スケート日和



「…………」

「義兄さんどうしたんだー? 最近ずーっと顔色悪いよー?」

「あ、ああ、いや、別に」


 週末。

 新年度を迎え、案の定レオは「女神への供物の儀」だかなんだかがあるとかでスケートには来られなかった。

 聞き馴染みのない儀式だが、これは王族が女神たちへ供物を捧げ、昨年はご加護をありがとうございました、今年もご加護をよろしくお願いします、と挨拶する儀式らしい。

 明日も別な儀式があるとかで、本当に年末年始はクソ忙しそうである。

 俺たちはこんな風にスケートに来て遊んでいて良いんだろうか……と、思ってしまう。

 マーシャは全くそんな感じではないけど。


「ん? メグ、大丈夫けー?」

「だ、だ、だ、だ、だ……」

「大丈夫かダメかどっちだ?」

「…………だ、だめ……!」


 後ろを振り返る。

 クレイシス湖の周りに設けられた柵にしがみつき、足をプルプルさせているのは亜人のメグだ。

 大事な事なのですもう一度。

 亜人のメグである。

 スケートは俺もマーシャもリース家の敷地内にある溜め池が凍ると、お嬢様やケリーと共に嗜んだ。

 ので、滑れる。

 王都に住んでいるエディンやスティーブン様、最も雪深い地の出身であるライナス様などスピードスケートでハミュエラと勝負してやがらぁ。

 まあ、ウェンディール国民ならほぼほぼ滑れるのは、当たり前。

 だが……。


「しかしまさか亜人のお前が滑れないとは」

「は、初めてなんだから仕方ないじゃん!」

「ぼくも初めてですよ」

「ぐっ!」


 スィ、と一回転してキュッと止まるのはルーク。

 こいつものの十分で滑れるようになった。

 伊達に侯爵家の血筋じゃないよ。

 バリバリ『記憶継承』の能力が発現している。


「スケートって楽しいですね、お義兄さん!」

「良かったな」

「……ケリー様とヘンリエッタ様も来られれば良かったのですが……残念ですね」

「まあ、仕事だから仕方ないだろう」

「メグも残念だったなー? クレイと来たかったんだべ?」

「べ! 別に全然!」


 うーん、拗ねたメグを見ていると実に申し訳ない。

 だが、これもお嬢様の破滅エンドを回避する為。

 致し方ないのだ、許せ、メグ!


「…………」



 そう、今回のこのスケート。

 どうやら『フィリシティ・カラー』の追加ストーリーイベントだったらしい。

 なんでも『ゲーム難易度・鬼』でゲームを始めると、条件が満ちていれば二つの追加シナリオイベントが起こる。

 一つはこのスケート。

 クレイのルートで関わってくるらしいが、このスケートで偶然うちのお嬢様を見かけたクレイがなんとお嬢様に一目惚れをするらしい。

 あいつは男気のある奴なので、お嬢様に『惚れた!』となると即行動。

 つまり、亜人でありながら人間の令嬢であるうちのお嬢様を口説き始めるんだとか。

 しかしゲーム内でのお嬢様はエディンの婚約者。

 決して振り向いてくれないお嬢様と、クレイに心惹かれるヒロインたち。

 最終的にヒロインたちの努力が身を結び、クレイは選択したヒロインを振り向く。

 だが、クレイが関わった事でお嬢様はエディンに不貞を咎められ、殺害されたり処刑を申し渡されたりする……そう、完全なるとばっちりバッドエンド……!

 トゥルーエンドというやつだと、殺害や処刑を知ったクレイとヒロインに助けられるらしいが、その後の事なんて大体予想がつく。

 亜人と関わり、処刑を申し渡されたのにそこから亜人に助けられる……。

 亜人と同盟を結んでいないゲームの中のお嬢様の行く末など、もはや貴族令嬢ではいられないだろう。

 完全なるとばっちりバッドエンド……。

 酷い、酷すぎる……!

 クレイは悪い奴ではないのだが、こればかりは本当やめて。

 そして、もし俺たちが作り上げたこの状況ーーお嬢様が王太子レオハールの婚約者の状態で、クレイがお嬢様に一目惚れをしたら?


「……っ」


 じ、地獄しか見えない……!


「ヴィニー、いいかしら?」

「はい! お嬢様!」


 暖かそうなピンクのコート。

 白い手袋とマフラー、帽子に身を包んだお嬢様がス、と近付いてきた。

 当たり前だがうちのお嬢様も余裕で滑れる。


「巫女様とマリーはスケートが初めてだそうなの」

「え」


 巫女殿はともかくマリーも?

 あいつ一応元王女だろう?

 滑れないの? なんで?

