番外編【マリアンヌ】



「マリアンヌ様、お勉強の時間です」

「マリアンヌ様、お食事の時間です」

「マリアンヌ様、お風呂のお時間です」



マリアンヌ様。

そう、あたしはマリアンヌ・クレース・ウェンディール。

この国の第一王女。

次期女王を約束されたお姫様!



「…マリアンヌ、勉強は捗っているか?」

「はい! お父様!」

「うむ、王家の者としてきちんと務めを果たすようにな」

「はい! お父様! …あ、あのお母様! あたくしね…今日…お茶会のお勉強をしましたのよ! お母様も今度…」

「ごめんなさいマリアンヌ、わたくしはお茶会があまり得意ではないの」

「……そうなのですか…。あ、あの、それなら…今夜お母様のお部屋に行ってなにかお話を…」

「まあ、マリアンヌ。貴女には立派なお部屋があるでしょう? 恥ずかしい事を言うものではないわ」

「……はい、ごめんなさいお母様…」


…それならばお父様のお部屋もダメね…。

一人で寝るのは寂しいの…。


そうだ、勉強を頑張ったらお父様には褒めてもらえるかもしれない!

ーーーそう思ったのに…。


「……まあ、マリアンヌ様…まだこんな問題も解けないのですか? 貴女様くらいの年齢ならば解けて当然ですのに…」


まるで哀れむような目で見下ろされる。

嫌い。

勉強なんて嫌い!


「お父様、あの家庭教師は嫌いです!」

「一体どうしたのだ、マリアンヌ…何かあったのか?」

「マリーの事をばかみたいに言うの! マリーは頑張ってるのに…!」

「そうか…お前には合わなかったのかもしれないな。よし、教師を変えてみよう」


お父様は優しい。

会いに行けば仕事の手を止めてマリーのお話を聞いてくれる。

家庭教師はみんなあたしを馬鹿にするから、勉強なんて出来なくてもいいわよね。

だって役人が仕事を全部やってくれるんだもん。

そう考えるようになって、2年後。




「マリアンヌ、お前の兄さんを紹介しよう」

「お兄さん?」

「ああ、本来ならば会わせるつもりはなかったのだが…」


こうして唐突に現れた兄に引き合わされる。

金の髪に青い瞳。

お父様とお母様と同じ色。

なんて綺麗で羨ましい。


「レオハール、お前の異母妹のマリアンヌだ。仲良くするように」

「はい、陛下」

「よ、よろしくねお兄様」

「…はい、姫様…よろしくお願いします…」

「?」


まるで使用人のような話し方。

無表情だし、無口だし、一緒にいてもあまり面白くない。

せっかく出来たお兄様なのに…。


「ねぇ、お兄様! 本を読んで!」

「…はい」

「ねぇ、お兄様! お人形遊びをしましょう!」

「…はい」

「ねぇ、お兄様! トランプで遊びましょう!」

「…はい」


なんて無表情…。

言葉も棒読みだし…なにを考えてるのか全然分からない!


「ああもう! つまんない!」

「!」

「その無表情やめて! マリーと一緒にいて面白くないの⁉︎」

「……そんな、ことは…」

「そうなのね⁉︎ 酷いわ! お兄様! マリー、お兄様ができて嬉しかったのに! やっとマリーは独りぼっちじゃなくなったと思ったのに!」

「…マ、マリアンヌ姫様…」

「もういい! お兄様なんて嫌いよ! どっかに行っちゃえ!」

「マリアンヌ姫様…!」


なによ、なによ。

せっかく出来たお兄様なのに。

まるでお人形じゃない!

あんな気味の悪いお兄様なんかいらないわよ!

お父様に頼んで変えてもらおう!


「お父様!」

「…どうしたのだ、マリアンヌ」

「マリー、あんなお兄様嫌! もっと楽しいお兄様がいい!」

「は? なんだって?」

「だってずっとつまらなそうで、あんまり喋らないし、あんな気味の悪いお兄様よりもっと面白いお兄様がいい! あんなお兄様いらない!」

「……。マリアンヌ、あれはそれで良いのだ。遊びたくないのなら無理に遊んでやる必要はない。元々お前に会わせるつもりもなかったのだ」

「……? どう言う事ですの…?」

「お前にはまだ難しいだろう。大きくなれば自ずと分かる」


……???

