブルガは空中での巧みな姿勢変化で回避している。

 活かせないなら、本来ある筈の秀でた点は存在しないも同然。力量を鑑みればすぐに殺される事はないが、野性相手に長期戦を仕掛ければ十中八九敗北する。

 更なる手裏剣を作り出した千歳と、眼前から飛ぶ喧しい鳴き声と金属音、飛散する敵の唾液、それら全てに意識を向けていた頼三は、獣の背後から迫る気配に気付き口元を緩める。


「話し合いはその為か」


 負傷の危険を厭わず老戦士が前進。完全にペースを掴んでいた中、予想外の反撃を受けたアイブルガは明らかに動揺を見せていたが、体毛を少々散らすだけの負傷に留め、鋭利な爪で頼三の脇腹を裂いた。

 血を浴びながら、獣は軽侮を内包した唸り声を上げる。が、弾かれたように上方に視線を向ける。

 視線の先には、毒々しい肉の翼を広げた少女が、美しい剣を投げ捨てる光景があった。

「せぇい!」

 落下中にヒト型へ転じたルーゲルダは一気に加速し、何度も回転しながらアイブルガとの距離を詰め、そして動かれる前に仕掛けた。

 巨斧の一撃を上回る踵落としが階層全体に激震を齎し、亀裂を通り越して下層へ繋がる大穴を床に刻み込む。

 辛うじて一撃を回避した獣だったが、動揺と連続して届くルーゲルダの拳打と上からの『希灰超壁』による殴打を受けて動きに綻びが生じ、千歳の手裏剣が額に刺さって鮮血を散らす。

 硬質な体毛と皮膚で刃を食い止め、死を免れた事実で生まれたどよめきを他所に、獣は一度後退して仕切り直しを選ぶ。

 賢明な選択だったが、完全に意識の外に居た存在が放つ榴弾が直撃。背部が炎上し痛みで悶えるアイブルガの真正面に、一つの影。

 気配を消し、ここまで好機を伺っていたフリーダが獣の口を左手のみで強引に閉ざす。味方への被害を一切考慮せず続く攻撃を前に、打つ手が消えた敵を見据え、小さく息を吸う。


 引き絞られた右の拳が、手裏剣へ叩き込まれた。


 停止していた多刃投擲具は、獣の頭蓋骨を粉砕する嫌な音を発し、丁度脳が配された場所を蹂躙して頭部を通り抜け、ルーゲルダが作った大穴に吸い込まれて消えていく。

 粗野だが練られていた機動を制御していた脳漿が、汚物に転生して地面を汚す中、一行と数時間の戦いを繰り広げたアイブルガの肉体は何度も痙攣を繰り返した後、蝋燭の火が消えるように忽然と命の気配が失せた。

「終わったな」

「隠れていた挙句、手柄だけ掠める真似をして申し訳ありません」

「集団戦闘では誰がトドメを刺そうと関係ない。勝敗、損益は全員の物だ」

 『氷舞士』からと同じ指摘を受けたフリーダは苦笑を浮かべ――

「よっと」

「ありがとう。上手く行って良かった」

 魔力の枯渇で落ちてきたユカリを受け止めて地面に降ろす。

 生物の解剖等を担当する団員、ノボリ・ナカバネが意気揚々と遺骸にメスを走らせる様を見ながら、長時間の滞空で生じる身体の痛みを誤魔化すように腕を回したユカリに、横から小さな杯が差し出される。

