■ 213 ■ あとしまつ
リュカバースを抜け出したヤナは一人、乗合馬車の荷台の端で小さく身をすぼめていた。
馬車がリュカバースを発って二日。周りの少女たちは未だ祭りの余熱がさめやらぬのか、自分たちの手荷物からアクセサリやらを取り出してはキャイキャイと小さな品評会を開いている。
対するヤナはといえば、地中を潜ってリュカバースを脱したために持ち出せたのは僅かな路銀ぐらいのものだ。
クィスに買って貰った服も、スーツケースなど抱えて地面を進むのは――いや、やってやれなくもないのだ。
ディブラーモールは物質を圧縮させて穴を掘るのだから、空間の確保はそう難しくはない。
ただ、
ただ、一つだけ。
自分で買ったモグラと月のピンバッジだけは、服に付けていたから今もヤナの手元に残っているが。
『いいじゃないか。モグラ、強いし有能だし』
あの時のクィスの言葉の意味を、七日目の夜に相対して初めてヤナは理解した。
クィスは最初からディブラーモールは上手く使えばかなり強力な魔獣であると知っていたのだ。
だから自然とそんな言葉を嫌味やおだてではなく本心から言えて、だからヤナはちょっとばかしいい気分になっていたわけだが――真相が分かった今では全く笑えない話だ。
そう簡単には露呈しないだろうと思っていたジェローム、シェリフ、ヤナの連携が一瞬で手の内を剥かれるなど、想像すらしなかった。
そうやって過去を振り返ると、ヤナはどうしようもない感情の渦に呑み込まれて息ができなくなる。
クィスは憎むべき敵だった。そのまま殺し合いをして終わるはずだったのに、何故かダリルが暴走して、そして最後までクィスはジェロームを、シェリフを、そしてヤナを生かそうとしてくれた。
敵と味方が逆転して、ダリルのせいで負けましたなどと、どうママ・オクレーシアに報告すればいいのだろう。
見たままを言って、ママ・オクレーシアは納得してくれるだろうか?
いやオクレーシアが納得してもユーニウス侯ファウスタが納得はしまい。
――これから、あたしどうなるんだろう。
頼りになるリーダーだったダリルもいなくなって。兄貴風吹かせていたシェリフも、頭脳明晰なジェロームも、控えめなサリタも、気取ってるコルナールもいなくなって。
シミオンも勝手に暴走して討ち取られた。アナベルはあのまま歌手として生きていくのだろう。
ヤナだけが一人、光の差さない穴蔵の中にいて、どこに向かって世界を掘り進めればいいかも分からない。
「にしても、七日目のあの事件、おっかないよねー」
カクテルパーティー効果だろうか。突如として、乗り合い客の会話が耳に飛び込んでくる。
「リュカバースに嫉妬してお祭りの邪魔をするとか最低だよね」
「ホントホント、リュカバースを潰したからってこういうのを作れるわけでもないくせにね」
「バカだよねー、相手を下げれば自分が浮上するって思ってるとか。やることが目当ての男に振られた高慢なお嬢様みたい」
「あははっ、悪役令嬢って奴? 言えてるー」
「ああいうことするクズって本当にいるんだね。詩人の歌の中だけだと思ってたのに」
「ホントホント、お貴族様や魔術師は私たちをバカとか無能って笑うけどさ。私たちよりバカなことをお貴族様たちがやるっての、馬鹿馬鹿しくて笑っちゃうわ」
畜生、とヤナは耳を塞いで逃げるように膝に顔を埋めた。
自分だってやりたくてやったわけじゃない。ただ命令で、それをこなす以外に自分の生きる道がないからやったのだ。
他にどうすればよかったというのか。
親からの継承魔獣もない、ただディブラーモールの魔術しか使えない貧民のヤナは、ではどう生きればよかったというのか。
自分に魔術師の才能があるなんて知らなかった。
ただ他に食べるものがない底辺の貧民だったから、ディブラーモールを掴まえて、捌いて焼いて食べただけだ。
そうしたら半人半モグラのような容姿になって、友人と言えるのかも分からない隣人からも怪物と疎まれて、そうして死にかけていたところをダリルが拾ってくれた。
