番外編【メグ】13


その日の夜。

マーシャと一緒に夕飯を食べに使用人宿舎の食堂にいた時だ。

アンジュが「あれ、お帰り」と声をかけてくれる。


「ただいまだよ!」

「てっきりもっと遅いのかと思いましたよ〜。ま、さすがに初めてのデートで手は出さなかったんすね、エディン様も」

「へ?」

「ア、アンジュさんっ」


なんつー事言うのよ!

お嬢様の話が本当なら、あの人はそんな人ではない。

まあ、マーシャをデートに誘った時点であたしにしたらいろんな意味で敵だけど!

お兄さんやケリー様の仰る通り死すべし! 相手だけど!


「アンジュさん、ご飯食べに来たんじゃないんですか?」

「ん、ああ、うちのお嬢が熱っぽくてね。あの人、あれで割と体が弱い感じなんで氷取りに来たんすよ。今日はしゃぎすぎたんでしょう」

「ああ、ヘンリエッタ様は今日、お兄さんと……」


あれ、そういえば……。


「……お、お出かけでしたもんね……だ、大丈夫でしたか?」

「義兄さん、なんか失礼な事してねぇですか⁉︎」

「うわあ、マーシャにそれを言われるなんてあの人も心外でしょうね……まあ、その通りなんですけど」

「「や、やっぱり!」」


……マーシャの義兄、ヴィンセント・セレナードさんは鈍感である。

クレイも大概酷いのだがーー亜人族の女性はほぼ一度は言い寄ってるよ。あたしは幼馴染ってだけだからまあ、そのあれだけどーーヴィンセントお兄さんはなんつーか、クレイ五人分ぐらい鈍感。

あれは、ヤバイ。

使用人宿舎で働くようになってから、そのヤバさを実感している。

よく未だに後ろから刺されないもんだと感心しているくらいだ。

学園に生徒として通ってるんだから、さぞやご令嬢たちを無自覚で誑かしまくっているだろうと思っていたが……案の定かーい!


「平気ですよ。うちのお嬢は強いですから」


ふん、と鼻で笑われてしまった。

アンジュさんかっこいい。

多分年齢は同い歳ぐらいだろうけど、さん付けしちゃうわ、あれは。


「ん?」


帽子に収まっている耳が変な足音を感じる。

それになんか不穏な気配?

スカートに隠れた尻尾がピリピリする。


「どうかしたん? メグ」

「う、うん?」


なんとも言えないのよね、なんだろう?

と、首を傾げていると、食堂の入り口が騒つく。

今の時間はメイドたちがご飯を食べてゆっくりする時間帯なの。

だから……そこにご令嬢の集団が現れると当たり前だが、騒つくよね。

そもそも令嬢が使用人宿舎に現れるの自体「何事⁉︎」だもん。

……ってそーじゃないよ⁉︎ ご令嬢集団⁉︎ 何事⁉︎


「…………」

「お嬢様、あれです、あれ」

「あれね」


食堂を見回す一人の令嬢。

その令嬢にここまで聞こえる声で耳打ちして、指差してきたのはシンディさん。

あれ呼ばわりされたのは、マーシャ。

ぞわ、っと毛が逆立つ。

カツカツ、靴音を鳴らして壁際、暖炉の側で食事していたあたしとマーシャに近付いてくる。

ここは入り口からは一番遠い。

それなのに、テーブルの隙間を縫うようにカツカツ、まっすぐ……あ、ああ、嫌な予感〜。


「お前がマーシャ・セレナード? ああ、でもそういえば見た事があるわね。昼間の薔薇園で」

「……は、はあ……」

「何を呑気に座っているの! この方を誰だか知らないのかしら⁉︎」

「そうよ! 立ちなさい!」

「は、はい!」

「っ……」


なんかよく分かんないけど、今日はまたヤバイ感じの展開……。

アンジュさん、確か厨房にいたはず……と、ちらりと見る。

すぐに無表情になるけど、あたしは見てしまった。

厨房から出て来てあからさまに「ゲェ……」という顔を。

そしてあたしが見ているのに気が付くと、クィと顔を天井へ向ける。

は、はあ?

どういう意味…………。


『主人呼んでこい』


口パクでの指示で、ようやく理解した。

……り、理解力の足りない素人ですみません!

