王家の闇



熱い。

熱い、熱い、めちゃくちゃ熱い。

歯を食いしばって、辛うじて聴こえる声になんとか笑みを向ける。

うわ、俺生きてるよ。


「ヴィニー!」

「ヴィンセント!」

「だ、大丈夫です…、っ、か、掠っただけですから…」


お嬢様がこんなに慌てた表情をするなんて…初めて見た。

焦った表情のスティーブン様も…。

これはこれで可愛い…。


「うっ」


いや、でもやっぱり痛いものは痛い。

気を紛らわせようとしたけどやはり痛いもんは痛いようだ。

会場中から上がる悲鳴がやけに遠くに聞こえる。

それでも、一応事の顛末を確認するべく体を捻って振り返った。


「…………」

「お、お兄様…」


エディンが剣で、マリアンヌ姫の剣を叩き落としたのはなんとなく覚えている。

俺の脇腹を突き刺した瞬間、肉を裂いた感触で我に返ったのだろう。

一歩、また一歩と震えながら後退りしたマリアンヌの剣をエディンが叩き落としたんだ。

その時、さすがにあのエディンもなにか怒鳴っていた気がする。

国王やディリエアス公、アンドレイ様も。

よ、よく覚えてないけど。

そ、そして…えーと…。


なんでレオがマリアンヌ姫の前に佇んでいるんだ?



「…マリアンヌ、僕は君に言ったよね…? 僕の友人たちになにかしたら…君の“お兄様”をやめるよって…。冗談か何かだと思ったのかい…?」

「う…」


俺からレオの表情は分からない。

エディンとレオの背中だけが見える。

それから、怯えた表情のマリアンヌ。

というか、少し視界が朦朧とする。

掠っただけなのに、結構血も出てるし…俺が思ってたより怪我って痛いんだなぁ。


「ヴィンセント、大丈夫か? 俺に寄りかかって構わんぞ」

「…す、すみません、ライナス様…」

「すぐに医者が来るはずですっ」

「座っていた方がいいのではなくて」

「あ、いえ…」


ライナス様の肩を掴ませてもらうだけで結構違うので大丈夫です…と言うものの、お嬢様とスティーブン様の不安そうな顔は変わらず。

まあ、自分でも顔から変な汗が出てるのは分かる。

擦り傷、なのだが…やはり痛いもんは痛いのだ。

というか、俺のことなどより…。


「お嬢様は、お怪我は…」

「わたくしは大丈夫です…それより、貴方が…!」

「俺も大丈夫ですよ」


…うん、貴女が、無事なら…それで。



「…君は僕がこの世で最も嫌悪するものに成り果ててしまったようだ…残念だよ、マリアンヌ…」

「…………な、なに、よ、わ、悪いのは…悪いのはあの女なのよ…! なんでマリーが悪いみたいになってるのよ…! なんなのよ! なんなのよお兄様のくせに! お兄様はマリーの言うことだけ聞いていればいいのに!」

「陛下、この国を守護するために生まれたモノとして進言します。…“これ”は国を滅ぼす害悪になる。…貴方も僕も、これが王位を継ぐに相応しい淑女となるならばと見守ってきましたが、これは最早看過できない」

「人命を軽んじた言動…これはさすがに問題ですな…陛下」


マリアンヌ姫を無視して、レオが国王へ向き直る。

その下でレオと同じく鋭い睨みを利かせるのはアンドレイ様だ。

まあ、確かに普通なら王族に傷つけられても使用人風情が文句を言えるわけもないが…今回マリアンヌ姫が狙ったのはお嬢様…この国一番の伯爵家ご令嬢…。

国王もさすがに流血沙汰になったこの事態は容認しかねるらしく、玉座から立ち上がって苦い顔のまま目を閉じた。


「それに、最近のマリー姫の言動は城の警備にも影響を及ぼしております。此度、姫に剣を奪われる失態を犯した者の処罰は別で致しますが…しかし、それでもこの者は本来城の警備に携わる者ではない、とだけ付け加えさせていただきたい。故に、この者を処罰する際は私も如何様な罰もお受けする所存」

「デュラン…」

「父上…」


陛下の前で頭を下げるディリエアス公。

…やけにへなちょこ衛兵が多かったとは思ったが、そういえば王誕祭の頃からかなりクビにさせられていたと言っていたな。

今日もレオの部屋まで巡回の衛兵には一度も遭遇しなかったし。

エディンまで見習い騎士服を着せられて警護の任を手伝わされているくらいなのだから、剣を奪われた人ももしかしてお手伝いの人?

