■ 196 ■ 代理
「とりあえずダメ元でパン屋の列に並んでみらぁ! 男の度胸は当たって砕けろってな! マコはどうする?」
「私は先輩を信頼しているんで。先輩が無理っていうなら無駄なことはやりませんよ」
「なんだよいい子ちゃんめ。しゃあねぇ、いくぞジェローム!」
シェリフ、ジェロームと別れ、再び五人での行動である。
午後の予定としてはクィスは特に考えずフリーにしておいたのだが、
「あの、服屋回ってもよいですか?」
「勿論。と言うか僕の予定は街の見回りだしね」
自分たちの予算内で買える服を買っておきたい、ということで三人の洋服選びに付き合って回ることになった。
「……んー、やっぱり庶民の予算だと買えるのは普通の服に近いもの一着しか買えませんね」
工房直営の販売店にて、両手にハンガーを手に持ったコルナールが少しだけ悲しそうに瞳を左右させる。
「布地が少ない服の方が高いって、おかしいと思う」
ドレスのように布を盛ったのなら分かるが、と言うサリタにはさて、どう説明すれば理解して貰えるやら。
「貫頭衣なら誰だって布があれば作れるさ。でも見目良い、可愛い、着てみたいって憧れる服は誰でも思いつくもんじゃない。そういう服を思いつく頭脳にお金を払ってると考えて欲しいかな」
「何よ、この程度の服だったらあたしだっアダァ!?」
それ以上は店に対する挑発にしかならないので、サリタがさっさとゲンコツを落としたのはよい対応だろう。
そんなこんなで服選びを終えた後、歌姫の舞台歌唱を聴くということで特設舞台会場へと戻って来たクィスに、
(クィス兄)
「すまない、ちょっと離れる。マコ、付いていてやってくれ」
「了解です、先輩」
元孤児のマフィア見習いに呼ばれて舞台袖に戻ったクィスはさて、事件かと身構えたが、
「マイスター・フラーラ?」
「はぁい我が天使のお兄様、ちょーっとお人好しの貴方にお願いがあるのよ」
待っていたのはラジィに改造ローブを着せようとしては玉砕しているという変人で、しかしレンティーニファミリーのシマで最大顧客を抱える才女でもあるフルール・フラーラ裁縫師である。
「マイスター・フラーラはファッションショーの準備に携わっていましたよね。何か問題でも?」
「うん。オーディションで選んだモデルがね、ここにきていきなり体調崩しちゃったっぽくて」
日替わりでやっているファッションショーのモデルに欠員が出てしまい、代理を探しているとのことで、
「何人必要なんです?」
「二人。希望としてはほら、教会に可愛い子二人、在家で入ったじゃない? あの二人とか連れてこれないかなーって」
ああ、ソフィアとクリエルフィ狙いで声をかけてきたのか、とクィスはフルールの目論見を看破した。
確かにクリエルフィはパン屋にいること自体がおかしい美貌の持ち主で、ソフィアもどこの子かは知らないが、クリストフという上品なお側を付けられるだけあって端正な顔立ちをしている。
あの二人なら確かに代打としては申し分ないだろうけど、
「無理です。クリエはベッラルチアの看板で大忙しです。今引き抜いたら長蛇の列作ってる男連中が暴動起こしますよ」
主にシェリフがね、とクィスは遠い目になってしまう。今ベッラルチアからクリエルフィを抜くのは絶対に拙い。
「あとこれはジィの要望なんですけど、あまりソフィアは人目につくところに出したくないそうです。ソフィアはクリエと違って自衛もできませんし」
神殿騎士としての訓練をちゃんと積んでいるクリエルフィと違い、ソフィアは新米かつ完全な支援職だ。
人目にさらして固定ファンがついてしまったら、幾らリッカルドがいても面倒なことになりかねない。そういう状況をラジィは望まないだろう。
「駄目かー。むぅ、とするとどうしたもんかなぁ」
ラジィが嫌がっている、と告げればフルールもそこはあっさり折れてくれるのは正直ありがたい。
「そこら辺から応募を募るんじゃ駄目なんですか?」
「駄目。地獄が始まる」
何故? と問うに、一度観光客から公募なんぞをしようものなら、選ばれなかった観光客たちが露骨にそっぽを向くようになること疑いないのだそうだ。
「分からない? たとえ選ばれるのが千人の中からたった二人とかでも、998人が『選ばれなかった子』っていう立場になっちゃうの。そんな子がファッションショーを楽しく鑑賞できると思う?」
クィスは理解し、そして幻視した。もしかしたらという淡い願いと、その願いを容赦なく斬り捨てる残酷な現実。
そして選ばれなかったその他大勢でしかない少女の前に現れる、舞台上の、華やかに着飾った『選ばれた娘』。
「……無理ですね。自分は負け犬だって屈辱を噛み締めながら、嫉妬と怨嗟の視線を舞台に向けるでしょう」
グラナは何故ラジィに負けたのか。
その決め手となったのはグラナがラジィを救いたいと思う一方で、グラナの家族はラジィという『選ばれた娘』を八つ裂きにしてやりたいとしか思えなかったからだろうに。
「そういうこと。だから絶対にこのタイミングで公募だけはしちゃ駄目なのよ」
「ではリュカバース内の補欠は? 何人かリザーバーは用意しておいたんですよね?」
何事にもバッファが必要ということで、補欠の人員は用意しておいたはずだ。
それらは使えないのかとクィスは確認するが、フルールはお手上げ、と両手を掲げるのみだ。
「祭りに出てて連絡つかなかったりとか、いきなり呼びつけるのは無理だったみたい。あと体格が違ったりとかもね」
「まあ直前に言われても困りますよね」
要するに補欠はいるが、直前で連絡を付けられる状態ではなかった、ということらしい。
