お嬢様と王子様
「こんにちは」
「…こんにちは…」
…エディン・ディリエアス公爵家子息とバトったお嬢様が、その父親のディリエアス公爵に見初められご子息の婚約者になる話が持ち上がって三日目。
特に進展もないので、やはり破綻かな〜とほくそ笑む俺の目の前…正確には無表情に立ちすくむお嬢様の眼前にそのお方は現れた。
ウェンディール王国王子、レオハール・クレース・ウェンディール…!
あまりの突然の訪問に屋敷はバタバタと慌ただしく、俺はお嬢様に言われて大急ぎで中庭のテラス席を準備する。
え? え? こんな事ある?
王子が予告なしに現れるとか、そんな事あるの?
俺だけじゃなく使用人一同、奥様も卒倒しそうになる出来事。
…やっぱり普通じゃない!
「本日はどのようなご用件でしょうか」
「うん、謝罪にね」
「はい?」
「僕の誕生会で嫌な役回りをさせてしまっただろう? …それにしてもこの屋敷は太陽の光がたくさん入るんだね。とても気持ちいいよ〜」
あはは〜、と笑いながら回転する王子。
金髪青眼の実に眉目秀麗な美少年が、無邪気に回っている。
なんだ、これ。
え? こいつなにしに来たって?
……従者も一人だけ。
この人本当に本物の王子なのか?
でもお嬢様はなにも言わないしな?
「ヴィンセント、お茶とお菓子を」
「! はい、ただいま!」
王子(仮)を怪しんでいる場合じゃねー!
仕事、仕事…。
でも…。
こっそり。
お茶とお菓子を置いた後、中庭を覗く。
お茶を上品に楽しむ金の髪の美男美女。
10歳の子供であんな空気感…。
「…改めて、今日は君に謝罪に来たんだ。先日はすまなかったね」
「とんでもございませんわ。むしろ殿下がわざわざいらっしゃることでもございませんのに…。まして謝罪など…」
「いや、あれは僕が諌める場だっただろう。それを淑女の君にさせてしまった。申し訳ない」
「…殿下…」
な、なんてまともな王子様だ…⁉︎
お嬢様以外にここまで10歳児離れした10歳児が存在していたとは。
さすが王子…。
王子の名は伊達じゃないのか。
「それはそれとして、それ以外にも君と話してみたくてね」
ス、と王子様が手をあげる。
横に佇む従者が一礼して、俺の方…正しくは屋敷の中へと入ってきた。
ヤベ!
慌ててカーテンの中に隠れる。
…人払い…?
どういうつもりだ?
「僕には妹がいるのだけれど」
「存じ上げておりますわ」
「うん、彼女は僕と違って正妻の子で…十中八九彼女が次期女王となる。父も溺愛しているから、僕に王位を継がせるつもりはないだろう」
「…! …それは…殿下…」
「そうなんだよ、現時点で城の中も外も忙しない。僕は王位に興味がないから、妹がそれに見合うだけの淑女になってくれればと思っている。とは言えエディンを見ていると不安になってね…」
困ったものだ、と深々とした溜息。
…なんか小難しい話してるな。
10歳児だろ? あの二人…。
なんて10歳児離れした話してるんだ。
あれ、政治的な話だろ?
うわー…。
「伯爵家令嬢でありながら、ローナ・リース…君は公爵家子息のエディンを叱りつけた。君を見た時に思ったんだ。君なら権力に屈する事もなく、この国のために正しい道を示してくれるんじゃないかなって」
「…買い被りですわ」
「そうかな? では僕の婚約者になって欲しいと言ったら?」
「それはご命令ですか?」
「いや、例え話さ」
「ならばお断りいたしますわ。まだエディン様との婚約話がどうなるかわかりませんの」
「うんうん、君はきっとそう言うと思ったよ」
…会話が突然終わる。
お茶を飲む二人。
空気は和やかなまま。
「………ローナ…僕の味方になってくれないか」
そしてその沈黙を終わらせたのは王子。
にっこり微笑む王子に、俺の角度からはお嬢様の表情は伺えない。
まあ、いつもの無表情なんだろうけど。
「僕は民を無益な争いに巻き込みたくはないんだ」
「…わたくしになにをお望みなのですか」
「今のところ特になにもして欲しいことはないかな。…ただ、僕には必ず味方でいてくれる人間がいないから…一人くらい味方が欲しいんだ」
「そのような重役をなぜわたくしに?」
「君がエディンに「それでも民を守り、導く次期公爵ですか」と言っただろう? 君は民を思い遣ることの出来る人なのだと思った。権力や欲にまみれた者たちとは違う。それは君のこれまで成した業績を見ても分かる。きっと君は…成長しても根幹は揺るがないだろう。そういう人間に味方でいて欲しいんだよ、僕は」
…驚いた。
あの歳でお嬢様の事をあそこまで理解しているなんて。
王子、スゲェ。
………ああいう奴になら、お嬢様を嫁にやっても、まあ…いいか?
