ヘアピン探し
今週末は城に行って『スズルギの書』の書き写しをする。
と、いうわけで本日は三時に自習を切り上げ、新しくノートを買い足して来た。
さすが貴族の学園。
ノートも良い紙質のものが多くて助かる。
ラスティにはこの細いノートで我慢してもらうとして……ああ、そういえばアルトの体調はどんなもんだろう?
案の定、レオはアルトが『斑点熱』に罹ったと聞いた翌日から休んでいる。
石鹸の物流に関してはうちのお嬢様とヘンリエッタ嬢、ケリーも一枚噛んできたので心配はなかろう。
むしろ生産が追い付いてないかも、とメグが頭を痛そうにしていた。
うちのクラスでも、何人かの生徒が休んでいるのを見たし……。
「ヴィンセント君、ちょうど良かった」
「げ。……いえ、何でしょうかミケーレ先生」
「ボクの顔を見るなり『げ』はないでしょう『げ』は。……それより……ケリー様は近くにいませんね?」
何の確認だよ。
見ての通りいねーよ。
どんだけ恐れられてんだケリーの奴……。
「そ、それなら良いけど……。い、いや、そんな事よりも最近また『斑点熱』が流行って来ているのは知っている?」
「え? ええ。さすがに」
「貴族の皆様におかれましては、余程『斑点熱』が恐ろしいようデース。まあ、肌に斑点が出来るのは特に女生徒にとっては恐怖以外の何者でもないらしい。そこで、明日から『斑点熱』の流行が終息するまで、休校になる事となった」
「え……?」
み、耳を疑うよな。
は? 終息するまでの間休校?
ま、待て待て待て……確かに有効な手立てではあるが、すでに学園内では感染者が出ているんだぞ?
「え? いや、待ってください。そんな事しても……無駄、ですよね?」
「そう、無駄だ。むしろ寮に引きこもれば、感染はし易くなる。……と、申し上げたんだがねぇ〜。薬を確保して引きこもれば、大丈夫だと思っているらしい」
「…………」
我が身可愛さに病気の特性とか全然理解せず決めちゃったやつか。
ブァーカめー。
「まあ、我が愛しの女神、ヘンリエッタ嬢も沈静化に動いてらっしゃるようだし」
「? え?」
「彼女がそう言うのであれば……きっと間もなく終息する事だろう……」
「…………え?」
「はあぁ、麗しき我が女神……! 貴女の姿を思い浮かべるだけで! この世界はこんなにも虹色に輝く……! はああぁぁ……!」
「………………」
思わず周りにケリーがいないか確認してしまう。
いや、するだろ。
これはするよね? 誰でも。
幸いこの辺りは三年校舎だから?
二年のケリーがいるはずないんだけど、ね?
それ以前に何でこの変態は窓に向かって跪いて両手を広げてヘンリエッタ嬢に愛を捧げてるの?
は? ちょっと待って俺の脳が処理追い付かないって相当な事態じゃね? はあ?
「……………………」
はあ?
「いや、え? 何、どういう事なの……」
「麗しき我が女神……貴女の時間が今も満ち足りていますように……☆」
「いや、マジで待って待って何が起きてるの俺の目の前で。マジで待って。ミケーレあんた頭でもぶつけたのか? ヘンリエッタ嬢はケリーの婚約者だぞ」
「そう。そしてボクの女神だ」
わぁお、痛い人属性が追加されてる〜……。
真顔で何断言してるのこの変態。
最近まともに仕事してると思ったけど中身はやっぱりヤバイ人だったー。
「彼女はボクに多くのものを与えてくれた。知恵、知識、閃き、そして安息。ボクの家族の事を聞いたら、ケリー様に『クレーテル』へ受け入れられないかと提案してくれたのも彼女だ」
「!」
そうだったのか。
まあ、ケリーなら(絶対それだけが理由ではないと思うが)ヘンリエッタ嬢の願いとなれば多少強引でもやるだろう。
絶対それだけが理由ではないと思うが。
絶っっっ対、それだけが理由ではないと思うが!
