最低最悪のバッドエンド



「ヴィンセント! これはまずいわよ!」

「わあ!」


 植物園でのお茶会もハミュエラのおかげでほのぼのと終了。

 お嬢様を女子寮へお送りする役目を……ハミュエラの一言で激落ちしていたマーシャと、そのマーシャの背を撫でていたメグに任せて俺はアンジュと後片付け。

 ヘンリエッタ嬢はケリーが女子寮へとお送りするだろう。

 なのでアンジュの「後片付け手伝いますよー」というありがたい申し出を受け入れ、食器やテーブルクロスを回収して、テーブルや椅子を元の位置に戻したりしていたところへ現れたヘンリエッタ嬢。

 ええ、ケリーと一緒に寮に帰ったんじゃないの〜。


「え、あ、ヘ、ヘンリエッタ様……ど、どうかしたんですか?」

「お嬢、ここ、これから片付けるんですけど。邪魔なんで帰ってください」


 アンジュさん容赦ない。


「あ、ああ、ごめ、って違うわよ! まずいのよ! スケートはまずいの!」

「はあ? ヘンリエッタ様滑れないんですか? あ、それならうちのケリーが……」

「そうですよ、手取り足取り教わりゃあ良いじゃねーですか。つーかケリー様は?」

「表で待ってもらってるの、忘れ物したって言って……って、だから話の腰を折らないで! ヴィンセント! いえ、水守くん! このままじゃローナとクレイが出会っちゃう! これ、絶対クレイの追加ルートイベントよ⁉︎」

「……………………」


 ……すっ、とアンジュを見る。

 この人、頭どうにかなってる?

 という意味で。

 アンジュが人でも殺しそうな目で睨み返してきたので、どうやら通常運転のようだ。

 なるほど。


「いや待ってください……今追加ルート……イベントとか言いませんでした?」

「言ったわ! わたし『フィリシティ・カラー』プレイヤーだもの! しかもクレイの追加ルートもプレイ済みよ!」

「…………。………………………………。どういう事なのか教えてください!」

「ヴィンセントさん⁉︎」


 土下座!

 アンジュには驚かれたが、ヘンリエッタ嬢の言い出した言葉の意味をよーく噛み砕いて考えた結果である!

『フィリシティ・カラー』!

 その言葉を知っている!

 その上、ルートクリア済みだと⁉︎



 ――この世界の名を『ティターニア』。

 乙女ゲーム『フィリシティ・カラー』の舞台となる世界である。

 このゲームは俺が知る限り、続編を含め二作世に出ていた。

 しかし俺は妹から第一作目しか借りておらず、プレイも一度しかしていない。

 理由は俺が攻略したかった対象が、野郎どもではなく、悪役令嬢ローナ・リースというヒロインの恋路妨害をするキャラクターだったからだ。

 当然、彼女のルートは存在せず、攻略サイトを巡りに巡ったものの結論として『無い』と分かったので妹にゲームを返却。

 それ以後、特にそのゲームに関わる事もなく生きてきた。

 二十五の夏、海外からその妹が行方不明だと告げられ、慌てて帰国の飛行機に飛び乗り――飛行機事故で死ぬまでは。


 次に目覚めた『俺』は名もなきスラムの捨て子であった。

 流行病に罹り、苦しみ死ぬのを待つばかりと思っていたところを金髪紫瞳の美少女に救われる。

 彼女こそうちのお嬢様。

 そして、前世で唯一プレイした乙女ゲームの悪役令嬢ローナ・リース、その人。

 彼女はゲーム内で破滅エンドしかない悪役令嬢。

 だが、俺の命を救ってくれた方なのだ。

 名前も身寄りもない俺に、名前と居場所を与えてくれた方なのだ。

 確かに表情筋が残念なぐらい固まって仕事してないけど、だから破滅していいわけがないだろう⁉︎

 俺を見付けてくれたあの人へ、俺は変わらぬ忠誠を捧げた。

 だから救う。

 俺がお嬢様を破滅エンドから救済する!


 だが、ゲームをしたのはただ一度。

 それも、初期版のみ。

 攻略サイトは巡っていたので大筋のストーリーや攻略キャラは把握していたが不明な点も多かった。

 なので俺はお嬢様の破滅エンドに直結するであろう、二人の攻略キャラをなんとかする事にした。

 お嬢様の婚約者であり、自殺エンドと生涯苦労人エンドを齎す元凶! エディン・ディリエアス!

 お嬢様の義弟で、お嬢様を服毒自殺エンドに追い込むかもしれないケリー・リース!

 一年の時にエディンとの婚約は無事解消させる事に成功。

 そして昨年、ケリーはこちらにおわすヘンリエッタ嬢と婚約を内定。

 更に、お嬢様の初恋相手、ついでにお嬢様が! 初恋だった王太子レオハールとお嬢様も婚約が内定した!

 不安要素の一つ、もう一人のヒロインであるマーシャもエディンと婚約したし、これでお嬢様の破滅エンドはなくなった! …………はず。

 分からん、だってゲーム一回しかやってないし。

 ゲームとなんか、色々違っちゃったし。

 もしかしたら、俺が知らない追加シナリオがあったりする?

