妖精の亜人、メロティス



「! 君は……」



長い、かなり長い通路。

これまで通ってきた通路よりも大分広い。

……恐らくこの通路が左右の『檻』の区切り壁となっているんだろう。

中央には広場のような場所があり、その左右には底の見えない黒い穴がヒュー、ヒューと風の音を立てていた。

中央の広場には松明が燃やされて明るい。

そのほぼ真ん中には1人のメイドと、左の穴を覗き込むゴヴェス・オークランド。

ゴヴェスはレオの姿を見ると目を剥いたが、すぐに不敵な笑みを浮かべた。


「こ、これはこれは殿下……懐かしの“自室”になにぞ忘れ物でも取りに来られたのですかな?」

「ああ、そういえば君は知っていたね。僕が昔ここに居たのを」


なんつー腹の立つ嫌味を。

……しかし、それよりも気になるのは中央に立つ女性だ。

俺も何度か城でお世話になった事があるぞ。

どうして彼女がここにいる?


「それで? どうして君がここにいるんだい? クレア」

「ふふ……」


彼女もまた不敵に微笑む。

……城の侍女、メイドを束ねるクレアメイド長。

黒いシンプルなメイド服を着て、背筋を正した自分にも他人にも厳しい女性。

まあ、笑われるのも無理ない。

この場にいるという事は、つまりゴヴェス側という事だ。

それに、城のメイド長ならばここにマリアベルが幽閉されているのも知っていただろう。

嫌だな、女性に平気で手を上げられる男は俺たちの中にいないんだぜ?

彼女と戦う、っていうのは圧倒的にこっちが不利だなぁ。


「クレア? ……成る程、人間に擬態していたか」

「え?」

「気色の悪い。その女のような皮をとっとと脱げ! メロティス! ここまで来て俺の鼻を誤魔化せるなどと思っていまい!」

「⁉︎」


容赦なく、クレイは剣を抜く。

クレイの姿にクレアメイド長の笑みは深くなり、そして仄暗くなる。

残虐、嗜虐……それを愉悦とするように弧を描き、逆三日月のように目が細くなっていく。

喉の奥から「ケタケタ」と薄気味悪い笑い声が響いてきて、ゆっくりとした動作でクレアメイド長はスカートの両端を摘む。

頭を下げる。

美しいお辞儀だ。

実に、見事な。


「クレイ様が来るなんて思わなかったなァ。ボクの演技もなかなかのものだっただろゥ?」

「っ……!」


お辞儀をしたクレアメイド長は……そのまましぼんで紙のように薄くなる。

はらり、と服を着た紙人形が床に倒れると……背中から桃色の髪の子供が現れた。

蝶が蛹から抜け出てくる時のようにぬるりとした翼をゆっくり広げ、数回はばたく。

エメラルドグリーンから黒い模様線を経てレーズンのような色へと変わるグラデーション。

キラキラとした鱗粉を撒き散らしながら浮かび上がる、一見美しい少女のような……そいつ。

一目で分かる。

こいつはゲロ以下だな、と。


「驚いたな……君が噂のメロティス……妖精の亜人」

「ワァ! 王子様に知られてたなんて光栄だよゥ! ……君はまだ殺す予定ではなかったんだけどねェ?」

「へえ? じゃあどうする?」


……レオも剣に手をかける。

そうだな、不穏分子はここで潰しておくに限るだろう。

問題はどう拘束したものか、って感じだな。

『王墓の檻』も翼ある相手じゃあ意味がない。

つーかゴヴェス氏はあんなところでなにしてんのかね?

ずっと床に、座り込んだまま……。


「……おやおや……それはいけませんね、ゴヴェス様」


ゴヴェス氏が手を伸ばし、引き上げた女を見て俺も腑が煮え繰りそうになった。

マリアベル!

マーシャを捨てた女!

金の髪ばボサボサになり、薄汚れた囚人服。

しかし狂った眼のままこちらに微笑む。

まだ笑うだけの正気が残っていたのか、笑うことしかできないほど狂ったのか知らないが……。


「何をするつもりなのかな、そんなモノまで持ち出して。ねえ? ゴヴェス」

「ふ、はは……もちろん……国取りですよ、レオハール殿下! 予定では貴方が戦争で死んだ後、ゆっくり行う予定だったのですがね……! まさか亜人と手を組むとは……!」

「ホントだよォ。予定が狂っちゃったァ。あの王様なら一捻りだったのにぃ。君はボクが思っていた以上に……邪魔みたい。クレイ様まで連れて来ちゃうなんて、驚いたァ」


マリアベルを引きあげたゴヴェスは懐から手のひらに収まるサイズの赤い石を取り出す。

四角形の、奇妙な石。

だが特徴としてはアレが『血石』だろう。

レオを横目で見ると頷かれる。

やはり……。


「……どうかなゴヴェス、君が思いとどまってくれると、こちらもメシェルや君の子供たちにまだ温情を与える事が出来るのだけれど……そこから先に進まれてしまうともう君1人で背負える罪ではなくなってしまうんだ。……立ち戻るつもりはないかな?」