「彼女のおかげでボクの両親は『クレーテル』に無事辿り着き、今は雪のない場所で暮らせていると手紙が来た。これがどれ程すごい事なのか……きっと君には分からないだろう!」
「は、はい」
すまんそれは分からん。
でも正直このテンションからは一秒でも早く解放されたい。
こいつ魔法の事以外でもこんなテンション上がるんだな? キモ。
「彼女は……ヘンリエッタ嬢はボクの罪を許し、ボクを救ってくれた女神なんだ。おお、我が愛しき麗しの女神ヘンリエッタ嬢よ……休校というこの試練、ボクに耐えられるだろうか。貴女の姿を一日も見られない日が来るなんて……無理だ、ボクには耐えられない!」
「…………。ええと、それでは俺はこれで?」
「クラスのみんなにも伝えておいてくださーい。……ああ、我が麗しの女神……!」
「そこは適当なのかよ」
……まあ、けれど……貴族たちには石鹸もあるし予防さえしっかりしていれば『斑点熱』に罹っても重病化はしないだろう、多分。
ミケーレはどう見ても手遅れだが……。
亜人たちの民間療法を研究中のお嬢様が、何か掴めれば一気に解決しそうではあるけどな。
けれど、それでも特効薬の量産は間に合わない。
やはり予防をきっちりとしてもら……あ?
「巫女様!」
教室に戻る途中、渡り廊下から二年の校舎側にピンクの頭が見えた。
巫女殿、あんな場所に這いつくばって何してるんだ?
ノートを脇のベンチに置いて、駆け寄る。
「あ……ヴィンセントさ……」
「…………、……本当にどうしたんですか」
疲弊したような表情。
なんだ、これは。
胸が嫌に騒ついた。
しゃがんで目線を合わせると、涙が滲んでいる。
「……い、いえ、あの……へ、ヘアピンを……落としてしまって……」
「ヘアピン? ……」
あ、ない。
本当だ……巫女殿の左の方にいつも付いていた……俺がオーダーメイドで巫女殿にお返しした『チェリーブロッサム』のヘアピンが、あるべき場所にないではないか。
「この辺りに落としたんですか?」
「……は、はい……ご、ごめんなさい……ヴィンセントさんが、せっかく作ってくれたのに……」
「い、いやぁ、アレ別に俺のお手製ではないので……」
そんなガチ落ち込みされると心苦しいぜ。
「…………」
しかし、そんな半泣きで探す程大事にされていると思うと……まあ、それは……悪い気はしない。
あ、いや、確か……お兄さんからの合格祈願のお守りに『キリンの鱗』を貰ったって言ってたっけ。
そうか、それは大切だもんな。
今考えてもなんじゃそりゃだけど。
「……巫女様のお兄さんは飼育員か何かなんですか?」
「え?」
「いや、以前……ヘアピンに使った鱗は『キリンの鱗』と仰っていたので……」
キリンに鱗があるのは俺も初めて知ったけど。
さすがに短毛のイメージだった。
いや、まさかキリンという名の魚……?
新種? 深海魚?
なら魚関係の仕事の人?
だんだん訳が分からなくなってきたぞ。
「あ、いえ……一番上のお兄ちゃんはアイドルなんです」
「ふぁ……?」
ア、アイドル?
え? 巫女殿のお兄さんアイドルなの?
え、すごい何それ芸能人じゃん……。
「あ、アイドルっていうのは……歌ったり踊ったりして人を楽しませるエンターテイナーみたいなお仕事で……」
「は、はい」
いや、ある意味乙女ゲームのキャラである俺も似たようなものではあるんだが?
だがしかし、アイドルと聞くと昔の血が騒ぐ。
俺、これでもドルオタガチ勢だったりもしましてね?
ヤバいどうしよう、ものスゴーーーク詳しく聞きたい。
巫女殿の可愛さを思えばさぞや良いところまでいってるアイドルなのだろうし!
もしかして、俺知ってたりして!
あははは、まさかね?
「あ、テレビも出てたり演技もしたりするんですよ」
「ほ、ほほう」
テレビ出てんの?
ヤバい、マジで上位クラスじゃんか。
うぁあぁ、そわそわする!
詳しく、詳しく聞きたい!