勉強なんて分からない。何が可愛い服装なのかも分からない。できるのは無理矢理サリタに学ばされた最低限の読み書き計算だけ。手に付ける職も技術も当然無い。できるのは、ディブラーモールの魔術だけだ。
生まれたときから親がいて、ギルドに弟子として雇用される筋道ができている連中が、我が物顔で笑っているのが許せない。
人生を生きるレールの上に乗れている連中が、レールに乗ろうとあがくことすら許されない連中をクズだと見下して笑うな。
おまえたちはただ、運がよかっただけだろうに。たまたまレールの上に生まれてきただけだろうに。
それを、その程度のことも分かってないのに、人を見下して笑うな、笑うなよ。
努力云々の話ではない。信用のない人間は人間扱いされず、社会の輪に加われない。保証人もいない見知らぬ孤児を弟子として雇うギルドの親方はいない。
ちゃんとした家庭に生まれていない、というのはそういう最低限の信用がない、ということなのに。社会の中にいる連中は、信用のない者を自己責任と斬り捨てる。
自己責任? 何が責任だ。ちゃんとした家庭に生まれなかったことが責任とでも言うつもりか。
持てる者はいつだって、それが当然という顔で驕るのだ。ヤナの人生はそれをずっと確認するだけのモノでしかない。
――でも、あるいはリュカバースだったら……
クィスは言っていた。孤児を経済活動に組み込むことでリュカバースは成り上がったのだと。
孤児に仕事を与え、教育を施し、ギルドの親方に弟子として雇うようマフィアが後ろ盾となって人材の育成に励んでいた。
あるいはヤナたちが
――あたしたちを養ってくれたママ・オクレーシアを裏切る恥知らずになって?
だが、リュカバースに受け入れて貰うためにはそれが大前提となる。
自分の幸せのために、仁義を捨てて本当に幸せになれたのか? 分からない、学のないヤナには分からない。
それでもママ・オクレーシアに拾われたことそれ自体を間違っていると考えることは間違いだと、それだけはヤナにも分かる。
じゃあどうすればよかったのかと、ヤナの思考はそこでウロボロスを描いてしまって抜け出す術を得られないのだ。
§ § §
そうして数日の馬車の旅を終え、夕日が沈む前にレウカディアに一人戻ったヤナは、貴族街の外れにある蔦の絡まった三階建て家屋を訪れる。
あえて廃館のような外見をしているそれは、実際に家屋が古いのではなく、単に来客を減らしたいママことオクレーシア・レーミーの意向だ。
見た目には蔦が館中に絡みついてはいるが建て付け自体はしっかりとしていて、雨樋や窓、屋根などに傷んだ部位も見当たらない。
そんな館の門をヤナは沈痛な面持ちでくぐり、扉をノックしても、
「――あれ?」
普段はノックをすれば執事が扉を半開きにして様子を伺ってくるのだが、反応が一切返ってこない。
聞こえなかったか、と改めて強く扉にノッカーを打ち付けるも、やはり誰も顔を出してくる様子もない。
これでは埒が明かない、と意を決したヤナが扉を開くと、鍵もかかっていない戸が音もなく開いて――
「ひっ!」
扉の側には、見慣れた執事が大の字になって、元から赤い絨毯を殊更赤黒く染め上げた血溜まりの中に倒れていた。
「な、何が……」
夕日が沈みかけているのに灯りの一つもない館内でヤナが目をこらすと、
「な……せ、
上階に続く階段の半ばに、
その後を追うと階段の踊り場でまた一人、二階の廊下で二人、次々と
そっと触れたその肉体はまだ温かく、彼らが死んでからまだそんな時間は経過していないのがわかる。
と、いうことは――
――ど、どうすればいいの? 逃げる? 逃げるってでも、どこへ……
まだ、賊はこの館内にいるかもしれない。そして
であれば、もしここでヤナが背を向けて逃げ出すところがまだ生きている
それに、
加えてママ・オクレーシアも何の神派かは知らないが魔術師であることは疑いない。であれば、賊を返り討ちにしていてもおかしくはないだろう。