 戦闘時の勢いと自信が霧散した風情の千歳に礼を言って、杯を受け取って口に含む。

「……これは、一体、何?」

「ど、毒じゃありませんよ! これは団長さんの家に代々伝わるお茶で疲労回復とか滋養強壮に効くので私達皆飲んでいて……」

「チトセちゃん、そんなに早口だと分かんないですよ」

 既成概念を破壊する味に、顔を土気色に変えたユカリに対し、両手を顔の前で忙しなく動かして説明を始めた千歳は、ルーゲルダの正論に肩を落とす。

「うぅ……」

「ちょっと慣れない味だっただけだよ。大丈夫、もう飲めるから」

 戦場を駆け巡り、華麗かつ残酷な戦いを披露していたと思えぬ縮こまった姿に、どうフォローすべきか困惑するユカリの背後から、上気した声が飛ぶ。

「頼三さん、見てくださいこれ!」

「血晶石ではないのか」

「似てるけど違います。血晶石よりも遥かに――」

 何やら専門的なやり取りが一定時間繰り広げられた後、件の石がユカリ達にも手渡される。

「どう分配するかはともかく、戦利品は全員確認するのが決まりなので……」

 蚊の鳴くような千歳の補足を受けながら、回ってきた片手に載る程度の球体をユカリは手に取って見つめる。

「ほんとだ、全然血晶石じゃないね」

「宝石の類でもありませんね。ああでもちゃんと魔力を保有しているから――」

「……さっぱり分からないね」

「……ね」

 本職のライラと、知識と経験が豊富なルーゲルダは何やら盛り上がっているが、完全な素人のフリーダとユカリは二人に付いていけず、顔を見合わせて互いに苦笑する。

 二人のやり取りを背景音に、ユカリは再度球体をじっと見つめる。翡翠色をしたそれは、獣の体内に在ったと思えぬ美しさを持っているが、その事実が逆に少量の不安を抱かせる。

 この系統で頂点に立つゲイボルグは魔術を使用するが、アイブルガはそれが不可能。話を聞くに、魔力回路を有していない為だそうだが、では何故、魔力を保持した物体が欠損なき状態であったのか。

「……今、石が光らなかった?」

「いや、僕には見えなかったよ」

 問うている間にも、ユカリの目には眼前の球体が何度も瞬き、その度にめまぐるしく色を変える光景が映る。


 目がおかしくなったのか。


 真っ当な着地をしようとした時、不意に自分がこれと似た物を目撃した事実が浮上する。

 ――これは、カロンさんの……!

 認識した刹那、ユカリの視界が暗転する。


          ◆


「……っつぅ」

 最初に感じたのは鈍痛だった。

 次いで、全身を噛み千切るような猛烈な寒さに襲われ、覚醒を拒む身体を叱咤してユカリは目を開き、眼前の風景に目を見開く。

 意識を手放す前、彼女が立っていた場所と共通するのは、視界の殆どが白で構成されている点だ。しかし、上に映るのは何処までも広がる空の蒼。周囲を見渡しても、壁や共に潜行していた者の姿は何処にもない。

「……みんな、何処に行ったの?」

 答えのない問いを零す彼女の眼前で、白が爆発した。

 舞い上がった白を身体が浴び、正体が雲の上で積もる筈がない雪と気付き、異常極まる状況下に放り込まれて愕然とするユカリの隣に、爆発からヒトが飛び出す。

 細く白い両手には、七四二ミリメクトルの刀身を持つスピカより僅かに短い片刃の剣と竜の牙を想起させる獰猛な両刃剣が握られ、活力を誇示するように爛々と輝いているが、続いて見えた持ち主の惨状にユカリは息を呑む。