「……うーん、それなりの容姿だったらちょっと素人臭くても大丈夫ですか?」
「大丈夫。むしろ観衆が『私だってあの服を着られればあのぐらいには可愛くなれる!』って思うぐらいがむしろ販促としては丁度いいのよ。どう、いる?」
「やってくれるかは分かりませんが、聞くだけは聞いてみます」
§ § §
「ふーん、まあ容姿は悪くない。肌つや髪艶はギリ及第、化粧は駄目。爪、産毛、眉、睫毛は――へぇ、こりゃフェイの仕事ね」
そうやって連れてこられたサリタ、コルナール、ヤナは、ありとあらゆる角度からフルールに鑑賞されて居心地が悪そうに固まっている。
「どうかな? マイスター・フラーラ」
「着てるのがルイゾンのチョイスってのが腹立つわ」
「それは聞いてません」
新色町でルイゾンと人気を二分しているフルールは、まず三人が着ているのがルイゾンのデザインと言うことが気に入らないようだった。
だが、それはそれとして、
「ありね、いけそう! 体格からしてそっちの子は確定で、残り二人から一人――どっちがやる?」
ヤナは確定、とフルールが断言して、さて困ったようにサリタとコルナールが顔を見合わせる。
「私は――上がり症だからコルナがやればいい」
「分かりました、サリタがやります」
「全然会話が成立してない……」
マコが呆れる横で、コルナールがサリタの脇腹をひじで突いてから後ろに回り、サリタを押し出してくる。
「わ、私よりコルナの方が――」
「私は舞台に上がるより舞台に上がる二人をニヤニヤ見ている方が好きなんで、サリタがやります」
「「うわぁ」」
ひでぇ理由だとクィスたちは思ったし、そして実際に性格的にもコルナールは遠慮して辞退したわけではなく、確かにそっちを好みそうだとも納得する。
「で、でっででもモデル!? モデルって何すればいいの? アナベルみたいに舞台の上で歌ったり手を振ったりとかしなきゃいけないの!?」
そして確定と言われたヤナは完全に錯乱しているようだ。何故か頭に思い描いたのは歌姫アナベルの姿らしい。
昨日もファッションショーを一観衆として鑑賞したし、モデルがそんなことをやってないのは知っているはずなのだが……
「偉そうな顔して舞台の上に上がり、花道を往復するだけの簡単なお仕事よ」
「簡単なって……簡単に言うわね!」
「簡単なことを難しく言ってどうするのよ――レンカ! この二人を即興速攻で仕上げるわよ。工房の皆を集めて」
「はい、親方!」
そうしてあれよあれよと医者に連行される猫みたいな顔で、サリタとヤナがフラーラ工房の針子に取り囲まれ、舞台奥控え室へと連行されていく。
それを見送るコルナールは実によい笑顔だが、
「いいの? コルナールだって出たくなかったわけじゃないんだろ?」
「そりゃあ私だって夢見る女の子ですから? 当然機会があれば少しは、とは思いますけど」
そう笑顔を貼り付けたまま、コルナールがクィスの方を見やる。
「でも、サリタの人生にはもう少し素敵なことが積み重なって欲しいんですよ」
そう語るコルナールの視線の先には、恐らくクィスではなくサリタの過去か何かが映っているのだろう。
「自分が生きていていいのか? と己に問うたときに、それを肯定してくれるのは幸せな思い出だけです。辛い思いでしかないと、自分の人生を肯定できなくなってしまうでしょう?」
「そうだね、それはそう思う」
スティクス時代は、だから自分の生きる意味を肯定できなかった。クィスになってからは真逆だ。
だから、それを真逆にしてくれた少女にも同じように思えるようになって欲しいと考えて――成程、コルナールも同じなのかもしれないと納得する。
「コルナールにとっての一番はコルナール自身じゃないんだね。わりと辛いよ? そう生きるの」
「ふむん。とすると私を支えてくれる、頼りになる殿方とかが欲しくなっちゃますね。どうです? 今ならお買い得かもしれませんよ?」
恐らく娼館にいた娼婦の仕草を盗んだのだろう。しなを作り、まだまだ稚拙な秋波を投げかけてくるコルナールを前に、
――だからこそさっさと支えとなる伴侶を作るべきなのさ。
何故かシェファの言葉がクィスの脳内に閃いて、
「そういうのもありかもね」
「え?」
コルナールの腰に手を回し、サッと抱き寄せて唇に唇を重ねる。
そのまま相手の唇を舌でこじ開けて、その先にある舌に己の舌を絡めるように舐って、たっぷり嬲って、そして離す。
「……え、――――え?」
「そこで固まっちゃうなら慣れないことはやらない方がいいよ。この街でそれじゃああっという間に押し倒されてベッドインだ」
そうクィスは笑って、コルナールを解放する。
クィス自身も別に女性経験が豊富なわけではないが、新色町で教師をやっていたぐらいだ。
庶民の距離感のスキンシップを超えて毎晩肉体関係ズブズブな連中と一緒にいれば、そういうふれあいを日常の常識として気にも留めなくなる。シェリフなんかよりよっぽどエロスの閾値が低くなっているのだ。
「……先輩、手慣れてますね」
「マコ、僕が何年娼館に出入りしてると思ってるんだ」
「あ……わ、わっ……わわわ……」
もうとっくに王子様のスティクスは死に絶えて、ここにいるのはマフィアのクィスなのだから。
女の子一人食い散らかすぐらい、今更躊躇う理由などどこにもない。
もっともクィスは根が善良なので、いざやるとなった時に本当にできるかは別として、だが。
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