お父様がマリーのお願いを聞いてくれなかった。

こんな事、今までなかったのに…。


「あ」


お父様の部屋から自分の部屋に戻る途中、お兄様が立っていた。

手には本を持ってる。


「なに!」

「……、…ご、ごめんなさい…。……」


困ったように、お兄様は笑った。

ぎこちない笑顔だけれどとても綺麗だった。


「独りぼっちは寂しいですよね……。…マリアンヌ様の気持ちは分かります…」


そう言って手を伸ばしてくる。

……独りぼっち…。

そうだ、あたしは、ずっと……。


「うっ……」

「えっと、本を読むので許してください…。マリアンヌ姫様…」

「マ、マリーって呼ばせてあげる! マリーって呼ぶのよ! お兄様はマリーのお兄様でしょう⁉︎ 敬語もダメよ!」

「え、ええと…わかりまし、…わかった、マリー…」


抱き付くとお兄様はあたしを抱き締めてくれた。

お父様の膝に乗ってもお父様はペンを置いてくれなかった。

お兄様はあたしを…本を持ったままだけど…抱き締めてくれる。

お兄様…。


「お兄様、今日は一緒に寝て! 一人は寂しいの!」

「……う、うん……いいよ」

「!」



この日からあたしは寂しくなくなった。

お兄様がいるから。

お兄様…レオハールお兄様!

あたしのお兄様!

あたしだけのお兄様!

なんでも言うことを聞いてくれる優しいお兄様。

会いに行けばいつでも会える!

お父様のようにお仕事で会えないなんて事もないし、お母様のように月に一度の晩餐の夜だけしか会えないなんて事もない。

そりゃ、歳を重ねるごとに「次期女王として」とか言って生意気にも口答えしてくるようになったけど…。

それでもお兄様はあたしだけのものよ!



「ホント、似ても似つかないわよね…」

「お兄様のレオハール様は金髪青眼…いかにも王族らしいお姿だけど…」

「それに立ち居振る舞いも…。マリアンヌ姫は、あれではただの我儘な貴族の子供だわ。いつまで経っても勉強も疎かにして」

「やっぱりあの話ホントなんじゃありません?」

「そうよね…」


「……………………」



お兄様のところへ行く途中、たまたま立ち聞きした。

侍女たちの噂話。



「王妃様の男遊びで出来た、王家の血を引いていないただの小娘よね」

「ふふふ、小娘は言い過ぎよ…」

「それに王妃様にも似てないし…王妃様が男に押し付けられたどっかの貴族の落とし胤とか?」

「クスクス…」



体の震えが止まらない。

踵を返して部屋に戻る。

あ、あたしがお父様とお母様の子供じゃない?

…………。

鏡を見る。

くすんだ藍色の髪と目。

お父様もお母様もお兄様も金髪青眼。

あたしだけ、全然色が違う…。

まさか? そんなはず…そんな事!



「ただのお噂ですよ」

「そうです、心ない、そして忠誠心の欠けた者たちの言葉などお気になさいますな」

「姫は間違いなくこの国の王女殿下なのですよ」


そうよね。

あたしは、この国の…。


「マリー、君は次期女王なのだから…ちゃんと勉強して、教養を…」

「姫様、課題は終わられましたか?」

「貴女は明日の女王なのですよ。このくらい出来なければ…」

「マリアンヌ、勉強は捗っておるか? このぐらい出来て当然だろう」


…あ、あたしはやってる!

ちゃんとやってるわ!

どうしてみんな責め立てるの?

勉強は嫌いだけど、でも、これでもちゃんと…!


「見て、汚いくすんだ色の髪と目」

「お妃も陛下もお美しいのに、似ていないわよね」

「なんて我儘なんだ、あれが次期女王だと? この国は大丈夫なのか?」

「いっそ噂通り偽物なら…」


あたしは本物よ!

あたしはこの国の王女! この国のお姫様!

似てないけど…お父様とお母様の娘よ!

お兄様の妹よ!

そんなはずない!

そんなはずない‼︎


お兄様…!


あたしのお兄様!

あたしの側にずっと居るって約束したお兄様!

あたしの、あたしだけのーーーー!







「…君は僕がこの世で最も嫌悪するものに成り果ててしまったようだ…残念だよ、マリアンヌ…」


星降りの夜。

お城の舞踏会。

あたしは、お兄様を誑かす悪い女をやっつけようとした。

でも、女が誑かした男に邪魔されて…。


「…………な、なに、よ、わ、悪いのは…悪いのはあの女なのよ…! なんでマリーが悪いみたいになってるのよ…! なんなのよ! なんなのよお兄様のくせに! お兄様はマリーの言うことだけ聞いていればいいのに!」

「陛下、この国を守護するために生まれたモノとして進言します。…“これ”は国を滅ぼす害悪になる。…貴方も僕も、これが王位を継ぐに相応しい淑女となるならばと見守ってきましたが、これは最早看過できない」


アンドレイとディリエアス公がお父様になにかを言ってる。

あたしは、悪く…悪くなんて……。

お兄様も、何を生意気な、事を…。

だって、だって…!


