巫女殿の悩み事



 従者が二人決まり、ヘンリエッタ嬢を交えて訓練は続けられた。

 最近は魔法の訓練ばかりで去年とは別な意味で地獄のようだが……まあ、それはそれとして。


「従者の枠はあと二人分かー」


 がしがしと頭を掻く。

 ヘンリエッタ嬢も確認してくれているが、巫女殿はどうやら誰とも恋愛イベントらしいイベントを起こしていないらしい。

『斑点熱』は順調に広がりを見せており、うちのお嬢様が特効薬の開発をお城で頑張っているらしいが『今回』は間に合わないだろう。

 なにかもっと簡単な予防策でもあれば良いんだが、今からじゃあ良くて王都周辺だけだろうな。

 亜人たちにとって『斑点熱』が風邪ならば、人間の風邪予防がどの程度通用するのかも良く分からない。

 なんかもっとこう、簡単に予防出来る物とかないのかな……って、んん?


「はあ……」


 ……俺の見間違いでなければ、渡り廊下から見える植え込み前のベンチで溜息を吐いている女生徒……あれは巫女殿ではなかろうか。

 カバンを抱き締めて何やらお疲れ気味に見える。

 まさか、また誰かに絡まれて虐められたんだろうか?

 割とそういうイベントが多いんだよな、こう、助け出されるパターン的に。

 前回とか『祝賀パーティー』で散々脅し……圧を掛けたからさすがにもういないだろうと思っていたけど、まさか?


「そんな事言ってもエメ、マリーちゃんは頑張ってくれてるよ?」


 宙を見上げながら言い聞かせるように呟く巫女殿。

 その唇から出た名前に、思わず顔が笑ってしまった。

 ははははははは……!


「巫女様、休憩中ですか?」

「わあ! ヴィンセントさん!」

「何やらお悩みのようですが、俺で良ければお話をお聞きしますよ?」

「え、えーと……」


 許可を得る前に隣に座る。

 努めて優しい笑顔にはなってるはずなんだが、妙に警戒されてるなぁ、なぜだ。


「……お、怒らず聞いてくれます?」

「え? 俺が怒りそうな内容なんですか?」

「う、うぅん……」


 そんな気はするけど「もちろん怒りませんよ?」と入れておこう。

 つーかなんにしても内容によるよな。


「…………エメが、あ、エメリエラが……マリーちゃんは『ズルしてる』って言うんです」

「はあ? ズル、ですか?」

「はい。具体的な事を教えてって言っても『分からない』って言うから、それじゃどうしょもないじゃないですか? マリーちゃんは和食の勉強もしてくれて、わたしのご飯を毎食用意してくれてるし、わたしが学園に来ている間もお部屋の掃除や洗濯、お城に行ってお料理の勉強もしてるそうです。……それなのにそんな抽象的な理由でマリーちゃんを責められません」

「…………」


 ふむ、これは巫女殿が正しく聞こえる。

 この間のパーティーマナー勉強会でハミュエラから聞いた話や、使用人宿舎の空気感、アンジュとシェイラさんの話……等々総合的に考えてもマリーがなんかやってるのは間違いない気はするんだが……。

 あれだけの事をやらかした人間が、貴族に取り入って、更に城まで足を運んでなにをしているのか、と思えば料理や礼儀見習いだと言う。

 本当にそれだけなのか。

 もちろん今その辺りは探っている最中。

 その中でエメリエラの『ズルしてる』が入ってくると黒が濃厚になるが……目的がまだハッキリしないからなぁ……。


「…………そうですねぇ」


 よし、お金掛かるから少し様子見てたけど決まりだな。

 ニコライに探らせよう。


「分かりました、俺の方で使用人たちに色々聞いてみます」

「え、でも、ヴィンセントさんは忙しいんじゃ……」

「忙しいなりに調べる方法はあるんですよ。色々」


 そう、色々ね。


「…………」

「なんですか?」

「あ、いえ……やっぱりケリー様の身内の方というかなんと言うか……」


 何それどういう意味?

