番外編【メグ】3
そう、思って実際に勉強を始めてみたものの…………一時間後。
「……はぁ、難しい……」
「ええ〜? そうけ? わたし一日で覚えられたさ」
「そりゃあんたは『記憶持ち』だからでしょ? 文字の読み書きを一日で出来るようになるのなんて『記憶持ち』だけだよ〜」
「き、『記憶持ち』⁉︎ そんな恐れ多い! わたしは普通の田舎者だべさ!」
「平民からもたまに『記憶持ち』は出るんでしょ? あんたはきっとそれだよ」
「そ、そんなはずは…」
いやいやいやいや、これを一日で出来るようになるとか『記憶持ち』以外に考えられないから!
普通に難解だよ!
ま、貴族のメイドも『記憶持ち』が多いっていうし、アホに見えてこの子も『記憶持ち』だったんだろう。
ケロッと一日で出来た、なーんて言ってくれちゃってさ〜。
こんなん一日で習得出来るわけがないわ!
「よく分かんない」
「お嬢様? に、一回ちゃんと説明した方がいいよ」
「う、うん…」
「………。まあ、なんにしても貴重な体験だったよ。ありがとね」
「え?」
まあ、この子の主人もこの覚えの良さに『記憶持ち』だと気付いていそうだけどね。
少し不安気なマーシャに、少し罪悪感。
この子はあたしに人間族の文字に触れる機会を与えてくれたのに、あたしはこの子を悲しそうな顔にさせちゃった。
これはダメだわ。
普通に生きてたら、人間族の文字なんて一生教わる機会ないもんね。
だから、お礼の気持ちは本当に本当。
心の底から感謝だよ。
でも一日で覚えるのはやっぱりとても無理だ。
良い経験ができた、って事で……。
席を立ち、出入り口の扉へ向かう。
一時間ぐらいいたけど、誰も入って来なかったな。
でも、さすがにもうまずいよね。
帰ろ。
「ま、待って!」
「まだ何かあるの?」
「…こ、これ」
『はじめての文字』、という本を差し出された。
意図が分からず、受け取る事も躊躇われる。
「一週間なら貸し出してもらえるんさ! わたしの名前で貸し出ししてもらうから、持って帰ってもう少し頑張ってみてくんねぇべか⁉︎」
「えっ⁉︎」
貸し出し⁉︎
つーかそれ又貸しっていうんじゃ⁉︎
い、いやいや! それ以前によ!
「……あ、あんた馬鹿?」
「なして⁉︎」
「貴族の通う学校の本なんて、あたしがちゃんと返しに来ると思ってんの? 売ってお金にするかもよ?」
「ええ⁉︎ そ、そんな事するんけ⁉︎」
「い、いや、しないけど……」
「なーんだ、なら大丈夫だな。はい」
「⁉︎ い、いや、はいじゃなくて……」
改めて差し出される。
この子……、この子…………。
「…………」
本物の馬鹿だ。
今日、初めて会ったあたしになんの疑いも持たずに貴族の通う学校の図書館の本を又貸し。
バレたらめちゃくちゃ怒られるだろう。
下手したらクビ、最悪ソンガイバイショーじやない?
分かってないんだろうな。
いや、しないけどさ、本当に。
王都の地下に住んではいるけど、町の側の森や川に食糧を狩りに行くし、諜報員として働いてる人たちがたまーに人間の料理とか持ってきてくれるから食べ物にはあんまり困ってないし。
そんな風に人を騙してお金を稼ぐのは、悪い人間のやる事だ。
誇り高い亜人族はそんな事しない。
だからやらないけど……この子、本当に本物のお馬鹿だなぁ。
「……ありがと」
でも、でも、でも……なんて良い子なんだろう。
生まれた時からこの町に住んでるけど、人間にこんな風に信用されたのは初めてだ。
本を両手で受け取って、生まれて初めて人間にお礼を言った。
金髪碧眼のオツムのゆるいメイド……マーシャ。
王子様と同じ髪と目の色の、女の子。
この髪と目の色の人間には良い人が多いのかな?
「まあ、頑張ってみるよ。一週間後に返しにくればいいの?」
「うん! えーとね…」
マーシャが取り出したのは懐中時計。
へえ、良いの持ってるな〜。
時計とかよく分からないけど、一介のメイドが懐中時計なんて持ってるもんなの?
いや、この子の場合、今日のように仕事をサボって自由にウロウロしているから持たされている可能性も……。
「来週の午後三時にここで待ち合わせしよ!」
「三時だね、分かった。…あんたも忘れないでよ?」
「大丈夫! これに書いておくさ!」
で、更に手帳も取り出した。
手帳を持ち歩いていて、それに書いておく。
……うーん、それを手渡して持たせている人間の苦労がどことなく伺えるようだわ。
一緒に建物から出てきたマーシャはルンラルンラと呑気に歌いながら、坂道を登る。
あれ?
「ところで、あんたも帰るんだよね?」
「んえ? うん、けーるよ?」
「紙袋持ってなかった?」
「んぉあ⁉︎」
あと、あたしは降りなのよね。
外区に帰らないといけないから。
しかしこの子、見てて飽きないというかなんというか……今日買った肝心な物を忘れて出て来たな。
「図書館の中もう一度見ておいでよ」
「行って来る!」
回れ右をして、図書館へ駆け戻るマーシャ。
まあ、人気のない場所だったから座っていた席の付近にあるだろう。
……普段ならこのままお別れ。
そして二度と会う事もない。
あたしは亜人。
亜人を嫌う人間と仲良く出来るはずがない。
でも、なんだろう……マーシャって、あたしが知ってる『人間族』とは、何か違う。
今まで会った事のない種類。
人間にも種類があるのかな?
そんな事を考えていたら、満面の笑みを浮かべたマーシャが紙袋を掲げながら戻って来た。
「メグ〜! あった〜!」
「良かったね……」
「ありがとうありがとう! メグのおかげだよ〜!」
「…………。なんかあんたってほっとけない。それ、貴族の寮に届けに行くんでしょ? 建物の前まで一緒に行ってあげるよ」
「ほんと⁉︎ わぁーい!」
なんだろうな。
きっと純粋なんだろうな、この子は。
うん、良い子だ。
こんな人間もいるんだな……。
人間がみんなこの子みたいなら……あたしたちも『日の当たる場所』で生きていけるのかな?
クレイもツェーリ先生も諜報員のみんなも、それを目指して頑張ってる。
あたしも何かしたい。
少しだけ申し訳ないけど、文字の練習、頑張ってみる代わりに……この子の事を……利用、させてもらう。
ごめんね、でも、仕方ないんだよ。
あたしたちは、こうでもしないと生きていけないから。
「あんたよくそんなんでメイドやってられるね」
「まさかの先制パンチ⁉︎」
「つーか、あんたを雇ってるお嬢様がすごいわ」
「ふがんちょすっ!」
「……まあ、あんたを雇ってるお嬢様の気持ちはちょっと分かる気するけどさ…」
「んえ?」
「なんでもなーい。ねぇ、それよりもさ……」
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