ラスティ・ハワードの事情【後編】
まあいい。
エリックは無視するとして、こうしてラスティと話をするのは大変に有意義だ。
聞いてない事も色々教えてくれるし、なによりこういう話をしている時はとても楽しそう。
アルトは主に一人で延々と話してるけど、ラスティはちゃんとこちらと会話しようとしてくれる。
うーん、良い子!
まあ、肝心の『鈴流祇流抜刀術』に関しての資料はゼロ。
多分、イースト地方に伝わる戦闘術に近いものはあるのだろうが……。
「あの、ラスティ様」
「はい! なんでしょうか」
「疑問、なのですが……イースト地方にも『スズルギ』より伝えられた戦闘術が現代にも伝わっているんですよね? この剣が『スズルギ』のものであるならば、武器も類似するものがあっても良いように思うのですが……」
「言われてみればそうですね。……ああ、けれど、武器の類はアルト兄様の方が分かるかもしれません。イースト地方は保守的で、交易でもほとんど地方特有の物は流れてこないのです。独自の文化が育ちつつある為、今イースト地方がどうなっているのかは、ボクにも……」
「…………」
そうか。
そういえば米や味噌や醤油も出回ってないな。
アルトに頼んだおかげで、最近ようやく米は出回り始めた程度。
この間、味噌や醤油も頼んだから近いうち王都でも買えるようになる、と思う。
なるほどね、イースト地方の国民性みたいなものが最たる原因か。
アルトもそこそこ頑なな性格してるから、ああいうのばっかりなのだと思うと納得も出来る。
うちのお嬢様も頑固なところあるし。
……意外とこの国も掘り下げてみると問題が多いんだな。
東は保守的で、閉鎖的な国民性。
西は開放的で、芸術的な国民性。
南は警戒心が強く、一部が大変に攻撃的。
北は夏も雪が降る、極寒の土地で年間を通して食糧難。
まあ、ぱっとまとめただけだが西が平和すぎる。
ハミュエラを見てると、それは良い事……のはず?
ただちょっと我関せず感はあるけどな。
「コホン。ラスティ様、そろそろ。……本日のお勉強のお時間がなくなってしまいますよ」
「え? も、もう?」
「そう、ですね。俺も明日の授業がありますので、そろそろお暇致します」
「あ、そ、そうですね。ヴィンセントさんは明日も学校なんですよね」
日本だったら春休みとかあるんだけどな。
この国はそういうのがない。
その分、時間がゆったり流れている気がする。
まあ、あくせく働いてるせいであまりそう感じないけど!
ラスティは入学まであと二ヶ月、この屋敷で過ごすのか。
……この執事と一緒に。
むむむ、そう考えると大変そうだなぁ。
……よし!
「しかし、大変興味深いお話ばかりでした。是非、また色々お話をさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「え? えーと、それは……また来てくださる!? また、ボクと考古学のお話をしてくださるんですか!?」
花開くように、という言葉を思い出す。
それ程までにラスティの笑顔は眩かった。
お、おふう……お弁当に甘い物が入っていた時のレオと恋愛小説の新刊が出た時のスティーブン様、アップルパイを前にしたアルトばりのきらめきが……!
「はい、ラスティ様にご迷惑でなければ、また是非」
こちらとしても『鈴緒丸』と『スズルギ』についてはもう少し調べたいからな。
もちろん、うっかり巫女殿がレオやエディンやケリーのルートに入ったりしない為に、別な誰かのルートに入ってもらうかノーマルエンディングになるよう仕向ける為の工作行為的な意味合いもある。
ラスティ……ラスティのルートってどんな感じなんだっけ?
確か考古学に興味を示したヒロインと仲良くなって戦争へ〜、的な割とシンプルなものだった気がするんだが……。
アルトに追加っぽい設定があったのを思うと、ラスティにも追加設定やルートがあったりするのかも?
頼むからアルト並みの重い設定はやめてくれ。
あ、そうだ、ヘンリエッタ嬢……佐藤さんに聞けばラスティのルートについて詳しくわかるはずだな!
俺……いや『オズワルドルート』や『クレイルート』への妨害進捗状況も気になるし、一度彼女に意見を求めたい。
「…………?」
あれ?
そういえばラスティがずっと黙り込んで――。
一体どうしたんだ?
と、首を傾げた時だ。
ポタリとラスティの頰を、涙が伝う。
胸に抱えた本をぎゅう、と抱き締めて……。
「え?」
いや、え?
待ってくれ、俺、別にそんなーー⁉︎
そんな流すような事言ってないよ⁉︎
「ラスティ様⁉︎」
「あ……ご、ごめんなさい……つい、嬉しくて……」
「え?」
手で涙を拭う。
そんな、嬉し泣きさせるような事を俺は言っただろうか?
