お嬢様は悩みが尽きない
夏季休みも終わり、秋も深まり肌寒くなりました。
みなさんどうお過ごしでしょうとは聞きません。
ただ、そう…ただ少しだけ現実逃避したいだけなんです。
「リース家の執事、また呼び出しだぞ」
「モテるな〜」
チィッ!
…心の中で盛大に舌打ちして、表面上の笑顔でにやつくクラスメイトの貴族のお坊っちゃんに礼を言う。
廊下に出るとご友人を2人連れたお嬢様以上に悪役令嬢然とした金髪のご令嬢が「フン」と鼻を鳴らす。
「遅いわ。わたくしに呼び出されたら10秒以内に来なさい」
「……ええと…ヘンリエッタ様、雇用の件は再三お断りしたかと思うのですが」
「お黙り、使用人のくせに口答えするなんて生意気よ!」
…参ったなー、もー。
彼女の名前はヘンリエッタ・リエラフィース。
セントラルの侯爵令嬢で、2つ隣のクラスの女生徒だ。
後ろのお2人のご令嬢は名前を存じ上げないが、恐らく彼女の友人でいわゆる取り巻きなんだろう。
どうもこのヘンリエッタ嬢は俺を自分の家の使用人に加えたいらしく、夏季休みが明けてからというものほぼ毎日お嬢様が教室に居ない時間を狙って現れる。
どうやってお嬢様の留守の時間帯を調べてるんだと思うが、今はそれは置いておく。
問題は“毎日”来ること。
そう、毎日リース家から俺を引き抜きに現れるから毎日断り続けている。
さすがにうんざりしてきた。
「あの、大変申し訳ないのですが…こう毎日ですとさすがに主人にご報告させて頂こうかと思うのですが…」
「あら、まだお話ししてなかったの? 伯爵家などさっさと見限って、わたくしの家に来れば今よりずっと良い待遇を約束するわよ」
…いやいや、これまでの発言を思い返してみろ。
絶対ロクな目に遭わない未来しか見えない。
「まあ良いわ。明日は色よい返事をお願いね」
ほほほ、と上品に笑って去っていくが、言ってることは全然上品じゃない。
うちのお嬢様よりヘンリエッタ嬢の方が乙女ゲームの悪役令嬢っぽくないか、と悪態を吐く程度にはうんざりしてきたので…………。
「本日は唐揚げです」
「「「「からあげ」」」」
幼馴染3人と、ライナス様が弁当箱の中を覗き込んで名前を繰り返す。
ちなみにマーシャには唐揚げを食べさせたことがあるので両手を挙げてピョンピョン喜び跳ねている。
はしたない奴だ。
お嬢様も実に興味深げに弁当箱の中に敷き詰められた鮮やかな茶色い肉の塊を覗き込む。
本日もいつものメンバーと化したクラス成績上位6名とマーシャで、薔薇園で昼食。
最近では男子陣4人ともお弁当を使用人に作ってもらい持参してくるが、なんでか俺が一品作ってくるのが定番化している。
というわけで、本日は唐揚げだ。
唐揚げ…ああ、我が心のオアシスよ…。
お前を食べたいがためにリース家の農園の一部を大豆畑にして、醤油を作り出すのにどれほどの努力と時間、労力、金をつぎ込んだことか…!
お陰で味噌も作ってしまった。
ので味噌汁も食べられるようになった。
でも…めちゃくちゃ味噌ラーメン食べたい。
あとカレー。
インドのカレーが食べたい。
無理だけど。
そして白米はこの世界にない。
仕方ないからナンだな。
今度作ろう…。
「本当は揚げたてが最高に美味しいのですが」
「揚げたてサイコー!」
「冷めても美味しいと思います」
「それがからあげ!」
何故か合いの手を入れてくるマーシャ。
うん、お前も唐揚げのことをよくわかっているようだな。
マーシャのテンションがいつもより高いことでお肉大好き公爵貴族2人がごくりと喉を鳴らす。
「で、では、いただきます」
「相変わらずヴィンセントは不思議なものを作ってくるよね…いただきまーす」
皆さんさすが育ちがいい。
きちんと「いただきます」を言って、各々の小皿に乗せ…お嬢様とスティーブン様に至ってはナイフで小分けにしてから口に入れる。
なにあれ可愛い…。
「ん、んんん〜〜っ!」
「お、おいしいです〜〜っ」
うっとりするレオとスティーブン様。
目を輝かせてすでに次の1つを皿へと乗せるライナス様とエディン。
お嬢様も…表情はお変わりないが周りにお花が見えるので喜んでいるようだ。
「本当に美味しいわ…。このお肉はチキンね…お肉に味が付いているの?」
「はい」
詳しいことを説明してもいいのだが、醤油についても説明しなければならないので今日は差し控えます。
醤油への道のりは長く険しかった。
とても一言では言い表せないのだ。
「んんん〜〜! おいしい〜! からあげサイコーだべー!」
「座って食べろ」
はしゃぎすぎて席を立つマーシャ。
というか、お前はなんで普通に貴族の皆さんと一緒に食べるようになってるんだ。
一応お嬢様のお食事給仕としてこの時間、薔薇園に入ることを許されている身だろうに!