 極寒の環境に著しく不適切な露出をした左脚の太腿の肉が削げ落ち、腹部に走る亀裂から内臓が中途半端に溢れ、冷気に晒されて凍結。

 全身の各所に霜が降り、いつ落命してもおかしくない存在は、しかし笑みを浮かべていた。

「異邦人、否、嘗て対峙した者の中で貴様が最上だ。故に惜しい、シグナ・シンギュラリティ」

「敵対者に敬意を払えるなら、まだ余力十分か。『エトランゼ』の頂点に立つだけのことはある」


 ――シグナ・シンギュラリティ……


 会話や書物で、幾度か名前を聞いた二千年前の存在が立つ。

 至近距離にいながら意に介されないのは、これがあくまで回想だからと、ユカリが納得に至ると同時に、シグナの周囲を覆っていた紗幕が失せる。

 疲弊と負傷が色濃く表出し、敗北が必定の状況下で、紅茶色の髪と真紅のマフラーがはたき蜂蜜色の目に意志の光。

 世界を知らぬ乙女の純粋さと、歴戦の戦士が持つ精悍さを併せ持った顔に、確たる意思を宿したシグナは、身体を軋ませながら右腕の剣を掲げる。

「デウ・デナ・アソストルにサータイ山脈、貴方の逸話が残る場所を洗って数年。ようやく決着を付けられるな、アルベティート」

「一つ問う。お前の世界とこの世界を繋ぐ門を塞ぐべくカロンに召喚され、自身が戻れなくなる事を承知で閉じた。我等を打倒した先を望む必要はないだろう」


 二つの世界を繋ぐ門があり、それは閉じられるが、成した者は帰還が叶わない。


 真偽を判別する術はないが、これはあくまで過去の映像だ。アルベティートが嘘を吐く必要は無い筈だ。

 苦笑を浮かべたシグナが継いだ言葉で、ユカリのそのような推測は肯定される。

「カロンに聞いた時から覚悟はしている。この世界は常に他の世界と繋がり、時折悲劇を齎していると。貴方達『エトランゼ』を打倒して力を吸収すれば、私の世界以外と繋がる門を閉ざせるとも、な」

 情報の濁流に襲われ、混乱が収まらぬユカリを他所に、両者のやり取りは淡々と続いていく。

「可能性で命を捨てるか。仮に成し遂げても、誰も称えはしないぞ」

「肯定される為に生きた覚えはない。私は私が行くと決めた道を歩む。誰かが安寧を失う可能性を摘めるなら『分かち断つシグナシグナ・ザ・ディバインエッジ』が戦う理由に十分足りる」

「愚かと評された事はあるか?」

「敵、家族、友。全てから」

 簡潔極まるシグナの返答に、未だ姿を隠したままのアルベティートは、絶対に危害が及ばないと分かっているユカリにすら、恐怖を抱かせる厖大な圧を発しながら身体を揺さぶって笑う。

「ならば会話に意味はない。この『白銀龍』アルベティート、シグナ・シンギュラリティを打倒するまでだ」

 呼応して各所の凍結が広がり始め、生命の火が消えゆく状況でシグナは踏み出し、二本の剣を交差して構える。

 問答無用で弱者に括られるユカリすら、両者の余力差から勝敗の予測は容易。戦うことは無謀と形容する他なく、歴史に残る事実から逆算すると、彼女の予測は肯定される。

 シグナ・シンギュラリティなる女性の力を鑑みれば、未来は見えている筈。それでも戦うのは、彼女の愚かさか、はたまた高潔さの証明だったのか。


 傍観者が結論を見出す事を待たずに世界は動く。


「行くぞ」

「来るが良い」

 勝利を確信しきった声で白が吹き飛び、白銀龍の全貌が露わとなる。

 これまで目撃したどの竜にも無い、神々しさと残酷さを併せ持った姿に、ユカリの全身が総毛立ち、疾走するシグナの肉体を蝕む凍結が加速する。 

 完全に侵された肉が脚から剥がれ落ち、激痛と対峙する相手の異様過ぎる力を受け顔が歪んだのは一瞬。

 瞳に何らかの感情を滾らせて、シグナは雷撃の如き速度に到達。

 不可視の速度で二刃が振るわれ、呼応した白銀龍の口蓋から白光が放たれ、世界は再び白に覆い尽くされる。

 狂った量の魔力の津波に押し流され、意識が遠ざかるユカリの耳に声。

 ――これが真実。そして、貴女に求められるもの。

 囁きの意味を解するより先に、再度ユカリの視界が暗転した。


              ◆


「――さん、ユカリさん?」

「……!」

 声に反応し、弾かれたように身体が跳ねる。

 周囲を見渡すと、先刻と同じ構図で友人達が立ち、千歳が不安そうな視線を向けていた。

「ごめん、私はどのくらいぼーっとしてた?」

「……え?」


 問いかけの意味が分からない。


 そんな風情で首を捻る千歳と、暗転する前と変わらない友人達を見て、時間的経過が殆どなかったと気付き、ユカリは謝罪して展開されていた映像の意味を思考する。

 ――場所は……多分島の最上部。『エトランゼ』の頂点と戦っていたのは、伝説上の存在シグナ・シンギュラリティ。実在していたなら、持っていた武器や数々の逸話も本当ってことになる。

