■ 179 ■ アンティゴナだって企みたい
「やあ、よく来てくれたドン・ウルガータ。我が新たなる友よ」
茶会室に通されるとアンティゴナがそうぬけぬけと言ってのけるもので、ウルガータとラジィは内心すっかり呆れかえってしまう。
本当に都合の良いことこの上ない。だがラジィに二度も腹パン喰らっているのに満面の笑顔で二人を迎えるあたり、アンティゴナの貴族としての外面は超一流だろう。
ウルガータのみならず護衛のラジィも二人掛けのソファに案内され、三歩の距離に伯爵夫人ムーサが居るのは信頼の証でもある。
対外的には完璧なもてなしに、ラジィもウルガータも舌の一つも出せずに借りてきた猫を装うしかない。
簡単に歯の浮くような挨拶を交わした後、ホストであるアンティゴナが茶に口を付けたのでウルガータらもそれに倣う。
ウルガータはラジィ製の、ラジィはクリエルフィ製の解毒ポーションを一応用意してあったのだが、どうやらそれらの出番は不要であるらしい。
最近やってくるようになった商船の荷である茶葉の、ふくよかな香りが口腔を滑り落ちて胃の腑へと落ちる。
なるほど食事に興味が薄いラジィにも上等と分かる抽出具合だ。
「ドン・ウルガータとは今後もよい付き合いをしていきたいと思ってね、この場を用意したのだよ」
「ミスタ・ウルガータ。これからも夫の領地を支えて下さいね」
ほっそりと微笑むムーサ夫人の顔には侮蔑の色など欠片も無く、なるほど美しい女性だ、とラジィは本気で感心した。
内心はさておき、ムーサ夫人は僑族の庶民相手にも完璧に敬意をはらって見せたのだ。この時点で貴族としての仕上がりはクリエルフィより遙かに上である。
「微力を尽くす所存に御座います」
「ああ、頼んだぞ。君が贈ってくれる品を妻はいたく喜んでいてね。妻が主催する茶会でも君の選択はセンスがよいと評判らしいよ」
そりゃそうだろうな、とラジィもウルガータも内心はさておき恭しく頭を下げる。
何せそれらは元高級娼婦の頂点だったシェフェ自らが選んでいるのだ。そりゃあセンスは良いに決まっている。
なお前にラジィがカルセオリー伯邸の本を根こそぎかっぱらっていった件は、
「第三者目線でこの館に麻薬を扱う不埒者がいないか資料を確認してくれたんですって? 働き者のドンが夫を支えてくれて嬉しいわ」
という風にアンティゴナは妻に説明していたらしい。ラジィもウルガータも、
『いえ、その夫が麻薬をばらまこうとしてたんですよ』
と言えればどれだけすっきりしたことだろう。知らぬが仏とはこのことである。
そうやって一杯目のティーカップが乾いたところで、アンティゴナがおかわりを要求。
二杯目がカップに注がれたところで、
「ところで、ドン・ウルガータに一つ頼みがあってね」
本題に入ったな、とウルガータが湯気立ち上るカップの中に一度視線を落とす。
ミルクと砂糖を投じてティースプーンでかき混ぜれば、白と茶の液体が渦を巻いて混じり合い始める。
「ここいらで一つ、リュカバースをあげて祭を行ないたいのだよ」
「祭、でございますか」
「そうだ、盛大なお祭りだとも」
意外な提案に、ウルガータは思わず隣のラジィに視線を向けてしまう。
そのラジィは軽く目を瞠ってアンティゴナを見ており、その目には若干見直したような色が見て取れた。
「ドン・ウルガータのおかげでリュカバースの港は盛況だろう? であればそろそろ催事の一つもあってもいい頃ではないかね」
確かにな、とウルガータもまた頷いた。人と船が集まるようになったリュカバースに更に付加価値を付けるとしたら、それは非日常の環境を作り上げることだろう。
即ちハレの日を用意して開放的な気分を味わわせることにより、財布の紐を緩めて更なる財の流動を促すことだ。
ラジィが目を瞠った理由をウルガータも理解した。アンティゴナの提案はリュカバース発展の上でもっともな意見だったからだ。時流を読む目も悪くない。栄え余力ある今だからこその、祭の提案だ。