半泣きになってるし、歳も俺たちに近いくらい。


「限界ですね、陛下。…こちらもハッキリさせましょう」

「? それは」


玉座への階段をゆっくり登ったレオが懐から取り出したのは一枚の紙。

それを国王へ渡す。

レオが階段を降りる最中にそれを開く国王は、目を剥いた。

うっすら透けて見える…あれは姿絵?

…まさか、俺がクレイに引き続き詳しい調査を、頼んで渡しておいたエレザの息子夫婦の姿絵か⁉︎

待て待て、まだ確証があるわけじゃないんだぞレオ!

それを出すのはもっと証拠を集めてからじゃないと…!


「ねぇ、マリアベル様…陛下はA型、僕はO型なのだけど…僕の記憶だとマリアンヌはB型…」

「…………」


…え?

…ん、え、ちょ、ちょっと待て、痛みで色々と頭が追いつかない。

は? 血液型の話…?

国王がA型で、レオはO型?

それで…マリアンヌがB型…?


「マリアベル様は、何型でしたっけ…血液型…。B型やAB型なら問題ないんですけど……確か、僕と同じO型ではありませんでしたか? 変ですよね、A型とO型からはB型の人間は生まれない…」

「…!」

「………………」


ざわざわと会場がまた騒めき出す。

国王は王妃を凝視し、アンドレイ様とディリエアス公爵は王妃を見上げる。

いや、会場中が今度は王妃に視線を集中させた。

…血液型…あるいはレオなら…と思ったがやっぱり知っていたんだな。

これは、言い逃れができないはず…!


「…お兄様……お兄様までマリーを偽物扱いするの…?」

「…………」

「…ねえ、やめてよ…お兄様、嘘でしょう…? お兄様は、お兄様だけはマリーを偽物だなんて言わないでしょう⁉︎ ねぇ、お兄様!」

「…………」


徹底してマリアンヌの方を見ないレオ。

国王は体が震えるほどに歯を食いしばって、そして王妃を睨む。

王妃は相変わらず顔を扇子で隠していたが…。


「どうなのだ、マリアベル…俺を裏切ったのか…⁉︎ マリアンヌは、俺の子供ではないと…⁉︎ この姿絵の夫婦…男が随分マリアンヌに似ているな…? マリアンヌの本当の父親は、まさかこの男なのか⁉︎」

「…………はあ」


扇子越しでも聞こえた深い溜息。

若干、痛みのせいなのか…「俺は今何を見せられてるんだろう?」と疑問が浮かぶ。

だってどう見てもよそのお家の泥沼夫婦喧嘩…。

いやいや、ちゃんと見届けなければ…!

そもそもあの姿絵を手に入れてもらったのは俺だろう!

なんでレオが持ってたんだ…?

クレイか?

…まあ、あいつ以外考えられないが…。


「やっぱり平民の娘は使えないわね…。せめて王位を継いでから自由に死刑なりなんなりすれば良かったのに…。こんなに頭が悪いなんて……計画が台無しだわ」

「⁉︎」


新たなざわめきが会場に広がる。

扇子を閉じたマリアベル王妃は、口許に笑みを浮かべたままマリアンヌを見下ろす。

その笑みに、俺はニコライからの報告を思い出した。

何故、平民の娘と我が子を取り替えるのか…その理由をミアーシュが問い質しても王妃は話さなかったという、

ただ、笑っていた。

そしてその笑みがとても恐ろしかった、と。

…確かにゾッとする笑みだと思う。

美しく、そして、俺がこれまで見たどんな笑みとも違う…妖しく、妖艶で…そしてとても恐ろしく、吐き気を感じるほどに気色が悪い…!


「計画、だと? なんの話だ⁉︎」

「うふふ、ここまでバレたからにはもう仕方がありませんわね…。残念だわぁ…絶対バレないと思ったのに…。…やっぱり…レオハール…お前が死ぬまではその娘にはおとなしくしておくように少しでも『母親』のわたくしから言っておけばよかったぁ…。…でも、平民風情と話すのはなんとなぁく気が進まなかったのよねぇ…」

「マリアベル!」


国王の怒声が響く。

ホールなのでそれはもう良く響いた。

そして、その影響で天井からパラパラと小石が落ちてくる。

お怒りの国王に怒鳴られても、王妃は呑気に「やだわ、陛下ったら大声なんて出さないでくださいませ」とどうでも良さそうに注意していた。

この状況で、なんつー神経…。


「へ、平民の、む、すめ…? お、お母様…な、なにを仰って…」

「嫌だわ、もうバレてしまったのだから気安くわたくしを母などと呼ばないで。身の程を弁えなさい、平民の娘」

「……な、なにを、お、お母様……」

「だから、わたくしは貴女の母ではないの。貴女の本当の両親が誰なのかはわたくしも知らないのよ。ミアーシュに任せていたから本当にぜーんぜん」

「…………」


これには、誰も声も出せなかった。

…この王妃なにを言っている?