 あんまり良い意味に聞こえなかったんですけど。


「あ、そうだ。ヴィンセントさん、また今度お料理を教えてください」

「はい? ええ、構いませんけど……なんでまた?」

「ありがとうございます! あ、ヴィンセントさんやマリーちゃんにばっかりに作らせるの申し訳ないから、お弁当は自分で作ろうかなって思って……」

「いや、それもメイドの仕事なので……というか本当に……本気で……使用人の仕事を奪おうとするのやめてください」

「え、えぇ……」


 うちのお嬢様もそうなんだけどさー、そういうの困るんだよ本当〜!

 こっちは……つーか俺はお嬢様にご奉仕出来る残り僅かな時間に全力を注ぎたいというのに。


「…………料理か……」

「? どうかしたんですか?」

「あ、いえ、先日『斑点熱』の特効薬についてお嬢様たちが話していたではないですか? 王都付近まで発症が確認されているらしいので、間に合わないだろうなと思いまして……」


 なんとか食い止める手立てはないだろうか。

 俺の、この世界での実母、ユリフィエ様は『斑点熱』に罹り……正気を取り戻してしまうらしい。

『オズワルドルート』ではそれが引き金となり、俺はお嬢様や巫女殿、他にも大勢の人を傷付けて消えるそうだ。

 俺はそんな事絶対しないけどな!

 ……でも、ユリフィエ様の正気が取り戻せるのに……なんだろう………………そんな事になるのなら、ずっとあのままでも良いような——……。


「………………」


 本当にそれで良いんだろうか。

 甘い夢の中で死ぬまで、時間に取り残されてたった一人。

 あの人はそれで幸せなんだろうか。

 ……俺があの人の幸せに関してどうこう言う権利は、ないと思うけど……。

 それに、今更息子面も出来ないだろう。

 うん、無理。

 だから、なんかこのままで良い、ような、気も……しなくないというか……。


「それなんですけど、市民の人たちに石鹸を配ったり出来ないんでしょうか?」

「せっ……石鹸?」

「はい。風邪といえばわたしの世界では手洗いうがいなんです。この学園のトイレ、石鹸は置いてありましたけど……固くて使いづらいし、その、除菌効果とかあるのかなぁ? と思ったり……」

「除菌効果……」


 ……除菌効果……成る程、確かに石鹸……石鹸なら大量生産出来るな?

 俺がスラムで生活してた頃は石鹸なんてついぞお目に掛かれなかったが貴族は別だ。

 石鹸は一応高級品だから。

 それでも前世の世界に比べれば微妙だろう。

 俺は『あるだけマシ』と思ってたけど——!


「……確か……重曹で作っていると聞いた事があるな……」

「あ! わたし小学校の時に自由研究で石鹸作りました! 既製品をゴリゴリ削るのじゃなくて、重曹と米ぬかを使って!」

「米ぬか?」

「はい! けど、台所を洗うのにしか使えないって言われてもう一つ、灰を使う石鹸も教わったんです」

「は、はい?」

「灰です! えーと焚き火した後の灰! わたしの小学校時代の先生にかなり変な人がいて、歴史の授業中に雑学いっぱい教えてくれる人がいたんです。……歴史は発見者によって変わるから、大筋だけ覚えてりゃ良いんだーって言って」


 うわあ、俺が習った歴史が巫女殿の時代に習ってるのとは全然違う恐れ……。

 いや、それは良いとして。


「灰を使えるのは良いですね」

「はい、大昔は灰に落ちた廃油から石鹸を作ったとかで、実際作ってみたんですが一ヶ月くらい掛かって……」

「え、一ヶ月ですか?」


 そんなに待ってたら『斑点熱』が王都まで来る!

 時間的に無理だな。


「ちなみに重曹と米ぬかは……」

「五日くらいで固まりました!」

「あ、では時間的にそちらの方が現実的ですね」

「あ、そうですね」

「作り方を伺っても?」

「はい! あ、ノートに書きますね」

「お願いします」


 良かった、巫女殿が変な事に詳しくて。

 カバンから取り出したノートに、万年筆でスラスラと書いていくレシピ。

 必要なのは水、重曹、米ぬかのみ。

 作り方は大きな鍋の中に水を入れ、火に掛ける。

 沸騰したら重曹を入れ、しゅんしゅわとし始めたら少量ずつ米ぬかを入れていく。

 よくかき混ぜて、十分ほど煮たらタネが完成。

 容器に入れて五日ほど乾燥させる。


「……あ!」

「え!?」


 何!? びっくりした!