 潜入を計画した男が抱く望み。

 それを叶える可能性に含まれてはいたが、出発点が怪しかった為に切り捨てられた話が、急激に選択肢として浮上した事でユカリの顔は歪む。

 ――これは蓮華さんに直接聞かないとどうしようもない。それに……。

 球体が放つ光と、現実に意識を引き戻される前に聞いた声の持ち主は、シグナと白銀龍のやり取りで登場した存在と一致する。


 『船頭』カロン・ベルセプト。


 自身だけでなく、彼女は何らかの意図を以て「世界を繋ぐ門を閉ざす」為に異なる世界の存在を呼び寄せていた。

 シグナを含め、呼び寄せられた者達と同じ役割、常識的に考えれば世界を繋ぐ門を閉ざす事が求められている。

 繋げると、カロンが接触を図ってこない点が大きな懸念になる。相手が来ないならこちらから動く事が必要となり、帰還後にやるべきはこれだろう。

「駄目、分からない! 何なのさこれ!」

「機材も無いから仕方ありません。先に進みましょうか」

 何も掴めなかったのか、ライラは髪を掻きむしりながら叫び、ユカリの思考は中断し現実に戻る。取り乱す彼女をルーゲルダが宥める様子を見て、フリーダが頼三に出発して構わないと告げた。

 進行を再開した一行は広大な空間を抜け、薄暗く狭い通路を延々と歩む。

 名に用いられる昆虫の発光と同じ原理で光を灯す魔術『蛍冷火』による、光量の絞られた灯りとルーゲルダの魔力察知、団員達の感覚器官強化を頼りに進む途中、何度も分かれ道と対面し、全ての分岐を虱潰しに調査する、神経をすり減らす時間が続く。

 会話の頻度も減少するが、時折入る休息時間に年齢が近い千歳に何度も会話を試み、この団の成り立ちについて問うてみる。

「……し、知っても何にも使えませんよ?」

「いや、変な事に使ったりしないからね?」

 発条の如く身体を跳ねさせる、飛び抜けて強い警戒心をどうにか解して忍者少女から引き出した話の内、始まりの部分については蓮華自身が語った内容と一致を見た。

 豪商の息子という、何もせずともアメイアント大陸で生きられた立ち位置の蓮華が、ある望みを持って同類を集め組織したのが『水無月怪戦団』で、アメイアント大陸について調べ尽くした頃、前々から目を付けていた『飛行島』を捕捉し今に至る。

 では、千歳はどうやって団に合流したのか。蓮華がここで得ようとする物は何なのか。

 この二つについて、千歳は頑なに答える事を拒み、それは何度も、同じ疑問を抱くフリーダ達が問うても変わらなかった。


 後者について、図らずもすぐ答えが提示される事となった。それも、最悪の形で。


 狭い迷路を抜け、不意に空間が開ける。

 目に飛び込んできた光景に、一行は揃って怪訝な表情を浮かべるが、それも無理はない。

「ここは……公園か何かでしょうかね?」

「島にそのような物を作る合理性はない」

「ライゾウさん、分かりますけど私に言われても困りますよ」

 年長者の言葉と疑問とは、見る者全員が等しく共有していた。

 先へ進む通路と思しき無数の穴が壁に開かれた、素っ気ないコンクリの広場で最初に映る物は、塗装は殆ど剥げて柱の一部が崩壊しているが、確かに児童が利用する滑り台だった。

 滑り台が中心に配され、囲む形でブランコやシーソー、大人も登る事が可能なジャングルジムに、機能停止した噴水や虫が集る花壇。

 生物の骨格標本と錯覚する荒廃を晒しているが、ここが公園に類する役割を与えられていた可能性は高い。空飛ぶ島にそのような役割を持つ空間が必要かという疑問も浮かぶが、そこは些事だろう。