14年間、仮初めとはいえ娘だった子に…、なんであんなにいけしゃあしゃあと…。


「い、一体どういう事なのか、ご説明願えますかな、マリアベル王妃!」


そんな中で声を発したのはアンドレイ様。

玉座を見上げ、その真意を問い質す。

ミアーシュにも答えず、王妃本人しか知らない…14年前の取り替え事件の真相。

会場の全ての人間が、固唾を飲んで見守った。

王妃は無邪気な笑顔で「それはね」と人差し指を唇に押し当てる。


「こんな国滅んでしまえばいいと思ったからよ。平民の娘が王位を継げば、王家の血は絶え、記憶継承の力も途切れる。そうしたらウェンディールは永遠に終わるでしょう⁉︎ あーっはっはっはっはっ‼︎ なんて素敵!」

「………っ…」


…これは、俺の脇腹が痛いせいではないよな?

ようやく痛みに慣れてきたから、やっぱり脇腹のせいではない…と、思う。

寒気がする。

この国を巻き込む破滅フラグは…姫じゃねぇ………この王妃だった!

俺は前世の兄貴より血の気が多い方だから少し抜けたくらいで丁度いい。

でも、普通の貴族の坊ちゃんお嬢さんは顔を真っ青にしている。

ライナス様が「何を言っているんだ…王妃は…」と愕然と呟く。

そう、あれは…王妃。

この国の、王の妻。

それがなぜ、国を滅ぼそうとしているのか。

高笑いするマリアベル王妃にディリエアス公爵が「なぜそのようなことを!」と叫ぶ。


「それは、謀反と言うことではありませんか!」

「そうね、結果そうなのかもしれませんわね。でも、わたくしはただバルニールにも感じて欲しかっただけなのよ」

「な、に…?」

「愛する者を奪われた絶望感…。少しは感じていただけて…? 陛下…?」


王妃が国王の前に立つ。

俺たちからは大きく開いたドレスから見える背中しか見えない。

こんな時ですら、その背中が美しいと思う。

…あの女、魔女か何かなのか?

一体どんな顔で国王を見下ろすのか…座り込んだ国王は先程まで怒りで震えていた体を背凭れへと押し込んでいる。


「其方、まさか…まだあの男のことを…⁉︎」

「婚約者だったのですから当たり前ですわ。…貴方がわたくし欲しさに家ごと潰したあの方を、わたくしは忘れた日など1日もなかった。…なのに貴方ときたら、本来正妻であったはずのユリフィエ様からその地位を奪いわたくしに与え、更に産ませた子を見殺しにしたばかりか下女にその“代わり”を孕ませて…。この国のためと言えば何でも許されると思っているのかしら? …だったら貴方が何より大切にしているこの国を、わたくしが奪って差し上げないと……でないと貴方はきっと分からないのではなくて?」


半分以上、何を言っているのか分からなかった。

しかし、最後にマリアベル王妃が腰を屈めて国王に囁いた声は何故か一際大きく会場に響く。

この世で最も恐ろしい女の…呪いの声。




「愛する者を奪われる絶望というものを…‼︎」




…奪われたから奪うと。

それは復讐じゃないか。

腹の中に抱えた憎悪を曝け出した王妃は国王から顔を離すと、会場の貴族たちへと向き直る。

両手を広げた王妃は美しく微笑む。

なのに、俺は寒気が止まらない。


「可哀想な子供達…みんな呪われているのよ…地位や名誉のために愛を忘れて…! ああ、なんて残酷で愚かな世界なのかしら…可哀想に…! この世界に愛より素晴らしいものはないのよ。愛を失えばわたくしのようになるの……わたくしのように…………壊れてしまうのよ! あははは! あははははははは‼︎」


誰も声が出せない、狂気。

国王が俯いて頭を抱える中、ディリエアス公が一歩前に近づく。

すると王妃はどこからか短剣を取り出した。

まさか!