慌ててハンカチを取り出す。
それを差し出そうとした時――ラスティの言葉の意味を理解した。
「っ!」
「馬鹿な事を仰らないでください。ラスティ様、何度申し上げればお分かり頂けるのですか。過去を学んだところで! 貴方は何一つ成長なさらないではないですか」
「……っ」
「!?」
ハンカチを手渡そうとした腕を強く掴まれる。
振り返ると、殺意のこもった細長い目。
冗談ではない力で捻り上げようとしてきやがる……こいつ! エリック・ベタニー!
ラスティは主人のはずだ。
こいつ、今、主人に対して何を言った!?
「過去ばかり見るからです。もっと未来を向いて頂かねば。せっかく『マリアンヌ姫』の義理のお兄様がいらっしゃっているのに貴方様ときたら……」
「あ……」
「黙って見ておりましたが、何という無駄な時間。ヴィンセントさんも、あまりつまらない話にこの方を巻き込まないで頂きたいものです」
「…………」
腕を掴む手に、更に力が入る。
振り解くのも一苦労だな、これは。
だが、それはさしたる問題ではない。
ああ、実に貴族の執事らしい助言だったなぁ、エリック。
『マリアンヌ姫』の『義理の兄』。
そうだな、確かに……全くもってその通りだ。
そういう打算が、これっぽっちもないとは俺だって思っていなかったさ。
けれどーー!
「…………ご、ごめんなさい……」
主人にそんな顔をさせるのは、執事としてどうなんだろうな?
俺はまだいい。
俺はお前と同じ『執事』だから。
いくら敵意を向けられても、睨まれても構わない。
けど、同じ『執事』として主人にこんな顔をさせるようなやり方は許せない!
うちのお嬢様は表情筋が残念なぐらい仕事をしないが、それでも俺はお嬢様が悲しむ姿は見てられないぞ。
それを、わざわざ……わざわざ余計な事を言って、主人をそんな顔にさせる必要があるのか?
謝らせるって事は、ラスティは自分が間違ってると思ってるって事じゃないか!
今の会話のどこにラスティが謝る要素があった?
ただ、考古学について意見を交わし、またその時間を設けよう。
ただ、それだけの話だった。
「分かって頂けたなら、さっさとその古臭い書物を木箱の中にでも戻してきてください。メイド長」
「……え? し、しかし、木箱では書物が傷む恐れが……」
「い、いけません、エリック! これらは貴重なんです! 木箱ではなくボクの部屋の本棚に……」
「ああ、すでに新しい教科書や参考書をお入れしておきましたよ。そのカビ臭い本が入る場所はありません。木箱がお嫌なら紐で縛って倉庫にでも置いておきましょう。メイド長」
そう言ってメイド長を促す。
しかしエリックの言葉にメイド長は恐ろしく嫌そうな顔をする。
もう目だけで『このクズが!』と言わんばかり。
そんなメイド長の態度に苛立ったのか、事もあろうにエリックは一歩前に出て、ラスティが胸に抱えていた本を剥ぎ取るように奪う。
「あ!」
「…………」
そしてその時のエリックの表情を見てしまった。
なんとも恍惚としている。
ラスティの絶望したような表情を見下ろしながら、優越感にでも浸っているように。
……色々な人間を見てきたけどな。
前世でも、今世でも……そりゃ、色々見てきたよ。
――でも……ああ、こいつは……こいつは俺が一番嫌いなタイプ……!
「!」
国王バルニールはあれは救いようがない残念なタイプのクズだし、エディンも根っこはクズだが一応、あの二人にはそれぞれ志、信念がある。
戦争に勝ち国を維持するとか、レオを守るとか。
でもこいつは違う。
こいつは――『自分が気持ちいいから他者を貶める』タイプのクズだ。
そこにはなんの正義も志も誇りもありはしない。
誰も幸せにならない。
こいつ自身だけが、ただ一時の優越感に浸って『気持ちいい』だけだ。
制服の袖が歪むのも構わず、エリックの腕を振り払う。
「良い事を教えて差し上げますよ、エリック・ベタニー」
「……なんでしょう?」
こいつが俺にやたらと敵意を向けていたのは……ああ、なるほど……『玩具』を取られると思ったからか。
たったあれっぽっちの接触であそこまで敵意を剥き出しにしてくるって事は、相当ラスティに『依存』している。
こいつは……こいつとラスティは一秒でも早く引き離した方がいいな。
さて、どうしたらいいか。
ラスティの入学まで二ヶ月。
…………良い事を思い付いた。
「考古学はロマン。歴史には反省が詰まってるものなんですよ。それを学ぶ意味が見出せないのであれば、貴方はこの方の執事に向いていないのでは?」
「なに?」
「サウス地方公爵家の執事見習いがこれではお家のたかが知れるというもの。そうでないと仰るのなら、ラスティ様が入学されるまでの二ヶ月間……先に使用人宿舎に入られて、学園でのお仕事を学ばれてはいかがです? まさか公爵家の執事家系の方が『やらない』などとは申されませんよね? 俺もまだまだ執事としては未熟な身。学園の生徒として学ぶ事が多いので、行き届かないところもありますが……少なくとも貴方のように主人にこのようなお顔をさせる事はありえない!」
「っ……!」
「…………」
ラスティとメイド長さんたちは唖然。
なにを言い出したのだ、と言わんばかりの表情。
しかしエリックは酷いものだ。
こいつは……まあ、こういうタイプは無駄にプライドが高い。
外面は良いが、内弁慶というか、家の中ではやりたい放題。
俺に対してあからさまな敵意を向けてきたのは『執事』が『玩具』に近付いたからだろう。
牽制のつもりだったのかもしれない。
余裕を失うほど、焦りを覚えたのだとしたら……。
「な、なるほど? ええ、良い考えですねぇ……! 二ヶ月……二ヶ月も学ばせて頂けるのは実に!」
いけ好かないが、やはり『執事』である事にはこいつなりに誇りがあると見た。
案の定、挑発に乗ってきたよ。
ああ、もうマジにイラつくなあ、こいつ。
主人を泣かせて善がる分際で『執事』である事に誇りなんて持ってんの?