「どうします? ちょいと遊んでみますか?」

「目的に合致しないだろう。通り抜けるぞ」

 極めて合理的な決が出され、再度集団は動き出す。それに倣うユカリは、視界の端に鮮やかな色を捉え、そちらに視線を向ける。

「……?」

 真っ赤な花弁を持つ、一輪の花が揺れていた。

 種類の判別等は出来ないが、灰と錆鉄に塗れた空間に一輪だけ咲くその花は、本来なら張り詰めた精神を癒す清涼剤になり得ただろう。

 島の何処かにいる厄介な敵が持つ、力の行使で咲く花と眼前に映る物。両者が完全な一致を見せていなければ、の話だが。

「――は」

「はい、馬鹿二人の命ゲット~」

 警告を発する前に、自分以外の全方位を舐め切った軽い声と共に、花弁が槍に形状を変え、一番近くにいた二人の胸部を貫いた。

 即応した者が武器を構えて突進するも、死体から噴出する葉の盾に防がれ、展開された緑の竜巻に吹き飛ばされ地に伏せる。

「ラフェイア……!」

「おっ久しぶりでーすって、あのムカつく海賊馬鹿とカラクリ野郎は?」

「別行動だ」

「あ~らざ~んね~ん。……ま、やる事やってから再開した方が、片っぽのブッサイクな面を拝めるからいっか」

 仲間の暴発を手で制し、問いかける頼三の顔に緊張が満ちる。対照的に、ラフェイアは初めて対峙した時と同じ軽薄な笑み。絶対に負けないとう自信から来る余裕だろうが、恐らくその分析は当たっている。

 集団の最大火力を持つ二人の攻撃を当てても死なず、また前回と違いを出せる程の情報を得られていない今、この場でのラフェイア殺害は困難で、死なずに生き延びる事が最大の目標となる。

 放出される厖大な魔力と、会話を行いながら蔦で死体を弄ぶ精神性を鑑みれば、目標達成の為に逃げる事が正解だろうが、今逃げてまた激突する事実が確定している現実がユカリの足を地に縫い止める。

 機嫌を損ねれば、認識するよりも速く大嶺ゆかりは死ぬ。

 重い現実を無意識に反芻し、乾ききった喉から声を絞り出す。

「……ラフェイアさんは」

「あ?」

「何故この島に来たんですか? あなたの力なら……」

「純情気取ったクソ×××××しか垂れ流せないんなら口を縫い合わせな。分かってんのに、相手に態々聞いて確証を得る。最低の×××××行為だろそれ」

「僕たちは生憎、あなたのように無駄な年月を生きていないし、自己完結して突っ走れるほど賢くもないので。答え合わせを望むのは当然でしょう」

 慇懃無礼が極まるフリーダの態度に、植物女の顔が喜劇的と言えるほど露骨に歪む。殺意と循環する魔力の速度上昇を感じ取り、それに対応すべく警戒度合いを一行が引き上げる。

 暴発とそれによって引き起こされる命のやり取りを危惧する空間で、先に緊張を解いたのはラフェイアだった。

 肩を竦めて蔦や葉を体内に取り込む、即ち臨戦態勢の解除を目撃して拍子抜けする一行を睥睨しながら、植物女は口を開く。

「あの海賊気取りと同じだ。アタシはシグナの力を求めてここに来たんだよ。……欠落などない、完全な強さを得る為にな!」

 答えとして最低の物が提示され、ユカリ達の頬が引き攣り、蓮華側の人員は皆一様に苦い顔を浮かべる。

「いや、お二人よも何か勘違いしてないですか? 幾ら強大な魔力を有していても、二千年前のご遺体なんて残りません。まだ、この島に眠る古代兵器云々……のが真実味はありますよ」

