■ 390 ■ その頃書庫の天使は 1
「ジィ、立て、立つんだジィ!」
「むちゃ……いわないで、よっ……!」
【
ダート修道教会所属訓練兵唯一の生き残りとして保護され、麻薬の影響もあらかた抜けきり、治療は終了と判断された後。
【
一度は他の出家信者たちと一纏にされ教育を受けていたラジィではあったが、教育の合間にペンは折られる、インク壺を寝室のベッドにぶち撒けられる、ローブは戦闘訓練中に雑巾の搾り汁塗れにされる、食事にはうじのわいたパンが提供されると散々な有り様で、しかも、
「とりあえずこれはお礼ね、成敗!」
それらをやってくれた犯人に例外なくラジィは顔面パンチをお見舞いするもので、暫定保護者であるカイは頭を抱えてしまったのだ。
ラジィが悪いとは当然カイも思っていない。
だが、犯人たちは対外的には何の証拠も残していないから、それだとラジィの評判がますます地に落ちていってしまうのだ。
「ジィ、犯人は此方で裁きますから勝手に私刑を行わないように。相手は貴族なのですよ」
「貴族が何よ。それより私の神臓を返して。そういう運の格差から私は人を救わなきゃいけないんだから」
カイが注意してもラジィはこんな調子で、そもそも
それを再び目の前でまざまざと見せつけられれば、自分が天使であると知ってしまったラジィは益々
これは非常にマズい、と考えたカイはもう体面とかそういうのをガン無視して、ツァディを四六時中ラジィに張り付かせておくことにしたのだ。
未だ十一歳でしかない、しかも庶民からの出家であるツァディではあるが、その暴威は既に【
候補生どころか、現役の【
このツァディが張り付いて面倒を見始めた途端、ラジィに対するイジメは流石に激減した。これはこれで喜ぶべき事だろう。
だが残念なことにツァディは
そんなツァディがラジィにしてやれることは戦闘訓練と戦技成長バフだけで、
「そうじゃないジィ! 後ろにも目をつけるんだ!」
「付けてるわよ! その上で反応できないの!」
ツァディの
「ふざけんじゃないわ! 後ろに目があったって、視界に映るより早く後ろに回り込む奴をどう殴れってのよ! 肘鉄すら間に合わないわ!」
そんな劇的な成長を遂げつつも、しかしできないことはできないのである。
まったくもってラジィの言う通りであるのだが、ツァディは首を横に振るばかりだ。
「その為に後ろに目をつけるんだろう?」
「言葉が通じてない、もうヤダ! なんなのよコイツ! ディーはおかしいのが自分のほうだっていい加減認めなさいよ!」
それなー、と
ラジィは天使由来の能力か、【
ラジィが【
それによりラジィはイジメの犯人を正確に把握しているだけでなく、背後からの攻撃にも余裕で対処できる――筈なのだ。普通の奴が相手なら。
「貴重な才能がただゴリラとして成長してるわね。いや退行か。人類より知能低下してるもんね」
いつの間にやってきたのか、隣に並んだ【
ツァディに教えられるのはゴリラ作法だけ。これでは天使という最高の素材で二体目のウホウホマウンテンゴリラを製造しているだけだ。
然るにとっととラジィも【
§ § §
「本を読む本を読むわたしは本を読むのよぉー……」
夜更け過ぎ、ツァディとの相部屋を抜け出したラジィは抜き足差し足忍び足で
ツァディのいびきがうるさくて寝られないと苦情を申し立て、手に入れた睡眠導入薬をツァディに盛っておく、という念の入れようで得た自由である。
何としても本の一冊や二冊ぐらいは確保しなければ帰れぬ、と心に決めての大脱走だ。
なおツァディの名誉の為に、ツァディは別にうるさいいびきをかいたりしてないことは、ここにちゃんと明記しておく。
さておき、道中にいる見張りの神殿騎士如き、ラジィなら気配を消して背後に回って、頭に魔力を流し込んでやればあっさり昏倒させてしまう。
伊達や酔狂でラジィは最高の
もっとも、自分にはバフが乗らないはずのツァディには天使の第三臨界状態ですら手も足も出なかったが、あれはツァディがおかしいのだ。
さておき、そうして見張りの神殿騎士を全滅させたラジィは堂々と
鼻につく、カビと埃と古書の匂い。これを悪臭と嫌う者もいるが、ラジィはこの匂いが嫌いではない。むしろ心地よいとすら感じるくらいだ。
無限に感じられるほどに立ち並ぶ本棚。積み重ねられた本、羊皮紙、丸められた木簡に、壁に立てかけられた石板、ラジィの身長程もある巨大本、粘土板。
「ここがそう、楽園だわ! さよならゴリラの日々!」
見たことのないくさび形文字に象形文字がラジィの胸を弾ませて、自然と鼻息が荒くなる。
どれにしようかな~と本棚の密林を散策していたラジィは、
「あら、かわいいお客様ね」
ふと、いきなり声をかけられてギクリと足を止めた。周囲を見回すが、人の姿は――いや、本棚の間に、精緻な老婆の人形が一体転がっている。
真っ白い、なだらかな山型に広がる、豪奢な刺繍を施されたきれいな衣服に身を包んだそれは、さながら書庫の一部のように微動だにしない。
よくできた人形だな、とラジィが感心していると、やおらその手が動いて床に広げられていた本のページをめくる。
どうやら人形と錯覚するほどに身動き一つしない人間だったようだ。
※作者注
ごめんなさい、しばらくラジィの出番はないと言いましたが書いちゃいました。だって主人公だし! この子書きたくて書き始めた話だし仕方ないよね!
ということでラジィ回、暗いバックボーン部分はなるべく排除しつつ、今後もちょこちょこと挟んでいきたいと思います!(暗い話は三章までで十分ですからね!)
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