番外編【メグ】5



坂を降りようとしてはた、と立ち止まる。

マーシャのお兄さんの登場で忘れてたけど……今日、本まだ返してない!

思い出した事に慌てて元来た道を戻る。

わざわざ送ってもらったのに申し訳ない。

でも、期日の本をちゃんと返さないとマーシャのが悪者になっちゃう。

あの子、それでなくとも深く考えずあたしに又貸ししてるんだ。

本当に、本当に馬鹿!

あたしがそういう事にズボラな奴だったらどうするんだ……。

坂を駆け上がりながら「マーシャのお兄さん、送ってくれたのにごめんなさい」と何度も心の中で謝る。

というか、お兄さんに預ければ良かったんじゃない?

うっわ、あたしもマーシャの事言えないよー……。

でも、そう思いながらも少し嬉しい。

マーシャに、もう一度会える。

今日は二回も会えるんだ。

いつまで続くか分からない、あたしの『ともだち』にーーー。



「マーシャ!」

「あ!」


市場まで戻ると、濃紺のメイド服。

一際目立つ金の髪に頰が緩んだ。

ああ、ダメダメ! あたしは借りっぱなしの本を返すのを忘れたんだから!

……けど、こんなところにいるって事は、マーシャもあたしの本の事思い出して探しにきてくれたって事だよね……。

ドジでバカだけど、思い出したんだったら褒めてあげた方がいいかな?

なんて……。


「ごめん! 本、返すの忘れてたよ! あんたの義兄さんに頼めば良かったんだけど別れてから気が付いちゃって……」


肩に掛けたカバンから、図書館から借りた文字の本を取り出す。

えーと、どこにしまったかな。

端の方に……あったあった。

このカバン、外套が入ってるからちょっとゴワゴワするのよね。


「なんにしても入れ違いにならんで良かったさ」

「そうだね」

「明日また別な文字の勉強できる本借りて貸すな」

「……うん、なんかいつもごめん。あ、そういえば、あんたの義兄さんに聞いたんだけどーーー」


「おいおい、見ろよ。メイドだぜ?」

「本当だ、下町のオトモダチと夜遊びかぁ? そいつぁいい。俺たちの相手してくれよ」

「丁度六対二だ。三人ずつ……なぁ?」


は?

……ああ、酔っ払いか。

下卑た笑い。

相手だって?

バカ言いなさんな。

確かにこんな時間帯に貴族のメイドがーーそれもこんな可愛い子がいれば絡みたくもなるんだろうけど……。


「っ……、……帰んな、また明日ね」

「え、あ、うん」


マーシャを無理やり回れ右させ、背中を押す。

人間って群がると面倒くさい。

あたしも早く帰らないと。

うっかり正体がバレたら……クレイに何言われるか分かったもんじゃない。


「おい待てよ」

「ほら、あっちに宿があるからさぁ」

「やめな! この子はあんた達みたいなのが相手してもらえるような子じゃないよ!」

「メグ!」


本当、人間の酔っ払いってタチが悪い!

マーシャが少し離れたのを見て、オヤジたちに怒鳴りつける。

ああもう、マーシャ!

なにもたもたしてるのよ!

立ち止まらなくていいの!


「いいから帰りな! こんな奴ら、あんたが相手する必要ないんだから!」

「でも!」

「言ってくれるなぁ? なら、嬢ちゃんが相手してくれよ」

「俺、こういう気ぃ強いの好きなんだよなぁ? ヒヒッ……」

「っ!」


「メグ!」


マーシャの声。

いいから、と声をかけようとしたあたしの腕を、オヤジの一人捻りあげるように掴んだ。

そのまま勢いよく引き寄せられた拍子に……帽子が!


あ……。

やだーーー。



「!! こ、こいつ! 『耳付き』じゃあねぇか!?」

「うわ!」

「…………っ」


見られた。

マーシャに、マーシャに、バレた!


「!」


あたしの腕を掴んだのとは別なオヤジが動く。

近くの家に立てかけてあった細めの薪を手にして、それを投げつけてきた。


「いっ!」

「化け物め!」

「ここは人間の領土だぞ⁉︎ なんでここに居る⁉︎ この、耳付きめ!」

「気色悪ぃ! 国王のお膝元によくも平気な顔して現れやがったな! この!」


痛い。

怖い。

これだから人間は嫌なんだ。

乱暴で、耳や尻尾があるってだけであたしたちを化け物呼ばわりする。

あたしらからすれば、あんたらの方がよっぽど……。


「っ!」


薪用の枝かな。

顔めがけて投げつけられる。

……マーシャに、本は返せたし……もう、いい。

思い残す事、ないや。

ごめんねマーシャ、黙ってて、

ごめんね。

あたしは、亜人なんだ。

だから、この国には本当は、いちゃいけない生き物なんだ。

民家の隙間に、逃げ込んで……振り向く事もせず、最後の別れの挨拶も告げられず……あたしは……。

こうするしかない。

それしかない。

それに、見たくないや。

マーシャがあたしをどんな目で、顔で見ているかなんて。

怖くて、怖くて……とてもじゃないけど見られない。

そうだ、そんなの知りたくない。

……けど、こんなにあっさりと……。


「待ちやがれ化け物!」

「この! この!」


ああ、痛い!

物を投げつけられるのなんて慣れてるのに!

今日はやけに痛い。

涙が出そうだ。

民家の隙間なんて、庭みたいなもののはずなのに今日は迷宮みたい。

ハッとした時には、袋小路に入り込んでいた。

振り返るとオヤジたち六人でわざわざ追いかけてきたらしい。

暇だな、このオヤジども。

手が伸びる。

何をされるんだろう。

痛いのは嫌だよ……クレイ。

腕を掴まれる。

嫌だ。


「クレイ……」


助けて。


「クレイ……っ」


クレイ、助けて……。

あたしには、やっぱりあんたしかーー!


