お嬢様と婚約者(仮)【前編】
あれから4年。
お嬢様、10歳。
「お茶会に行くわ」
「おお、ついにお嬢様もお茶会デビューですか。いつです?」
「次の金曜日よ。…王子殿下の10歳の誕生日を祝う茶会なの。気が滅入るわね」
「…あはは…それは、壮大そうですね」
ほい、と収穫したリンゴを放り投げられる。
俺の持つカゴはもういっぱいだ。
とても貴族のお嬢様とは思えないが、リース伯爵家は代々庭が農園になっている…らしい。
東には牛や羊や馬の厩舎や放牧場まであるのだから「ここは本当に貴族の屋敷か?」と、一度は疑いたくなるだろう。
農園というか、これはもう牧場である。
本日のローナお嬢様は使用人たちと共に果樹園のリンゴの収穫。
…5年近く経つが、やはりここは貴族の屋敷なのか?
と、未だ疑っている。
だがそんな牧場を農園と言い張るリース伯爵家の一人娘、ローナお嬢様もついにお茶会デビューか。
お茶会…お茶会ねぇ。
お茶会ってつまり遠回しにお見合いだよな。
いや、お嬢様のお歳で婚約者がいないのは割と珍しいくらいらしいけど…。
だが初のお茶会参加が王子様の誕生日を祝うものだなんて…ある意味ぶっつけ本番みたいな感じじゃないか。
大丈夫なのか?
「その間、俺はどうしていたらいいのでしょうか」
「そうね…。…執事を目指してみたらどうかしら」
「執事ですか? 俺が?」
なれるのか?
と、いう意味で見上げた。
お嬢様は相変わらず無表情。
だが、それが逆に彼女を人形のような美しさへと押し上げる。
…太陽の光に金の髪がキラキラと輝き、幼さの残る顔がひどく大人びて見て俺がドキドキしてしまう。
「ええ、貴方は努力家でもあるし…ローエンスが見込みがあると言っていたわよ」
「…本当ですか? …それなら…俺、ローエンスさんに弟子入りします!」
「そうしてちょうだい。貴方が優秀な執事になれば、わたくしも少しは楽になるわ」
ほい、と最後のリンゴを放り込まれる。
カゴでキャッチして、道を開けるとお嬢様が脚立から降りてきた。
背は、もう俺の方が少し高い。
「…お茶会に行くようになったら、もうあまりジュリアにも乗れなくなるわね…」
「…そうですね。でも、ジュリアは賢いですから分かっていますよ」
…因みにジュリアというのはお嬢様の愛馬だ。
貴族のご令嬢が馬を持っているっていうのもおかしい。
おかしいんだが、俺はもう慣れた。
リンゴがいっぱいになったカゴを運び、果樹園担当のロマニーに渡す。
「次は隣の畑ね」
「え、まだやるんですか? そろそろお勉強のお時間ですよ」
「分かっているわ。次の収穫は隣の畑ね、という意味よ」
「ああ良かった…。お嬢様、そのまま収穫に行きそうなんですもん」
「これ以上、みんなの仕事を取ったりはしないわよ」
そうして下さい。
使用人一同、心から心からそう願う。
「さてと」
お嬢様が貴族令嬢としてマナーや勉学を学ばれている間、俺はお側に居られない。
執事になればそれも叶うようになるだろう。
本来執事とはその家に長く仕える家の子息がなるものだと言うが、リース家の執事家系、ローエンスさんは結婚に失敗している。
失敗って別に離婚したとかではなくそもそも結婚が出来なかった人だ。
前世で彼女居ない歴=年齢の俺がいうことでもないけどな!
というか、俺、結構スペック高いし顔も上の中くらいだったのになんで彼女出来なかったんだろう?
自分で言うのもなんだけど、給料はそこそこ良いし妹がいた分、そこまで女心に疎いわけじゃなかったから彼女の一人や二人できてもおかしくなかったと思うんだけどな〜…。
謎だ…。
「ローエンスさん! 弟子にして下さい!」
「お、遂にその気になった? じゃあこの書類にサインして」
「え」
本宅の横にある使用人用の屋敷に居たローエンスさんに開口一番交渉を始めて見たら、一枚の紙を差し出される。
この屋敷に来てからお嬢様に「わたくしの身の回りの世話をする使用人たるもの、文字の読み書きは必須よ」とい言われ一応読み書きは出来るが…。
俺は余りにもその文字に現実味を感じなくて二度見どころか四度見した。
「…ローエンスさん、これは…」
「養子縁組の書類だよ」
「俺、執事の仕事を教わりたいんですよ? どうしてそんな話になるんですか」
「一子相伝なんだもの」
「執事の仕事が⁉︎」
「執事の仕事には秘技があるのだよ」
「⁉︎」
し、知らなかった!