あれそういう意味か〜。

と、食器を持ってマーシャから離れようとした時、シンディさんが目の前に現れる。

どこへ行く、と言わんばかりの笑顔。

う、うわ……。


「ここは使用人宿舎でございます。アリエナ様はじめ、名家のご令嬢の皆様がいらっしゃるような場所ではございません」

「!」

「⁉︎ ……!」


そのシンディさんの背後から声がした。

アンジュさんの声だ。

そして、わざとシンディさんの隣に立つ。

アンジュさんのお陰で壁側に隙間が出来た!

そこを通って食器返却口に食器を置き、素早く入り口へ向かう。

っ、シンディさん、アンジュさんの事ものすごい目で睨んでたなぁ……。


「!」

「…………」


入り口、と思ったら……多分マーシャを前々から快く思ってなかった、数人のメイドがニヤニヤと笑いながら立ち塞がってきた。

こ、この人達……!


「そんなに急いでどちらへ?」

「そうだわ、少し私たちとお話ししない?」

「聞いてみたい事があったのよね〜。ド平民の貴女がなーんでよりにもよってリース伯爵家のメイド見習いになんてなれたのか……」

「そうそう」


クスクス、笑う人たち。

どうやら通す気がないらしい。

う、うう〜……!


「きゃっ! ちょ、ちょっとあれ……」

「あ、ね、ねえ、貴女、背中に蜘蛛が付いてますわよ」

「え⁉︎ 嘘⁉︎ イヤァ!」

「!」


一番邪魔なところにいたメイドが、背後から聞こえてきた言葉に跳ね上がる。

そして「取って、どなたか取ってぇ!」と喚きながら回る。

でもあたしが見た感じ、その人の背中には何も付いてなかった。

一緒に道を塞いでいたメイドもギョッとして入り口からも、そのメイドからも離れる。

見ればそんな彼女らをクスッと笑っていたは、リエラフィース家のメイド、メアリーさんとライレックさん。

そして目だけで『行って』と促してくれた。


「っ」


なんだかちょっと、一瞬だけ泣きそうになっちゃったよ。

人間って意地悪だし、凶暴だし、怖いと思ってたけど……そういう人ばかりじゃないんだな。

ありがとう、という意味で軽くお辞儀をして、食堂を突破した。

そして、ローナお嬢様のところへ急ぐ。

使用人宿舎から、お嬢様のいる女子寮への渡り廊下を走り抜け、三階へ駆け上る。


「お、お嬢様! お嬢様! 失礼します!」

「⁉︎ ……メグ、声が大きいわよ」

「ご! ごめんなさ、でも、マーシャが! マーシャが……!」

「落ち着きなさい。……使用人宿舎のどこ?」

「⁉︎ ……え、えっと、食堂です」

「分かったわ。じゃあ行きましょうか」

「…………、は、はい!」


お嬢様落ち着きすぎじゃあない⁉︎

これだから貴族は! ……と思ったけど、あれ? あたし、使用人宿舎って言ったっけ?

お風呂も済んで、寝る準備も万端のお嬢様はコットン生地のガウンを羽織って使用人宿舎へ向かう。

あたしは、その後ろをついて行った。

いつもよりは少しだけ早足だけど、走ってきたあたしとしては焦れてしまう。

何度か声をかけようとしたが、なんというかね、さっきの令嬢の群れとはまた違った、アンジュとも異なる……圧が……!

ごくん、と息を呑み、女子の使用人宿舎の食堂にたどり着く。

扉もない宿舎の食堂の入り口には、金髪の女の子人とそのメイドがこっそりと中を覗いている。

何? 新しい野次馬?


「そもそもここは使用人宿舎でございます。アリエナ様はじめ、名家のご令嬢の皆様がいらっしゃるような場所ではございません」

「まだ同じセリフを繰り返すのかしら? 聞き飽きたわ! それしか言えないの⁉︎ 退けと言っているの! 退きなさい! 今度は……これで殴るわよ!」

「!」


う、わ……なんて声。

ここまで聞こえてくる。

そして、入り口にいたご令嬢の側に寄るお嬢様。

あたしはこっそり中を覗いた。

そうしたら、あの一番偉そうなご令嬢は鉄製のシャベルを持っている⁉︎


「っ」

「ヘンリエッタ様」

「! ロ、ローナ様!」


あ!