「ゆ、有名な方なんですか?」
「はい! 日本一を決めるアイドルの大会で優勝してますし、海外でも活動してるんですよ! お兄ちゃんたちはすごいんです!」
お兄ちゃん
グループのアイドルか!?
それも日本統一を果たしておられるとは、最早神レベルは間違いない!?
一体! 一体どのグループのメンバーがお兄様でいらっしゃるんだ巫女殿〜〜〜!?
「な、何人ぐらいで活動しておられるのでしょうか」
「え? えっと、今は一人加入して四人組のグループになってたはずですけど……」
「まさか……」
「え?」
「まさか……『Ri(リ)☆Three(スリー)』? まさか……『CROWN(クラウン)』……!? まさか! あの! 天下無敵のアイドルグループ!? リント様のおわすあの!?」
「え? え!? ええ!? な、な、な、なんでヴィンセントさんがお兄ちゃんのグループの事を知ってるんですか!?」
「ファンですから!?」
「ふぁ!?」
がしっ、と巫女殿の両肩を掴む。
いや、手加減はしてるよ!?
でも、だが! 興奮が! 抑え! られないいぃ!
「まさかリント様!? ご兄妹がいるというお話は聞いた事がございませんが! まさか!?」
「ちちちち違います!? わたしのお兄ちゃんは空風マオトの方で……」
「マオト様〜〜〜〜!? あの天下無双のパーフェクトアイドルの名を欲しいままになさるあのおおぉ〜〜!? マオト様の妹御が巫女様〜!?」
「ちょ、ちょっと落ち着いてください!?」
〜〜 しばらくお待ちください 〜〜
「……は、はぁ……はぁ、はあ…………ま、まさか巫女殿の身内が『CROWN』のリーダー空風マオト様だとは……! なんてこったい……!」
「そ、そ、それはこっちのセリフです……! ま、まさかヴィンセントさんが『記憶継承』のせいで前世の記憶がめちゃくちゃあって……その上お兄ちゃんたちのグループのガチ勢だったなんて……! それもリントさんの……」
「我が永遠の心の主人でございます……!」
「…………(あ、信者の人だ……)」
いや、もちろん今の主人はお嬢様だぞ?
けどな、前世で俺はある意味全ての価値観を覆された事があるのだ。
それこそライナス様の事を、俺は割と本気で笑えないレベルで。
スティーブン様の可愛さで扉を開いてしまったのは、仕方のない事だと思う。
それはもう、男の娘というジャンルがこの世界にも確立したという、そういう意味だとさえ思っている。
いや、別に俺はリント様を『男の娘』だとは思っていない。
あの方はそういうカテゴリに囚われる方ではない。
そう、あれは……『漢の娘』。
漢の中の漢でありながら、少女の可憐さと可愛らしさと罪深さを併せ持つ、一種の神だ。
この世にあの方以上の『オトコの娘』は存在しないと断言出来る。
まさに小悪魔。
まさに神!
いや、まさに『
魔性の『
「……で、では……ではまさか巫女様は……巫女様はリント様にも直接御目通りした事が……」
「あ、はい」
「くおおおおおぉっ! 羨ましいいいぃ! 絶対かっこよかったんだろうなぁぁぁぁぁぁぁぁあ!」
「は、はい、まあ、その……だ、第一から入るとギャップで混乱しますよね」
「そうなんですよ!」
見た目はマジ天使なんだよあの人ぉ!
金髪金顔……若干今だとハミュエラがスワッと脳内によぎるのが腹の立つところだが、あんなのと比べ物にならない程可愛いのだ! リント様は!
大きな愛らしい瞳、サラサラの髪、ぷりっつやの肌や唇。
年齢? その概念リント様には当てはまらないから。
そのくせ見下ろす眼差しは悪魔そのもの。
ファンの事など金づるぐらいにしか思っていない。
「……踏んで欲しい……」
「…………」
衣装も必ずフリッフリの女の子が着るような甘ロリ系。
早着替えさせたら日本一。
声も可愛いし、背も低いから本当天使そのもの。
男のツボを心得ているから、グサグサ容赦なく急所をえぐってくる……あの仕草……!