「七十年ちょいしか生きていない、しかも失敗作が悟った口ってジョークでも笑えないね~」

「……なら、遺体が残っているとでも言うのですか?」

「奴の死に方を考えな。アルベティートにやられた連中は、皆一様に氷漬けだ。この環境なら、死体も武器に籠められていた魔力も残る。アタシの力は……もう分かるだろ?」

「『喰命昇転舞花アヴァ・ターシア』ですか。なるほど、確かにその魔術を恒常発動させている貴女なら可能ですね」

 ルーゲルダとラフェイアのやり取りを、全て咀嚼出来た者は場にいない。

「スケールがデカいのは分かった。……ここで死んでもらえば終わる事もなッ!」


 状況を変えようとする者は、一人だけいたが。


 ユカリ達から見て正面、ラフェイアにとって背後に空いた穴から、ヒビキが常人の理解を拒む速度で姿を現す。

 認識した時、既に人形の少年はラフェイアを射程に捉える位置に滑り込み、左手で柄に手を掛ける。だが物事はいつも理想通り運ばない。スピカが抜かれる直前、怪物の背から蔦が放たれた。

 不味い事に、ヒビキの動ける範囲全てを蔦は潰している。このままでは、先刻の二人と同じ道を辿るだけだ。

「逃げて、ヒビキ君!」

「大丈夫だ、この程度なら」


 硬質な石の地面が爆ぜる。


 全身を極端に傾斜させて蔦を回避し、そこから一気に跳ね上げたヒビキの動きに、強固な床が耐えかねたのだ。

 出鱈目な動きを前に、ユカリ達は唖然とした表情を浮かべるが、ラフェイアもそれは同じだった。

「その程度しか出来ないなら、一度で十分だ」

 半ば投げる形で放たれた蒼の異刃が、ラフェイアの左肩から首元を奔り抜けた。

 緑色の飛沫が舞い、目が未だに動いている頭部が引き千切れて落ちる。

 生死確認に意識を割かず、宙を往くスピカにヒビキは右手を伸ばす。ユカリ達に何度も披露している超高速移動で異刃を掴み、切断面に躊躇なく振り下ろした。

 格納させた骨を易々と砕きながら、スピカの刃はラフェイアの二つの肉塊に転生させて駆け抜け、振り切るなりヒビキは跳ねて後退。後方から放たれ肉体を捉えた『活封射ラズィンガー』を導線に、『奇炎顎インメトン』が肉塊を灰に変える。

「連携成功、ってか」

「そうなるな。アンタも斬ってくれりゃ速いんだが……」

「自惚れんなよバーカ」

 再合流を果たした二人の真横に、骨も残らず消した筈のラフェイアが軽侮に満ちた表情で立っていた。

「いい加減死んでくれねぇか?」

「何も目的を果たしてないのに、死ぬ訳ないじゃん。……ま、今回は挨拶だけにしといたげる。海賊気取りの望みをぶっ壊した上で、お前ら全員、アタシの手で血祭りにしてやるよ!」

 実に小物染みた、しかし余裕に満ちた宣言を残して蔦で全身を覆い、消えていくラフェイアを追撃に動く者はいない。

 建造物の下敷き、細切れや真っ二つからの消し炭。これだけやっても死なない敵の異常さと、嫌な笑顔に忍ばされた、目的を果たした後に確実に殺しに来るという意思を改めて認識し、下手に動けば即座に殺される危険性に、一行の足は無意識の内に竦む。

 重い空気の中で、口を開いたのはヒビキだった。

「レンゲさんよ、アンタがここで狙うのはシグナの遺物。こういう認識で良いのか」

「……そうだ」

 らしからぬ、歯切れの悪い返答で肯定を返され、ヒビキの、そして目的を知らなかった彼の友人達の顔が強張る。

 数々の逸話を残し『エトランゼ』との戦いの果てに散った戦士の遺物を、強者に括られる蓮華が振るえば確かに脅威となり、完全に御せずとも手に入れた事実があれば目的達成に繋がるるだろう。