あ、でもお嬢様が王子の嫁になったら王子妃か!
お城に上がることになるから俺、付いていけないかも⁉︎
それは嫌だ!
「…人は変わりますわ」
「そうだね。僕が誤った道に進みそうになったら君が止めてくれ」
「………わたくしを過大評価しすぎです」
「そうかもしれない。そうじゃないかもしれない」
「…………。わかりましたわ。わたくしは殿下の味方になります」
「ありがとう」
あのお嬢様を、説き伏せた。
「………………………」
こっそりとその場を離れる。
さっきの会話、お嬢様を味方に付けてあの王子はなにがしたいんた?
今のところなにもして欲しいことはないとか言っていたけど…。
レオハール…王子。
……………やっぱり聞き覚えがある。
それもかなり前。
どこだったっけな〜…?
レオハール、レオハール、レオハール…。
『ーーー僕は王位に興味はないんだ〜。だから、僕に何か期待しても無駄だよ』
…金髪青眼の眉目秀麗なちゃらんぽらん王子…。
そうだ…思い出した。
乙女ゲームだ。
前世、妹に借りた乙女ゲーム!
確か、舞台は『ウェンディール』王国…。
メイン攻略キャラクターはレオハール・クレース・ウェンディール、エディン・ディリエアス、ケリー・リース……ヴィンセント・セレナード…。
ん?
ヴィンセント…セレ、え?
「……………え…?」
「あ、こんなところにいたのかヴィンセント! もう探したよ〜。…王子殿下が訪ねてこられてあちこちてんてこ舞いなんだから…あれ? どうしたの?」
「…ローエンスさん、ちょっとデータをまとめたいので一度部屋に戻っていいですか」
「あ、うん」
素早く、優雅に!
そして、一目散に!
使用人用の屋敷に戻り、二階の俺の部屋に飛び込む。
ノート!
ペン!
落ち着け、落ち着け、落ち着け!
落ち着いて思い出せ!
ーーー乙女ゲーム『フィリシティ・カラー』。
現代日本のごく普通の女子高生…ヒロインがある日、不思議な光に包まれ異世界『ウェンディール王国』に戦巫女として召喚されるという題名とはかけ離れた結構シビアなタイプのファンタジー作品。
500年に一度行われる大陸の支配権を掛けた、『ウェンディール王国』を含めた5ヶ国の代表5名による代理戦争。
ヒロインは『ウェンディール王国』国王に、その戦争を優勝に導けば元の世界に帰すと言われる。
しかしごく普通の女子高生でしかないヒロインは戦うことに難色を示す。
国王はヒロインに国の秘宝『魔宝石』を授けた。
膨大な魔力を孕んだその『魔宝石』を使い、ヒロインは治癒の力を手に入れる。
そしてヒロインは『ウェンディール王国』で最も魔力適性が高い四人の男性を従者とし、彼らに『魔宝石』の魔力を注ぐことで彼らに『魔法』を使わせることができるようになる。
その四人の男性こそメイン攻略対象。
王子レオハール・クレース・ウェンディール。
公爵家子息、エディン・ディリエアス。
伯爵家子息、ケリー・リース。
そして、ケリーの執事…ヴィンセント・セレナード。
攻略対象は彼ら以外にも敵国の代表者などがいるが…そこは割愛する。
それよりも、それよりもだ!
敵国の攻略対象より、ウェンディール王国のメイン攻略対象キャラクターには攻略の妨げとなるライバルキャラクターが登場する。
レオハールの妹姫マリアンヌ・クレース・ウェンディールと…………ローナ、リース伯爵令嬢…。
そうだ、どこかで聞いたことがある名前だと思っていたんだ。
お嬢様の名前も、俺の名前も、王子も公爵家のクソガキも!
俺が前世でただ一度だけ妹に借りてプレイした乙女ゲーム!
え? じゃあ、俺は乙女ゲームの世界に転生したのか?