ヘンリエッタ! じゃあこの人がアンジュさんのご主人様⁉︎

え? 待って⁉︎

あの令嬢がシャベルで殴ろうとしているのは……マーシャを庇うアンジュさん!


「っ……」


酷い。

酷い酷い酷い!

そんなの酷いよ!

木の棒で叩かれるのも痛いのに、あんな先が尖ったもので叩かれたらーー!


「まあ、アリエナ様……オークランド家のご令嬢がメイドを相手にそのようなものまで持ち出してはいけませんわ。淑女たるもの、暴力など以ての外です」


それでも退かないアンジュさん。

ぐい、と腕で後ろのマーシャを押さえ付けている。

……マーシャがその気になればあんな令嬢ボッコボコだ。

アンジュさんはそれを抑えつつ、令嬢たち相手にも一歩も引いてないんだ……。

そう理解した時、その硬直状態にヒビを入れる凛とした声。

ここから一番奥にいるアンジュさんとマーシャ、令嬢たち。

その方向へお嬢様が声を掛けて進んでいく。

シンディさんすら、阻む事も出来ずに道を開ける光景。

というか、シンディさんの表情が青くなった。


「! ロ、ローナ! リース、様っ」

「アンジュ!」

「……っお嬢様……」

「アンジュ、大丈夫⁉︎ さっき叩かれて……」

「大丈夫です、っ⁉︎」


うちのお嬢様に付いてきたヘンリエッタ様が、その脇を通り過ぎてアンジュさんに抱き着く。

頰を撫で、心配通り越して泣いてる⁉︎


「…………」


メイドを人扱いしない、そこの令嬢みたいな人もいれば……あんな風に……。

そんなアンジュさんたちを庇うように立つのはうちのお嬢様。

あたしはアンジュの後ろにいたマーシャへと駆け寄る。

マ、マーシャ⁉︎

「がるるるるる」とうちのクレイでもしないような凶暴な顔になってるー⁉︎

これはヤバかったー!


「我が家のメイドが本日エディン様とお出かけした事が、そんなにお気に召しませんでしたか?」

「あ、当たり前でしょう! わたくしの友人の何人かは、エディン様へ婚約の申し込みをしていますのよ! それを差し置いて、なぜメイド風情がエディン様とお出かけ出来ますの⁉︎」

「本日のお話はエディン様からのお申し出です。あの方の自由気ままな御心が、本日たまたま我が家のメイドに向いただけの事。明日には別な令嬢に声をかけておられる事でしょう。あの方の御心は一つの場所に留まる事はございませんわ」

「っ!」

「お嬢様……」


お、おお! お嬢様の声を聞いて、マーシャの顔が元に戻った!

よ、良かった! いろんな意味で良かった!


「ま、まあ! さすがはエディン様の元! 婚約者ですわね! ほほほ! それとも今はレオハール様の婚約者候補なので、あの方の事などもう興味もないという感じですかしら?」

「レオハール様の婚約者候補はわたくしだけではございません。それにわたくしは、この国の為になるのなら、どの殿方とでも結婚も致します」

「ぐっ」


う、お、すご……。

うちのお嬢様、たった一人で五人の令嬢たちを威圧しちゃってるよ……⁉︎

たじろぐご令嬢たち。

センターで、一番前にいた令嬢が憎々しいとばかりに顔を歪める。

しかし、すぐ取り繕うように歪んだ笑みを浮かべた。


「あ、あぁら、では別にレオハール様とのご婚約には興味がないと? でしたら婚約者候補は辞退なされては⁉︎」

「まあ、アリエナ様のところには候補者としての正式な打診がございましたの? わたくしのところにはきておりませんが?」

「うっ……」

「ヘンリエッタ様のところはいかがですか?」

「え? ……えーと……い、いえ、正式な打診はきておりませんわ……?」


アンジュさんへ確認を取るヘンリエッタ様。

首を横に振るアンジュさん。

つまり、えーと……ドユコト?

な、なんか話がどんどん難しくなってよく分かんないよ〜。


「で、ですが! 殿下の血筋を思えばセントラル四方領主家から婚約者候補が選出されるのは時間の問題! 有力候補だからと言って、図に乗らないでくださいませ!」


あ、これはあたしも『失礼な事言ってる』って分かった!

主に最後のセリフ!