「限界ですね、陛下。…こちらもハッキリさせましょう」

「? それは」


お兄様がお父様の方へ近付く。

懐から取り出したのは一枚の紙。

それをお父様へと渡す。

お父様の表情が変わった。

…あれは姿絵?


「ねぇ、マリアベル様…陛下はA型、僕はO型なのだけど…僕の記憶だとマリアンヌはB型…」

「…………」

「マリアベル様は、何型でしたっけ…血液型…。B型やAB型なら問題ないんですけど……確か、僕と同じO型ではありませんでしたか? 変ですよね、A型とO型からはB型の人間は生まれない…」

「…!」

「………………」


何を言ってるのお兄様…。

これは、あたしのお兄様よね?

嘘よ。


「…お兄様……お兄様までマリーを偽物扱いするの…?」

「…………」

「…ねえ、やめてよ…お兄様、嘘でしょう…? お兄様は、お兄様だけはマリーを偽物だなんて言わないでしょう⁉︎ ねぇ、お兄様!」

「…………」


こっちを見て…。

お兄様…。

あたしを…。

いや…お兄様まで…。

お兄様まであたしを見てくれないの?

いや、そんなの、いや!


「どうなのだ、マリアベル…俺を裏切ったのか…⁉︎ マリアンヌは、俺の子供ではないと…⁉︎ この姿絵の夫婦…男が随分マリアンヌに似ているな…? マリアンヌの本当の父親は、まさかこの男なのか⁉︎」

「…………はあ…。やっぱり平民の娘は使えないわね…。せめて王位を継いでから自由に死刑なりなんなりすれば良かったのに…。こんなに頭が悪いなんて……計画が台無しだわ」

「⁉︎」


扇子を閉じたお母様。

いつも表情が分からなかった。

お母様のお顔…はっきり見たのはこれが初めてかもしれない。

笑顔なんて……初めて…。


「計画、だと? なんの話だ⁉︎」

「うふふ、ここまでバレたからにはもう仕方がありませんわね…。残念だわぁ…絶対バレないと思ったのに…。…やっぱり…レオハール…お前が死ぬまではその娘にはおとなしくしておくように少しでも『母親』のわたくしから言っておけばよかったぁ…。…でも、平民風情と話すのはなんとなぁく気が進まなかったのよねぇ…」

「マリアベル!」

「やだわ、陛下ったら大声なんて出さないでくださいませ」

「へ、平民の、む、すめ…? お、お母様…な、なにを仰って…」

「嫌だわ、もうバレてしまったのだから気安くわたくしを母などと呼ばないで。身の程を弁えなさい、平民の娘」

「……な、なにを、お、お母様……」

「だから、わたくしは貴女の母ではないの。貴女の本当の両親が誰なのかはわたくしも知らないのよ。ミアーシュに任せていたから本当にぜーんぜん」

「…………」

「い、一体どういう事なのか、ご説明願えますかな、マリアベル王妃!」


そんな中で声を発したのはアンドレイ。


「それはね、こんな国滅んでしまえばいいと思ったからよ。平民の娘が王位を継げば、王家の血は絶え、記憶継承の力も途切れる。そうしたらウェンディールは永遠に終わるでしょう⁉︎ あーっはっはっはっはっ‼︎ なんて素敵!」

「………っ…」



お母様?


お父様…。


お兄…、…………。


あたしは……。






誰?

















…………。


………………。


……………………。




「マリー」

「…………」


聞き馴染みの声に顔を上げる。

ここはどこだろう。

暗い部屋。

窓はあるけれど、机と椅子とベッドしかない。

そんな薄暗い部屋でも美しく輝く金の髪。

優しい青い瞳。


「……」


口を開きかけて、閉じた。

“お兄様”じゃ、ないんだった。

あたしは…………噂通り…。


「…君の処遇が決まったよ。リース家の開拓地で引き取ってもらえる事になった。…これまでとは全然違う生活になるだろうけど…新しい名前と場所で頑張って生きていくんだ。出来るね?」

「…………なまえ…」

「マリーだよ。君の新しい名前だ。これからそう名乗って生きていくんだよ」


頭を撫でる、優しい手。

懐かしいな。

いつからお兄様は…あたしのことを撫でなくなったんだっけ。

いつもあたしがせがんで…。

あ……いや……嫌だ…。


「嫌…」

「マリー、君の我儘はもう…」

「お兄様…!」


手が離れる。

嫌だ。

離れていかないで。


「…………、……そうだよ」

「…………」

「僕はずっと…これからも……君のお兄さんだよ。…でも、もう、君の側にはいられないし、我儘も聞いてあげられない。君は傷付けてきた人たちへ償わなければならない。やり方は違うけれど僕も一緒に、この生涯をかけて償おう。…だから君も……これからは一人で生きていくんだ」

「……、……っ、……」

「……一緒に頑張ろうね…、…僕の、可愛いマリー…」






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