番外編【レオハール】6
陛下の誕生日、王誕祭まであと一週間。
最近の陛下は目に見えて窶(やつ)れた。
仕事もほとんど手につかなくなり、部屋でぼーっとしているかベッドに横たわってばかり。
お陰で陛下の仕事がどーんと僕に回されるようになった。
アンドレイは「次期国王として信頼されているのですよ」と満面の笑みで言っていたけど…忘れていないよね?
僕はまだ学生だよ!
卒業まであと2年あるよ!
「はあ…」
「レオハール様、お茶をお持ちいたしました」
「え⁉︎ ローナ⁉︎」
仕事量が増えたので肩がこるなー、と腕をぐるぐる回していた横からお茶が出される。
驚いたのは持ってきた人物だ。
そりゃ…今日は手伝いに来る日と聞いていたけど…問題はそこではなくて…。
「な、なにその格好!」
「メイド服です」
「なんで⁉︎ え? 君が⁉︎」
「おかしなことではありませんわ。城の給仕は立派な貴族の務めです」
「うっ」
確かに以前働いていたメイドやマリーの侍女たちも貴族の出。
特にマリーの侍女たちは伯爵家や侯爵家の者も多かった。
だから…ローナが城でメイドを手伝うのはおかしなことではないんだけど〜…。
それに、普段下ろしている長い髪はお団子にまとめられ、黒のロングスカートのメイド服は普段の制服姿とは違って独特の上品さと気品さがある。
似合っているかいないかで言えば間違いなく似合っていると思う。
で、でもなー…。
「それにお役人様はお戻りになられているようですが、侍女やメイドはほとんど戻ってこられなかったとかで…城のメイド長が困っておいででしたもの」
「………そうなんだよね…」
マリーがクビにしたのは役人だけではなくメイドや侍女もだ。
中には戻ってきてくれた子もいたけれど、城で働いていたメイドや侍女は遠方の伯爵家や侯爵家の者が多い。
それに、一度城へ奉公していた事で彼女らはクビを機にさっさと結婚していたりもする。
なので、呼び戻す事は困難を極めていた。
今年卒業したアミューリアの生徒を入れてもまだ足りない。
…まあ、結婚が決まっていた令嬢が多いから仕方ないのだけど。
そんなわけでメイドや侍女は役人たちよりずっと人手不足が深刻。
でもなにもローナがそれをやらなくても…。
「でも、ヴィニーがよく許したね?」
「膝をついて泣いておりました」
「…………」
だろうね。
「少しお休みください。昼食もまだ摂られていないのでしょう?」
「え? もうそんな時間?」
「とうに過ぎておりますわ。ヴィニーがオムライスなるものを作っておりますので、書類は一度お下げしますわね」
「おむらいす?」
オムレツではなく?
不思議に思い首を傾げる。
なんでも、オムレツの中にイースト区の特産品の一つ『コメ』を煮たものを閉じ込めたものなんだとか。
ヴィニーは相変わらず不思議な料理を思いつくな〜。
「…レオハール様、それと一つ」
「うん?」
「昨日ヘンリエッタ様のお茶会に呼ばれましたの。その時に、ヘンリエッタ様も是非、城の手伝いに来たいと仰っておりましたわ。今度の土曜日に来られるそうです」
「ヘンリエッタ? …えーと……」
「…西区のリエラフィース家のご令嬢です」
「あ、ああ…あの卵焼きみたいな頭の娘…」
「……」
微妙な顔をされてしまった。
ヘンリエッタ……ヘンリエッタね、う、うん、なんか頭からすり抜けるんだよな、あの娘……。
「それから……差しでがましいようですが…」
「うん?」
「……殿下はそろそろ本当に…婚約者を決められた方が良いですわ。戦争まで時間もありません。婚姻とお世継ぎは次期国王としての責務です。……その…」
「…………」
「……生きてお戻りになって頂くためにも…どうか……」
言葉を待つ。
でも、それ以上をローナは言わなかった。
いつも歯切れの良い彼女らしくないな、と思う。
ほんの少し震える肩や指先。
僕はゆっくり目を逸らして、ペンをしまう。
「うん、そうだね……」
兵器として生まれ、兵器として育った。
それも全ては戦争に勝つため。
しかしそれはこの国を守るため、という王族としての最大の責務が根本にあるからだ。
マリーと対峙する事を決めた時に覚悟も決まった。
でも、うーん…婚姻だけはどうも…。
「…………」
生返事を返した事をどう思われただろう?