お嬢様はなんかよく分かんないけど偉いらしいから、いくら良いところのご令嬢でも失礼はいけないと思うんだけど⁉︎


「ご不快にさせたのでしたら謝罪致しますわ」

「っ!」


え!

えええ〜⁉︎

なんでうちのお嬢様が頭を下げるの⁉︎

お嬢様は偉いんだから、失礼な事言われたらぴしゃりと叱り付けて良いと思うんですけど〜⁉︎

優雅に可憐に……とても気品を感じさせながら腰を折った。

む、ムカつく……なんで! なんでよ⁉︎

お嬢様が頭を下げる必要なんて、ないじゃん今の会話!


「⁉︎」


でも、ご令嬢一同が少し怯えたような、悔しそうな顔をしている。

なんで?


「ですが……」


澄んだ、とても凛と響く声が食堂に通った。

周りにいた野次馬のメイドも、シンディさんも、顔をひきつらせる。

ご令嬢の何人かは、お嬢様が顔を上げた瞬間肩を跳ねさせて一歩下がった。


「エディン様はわたくしをずっと守ってくださった。わたくしを、わたくしがお慕いする方と幸せになれるようにと……これまで、ずっと。そのお気持ちに応える為にも、この国の為にも、わたくしはこの身をこの国で最も国を想う方へと捧げたい。地位も名誉も血筋もなにもかも、あの方への供物となるのなら、わたくしは今以上に己を高めて正々堂々と選んで頂けるよう尽くします。わたくしと同じ気持ちであるのなら、共に頑張りましょう、アリエナ様」

「……………………」


お、お嬢様が手を……手を差し出した。

手討ちにしようって事?

けどアリエナ様という令嬢は、目をこれでもかと見開いてお嬢様を凝視している。

そして突然ふるふると震え出し、アリエナ様はついに涙を滲ませ「もちろん負けませんわ!」と叫んで踵を返す。

食堂を出て行くアリエナ様を、取り巻き令嬢も大慌てで追う。

か、勝った。

なんか途中からよく分からない感じだったけど、うちのお嬢様が圧勝! 一人勝ち! かっこいいイィ〜! すごーい!


「ロ、ローナ様!」

「!」

「アンジュを助けてくれてありがとうございます! わたし、わたしローナ様の味方をするわ! 頑張って!」

「あ、ありがとうございます……」

「うわーん! お嬢様〜!」

「マーシャ」


お嬢様のかっこよさに惚れたのか、ヘンリエッタ様が泣きながらお嬢様の手を掴む。

そこへどかーん、とヘンリエッタ様がいるのにお嬢様へ抱き着くマーシャ。

可愛い、天使かな⁉︎

ヘンリエッタ様はきっとマーシャに飛び付かれて驚いたんだろう、アンジュさんの方に近付いて、ほんのり赤らんだ頰へと手を伸ばす。

アンジュさん……ほっぺが赤くなってる。

まさか、殴られたの⁉︎

お嬢様がやっつけておっ返した後だけど、だとしたら許せない!

追いかけでぶっ叩く⁉︎


「アンジュ、怪我は……」

「ピーピーといつまで泣いてやがるんですかねぇ……?」

「…………ぴ…………」


…………不要だな。


「ご、ごめんなさい……」

「全く……。いいっすよ、別に。それよりも……ホラ! そろそろ就寝時間っすよ! 全員部屋に戻ってください! お嬢も! ローナ様もです! 明日はいつも通り学校なんすからさっさと寝てください!」

「⁉︎」


えええええええぇーー⁉︎

むちゃくちゃいつも通りーーー⁉︎


「え、ええ、そうね。アンジュ、マーシャを庇ってくれたそうね。ありが……」

「マーシャはメグと部屋に戻りな。ローナ様もさっさとお部屋へ戻ってください。明日は容赦なく叩き起こしますよ!」

「…………。ええ、そうね。ありがとう。戻りましょうか、ヘンリエッタ様」

「え、あ、は、はい。あ、あの、うちのアンジュが、ごめんなさい」

「まあ、お互い様ですわ」


クールに目を瞑って軽い会釈。

これまでもどこか少し「怖いなー」と感じていたうちのお嬢様。

でも、でも今日はただただめちゃくちゃかっこいいのだと分かった。

そりゃマーシャも懐くよ!

アンジュもだけど、うちのお嬢様もかっこいい!


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