そんな事あるのーー⁉︎⁉︎
……………頭を抱えたまま自分で書き出した内容を眺める。
ぼんやりとしていた前世の記憶の中でもそこそこ古い部類のそれに、よくぞ思い出したと自分を褒めたいくらいだが…。
「…れ、冷静になろう、一度」
深呼吸を繰り返す。
よし、改めて頭の中のごちゃごちゃを整理しよう。
もしかしたら偶然の一致かもしれないし、なにより前世の記憶ってやつも俺の妄想かもしれない。
…それにしてはかなりはっきり覚えてるけど…。
『フィリシティ・カラー』…攻略サイトは死ぬほど巡ったが実際のプレイは一周しかしていない。
しかもノーマルエンディングオチ。
それは俺が攻略したかった対象が野郎ではなくライバル悪役令嬢…と言われていた…ローナ・リースというキャラだったからだ。
ローナ・リース…うん…。
お 嬢 様 じゃ ねーーーっか ! ! !
伯爵令嬢ローナ・リース → 一致!
王子の名前がレオハール → 一致!
国の名前はウェンディール → 一致!
公爵家子息エディン・ディリエアス → 一致!
ライバル悪役令嬢と王子の容姿 → まだ子供だが確実に髪の色や瞳の色は同じ‼︎
なにより、俺の名前…ヴィンセント・セレナードも攻略対象キャラクターと…一致…。
「……………俺、攻略対象キャラなの…?」
確かヴィンセント・セレナードは伯爵家…ケリー・リースの執事として登場していたような…。
そしてケリーには義理の姉がいる。
それこそがローナ・リース伯爵令嬢。
ライバル悪役令嬢で、俺が一目で気に入り彼女目的で畑違いの乙女ゲームをプレイした。
しかし攻略サイトを巡れども巡れども彼女はーーー
レオハールルート…エディンと結婚し、生涯夫の女癖の悪さに心を痛め続ける。
エディンルート…エディンの婚約者だったローナはヒロインがエディンと心を通わせた事を知ると崖から落ちて自殺。
ケリールート…義弟がヒロインと心を通わせたと知ると毒を飲んで自殺。
ヴィンセントルート…エディンと結婚し、生涯夫の女癖の悪さに心を痛め続ける。
敵国キャラルート…不明。恐らくエディンと結婚し、以下略。
「バッドエンディングしかない‼︎‼︎⁉︎」
なんで自殺⁉︎
酷くない⁉︎
エディンの野郎の女癖の悪さも大概だが、それにしたってエディンとケリーのルート…ハッピーエンドで自殺って!
…待て、確かバッドエンドでもエディンとケリーのルートはエディンの妻になり女癖の悪さに悩まされながらも義弟の支援を続けるって…攻略サイトで見た気がする…地獄かっ⁉︎
生々しいし酷すぎる!
ハッピーで自殺、バッドで平民になり夫の女癖+義弟の支援で苦労と心労の生涯…。
そ、そんな事って…。
「ふざけるな…!」
お嬢様は確かに愛想笑いすらできない不器用な方だがそんなエンディングを迎えていいはずがない!
そんな事になるなら、俺が彼女を救って幸せにしてみせる!
…ここが本当に乙女ゲーム『フィリシティ・カラー』の世界で、そんな場所に俺が記憶を持って生まれてきたというのなら…。
「…お嬢様、俺が必ず…!」
……………。
だが具体的にどうやって…。
前世、と今まで思っていた古い記憶が本当に前世のものだと仮定して、この国が乙女ゲームの世界に出てくる『ウェンディール』だとして…王子やお嬢様(あと俺も)の年齢を考えるにゲームは始まっていないんじゃないか?
ゲーム内の王子たちの年齢は…17だか18だったはず。
しゃあゲームのシナリオが始まるのは大凡7、8年後…か。
まずはその辺りの不鮮明な部分をはっきりさせて、その頃に代表戦があるかどうかを調べよう。
あるのならーーーここは『フィリシティ・カラー』の世界。
そう、確定とする。
そしてその場合、お嬢様の破滅しかないエンディングを回避するにはーーー。
やはり全てのルートで関わってくるエディン・ディリエアス…奴だ。
ゲーム内の野郎はとにかく女好きでいけ好かないクズ野郎だった。
あんな野郎とお嬢様が結婚するのもあんな野郎のためにお嬢様が命を絶つのも絶対に許さない!
