■ 212 ■ 祭りの熱の、その残滓
今回の事件はリュカバースの発展を妬んだ他都市の妨害とリュカバース市議会及び各ギルドに通達された。
これに対しリュカバースの統治者であるカルセオリー伯アンティゴナは
「断固たる意思を以て、然るべき処置を講じる」
と声明を出したが、それを信じる住人などリュカバースにはいない。
ただドン・ウルガータに再発防止を願うのみだ。
ドン・ウルガータより、
「リュカバースに侵入していた魔術師六人の首を挙げたので安心してくれ」
と通達され、そのうちの四人の首と二人の髪の切れ端が晒されれば市民は恐れおののきつつも胸を撫で下ろし、再び日常の生活へと戻っていく。
沈静はされた。だが実際、どこまでリュカバースの住人が納得したかは人の心を覗く力でもない限りは分からない。不満の火種は、一見して消えただけかもしれない。それでも鎮火は成されたのだ。それでよしとするしかない。
残り二人の魔術師の首がないことに対しては、
「女の首を晒すのは俺は好かねぇんでな」
とドンが語れば、そこはまぁ新色街の王だしなと誰もが納得した。
六人の骸は荼毘に付されて、遺骨は纏めて一つの墓へと納められた。
墓石にはただ個人名のみが記された簡素な墓だ。だが魚の餌にされなかっただけリュカバースでは上等だろう。
街をあげて、死亡した市民とマリンソルジャーたちの共同葬儀が執り行われる。
それを仕切ったのは既に司祭の地位を持つマルクである。ラジィではないことに一部の者たちは首を傾げもしたが、特に深い追求もなく葬式は終わった。
アンデッド化を避けるために彼等もまた炎でその身を清められ、それぞれの墓に納められる。
またクリエルフィ・テンフィオスの葬儀もまた個人的に執り行われ、やはりこれを仕切ったのもマルクである。
クリエルフィの死を悼む者たちは想像以上に多く、墓地までの道は悲しみに満ち満ちていた。
墓石には『リュカバースの土地と民を愛したクリエルフィ・テンフィオス、ここに眠る』と彫られており、それがより多くの涙を誘い、悲しみは深く深くリュカバースの墓場に澱となって沈殿するが、いつまでもそのままではいられない。
一人、また一人と墓場から立ち去っていく。
ジェロームに奪われた
他の荷物としてリバースエンジニアリングされたと思しき設計図が何枚も何枚も発見され、ジェロームがこれをよほど大事に扱っていたのだろうと思うと、クィスどころかリッカルドすら、ジェロームを恨む気などあっさり霧消してしまう。
ヤナはどこに行ったのか、その行方をクィスはソルジャーを使って捜索したが、その姿を発見することはついぞ叶わなかった。
恐らくシェリフの最後の言葉通り、依頼主への報告に向かったのだろうと捜索は打ち切られる。
§ § §
「とりあえず、対話に応じてくれて感謝するよ」
ホテルの一室にて、クィスは二人きりである少女と対面する。
その状況をもし市民が知るところとなれば瞬く間にクィスには嫉妬を超えて害意や殺意が集中したことだろう。
「アナベル・カンデラリア、君もダリルたちの仲間なのだろう?」
七日七夜、このリュカバースの街をよりいっそう盛り上げてくれたカンデラリア歌唱団の、その花形。
時を燦めく歌姫、その歌声で老若男女を虜にしてきた、アナベル・カンデラリア。
艶めく赤い髪を今は雑にポニーテールに纏めて化粧を落としてはいるが、それでもなおはつらつと美しい少女が営業用の微笑で小さく頷いた。
「ええ。
誰もが歌姫アナベルの声を聞き、その歌唱を鼻歌で奏でたり真似して歌ったりするのだから、リュカバースにいる限り逃れようがないのだ。
ラジィがこの
歴史が浅いが故に他の宗教の魔術を浅く広く取り込んでいる
「それで、私はどうなるんでしょう? このまま縛り首ですか?」
「まさか。今をときめく歌姫アナベルがリュカバースを訪れてその消息を絶った、なんて知られたら面倒なことになる」
そう、それが分かっていたからラジィも
歌姫の舞台を急遽取り止めなどしたらブーイングが殺到して、熱狂的なファンが暴動すら起こしかねない。それほどにこの歌姫はリュキアで人気を獲得している覇権歌手なのだ。
「拘束も処罰も考えてはいないが――君はこれからどうするんだい?」
「基本的に上からの命令がなければ表の顔を続けるだけですよ」
表の顔というのは問うまでもない、カンデラリア歌唱団としての活動である。
その歌を聴くと生きる気力が沸いてくると名高い、リュキアでもっとも人気のある歌唱団だが――
「団長は君の正体を?」
「知ってますよ。ただ私と義父さんだけですけどね」
団長のパストル・カンデラリアとその養子アナベルのみが、ダリル一派の魔術師としてのアナベルの顔を知っているだけらしい。
確かに団長が知らなければ行き先も決められないだろうし、それはまぁ当然かとクィスも納得した。
「ただ、ダリルたちがみんなやられて裏の顔はしばらく開店休業状態でしょうね。もしかしたらそのままお払い箱かも」
「……君は、ダリルたちの仇を討とうとは思わないのかい」
危険な質問だがあえてクィスが投げかけてみると、アナベルは困ったようにはにかんだ。
