リュキア王国とノクティルカ国
■ 177 ■ リュキア北部戦線異常あり
リュキア王国首都リュケイオン王城は王家筋のみ立ち入ることができる白樺の間にて、しかつめらしい顔を付き合わせている三者は年齢こそ違えど、その顔立ちはよく似通っている。
「以上が、現在のノクティルカ国境付近の状況だ」
白樺の間に漂う空気はリュキア国王シェンダナ・ウダイオス・リュキアが放った乾いた声に反して、極めて重い。
「増員要請、ですか」
「レウカディアから肉壁が入ってこなくなったからな」
どうでも良さそうにシェンダナが語る内容は、そんな軽さに反して極めて深刻である。
これまでレウカディアが安く奴隷を仕入れ、それを王家が買い上げ前線に送ることで維持されていた国境防衛隊だ。
それが奴隷航路を海洋の大型魔獣に潰され、一時的に奴隷の仕入れができなくなってしまった。
これが一時的ならよいが、恒久となると国境防衛隊は新戦術を構築する前にノクティルカに押されて国境が後退してしまう可能性がある。
ノクティルカはリュキアを選民主義と、リュキアはノクティルカを魔獣の混ざり物と罵り、お互いに嫌い合うこと最早数百年。
どちらの国家も国内政治に行き詰まると、隣国への非難を行なって国民のガス抜きをしてきた歴史がある。最早相手を攻めるのに理由がいらない状態になってしまっているのだ。
本気で滅ぼしてやる、という強い殺意があるわけではないが、敵国民を殺すことに全く躊躇いがない。
そういう国際関係なので、北部国境線は常に数多の血を吸い続けているのである。
「ユーニウス侯ファウスタには奴隷を仕入れられねば降爵もあり得ると軽く脅しをかけたがな、さてどうなることやら」
ユーニウス侯爵ファウスタはまだ妻を迎えておらず、現在ユーニウスの名を負う魔術師は、序列百八位までの席次を持っていない。国王からの釘に肝を冷やしたことだろう。
故にファウスタはなんとしても新たな仕入れ先を探すか、もしくは海の魔獣を廃してこれまでの奴隷航路を復活させようとするだろうが――それまでの時間を稼がねばならない。
「どうなることやら、ではありません父上。ゆゆしき問題ではないですか!」
第二王子ステネルス・ヒュペレノール・リュキアがバンと資料に手をついて立ち上がる。
「最近の騎士団はひっきりなしに国内を駆け回っており、予備戦力などどこにも余っておりません。どうやって援軍を工面するのです!」
ここ最近のリュカバースは魔獣が若干増加傾向にあり、冒険者ギルドだけでは捌ききれない、とリュケイオンのギルドマスターから忌憚なき騎士団への出撃要請が上がっている。
最悪、リュカバースがやったような
これまで奴隷を購入していた費用を回すこともできるが、そうすると北部防衛隊への支援はどこから捻出するか、という話になる。
「金はない。であればあるものを動かすしかあるまい」
「あるもの、と仰いますと」
「竜牙騎士団に決まっておる。こういうときのために鍛えているのだろうに」
ああ、だからこの場に自分たちが集められたのか、と第二王子ステネルス・ヒュペレノール・リュキア及び第一王子ストラトス・クトニオス・リュキアは互いに顔を見合わせる。
百八位以内の席次を集めて構成された竜牙騎士団はリュキア王国の最精鋭部隊だ。故にこれを率いるのは王家の人間、と遙か昔から定められている。
王家の宝剣たる
「スティクスが生きていれば何も問題はなかったのだがな。あれを前線に送ればそれで片付いた」
父王の声が乾ききっているのはそういうことか、とステネルスは内心で僅かに憤った。
要するにシェンダナはこう言いたいのだ。
「お前らが殺したんだから、責任を持ってどっちかが
「順当に考えれば、第二王子であるステネルスが向かうべきでしょう」
そしてスティクスに手を下してないストラトスはさも当然の顔で、そう父王シェンダナと弟ステネルスを見やる。
「実戦経験を積む良い機会でもあるぞ、ストラトスよ」
父王の乾いた笑いは、これまで散々小娘に負けたステネルスを嘲笑っていたストラトスにも向けられている。
「一度も実戦を体験せずして
「国王が前線に立つようになればその国はもう終わりでしょう」
悠然とストラトスは首を軽く横に振り、そしてその言は全くの事実でもある。
国王が剣を取って戦っている時点で、その国はもう負けたも同然だ。もうこの世は群雄割拠の時代ではないのだから。
国王を担ぎ出さねば行けない時点で、もうその国は詰んでいる。ストラトスの言う通りだ。
無論、それが戦場のような血生臭い場所に行きたくないだけとシェンダナもステネルスも理解しているが。
「……私が参りましょう」
どうせ議論をしても仕方がない、とステネルスが自薦するのは、どうやら父にも兄にも予定調和であったようだ。
「では行くがいいステネルスよ。委細任せる」
そう投げ遣りにシェンダナは、腰に佩いていた
あまりにも杜撰なその在り方に、
「父上、質問をお許し下さい」
「なんだ?」
「スティクスが死んでからずっと、父上は何事にも投げ遣りで興味を持たれなくなってしまった。そんなにあの末弟が大事だったのですか」
そう、ステネルスは尋ねずにはいられなかった。
実子ステネルスが国境防衛隊に、死線に向かうというのに、父シェンダナはあまりに無味乾燥だ。
だがシェンダナは即位してからずっとそうだったわけではない。シェンダナがそうなったのは、席次六十六位からスティクス・リュキアの名が消えた、とステネルスの母に断言されてからだ。
――私よりも、ストラトス兄よりもあの弟の方が大事だったとでも言うのか?
