■ 178 ■ 毒が裏返った






「結局戻ってくることになったわね。別にいいって言ったのに」


 短期間で二度も立て続けに引っ越しをすることになったラジィは呆れたように祭壇の前に、いや己の前にひざまずくローブ姿の二人を見下ろした。


「いいえ、この教会の主は貴方様にございます【書庫ビブリオシカ】様。私如きが占拠して良いものではありません。正当な主にお返しします」

「いや、正式なリュカバース支部長は貴方の方なんだけど」

地母神教マーター・マグナが認めても民が認めぬでしょう」


 そう一度言葉を切ったクリエルフィと、その横のマルクが神でも前にしたかのように礼拝堂の床で身と気を引き締め、深々と頭を垂れて額を床へと付ける。


「これまでの我らが無知、我らがご無礼をどうかお許しください。貴方様こそ紛うことなき【書庫ビブリオシカ】、地母神教マーター・マグナが誇る【至高の十人デカサンクティ】にございます」

「蒙昧なる恥知らず共をお許し頂けるならどうか、我ら両名を貴方様の巡礼の手足と用いては頂けないでしょうか」


 そう重たい感情をぶつけられて、ラジィは面食らってしまう。

 この二人については考えるのも面倒だったので、禁則項目として【霊算器マシヌラ・カリキュメトリア】の出力から除外していた(演算自体には精度がブレるので加えていたが)のだが……こんなことになるならちゃんと確認しておけばよかった、と今さら後悔する。


「ええと、それでいいの? アンブロジオ総務局次長は私のこと排除したがっていると思うのだけど……」

「父は、いえ政治部は【書庫ビブリオシカ】様の実力をご存知ないが故の判断かと存じます。御身の巡礼の詳細が明るみになれば、誰もがその成果を認めざるを得ないでしょう。その成果で以て父を翻意させたく存じます」


 効率主義だからこそ、ラジィの実力と実績が凄まじいと分からせることで、アンブロジオ以下のラジィ反対派を黙らせる、というのがクリエルフィの思惑のようだ。

 ラジィとしてはそういうの、正直面倒臭いとしか思わないのだが、


「失礼、発言をお許しください【書庫ビブリオシカ】様」


 前にツッコまれたせいか、二人の会話に割って入る前にマルクが許可を求めてくる。

 あんな事言わなきゃよかったああ面倒臭いと思いながらラジィはマルクに発言の許可を出した。


「恐らく【書庫ビブリオシカ】様は面倒、瑣末事とお考えかもしれませんが」


 ストレートに内心を看破されてラジィはドキッとしてしまうが、


「【書庫ビブリオシカ】様が皆に受け入れられるようになれば、【神殿テンプル】様やまた【道場アリーナ】様ら他の偉大なる【至高の十人デカサンクティ】の方々も安心できるのではないでしょうか」


 そんなマルクの指摘は極めて正鵠を射ているものだ。独り善がりなどではなく、ラジィが必要としているものをどうすれば実現できるかを的確に示している。


「否定しようがないわ……先の指摘を撤回し、今後如何なる時もマルクに我らの会話への参入を許可します」

「ありがとうございます、【書庫ビブリオシカ】様」


 とっととラジィは面倒臭い自分の指摘を撤回する。というか普通にこいつ頭良かったんだな、とラジィとしては驚かされてばかりだ。

 何せラジィの想像する道場アリーナ適性持ち、というのはウホウホミラクルゴリラであるツァディが真っ先に浮かんでくるものなので。




 にしても、クリエルフィについては予想通りだったとラジィは軽く髪の毛を掻き回した。

 やはりこのクリエルフィは善良・・だったな、と。




 散々やらかしているクリエルフィはとんでもなく迷惑な娘ではあったが、根は善良なのだ。

 どんな善人でもダニの一匹一匹を自分たちと同等には扱わないのと同じ。クリエルフィは庶民を自分たちと同等と見做す思考を持たないように調教されて育てられていた、というだけの話で。