だが、
「仰せの通りかと存じます。しかし
「
にこやかにアンティゴナは頷いて、そこで更なる説明が必要だと感じたのだろう。
「ドン・ウルガータは竜牙騎士団を知っているね?」
「知らずにはおれぬでしょう、リュキア最精鋭の魔術師団です。
「左様。私の息子もそこに所属しているのだがね、此度竜牙騎士団を一時的に国境紛争地帯へ派遣することが決まったそうだ」
ほう、とウルガータはミルクティーを啜りながら僅かに目を見開いた。
それはウルガータがリュキア王国各地に放っている間諜からも報告が上がっていない、一部の上位貴族だけが知っているであろう情報だったからだ。
それをアンティゴナが自ら伝えたということは、それだけ信頼を寄せているというポーズである。無論、ポーズ以外の何者でもないが。
――ノクティルカとの国境紛争地帯。これまでレウカディアから買い上げた奴隷を投入していた最前線ね。
そしてラジィもラジィでたっぷり砂糖を加えたミルクティーに舌鼓を打ちながら思案する。
現時点で、レウカディアは新たな奴隷の購入先を得られていない。要するに使い捨てにする肉壁が今後は使えなくなる、ということだ。
そうなるとこれまで奴隷を使い潰していた国境守備隊は戦術の変更を迫られるが、その隙をノクティルカに突かれる可能性もある。
最悪奴隷が手に入らずとも現在の国境を維持できるよう、国境守備隊が新戦術を構築する時間を稼ぐ。その為に竜牙騎士団を出撃させる、とアンティゴナは丁寧に説明してくれた。
「伯爵閣下。質問をお許し願えますか?」
「構わぬとも、レディ・エルダート。今後も好きなときに口を挟みたまえ。貴女は私が招いた正式な客としてここにいるのだからね」
そう笑顔を向けられると、これは、この表情作りだけは本当に完璧だなと少しだけ感心しつつ、ラジィは紅茶で湿らせた唇を開く。
「このリュカバースに今後、奴隷の購入先を探すよう王命が下る可能性はありますか」
レウカディアが無理なら、替わりにリュカバースにそれが求められる可能性は十分にある。
だがアンティゴナは軽く首を横に振った。
「皆無ではない。だがこのリュカバースで奴隷売買など行なえば最悪暴動すら起きかねん、とは陛下には先んじてご報告済みだ。ドン・ウルガータとしても僑族の怒りを納めるのは難しかろう?」
「仰せの通りに御座います。ご配慮に感謝します」
レウカディアと違い僑族の多いリュカバースで他民族の奴隷を確保しろ、と言われれば反発が起きるのは必至である。
いかにもドンに配慮しました、みたいな語り口だが、実際はレウカディアのケツ拭きなんてごめんだから先手を打って断ったのだろうな、とウルガータにもラジィにも覚れてしまった。
ただ、アンティゴナがこれまで何度もラジィを排除しようと画策しておきながら腹パンだけで済まされているのは、こういった上手い立ち回りが実際マフィアにとっても害にはならないからだ。
コルレアーニ時代も含めて、ある意味アンティゴナは僑族の街リュカバースの長として上手くやれているのだ。悔しいがそれは賞賛するに値する処世術だろう。
「それにレウカディアを治めるユーニウス侯爵家は未だ独身、竜牙騎士団に人員を送れていない以上、国王陛下も圧をかけるならあちらを選ぶ。その方が道理に合うからな」
成程な、とラジィもまた理解した。百八の席次を輩出するのはリュキア貴族にとって何より大事な名誉なのだ。
そういう意味では既に息子を竜牙騎士団に輩出しているカルセオリー伯爵家のほうが、ユーニウス侯爵家より無茶ぶりはされにくいということらしい。
「話を元に戻すが、竜牙騎士団を出撃させるにあたり、団員には一時帰宅の許可を与えるそうだ。つまり私たちの息子が十年ぶりにこのリュカバースに帰ってくるのだよ」