……笑顔が引きっつってる気がする。
俺も、エリックも。
「では、明日からお願いしますね。こちらでエリックさんが来ると、使用人宿舎の管理人さんには伝えておきますので!」
逃げんじゃねーぞ糸目野郎!
「ええ、すぐに荷物をまとめて明日には」
望むところだと?
ハハ、その薄ら寒い笑顔が明日引きつるのを見るのが楽しみだぜ!
シェイラさんとアンジュにチクっておく。
思い知るが良い、あの二人に同時に叱られた時の恐怖を!
その間にラスティに合いそうな執事志望者を探してもらおう、この家のメイドさんに。
とにかくまず引き離す。
この二人は一緒にしとくの絶対まずい。
「「ふん」」
エリックがラスティの本をテーブルの上に放る。
そして、そのままツカツカ応接間を出て行く。
なんて無礼な執事見習いだ!
「俺も失礼しますね」
ラスティには一応笑顔。
ああああ、早く使用人宿舎に行ってシェイラさんとアンジュにエリックの事チクってやりてええぇ!
主人至上主義なら絶対分かってくれると思うんだこの腹わたの煮え繰り返る感覚〜!
ム、カ、ツ、ク!
俺のいない時間、是非あの二人にエリックをしばいて……ンン、しごいてほしい!
刀を持って、応接間を出て玄関へ。
すると、ラスティが追ってきた。
ご子息自らお見送りか。
「今日はありがとうございました、ラスティ様。大変楽しかったです」
「…………。……ボ、ボクも……」
一瞬戸惑った様子。
多分、さっきの事で口に出すのを悩んだんだろう。
良かった。
まだ、ラスティは自分の意思をちゃんと口に出来ている。
「……ヴィンセントさん……考古学と歴史を学ぶ意味……と、さっき仰ってましたが……」
「はい?」
ああ、言ったな、そんな事も。
「ボク、ボクは……考古学のロマンを学ぶ事は、過去の人の考え方を未来に活かす事だと思ってます。歴史を学ぶ事は、過去の反省を未来に活かす事だと思っています。……違う、でしょうか」
「…………」
ま、真面目か。
俺の言った事そんな真剣に…………いや、あんな状況の中で、その答えを出せるとは考えづらいか。
「俺の認識も概ねその通りです。学問には、それぞれ意味がある。必ず。……なぜその学問を学ぶのか。理由は人それぞれだと思いますが、それでも学ぶ事の意味はある。絶対にあります」
「…………はい。未来に繋がらない事など一つもないと思います」
真っ直ぐに俺を見て……微妙に泣き出しそうでは、あったけど……ラスティははっきり言った。
……この子は、強いな。
二年前に初めて会った時はネガティブでずーっと落ち込んでいる、ちょっと心配な子だと思っていたが……。
俺は多分口が勝手に緩んでいたと思う。
「……やはり、貴方にあの執事は釣り合わない」
「え……?」
「いえ、こちらの話です」
「……? ……え、ええと、あの……今日は、本当に時間を割いてくれて、ありがとうございました……」
「こちらこそ」
いや、本当に良いお勉強になりました。
ありがとうございます、ラスティ様。
これは心からの感謝です。
「ヴィンセントさんがそう言ってくれたから……ボクは、この先も考古学や古美術や歴史を……好きでいたいと思いました」
「そうですか」
そこは是非、『好きでいようと』と言って欲しかったけど。
……やはり、根が深そうだな。
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