 だから、


――悪党どもは私がどれだけ【至高の十人デカサンクティ】として有能でも絶対に私を認めないってこと、やっぱすぐには分かんないかー。


 善良だから、ラジィの実力が本物だと知らしめればラジィへの攻撃が減る、とクリエルフィは素直に考えてしまう。

 実力主義の地母神教マーター・マグナで真っ当にその力を伸ばせるように、優しい子として育てられている。

 そうでなくてはヒューゴに指定されても我が身を顧みることなどしなかっただろう。


 善悪観そのものは真っ当だからこそ、自らの醜さをきちんと見つめ直すことができたのだ。

 悪人ならそこで開き直るか、最後まで理解できないままで終わっただろう。


――けどまあ、カイやディーの負担を軽くする為に少しは人気を集めろ、っていうのはその通りなのよねぇ。


 ラジィも馬鹿じゃないので自分の存在がカイやディーにとって重荷であることはちゃんと理解している。

 【至高の聖域サクロ・サンクトゥス】にラジィの理解者が増えればあの二人や他の【至高の十人デカサンクティ】も安心だというのはちゃんと分かってるのだ。


 ただ、神になれない己の人生に価値を見いだせないラジィには自分の事など本当にどうでもいいので、必死に生きられないだけで。


「まぁいいわ。私と貴方たちがいがみ合ってるとヒューゴたちも気が気でないでしょうし。謝罪を受け入れます。ただクリエルフィにはもう少しトマスのところで働いていて貰いたいのだけど。なんか評判良いみたいだし」

「ありがとうございます。私もトマスとルチアには感謝しておりますので、ルチアの第二子が落ち着くまでは引き続きベッラルチアにて働きたいと思っておりました」

「ん。マルクのほうは人足にしておいても利がないので、こちらで交渉して警邏艇に回して貰います。マリンソルジャーにその道場アリーナの加護を存分に与えてやって頂戴。海戦力は今やリュカバース防衛の要だもの」

「畏まりました、必ずやご期待に応えて見せます」


 取り敢えず二人に聖霊銀剣ミスリルブレードを返却すると、それだけでクリエルフィとマルクは感極まってしまったようだ。

 両手で受け取った剣を頭上に、目に涙を浮かべて頭を垂れる。


「あと、悪いけど巡礼が終わるまでは地母神教マーター・マグナに私がここにいることは隠しておいて貰える? さもないと暗殺者が送られてくるし」


 ツァディが装備を持ってきてくれたこと、その際にラジィを狙う暗殺者を何人も処分してきたことを伝えると、


「我々の元には詳細など下りてきませんでしたが、あの一件にはそういう裏の話があったのですか……」


 クリエルフィとマルクは悲壮な顔でゴクリとつばを呑んだ。


「暗殺者……【書庫ビブリオシカ】様を疑うわけではありませんが、父は、政治部が本当にそこまでやるのでしょうか?」

「そりゃあ楽だもの暗殺。政治部としては公式の場で悪し様に【至高の十人デカサンクティ】を罵ることなく私を排除できるんだし。一人で巡礼に出た目の上のたんこぶなんて切り捨てない理由はないわ」


 古今東西、ここまで成長した政治組織が暗躍を行わないなど有り得ない、と指摘されると、クリエルフィも自ら学んだ歴史から納得せざるを得なかった。

 暗部のない社会など存在しない。それは歴史が証明している。

 仮にも【書庫ビブリオシカ】候補生として学んでいたクリエルフィだ。そういう知識はきちんと仕入れているから、ラジィの言を覆せない。


「……申し訳ありません。お嬢様、【書庫ビブリオシカ】様。私が既に文で――」

「ああ、それはルガーが止めたから大丈夫。以後はやめてねって話ね」


 前にマルクが出した増援要請はマフィアが握りつぶしたとラジィが告げると、マルクも胸を撫で下ろしつつ、しかし流石にスッキリはしないみたいだった。


「何にせよ、あと二年バレなけれいいだけだからね。クリエルフィは御厨コクイナパンで、マルクは道場アリーナバフでリュカバースに貢献して頂戴。マルクはちゃんとソルジャーの練度が上がったらそれを自分の加護のおかげだとアピールするのよ。そうじゃないと傍目には分からないし」


 そう言うラジィの方は全く自分の知育バフのことを市民にアピールしていない。それをそこそこリュカバースで暮らしているクリエルフィたちは知っているため、微妙に首を傾げてしまった。