「化け物!」

「違う!」

「!」


薪を振り上げる奴が叫ぶ。

もう何百回と聞いた言葉。

でも、それを否定する言葉が遮る。


……え?


「耳付きって差別用語だから、使っちゃダメってお嬢様が言ってたべさ!」

「……マ、マーシャ……」


え?

マーシャ?

なんでマーシャ?

帰ったんじゃなかったの?

驚いているあたしを無視して、長めの薪を手にして振り上げていたオヤジめがけてマーシャが手にした箒を振り下ろす。

オヤジは薪を落として、壁の塀に背中をぶつけた。

別なオヤジは「わざわざ相手にしにきてくれるとはなあ!」と笑みを浮かべてマーシャへ襲いかかる!

あ、と声を出すよりも早く、マーシャは片足を下げ、少し姿勢を低くしてから箒の柄の先端をそっとオヤジの足に掛けた。

ぶっ倒れるオヤジ。

その真横から別なオヤジが飛びかかる。

でもそれすら軽やかに箒を引き抜き、飛びかかるオヤジの脇腹を綺麗に叩き潰す。

うわ、みぞおち……。

げぷっ、と明らかに胃の中のものが逆流してきたらしく倒れこむオヤジ。

それをよそに、足掛けで倒したオヤジが起き上がる前に、その頭を踏んづけて飛び上がったマーシャは、おののいていたオヤジの脳天に箒を振り下ろして気絶させた!?


「なんだこのメイド⁉︎」

「うっさい! 先に悪い事したのあんたらやんけ! 寄ってたかって一人の女の子ば相手に……オメーらみてぇなんクズっていうんさ!」

「クソ! 耳付きなんかの味方するなんて何考えて……」

「それ差別用語ださ! 使うな!」

「うわあ!」


マーシャが箒の柄を突き付ける。

貴族のメイドだと馬鹿にしていたようだけど……でも、そうだ、そういえばこの子、多分『記憶継承』がある。

本人は否定してたけど、今の戦い方は絶対に素人の動きじゃない!


「………マーシャ……あんた……」

「あ、メグ! 怪我ないさ⁉︎」

「……………」


力が抜けて、その場に座り込んだ。

駆け寄ってきてくれるマーシャに、ハッとする。

あたしは、あたしは……。

自分の頭の耳を両手で隠した。

今更だけど。

今更すぎる。

もう、バレてる。


「……ごめん」

「え?」

「騙してたつもりはないの……っ、ただ、言えなくて……!」

「なにが?」

「なにがって、あたし…………っ……亜人族……」

「……うん」


ああ、ついに涙が出てきた。

バレたくなかったよ。

友達でい続けたかった。

亜人の友達ならいるけどね……でも、あたしは……あたしは……!

手で顔を拭う。

突然頭を撫でられた。

キョトンとした顔のマーシャ。


「……どうして……、……気味悪くないの……? あたしの耳……」

「耳? 耳なら私にもあるさ」


…………。

この子何言ってるの。

ば、バカだバカだと思ってたけど、ここまでバカなの……?

嘘でしょ……?


「あたしは、耳付きだよ⁉︎」

「それ差別用語だから使っちゃダメってお嬢様が言ってたさ!」


……おこ、られた。

『耳付き』は、差別用語。

使うなって、それはーーー。

ああもうなんなのこの子……なんなの、なんなの……!


「うっ……ううっ……!」

「メ、メグ? どうしたんさ? やっぱり怪我したん? どこ痛いの? ええ〜、どうすんべ……わたし手当とか苦手……あ、いやいや、ちゃんとやり方は義兄さんに習ってるから……だから痛いとこ見せるさ、メグ」

「っうう……!」

「メグ〜?」


マーシャ。

マーシャ、マーシャ……!

腰に抱きついても、この子はあたしが怪我してるんじゃないかと心配してくれる。

体が熱い。

背中をさする、小さくて温かな手。

あたしの痛いところを探して、頭や肩、腕も撫でる。

違うんだ。

不思議なんだけど、枝を投げらつけられただけであんなに痛かったのが今は……全然痛くないんだよ。

涙がこんなに止まらない事なんて、父さんと母さんがあたしを置いていった時以来だろう。

それなのに、心がこんなに苦しいのに……全然違うんだ。

マーシャ、あたしは亜人なのに、耳付きなのに……あんたはそれを『差別』と言う。

あたしの知ってる『人間族』はそんな事言わないの。





「…………あんたって、ほんとばか」

「なして⁉︎」


どれぐらい泣いたんだろう。

起き上がってから涙を袖で拭い、心から罵った。

あったかい。

こんなに温かい気持ちで涙が出たのは生まれて初めてだ。

……ばか、って言っても驚いた顔をするだけ。

この子、どんな育ち方したんだろう。

近くに亜人がいた事ないのかな?

それにしたってズレてる。


「……。……マーシャ、明日からも……普通に友達として、会ってくれる…?」

「? え、なんで? そんなの当たり前じゃん? なんでそんな事聞くんさ?」

「……………………」


ああ、まずい。

また涙が出てきた。

……当たり前なんだ。

この子にとってあたしと友達でいてくれるのは「当たり前」なんだ……?


「……ありがと……」

「??? なにが?」


このお礼の意味も分からないほどに「当たり前」だと言ってくれる。

そう思ってくれているんだ。

こんな人間もーーーいるんだ。

あたしはずっと願ってた。

あたしも、あたしもこんな風に人間と友達になりたい。

アメルの親みたいなのは微妙に羨ましくないけど、あたしも人間と仲良くしたかった。

マーシャ……あたしの、あたしの友達!


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