スズルギの書



 こっそり……。



「よし、誰もいない……まあ『地下』に人がいるわけないんだけど」


 かつ、かつ、と石造りの廊下は革靴の音がよく響く。

 上まで聞こえる事はないだろうが。


「よっと」


 ガチャ。

 ドアノブは本日も楽に開く。

 改めて、これが『クレースの名』の力だと思うと大変に複雑だ。

 俺が入るやいなや、禁書庫のシャンデリアや燭台に火が灯る。

 相変わらずすごいな、これ。

 まあ、明るくなってくれるのは助かる。

 サクッと書き写して帰ろう。

 前回書き写したメモはレイヴァスさんに手渡したので、向こうでアルトの症状と似たものに効くのを作るだろうし……俺はこっち。


『鈴流祇の書 鈴流祇流、剣指南の書』

『鈴流祇の書 薬師の書』

『鈴流祇の書 大陸支配権代理戦争記録』

『鈴流祇の書 魔法の指南の書』


 今度こそ全部書き写そう。

『薬師の書』の残りも書き写しておきたい。

 さて、どれから……やはり……鈴流祇流の剣指南書だな。

 謎が多いっつーか……正直『散華』以外思い出せん。

 剣の流派なら他にも技みたいなのがあるんだろう。

 どれ……。

 と、ページを開く。


「うっ」


 相変わらず達筆すぎて難しい。

 だがなんというか、前世の日本語とも少し違うんだよなぁ、これ。

 形は似ているんだが、漢字? これ漢字?

 鈴緒丸の鞘に彫ってある銘はがっつり前世の文字だったのに……。


「……………………」


 でもなんかだんだん『思い出す』感じがする。

 読み進めていくと『読める』ようになってきた。


「…………、……ま、さか……いや、でも……」


 頭を抱える。

 だって、俺がこの世界とも、前世の世界とも違う文字を読める事。

 これは、多分『クレースの名』を借りたお陰でより『記憶継承』の発現がパワーアップした事に起因する、と、考えられるとして……。

 ならば、そのパワーアップした『記憶継承』の力で以って、この『本来なら誰にも読めない異世界文字』を読めるようになっている……のは、それはつまり……!



 ——『その剣は曰く付きでね。大昔、異世界から来た剣士が持っていたと伝わっている。その剣士は命よりもその剣を大切にしていて、自分の死後、剣を誰にも渡したくないと鞘から剣が抜けない呪いを掛けた……お兄さんに抜けるかな……?』



 鈴緒丸を持っていた怪しげな雑貨屋の店主は言っていた。

 もし、それがガチなら答えは一つ。


「…………この世界に来た剣士って、ずっと昔の前世の俺?」


 両手で頭を抱えたが、それ以外考えられない。

 嘘だろ、マジかよ? そんな事ある?

 技に関しては、理論的に書いてあるのであとは試してみるにしても……。


「まさか……」


『大陸支配権代理戦争記録』を手にする。

 開いてみた。

 レオは『クレースは記録をほとんど残さなかった』と言っていたが、よもや『スズルギの書』に詳細のあるものが残っていて、それが禁書庫にあるとは思わなかったんだろう。

 小難しく色々書いてあるが……要約するとこんな感じか?


 戦争に関して、記するもの、特筆すべきものはない。

 あれは武神の遊び。

 命を啜る獣以下の所業。

 いずれ神すら食い殺す獣により、報いを受けるだろう。

 後の者がこれを読み解き、我欲に溺れた愚かなる武神への報いをその手で臨むのであれば、クレースと契約した女神の力を借り受けるべし。


 戦巫女は必ず守り抜くべし。



「……………………」


 武神。

 武神……?

 武神って、あれだろう?

 女神と双璧を成す、この世界の守り神……天神族の片割れ。

 主に獣人族は力の象徴である武神族を一種の宗教として崇めている。

 そして、遥か昔、人間族や獣人族が他の種族への侵攻を繰り返し、遂に人魚族も他を欲しがり始めた事から武神の一人が『大陸支配権代理戦争』を始めた。

 それが武神の遊び?


「……遊びって……」


 いつから始まったのかは知らないが、それでも五百年ごと、五つの種族から五人ずつ……つまり、二十五人が戦争に参加して、中には死んだ者もいただろう。

 この書にも『私とクレース以外は死んだ』……三人の代表は命を落としたとある。

 五百年前に生き残ったのはこの書の著者とクレースだけだったという事。

 はあ? 遊び。

 遊びと書き記すか。


「……遊び……」


 沸々と、湧き上がるこの怒りは……。


「武神……ゴルゴダ……!」


 心臓が痛いぐらいに脈打っている。

 胸を押さえるが、心の底から……まるで呪いが溢れるようにドロドロとしたものが溢れて苦しい。


「はっ……はあ……はぁっ……!」


 なんだ、これは。

 俺はどうなってる?

 ライレンスズルギ……この書を書いたであろう、異界から来た剣士!

 鈴緒丸の『前所有者』……。

 鈴緒丸を誰にも渡したくない、と鞘から抜けない呪いを掛けた。

 俺は、鈴緒丸を鞘から抜いた。

 抜けてしまった……!

 そして、この……この『武神ゴルゴダ』への、ドロドロした痛み、苦しみ、怒りは——!


 ——神ならば命を弄んでいいのか?

 ——神ならばその命、魂を啜ってよいと?

 ——戦士、騎士を食い荒らし、主君たる女神ティターニアへ……——


「あっ、たまの、中に……!」


 誰の『思考』だこれは?