「前線に派遣される以上、絶対の安全なんてものはないでしょう? だから息子には自分の帰る場所を印象づけてあげたいのよ」
アンティゴナとムーサがそう伝えてきて、そういうことかとウルガータは舌打ちしたい心持ちだった。
このためにアンティゴナはムーサを同席させたのだ。ウルガータがこのアンティゴナの提案を断れないように。
せっかく心理的に買収したムーサの歓心を失っても良いのか? と暗に脅すために。なんとしても、ウルガータがこの時期に祭りでてんてこ舞いになるように。
「……祭りの主題は、なんであろうと問題はありませんか?」
「うむ。口実としても今この時期は別段これといって祝えるものもないからな。ドンのよいようにやってくれ。ただしリュキアに弓引く形では困るぞ?」
「勿論、それは肝に銘じております。が、どのような理由を捻りだしたものか……」
これは芝居ではなく本気でウルガータは悩んでしまった。祭りは確かに経済的効果があるが、だからと言ってこじつけでは盛り上がりようがない。
ちゃんと民が財布の紐を緩くするような口実を、何とかウルガータはひねり出さねばならないのだ。
「そこはドンの商才に期待するとしよう。戦地に向かう私とムーサの息子のためだ。一生心に残るようなモノを一つ頼むよ、ドン」
やられた、と思ったウルガータではあったが、此処で首を横には振れなかった。
「お引き受け致しましょう」
「ありがとう、友よ」
この狸め、とウルガータは唾を吐き捨てたい思いである。
§ § §
帰り道、馬車を固辞して歩行にて貴族街を抜け、丘の上にある緑地まできたラジィとウルガータはハッと息を吐いて、恨めしげに背後のカルセオリー邸を睨んだ。
「やられたわね」
「ああ、なんだかんだでドン・コルレアーニと組んでいただけはある。舐めてねぇつもりで舐めてたかもしれねぇな」
公園に出ていた出店で菓子と飲み物を買ってガゼボへ向かうと、先客がドンに気付いて席を譲ってくれた。
金貨を一枚指で弾いて渡し、ありがたくラジィと二人でそこに腰を下ろす。
「他の都市がリュカバースを害さんと虎視眈々狙っている、このタイミングで祭りとはな」
「狙いは私たちと他都市魔術師の潰し合い、もし市民にも被害が出ればルガーの面目は丸つぶれ。やってくれるもんだわ」
祭りなど開催すれば人が一気にこのリュカバースに集まってくる。
ただでさえ盛況な程に目障りなリュカバースの危険察知能力が限界まで低下するのだ。他の領地が破壊工作をするならこれ以上のチャンスなどない。
だからこのタイミングで? とウルガータは問い、アンティゴナは今だからこそと頷いたのだ。
無論、そんな裏の事情があることはムーサは知らないだろう。ムーサの子を思う親の気持ちを利用して、アンティゴナは今このタイミングでリュカバースの警戒レベルを最低まで落とす罠を仕掛けてきた。
まさしく狸である。リュキア騎士はカルセオリー伯の守りのみに投入されて、あとはウルガータたちで頑張って街を守りなさいね、ときたもんだ。
「俺たちがくたばっても、今のリュカバースの発展をそのまま自分が引き継げると思ってんのか? あいつ」
「思ってるでしょうよ、あの男の自信は根拠もないのに底なしだもの」
チッと舌打ちして、ウルガータはクーポラの下から眼下に広がるリュカバースの街を見やる。
整然と美しく、そして活気に満ちあふれた街。ラジィとウルガータで作り上げた己の街だ。これを領主自らがわざと危険に晒そうとしている。
それだけでウルガータからすれば腸が煮えくり返りそうになる。リュカバースがここまで発展するのに、どれだけ自分やブルーノ、シェファが苦労を重ねたか分かっているのか? と。
「断っても失うものは、近々ではこれまで貢いだムーサ夫人の好意のみ。無視するのもありだったんじゃない?」