 これは戦争が終わるまではあんまり気が抜けないなぁ、と…………思っていた矢先だ!



「ヘンリエッタ様! クレイルートがどうしたのですか!? まさか、まさかうちのお嬢様になにか危害が発生すると……!?」

「う、うん、それもあるわ」

「なんですとぉ!?」


 うちのお嬢様にクレイルートが破滅エンド、ふぁ!?


「ちょっと落ち着いてください」

「痛い!?」


 割と容赦なく背中にキックかまされた!?

 アンジュさん本当容赦ないよ!?


「ア、アンジュ! それはちょっとやりすぎではないの!?」

「すみません、色々積もり積もってて……」

「「積もり積もってて!?」」


 心当たりがありすぎる!

 ごめんなさい!?


「まあ、それは分割で報復していくとして」


 報復はされるんだ!?

 しかも分割!? なにそれ後が怖すぎる!?


「クレイ、って、確か亜人族の長、ですよね? ローナ様と接点ないんじゃないんですか?」

「そ、そうですよ!」


 うちのお嬢様とクレイの接点は特にな――……あるな?

 メグという知り合いが。

 あと、俺とレオも。

 否定した後でどんどん不安要素が増えていく。

 そんな俺の顔を見て、アンジュが呆れ顔になる。


「なんかあるんすね、心配な要素が」

「山のように……」

「はあ……」


 ……あれ?


「アンジュ、驚かない、のか? その、ヘンリエッタ様も俺もかなり変な事言ってるんだけど……」

「お嬢の中の人が異世界の人っつーのは知ってましたからね」

「え! そ、そうだったのか!?」

「何年も一緒にいるお嬢が突然丸くなれば何かが起きたと思いますよ。あんたのところのお嬢様だって急に笑顔で『ありがとう』とか言い出したらさすがになんかあると思うでしょ?」

「思うな」


 ヘンリエッタ嬢が微妙な表情になる。

 なるほど、侍女故にって感じか。


「というか、お嬢の場合、この中の人の知識が必要で女神アミューリア様から『ティターニアの悪戯』をされたようです」

「え、ええ……」

「そ、そうだったんですね……そうか、それで……」


 最初こそ「大丈夫か頭」と思っていたけど、確かにヘンリエッタ嬢のおかげで巫女殿召喚は成功した。

 デートの日に『中の人』が変わっていたのも知っていたし、もしかして『フィリシティ・カラー』を知ってる人だったりしないかな〜なんて期待を抱いたりもしたよ?

 でも、いや、まさか本当に『フィリシティ・カラー』プレイヤーだとは思わないじゃん。

 だが……!


「でも、という事は! ヘンリエッタ様の中の人はシナリオを……うちのお嬢様が破滅してしまうエンディングをご存じなんですね!? お願いします中の人! 俺にお嬢様の破滅エンドを回避、または救済出来る方法をご教授ください!」

「まず中の人呼びをやめてもらえるかしら!?」

「え? すみません。なんとお呼びすれば……」


 まさか前世の妹だったりとかしたら笑えないなー。

 なんて……。


「え、笑美です」

「へ? エミ様……?」

「ち、ちが! なんて事いうの!? 様付けとか……さ、佐藤です! 佐藤笑美! 笑うに美しいの文字の笑美で苗字は佐藤! 水守くんの高校の同級生! 大学では住んでたアパートの部屋が近かった! あの!」

「え? え…………えーと…………」

「忘れられてる!?」

「いや、待ってください。ちょっと思い出します。大丈夫、多分思い出せるはず……」


 なに分前世の記憶は古い。二十年くらい前の……そのまた更に昔となると……うーんうーん……あ、思い出してきた……そういえばいたな、そんな人。

 高校の時の同級生……アパートの部屋が違い……。


「待ってねぇ待って! 同窓会でも会ってるのよ!」

「同窓会……」

「エミさんちょっと落ち着いて。急かすと逆に邪魔になりますよ」

「うう〜」


 佐藤さん、佐藤さん……あ! 思い出した!

 高校時代の事はあんまり思い出せないけど、大学時代はよく料理を持ってきてくれたな!


「思い出しました! 大学になってからよく飲み会に誘ってくれましたよね!」

「うぐっ!」

「料理も作ってよく持ってきてくれて、一緒に食べて味の良し悪しや改良点などを語り合ったり!」

「っぐう!」

「恋愛相談もよくしてくれたけど、その人とはどうなったんですか?」

「~~~~!」

「もうやめろ」

「あいだ!?」


 なぜかアンジュに太ももに蹴りを入れられた!?

 アンジュさん足癖悪すぎませんか!?