ローナに視線を戻すと珍しく少し俯いていた。
相変わらず美しい人だ。
悩む姿もまた、この国を想ってのことだろう。
しかし、そこではたと思う。
僕は彼女の言う通り、次期国王として世継ぎをつくらないといけないんだよね…。
マーシャがマリアンヌ、ヴィニーがオズワルドお兄様だと分かった今…急く必要はないと思うけど…次期国王が世継ぎをつくらなくていい理由にはならない。
以前スティーブに事細かに僕がいかに「ローナを好きか」を諭されて、まあ…それはその通りなのだろうと諦めて認めたけれど…でも、ローナが僕を好きかというとそれは話がまた違う。
これまでと色々立場が変わってしまったけれど、ローナに対しての憧れは健在。
彼女は美しい人だと思ってる。
彼女のいる国だからこそ守りたい、とも。
憂いを帯びた今の表情も、僕はずーっと眺めていられる。
だって美しいじゃないか。
「……ローナはどうなの?」
「は、はい? わたくし?」
「エディンとは合わないと言っていたけど…君だって嫁ぐ為にケリーを養子にしたんだろう?」
「…は、はい…」
いよいよ俯いて考え込む。
相変わらず無表情なのだが、僕もそろそろローナの“表情”は読めるようになってきた。
困らせるつもりはないのだけど…。
「僕と君の婚姻を勧める声が多いのは…知ってる?」
「! ……、…はい」
リース伯爵は陛下の友人。
リース伯爵家も、来年には侯爵の爵位が決まってすでに手続きも始まっている。
爵位はまあ、元々リース伯爵家の権威や血筋を思えばどうというものでもないけれど…。
「僕は血筋でヴィニーやマリアンヌには劣るから…セントラルの伯爵家以上の令嬢を選んで欲しいと言われているんだよね…」
なのでローナが大抜擢されているのである。
ヘンリエッタ…ってそういえば聞いたことあると思ったら『候補』の1人か〜。
オークランド家にも息女が居て、ゴヴェスにすごい推されてるけど…顔と名前が思い出せない…。
なんというか…ローナという太陽がいるから他の子はみんな顔が逆光で見えないんだよね。
「…レ、レオハール様…あの、それは……」
「あ、もちろんローナが嫌なら無理にとは言わないよ?」
女神にそんな酷いこと出来ないもの。
ヴィニーにも何言われるかわからないし、ローナが嫌なのに無理矢理話を進めればヴィニーが『オズワルドお兄様』になるかもしれない。
そうなると僕はいろんな方面で勝ち目がないから。
『レオ、悠長な事を言わずガツンと口説いてしまうのだわ! レオならいけるのだわ!』
…魔宝石の中で眠っているとばかり思っていたエメリエラが突然斜め上に現れる。
拳を握って、生き生きとした笑顔。
ううう…今だけは出てきてほしくなかったかも…!
「…そんな、わたくしに断る理由なんて…」
「うーん、でもローナはこの話題になってから、一度も僕の方を見てくれないしね…」
「! そ、それは…」
…去年の年末の時に盗み聞いた、というか盗み見たローナとスティーブの会話。
あれを思うとローナの気持ちがはっきりするまでは話を進めるわけにはいかないと思うんだよね。
あと、口説くとかよくわかんない。
エディンに相談しても参考にならない気がするし…こればかりは。
「それにローナが嫌がる事をするとヴィニーが怖いし…」
「そ…それは……」
さすがローナ。
察して頂けたようで何よりだよ。
「まあ、今すぐ答えを出す必要はないかな、と僕は思ってるんだよね。マーシャもいる事だし」
「……ですがのんびり考えていてもいい事では…。それに、わたくしは……」
「まあ、いいじゃないか。僕、ローナのことは初めて会った日からずっと憧れてて好きだったけど…だから恋人になりたいとか結婚したいとかは全然わからないし想像出来ないんだよ。ほら、僕ずっと『兵器』として育てられたから。そういう方面は考えてこなかったんだ」
「……レオハール様……」
自分が『普通の人』みたいに誰かと恋人になって結婚して家庭を築く、とか、考えてこなかったからよくわからない。
マリーに「王族として血筋を残すように」って言い聞かせる側だったから、余計。
ローナのことはエディンに任せておけば大丈夫だと思ってたし。
僕はローナとエディンと……そして僕と関わってくれた人たちが生き延びて幸せになってくれればそれでいいやー、と思ってきたから……。
「…………レオハール様…」
「うん?」
「あ、あの…今、なんと…?」
「え? 考えてこなくて…」
「ではなくその前です」
「その前?」
どことなく怖い無表情になった?
と、僕が少し身を縮めた時、ドアがコンコンとノックされる。
すぐに「ヴィンセントです」との声。
あ、オムライス!
「どうぞ!」
「失礼します、昼食をお持ちしました。…あれ、お嬢様! こちらにいらしたのですか」
「え、ええ…レオハール様にお茶を…」
「ありがとうございます。あとは俺が淹れ直しますね」
「わあ〜、これがおむらいす? 美味しそうだね〜!」
黄色いふわふわの生地に赤いソース。
その色合いをより引き立てるように添えられたパセリ。
す、すごくシンプル!
でも、この香り…卵と牛乳の甘い香りと、トマトの爽やかな香り…。
そうか、赤いソースはケチャップか!
…でも、この中にコメが入っているんだよね…?
コメ…食べた事ないけど、細かな粒の穀物…。
あれを茹でて柔らかくするとお芋のようにほんのり甘くて美味しくなるらしい。
…想像がつかない…一体どんな味なんだ?
「………わたくしは昼食に行ってまいります」
「え? ローナまだ食べてなかったの?」
「今は使用人ですので」
「? ロー…」
「失礼致します」
バン!
…なんか強めに扉が閉まったんだけど…?
「……レオ、お前お嬢様に何か言ったのか?」
「え? 何も言ってないよ?」
とりあえず僕の好物がこの日増えた。
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