 求める理由は確かにある。許容できるかはまた別の話だが。

 許容出来ないとした心が四割のヒビキは、一先ずその旨をぶつけ、続けて今後について問おうと口を開く。

「あのさ」

「……どうした、ゆかりちゃん」

 ヒビキの言葉を遮る形で、ユカリが蓮華の前に立つ。


 そして、乾いた音が空間に響いた。


 ユカリが蓮華の頬を打ったと気付いた時、異邦人は憤怒の表情を浮かべて、何もかもが勝る相手に対し食ってかかっていた。

「……そんな不確実な物に、あなたは賭けていたんですか!?」

 ユカリ・オオミネという少女が激怒して、それを他人にぶつけている。

 この世界に彼女が引き摺り込まれて半年以上経過しているが、彼女が他人に攻撃的な感情を向けたのは、神の視点で見て三度。

 最も多く目撃したのがライラの二度で、一度のヒビキがそれに続く。この事実と現状を照らし合わせると、今のユカリは誰にも止められそうにない。

 怒りに身を任せてしまえば、蓮華に「正当防衛」を行使される。可能性は低いが確かに在る事象を回避すべくヒビキが制止に入るが、異邦人の少女は止まらない。

「あなたの実力と、団員の皆を率いる人徳は分かりました! それを、こんな滅茶苦茶な事態に向ける必要は無かった筈です! 少なくとも、今まで死んだ三人は死ななかった!」

「落ち着け、ユカリ!」

 力尽くで二人の間に割って入り、肩で息をするユカリを抑えた後、ヒビキは蓮華に向き直り、彼が驚異的なまでに平静を保っている様を目撃し体温が一気に低下。即席で練り上げた取り成しが霧散する。

 短時間、しかし致命的な停滞を晒す彼を他所に、東方人の黒瞳は、同色の目を持つ異邦人に視線を固定して、冷え切った声を紡ぎ始めた。

「ゆかりちゃんはさ、俺が阿呆な道を選んだ人殺しのクソって言いたいんだな。だったら言うぜ。君も、俺と何が違うんだ?」

「アンタ……」

「彼女に好き放題言わせて俺に黙れは通らない。君も元の世界に帰るって世迷言でヒビキやフリーダ、ライラを振り回して、道を塞ぐ奴を殺してここに立っている訳だ」

「私は――」

「違わないね。俺はこの手を汚してでも掴んできたし、今回の事態だって全て責任を負うつもりだ。だから団員も付いてきてくれる。で、君は何をしている?」

 ユカリの目が真円を描き、全員が息を飲む。空気が変わったのを知ってか知らずか、蓮華の淡々とした声は続き、言ってはならない領域まで踏み込んでいく。

「何を踏み躙っても元の世界に戻ると決めた。けど戦闘力は皆無で頭も無く、ヒビキ達任せで役立たず。そんな奴が俺の目標を否定する権利はないと思うんだけどな」


 論戦の域に到底達しない単なる蹂躙が、ここでようやく終わる。


 何処までも内側で完結した男の論理を前に、反論に動くべきヒルベリアの住民も、元四天王の相棒も言葉を失う。

 時間をかけて構築された思考を、この場で湧き上がった感情をぶつけても崩す事は不可能。徹底的に打ちのめされたが、それでも咀嚼が出来なかったのか、ユカリは無言のまま顔を伏せて走っていく。

 蓮華の発する冷え切った空気に圧せられ、誰も彼女を追う事は出来ず、姿が広間に設けられた穴の一つに消えた段階で、ようやく金縛りを解かれたヒビキは小さく舌を打つ。

 男の目的がラフェイアと同一だと、漠然とだが認識していた。ならば、自分が軟着陸を試みる事は出来た筈。だが、蓮華との関係に亀裂を入れ、帰還する手段の喪失を恐れて動かなかった結果、ユカリの暴発を引き起こした。

 防げた筈の失策に苛立ちを覚えながらスピカを納刀し、ヒビキはユカリが消えた穴に視線を固定して口を開く。

「アンタの論理は間違っちゃいない。長年積み上げてきた物を否定されるのは誰だって嫌だし、選択を否定する権利なんざ他人にはねぇよ。……けど、俺やアンタとユカリは違う」