「畏まりました。しかし宜しいのですか【書庫ビブリオシカ】様。御身が宣伝していないこともあり、ある意味お嬢様と私が御身の成果まで一部奪ってしまう形になりかねませんが」

「構わないわ。私に必要なのは巡礼の結果で、貴方たちに必要なのは布教の成果でしょ? カイは私の言う事疑わないし、なら何も問題ないわ」


 そんなラジィの態度に、クリエルフィとマルクは顔を見合わせてしまう。

 マルクが指摘した側から「成果を奪われても一向に構わない」と言ってしまうのは流石【至高の十人デカサンクティ】ではあるが、政治的にやる気が無さすぎる。


 これは自分たちが頑張って当代の【書庫ビブリオシカ】の活躍を宣伝しなければなるまい、と二人は心を新たにした。

 やることだけやったら書庫に閉じ籠もって一切の自己アピールもしないのもまた、ラジィのちょっと褒められない本質であると正しく理解したのだ。


 再度ラジィに頭を垂れた両者が礼拝堂を後にして己の職場へと戻ると、


「信用できるのか? どっちも貴族なんだろう?」


 住居部側で三人のやり取りを見守っていたウルガータが、油断ない顔付きで二人が去った入口の扉を睨む。


「信頼してるわ。私の【霊算器マシヌラ・カリキュメトリア】が弾き出した演算スプタティオをね」


 ラジィとて油断などしていないし、目を見ればわかる、みたいな何の根拠もない常套句で誤魔化すつもりもない。

 ラジィが信じるのは自分の魔術であり、観測期間も十分過ぎるほどに取れている。その上で【霊算器マシヌラ・カリキュメトリア】はあの二人が裏切る可能性は極めて低いと未来を予測した。だから用いる。それだけだ。


「ならば問題ねぇか。結果的には戦力も補強されたわけだしな」


 そう言いながらもウルガータが不安そうなのは、今己の手の中にある招待状のせいである。


「こっちはお前さん、予測できるか?」

「精度が足りないわ。多分都市外の要因によるものだと思う」


 それはカルセオリー伯アンティゴナとその妻ムーサからの茶会のお誘いだ。

 ウルガータとラジィに、日頃からよくやってくれていることへのお礼がしたい、とのことらしいが……それを素直に信じる二人ではない。


「好意的に取るなら他の都市からの横槍へ協力して対策を練ろう、ってことなんだろうが」


 歩み寄ってきたウルガータのネクタイが解けかけているのは、息が詰まると自分で緩めたのだろう。コイツは何時になったらチンピラ仕草を止めるのだろう、とラジィは溜息を吐いて、クイッとウルガータのネクタイを締め直してやる。


「だとすると婦人が同席する意味が不明なのよね」

「あぁ、あの野郎め何で妻なんか同席させやがる。わけが分からんぜ」


 ウルガータは舌打ちしながら頷いた。何故婦人が必要なのか、それが分からない。

 ラジィの【霊算器マシヌラ・カリキュメトリア】はムーサ・カルセオリーをごく普通の、いやどちらかと言うとリュキア貴族としては例外的に穏やかな貴族婦人と弾き出している。


 アンティゴナを知識や家格で尻に敷いているわけでもないし、荒事向きなわけでもない。おっとりした令嬢がそのままおっとりした夫人になった。そんな雰囲気の美しい女性だ。

 愛妻家であるらしいアンティゴナとて、ムーサ婦人の前にラジィやウルガータの死体を転がしたい筈もなかろうし、とにかく意味不明のお誘いで気味が悪いのだ。


 加えてアンティゴナ・カルセオリーはどれだけ失敗しても全く懲りない性格なのも拍車をかけていて、とにかく不安しかないのである。


「だがまあ、断るわけにもいかねぇ。名指しされている以上はすまねぇが同席を頼む」

「了解。虎穴に入らずんばね」


 さて、これがどう転ぶかは分からないが、少なくともウルガータとラジィにとって好ましい話にはならないだろう。

 これまでリュキア貴族がラジィたちを利することなど、何一つとしてなかったのだから。






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