当然、それはウルガータも考えた。夫人の歓心と市民の危険を秤に乗せれば、重視すべきはどちらか悩むまでもないだろう。
「だが、いつまでも亀みたいに首を引っ込めてても意味がねぇ。どうせいつかは敵は来るんだ」
それを恐れてハレの日を作れないようじゃ、自ら経済発展を封じ込めることになるだけだ。
「でも、もし敵がドンたる貴方の首より一般人の殺害を優先したら?」
ドンの首を直接挙げるより、市民を次々と害し、ウルガータにはドンとして街を守る資格無し、と噂をばらまく手段を選択するかもしれない。
というより、リュカバースという街の安全性に商人が危機感を覚えて撤退すればそれでいいのだ。ドンより市井の首を挙げることに総力を尽くす可能性だってある。
「その戦法をとるなら、むしろ祭りの最中の方が俺たちにとって好都合だ。分からねぇか?」
「……ああ、敵の残虐性が市井の目にも明らかになる、ってことね」
平時に民が狙われ、それを防げなかったら、みかじめ料を集めていながら市民を守れなかったマフィアの明らかな失態だ。
だがお祭りという外部の人間が大量に入り込んでくる状況で市井を狙ったなら、他都市の魔術師がドンを攻めるために無差別殺戮を行なった、と主張できる。論点をすり替えられるのだ。つまり、
『敵は皆の祭りを、憩いの時をあえて狙い被害を拡大させようとした外道だ。ここにはリュカバース市民以外も大勢来ているのにそれを気にも留めなかった。そんな連中が統治する土地にお前たちは移動してお金を落としたいのか?』
といった形で商人たちに訴えることができる。敵が残虐であればあるだけ、ウルガータが失敗しても敵の責任をあげつらえるのだ。
故に敵がもし市民を狙うなら、ケの日よりハレの日である方がリュカバースマフィアとしては好都合、ということになる。
当然、ハレの日に市井を狙われる方が一次被害は拡大する、という大前提を無視すれば、だが。
「マフィアにとって都合が良いから、あえて被害を受ける人の数が増えてもいい、と?」
ラジィの問いに、ウルガータは真摯な顔で首を横に振った。
「重要なのはリュカバースを割らねぇことだジィ。市民、ギルド、マフィアが責任を押し付け合っていがみ合い、協力できなくなる方が後々の被害が増える。リュカバースという街が団結すればするほど敵は手を出しにくくなる」
ウルガータの言の正しさをラジィは認めた。市民が害されても反撃できない都市より、市民が害されたら報復を叫ぶ都市の方が攻め手も攻撃を躊躇う。
手を出したくないと思わせることは攻撃を減らすことに繋がり、結果として自衛力が増すことになる。
今、祭りをやるべきかやらざるべきか。
最終的にどちらの方がリュカバースにとって都合がよいかは、ラジィの【
未だ正体の分からぬ敵の危険度など分からないのだから、演算に組み込めるはずもない。
ラジィはあくまで再戦に強い魔術師だ。情報がない状態からの最高効率など、求められるはずがないではないか。
そうラジィは重苦しい息を吐き、そして思考を切り替えた。
「ドン・ウルガータの仰せのままに」
ウルガータが指摘したように、重要なのはリュカバースを割らないことだ。その観点でもっとも危険なことは、ラジィとウルガータの足並みが揃わないことだ。
ドンは決定した。ならばその決定に従うのみだ。どっちが死傷者を減らせるかなんてどうせ、終わってみてすら分からないのだから。
「すまねぇな、ジィ。お前さん的にも
「リュカバースを守る。敵を倒す。両方やらなくちゃいけないのがドンの辛いところね」
「全くだ」
ラジィとウルガータは笑みを交わすと、空になった食器を出店に返し、迷いない足取りで教会へと帰還する。
なんにせよ、ここから忙しくなることはこれで決まってしまった。であれば可能な限りの備えを行うのみだ。
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