どうせ逃げる場所もないのだから、とヤナは二階を越えて三階へと上り、床に膝を付いたまま息を引き取っている
「あら、討ち漏らし? 全滅させたと思ってたのだけど」
扉を開いてしまったことを後悔した。
分隊長のガストンはさながら虫の標本宜しく、自らが誓いを捧げた剣で眉間を貫かれて壁に縫い止められていた。
部屋の主たるオクレーシアはベッドの上に腰を下ろしているが、どういうわけかその肩から上にあるはずの頭がそこにはなくて――
「見て見て? ほら、珍しいのよ、
「あ、アァアアアアアアアアアッ!!」
白い肌、白い髪、白い服の少女。
その瞳だけをまるで血のように赤く、夕闇の中で輝かせている少女の、その手の平の上にあるのは――首だ。
「ま、ママ・オクレーシア……」
「うん、オクレーシア・レーミーの生首ね」
腰まである長い髪は生糸の如く月光を照り返して輝き、衣装は腹部をボタンで留めて絞った純白のコルセットドレスという、舞踏会から抜け出してきたかのような服装。
少女の愛らしさと女性の妖艶さ、その狭間に位置する娘がまるで宝物でも見せびらかすかのように、その手の上に乗せたオクレーシアの首をヤナにほらと見せつけてくる。
「ふむ、せっかくの玩具だしちょっと試してみましょうか。来なさい、ニブラス」
そう白い娘が呟くと、その掌から溢れ出た黒い粘液が死せるオクレーシアの耳から頭部へと侵入していき――まるで生き返ったかのようにオクレーシアの瞳がぎょろっとヤナの方に向けられる。
「あ……」
その目に見つめられたヤナは腰が砕けてその場にへたり込んでしまった。
身体に力が入らない。まるで全身の骨がふやけてしまったかのように身体を支えられず、くたりと床に座り込んでしまう。
「さっすが、
次いで、凄まじい腹痛がヤナの身体を駆け抜け、ヤナは床に這いつくばって悶え苦しむ。
どうやら胃壁が胃液によって溶かされて穴が開き始めたらしい。これが白い娘の言う、【
「な、なんで……こんな、こんなこと……」
何で自分がこんな風に、
そう問うヤナに、白い娘は心底哀み蔑むような目を向けてくる。
「何でって……優秀な魔術師はいずれ敵になるでしょ? なら先手を打って殺しておいた方が楽じゃない。その程度のことも分からないの?」
敵、敵になるから先に殺す? ということは、
「お前、リュカバースの魔術師なの……?」
そうヤナが問うと、白い娘は目を丸く見開いたあと、心底おかしそうにケラケラと笑う。
「本当に馬鹿ね、目の前にあるものだけしか認識できないなんて。敵も味方も視界と思考の外にいるものは存在すらしていないのと同じ? 想像力の欠如も甚だしいわよ!」
ひとしきり笑ったあと、白い少女はしかし何かを思いついたらしい。
「でもそっか、馬鹿にはその程度の罠で十分なのね。その案採用、っと」
壁に剣で留めされた
『リュカバースより愛を込めて』
血で文字を記して満足げに笑う。
「難しく考えすぎてたわ。そうよ、リュキアの馬鹿貴族たちにはこの程度で通用しちゃうのよね」
そう頷いた白い娘が、再びオクレーシアの首を手に取って、
「苦しいでしょう? いい案出してくれたお礼にひと思いに殺してあげるわ。さあ【自害しなさい】」
そうヤナに命じると、再びオクレーシアの瞳がギョロリと淡い光を灯してヤナを視る。
「う、あ……あ、ああっ!」
それに反応するかのようにヤナの意図に反して獣為変態が発動し、その手に鋭いモグラの爪が生える。
それが己の首をかっ切るかのようにゆっくりと喉元に迫って、ヤナの意思では留められない。
「いや、嫌だ、やだよ、まだ死にたくない……!」
「え? でもそれディブラーモールの爪でしょ? モグラの
嘲笑ですらない、心底ヤナの未来を心配するような声に、ヤナの瞳から涙がボロボロとこぼれ落ちる。
――ありがとうヤナ。舞台の上に立った君は凄く魅力的だったよ。
あの時、最後にお互い一般人として接した最後の時にクィスからかけられた言葉が、まだ胸の中にある。