「私は確かにチームでしたけど、ダリルたちとは一回会っただけなんですよ。表の顔が忙しくて。だから仕事としてやってただけで――薄情だと思いますか?」
「いや、ごく普通の反応だろう。君にとってはカンデラリア歌唱団の方が本当の居場所なんだね」
「はい。正直に言えば街の魔力持ちを無差別に襲うなんて趣味悪いし、正直やりたくも無かったです。もう最低の悪党だったグラナも死んでるっていうのに活動する意味がどこにあります?」
なるほど、コルナールらとは温度差があるな、とクィスは感じた。彼女はこうやって自分の力で表舞台に居場所を得ることができた。生計もそれで立てられる。
だから魔術師としての生き方を失っても何ら痛くはなく、チームの存続をかけて戦に臨む意義を全く見いだせないのだ。
ただアナベル自身もまたママと呼ばれる存在に拾われて生き延びた過去があるので、義理を果たすために仕事をしたということらしいが。
「じゃあ、君も黒幕が誰かは僕に語る気はないわけだ」
「それは口が裂けても言えませんね。推察で頑張って下さい」
要するにアナベルは縦の繋がりは強くても横の繋がりは弱い、ということなのだろう。
クィスもそれを責める気はない。たった一度しか会ったことがないサリタやコルナールのために、アナベルが命を懸けなくてはいけない理由はないだろう。
それにその方が、マフィアとしても都合がいい。アナベルが歌でリュカバースへの敵意をばらまいて回るつもりなら、たとえ危険でもアナベルを殺さなくてはならないからだ。
アナベルにはそれがやれる。それを広げられるだけの人気を既に獲得できてしまっているから。
「じゃあ、もしリュカバースへの嫌悪を歌に乗せるように改めて上から命令が来たら?」
「いやですけど、その時はやるしかないでしょうね。やらないと殺されますし」
そうか、とクィスは頷いた。できればアナベルの上司がそれを命じないことを祈るのみである。
アナベル自身は戦闘能力は低いし、アナベルの裏の顔を知っているのも団長のパストルだけ、ということは――アナベルの暗殺はさほど難しくないということ。
「まあ、やっても死ぬんでしょうけど。そうですよね?」
「明言はしないけど」
そしてその事実に当然、アナベルも気が付いている。それをやったらリュカバースマフィアの刺客が飛んでくるだろう、と。リュカバースを出たが最後、自分の安全を担保してくれる者はいなくなるのだ、と。
ダリルたちが全滅した以上、アナベルを守る矛はもう存在しないのだから。
「君の上司が理性的であることを祈っているよ」
「理性的ですよ。ただ上司の上司がね……それはリュカバースも同じじゃないですか?」
要するにウルガータの上にいるアンティゴナ相当か、とクィスは苦笑した。苦笑する以外になにをしろというのか。
「そっちも大変なんだね」
「まあ、リュキア貴族ってのは大概クソですから」
歌姫が表の顔を投げ捨ててそう心底嫌そうに吐き捨てた。
アナベルは今をときめく歌姫だ。恐らく貴族に言い寄られたり無理矢理手込めにされそうになったことも一度や二度ではないのだろうな、と覚りたくもないことをクィスは覚ってしまった。
そういうクズどもに対する盾になるからこそ、アナベルは上司の命令を聞いてその傘の下に納まっているのだろう、とも。
「なら話は以上かな。魔術師としては複雑だけど、ウルガータファミリーとしては祭りを盛り上げてくれて感謝している。お疲れ様、歌姫」
「はい、ここは貴族の横暴もないいい街でした。またのごひいきをお待ちしております」
優雅に一礼した歌姫アナベルを残してクィスはホテルの一室を後にした。
部屋の外で控えていた黒服たちがそれに続く。
「ドンに伝えてくれ、後腐れなくこちらはケリが付いた、と」
「はい、クィス」
伝令として一人を先にウルガータの元へ走らせながら、ホテルを出たクィスは空を睨む。
後顧の憂いはなくなった。幸か不幸かは分からないが、魔術師が実際に暴れて、翌日にその首が晒された事実は観光客がリュカバースじゅうに持ち帰るだろう。
他の都市の権力者たちも、この事実を前にリュカバースを狙うのには二の足を踏むはずだ。
これでいつクィスたちがリュカバースを離れても問題ないだろう。
「ならば、あとはラジィを取り返しに向かうだけだ」
未だ名前しか知らぬ敵。ミカ・エルフィーネ。
幾ら疲弊、衰弱、負傷もしていたとはいえ、ラジィとクリエルフィを歯牙にもかけなかった難敵。
魔術の一つも披露せず易々と最上位に近い神官二人を叩き潰した、少なく見積もってグラナと同等に近い危険度を誇る魔術師。
それがラジィを天使と知った上で、神にしてあげると語ってラジィを攫っていった。
そんな敵を相手に勝ち目があるかは分からないが、
「家族をおめおめ攫われてマフィアが黙っていると思うなよ。地の果てまでだろうと追いかけて落とし前は付けてやる」
怒りも嘆きも苦しみも、総ては事が終わってからだ。義兄妹の盃を交わしたラジィを取り戻すまでクィス・エルダートには立ち止まることも足踏みも許されない。
この脚は、ただただ前に進むためにのみ動かされねばならないのだから。
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