「……」

「本来必要の無かった選択を強いられ、逃げる道も無かったユカリに、あの正論は間違っている。……俺はアンタが嫌いじゃねぇが、今この瞬間だけは心底軽蔑するよ」

 感情が振り切れたせいか、機械染みた光を宿していた蓮華の瞳に、気付きと後悔の色が掠める。

 ヒビキはその変化を確認する前に一行から背を向け、ユカリを追うように駆けていく。ブーツが地面を蹴る硬い音が発信者共々穴に溶けて消え、死した公園に再度沈黙が――

「お前は馬鹿か」

「ってぇ!」

 老戦士の拳が遠慮会釈一切無く放たれ、肉を打つ重い音と、拳を受けた侍が滑稽な回転を伴って地面に倒れる音がそれを破る。

 声には反抗の意思が多少あるものの、己の軽率さを悔やむように、蓮華の纏う空気は重い。

 きちんと説明せずとも、態度や振る舞いで分かってくれる。というのは只の幻想で、理解や信頼は誠意ある説明を尽くしてようやく得られる。

 環境がまるで異なる場所で育った者が相手なら、通常の何倍もの労力と工夫が必須になると、組織を率いる蓮華は当然分かっていた。

 団員達は結成当時から何度も説明を重ね、納得と了解を得ているからこそ、彼にこうして付いてきて、仲間の死を前にしながらも非難はない。だが、それをしていない存在が反発を示すのは真っ当な話だ。

 部下の死で精神が乱れていたなど、何の言い訳にもならない。馬鹿げた選択に顔を歪めた蓮華。嘗て保護者役を担った男が、彼に対して言葉を投げていく。

「特別扱いしろと言うつもりはない。ただ、育った環境や常識が違う相手に、お前の論理をそのままぶつけた事は過ちだ。祖国への帰還も侍の地位回復も望んでいるが、ここで傲慢さを貫こうとするお前を頭目として、の形なら俺は望まない」

「……分かってるよ、そんなこた」

 肩を落としながら蓮華は老戦士に応じ、抜いたままの水彩を納刀。ため息を吐きながら手首を回す。


 幾つになろうとヒトは馬鹿のままで、貫けるかどうかでソイツの価値が決まる。


 語ったのは二千年前の勇者『征竜士』ハンス・ベルリネッタで、彼は相討ちながらギガノテュラスを打倒して価値を不動としてみせたが、自分がそれを振りかざす資格などない事は、蓮華はよく分かっている。

「邪魔する形になってすごーく申し訳ないんですが、とりあえず追いかけましょうよ。感情の整理が必要なのも分かります。でも……チトセちゃんが一人で行っちゃいましたよ」

「千歳がぁ?」

 恐る恐る、の姿勢で割って入ったルーゲルダの白い指先を辿ると、先の二人に追従するように飲まれていく、黒尾の先端が少しだけ見えた。

 血統や能力から、誰にも気づかれず動くことは千歳なら可能。だが、蓮華も含めた団員が知る加藤千歳は、こういった状況で率先して動く性分ではない。


 ――まあ、ヒビキ達と過ごして何か変わったって話なら良いか。


 思考を打ち切って手早く指示を飛ばし、蓮華達は追走に動く。

 だが彼らに、いや先に踏み込んだ三人にとっても最悪の現実が、踏み込むなりすぐ突きつけられる。

「……これは」

「三人はどれに入った? ここから探るのは時間がかかり過ぎるね」

 光量が少なく、肌に感じる温度も少し低く穴を一分弱進行した先に在ったのは、そのまま踏み込める穴が四つと、壁登りか跳躍を行わないと届かない穴が三つ。

 銃声の有無でユカリが魔術を使っていないと判断出来、それによって選択肢は四分の一に絞られる。

 絞られたところで、四つを虱潰しに当たっている余裕は、ラフェイアやその他の生物と対峙する危険によって失われている。先程のように分割して探索に当たる選択も、人数が減じた今は選べない。

「……こういう時、あなた達はどうやって決めてましたか?」

「賽を投げて決めていたよ」


 どうしようもなく不吉な予感を前に、空虚な声が空間に溶けて消えた。


                

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る