「あら、まだダメよディリエアス!」

「王妃!」

「やだわ、マリアベルって呼んで。王妃の座はユリフィエにお返しします」

「な、何をなさるおつもりか‼︎」

「ふふふ、そうねぇ…」


ちらりと、王妃がレオを見下ろす。

そして色っぽく微笑むと猫なで声で「レオハール」と呼び掛けた。


「お前はやっぱり生まれてこなければよかったわね」

「…………やはり、母に毒を渡したのは貴女だったんですね」

「ええ、貴方のお母様にはね、わたくしが全部教えてあげたのよ。バルニールがこれまで何をしてきたか。そして貴方をどうするのか…。大層悲しまれていたわ。だから毒を差し上げたの! でも、何故貴方を連れて行ってくれなかったのかしら? わたくしは「可哀想だから一緒に連れて行ってあげたらいかが?」と言ったのに」

「……さぁ…それは僕にも…」

「そう。…やはり下女の考える事は分からないわね」


心底分からないといった表情。

そして、また微笑む。


「まあいいわ。わたくしが“入れ替えの為に産んだ子”は流行病でのたれ死んでいるでしょうし…お前が戦争で死ねばこの国の後継は途絶える…。…それでこの国はおしまい…! 素敵…!」

「…僕は戦死する気はありませんよ。帰ってきて、そしてこの国をこれからも守ります」

「……………………そう、やってご覧なさい。地獄で見ていてあげるわ」


そう言った王妃は短剣を自分の喉元に向けた。

国王への復讐を語っていたから、まさか自殺するなんて思わなかったディリエアス公たちも反応が遅れる。

こっそり近付いていた衛兵たちも手を伸ばすが間に合わない!


「クレイ!」


レオの声に黒い塊がすごい速度で王妃の背後に回り込む。

王妃の細腕を掴み、ひねり上げて短剣を階段の下へと落として背中へと回して掴み上げた。

あまりの早業に衛兵が固まる。

いや、それよりも…。


「な、なに…⁉︎ 亜人…⁉︎」

「…………」


王妃すら驚くその正体。

レオがやけに冷静だったのは、側にすでにクレイがいたからか。

確かに、半端な『記憶継承』の貴族衛兵より亜人の身体能力の方が遥かに上!

目にも留まらぬ速さとはさっきの事を言うのだろう。

当然、この国でも存在を認められていない亜人の登場に別なざわめきが起こるが…。


「マリアベル様、この国は滅ぼさせない。僕が争いも差別もない国にする。時間はかかるかもしれないけど…この国に住む全ての民が1人でも、1秒でも多く幸福でいられる国を目指し続けます」


…これは…別な意味で言葉にならないな…。

レオ、ハール…。


「レオハール様…」


多くの生徒が口々に名前を呼ぶ。

誰もがその言葉を待ち望んでいた。

驚いた表情の王妃。

すぐに嬉しそうな笑顔を浮かべるアンドレイ様とディリエアス公や衛兵たち。


「貴女には聞きたいことが沢山出来てしまいました。別室で詳しくお聞きしましょう。ディリエアス公、頼みます」

「畏まりました。連れて行け!」


衛兵が恐る恐るクレイに近づき、捕らえた王妃を譲り受ける。

途端にクスクスと笑い始めた王妃。

会場から連れ出される頃には…高笑いになっていた。

どんな事があったら、人があんなにおかしくなるのか…。


「陛下もお部屋でお休みください」

「…………」

「陛下」


国王はアンドレイ様が付き添って、ようやくよろりと玉座から立ち上がった。

頭を抱え、妻の裏切りと向けられていた憎悪に顔を青くしたまま俯いて支えがなければ危うくて階段も降りられなさそうだ。

しかし、最後の一段を降りた時小さな、か細い声で聴こえた。


「レオハール…あとは頼む」


レオが頭を下げて見送ってから、次にいつの間にか力なく座り込んだマリアンヌ姫に近付く。

表情はなく、目を見開いたまま国王より真っ青な顔をしている。

…可哀想だから…。

不思議だ、今更レオの言葉が…重く感じる。

好き放題、我儘放題の悪役姫マリアンヌ。

彼女もまた王妃マリアベルの復讐の道具に過ぎなかったというのか。

…だとしたら…確かに哀れかもしれない。

やってきた事は全部彼女の自己責任だが…それでも…。


「マリー」

「っ」

「君も今日は部屋で休みなさい。…今日からは1人で眠るようにね」

「……………………」


まるでこれが最後のように、頭を撫でるレオ。

ディリエアス公の指示で衛兵たちに抱えられるように立たされるマリアンヌは、一度も声を発することもなく…人形のようにふらふらと会場を去っていく。

それを見送るレオはどこかもの悲しげだった。

その姿に思う。

あれは、どこまでも…優しい王になるんだろうな、と。




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