レオの最終通告。

本来ならこんなに切羽詰まった状況で告げる必要もなかっただろう。

一瞬、ピクリと固まるゴヴェス氏。

目を見開いて、レオを見る。

その目のなんと血走った事か。

唇はカラカラに乾いて血が滲んでいる。

追い詰められて、追い詰められて……そしてここまで来たのが分かった。

そこへ来ての、レオのこの温情だ。

今手を取ればまだ戻れる。

その可能性だ。

揺らいでいるのが、分かる。


「わ、私をお許しになると言うのーーー」

「アハ」


半笑いになり、その言葉を聞き返そうとしたゴヴェスの背中を…………メロティスはなんの躊躇もなく蹴りつけた。

俺たちも、ゴヴェス本人も何が起きたか一瞬把握出来なかっただろう。

メロティスの手には血石と、マリアベルの右腕。

ゴヴェスは悲鳴を上げるのも忘れていたはずだ。

ほんの数秒後、下から悲鳴が聞こえてきた。

……『王墓の檻』の、その下からだ。


「き、貴様……!」

「ニコライ!」


クレイが叫ぶ。

闇の中から黒い翼を広げたニコライが、ゴヴェスを抱えて飛び上がってきた。

……付いてきていたのか、ニコライ……!

す、すげーな全然気付かなかった。

俺たちの後ろにゴヴェスを降ろすと「2人同時に落ちないでくださいね」と笑顔で脅してきやがる。

待て待て、落ちそうな事になるの前提でそう言うこと言うのやめて。


「コレコレ〜、コレが欲しかったんだよォ〜」

「なにをする気だ! メロティス!」

「さァ、元王妃マリアベル様! ボクにその身を捧げてください! 貴女だって生きてても仕方ないでしょう?」

「……………………ええ、そうね……わたくしは、もう、とうに……生きていても……仕方なかったのよ……」


ちょ!

ほ、本当になにするつもりだあの妖精もどき⁉︎

クレイの問い掛けにも答えず、マリアベルを力付くで立たせるとメロティスは血石を口に入れる。

は?

ちょ、待っ…………!



ガリ。

バリ、ガリ、ジャリ……。



頰が引き攣る。

く、喰らいやがった……!


「血石が!」

「……っ」


元は血の塊。

とは言え普通、噛み砕くとか言う考えにはならないだろう⁉︎

なに考えて……いや、なにをするつもりなんだ本当に!

マリアベルの身を捧げろとかなんとか……。


「嫌な予感しかしません! 奴からマリアベルを引き離しましょう!」

「賛成だ! ニコライ、援護しろ! 王子、隙を見て女を奪え!」

「え? あ、はい?」


俺も鈴緒丸を抜いた。

クレイの方が素早いので、先行してもらい俺は反対から回り込むべくその後ろを付いてクレイの出方に合わせる。

とはいえ、クレイの足でも十秒かかる距離だ。

その間にメロティスはマリアベルの背中に回り込む。


「やめろ!」


クレアメイド長の背中から奴が出てきた瞬間が脳裏に浮かぶ。

正面から、マリアベル越しに見たメロティスは口元を血石の赤で汚し、笑っていた。

目を細めて、邪悪に。


「ボクは神の末裔だァ。戻るのさァ、神にィ……フハハハハ……ファハハハハハハハハハ!」

「メロティス!」


クレアの双剣の片方がマリアベルの腹へ届く瞬間、下に落ちていたクレアメイド長の抜け殻が持ち上がってクレイの足に絡みつく。

紙のように平べったくなったそれは、ギリギリとクレイの下半身を拘束する。

舌打ちするクレイの横からニコライがボーガンを構えて、メロティスを撃つ。

しかし、それは奇妙な壁に遮られた。

……なんだ、あれは……魔法⁉︎


「……レオハール」

「!」

「本当に、残念だわ……貴方のお母様が……貴方を連れて逝かなかった事が……。貴方は魂そのものが悲劇で出来ているのよ……。ああ、なんて可哀想……ふふ、ふふふふふ……あははははは……」

「ファハハハハハ!」


ずぷん。

少し重苦しい、気味の悪い水音。

2人分の笑い声が壁に響き渡り、こちらの気までおかしくなりそうだ。

マリアベルの体が波打つように揺れ、思わず足が止まる。

なにが起きる?

なにが起ころうとしている?

嫌な予感がして仕方ない。

どうすれば止められる。

止めないと……どうにかして、なにか……!


