■ 391 ■ その頃書庫の天使は 2






「だれ?」

「貴方と同じよ。こんな時間に本を読みにくる、ただの読書狂いのお馬鹿さん」


 そう老婆がラジィに視線を向けることなく応えてきて、どうやら【観測メトリア】でラジィを監視しながら、自身の目は本に釘付けらしい。

 器用なものだ、とラジィは自分を棚に上げて感心した。


「そんなところで読んでないで自室に持ち帰ったほうがよくない?」

書庫ビブリオシカ神殿奥の間、つまりここの資料は持ち出し禁止ですよ。何せシヴェル大陸中の秘匿すべき情報を納めた火薬庫なのですから」

「持ち出し禁止……」


 ラジィはその場にへなへなと崩れ落ちた。これだけ本があるのだから一冊くらいは持ち出してもいいだろうに。

 とはいえ、それをやるのはマズいとラジィの本能が告げている。多分何らかのアミュレットかなんかでここの本は管理されているはずだ。

 そうじゃなければもう歳で足腰も弱ってそうな魔術師が床に腰を下ろして読書などしているはずも無い。


 そう、目の前の老婆は魔術師だ。しかもラジィがこれまでこの【至高の聖域サクロ・サンクトゥス】で出会った誰よりも美しい、もの静かな神気を纏っている。


「ここで読む分には構わないのね?」

「ええ、入室が許可されている人なら」


 なるほど、と頷いてラジィは本棚から一冊の本を引きずり出してページを開く。

 当然ラジィは許可など得ていないが、そういうことはラジィにはどうでもよいのだ。どうせ元孤児の元麻薬中毒者に出される許可などある筈がないのだから。


 そうしてラジィが時間が勿体ないとばかりな速読を終えて一冊目――薬草の秘伝だった――を本棚に戻すと、


「貴方、お名前は?」


 彫像のような老婆が声をかけてきて、それがラジィには鬱陶しい。


「人に名前を聞く時は先ず自分から名乗るものよ」


 ラジィがここで読書できる時間は夜明けまでしか無いのだから、こんなところで老婆と問答をしている時間も惜しいというのに。


「これは失礼、シェキナ・ヒムロエよ。貴方のお名前は?」

「ジィ、じゃなかった。今の名前はラジィ・エルダートよ」

「ラジィね。こんな時間にここに来るくらいだもの、ラジィは読書が好きなのよね?」

「ええ、だから邪魔しないでくれると嬉しいわ」


 そう老婆に答えてラジィは二冊目に取り掛かる。

 二冊目はどうやら料理のレシピ本らしく、こんなものがどうして火薬庫にあるんだ? と思いつつ読み進めると、どうやらそれは人間を食材にした人間のおいしい食べ方だと分かって納得する。納得し、げんなりしつつも読み進める。読むのは止めない。意地でも止めない。

 そうして若干気分が悪くなりながらも気合いで二冊目の猟奇本を読み終えると、


「ラジィはどうして読書が好きなの?」


 老婆シェキナが穏やかに問いかけてきて、ラジィは辟易しつつも、


「違う世界を見られるからよ」


 人間の美味しい食べ方で若干ダメージを負っていたので、少しだけ文字を追うのをやめてシェキナに付き合うことにする。


「本を読めば海の向こうの事だって知れる。そこに住む人、服に食べ物、どんな家に住んでいるの? 天気、ならわし、倒すべき魔獣。そういったことを本を読むだけでいくらでも知ることができるもの。これって素晴らしいことよ、私みたいにどん詰まりな存在には」