そんなステネルスの無言の問いに、
「この国は現状、構造として詰んでおる。その意味は分かるな?」
父王シェンダナがそう投げ返してきて、ステネルスはその問いの意味を考え始めた。詰んでいる、というのは――
「……もう少し具体的に絞って下さい。それは武力でですか、それとも経済? 医療、技術、どの方面なのでしょう」
「無論、武力においてだ。分からぬか」
そうシェンダナに嘲笑われ、ステネルスは思考を戦力に絞って考え直す。
――戦力の基底は魔術師だ。我が国の
「八百八人の魔術師を用意できないこと、ですか?」
「それもある。だがもっと基本的なことだ」
「……戦場でまともに戦える魔術師が八百八どころかその四半数程度しかいない、ということでしょうか」
ストラトスが口を挟んできて、然りとシェンダナは頷いた。
「何とか百八の席次を強制的に王家が徴集することで中核戦力は維持しているが――質はさておき数が足りん。北部防衛線の苦戦も結局はそれが原因よ」
何故戦場に立つ魔術師が八百八どころかその1/4しかいないのか? その答えは分かりきっている。
「席次を持ちながら、自らを貴族と称し戦を避けて虚飾の幸福に浸る。そんな愚か者ばかりにこの国は為ってしまった」
「しかし、父上が号令をかければ――」「動かんよ。無理に動かしても戦力にもならん。普段より戦っていない者が席次だけでいきなり使える兵士になるか? ん?」
そう父王シェンダナに畳みかけられたストラトスが、気圧されたように視線を机に落とした。
戦場に立とうとしないのはストラトスも同じだったからだ。
「門閥貴族どもが役に立たぬのなら別の戦力を求めねばなるまい」
「それが、スティクスだったと?」
「スティクスという個体それ自体が戦力というわけではない。重要なのは変わる切っ掛けであった」
スティクス・リュキアという存在それ自体が期待されていたわけではない、と語るシェンダナの顔は、だから乾ききっているのだ。
「だがストラトス、ステネルス。お前たちはスティクスを拒絶したな。席次にしか視線が向いていない旧態依然とした思考だ。これを笑わずして何を笑う?」
だからおかしいのだ、と言わんばかりにシェンダナは乾いた笑みを浮かべた後、失望にすら成り得ない視線を二人の息子に向ける。
「まあ、私の統治もそう長くはあるまい。その後王になるのがストラトス、ステネルス。お前たちのどちらになるのかは分からんがよく考えることだ。お前達の子供が、お前達のやることに反対しないようにでも祈っておれ。どうやら私は失敗したようだからな」
「父上、お言葉ですがこれまでリュキアは続いてきました。それなのにこのあとには続いていけぬと?」
そう問いかけたストラトスに対して、シェンダナはいよいよおかしくてたまらなくなったらしい。
「ははっ、昨日今日を生きられたことが明日生きられることを保証してくれるのか。それが王を目指す者の視線とは片腹痛いわ――覚えておけストラトス、問題が起きてからでは遅いのだ。問題が起きる前にその芽を摘む。それが正しき統治というものよ」
それに失敗した私が言っても滑稽だがな、と呵々大笑しながら、シェンダナが白樺の間を後にする。
残されたストラトスもステネルスも、久々に感情を露わにした父王のそれに完全に呑まれていて、
「……ステネルス」
「なんでしょう、兄上」
「父上は私たちが知らない何かを知っていて、隠していると思うか?」
兄が向けてきた怖気も露わな声を、しかしステネルスもまた臆病と笑えなかった。
シェンダナは何かしらの危機的状況を想定し、そのカウンターとしてスティクスを用意したのか? それともそんな理由はなく、ただこのままでいてはよくない、と改革を志しただけなのか?
分からない。父王シェンダナ・ウダイオス・リュキアの内心が、ステネルスにも分からない。
「分かりません。我々は今父上に失望されており、それは父上が語った問題を解決できない限りこのまま変わらない、ということだけしか」
「……そうか」
やや悲しげに頷いたストラトスが、ステネルスの側に安置されていた
「王座を次ぐべく努力してきたつもりだったが……俺もまた凡愚に過ぎなかったということだな」
そう悲しげに首を振った。
ストラトスは母の氏族たるクトニオス一族に、ステネルスもまた同様にヒュペレノール一族に王として相応しく在れるよう育てられてきた。
だがそれは父王シェンダナからすれば今を維持することしか考えていない不足も不足、とここに来て切って捨てられてしまったのだ。
「今からでも遅くないでしょう。前線は私が維持しますので、兄上もどうやれば奴隷抜きで前線を維持できるかをお考え頂きたく」
「いくらでも買えると思っていた奴隷の供給が途絶えただけでこのザマだものな。父上の言う通り昨日を生きられても明日を生きられるとは限らないわけだ」
そう笑って椅子から立ち上がり、ステネルスの肩を叩く。
「いるときは鬱陶しいだけだったが、いなくなってもせいせいするどころか不安になるだけとは――お前は生きて帰ってこいよステネルス。やはり保険が一人はいないと生きた心地がしない」
「……弱気になっておられますな。兄上」
「そりゃあなるだろ、面と向かって無能と言われ、実際にその通りだったわけだからな」
一度ステネルスの肩を強く揺すったストラトスもまた、片手を挙げて白樺の間を去る。
残されたステネルスは机の上に散らばった資料を整え直して、しかし思考は深い水底に沈んだままだ。
――確かに、スティクスは我々とは違う血が入っていたが、それ自体が何故パラダイムシフトに成り得たというのだ。父上は何をスティクスに期待していたのだ?
ステネルスもまたストラトスがやったように
――あるいは、なら、スティクスにはこの剣を鞘から抜くことができたのだろうか。
王家の宝剣たる
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