「! レオ! エメリエラに!」

「あ! エメ! …………っ!ダメだ! エメにも……!」

「くっ!」


血石を取り込んだならエメリエラになんとか出来ると思ったが無理か。

そうこうしてる間に……マリアベルの体から光の鱗粉が溢れ始めた。

背中にはメロティスの羽が生える。

金の髪は毛先からピンク色に変わり、顔付きも幼くなっていく。

囚人服の上からも分かった豊満な胸は縮んでいき、身体つきも14、5歳少女程の少女に若返っていった。

これは、一体……。


「ああ、最高の気分。……神との契約……王の血……記憶継承により齎される、人の魂の記憶の全てが叡智となってボクのモノになっていく……ファハハハ!」

「メロティスッ、貴様、何をした……!」

「……決まっているじゃないですかァ……ボクの目標は最初から“神様になる”ことォ……。妖精になるのは、その足がかりだったんですよォ〜!」

「ふざけるな! 貴様は、妖精にすらなれていない! 亜人として生まれたら亜人として生きていくしかないんだ! それ以外になる事など出来ない!」

「あ、そ〜だ〜ァ、もう手下は要らなくなるのでェ〜、みんなクレイ様にお返ししますねェ。あとはこの体に馴染むのを待ってェ……『橋』を渡るだけなのでェ〜! ファハハハハハ!」

「メロティス!」

「クレイ様!」


ニコライが慌てた声を出す。

クレイの体に巻き付いていたクレアメイド長だったなにかの手が、クレイの首に巻き付いて締め上げ始めたのだ。

あ、これはヤバそう。

俺もクレイに駆け寄って……、……若干……いや、かなり気持ち悪いけど、この巻き付いているクレアメイド長だったものを剥がすのを手伝う事にした。

ひえぇ……ほんのり温もりがあるぅ……!

なんなんだこれは〜⁉︎


「俺に、構わず……ニコライ、奴を……!」

「お断り致します! 貴方をこんなところで失うわけにはいきません!」

「ちょ、 これ、なんなんキモい! うぐぐぐぐ……外れねぇ……!」

「クス、クス……じゃあ、またァ…縁があれば会いましょう、クレイ様☆」

「メロティスー!」


舌打ちしたエディンが浮かび上がったメロティスの羽根を射抜く。

しかし、確かに……当たったのを俺も見たのに……矢は羽根を通り抜けて床に落ち突き刺さる!

ならば、と体を狙って何本か射るが、ひらりひらりとそれらを躱すメロティス。

ニヤついた顔がなんともムカつく。

薄暗い天井の、とある箇所へ辿り着くとグッとそこを押し上げる。

蓋?

あんなところに、地上へ上がる小窓があったのか⁉︎


「くっ!」


メロティスが外へ出て、ご丁寧に手を振って「ばいば〜い」と挨拶を残して蓋を閉める。

奴が消えてから、クレイの拘束は外れクレアメイド長だったそれは黒い砂になって消えていった。

結局コレはなんだったのか……。

後に残ったのは気絶したゴヴェスだけ。

忌ま忌ましそうに天井を睨むクレイだが、剣を鞘に戻して一呼吸。


「……。血石は奴に奪われたな……」

「そうだね。………………。……いや、もしかしたらこれで良かったのかも。これで、もう……」

「…………そうだな。禁忌の力は……」


永遠に、王家に与えられる事はなくなる。

そう、思っていた。


「…え? そうなの?」

「?」

「……そうか、それもそうだね……クレース様のご遺体は残っているものね」

「エメリエラ様か? ……なんて?」

「王家の力はクレース様の遺体に触れても貸し与えられる、だって。まあ、それはそうだよね」

「む……それは、そうか」


血石はクレースの血から出来たって話だもんな。

つまり、大元はなくなってない。

喜ぶべきか嘆くべきか……。

まあ、どちらでもいい。

とにかくさっさとここを出たい。

気分の悪さが戻ってきた。


「しかし、クレイ様……奴は一体どうしたのでしょうか……あの姿は一体……?」

「神になるとか抜かしてたな? ……マリアベルの体を乗っ取って、あれで神になったのか?」

「俺にも分からない。詳しい話はそこに寝ている男が知っているかもしれん」


クレイが顎で示したのはゴヴェス。

確かに……奴と結託していたゴヴェスなら、知っている可能性はある。

取り調べ案件と罪状は増えたけどな。


「……ここからなら城の方が近いね。馬は後で騎士に連れて帰ってもらおう。ライナス、悪いけどゴヴェスを背負って連れてきてくれる? 疲れたら僕が背負うの交代するから」

「「俺がするわ!」」


俺とエディンの声がかぶる。

王子の自覚が足りないんじゃないの⁉︎


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