つーか乙女ゲームとしてよくあんなクズ野郎を攻略対象にしたな製作会社。
いや、確か攻略サイトでエディンルートに入ると戦闘経験ゼロのヒロインにフルボッコにされて心を入れ替え努力家にジョブチェンジする…みたいな記述を読んだ気が…。
成る程…フルボッコにして天狗のように伸びきっただらしのない鼻を根元から徹底的に叩き折ればいいのか。
「ふ、ふふふふ…」
そうか、それなら俺がこれからやるべきなのは…奴の鼻を叩き折るだけの知力体力戦闘能力…これを手に入れる事…!
享年25歳、一流大学卒の外資系企業リーマンの実力ナメんなよ…⁉︎
知力はこの世界のことを中心に学び直す。
体力には農作業で自信はある。
戦闘能力…この辺りはローエンスさんに相談して剣なりなんなりを学ばせてもらうか。
クックックッ…首を洗って待ってろよ、エディン・ディリエアス…!
「…あとはケリールートだが…」
お嬢様にはまだ義弟はいない。
…だが、親類縁者から養子を取る話は出ていたな。
それがケリーであるなら…ケリーのルートはどうすれば…。
お嬢様がケリールートで毒を飲んで自害するのは…攻略サイトによれば義弟にヒロインが想いを寄せている事に気付いたお嬢様が、ヒロインにきつく当り散らした結果ヒロインが国を優勝に導いた後ヒロインを虐めていたお嬢様は国王に自殺を言い渡される…。
ええ? いや待て…あの優しいお嬢様が虐めを?
俺の記憶がおかしいのかな?
仕方ない、本当にリース家に来るのがケリーだと決まっているわけでもないし、ケリールートは後回しで考えよう。
「あれ、待てよ? そもそもまだお嬢様とエディンは正式に婚約者になったわけじゃないよな? 婚約者にならなければケリールート以外の問題は解決するんじゃないか?」
おお! それはいいことに気がついたぜ!
ノートを閉じてペンをしまう。
部屋から出て華麗に優雅にお屋敷に戻る。
すでにレオハール王子は帰っていたようで、奇妙な緊張感があったお屋敷はいつもののほほんとした空気に戻っていた。
お嬢様を探すとまだ中庭でぼんやりお茶を飲んでいる。
辺りには誰もいない。
「お嬢様」
「…なに?」
声をかけてから「はっ」とした。
執事見習いとはいえ下男風情がお嬢様の婚約話に口を挟むなんて…。
い、いやいや、これはお嬢様の将来のためだ!
「…その、余計な事と承知の上で申し上げますが…エディン・ディリエアス様とのご婚約は…お辞めになられた方がよろしいのでは」
「わたくしからお断りする段階は過ぎているわよ」
「……………」
そ、そういえばディリエアス邸を訪ねた時に公爵直々に申し入れられて「構いません」と返答していたんだ、このお嬢様は。
くっ、なんて事…!
「…それに殿下にもお願いされてしまったしね…」
「え⁉︎ お嬢様とエディン様のご婚約をですか⁉︎」
「ええ。エディン様の事は殿下も頭の痛い問題だったようなの。わたくしがエディン様の手綱を締める事が出来るのなら、将来の不安が一つ減るそうよ」
よ、余計なことをあのちゃらんぽらん王子〜‼︎
こっちの将来の不安は跳ね上がるっつーの‼︎
「…わたくしにそんな事出来ないと申し上げたのだけれど…」
「そうですよ!」
「……でも、殿下の気持ちも……わからないでもないのよ」
「…え?」
あのちゃらんぽらん王子の、気持ち?
チィーカップがテーブルに乗せられる。
聞き逃しそうなほど小さなため息。
「この国の王子殿下は側室ですらない…言葉は悪いけれど陛下が目を留めただけの下女のお母様からお生まれになられたの。そのお母様も、殿下が生まれてすぐに心労で亡くなられたそうよ。…あの方には…お城で居場所がないのでしょうね…。エディン様は大変無邪気な方で、そんな殿下とも親しくしてらっしゃるのよ。だからこそ、殿下は成長してもエディン様にお側にいて欲しいんだと思うわ」
「…お嬢様…」
……大変無邪気とか…言い得て妙…。
さすがお嬢様…。
……………。…だが…それじゃダメなんだ、お嬢様…。
エディンの野郎は変わらなければ。
お嬢様はお幸せになれない!
「心配してくれてありがとう、ヴィニー」
「!」
「…お茶のお代わりを持ってきてちょうだい」
「…は、はい! ただいま!」
…ローナ・リースお嬢様、10歳。
その三日後、エディン・ディリエアス様と正式にご婚約が決定した。
それは俺の新たなる戦いの幕開けでもあった。
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