――君は何にだって成れるんだって、その事実を持ち帰ってくれると祭りの主催者側としてはとても嬉しいかな。
それがおべっかであることは分かっている。
何にも成れないからヤナは一人こうやって危険も承知でオクレーシアの部屋にやってきて、こうやって死にかけている。
冷静に考えれば、執事の死体を見つけた時点で逃げるべきだったのに。
逃げ出す先の一つもないから、ヤナはこうやって死につつある。
リュカバースでの生活はただの夢だ。
ダリルも、シェリフも、ジェロームもサリタもコルナールも、そして今オクレーシアすらも死んで、ヤナはもう誰にも頼れず、何にもなることなど出来やしない。
それが分かっていても、
「死にたくない、死にたくないよ……」
ぐさり、と鋭い爪がヤナの喉に食い込んで、温かい血が滴り落ち始めて、
「承知した。では私が君の助けとなろう」
え? と思うより早くにヤナの爪が鋭い刃物で切り落とされて、獣為変態が解除される。
ヤナの爪を切り落としたその誰かは即座にヤナに背を向けて、剣を振りかぶり白い娘へと斬りかかり――娘もまたいつの間にか抜刀していた、装飾も精緻な白銀の剣でこれを迎え撃つ。
二振りの刃が交錯して、
「っちゃー……そうか、そういえば貴方がいたわね、ゼル。子供を殺す魔獣の敵、ニブラスを使ったのは大失敗だったわ」
「ミカ……だと? ばかな、お前、何故お前が生きてここにいる」
そうして互いの姿を鍔迫り合いの後に初めて認識した両者は驚愕し――
次いで一人は舌打ちして、一人は目を白黒させる。
そうやって見てみると両者の姿はどこかしらよく似ていた。
白い髪に白い肌。ただ瞳の色のみが紅玉に紫水晶と異なっているだけで、その両者の雰囲気はまるで同じ株から咲いた花のように似通っている。
「お前は死んだはずだミカ。それは当代の天使が既に活動をしていることから……いや、それ以前にお前が死んで一体何年が経ったと――」
「そうねゼル、貴方が無価値なおかげでね。この口先だけで誰も守れない役立たずの無能神め」
刃を押し込みながら憎しみも露わに吠えるミカの視線を、ゼルは正面から受け止められず横に流す。
「それは――すまなかったと今でも思っている」
「嘘よ嘘、貴方にそんなことを思う機能なんてないくせに。貴方は所詮、貴方という神がこの世に投じた影法師、意識などない自動応答の分際で人のようにモノを語るな!」
そうやって鍔迫り合いを弾き合って互いに後方に飛んだ二人は、油断なく剣を構えたまま相手を睨み付け、
「貴方が、貴方たち歴代の天使が無能だから私はあのまま死ぬわけにはいかなかったのよ! 私が必ず人を真に救う神を降臨させる。お前たちのような歪みを是正する気もなく、その場しのぎするだけの神など――この私が全て否定してみせる!」
そうして、ミカはオクレーシアの首を抱いたままその身を窓硝子に投じてレウカディアの夕闇へと消えていく。
残されたゼルは、だがミカを追おうとはしない。ゼルの役目は、やることはいつだって子供たちを助けることだからだ。
「周囲に魔力の反応無し、安全圏を確保」
「あ、貴方は……」
「私はゼル・エルヴァンシュタイン。生きたいと願う君の望みに応じてこの場に参上した。さて、先ずは君の安全と平穏を確保するとしよう。君にとっての安全と平穏はどこにある? 頼れる大人が居るならまずはそこへ君を送り届けよう」
そうして、ヤナを抱き上げたゼルもまた、ミカの去った窓からレウカディアの街へと身を投げる。
レウカディアを訪れるのも、ゼルは初めてではない。ただ、前にこの地にゼルが降り立ったのはわりと昔の話だ。
「ここの街並みも随分変わったな。人界は絶えず発展し続けながらも人は相変らず人同士で相食んでいて――お前はそれが許せないか、ミカ」
そう呟いて歩き出すゼルの腕に抱かれたヤナは、どうやら自分が予想も付かない面倒ごとに巻き込まれてしまったのだ、と嫌でも覚らざるを得なかった。
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