 恐らくかなり嫌な顔をしてしまったのだろう、お嬢様に「ヴィニー、そんな顔をしてはダメでしょう」と叱られてしまった。

 すみませんありがとうございます。


「アルト様とラスティ様は、もうお疲れになったらしいの。エディン様はなんとなくお任せするのに拒否反応のようなものを感じるのです、貴方が教えてあげてくれないかしら?」

「…………。ものすごくよく分かりました」


 ライナス様はハミュエラと勝負中。

 スティーブン様は……マリーがいるのなら論外。

 お嬢様は多分アルトのお世話だな。

 アルト……。


「アルト様の体調は大丈夫なのですか?」

「今は休憩用のロッジでお休みになられているわ。アルト様の執事が付いているので大丈夫だと思うけれど……ラスティ様も心配なのでお側にいたいそうだわ。わたくしも少し様子を見てきます」

「えぇ……熱、本当に出されたんですか?」

「いえ、転んでしまわれたの。その時に足を痛められたみたいで……」

「…………」


 変だな。

『記憶継承』って身体能力も底上げしてくれるはずなのだが……。


「そうだわ。マーシャ、エディン様のところへ行ったらライナス様へハミュエラ様にあまり運動をさせすぎないように注意してきて。ハミュエラ様は汗が出せない、体に熱がこもりやすい体質の方なの。あまり運動しすぎると倒れてしまうわ」

「あ、は、はい! 分かりましたですだ!」

「メグ、貴女も巫女様たちとヴィニーに滑り方を教えてもらったらどうかしら? ルークもついて行っておあげなさい」

「あ、は、はい……」

「分かりました」

「はい、分かりました! お嬢様っ。メグさん、お手をどうぞー」

「あ、ありがとうルーク……うっわぁ!」


 しかし、ルークが差し出した手へ左手を載せようとしたメグはそのまま尻からずっこけた。

 うーん、これはなかなか……教えがいがありそうだなぁ。

 お嬢様はスケート靴を脱ぎ、ロッジの方へ歩いていかれる。

 アルトとラスティは元々あまり運動が得意ではないキャラだったはず。

 しかし、転けて足を挫くほどとは……アルトって病弱というより貧弱なんじゃないのか?


「巫女様」

「あ、ヴィンセントさん」


 休日なので、アミューリアの生徒が他にも滑る中なんとか巫女殿のところまでやってきた。

 お嬢様と別れてから、メグが柵を伝いながらなんとか巫女殿たちのところへとたどり着く。

 周りを見る。

 どうやら……巫女殿に接触しようとしていた貴族は遠巻きに様子を見て頂け、のようだな?

 なんでだ?

 チャンスのような気もするが……。


「あれ? 巫女様、滑れるように……?」

「あ、いえ、立つので精一杯です。わたしよりもマリーちゃんが……」

「ッッッ……」

「…………」


 メ、メグよりも必死に柵にしがみついている。

 理解した。

 巫女殿に話しかける、イコールこの元お姫様にも関わる事になる。

 思いもよらぬ虫除け効果。

 そうだな、余程……それこそケリー並みに己の策に自信がある者でなければ関わりたいとは思わないな。

 エディンやレオが偽者のマリアンヌに婚約者が出来なかった理由も……まあ、性格のせいが大きいと言っていた。

 この辺をスイスイ滑っている貴族令息は、偽者のマリアンヌの婚約者候補だった者も多いはず。

 俺もそうだが、一度関わったら二度と関わりたくない存在だ。

 チラッとこちらを確認し、このものすごい顔の『マリー』を見ては……そりゃあスルーするよなぁ、と納得してしまう。


「えーと、それじゃあとりあえず……」


 柵にしがみついて足プルプルさせてる姿を見ると、その膝裏をつま先でつついてやりたくなる程度には……彼女への好感度は低い。

 いや、やらないよ? そんなケリーみたいな事は。

 滑れないのが二人。

 辛うじて立つ程度の事は出来るのが一人。

 だが、俺がメグとマリーを教えたら確実にスパルタになる。

 ふむ……さて、どうしたものだろう?

 お嬢様の破滅エンドを回避し、お救いするには今のところ『クレイに会わせない』。

 俺……オズワルドのルートもヤバいらしいが、その辺はまだ『巫女様歓迎パーティー』が行われるか否かで対策が決まる。

 出来る事なら『一番ヤバい』らしいオズワルドルートには入っていなければいいんだが……。

 ヘンリエッタ嬢の話だと『オズワルドルートは出現条件からして鬼』らしいので、もしかしたら出現していないパターンも考えられる。

 とはいえ、『一番ヤバい』とか聞いてしまうと何が何でも回避したい。

 俺もしたい。

 という事は……。


「よし、ルーク、巫女様のお相手はお前が……」

「ルーク様!」

「え?」


 ルーク……様?


「あ、貴女は……」

「リ、リ、リ……リニム・セレスティですわ! ルーク様っ!」


 どすこい!