 そう熱に浮かされたようにラジィが語ると、シェキナは楽しそうに微笑んだ。


「そうね、そうやって私たちは他者にも、そして未だ生まれてもいない子供たち、その子供の子供の子供にだって伝えたいことを残す事ができる。素晴らしいことよね」

「まあ、嫌なことも残るけどね」

「そうね、人間はあらゆる生物の中で唯一、自分の怨念や屈辱を他者に受け継がせようとする愚かな生き物だから」


 シェキナはそう悲しそうに笑いつつも、おいでとラジィに手招きをし、何故か自然とラジィはそれに従ってしまう。


「ラジィ、【リベル】は使える? 使えるなら私がここにある本の内容を書き込んであげられるけど」

「それよりここに入る許可のほうが欲しいわ。私、紙の本を読む方が好きだから」


 ラジィがそうごねると、何故かシェキナは嬉しそうに笑い始める。「気持ちはよく分かるわ」と。


「でも許可を出すには精査が必要になるから時間がかかるものよ、特に一大組織地母神教マーター・マグナではよけいにね」

「まるで鈍亀ね……嫌になっちゃう」


 本当ね、とシェキナは笑う。


「それで、どうする? ラジィ」

「勿論お願いするわ。紙の本のほうが好きだけど、別に【リベル】での読書を憎んでるわけじゃないもの」


 ラジィが【リベル】を展開すると、老婆が額をラジィのおでこにつけて、


「【写本トランスクリーヴォ】」

「んなっ!?」


 そうしてシェキナからラジィの【リベル】に流れ込んできたあまりの情報量、文字の奔流にラジィは慌てて、


「我ら地母神マーターに代わりて民を導く典籍の記録者なり。歴史を紡ぎ、営みを書き留め、数多の道行きをこれに記さん!」


 久々にフル詠唱で地母神マーターにひたすら祈りを捧げ、【リベル】を次々と量産していく。

 シェキナから流れ込んでくる情報を余さず受け止めるには、十や二十の【リベル】では到底足りそうにない。いや、五十や百でも足りるかどうか……


「はい、おしまい」


 そうシェキナが笑って額を離した頃には、ラジィはたかが【リベル】の量産だけで残存魔力をほとんど使い果たしてしまっている。

 まさか【リベル】の魔術行使だけで肩で息をするほど疲弊することになるとは。


「これだけあればしばらくは困らないでしょう。読み終わる頃には貴方にここに入る許可を出せると思うわ」

「……あ、ありが、と……」


 息も絶え絶えのラジィにシェキナはニッコリと微笑んで、出口を指差してみせる。


「さ、今夜はもう帰りなさいなラジィ。貴方が気絶させた衛兵たちもそろそろ目を覚ます頃よ」

「……知って……たの? ふぅ……」

「当然よ。貴方の【観測メトリア】をちょっと借りていますので。凄い性能ね、これ」


 そうこともなげに告げられたラジィは絶句してしまう。

 ラジィに気づかせないまま、いつの間にかこの老婆はラジィの【全体観測オムニス メトリア】を共有して情報を仕入れていたのだ。


「……はぁ。貴方、もしかしなくても凄い人なのね……」


 そう問われたシェキナは少しだけ嫌そうな顔をして、


「いいえ、こんな時間に本を読みにくる、ただの読書狂いのお馬鹿さんよ」


 そういうことにしておけ、と言われたラジィは素直に頷いて立ち上がった。


「そ。じゃあシェナと私は本好きのお友達、ってことでいいわね」


 そうラジィが二人の関係を定義すると、


「お友達。ええ、それは素敵ね、ジィ」


 シェキナはそれがいたく気に入ったようだった。


「そこそこ選りすぐったつもりだから、読み終わったら感想を聞かせてね?」

「分かったわシェナ。じゃあおやすみなさい」

「ええ、おやすみなさいジィ、良い夢を」


 そうして自分のベッドに戻ったラジィは夜を徹してひたすら【リベル】を読み進め――




「ジィ、立て、立つんだジィ!」

「……」


 次の日寝不足でフラフラのままツァディと戦闘訓練に突入するも、いきなりバタンと倒れ伏し、揺すっても揺すっても目を開くことがなく、


「カイ姐大変だ、ジィが目を開かないんだ!」


 カイのもとに運び込まれ、ただぐっすり寝ているだけと判明したラジィは目を覚ました後、


「夜は昼の疲れをとるためにちゃんと寝なきゃ駄目だろバカ!」

「それ以前に 書庫ビブリオシカ神殿に不法侵入とかするんじゃありません!」


 そりゃあもう左右から延々とステレオでガミガミと怒られる羽目になったのはまぁ、自業自得と諦めるしかない。





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