 無理やり『記録』を閉じる。

 胸を押さえたまま、突っ伏して耐えた。

 苦しい、そして、腹の底が煮えたぎるように熱い。

 これは、怒り。

 ……怨念……?


「………………くっ……ふう……はあ……」


 どのぐらいそうしていたのか。

 体がまだ強張っている。

 背凭れに寄り掛かり、シャンデリアを見上げた。

 ライレンスズルギ……これが奴の思考?

 何代前の前世の人かは知らないが、こんなに強くこびり付いているとは……。


「……スティーブン様の、苦しいのが少し、分かった……これは、きっちぃ……」


 前世の人格、執念のようなもの……それに、引きずられる感覚。

 これは、キツイ……!

 多分スティーブン様が言っていたのはこれの事……!

 こんなにヤバイものだったとは……。

 これが、『記憶継承』の弊害。

 そうだよな、そりゃ、そうだ。

 便利な力が、ただ便利なだけであるはずがない。

 そして、恐らくだが……『禁忌の力』と呼ばれる『剥奪』と『強奪』はこの弊害を解消する力!

 ……確かにこれは……この、苦しみは『記憶継承』を手放してでも解放されたい。


「…………げっ!」


 胸元をしわくちゃになるまで押さえていたせいか、内ポケットから懐中時計が見えた。

 垂れ下がったそれを持ち上げて、なんとなしに蓋を開くと……い、一時過ぎてる!?

 朝に来たはずなのにもう!?


「うう……、まだ半分も書き写してないというのに……」


 失敗したなぁ、先に『薬師の書』を書き写し終わってから諸々見れば良かった。

 この間の予防食レシピをもう何種類か考えなければいけないから、戻って続きを…………はっ!


「っ! あれが! あったんだった!」


 立ち上がって、階段を上る。

『スズルギの書』がまとめてあった場所には、他にも五冊の書が納められていた。

 そう! 料理書だ!

 立ち読みでも良いから、とりあえずヒントを……ヒント的なものを探せ。

 手ぶらでは帰れん、時間もないし。

 お嬢様やスティーブン様、アルトが必死にたったの一ヶ月で『ウェンデル』中の国民を、平民貴族関係なく巻き込んだ新手の祭りの開催をしようとしているんだ。

 アミューリア学園内でも休みに入ってる生徒を巻き込んで準備すると言っていたし、そんな生徒たちに試食と称して予防食を食べさせつつレシピを使用人に覚えてもらう。


「っぐ!」


 いてっ!

 ……まだ、胸が痛む。

『スズルギの書』のページをめくっていると、ギリギリと!

 なんだこれなんだこれ、いってぇ!


「……む、無念だったのは、分かった。でも、これは……この国の、国民を『斑点熱』から守る為に、必要なんだっつぅの」


 そう呟くと、不思議と痛みが消えていく。

 なんだ、こりゃ。


「ん?」


 なんか足に当たった、と思ったら……腰のベルトに鈴緒丸が挟まっている。

 え、俺、呼び出した覚えないんだけど?


「……」


 もしかして、鈴緒丸を持ってれば『記憶継承』の弊害症状が和らぐのか?

 それは、都合のいい解釈、なんだろうか?

 気のせいかもしれないし?

 まあ、けど、これだけで大分体が楽にはなる、な?

 だが、今更鈴緒丸の『呪い』の話が……妙に胸を騒つかせる。

 あまり考えたくはないが『オズワルドルート』の『トゥルーエンド』は……鈴緒丸や『スズルギの書』の著者のせいなんじゃないだろうな?

 大きく括ればこれらも『王家関係』になる。

 俺の行動を制限する程に影響を及ぼす『記憶継承』の弊害症状。

 この間のラスティを責めるエリックを見ていた時もそうだ。

 多分、あれも——……。

 何を呪っている?

 鈴緒丸を鞘から抜けないようにしたり、転生後にまで影響を与えたり、一体どんな無念や呪いを抱いたまま死んだんだ?


 ……それに向き合って俺は『俺』のままでいられるのか?



「……………………」



 勢いよく、書を棚に戻した。

 前世の人格が今の人格に影響を及ぼす。

 スティーブン様が良い例だろう。

 そして、俺も……なんだかんだ本来の『ヴィンセント・セレナード』では、ない……と、思う。

 気付けば恐怖で指先が震えていた。

 震える手首を掴んで、二歩、退がる。

 あんなおどろおどろしいものに飲み込まれたら、俺はどうなる?

 多分まず間違いなく、なんの罪悪感もなく平然と人を殺すぞ。

 それは……『オズワルドルート』の『トゥルーエンド』で『俺』がユリフィエ様を始め、城中の、そして、巫女殿やお嬢様をも傷付けて姿を消すという……それに繋がっていくのでは——!?


「…………」


 か、返そう、『クレースの名』を。

 時間が惜しいとか言ってられねー。

 今日! 今すぐに——!


「えっ」


 テーブルの、俺が座っていたところに黒髪の女が座っている?

 え、待って待った……誰?

 ありえない。

 だって、ここは……『クレースの名』を持つ『王家の血筋』の者でなければ入れない禁書庫!

 見下ろしていると、視線に気付いたのか女が振り返る。

 淡いクリーム色のシンプルなデザインのドレス。

 切り揃えられた前髪と紫の瞳。

 あれ? あの容姿は……。


『ほう? やはりアタシが見えるんだね?』

「喋っ……!」

『喋るとも。なぁに、そんなにビビる必要はないさね。アタシは女神プリシラ。かつて戦巫女として戦い、この国の最初の王になった者だ』

「……………………はい……?」




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