 ……という効果音が、彼女の背後に文字として見えた気がした。

 あー、この子……『星降りの夜』に婚約申し込みされるどころか、婚約破棄を突き付けられていた次期セントラル南区の領主家の娘さんじゃないか。

 こちらもまた、立っているだけでプルプルしている。

 確か、マーシャと同じ学年……今年アミューリアに入学してくる予定、だっけ?

 ……改めて見ても、デカイな……。

 俺、ご令嬢でこのサイズは初めて見た……。


「はい、こんにちは」

「きゃ、きゃあ!」


 ズシーン!

 ……ズテーンとか、ツルーンとかではなく……こ、転んだ効果音が、ズ、ズシーンっていった……。

 こ、氷は無事か!?

 ルークが慌てて彼女を起こそうとするが……。


「うっ! ……くっ、くぅ」

「お、俺も手伝う」

「わ、わたしも、わっ!」

「巫女様は無理なさらず!」


 貴女立ってるだけで精一杯なんですから!

 というわけで柵でプルプルするメグとマリーの横に、新たに横綱級令嬢リニム様が加わった。

 ……柵、大丈夫かな。

 掴み起こすだけで俺まで汗かいた!

 ほとんど滑ってないのに身体ほかほかする!

 あの重量感……七十キロから八十キロはするぞ。


「す、す、すみません……」

「い、い、いいえ……。リニム様も滑るのが苦手なんですね」

「は、はい。お恥ずかしながら……これまで運動らしい運動は……その、してこなくて」


 でしょうね!

 なんとなく、この場でルーク以外の人間が全員そう突っ込んだ気がする。


「あ、あの、それじゃあみんなで一緒にヴィンセントさんとルークさんに教えてもらいませんか? わたしもさっきから立ってるのがやっとで……」


 巫女殿、天使かな。

 なんという慈悲深いお言葉。


「はい、ぼくも一生懸命お役に立てるようアドバイスさせて頂きます!」


 ルーク、天使かな。

 でも多分お前は天才型だ。

『記憶継承』が冗談じゃないレベルで発動しているからな?


「では、とりあえずメグとマリーとリニム様はその場で真っ直ぐ立てるようになりましょうか。話はそれからです」

「「「ひっ……」」」

「お義兄さん、目が本気すぎて怖いですよ……」


 しまった、つい。

 あまりにも情けない姿のメグと、恨み辛みがこもっているマリーと、見るに堪えない脂肪の塊を見ていたら、つい。


「……。……あ、あのう、ヴィンセントさん……レ、レオハール王子は今日いらっしゃいませんの?」

「ア?」

「お、お義兄さん!」


 ルークに注意されたし、横の巫女殿もビクッとさせてしまった。

 いや、だってなぁ?

 柵にしがみつきながら、そんな事を俺に聞いてくるとは……一体どういう了見だって思うだろう?


「どうしてそんな事を聞くんだ? マリー」

「……そ、それは、その、もちろんマリン様が、レオハール様とお話しされたいのではと思って……」

「…………」


 下手な言い訳。

 巫女殿が「え?」という実に意外そうな顔をしている。

 俺はというと盛大に溜息が出た。

 それに今度はメグが「ひょえ」と変な声を出す。

 その怯えた表情を見て、顳顬(こめかみ)を親指で押し解した。


「……いや、少々呆れ果てて言葉が出てこなかった。意外だな、マリー。君は年始の王家の忙しさをそれなりに知っているものだと思っていた」

「!」

「今日は『供物の儀』があるそうだ。明日は『神罰の儀』と『豊穣祈願の儀』。月半ばに『忠誠の儀式』もあるから、その準備も始まっている頃だろう。……しばらくは城からお出にはなれないだろうな」

「……あ……そ、そう、ですか」


 何年城で暮らしていたんだ?

 なんで毎年やってるはずの行事を君が知らないんだよ?

 お城でお姫様やってたんだろう?

 思いも寄らなくて本当に言葉が出てこなかった。

 会う度に驚かせてくれる人だな、本当。


「……え、えーと……ではマリーさんとメグさんとリニム様はぼくがバランスの取り方をお教えします!」

「! ……ルーク」

「大丈夫です! なので、お義兄さんは巫女様に滑り方を教えてください」

「…………」

「え、えーと……あの、よ、よろしくお願いします、ヴィンセントさん」

「……はい、それでは僭越ながら……」


 ルークに気を遣わせてしまった。

 でも、マリーと話しているとどうしても苛立ってしまう。

 ここはルークの優しさに甘えさせてもらうとし……あれ?


「わっ、と……わっ!」

「おっと」

「!」


 ぼすん、と胸の中に収まる小さな体。

 ほんのりと香る、女の子の匂い。

 というか…………さっきの超重量を引っ張り起こしたせいかあまりの軽さにびびった!

 ええええぇ、なにこれぇ!? 軽すぎやしませんかぁぁ!?


「み、巫女様、ちゃんと食べてますか!?」

「え!? は、はい! 食べてます!」



 ちなみに滑れるようになったのは巫女殿とメグだけだった。


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