 え、なんか間違えたのか!?


「ごめんなさい、分量は覚えてなくて……それにわたしの世界の言葉で書いちゃった……」

「あ、ああ、なんだそんな事……」

「え? そんな事って……」

「大丈夫ですよ、読めますから」


 元日本人だし。

 むしろ、なんか久しぶりに自分以外の文字でこんなに綺麗な日本語見たな……。

『スズルギの書』の日本語はちょっと歪んでるから。


「ええ!? なんで読めるんですか!?」

「え、あー、ええと、ラスティ様と俺は『スズルギの書』で勉強していますし……ああ、多分アルト様も読めると思いますよ。イースト地方の最東端では、これに似た文字が使われているそうなので」

「ど、どういう事ですか? わたし以外にも日本から来た人がいたんですか!?」

「えーと」


 おおう、これどう説明したらいい?

 ちょっと長ったらしくなるんだよなぁ……。


「……少し色々信じられないかもしれないんですが……」

「は、はい!」

「『ティターニアの悪戯』と呼ばれる現象がこの世界にはあるんです。巫女殿のように、異世界から女神たちが悪戯で人を攫ってくる……」

「え……」


 引いてる。

 うん、分かる。超分かる。

 引くよな、普通。

 悪戯の域超えて完全に誘拐だもん。


「それで、恐らくなのですが……イースト地方、最東端に現れた人物は『武士』で巫女殿と同じような世界から連れ去られて来た人物だったのではないでしょうか? と、俺とラスティ様は考えています。俺の刀、この世界に伝わる『スズルギの書』と呼ばれる数々の指南書、巫女殿の世界の文字に似た文字も、彼から伝わったと言われているんです」

「っ……!」

「和食もですね。あと、イースト地方の食文化、米、味噌、醤油など……」

「…………」

「実に興味深いので、俺もラスティ様に色々スズルギ関係は教えて頂いてます」


 いや、うん、実際かなりためになる事が多い。

 マナー研修の夜会以来、エリックに色々言われても落ち込まずに無視している様子だし……ラスティにはあのまま歴史研究を続けて欲しいな……和食や『スズルギの書』集めの為に。

 特に武術系の『指南書』が欲しい。

 多分イースト地方の秘伝書の類に指定されていそうだ。

 あの地方の保守的な考え方は、恐らく『鈴流祇流』を守る為、正しく伝える為だと思う。

 それこそ『日本風』だ。

 俺の前世とも無関係ではなさそうだし……戦争が終わったらイースト地方の最東端には行ってみたいな……無事に帰ってこれたら……いや、そもそも、行けるかどうか分からないけど。

 というか、今から行けないかな?

『オズワルドルート』の完全破壊の為に俺が巫女殿始めヒロインたちと離れる。

 お嬢様の為に……俺自身の為に……。


 お嬢様は、俺がいなくても…………大丈夫————。



「ヴィンセントさん?」

「! なんでもありません。ええと、そういう事ですので、かつて『いた』という話ですね」

「……そうなんですか……」


 いや、まず以ってイースト地方まで行くのに一ヶ月。

 今五月だからどんなに急いでもたどり着くのは六月。

 それにあの地方は行くのに許可がいる。

 その許可云々にどれだけ掛かるのか分からないから現実的ではないかもしれない。

 それに、魔法訓練もようやくヘンリエッタ嬢の助言でまとまり始めてきたところだ。

 今放り出すのは得策じゃない。

 ふむ、魔法訓練……。


「ところで、話は変わりますが巫女様は残り二人の従者について目星などは付けておられるのですか?」

「え!」


 え?

 そんな驚かれるような事聞いた?


「…………、……ええと、実は全然……」


 ぜ、全然かぁ。

 まあ、難しいもんなぁ。


「クレイさんにはすごい『連れてって欲しい』って頼まれてるんですけど」

「ああ、はい」

「エディン様にも『レオ様を守るのは俺の役目だ』って言われてまして」


 あいつ、いつの間に!