「…………」

「え? なんで急にしゃがみ込ん……お加減でも悪くなられたんですか!?」

「いや、それ当時からエミさんがヴィンセントさんの中の人の事を好きだったゆえの行動ですけど。えぐってて楽しいですか?」

「え……?」


 冷。

 うん、なんかもう、凍り付いたよな。

 脳天や指先からスー……と、音がしそうなほど。


「………………あ、え、あ、い、いや、あの……」

「い、いいの、ヴィンセント……水守くんの鈍器級の鈍さには気付いていたから、絶対気付かれてないんだろうなぁって分かってたもの」

「……ァ……イエ……その……」

「むしろしつこい女だな〜って思われてなかっただけ…………ふ、ふふ……」

「…………ァ、ア……いや、あの……」


 震えながらアンジュを見る。

 真顔でグッと拳を握っておられた。

 俺は覚悟を決めて頷く。




「…………思いの外時間を無駄にした気がするけれど」

「いえ、俺なりのけじめというか……そ、そうかぁ、佐藤さんだったのか……」


 アンジュに腹パンされてしゃがみ込んだところを、鉄のトレイがへし曲がるほどのチョップを脳天に食らった俺はとりあえず改めて土下座した。

 ヘンリエッタ嬢……こと、佐藤さんは俺の頭に濡れたタオルを当てて介抱してくれるのだが……もっと詰ってもらった方が気持ちが楽なんだけどなぁ。

 なんというか、とても酷い気分だ。

 死にたい。

 高校時代から社会人になり、その上『ティターニアの悪戯』で再会後まで……俺は延々この人を傷付け続けてきた。

 アンジュの腹パン脳天チョップだけでは、償いきれないものがある。

 それでも「もう気にしてないし、今はケリーがいるから大丈夫なの!」とヘンリエッタこと佐藤さんは言ってくれた。

 なにこの人、女神なの?

 俺……ほんとただの鈍器じゃんん……。


「というかこの話はもう終わってるんだから! もう蒸し返さないの! 二人ともいいわね?」

「エミさんがそう仰るなら」

「……」

「み……ヴィンセントも、もう終わりよ。いいわね?」

「あ、は、はい……佐藤さ……いえ、ヘンリエッタ様がそう仰るのでしたら……」


 ……女神かよ……。


「そんな事よりも、クレイルートの話よ! ヴィンセント、このままだとローナはクレイに一目惚れされるかもしれないわ」

「――は?」


 ヘンリエッタ嬢が真顔で何か言い出した。

 は? 何? クレイが? クレイがお嬢様に? へえ?


「いや、まあ、確かにうちのお嬢様のお美しさはクレイが一目惚れしても無理のない美貌だと――」

「シャラップ! 全然良くないの!」

「はい、黙りますすみません」

「クレイの追加ルートはそもそも『ゲーム難易度・鬼』でゲームを開始した場合、どのヒロインでも最初に起きるイベントよ。これはクレイのルートに入らなくても起きる……つまり強制シナリオイベントなの」

「!?」

「同じく全キャラ、そして逆ハールート、レオ様で隠しボスを『戦闘難易度・鬼』で倒せば現れる第二の隠れキャラ……『オズワルドルート』も強制メインシナリオイベント……!」

「!」


 オズワルド……ルート!

 飛び起きる。


「待っ、待ってください! まさか、やはり俺は攻略キャラなんですか!?」

「え? ええもちろん。ヴィンセントはメイン攻略対象の一人よ。でも」

「ではなく! オズワルドです! ルートという事はやはり……!」

「え!? ヴィンセント……貴方自分がオズワルドだって知ってるの!? じゃあまさか巫女はオズワルド様ルートに!?」

「え? いや分かりませんけど……!」

「待ってください! ……そこにいるのは誰です!?」

「「!?」」


 アンジュが俺たちを後ろに庇うように、大きな植物の方へ叫ぶ。

 赤い花がたくさん咲いた、珍しい植物だ。

 …………まあ、見た目は完全にサボテンだけど。

 しまった、ライナス様たちが残っていた!?

 いや、でもさっき確かにお見送りしたしな?

 ごくり、と息を飲む。

 普通の貴族や使用人には聞かれてまずい話だ。

 確実に頭がやばいと思われる。

 俺はともかくヘンリエッタ嬢は……!


「……どなたですか? 立ち聞きは趣味がよろしくありませんよ」


 アンジュの声が低くなる。

 一歩、サボテンへと近付くと……かつ、と靴音。


「……そうだな」


 え?

 え? この声……。


「面白そうな話をしていたから、つい聞き入ってしまった」


 黒茶色の革靴の爪先がサボテンの後ろから出てきた。

 俺以外……ヘンリエッタ嬢とアンジュもヒュッと息を飲んだのが分かる。

 俺は今日何度頭から血の気が引くのを感じただろう?

 まあ、さっきほどじゃあないかもしれないけど。

 これは別件だ。

 あれは別次元だ。

 ああ、それでも――脳内にRPGのボスBGMっぽいのが流れる。

 赤銅色の髪と、細まる赤い瞳。


「でも人の婚約者と逢瀬で盛り上がっている使用人がいたら……そりゃあ様子を窺うに決まっているだろう? なぁ? ヴィニー?」



 満面の笑みのケリー・リースが現れた。


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