でもローエンスさんの仕事ぶりを思うと、確かにそんな秘技がいくつもあるのかもしれない。
…やっぱり執事ってすごいんだな…。
「………。…でも、俺…親に捨てられた孤児(みなしご)ですよ? ゴミ溜めの底辺ですよ? …こんなどこの誰かもわからないようなガキを養子にするってことは、ローエンスさんにもリース伯爵家の方々にもご迷惑になると…」
「そんな小さな事を気にするような方々ではないよ。無論、ボクもね。それに、そのことをキミが意識して上を目指し続けるのならいずれ気にならなくなるさ」
「……ローエンスさん…」
いい歳したおっさんがウインクって。
…笑えてくる。
俺は小さな事にこだわっているのかもしれない。
お嬢様も、旦那様も奥様も、俺が孤児である事を気に留めたことなど一度もなかった。
仕事ができると言い、お嬢様は俺を認めて拾ってくださったんじゃないか?
なら、それに報い続けることこそが俺がここにいる理由のはずだ。
「…ここに名前を書けばいいんですね?」
「そうそう」
お嬢様から頂いた名前。
ヴィンセント。
確かにごくごく普通のありきたりな名前だが、俺だけの特別な名前でもある。
それを記入して、ローエンスさんに返却する。
「うん。それじゃあこれでボクはキミのパパになりました〜。今後は気軽にパパって呼んでね」
「嫌です」
………それは考えてなかった。
だが、断る。
まあ、なにはともあれこれで俺はリース伯爵家に長年仕えてきたセレナード家に迎えられたって事になるのか。
俺の名は今後ヴィンセント・セレナードとなる。
…ゴミ溜めの孤児がまさか『苗字持ち』になるとは…。
「愛称は何がいいかな〜? ヴィニー? ヴィンス? ヴィル?」
「なんでもいいですよローエンスさん」
「あ〜ん、パパって呼んで〜」
「気色悪いです」
…これが『養父』。
つらい。
でも、これも俺がお嬢様に支え続けるために必要な試練だ。
耐えろ、俺。
乗り越えろ、俺。
「それより、早く俺に執事としての訓練を付けてください。何から始めればいいんですか? 立ち振る舞い? マナー? それともスケジュール管理の方法などでしょうか?」
「ボクは厳しいよ。キミについて来れるかな?」
「なんでもやります」
執事なんて漫画やアニメでしか見た事ないから、まずは立ち振る舞いや主人のスケジュール管理からとかなのかと思ったが…。
「では、まずはこの屋敷で働いている者、全員を覚えてきなさい」
「え」
俺の想像とは違い、執事とはその屋敷で働く全ての使用人の管理も行うんだそうだ。
メイドや下女はメイド長が管理するが、男の使用人や下男、シェフ…あと多分この家だけだが厩舎や農園、果樹園の代表管理人も大きく分ければ執事であるローエンスさんの部下に当たる。
彼らの名前はもちろん性格や得手不得手を覚えておいて、彼らに合った職場環境で快適に働いてもらう。
それもまた、この屋敷の主人であるミケイル・リース伯爵の為になるのだ。
でも、この屋敷…伯爵家の中でも珍しいくらいの人数…下手したら公爵家並みに使用人がいるんだぞ?
それを全員覚えてくる…⁉︎
「…挨拶回りに行ってきます!」
「うん、早めにね。教える事まだまだ山のようにあるから」
「はい!」
こうして俺は執事としての第一歩を踏み出した。
俺はお嬢様を支えられる立派な執事になってみせる!
まずはお茶会にお嬢様がお出かけされる時に付いていけるレベルになるぞ!
…………………。
それにしても、ヴィンセント・セレナード…。
どこかで聞いたような、見たような…。
なんだ? この既視感…。
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