 ……でも気持ちは分かるし、遠距離+風属性魔法は入れておくの大アリだと思う。

 ハミュエラは魔法を身体能力補助に使っているが前衛だ。

 後衛がいるのといないのじゃ大違い。

 あと、例え接近戦になってもエディンの奴は剣士としても強い!

 巫女殿の護衛役にあいつ以上の担い手はいないだろう。


「そうですね、エディンはオススメですね」

「え!」

「え?」

「え、だ、だって、なんか、ヴィンセントさんってエディン様嫌いそうだから……」

「嫌いですがそれとこれとは話が別ですし、レオハール様の事ならあいつ以上に信頼の置ける者はこの世にいません」

「…………」

「風魔法を使い熟せるようになれば、遠距離から巫女殿の護衛をしつつ全体のサポートも可能でしょう、あいつなら。判断能力も高いですし、戦略知識も豊富。弓の方もかなりの腕前にはなってきましたが、あいつは剣での近接戦闘も俺やライナス様レベルなので……」


 あれ?

 エディンの良いところしか出てこなくてイラつくな?

 普通に有能な奴なのは知ってたけど改めて口に出すと腹ァ立つな?


「チッ!」

(舌打ち!?)

「……まあ、おススメはしておきます。性格はクズですが!」

「…………はあ……」


 そう、クズだけど!

 ホンット嫌いだけど!

 スペック的に適材適所だと思うので!


「……ちょ! 変な事言わないで!」

「え?」


 巫女殿?

 突然空中を押し返して……え、そこに何かいるのか?

 あ、ああ、もしかしてエメリエラか?

 巫女殿ってエメリエラに触れたりもするんだ……?


「ど、どうかされたんですか?」

「いえ! なんでもありません!」

「え? は、はあ?」


 そうは見えないんだけど……?

 なんだろう、何言われたんだろう、すごい気になる……。


「あ、あの、と、とにかく! 相談に乗ってくれてありがとうございました!」

「とんでもない、こちらこそ。石鹸の件、色々試してみます」

「……! は、はい、あのでもあれは食器用洗剤的なものなので、風邪予防には……」

「そこなんですよね……。まあ、貴族の使う石鹸の成分を調べたりして、色々試してみますよ」


 俺ではなく、亜人たちに頼んで!

 ……レオとお嬢様とクレイが亜人たちにも仕事を発注して、互いの利益になれば打ち解けるのも早かろうと話していたので彼らの産業にならないか提案してみよう。

 亜人には独自の『斑点熱』予防法があるようだし、もしかしたら……。


「そっか、石鹸って既製品を削って作る方法もありましたものね」

「ああ、そうですね」


 子どもでも作れる手作り石鹸〜的なやつか。

 それなら俺もガキの頃やった事あるな。

 妹の自由研究手伝いで。

 結局夏休みの宿題を俺と兄貴で手伝い過ぎて、怒られて帰ってきたっけ……。


「…………あの、ヴィンセントさんは……」

「はい?」

「……ヴィンセントさんも、その……従者に、なりたいって……思ってますか?」


 あまり明るいとは言えない表情。

 どちらかと言うと「言わなきゃ良かった」みたいな顔。

 んん?

 俺は巫女殿にもう言っていたような気がするんだが……。


「以前申し上げた通り」

「え」

「巫女様、俺を従者の一人にお選び下さい。一緒なら多少は怖くありませんよ」

「……ヴィンセントさん……」

「もちろん、巫女様がクレイや他の候補を選ぶと言うのなら飲み込みます。……でも、俺に遠慮は不要です。俺も覚悟は出来ている。レオハール様をお守りする、そして連れ帰る、巫女様の事も必ずお守りします。俺の全身全霊、全能力を駆使して、全部やり遂げて見せましょう」


 膝をついて、巫女殿を見上げて宣言する。

 少しキザかな?

 でも、俺の誠意を伝える為にはこれぐらいでちょうど良いだろう、多分。


「? 巫女様、お顔が赤いですが、まさか熱でも……!?」

「ち! 違います大丈夫です、ちょっと驚いただけで、ええと、ほ、放課後の特訓もよろしくお願いします!」

「はい!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る