「? ヴィンセント、それは…」
「マヨネーズです」
「おお! あの野菜を瞬く間に美味しく変えた魔法の調味料だな‼︎」
ライナス様の中でマヨネーズはそんな領域に達しているのか?
「本当はあまりお教えしたくないのですが…」
「? なんだ?」
「実は唐揚げにマヨネーズをつけて食べるともっと美味しいんです」
「な…!」
「なん、だと…⁉︎」
実にいい反応だ、ライナス様、エディン。
唐揚げは確かにこのままでも十分美味い。
しかし…マヨネーズをつけて食べると最高は最強に変化する。
無論、そこには多大なリスクも伴う。
「ですが、マヨネーズは油を使っております。唐揚げは揚げ物です。…つまり…」
「ま、まさか…」
「太ります」
「な、なんて背徳的な食べ方なのでしょうか…! あぁ〜ん、迷います〜!」
用意されたマヨネーズに身悶えるスティーブン様のなんと愛らしい事か。
変な性癖に目覚めそう。
「そうです! まさに背徳的な食べ方です! 一度食べたら無限に食べられる上、定期的にコレを食べないと満足できない体になるですだ…! まさに究極のおデブまっしぐらおかずになるんですけ!」
「因みにマーシャはすでにこの禁断の味を知ってしまっているので遠慮がありません」
「な、なんて恐ろしい…!」
「わ、わたくしは遠慮しておきます」
賢明ですお嬢様。
お嬢様の辞退に、スティーブン様はかなり悩んだ末に「わ、私も…」とマヨネーズを諦めた。
「ローナは太りたくないのかい?」
「無論ですわ。太るという事は醜くなるという事ですもの」
「そうかなー、ローナは多少ふくよかになっても可愛いと思うよ。元が美しいんだから」
「…からかわないでくたさいませ」
「え、からかってないよ? 本心だよ?」
だろうな。
まあ、俺もお嬢様はもう少しふくよかになってもその美貌が損なわれる事はないと思うが…。
それよりもなによりもレオよ、お前…本当に自覚がないのか?
そんなに甘い笑顔を向け、甘ったるい声を掛けているのに…?
まだお嬢様への気持ちは尊敬と憧れのみだと?
ついでに補足するとレオはほぼいつもお嬢様の隣の席を確保している。
無意識なんだぜ、あれ。
乙女ゲームの不動の人気No. 1キャラがあんなに甘い笑顔と声を向けたら、お嬢様だって頰を赤くする。
それだけの威力を…奴は無意識に振りまくのだ。
お、恐ろしい…!
さすが『フィリシティ・カラー』メイン攻略キャラ不動の人気No. 1…!
…まあ、それはそれとしてお嬢様とスティーブン様はやはり体重と体型を気にされているんだな。
なら…。
「そんなお2人の為に、こういうものをご用意してみたのですが」
「? なんですか、この黒い液体は…」
「特製柑橘酢です」
と、かっこいい言い方をしたが要するにポン酢である。
醤油があるとポン酢も作れるのだ!
一人暮らしの時に一本買うと使いきれないからと作り方を覚えていたのだが、ベースとなる醤油がないのでこちらもそれなりに苦労した一品である。
「油が少し落ちますのでマヨネーズよりもヘルシーになります」
「それは素晴らしいわね」
「ありがとうございます、ヴィンセント!」
フ…ちなみに俺は究極…マヨポン酢唐揚げという食べ方が好きだ。
背徳感をポン酢で誤魔化しながらも食べるこってりとさっぱりを同時に味わうことの出来る…まさに究極。
唐揚げそのものが素材の味をこれでもかというほどに殺しているのに、最早唐揚げ本来の味さえも殺す。
シンプルな塩…一味唐辛子のピリ辛、細かくして納豆に混ぜるのも嫌いではない。
だが、やはり一番はマヨポン!
ああ、教えたいけど教えたくない…!