「でも性格はホンット最悪な! そんなところが! 堪らなく好きです!」
「…………」
「そして何より仕事に対するあの徹底的なプロの技! 熱意! 真摯に向き合う姿! 好き!!」
「……そ、それは、まあ、確かに……」
「献金させて頂きたいいいぃ! お布施を! お布施をお受け取りください〜〜!」
「お、落ち着いてください……!」
くぁぁぁあぁ、長年封印されてきたドルオタ魂が堰を切ったように溢れ出すうぅ!
それでなくとも最近お嬢様にご奉仕が良い感じに出来ていなくてストレス溜まってんのにぃぃぃ!
リント様……ああ、リント様、リント様ぁぁ!
思い出したらもう、もううぅ!
全財産貢がせてくださいお願いします〜〜!
「……ん?」
「……ど、どうしたんですか!? 大丈夫ですか!? リントさん教信者特有の発作にはまだ続きが!?」
「いえ、あれは……。少々お待ちください」
芝生の上で頭ゴロンゴロンしてたらキラリと光るものを草の中で見付けたのだ。
よいしょっと、と体を伸ばしてその辺りを探る。
「あった」
「え? な、何が……」
「ヘアピンですよ」
「! ……あ……」
どうやら傷もなく無事のようだな。
……立ち上がって、巫女殿のところへと戻りその手のひらに置く。
「あ、ありがとうございます……」
「いえいえ、まさかかの天下無双のパーフェクトアイドル、マオト様の妹さんだったとなればそれはつまりこれはマオト様からの贈り物という事になるのでしょう!? ……むしろ、良いものを拝ませて頂きました」
「ほ、本当に拝まないでください!?」
これは手を合わせておくべき品だろう、ファンとして。
「受験の妹さんに合格祈願のお守りを渡すなんて、さすがパーフェクトアイドル……なんとお優しい……」
「ちょ、ちょっとあの、本当に拝まないでください……あ、兄もあんまりそういうの好きじゃないですし……」
「そんな殺生な……久方ぶりのアイドルトークなんです。多少は大目に見てください……」
「……………………」
複雑そうな顔をされてしまった。
むう、不本意ではあるが、マオト様の妹さんを困らせるのは俺も本意ではない。
仕方ない、この辺りで退こう。
アイドルに対して無理な攻めの姿勢はマナー違反だ。
「……えっと、でもあの、ヴィンセントさんが、わたしと同じ世界の人だったのは……本当に驚きました」
お、巫女殿話を逸らす作戦だな?
……まあ良い、乗りましょう。
ちょうど退くつもりだったし。
「ええ、俺も……まさか本当に同じ世界から来られた方とは思いませんでした」
「でも、どういう事なんでしょうか……? ヴィンセントさんもこの世界に、エメに召喚されて……? でも『記憶継承』で記憶がある、って言ってましたよね?」
「はい。俺はそちらの世界ですでに死んでいるんです。……恐らく時間軸も少し違うと思いますよ」
「え……」
ヘンリエッタ嬢の……佐藤さんの話では、彼女は二十五の夏が始まる少し前にヘンリエッタ嬢の中の人になったらしい。
俺が死ぬのは…………その一ヶ月後。
巫女殿はもしかしたら、俺が生きてる時間軸に帰れたりするんだろうか?
だとしたら『飛行機は変えるな』とでも言付けてもらえれば死なないんだろうか。
「………………そんな……」
「まあ、でも、それでここでこうして巫女様に会えたのですから」
「…………」
俯いてしまう巫女殿。
この話題はどうも女の子にウケが悪いというか……ヘンリエッタ嬢もこんな感じの顔してたし。
「……名前」
「はい?」
「名前、なんて……いうんですか? 元の世界の……」
「? ……
「……わたしは……わたしは
「…………!」
頭を下げられる。
そして、髪にヘアピンを差す。
涙を手の甲で拭うと、真っ直ぐにこちらを見上げてくる。
ああ、まずいな。
心のどこか、頭の片隅で、自分の声でそう、呟く。
「よろしくお願いします」
「………………はい……よろしく、お願いします……」
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