「あ、ホントだマヨネーズヤバイ…」
「こ、これは確かに中毒になりそうだな…」
「ヴィンセントの作るものは珍しいだけでなくどれも美味いな!」
「ありがとうございます」
王子と公爵家子息2名、禁断の味を知ってしまったか。
「これではヴィンセントに引き抜きの声が絶えんのも頷けるな」
「ですねぇ」
うんうん、と頷きあうスティーブン様とライナス様。
ああ、そうだ。
お嬢様にこの話をしようと思っていたんだ。
流石にウザくなってきたし。
「そういえば生徒会でもよくそのお話を振られるわね」
「はい⁉︎」
「それと同じくらい、ヴィンセントにお見合いの話が出てますよね」
「お、お見合い⁉︎」
と言うのはお嬢様とスティーブン様だ。
いや待ってお嬢様、引き抜きの件知っていたのか⁉︎
そしてそれとお見合いがどう繋がってくるの⁉︎
「そういえばわたしも最近めっちゃいろんな家のメイドさんに声かけられるんさ。友達になってくれたと思ってたメイドの子全員義兄さん目当てでちょっとへこんだよ〜」
「それは大変だったわね…」
「マーシャ…お前友達は選べよ」
「どの口が言うんけ⁉︎」
俺を引き抜く為に義妹のマーシャに近付くなんて…小狡い手を使う奴もいるんだな。
使用人宿舎のメイドさんとは大体仲良くなったと思ったけど、まさかそんな娘がいたなんて…。
「(そういう意味ではないと思うんですけど…)…ええと、ヴィンセントは使用人宿舎にも出入りしてるんだよね…? 気になる娘はいないんですか?」
「使用人宿舎のメイドや侍女の方もほとんど貴族の方ですから私には恐れ多くてとてもとても」
そう、一応ああいうメイドさんや侍女さんも子爵や男爵家のご令嬢であることが多い。
ただ地方や貧乏な家の子が多く、メイドや侍女になって爵位の高い家に奉公に入り、お金を稼いだり最低限の教育を受けたり、玉の輿を狙ったり…。
『記憶継承』でスペックの高い娘は玉の輿に乗りやすいって聞いたことがある。
マジで平民出のメイドも多いけど、それでもきちんと最低限の教育をうけられる商家や地主、名家の執事家系の所謂『苗字持ち』の娘ばかりだ。
…というか、俺はそもそも歳下すぎるのはちょっと。
精神年齢おっさんだから十代の娘は罪悪感半端ない。
「…そういえば夏季休み前の1週間…お城のメイドが何人か倒れたんだよね…」
「レ、レオ? 急になんの事件の話だ」
「いや、そうではなくて……噂で聞いただけで真相を確かめたわけじゃないんだけど……アミューリアの制服を着たものすごい色気を放つ黒髪の美男子がお城に出入りしてて、その色気に当てられて倒れたとかそうでないとか…」
「…………」
「え、レオ様…それって…」
「…夏季休み前の1週間って王誕祭の前の、ですか…? あの頃に城に出入りしていたアミューリアの生徒といいますと…」
誰だ?
かなり忙しそうでお城の人が生徒会から人を貸して欲しいって言ってたし…俺以外にも3年や4年の生徒が来ていたのかな。
「生徒会の方ですかね?」
「え⁉︎ …ど、どうかな…僕はヴィンセントしか知らないのだけれど…」
「では熱中症でしょうか…。結構暑い日が続いていましたからね…」
「え⁉︎ …い、いや、多分違うと思うんだけど…」
「お城のメイドや侍女の方はマリアンヌ姫様と接する機会も多いそうですから、ストレスも多そうですし…」
「そ、それは否定しないけど…」
そういえば城でたまたま話をしたメイドさんや侍女さんはみんな顔が赤くて具合悪そうだったな〜。
マリアンヌ姫の我儘や、レオ関係でバッタバッタとクビにされる人が多いから…相当疲れているんだろう。
暑さも相まって体調が悪かったんだろうな…。
女子には『あの日』とかもあるだろうし。
女子って大変だな…。
「…無駄ですわ、レオハール様…アミューリアに入学前からヴィニーはこうですの。…我が家のメイドはとうの昔に全滅しております」
「わ、わあ…」
「?」
ちなみにヘンリエッタ嬢にはお嬢様から丁寧にお断りを入れていただいた。
しかしその後もしばらく話しかけられ、困っていたある日スティーブン様がビシッと「ヴィンセントはそれじゃ絶対分かりません」と言ってくださり、おかげですっかり平和だ。
…でも何がわからないんだろう?
そしてその代わり、最近ヘンリエッタ嬢から手紙が届く。
まるで恋文のような内容だが、今度はまさか色仕掛けか?
ふん、俺がこんなものに引っかかるか!
俺はお嬢様の犬だぞ。
他の令嬢に仕えるなんてありえない!
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